アンドロイドは電気ブランの夢を見るか?

1/3



 ☆オープニング☆

山の頂きにそびえる灰色の城をめざし、チャーリーはクルマを走らせていた。
シティからは丸一日。一番近いタウンからでさえ、もう二時間も走りっぱなしだった。
この二時間、景色はほとんど変わり無い。片側には、決死の脱獄囚でさえ昇るのをためらうような、切り立った崖。もう片方は深い谷。かろうじて舗装された道路は、白いリボンを山に巻き付けたように、等間隔で少しずつ上に昇っている。
時々、道路は暗い森の中に入り込み、昼だと言うのにライトを点けなければならなかった。
「なんて田舎なんだ」
うなずく相手もいない車内で、チャーリーは声に出して言ってみた。
苛立っているのは、退屈な景色のせいじゃなく、故郷が・・・十年前に捨てた家が間違いなく近づいているからだった。
あの山頂。古い映画なら、悪魔でも棲んでいそうな怪しい城。それこそが、チャーリーが十五歳まで過ごした『マイ・スィート・ホーム』というわけだ。
この十年間、家族・・・父と妹の事を思い出した事がないわけではなかった。だが、薄情と言われても仕方無い回数だろう。
おまけに、帰郷するのも今回が初めてときた。半年前、父が死んだ時でさえ、帰って来なかったくらいだ。
家を出てハイスクールの寮に入る時、妹に毎月手紙を書くと約束したが、結局たった一年で挫折してしまった。
もともと、家を捨てるつもりで寮に入ったのだ。家のことはなるべく思い出さないように生活してきた。
だから、十年ぶりに故郷の道をクルマでたどりながら、このあたりのことを結構鮮明に覚えていることに驚きを覚えていた。
連なる山たちの形。最初の山の少し右に次の高い山が重なり、三つ目のは幾分離れて佇んでいる。三つ目の山の頂上にあるのが例の城だ。
木々の種類。暑くなりかけたこの季節に、ぼうぼうと緑を繁らす樹木たち。そう、この季節はこんな感じだった。
この時間帯の光の当たり方。風の動き方。
十年前と何も変わっていない。時間が止まってしまったような田舎の村。
三つ目の山裾の村を通り抜け、更にまた山の中へ昇っていく。山頂の古ぼけた城をめざす。
『なつかしい』家へ。
「あの城なら、ほんとに時間が止まっているかもな」
急なカーブを切りながら、皮肉っぽくつぶやいた。
仕事じゃなきゃ、こんなとこ、帰って来るもんか。オヤジが死んだ時でさえ戻らなかったのに。
城がある方の山は、さほど高くはない。クルマは、森を抜けると、少し広くなっているスペースに辿り着いた。
目の前に、鉄棒を組み合わせたような檻のような門が高くそびえ、城主は中の荒れた庭の様子を隠すつもりもないようだった。
門の前にチャーリーはクルマを停めた。錆びた鉄の門は押すと簡単に開いた。
キィィイ・・・。
金属をこする嫌な音が耳に残った。
門の中に一歩足を踏み入れ、チャーリーはあたりを見回す。
昔どおりの荒れた庭だ。
膝が隠れそうなほどに伸びて生え放題になった雑草、乾いて干からびた土。
昔は花壇だったらしい、赤レンガで丸く区切られたスペース。ほとんどのレンガは端が欠けて黒ずんでいる。
城に住んでいた時から、ここに花が咲いたのなんて、見たこともなかった。入って右側に見える太い大きな杉の木の形もそのままだ。灰色の空と同化する壁の色。ひび割れ。腐りかけたような窓枠。
扉だけは、チャーリーたちが住み始めた時に新しくアルミ製にした。新興住宅地のドアみたいなやつ。わざとくすんだ茶色に仕上げてあるのが滑稽だ。古い城の外観をすっかり損ねている。
この扉だけが、異次元につながっていそうで、かえって無気味な感じがした。
そう、それから獅子の頭のノッカー。扉を代えた時に、チャーリーが父に頼んで、年輪を感じる木のドアについていたそれを、わざわざ工事の人に付け代えてもらったのだ。
チャーリーは深呼吸してから、そのノッカーを潔く叩いた。だだっぴろい室内にノッカーの音が響いているのが聞こえた。

妹のサリー。
父が亡くなってから半年。ここで一人で暮らしているはずだ。
今ではもう十七歳になっているのだ。十年ぶりだ。
どんな少女になっているだろうか。
心臓の音が少し早くなった。
「それにしても、ここは何も変わってないなあ。十五歳の僕が、扉から飛び出してきそうだ」
子供時代を過ごした場所に立ち、チャーリーは心がざわざわ騒ぐのを感じた。
「だれ?」という声。ギギッと重い音と共に扉が開いた。
「あ、連絡しておいたピーナッツ社の者です。この城の買い取り契約のことで、お伺いしま・・・し・・・た」
内ポケットから、身分を証明する社名入りの書類を取り出そうとして、チャーリーは凍り付いた。はらりと書類が床に落ちた。
「ギャーーーーッ!」
そこに立っていたのは、十五歳の頃のチャーリーそっくりの少年だったのだ。


☆1☆

「おにいさん、ビール、もう一本いく?」
チャーリーの返事も聞かず、露出度の高い服を着たウエイトレスが、缶ビールをカウンターのテーブルに置いた。
「おにいさん、この店、初めてでしょ。ねえねえ、タウンの人?服や髪がこのへんの村の人と違うもん」
村で一件しかないモーテルの隣にある、これまた村に一件しかない飲み屋だった。
まるで西部劇に出てきそうな古い作りの店だ。
店の前には細いフィラメントのネオンサイン。『ウッド・ストック』とは、たいそうな名前だった。手垢のついたはね板のドア、黒ずんだ渋い木の床の色。ごっつい木材をふんだんに使ったテーブルや椅子、置物。カウボーイ姿のジョン・ウェインが飲んでいたって、驚きゃしなかったかもしれない。
こんな時代錯誤な店だが、冷蔵庫はちゃんとあるらしい。ビールは冷えていてうまかった。
チャーリーは三本目のビールに手をのばした。「いや、シティから来た。仕事でね」
期限は五日間。
あそこの土地には、うちの会社がレジャーランドを作る計画があるのだ。
買収といっても、あの城と土地の相続権はチャーリーとサリーにある。サリーは未成年だ。当然、チャーリーは、会社にアレを売る契約書にサインしていた。あとは、住人(妹のサリーだが)に立ちのきをお願いして、承諾書にサインをもらうだけだ。
ところが、この『だけ』が・・・。

