アンドロイドは電気ブランの夢を見るか?

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 ☆5☆

チャーリーは、再び、村へ戻る道を下っていった。
『本当にごめんなさい。修理代、弁償しますから』
サリーは泣きそうになって謝っていた。
犯人のリトル・チャーリーは、大砲を置きっぱなしにしたまま、ぴゅうっと城へ逃げて入っていた。
『い、いいんですよ』
イグニッションを入れると、取りあえず反応もあった。
『ほら、全然、大丈夫そうだし。はははは・・・』
ローンはあと十回残っていた。
雨が降ったら、ボンネットに水が溜まりそうなへこみだ。しばらく晴天が続くことを祈ろう。

村へ入って、モーテルへ向かう道筋、チャーリーのクルマは前を通る自転車の為にブレーキを踏んだ。
白いTシャツに、小花模様のフレアスカート、白いスニーカー。
耳を出したオカッパヘアの、髪の色は金より赤に近いかも。
最初は誰だかわからなかった。
「チャーリー!」
こっちに笑顔で手を振った。
「・・・パティ?」
チャーリーは窓を開けて、「誰だかわからなかった。素顔だし」
「今起きたの。朝食を買いに出たところ」
「えーっ、僕はひと仕事終えて来たのに」
スピアで追い回されるわ、大砲で狙われるわ、思い出してみれば大変な騒ぎだった。すっかり疲れてしまった。
「だってあたいは夜の仕事だもん。仕方ないでしょ」
すっぴんのパティは、丸い瞳と鼻の上のソバカスがチャーミングな、どう見てもティーン・エイジャーだった。あの変な化粧をしている時より、こっちのパティの方がずっと可愛い。
銀のアンクレットが光る。素足に履いたスニーカーのくるぶしが眩しい。
「お陽さまの下で会うのは初めてだな。いつも、店の、グリーンがかった照明の下だもんな。今まで緑だと思ってたけど、ブルーアイなんだね」
「化粧してないから、あんまりじろじろ見ないでよ。恥ずかしいじゃんか」
「安心したよ、君にも『恥ずかしい』という感情があったか」
「失礼な。いい天気だから、外で朝食を食べようと思って。付き合わない?」
「へーえ、いいね。でも、僕の分まであるのかあ?」
パティは、「半分っこもいいだろ?」とニコッと笑顔を見せた。
そして二人は静かな広場の芝生の上に腰を下ろした。例の城は山頂にあるので、村のたいていの場所から見ることができた。自分たちの声の他には、遠い鳥の声と草の吐息しか聞こえないような、静かで景色の美しい場所だった。フカフカの緑の芝は、どんな高価な絨毯よりも贅沢な気分を与えてくれた。
「ここ、いいでしょ。天気がいいとよく来るよ。はい、コーヒー」
「サンキュ。ブラウン博士の城は、ここからも見えるんだな」
プラスチィック・カップのコーヒーをすすりながら、チャーリーはつい城に目がいってしまう。
「お仕事の方はどう?うまくガキどもを騙せそうかい?」
パティは、サンドイッチをぱくつきながら言った。
ガキどもって・・・。サリーとそう歳も変わらなそうなくせに。
「騙すなんて、人聞きの悪いことを言わないでくれよ。わが社は、相応しい価格で土地も建物も買い取る予定だし、きちんと説得して立ちのいてもらうつもりだよ。
それに・・・。あんな若い子たちが、大きな古い城の中で他の人と接しないで、二人だけで生きていくのも、可哀そうだとは思わないか?あの城を出て、外の世界でいろんなものを見て、いろんな人と接して。そういう生活をした方が、きっといい」
あれ?
そんな理由、この村へ来るまでは考えたこともなかったのに・・・。
ただの仕事だった。初めて任された、大きなプロジェクト。
住んでいるサリーが、立ちのいてどこへ行こうとどうなろうと、そんなことまで考えたことなんてなかったのに。
チャーリーの中で、何かが変わり始めている。
「ごめん、ごめん」と、パティは笑った。
「そんなつもりで言ったんじゃないよ。あんたの人の良さは顔に書いてあるもん」
パティはそう言って、もう一切れタマゴサンドを口に押し込んだ。
『・・・人の良さが、顔に書いてあるだとーっ?』思わずむっとしたチャーリーだ。
苦労人で、冷徹なエリート社員である自分を捕まえて、その言いぐさーっ!
「前に来たあんたの社の人が、店でそう言ってたんでね。みんな、羽振りのいい客だったけど、感じは悪かったな」
「そいつが、『ガキどもを騙す』とか、そういうたぐいのことを言ったのか?」
チャーリーはカップを握り直した。
自分への、リトル・チャーリーの態度は、以前にヒドイ想いをさせられたことを予感させた。あの、かたくなで、人をよせつけない雰囲気。にらみ返す目の冷たさ。いつも、キッと結ばれた唇。モデル・ガンまで持ち出して、脅して追い出そうとするなんて。
「前の五人のことで、君の知っていることがあったら、詳しく教えてくれないかな」
チャーリーは何気なく言ったのだが、とたんにパティの表情が険しくなった。
「・・・無理にとは言わないよ。スパイみたいなことを言って、すまなかったな」
「ううん、そうじゃないんだ。あいつらのこと、思い出しただけで不愉快になっちまったんでね。
シティには、あんなやつらもいるんだね。
チンピラみたいな手下を連れて、明らかに脅迫しに城へ向かった奴もいたし、猫や犬の死骸をたくさん用意して来て、城の庭にばらまきに行った奴もいた。
ブラスバンドを雇って、夜中じゅう城の前で演奏させた奴もいたよ。そいつは、村のみんなにとっても安眠妨害だったんで、あたいらが村から追い出したけどね」
「・・・。」
「一番頭に来たのは、ブランドもののスーツを着て、髪をベタベタに固めてたキザなアイツ。
よく店に来ててさ、いっぱいお金は使ってくれたんだけど、あたいの体を触ったり、いやらしい男だったよ。自分で、『×××って映画スターに似てるだろ?』なんて言ってた。
博士の娘を色じかけでモノにして、契約するって豪語してたけどねえ。
『力づくでも押し倒して、抱いてしまえばこっちのもんだ』なんて言いながら、城へ向かったその日のうちに、目の周りに殴られた青痣を作って、プリプリしながら村を出て行ったよ。
高そうなデカイ外車も、鉄の棒ででも叩かれたみたいにサイドがへこんでいたっけ。へへん、ざまあみろ、だわ。
そう言えば、チャーリーのクルマのボンネット、どうしたの?ボコッてへこんでたみたいだけど」
「ちょっとね」
チャーリーは思い出して、うんざりしたように言った。
パティは鼻で笑って、「あんたも、そのオトコみたいに悪だくみが失敗したクチかい?」
「そんなんじゃないよ」
チャーリーは肩をすくめた。

うちの会社は、本当にサリーにそんなひどい仕打ちをしていたのか?
信じられなかった。会社は、地上げの係りの者に、そんなことまで許しているのか?
そいつらが勝手にやったことだと思いたいが、それを野放しにしておくなんて・・・。そんなこと、あるだろうか。
「なに落ち込んでるのさ。あんたの会社はそういう仕事をする会社なんだろ。
社長令嬢のフィアンセってことは、いつかあんたがそこの社長になるんだろ」
「・・・。」
チャーリーは、苦虫を噛みつぶしたような表情で、カップの中のコーヒーを飲み干した。コーヒーの苦みで、胸が痛くなった。
「こんな仕事、引き受けなきゃよかったな」
会社への不信感だけではなかった。
ここにいると、いろんな事を思い出す。いろんな想いで心が乱れる。今まで冷静に生活していたのに・・・。
「女に弱音を吐くのってさ、
一、『励ましてほしい』
二、『慰めてほしい』
三、『セックスしたい』
この三つのうちのどれかだね、飲み屋でバイトしてる経験では」
パティの言葉に、チャーリーはコーヒーを吹き出しそうになった。
「三択だよ、チャーリーはどれ?」
「それってユーワクしてないか?」
「お陽さまのぬくもりの中、芝生の上でってのも、いいと思うけど?」
「そんな清楚なかっこしてて、言う事は夜と変わらないなあ。
君には罠がいっぱいそうだから、絶対誘惑には乗らないよ」
「ちぇっ」と舌打ちすると、パティはタマゴサンドの続きを食べ出した。
サリーが天使なら、こっちは、悪魔か。
チャーリーは苦笑した。
女の子相手に弱音吐くなんて・・・。
パティといると、思った以上に心が開放されて言葉も素直に出てしまう。
いや、これも罠かも。
『相手がパティだから』でなくて、景色のいい場所でなごんでいるせいかもしれないじゃないか。
いかにも村娘というカントリー風のロングスカートが、はたはたと風にはためいている。スニーカーをじかに履いた素足の足首は、白くて細かった。店で履いているマイクロミニのスカートや、編みタイツなんかより、よっぽどギクリとさせる色っぽさだ。
「あれ?このアンクレット、ダイヤが一個取れてるぞ?」
左の足首に二重に巻かれた鎖には、四葉のクローバーの形に四つの小さなダイヤが細工されていた、らしい。
「足首ばっかりジロジロ見てたんだろ、すけべ」
パティに図星をさされて、チャーリーは赤面した。
言った当人は気にする様子もなく、「これ、ジェリーばあちゃんの形見なんだ。一番のお気に入りのジュエリーだから、ずっと付けてたんだけど、いつの間にか一個無くなっちまったんだ」
そういえば、見覚えがあった。
ジェリー・トマスの首に光っていた、ダイヤのクローバーのチェーンネックレス。
「落としたのは先月なんだけど、その時は五日間泣いたよ。でも、今も気に入ってるから、してる」
「また落とすぞ」
「そしたらまた五日くらい泣くかな」
「・・・。」
チャーリーにはまじまじとパティの顔をながめた。こいつ、すごいオンナかもしれない・・・。
「ばあちゃんの形見分けの時、あたいは絶対これが欲しいって言ったんだ。でも、とても高い物だし、特にあたいは家族に嫌われてたし、貰えなかった。
家をおんでる時、勝手に持って来ちゃったんだ」
パティは一番欲しい物は盗んででも手に入れる人、らしい。
『そして、失くしたら気が済むまで泣くんだ?』
パティは失くす事を恐れていない。
チャーリーは胸が痛くなった。自分の生き方をちょっぴり恥じたせいかもしれないし、キューピットが矢を射たせいかもしれなかった。
「・・・今日、この後、もう一度城に行ってみようかな。パティのコーヒーを飲んで元気が出たよ」
チャーリーは立ち上がった。
リトル・チャーリーのあの警戒心のことも、理解できた。
自分が本物のチャーリーだから嫌っていたこともあるだろうが、それだけではなかったのだ。
「仕事熱心だねえ。
でも、あんたは今まで来た奴らと違って、少しはいい人そうだし、そのうちあのお城でディナーでも御馳走になれるかもよ」
「欲しいのはメシより、立ち退き承諾書のサインなんだけどな」
チャーリーは肩をすくめて、ため息をついてみせた。
パティも真似して同じように肩をすくめ、くすっと笑った。
「今夜も店で待ってるよ」
「ディナーが出たら、行けないぜ」
「じゃ、絶対来るよ」
「コイツ、言ったな」
チャーリーが叱るとパティはきゃっきゃと子供みたいな笑い声をたてた。