一日目はもう終わってしまった。
「きゃーっ、おにいさん、シティの人なの?」
ウエイトレスは身を乗り出していた。
彼女は、この素朴な店とは不似合いな、ケバイ化粧と赤いビスチェに革ジャン、金色の髪を逆立てたパンク娘だった。アイラインとマスカラで元の目の形などわからない。店の照明が緑がかっているせいなのか、それともカラーコンタクトか、銀緑色に輝く瞳をしていた。唇の輪郭を大きくはみだして塗られた黒い口紅。そして胸に赤い薔薇のイレズミ。なかなかのグラマーだ。前のめりになるとちょっと目のやり場に困る。
シティに憧れる田舎の不良娘。
「ね、あたい、パティ。あんた、あたいをシティに連れてってよ。なんでもするからさあ。なんなら今夜だってサービスするよ」
パティは腰に手を当ててヒップを振ってみせた。だが、チャーリーを覗き込む顔は、まだあどけない。
やれやれ。どう見ても未成年だ。
「悪いけど、フィアンセがいるんだ」
「バレなきゃいーじゃんか。ここは旅先だよ」
「社長令嬢の婿候補としては、悪い事はできませんって」
「わあ、逆タマだね。あたいを二号にしておくれよー。シティで囲ってよー」
そこへ若いウエイターが、「こらーっ!パティ!」と割って入り、パンク娘のオデコをコツンと拳で叩いた。
「お客を誘惑するヒマがあるなら、奥のテーブル、下げて来なさいっ。
すいません、お客さん。アイツ、悪気はないんです。あれでもリップ・サービスのつもりなんですよ」
ウエイターは、チャーリーに詫びを入れたあと、パティに向かって、「だいたいさあ、客を口説くくらいならオレの口説きに乗ってよ」とぼやいていた。青年は、チャーリーより少し年下だろうか。人のよさそうな細い目の素朴な顔立ちで、ウェイターの制服の黒の蝶タイが全然似合っていなかった。
この店は、カウンターが六人ほど、テーブル席も四つの小さな店だ。村の人口を考えれば、こんな規模で充分なのかもしれない。店には、農夫らしいグループがテーブルに一組。あとはカウンターに二人、店屋の主人か何かだろうか、年配の男がチビチビと飲んでいた。
「もーう。ライナスの口説きに乗るバカなんかいないわよ!」
パティは、べー!と舌を出してテーブルを片付けに行った。カウンターから出ると、超ミニのスカートに黒い網タイツ姿があらわになった。
「君、シティに行ってどうする気?バンドでもやってるの?」
「そうじゃないよ。あんただって、そんなおっさん臭い背広を着てても三十歳前でしょ?若いんでしょ?なのに、この村の腐った空気がわかんないなんてー!
あたいは刺激がほしいの。シティで目も眩むような毎日を送るの」
パティは空のグラスを片付けながら、夢見るような口調になった。
「でも、この村ももうすぐ変わるさ。うちの会社がテーマ・パークを作るんだ。ディズニー・ランドみたいなやつを。そこら中のタウンや、シティからでさえ、たくさんの観光客が訪れるよ。村も繁栄するし活気づくだろう」
「う・・・ん・・・」
パティもライナスも、カウンターの他の客も顔を見合わせて目と目で何か言いたげだった。一瞬、『村の人はレジャー・ランドに反対なのか?』と思わせるような、気まずい空気だった。
「おにいさん、あの城の買収の関係で来たんでしょ。あんたで六人目だよ。前の五人は失敗したんだろ?マッドサイエンティストの博士は死んだけど、子供も変わり者らしくてね。OKしないさ」
パティが肩をすくめて苦笑してみせた。
ライナスもグラスを洗いながら視線を下げたまま言った。「村のみんなは、うますぎる話だからかえって期待してないんだ」

そうだ。あいつは大反対だった。
あいつと対決して勝たなければ。
十五歳の頃の、懐疑的でいつも何かにイライラと怒っていて、運命や神様が大嫌いで、『絶対イエスなんて言わない』と身構えていた自分。自分の事だからよくわかる。あいつは絶対OKなんかしない。

ブラウン博士が狂ったのは、妻を交通事故で亡くしてからだった。
チャーリーが十歳の時の出来事だ。
博士の悲しみはあまりに大きかった。しばらく死んだように日々を過ごしていたが、やがて彼は、学会で禁止されている人型ロボット(人造人間・・・アンドロイドってやつだ)の製作に手を出した。
死んだ妻そっくりのロボットを造ろうとしたのだ。
本人は秘密でやってたつもりらしいが、学者バカのこと、すぐにバレて学会から追放された。
研究所を追い出された博士は、山奥の誰も訪れない古い城を安く買って、その地下室を研究所にして仕事を続けた。
幸運な事に、その生活にうんざりしたチャーリーが城を出る時には、まだ母のアンドロイドは完成していなかったが。
「お気の毒さま。お前が出て行ったおかげで完成したようなもんさ。ま、かあさんではなくて、妥協してオレを作ったんだけど。
サリーが『おにいちゃん、おにいちゃん』ってあんまり泣くんで、オヤジは先にオレを造り始めた。百パーセントの完成度をめざしたかあさんと違って、サリーをとにかく泣きやませる為に作ったから、たった半年で完成した。七歳のサリーには、細かい違いはわからないだろうからね。
で、そのあと少しずつ、時間をかけて手直ししてくれて、ここまでの完成度になったってわけさ」
腰に手を置きエラそうに話す、二十センチ背の低い、自分そっくりのアンドロイド。彼を見おろしながら、チャーリーは言葉を失った。めまいと吐き気を同時に感じた。
「この城は絶対に手放さない。サリーとオレの日々を守る為に。それに、おまえなんかに、仕事の手柄をたてさせてやるもんか。おまえは、自分の事しか考えずにサリーを捨てた。たった一人の、まだ七歳だった妹の手を離して、自分だけ逃げた。
オレはおまえを絶対許さないっ!」

「もう帰って寝るよ」
チャーリーはビールグラスを置くと、カウンター席からゆっくり立ち上がった。思い出すとまためまいがして来る。
「缶ビール、一本売ってくれる?冷蔵庫がカラなんだ」
「おにいさん、こんなに呑んで、まだ部屋で呑むの?」
「『おにいさん』はよしてくれ。チャーリーっていうんだ」
この店の隣がモーテルになっている。少し酔ったが、運転しなくていいので助かる。
「おやすみ、チャーリー」
ベティがカウンターのテーブルにすべらせた缶ビールを、チャーリーはナイス・キャッチした。ビールを握ったまま、金を払って店を出た。
夜の暗がりの中、深い森のにおいが香っていた。
家々の明かりはもう消え、『ウッド・ストック』とモーテル、この二軒のネオンサインだけがテカテカと輝いている。昼間はここの駐車場からよく見える城の姿も、闇の中に隠れていた。
空は曇っていて、月も星も無い。



☆2☆

『起きて、おにいちゃん』
子供の声。
懐かしく優しい女の子の声。ふわふわの髪が鼻先に触れてくすぐったい。
『おにいちゃん、外はいい天気よ。花壇をつくる約束よ』
ゆっくりと片目をあける。サリーのまあるい目が覗き込んでいる。丸い瞳、丸い頬。口だってこんなにちいちゃい。
『ほら、はやくぅ』
サリーの差し出す手。白くて小さくてマシュマロみたいだ。握り返せば、きっとほんとにマシュマロみたいに柔らかいだろう。
ピシャリ!
サリーの手を取ろうとすると、誰かがチャーリーの手をはたいた。
「触るなよ!おまえにサリーの手を取る資格はないだろう!」
自分の声?いや、少し若い。
見ると、アンドロイドの少年のチャーリーが、七歳のサリーをかばうように腕組みして立ちはだかっていた。
「触るなったら!」
「触るな!」
「触るなー!」・・・・・・。
声がユニゾンでコーラスしてる。
自分の回りをたくさんのリトル・チャーリーが取り囲んだ。同じポーズで。まるで分身の術のように。チャーリーの回りをぐるぐる渦を巻いて回転している。
「触るな!」「触るな!」「サワルナ!」回転が早くなり、声もどんどん高くなる。レコードの早まわしだ。
「うわーっ!」
チャーリーは思わず耳をふさいでうずくまった。

RRRR・・・。
チャーリーはモーテルのベッドの上で目を覚ました。
ベッドサイドの、ブラインドを降ろし忘れた窓からは、朝の眩しい光が差し込んでいた。目を開こうとすると、光がしみて、チクチク刺すように痛んだ。
昨夜は、部屋に入ってすぐ、服を着たまま眠ってしまったようだ。背広の内ポケットで携帯電話が鳴っていた。
「ハロー?」
『おはよう、チャーリー。まだねぼけてる声ね?』
ルーシーだった。フィアンセで、社長の娘で、自分の上司である。
『ゆうべ、電話をくれなかったから』
「ごめん、疲れて眠ってしまった」
長い運転時間や、帰郷の緊張や、めまいのタネとの出会い・・・。自分で思っている以上に疲労していたようだ。
『きのうは、どうだった?もう第一回目の訪問はしたの?』
「・・・いや、まだだ。着いたのが遅かったから」
チャーリーはとっさにウソをついた。
少年時代の自分そっくりのアンドロイドに遭遇し、さんざんなことを言われて追い返された事など、報告したくなかった。サインをもらうべき相手・・・妹のサリーにさえ会わせてもらえずに、門前払いだったのだ。
ルーシーは、父が人造人間を造ろうとして追放された事は知っていた。ルーシーは、チャーリーの目をじっと見て、『おとうさまは、おかあさまを愛しすぎていたのよ』と言ってくれた。
だが、さすがに今回の事は言えなかった。
それに、禁止のアンドロイドを『作ろう』とした罪と、『作った』罪では、どちらが重いかは明白である。自分の父親のペナルティは、少なく見せておいた方が有利に決まっていた。相手がフィアンセであれば、よけいにそうだ。
『あら、残念。妹さんとの涙の対面の様子を聞きたかったのに』
「ははは・・・」
チャーリーは力無く笑った。サリーとの再会も頭の痛い問題だ。
それにしても、チャーリーの前にここへ来た社員達のレポートは、リトル・チャーリーのことなんか、一言も触れてなかった。失敗して帰ってきた五人、全員の報告書に、きちんと目を通したから覚えている。
そこにはただ、『子供の反対による』の欄にチェックがあっただけだった。まさかこんなことだとは思ってもみなかった。
「夕方、社に電話入れるよ」
『五日も会えなくて、寂しいわ』
「あと四日だよ、ダーリン」