☆6☆

チャーリーは再び、クルマで城へ向かった。
門を開けた時、庭にはサリーがひとりでポツンと立っていた。欠けたレンガ、何の花も咲いていない花壇の前に佇み、何か考えごとをしているようだった。
「ハロー?」
「えっ。あ!」
振り向き、チャーリーだとわかると少し頬を染めた。
「さっきは、おにいさんの攻撃に、尻尾をまいて逃げてしまったけれど。今度こそちゃんとおにいさんと話をしたくてね。
彼は、部屋?」
サリーはコクリと頷き、
「さっきは本当にごめんなさい。大砲やスピアを振り回したこと、よく叱っておきましたから。兄も少しやり過ぎたと反省してるみたいよ」と笑顔を見せた。
「何をしていたの、ひとりで」
チャーリーが尋ねると、サリーはふふっと笑った。
「ある人のこと、考えてたの」
抽象的な返事だった。
ある人?博士のことだろうか。
「三時にホットケーキを焼くつもりでいたの。チャールズさんも、お嫌いでなかったら、どうぞ」
「わあ、うれしいな。僕を誘ってくれるの?」
少なくても、サリーは自分を嫌ってはいないようだ。チャーリーはそれが嬉しかった。
しかし・・・。
もし、サリーが、自分の正体を知ったら?たった七歳の小さな妹を、見捨てて出ていった兄だと知ったら?今のように笑いかけてくれるだろうか。不安な気持ちが胸をよぎった。