あと四日。
チャーリーは社長に試されている事を知っていた。
電話を切ると、すぐにシャワーを浴びて新しいワイシャツに着替え、出かける準備をした。
大学の後輩だったルーシーのツテで入社して、二年たつ。途中入社ではあったが、学術優秀だったチャーリーは、仕事を覚えるとつぎつぎに実績を上げていった。
老人の多い古い町に、老人ホームを含めたレジャー施設を建設する仕事(正確には、町の年寄りたちを立ちのかせる仕事)。ホームに入るのは、立ちのいた老人たちではなく、もちろん金持ちの年寄りである。
ある町の教会では、何人かの孤児を面倒みていた。町の有力者たちは、自分たちの寄付金が、教会の装飾を立派にすることに使われることを望んだ。わが社は、稀に見る美しい教会に建て直した。新しい神父と、新しいシスター達が呼ばれた。子供たちがどこへ行ったかは知らない。
チャーリーは、そういう会社で働いていた。普段は、仕事と割り切って、深いことはあまり考えないようにしていた。

城までの道をクルマで飛ばし、サリーへの土産の大きな包みをトランクから引っ張り出すと、赤いリボンのついたそれを抱えて、門をくぐった。
獅子のノッカーを叩く前には今日も深呼吸が必要だった。今日こそはサリーに会う事になるだろう。
柔らかい金髪。ぱっちりしたブルーアイの可愛い少女だったサリー。恨んでいるだろうか。サリーを置いて城を出たことを。恨まれているとしたら、それは仕方無いと思っていた。兄だと名乗らない方が、仕事には有利かもしれない。だが、どんな風に成長しているのだろうか。サリーの姿を見るのが少し怖いのだった。

「また来たのか。城は売らないって言っただろ」
扉を開けたのは、リトル・チャーリーだった。彼の言葉には相変わらず敵意がこもっていた。
「おにいさま?お客さまなの?」
リトル・チャーリーの後ろから涼しげな声が聞こえた。
「この城を狙ってるハイエナのうちの一匹さ」
「おにいさまったら、そんな失礼な言い方して。ここへ来るみなさんは、会社の命令でお仕事でいらしてるだけでしょう。以前には乱暴そうな人も来たけれど、この人はそんな感じではないじゃない。お茶くらいお出ししなきゃ。
・・・こんな田舎まで、大変だったでしょう?」金色のふわふわで長い髪、色白でほっそりしたからだ。まあるい瞳は暗めのブルー。青い瞳に沿って、金色の睫毛がびっしり生えていて、まばたきの度にカールが揺れた。まるで秋の風景。深く静かな湖の周りで、金色の木の葉が風にゆらいでいるような。そんな瞳の少女だった。そして、そのたたずみ方。背中に天使の羽がはえていそうだ。聖少女とは、彼女の為にあるような言葉だった。
「・・・サリー?」
もともと可愛い子供だったが、ここまで美人になるなんて、予想もしなかった。汚れを知らない素直な性格なのは、一瞬で感じとれた。丸い瞳に少し面影がある気がした。声は女らしく変わっていた。
「サリー!チャーリーにいさんだよ!」と抱きしめたい衝動にかられたが、ぐっと掌を握って堪えた。震える唇で、「サリー・ブラウンさん、ですね。博士のお嬢さんの」と営業用の声を出した。
「はい。はじめまして」サリーは、屈託のない笑顔でにっこりと答えた。
はじめまして。
そう、わかるはずはない。
別れたのは十年前。大人になり、髪を整え背広を着たチャーリーを、兄だと気づくことはないだろう。
「・・・こちらこそ、はじめまして。わたくしはピーナッツ社の者です。これは、サリーさんへのお近づきのしるしです」
チャーリーは、腕に抱えていた大きな包みを差し出した。そして、彼本人が自分で包装を破いてみせた。それは、子供の身長ほどもある大きなテディ・ベアだった。
「わあ、可愛い!」
毛並みの色は少し淡いキャメル。首には赤いギンガムチェックのリボンをしていた。ガラス玉の黒い目は、『子供の味方だよ』って言っているようだった。
サリーの瞳がキラキラ輝き、頬が薔薇色に紅潮した。『可愛いのは、サリーの方だ』チャーリーは、顔がにへらと笑っている自分を感じた。
「おまえ、バカじゃないの、サリーはもう十七歳だぜ。七歳のガキじゃないんだ。こんなもの喜ぶと思ってんのか?」
相変わらず一人で怒っているリトル・チャーリーだ。
「そんなことないわ、すごく素敵!ありがとう。これ、高かったでしょう?」
「こいつらは経費で落ちるんだよ!礼なんか言うなよ!」
『こんな高い物、経費で認められるわけないだろ』とチャーリーは心の中で言った。『妹へのプレゼントを会社の金で買うほど腐っちゃいねーよ』
あ、口調がうつってる・・・。というか十五歳の頃の口調に戻ってる。やばい、やばい。
サリーは、ぬいぐるみを抱いてほおづりしていたが、「契約をお断りするんだから、やっぱり返さないといけないわよね?」と、リトル・チャーリーにおそるおそる尋ねた。
「あたりまえだろ!早く返せよ」
「いいんですよ、これはプレゼントです。契約とは関係なく」・・・『僕からのプレゼントですよ』
「ねえ、もらっていいって」
「ダメったら、ダメ!」
「サリーは欲しがってるだろ」
「『サリー』なんて気安く呼ぶな、オレの妹のことを。
おまえなんて、他人のくせにーっ!
出ていけーっ!これを持って、とっとと出ていけーっ!」

「ガキのヒステリーだな、あれは。プログラムのミスだ。僕はあんな攻撃的な性格じゃなかったぞ」
今日もまた、リトル・チャーリーに玄関で追い返されてしまった。
サリーとは、契約の話どころか、世間話の一つもできなかった。もっと話したかったのに・・・。
どんなデザインのドレスが好きだろう。何色の花が好きなのだろうか。どの童話の王子様が一番お気に入りだろうか。子供の頃は、シンデレラが好きだったけれど・・・。
城を訪れる前には、サリーへの後ろめたさで、会うのが少し憂鬱だったくせに。姿を一度見てしまえば、やはり可愛くって仕方がないのだ。

「なに一人でブツブツ言ってるの?」
パティはカウンターのチャーリーの隣の席にキス・チョコの皿を置いた。
「あれ?僕は頼んでないよ」
「あんたのお友だちに、サービス」
隣の椅子には、リトル・チャーリーにつっ返されたテディ・ベアが、つまらなそうに、縮こまって座っていた。
「サンキュ。じゃあ、僕にはビールもう一本。
ねえ、君は一人っ子?兄弟はいるの?」
「えっ?・・・プライベートなこと、聞かないでよ」パティは急に不機嫌そうな表情になって、どん!と乱暴にビールを置いた。
「両親とウマが合わなくて、タウンにある家を飛び出したんだもん。家族のことを聞かれるのが、一番イヤ」
「君とウマが合う親は、少ないと思うけど?」
「失礼ね。ジェリーおばあちゃんが生きてる時はよかったのよ。おばあちゃんが味方してくれたから。いなくなったら、なんだか家に居づらくなっちゃってさあ。つまんない家だったから、いいんだけどさ。
あ、そう言えば、おばあちゃん、あの城で働いていた事があるらしいよ」
「・・・ジェリー・トマス?」
城にいた頃・・・まだチャーリーも小さかった頃、週に三日ほど来てくれていた家政婦だった。
二人の子供を育て上げた年配の主婦で、ふくよかな体とふくよかな笑顔の、親切な家政婦だったと記憶している。
白髪まじりの髪をきっちり結い上げ、いつも糊の効いたパリッとしたエプロンをしていた。誠実で真面目にチャーリー達に接してくれた。
チャーリーが十二、三歳になるまで来ていただろうか。その頃には、チャーリーも家事がこなせるほど成長していたので、家政婦がいなくても困らなくなったのだ。
社の調査では、老いてからのジェリーは、タウンで娘夫婦や孫と暮らしていたが、一昨年病気で亡くなったそうだ。
「へえ、よく名前まで知ってるね。ちゃんと調べてあるんだ?チャーリーって、見た目はどんくさそうだけど、もしかして優秀なの?」
「・・・君は誉めてるつもりかもしれないが」
「あはは、ごめん、ごめん。だってさ、チャーリーってどこか学校の先生みたいじゃん。全然地上げ屋に見えないんだもん」
「うちの会社のこと、『地上げ屋』って言わないでくれる?
ちなみに、教職免状は持っています。入社する前は、バイトで塾の教師をしてたし」
実は、大学を出る時には、パブリック・スクールの教師の職が決まっていた。しかし、『あの』ブラウン博士の息子だとわかって、取り消されてしまったのだ。

今でも覚えている。大学の事務室に呼ばれて、内定の取消を告げられた時のことを。
事務員は、その理由も隠さずに教えた。渇いた機械的な口調で。
『あちらの学校では、親が学会から追放されたような人間は、教師として相応しくないと判断したそうです』
そのすぐあと、取っている授業があったので受けに行ったが、講義の内容は何も頭に入らなかった。
取消のショック。理不尽だという想いと、父親への怒り。そんなもので頭の中はいっぱいだった。
城を飛び出したチャーリーには、もう帰るところはないという覚悟があった。
もともと頭もよかったのかもしれないが、がんばって勉強したので、大学でも何度か首席に輝いた。大学院の研究室に残らないかと教授から誘いがかかったが、チャーリーは断った。
チャーリーには、夢があった。
パブリック・スクールの教師になって、収入は少なくても安定した生活を送る。
美人でなくてもいいからそこそこ優しい奥さんと、可愛くなくてもいいから元気な子供に囲まれた日々。
子供の頃に、みんなが持っているのに、自分だけ持っていなかったもの。
だから、あこがれた。『家庭』という名の、不思議なシステム。
博士号を取って羨望の目で見られるより、平凡でも幸せな家庭を築きたいと思った。研究所で学問に没頭する充実感を味わうより、明るく笑いのたえない家庭を作りたかった。
それに、研究所の中には、父のことを知っている人もまだまだ残っているだろう。チャーリーは、その人たちと接するのがいやだったのだ。
たくさんの生徒に囲まれ、妻を愛し、子供を可愛がって。そんな風な生き方ができるかもしれない。そうすれば、もう二度と、大切なものの手を離さなくてもいいのだ。
そう思ったのに。

ふと気づくと、チャーリーは教室に一人で座っていた。授業はとっくに終わっていた。ため息をついて、立ち上がったところへ、一学年後輩の女生徒が近づいて来た。
「ハーイ」
華やかな美女だった。噂に聞く、大学の女王様のルーシーだ。社長令嬢で美人で秀才。取り巻きも多い。チャーリーとは別世界の人間だった。
何の用だろうと不思議に思いながらも、「ハーイ」とチャーリーも返事した。
ルーシーは、どこからかチャーリーの内定取消の噂を聞いて、父親の会社の社員勧誘に来たのだ。チャーリーは地上げ屋になる気はなかったので、その時は断った。

小さなゼミナールで、細々と塾講師のバイトをするチャーリーに、再びルーシーから連絡があったのは、二年ほど前だった。
チャーリーは、疲れていたのだ。
パブリック・スクールのサラリーが高くはないと言っても、このバイトにくらべれば天と地ほどの差があるだろう。しかも、そこのゼミは、歩合制だった。何人合格したら、いくら。何人ランクが上がったら、いくら。結果を出せない講師の収入は、さらに少なくなるのだ。
授業も、生徒に学力をつけさせるのが目的ではなかった。講師が、統計を出したり時にはスパイをしたりして掴んだ情報を、暗記して早く記入するハウツーの勉強だ。スパイ等と言うと大袈裟に聞こえるかも知れないが、実際に同僚は、好きでもない助教授の女性とつきあっていた。ゼミの講師であることを隠して。彼の生徒はたくさん合格したらしい。
仕事の内容にも、少ないサラリーにも、うんざりしていた頃、ルーシーから電話をもらった。同じ不道徳な仕事なら、お金がたくさんもらえる方がよかった。苦しい生活を強いられていたチャーリーは、今度はその申し出に飛びついた。生きていくのに、きれいごとは言っていられないことを学んだ後だった。
入社してから、モーションをかけてきたのはルーシーの方だった。成績優秀、頭脳明晰、やり手の新人でそこそこのハンサムというチャーリーは、社長令嬢のお婿候補の一人にリストアップされたらしかった。そして、チャーリーは勝ち残った。

「そうだ、この熊のぬいぐるみ、君にあげるよ。ホテルの部屋は狭いし、帰りのクルマの中でも、シティのアパートでも、たぶん邪魔になるだろうから」
「えーっ!ほんとー?ほんとにいいの?きゃーっ!」
パティは狂気乱舞である。
「君みたいなパンク娘でも、ぬいぐるみが嬉しいなんて、意外だな」
チャーリーはおかしくてクスッと笑った。パティは少し赤くなったが、「レディース・パンクには、『ロリータ』ってジャンルもあるんだから」と強がりを言った。
「でも、ほんとにこれ、タダで貰っちゃってもいいの?何ならお礼に今夜あたいを部屋に呼んでもいいよ」
チャーリーは可笑しくて吹いてしまった。
「君って子は、まったく・・・」
「笑うのって、失礼じゃんかっ。ぷんぷん」
パティは、サリーと同じくらいの年だろう。もう少し上だとしても、せいぜい十八、九。本人は二十一歳だと言い張っているが、たぶん嘘だ。歳をごまかして働いているに違いない。
パティがジェリー・トマスの孫だと聞いて、ぬいぐるみをあげる気になった。ジェリーは、博士を怖がっていた節もあったが、自分達には優しくしてくれたいい人だった。
「缶ビール、二本ほど売ってくれよ。モーテルの部屋の冷蔵庫が壊れてるんだ」
チャーリーはゆっくり席を立った。「しっ、内緒であげる。テディ・ベアのお礼」
パティはウインクして、缶ビールの入った紙袋を差し出した。
と、その時、携帯が鳴った。
「ハロー?」
『ごめんなさい、夕方電話に出れなくて』
ルーシーだった。
『また、かかってくるかと思って、待ってたのに』
「ごめん、忙しいかなと思って、かけそびれてしまった。まだ嬉しい知らせはあげれないしね」
『そう。残念ね。でも、妹さんとの交渉ですもの、やりにくいのはわかるわ。もし承諾が得られなくて裁判になっても、勝つのはどうせあなたよ。だから、無理しないでね』
裁判に持ち込みたくないから、何とかしたいのに・・・。
「うん、ありがとう。おやすみ」
チャーリーが電話を切ると、パティがあきれたように言った。
「フィアンセとのラブコールなのに、あっさりしたもんだね」
「そうかな。・・・そうかもね。恋人である前に、社長のお嬢さんだし上司だし」
「『別に愛してないし』?」
「えっ?」
「ごめん。いくら何でも失礼だったわね。でも顔に書いてあったもん」
「・・・。」
「意外と野心家なんだね」
「そんなんじゃないよ」
自分は、父親のようになりたくないだけだ。失くした時、人が変わるような狂い方をするほど大切な物なんて、作らないに限る。仕事でも恋人でも、妻でも。
大好きなものは、手にいれたら、その瞬間から失くす心配をしなくちゃいけないのだから。

『いいんです、サリーって呼んでください。兄の言った事なんて気にしないで。
あなたのお名前は?まあ、あなたもチャーリー?
兄と同じ名前なんですね、親しみを感じちゃうわ。あ、でも、大人の男のひとを、私が<チャーリー>なんて呼ぶわけにはいかないですよね。チャールズさんって、呼びますね』
屈託の無い天使の笑顔、涼しい美しい声。まるで夢のような少女に育ったサリー。いい子に育ってくれて本当によかったという感動と共に、自分はあの時出て行ってよかったのだという思いもあった。
あのままそばにいたら、自分は十年間苦しまなければならなかっただろうから。