サリーに通されたキッチンでは、テーブルに足を投げ出してリトル・チャーリーが雑誌を読んでいた。
「おにいさまったら!お行儀が悪いわよ。チャールズさんに笑われるわよ」
「なんでまたこいつが来たんだっ!」
「三時のホットケーキ・パーティーにお誘いしたのよ。
おにいさまも、さっきのことを謝りたいと言ってたでしょう」
「・・・。」
リトル・チャーリーは、黙って雑誌を閉じた。
「リトル・チャーリー、いや、チャーリー君、僕の方こそ、色々すまなかった。
村の人から、うちの社の者のした事を幾つか聞いた。
僕も少しショックを受けたよ。
でも、知らなかったから僕は悪くない、なんて言わない。すべてうちの者のやったことだ」
「・・・。」
やはりリトル・チャーリーは黙ったままだった。
「だが、これだけは信じてほしい。僕は、本当に、きちんと話をする為にこの村に来たんだってことを」
いつの間にか、真剣に誠実に話をしている自分に気づいた。
アンドロイド相手に。たった十五歳の子供を相手に。
と、リトル・チャーリーが顔を上げた。ふふんと鼻で笑った後、
「言っておくけど、サリーの仕事はのろいぞ。待たされるから覚悟しな」と吐き捨てるように言った。
つまり、ここで一緒にホットケーキを食べるお許しが出たわけだ。
「チャーリー君、もしよかったら、待っている間、城の中を案内してくれないかな。中を色々見てみたいんだ」
「それがいいわ、おにいさま。待っていただく間、きっと退屈ですもの。
それに、作っているところをお客様に見られるのは、少し恥ずかしいから」
「ちぇっ」と言いながら、リトル・チャーリーはしぶしぶ立ち上がった。サリーの頼みとなると、彼は本当に弱いらしい。
キッチンから、廊下に出ると、「・・・ふん。じゃ、親父の研究室から行くかな」
「えっ」
チャーリーは少し動揺した。
「心の準備はいいかい、『ビッグ・チャーリー』?」
リトル・チャーリーは皮肉っぽい笑みを唇に浮かべた。
「じゃあ、ついて来な」