☆3☆

次の日、チャーリーは少し早起きしてタウンへクルマを飛ばし、赤いチューリップの花束を作ってもらった。そしてそれを抱えて城へ訪れた。
獅子のノッカーを叩くと、ラッキー!今回扉を開けてくれたのは、サリーだった。
「チャールズさん、やっぱり、あなただったんですね。兄がドアを開ける前にと思って、ノックが聞こえるとすぐに走って来たんです」
そう言えば、少し息が上がっている。
「兄が出ると、きちんとお話ができないでしょう?ごめんなさいね、普段は優しいいい兄なんです」
「いえ、そんな。彼はきっと、あなたを守ろうと必死なんですよ。彼の気持ちもわかるな。こんな可愛い妹さんなんだもの」
仕事柄、昔よりは口がうまくなったが、サリーを讃える気持ちは本物だった。
「まあ、そんな」と頬を染めるサリーを、チャーリーはうっとりと眺めた。
なんて可愛らしいのだろう。こんな反応をするセブンティーンなんて、シティには、まずいないだろう。
みんな、もっと擦れていて、もっとしたたかだ。チャーリーは、バイトでこの年代を教えたこともあるので、よく知っていた。
「何回も足を運ばさせて、ごめんなさい。さあ、どうぞ」
三日目に、チャーリーはやっと、城の中へ入れてもらうのに成功した。
扉のすぐ内側は、だだっ広いロビーになっている。ロビーの左右の端から、ゆるやかな階段が始まって、正面が中二階のちょうど踊り場だ。
高い天井には、細かい細工が施されたシャンデリアがぶら下がっていた。ただしこれはお飾りなのを、チャーリーは知っていた。階段の手すりにも華麗な草木の模様が彫り込まれているのだが、それを台無しにするように四隅に蛍光灯のスタンドがロープでくくりつけられていた。
床にはかつて朱色だった絨毯が敷き詰められている。もとから、色合いが曖昧になるほど擦り切れていたが、ダイヤの柄を目にした時、ふいに懐かしさがこみあげてきた。
内装も、ほとんどあの頃と変わらない。たぶん何も手を加えていないのだろう。十年という時間の分風化していたが、変わっているのはそこだけだった。
「これを、サリーさんに」
チャーリーは、チューリップの花束を差し出した。
「わたしに?」とまどいながら笑顔を隠せないサリー。
「昨日会った時、確かにもうぬいぐるみって歳じゃないよなあって反省しました。十七歳は立派なレディだよね」
頬を赤く染めるサリー。
「どうもありがとう。
こちらが応接間になっているの。お茶を入れますね」
まるで宝石だらけの王冠でも抱えるように、サリーは大切そうに花束をだいて、部屋へ案内してくれた。
応接間と呼ばれた部屋は、ここが城として機能していた時代には、謁見を待つ者の待合室だったのかもしれない。時代を感じさせるセピア色に染まった壁や床と、ビニール張りの安っぽいソファがあまりにもちぐはぐで、『オヤジっていうのは、ほんとにこういう人間だったよなあ』と、苦笑してしまうほどだ。
インテリアなんかには、頭がまわらない人だったのだ。いや、何にでも、とにかく気の回らない男だったに違いない。
チャーリーを少し待たせた後、サリーは紅茶と、チューリップを生けた花瓶を部屋に運び込み、テーブルに置いた。
「私がものごころついてから、初めてじゃないかしら。この家で花瓶に花を生けたのなんて」
そう言ってクスクス笑ってみせた。笑顔の中に、皮肉っぽさやペシミズムは微塵もなかった。
『もしかして、サリーは、こんな状況でこの城で暮らすことを楽しんでいる?』
そんな気さえしてくる笑顔だった。
いい子なのだ。チャーリーは嬉しくなった。
彼はカバンから、まずはパンフレットを取り出しながら、「こんな広いお城で、おにいさんと二人っきりで、寂しくないの?」と尋ねた。
「そうね、父が亡くなってからは少し寂しかったけど。
いえ、チャールズさんのおっしゃってることはわかるわ。本やビデオで、一般的な家庭や家族の生活のことは知っているから。ああいう生活にくらべて、寂しくないかってことでしょう?
でも、私はあれを体験したことはないし、あれと今の生活を比較することはできないんですもん」
理路整然とした答えが返ってきて、チャーリーはちょっと面くらう。まあ、自分と同じく、ブラウン博士に育てられた子供なのだから、お勉強の出来る子であってもおかしくはない。ただちょっと、サリーの可愛らしい容姿との違和感を感じただけだ。
ちょうど、この城のアンティークな外観には、アルミの機能的なドアがちぐはぐな印象を与えるような、あんな感じだった。
チャーリーは、パンフレットをテーブルの上に並べ終えた。有名都市にある、たくさんの遊園地やテーマパークのチラシ広告だった。どのチラシにも、抜けるような青空の下に色とりどりの楽しそうな乗り物や、美しいホテルの写真が印刷されている。
「ピーナッツ社からおうかがいするのは私で六人目なので、だいだいのことは御存知かと思いますが」
と、チャーリーが、まだ前置きを話している途中に、
「キャーッ、これ、何ですの?
人が乗って、こんな風に本当に一回転するのですか?」
サリーは、ジェットコースターの写ったパンフを手に取ってはしゃいでいた。
「空が近く見えるかしら。下にいる人達はどんな風に見えるかしら」
青い瞳はさらにキラキラと光り、唇もつやつや輝いていた。
『乗せてあげたいな。どんなに喜ぶだろうか』
チャーリーの中を、ふっと、忘れていた感情が横切った。それは、懐かしくて、胸をしめつけるような優しい感情だった。
しかし、彼は心の中で激しく首を振った。
『ダメ』だよ、チャーリー。仕事で来ているんだろう?サリーに妹としての愛情を感じたら、ビジネスはやりにくくなるに決まっている。
テーブルのチューリップは、時間がたって、冷たくかたくなに閉じた花びらが少し開いてきていた。柔らかいラインは、サリーが好きだったプリンセスのドレスのようだった。
「この土地の上に、もっとすごい乗り物がたくさんできるんですよ。オープンしたら、もちろんサリーさんとおにいさんには、社から乗り放題のチケットをさしあげます。
いえ、完成を待たなくても、ここを売ったお金で、世界のどこのテーマパークへだって旅行できますよ」
「世界のどこへでも?」
「ええ、どこへでも行けるんですよ」
チャーリーの言葉に、サリーは夢見るような表情になって身を乗り出して来た。
必要なのは、サリーのサインだ。いくら口うるさくても、アンドロイドには何の権限もない。リトル・チャーリーは、ただの城の備品なのだ。
「おまえの方こそ、とっとと、どこへでも行っちまうんだな」
チャーリーの背後から、殺気だった少年の声が襲いかかった。
「おにいさま」
サリーは顔をこわばらせて立ち上がった。チャーリーはと言えば、『お邪魔しています』と営業用の笑顔を作りながら振り返ろうとしたが、耳の横で、ガチャリ!という撃鉄を起こす音がして、体が凍り付いてしまった。動作は、ストップモーションがかかったように止まっていた。顔は、笑顔を作る途中の表情のまま、ひきつっている。
「ふん。なにが『ブルースカイで快感宙返り』だよ。くだらない」
リトル・チャーリーは、右手に握った銃をチャーリーのこめかみに当てたまま、左手でチャーリーの手にあったパンフレットを抜き取った。
チャーリーの指に軽い痛みが走った。紙で指が切れたのだ。親指に細く赤い線ができていた。
アンドロイドには、『命は尊いもの』という認識はあるだろうか。生命のあるものを傷めてはいけないという倫理観は?背中を冷たい汗が流れ落ちた。
先輩の勧誘員達が五人も逃げ帰った。リトル・チャーリーのことを、甘く見ていたかもしれない。
「おにいさま、やめてちょうだい。チャールズさんがびっくりしてるじゃない。そんなオモチャ、早くしまってよ」
えっ?「オモチャ?」
チャーリーは右側を振り仰いだ。リトル・チャーリーは、『フン!』と再び悪態をつくと、右手に持っていた銃をぽいっとソファの上に放り投げた。クッションが効いて少しはずんだ。
「オヤジの作ったモデルガンだよ。よく出来てるだろ?『本物そっくりに作る』ってことに関してだけなら、天才かもな」
リトル・チャーリーは唇の端っこをちょっぴり上げて、皮肉っぽく笑った。
「し、しかし、許可証のない個人のモデルガン製造は、法律では禁止・・・」
チャーリーはそこまで言いかけて、リトル・チャーリーの馬鹿にしたような視線とぶつかって、口をつぐんだ。
ブラウン博士は、アンドロイドでさえ作っていた人物なのだ。モデルガン製造に関する法律などを、気にするわけがなかった。
「チャールズさんから、この花を戴いたのよ」
サリーは花瓶のチューリップに視線をやって、その後ちらっと兄の顔色を見た。
「・・・もらって、いけなかった?」
「花瓶にまで生けておいて、今さらオレに許可を求めるなよっ!」
「怒ったの?」
サリーの青い瞳が曇った。少し泣きそうな表情になった。
リトル・チャーリーはいまいましそうに、「・・・いいよ!どーぞ、もらっときな!昨日みたいに、ぬいぐるみごときのことでずーっとブツブツ言われちゃたまんないもんな」
「ずっとブツブツなんて言ってないもん」
サリーはちょっとふくれてみせた。・・・可愛い。
「だいだい、なんで勝手にこいつを家に入れたりした?」
「だって・・・今までの人たちと違って、いい人そうだったし」サリーは小声で言い訳していた。
リトル・チャーリーはサリーより四、五センチ背が低いのだが、役目はしっかり『兄』していた。
十七歳のサリーと、十五歳の『兄』のリトル・チャーリー。不思議な光景だった。
「あの、以前来た五人って、どんな風だったのかな。僕よりベテランの先輩達だったらしいけど。もしかして、失礼なこと、したのかな?」
「『したのかな?』だとーっ!?」
リトル・チャーリーの剣幕に、チャーリーはソファから転げ落ちそうになった。
「おまえは、自分の会社の人間が、どんな悪どいことしてるか、知らないでのこのこやって来たとでも言うのか!?」
「あ、いえ、その」
チャーリーは口ごもった。
「仕事上、多少はきびしい事を言うこともあるけれど・・・」
確かに、正義とか良心とかの感覚に欠けることをしている会社なのは知っているが、でも、そんな剣幕で怒らなくっても・・・。
「帰れよっ!とっとと帰れ!
銃はニセモノだけど、そこら中の壁に飾ってある剣やスピアは本物だぜ」
チャーリーははっとした。彼がここまで反抗的なのは、今までの五人に原因があるのかもしれない。自分などは、甘い方だ。ベテランたちはもっと非情でもっと冷徹だ。
「他の五人が何をしたかは知らないけど、僕は僕だよ」
そう言いながら、リトル・チャーリーに少し同情している自分に気づいた。
精一杯虚勢を張って、妹のサリーを守ろうと肩ひじ張ってる、十五歳の自分が重なって見えた。
「ふざけるな!おまえんところの社員がしたことを、自分じゃないから責任がないって言うのか!?
ああ、そうだよな、おまえは、責任感のないやつだったよな!」
リトル・チャーリーはそう怒鳴って部屋を出ると、今度は本当に古ぼけたスピアを抱えて戻ってきた。
「うわっ!お、おい、落ち着いてくれよ」
「黙れっ。出て行かないと、本当に突き刺すぞっ!」
リトル・チャーリーの身長ほどもありそうなスピアだった。
矛先は錆びて真っ黒だし、握りに派手な彫刻が施してあって装飾的要素の強いものらしいが、突き刺されたらやっぱり無事じゃいられないだろう。
おまけに、小柄な彼にとってけっこう重いものらしく、かなりふらついて支えているのだ。ただの脅しで振り回すつもりだったとしても、この様子じゃ何がどうなるかわかったもんじゃない。
チャーリーは、あわててテーブルに広げたパンフレットをかき集めると、カバンを脇に抱えた。
「明日、また来るよ、リトル・チャーリー。その時には、冷静に話ができることを祈っている」
「『リトル』だとーっ!」
気にしていることに触れられて、リトル・チャーリーはムキになってスピアをぶん回した。
「うわっ」
チャーリーもサリーもとっさにしゃがみこむ。リトル・チャーリーはスピアの重さに耐えられず、よろめいた。矛先が壁に突き刺さった。
「えいっ。くそっ。抜けないぞ」
「チャールズさん、今のうちです、早く」サリーが促した。
チャーリーは素早く部屋を抜け出した。
「門まで送りますね」サリーもあとに続いた。

バタンとアルミの扉をうしろ手に閉めて、二人ははあーっと息をつき、同時にくすっと笑った。走ったので息が上がっている。
外は涼しい風が吹いていた。低い山ながらも、山頂だけあって村より気温が低いかもしれない。生え放題の庭の木の葉っぱたちが、風に揺れてさわさわと音をたてた。
「ごめんなさいね」
「君が謝ることはないよ。
小柄なことを気にしてたのか。悪いことを言ってしまった」
「子供みたいなのよ。すぐムキになるの」
妹のサリーの方が、姉みたいな口ぶりだった。リトル・チャーリーへの愛情が感じられて、微笑ましくもあり、ちょっぴり悔しくもあった。
複雑な気持ちだった。自分はサリーを捨てたのに。
こうして、この庭にサリーと立っているのが不思議だった。
一羽の小鳥が、庭の止まり木に飛んで来て、愛らしい声で歌い始めた。空が抜けるように青かった。
「サリー、お願いがあるんだけど」
チャーリーはサリーのブルーアイをじっと見つめて言った。
丸い瞳。薄い整った唇。七歳のサリーとの接点を捜そうと一生懸命見つめた。
サリーは赤くなって目をそらした。
「契約のことは、私だけでは決められないわ。サインは、私だけがすればいいらしいけど、私は兄さんの許さないことはしたくないの」
チャーリーは微笑んだ。
「違うよ。博士の墓、この庭にあるんだろ?お祈りさせてくれないかな」

城の裏庭に、十字架が三本立っていた。
古いのが二本、まだ新しいのがブラウン博士のだった。
チャーリーは軽く十字を切って、こうべを垂れた。
古い方の十字架は、母と、母の妹のオリーブ叔母のものだ。母はオリーブ叔母さんの運転するクルマに同乗していて、事故に遭った。そして、二人とも亡くなったのだった。
サリーは、本当の妹ではない。オリーブ叔母さんの娘だった。車には当時二歳だったサリーも乗っていたが、彼女だけが助かったのだ。
叔母は、優等生の母の頭痛のタネだったようだ。スクールの頃はタバコやマリファナで三回補導されたし、卒業してからは家を飛び出して画家のタマゴと同棲したり。
その男には結局捨てられて、でも子供だけは産まれちまったり。・・・それがサリーだった。
それでも姉妹は仲良しだったようだ。母は叔母とよく電話をしたり、時々会いに行ったりしていた。
オリーブ叔母が死んで、サリーには他に身寄りが無いので博士が引き取った。
博士もチャーリーも、『本当の娘だと思って』、『本当の妹だと思って』、サリーと接した。分け隔てないように。サリーが寂しくないように。
妹。でも、本当は違う。
五歳の時はいい。六歳の今も平気。でも五年たったら?十年たったら?
チャーリーがそんな考えにとらわれ始めたのは、もう十四歳になっていた頃だった。充分思春期だった。近い将来、女らしくなったサリーと、ほとんどの時間二人きりで顔を突き合わせて生活する・・・。妹だけど、妹でない女の子と。それは、想像しただけで息が詰まりそうなシチュエーションだった。
城の外に出る事を考え始めた。
通信講座の教師に相談したら、チャーリーの成績ならどんなハイスクールでも合格すると言われた。その教師に全寮制の学校を紹介してもらい、博士に報告したのは、試験に合格した後だった。

「そうか。おめでとう」
その夜、博士の書斎に報告に行った。
父はコンピューターのモニター画面の、何かの設計図から目を離さずにそう言った。
ビルの設計図のような、それが、『かあさん』なわけかと気づいて、なんだか悲しくなった。
複雑な回線だった。ラインの連動が多く、関連するスイッチをマジックで塗り潰していくだけでも一晩かかりそうだった。
「僕、行っていいの?」
「当たり前だ。おまえの人生だろ」
『どんなに反対されても絶対行く』、と力んでいたチャーリーは拍子抜けした。
なぜか反対されると信じていた。だって、小さなサリーの面倒は、全部と言っていいほどチャーリーが見ていたのだ。
今雇っている家政婦は、事務的に掃除洗濯をしていくだけの人だし、チャーリーが出ていったら、博士はサリーのことをどうするつもりなんだろう。
チャーリーは、はっとした。自分は、それがわかっているのに、出ていこうとしているのだ。
今思うと、ちょっぴり止めてほしかったのかもしれない。五年振りの『世間』は、十五歳の少年には少し怖かったからだ。
「・・・サリーはどうするの?」
「寂しがるだろうなあ。でも、何とかなるだろ。心配なら手紙でも書いてやれよ。サリーにもいい読み書きの練習になるし」
そういう父だった。ま、学者バカだから。
細かいことに気づく人だったら、こんなに簡単に許可しなかったかもしれない。サリーの為のシッターが見つかるまでは待っていてくれとか、サリーをまともな家に養女に出そうとか、色々考えるはずだ。
それに、サリーが寂しがって泣いたからといって、チャーリーそっくりのアンドロイドを作って与えるという神経が、どこか一本ネジがはずれてる気がする。

チャーリーは夜の遅い時間に出ていった。サリーを寝かしつけてから出発した。起きている時に出て行ったら、泣いて大変だからだ。
握っていた手をそっと離しても、サリーは目覚めなかった。そして電話でタクシーを呼んでもらって城を出た。
サリーとの文通が続いたのは一年くらい。チャーリーが新しい世界に夢中になって、忙しくて手紙を書く回数が減った事と、サリーが読み書きが嫌いで、手紙を書きたがらなかった事が原因だろう。
この十年間、故郷や家族の事は極力思い出さないようにしていた。
半年前に父が死んだ時さえ戻らなかった。
研究所での作業中の、機械が落ちて来ての事故死だと聞いた。どんな死に方で、どんな葬儀だったかも知らない。知りたくもなかった。
父のことを、憎んでいた。
父の違法な研究のせいで、母との思い出がいっぱい詰まったコンパートメントも追い出されてしまった。近所の友達とも、学校の友達ともサヨナラしなければならなかった。
もっとも、父が学会を追われた時点で、クラスの子たちはチャーリーと口をきいてくれなくなったが。家で、『ブラウン博士の子供とは、遊んではいけません』と言われてしまったらしい。
父の研究が明るみに出て、シティを出て行かなければならなくなった朝。
夜逃げのように、コンパートメントを出た。見送りは誰もいなかった。
父は、フロッピーがいっぱい詰まったカバンを抱え、チャーリーは、二歳のサリーの手を引いていた。サリーは、絵本を抱えていただろうか。たぶん『シンデレラ』の。
その日は、平日の朝だった。通っていたスクールの近くの道を歩いていた。遠まきに、子供たちが、自分ら家族が行くのを見ていた。ヒソヒソと何か話す声も聞こえた。知っている顔もいた。クラスメートもいた。チャーリーは、奥歯を噛みしめた。
泣くもんか。絶対に、絶対に、泣くもんか。
「パパ、サリーたち、いいとこへ行くんでしゅよね?」
サリーの小さな口から、たどだどしい言葉が漏れた。
父は一点の曇りもない笑顔で、「そうさ。すてきなお城なんだよ。サリーもお姫様になった夢が見れるぞ」うれしそうにそう言った。

古い城での生活は、不便で、何より孤独だった。友達がいないどころか、人との付き合いがまるでないのだ。
そして、自分だってまだ子供なのに、サリーの面倒を見なくてはいけなかった。
サリーは可愛かったが、博士が、ずっと研究室に籠もったまま、子供のことも省みずに好きなことをし続けているのは、とてもずるいと感じていた。
だが、疎ましい反面、城での生活での唯一の救いはサリーだった。少しずつ、チャーリーの言葉を真似て、たくさん喋れるようになってくる。
『ゴチソウサマデシター』
『おにいちゃん、魔女が来るよー』
『ダッコ、ダッコ』
小鳥のような声で、小さな唇で、サリーはとてもよく喋った。どこへ行くにも、ちょろちょろと追いかけて来る。子犬のような真剣に目をして、必死に、チャーリーのことを慕って追ってくるのだ。
やがて、幼児ことばが、『おにいちゃん、ゆうべはどんな夢を見たの?』というようなきちんとした文章になり、いつしかチャーリーとも会話ができるようになって。
その頃には、サリーは童話の絵本に出てくるような綺麗な女の子になっていた。
『そして、シンデレラは、王子様と結婚して、幸せに暮らしました』
チャーリーが絵本を読み終えて、ほっとひと息つくと、今度はサリーの矢継ぎ早の質問が待っていた。
「ねえねえ、パパは結婚してないの?」
「えっ?してるよ。いや、『してた』、かな。かあさんと結婚していたけど、かあさんは死んでしまったからね」
「ふーん。サリーは?結婚してる?」
「してないよ」
チャーリーはおかしくて、クスクス笑いながら答えた。
「ふーん。おにいちゃんは?」
「してなてよ、まだ子供だもん」
「サリーも子供だから、してないの?」
「そうだよ」
「大人になったら、できるの?」
サリーは、ゲームとか、パーティーで着飾るとか、そんなことだと思っているらしかった。
大きくなったらしていいと言われた、ダーツのゲーム。もう少しおねえさんになったら着れる、綺麗なドレス。
「おにいちゃんも、大人になったら、結婚するの?」
「・・・たぶんね」
「じゃ、一緒にしよう。サリーと一緒にしよう。ね?ね?」
サリーの可愛らしさは、ある時期からかえって苦痛になってきた。
リトル・チャーリーの指摘どおり、自分は捨てたのだ。
みんな。
暖かいものや、優しいもの。いとしいもの、悲しく切ないもの。色々なものを。

「ずいぶん長く、祈っていてくださったのね」
サリーの声に、チャーリーははっと顔を上げた。
サリーの金色の髪が、陽の光にキラキラしてまぶしかった。
チャーリーは眉根をあげた。泣きそうな顔をしていたかもしれない。
サリーは不思議そうにチャーリーを見つめていた。まあるい、青い瞳で。
サリーを抱きしめたかった。でも、それはもう許されない。
「ドライブってしたことある?乗せてあげるよ。おにいさんに内緒でね」
チャーリーは、もう少しサリーと一緒にいたかった。



☆4☆

サリーを乗せて、クルマはゆっくりと坂を下っていった。
「私、門の外に出るのも、初めてなの」
そう言って、サリーははしゃいだ。窓に手のひらを張りつけて、顔までくっつきそうにして、外の景色を眺めている。
「窓から、手や顔を出したらダメだよ。ここを引っ張るとドアが開いちゃうから、触らないようにね」
「はい」
まるで、幼稚園の遠足の引率の気分だ。
それでも、チャーリーの気分も少し弾んでいた。
城の門がゆっくり遠ざかっていく。高い塀がだらだらと続く坂道。塀の反対側は、高い木々が繁る森で、こっちも塀みたいになっている。
「初めてクルマに乗ったんだよね。酔うといけないから、ゆっくり走るね」
「はい。ありがとうございます」
なんて素直な返事。チャーリーは、頬が緩むのを感じた。
「さて、どこか行きたいところ、あるかなあ。おにいさんが心配するから、あまり遠出はできないけどね」
「どこでもいいです、連れて行っていただけるなら」
サリーがあまりに素直で純真なので、チャーリーはイケナイおじさんになった気分だった。彼女は疑うってことを知らない。
これでは、リトル・チャーリーは心配でしょうがないだろう。チャーリーが城に残っていたとすれば、今ごろ同じ心配をさせられたわけだ。
今までに来たうちの社の先輩たちは、会社の方針に従って汚いこともしただろう。彼らはサリーたちとは他人だ。自分だって、他の場所で、同じような仕事があったらそうするに違いない。
少なくても、リトル・チャーリーは用心していた。たぶん、前の五人がひどかったからだ。
なのに、サリーのこの無防備ぶりはどうだろう。
ここに座っているのが、チャーリーじゃなかったら、クルマで森の奥にでも連れ込まれて、レイプされたっておかしくない。
純粋培養っていうのは、外の世界へ出たらやっかいかもしれない。城を出て、世間の醜さに触れたら、きっとひどいショックを受けるだろう。
会社では、立ちのき者には、新たな住居を用意する約束をしていた。ただし、なるべく安くすます努力をする。住めれば、何でもいいのだ。サリーたちにも、あんまり環境のよくない町の、暮らしづらい作りの家が提供される予定だ。
あんなガラの悪い町に、サリーを住まわせるのは気が進まなかった。
会社に頼んで、もっと環境のいいところに変えてもらおう。必要ならば、自分のサラリーから、不足金額の分を引いてもらってもいい。
『昨日やおととい再会したばかりなのに、すっかり保護者の気分だな』
リトル・チャーリーの皮肉のこもった声が聞こえた気がした。
「あ、家だわ!」
「あ、人よ!」
「馬!」
「犬!」
村に入ると、サリーは見たものすべてを言葉に出して叫んだ。
舗装されている道が少ないので、大通りを二、三回行ったり来たりした。
ドラッグストア、パン屋、牛乳屋。幾つか店屋が並んで、それぞれの売り物の絵が描いてある看板をかかげていた。
人通りはあまりないが、時々、買い物に来たらしい村人を見かけることもあった。
「見て、可愛い牛乳瓶の絵!」
白くてぽっちゃりした瓶のイラストが、店舗の二階の壁に掲げられていた。
「私ね、他の人が住む家を、自分の目で見るの初めてなの」
「城から外へ出ずにいて、君たちは生活はどうしているの?例えば、買い物は?食料の調達や、生活に必要な日用品なんかは?」
チャーリーは、不思議に思っていたことを尋ねてみた。
自分がいた頃は、家政婦が来ていたので、彼女が買い物をしてくれていた。自分もたまには村に出て買ったりしていた。だが、今のサリーたちはどうしているのだろう。
「パパは、買い物は、仕事に必要なものも日用品も、全部通信販売を利用していたわ。亡くなった後は、おにいさまも、同じ方法を使っているみたい。私は、あなたの会社のひとが来るまで、家族以外で、宅配業者の人としか話をしたことがなかったの。
あ、あと、パパが亡くなった時に、お医者さんや警察の人も見たけど。でも、あの時はおにいさましか話をしなかったし。私はソファに座ってずっと黙っていたから」
サリーは、このままではいけない。絶対にいいはずはない。
ステアリングを握るチャーリーの手に力が入った。
「君は、外へ出て暮らしたくはないの?」
「・・・。」
ドライブが始まってから、ずっと明るく輝いていたサリーの表情が、初めて曇った。
「さっきは、レジャーランドのジェットコースターのチラシを見て、すごく楽しそうだったよ。
『世界中のどこへでも行ける』と僕が言った時、君の瞳はキラキラしてた。
僕には、君が、外の世界への好奇心でいっぱいの、生き生きした女の子のように思えるんだけど・・・。
決して、生まれ育った城から出るのを怖がっている、臆病な『おじょうさま』なんかじゃないよね?それとも、僕の勘違いなのかな」
チャーリーの言葉に、サリーの白い頬が少しだけ赤くなった。チャーリーが、『生き生きした女の子』と、自分を評価してくれたのが嬉しかったのだ。
「なのに、なぜ城を出ようとしないのかなあ」
その話になると、またサリーの瞳は曇るのだった。
「・・・おにいさまが」
「リトル・チャーリーが、反対しているから?」
「おにいさまの嫌がることは、したくないの。少なくても、今まではそう思ってやってきたの。傷つけたくないの。その為なら、私のしたいことなんて、いくらでも我慢できるわ」
頭を思いきりハンマーで殴られた気分だった。
チャーリーは、ハンドルを握り直した。てのひらが汗ばんでいた。
一人だったら、泣いていたかもしれない。二十五にもなる、大の男が。
許してくれと・・・。サリーにひざまずいて、謝りたかった。
天使のような君を、見捨てたのは、僕だ。

チャーリーを含めて外の人間には隠しているが、リトル・チャーリーはアンドロイドなのだ。サリーだってわかっているはずだ。
だけど、サリーは、自分を犠牲にしても、アンドロイドのチャーリーを傷つけたくないと言った。自分がサリーを捨てたのと、まったく正反対の想いだった。
チャーリーはヘッドライトを点けた。森に入っていた。
昼だというのに、うっそうと茂った緑の葉のせいでじめじめと暗く、陰鬱な気分になりそうだ。
血のつながりなんかより、サリーには、自分を一番大切にしてくれるリトル・チャーリーが大事なのだ。当たり前だ。こんな、簡単なこと。
捨てた妹に十年振りに会って、にいさん気取りで、あれこれ心配していた自分。
自分勝手で、馬鹿みたいだ。
リトル・チャーリーが怒ってスピアで追い帰そうとする気持ちもわかる。
「チャールズさん?」
サリーがこわごわと、顔を覗きこんだ。少し脅えているように見えた。きびしい表情になっていたかもしれない。
「クルマら乗せていただいたり、親切にしていただいたのに。立ちのきサインのこと、いいご返事ができなくてごめんなさい・・・」
さっきのチャーリーの質問に、サリーが城を出るつもりはないと答えた、そのことで怒っていると勘違いしたようだ。
チャーリーは笑顔を作った。営業用の笑顔だった。
「気にすることはないですよ。そのうち、必ず、気持ちを動かさせてみせますから。
それに、ドライブは、仕事とは関係ないですよ。僕が、サリーともう少し話してみたかっただけだから」
サリーはほっとした表情になって、にっこりと微笑んだ。まさに天使の微笑みだ。
「さあ、そろそろ、城へ帰りましょうか。おにいさんにバレると、また、うるさそうだからね」
チャーリーがそう言ってウインクすると、サリーはクスッと笑った。

「どうもありがとう」
門の前でクルマを降り、サリー側のドアを開けてあげた。立ち上がるのに手を貸すと、サリーは恥ずかしそうに手を添えた。
細くて華奢な手だった。
ぷくぷくで、柔らかかったあの手が、今はこんなに女性らしく美しく変わっていた。
「あっ・・・」
サリーは赤くなった。握った手に、力がこもってしまったのかも。
「あ、ご、ごめん」
「・・・。」
サリーの態度が、突然、凍り付いたように固くなったのが感じられた。門の方を見たまま、微動だにしない。
チャーリーも嫌な予感がして、門を見上げた。
「・・・おにいさま」
リトル・チャーリーが、大砲を引きずって庭に出てきていた。
「チャーリー!おまえ、サリーを勝手に連れ出して、何してたーっ!」
大砲はかなり重いらしく(そりゃあそうだろう)、ぜいぜい言いながら叫んでいる。
チャーリーも、目を丸くしたまま、あんぐりと口をあけた。
車輪のついた移動式の小ぶりの大砲で、チャーリーも見たことのあるものだった。チャーリーがいた頃は、二階の廊下に飾ってあったけれど。今回どこから引っ張り出して来たものやら。
黒い筒、丸い愛嬌のあるボディ。獅子とドラゴンが彫り込まれていて、装飾品だとばかり思っていたのだが・・・。
「やめてよ、おにいさま!何考えてるのよーっ!」
「おまえは離れてろ!いくぞー!!」
リトル・チャーリーは、門のところまで大砲を引きずり込み、鉄の球をこめると、なんと本当に火縄に火を点けた!
「やめてってば!」
「サリー、あれって、使えるの?」
チャーリーは、足の震えを感じつつ、小声で隣に立つサリーに尋ねた。
「知らないわ。少なくても、ここ百年は使ったことなんて、あるわけないわ」
「・・・そうだろうなあ。おーい、暴発しても知らんぞ!」
シュルルルと、火縄が燃える音が聞こえた。
どかーん。
「きゃーっ!」
ひゅん。
サリーの派手な悲鳴のわりには、鉄球は一メートルも上にあがらなかった。
ぽと。
・・・メリッ。
「うわーっ!」
今度はチャーリーが叫んだ。
クルマのボンネットに、鉄の球が直撃をくらわした。
それは三センチくらいボンネットをへこますと、ころころっと、地面に落ちた。
どすっ。
球は土に埋もれ、もう一ミリたりとも転がる様子はなかった。
「・・・。」
気まずい空気が流れた。それぞれ、三人とも、顔を見合わせた。
あたりが火薬くさい。
パタパタと、平和の象徴の白い鳩が飛んできて、庭の枝に止まった。
「・・・おにいさまーっ!」
まず、サリーが最初に怒声を上げた。
「リトル・チャーリー!」
ショックで口がきけなかったチャーリーも、遅ればせながら怒鳴った。
「ご、こめんよーっ、これがほんとに発砲できるとは思わなかったんだよー」
リトル・チャーリーは両手を挙げた。


 ♪ 次のページへ ♪

表紙へもどる ☆ 次のページへ