一階のロビーを通り抜け、鎧や裸婦彫刻が飾られた細い廊下をまっすぐと進む。その突き当たりに、地下室へ続く階段があった。
小さい頃、サリーはこの廊下と、下へ降りる暗い階段を怖がった。父に夕食を知らせに行くのに、手をつながないと階段を降りてくれなかった。
暗くカビ臭い階段は、小さな少女には気味が悪かったに違いない。
ドアも二人で『せーの』で叩いた。コンコンコンって息を合わせて。
昇りは父がサリーをだっこした。肩車の時もあったっけ。
「入口のドアのところまでしか、来たことなかったんだ。中へ入るの、初めてだ」
「かあさんとの対面だぜ。涙無くしては会えないだろ」
「えっ!かあさん!?」
「もちろん未完成品だけどね」
リトル・チャーリーは、重いスチール製のドアを押した。
中は、何台もコンピーューターが置いてある以外は、まるで工場のようだった。それも車の修理工場。
部品やラインがあちこちに散らばり、床にこぼれたオイルはこびりつき、雑然とした雰囲気だった。
「この作業台に横たわってるのが、かあさんの未完成品」
「・・・。こ、これは!」
ハリウッド女優か、スーパー・モデルか。
どうみても母ではない。母はそこそこ綺麗なひとだったが、それは井戸端会議の『××さんの奥さんって美人よね』程度のもんだった。これは、もう、違う人だ。
マネキンのように開いたままの瞳は、銀河を映したような深遠な輝きに満ち、白く透き通った肌は、まるで十代の少女のようだった。
クレオパトラも自信を失くすような高くて形のいい鼻と、ミニローズのような可憐で赤い唇。
おまけに、子供を産んだ女性とは思えないこのプロポーション(いや、アンドロイドだから、実際コイツがチャーリーを産んだわけではないが)。こんなにウエストがくびれていたら、内蔵なんてどこに入っているっていうんだ。
「オヤジってバカだろ。もう、わけがわかんなくなってたみたい」
時間がたつにつれ・・・。
思い出は美化され。
記憶はあいまいになり。
理想は高くなり・・・。
「百パーセントそっくりのかあさんをめざした結果がコレさ。
十五年かかって。
作っては直し、作っては直しして」
そうだった。確かに父はそんなことを繰り返していた。チャーリーも当時の事を思い出した。
『ねえ、パパ。ママは完成したの?』
『うーん、試作動させたら、振り向くしぐさがちょっと違う。直してみるよ』
『ねえ、ママはもう出来たんでしょ?』
『いや、声が・・・。チャーリーを呼ぶ時の声が少し低すぎる。
もう少し高く優しい声だったような気がするんだ。調整するよ』
父は完璧を目指していた。
母ではないのに。
たとえ完璧に出来上がったとしても、それは、母ではないのに。
チャーリーは目の奥が熱くなるのを感じた。憎んでいた父を、初めて哀れだと思った。
なんて愚かな男・・・。
「何かに没頭して忘れたかったんだ、きっと。かあさんが死んだこと」と、リトル・チャーリーがぽつんと言った。
もしかしたら、父は『完成させたくなかった』のかもしれない。
完成したら、父の人生の目的は終わってしまうのだから。
愛する母がいない日々の中で、明日何をしたらいいのかわからない、いや、『今』することがない生活というのが、恐ろしかったのに違いなかった。
それに、母のしぐさや表情を思い出しながら、作業している事自体が、楽しかったのだろう。母との思い出にひたりながら。
「動くテディ・ベアでも作れば儲かったのに」
二人殆ど同時に言ってお互いはっと顔を見合わせた。
リトル・チャーリーの思考回路に関しては、博士のプログラムの完成度は高そうだ。

「温かいうちに召し上がれ」
テーブルには甘い香りのホットケーキが、白い皿に並んでおいしそうに湯気をたてていた。
リトル・チャーリーのにはチョコレート・ソースが、サリーのにはバニラアイスがのっかっている。
『うわっ、スゴイ。子供って、やっぱり甘いものが好きなんだなあ』
「チャールズさんは何かかけます?苺ジャムやメイプル・シロップもありますげど?」
「ぼ、僕はバターだけでいいです」
くるくる回って、虎のバター。ああ、そういえば、初めて来た夜にそんな夢を見た。リトル・チャーリーがくるくる回ってる。まずそうなバターになりそうだな。
サリーのホットケーキの方はなかなかだった。
「おいしい。ふわふわだね」
「ほんと?うれしい。もう一枚どうぞ」
ホットケーキののった白い皿は、チャーリーが子供の頃から使っていたものだった。飾りのない、プレーンな皿だ。
けっこう、つまらないことを、たくさん覚えているものだ。
「古い城なのに、ちゃんとキッチンの機能も生きているんだね。
ざっと見て回ったところ、城の中もあまり痛んでないし。
この城は、形をなるべく残して、ところどころ修復してホテルにする予定なんだ。
君たち兄妹の『マイ・スイート・ホーム』は壊さないから、安心してていいよ」
「・・・またその話か。オレ達は出て行く気はないよ」
「二人が暮らす為の家は、うちの社で用意させてもらうつもりだよ」
チャーリーは、自分のサラリーから幾らか出して、会社が用意したのとは違う家を確保しようと決めていた。
自分はたいして稼げてないから、Aランク環境の住宅までは無理だが、あんまりガラの悪いところにサリーを住まわせるのはイヤだったのだ。
「リトル・チャーリー。
君は、いつも、そうやってつっぱってるけど、博士の蓄えで、二人がいつまで暮らしていけると思っている?」
リトル・チャーリーはフォークの手を止めた。彼にもわかっているはずなのだ。
「それに、サリーは学校へ行った方がいいと思うけどな?」
「勉強なら、コンピューターの通信教育を受けている。サリーは結構優秀だ。サリーもやりやすいと言っている」
わかってる、あれはチャーリーもやっていた。マン・ツー・マンなので効率もいいし理解しやすい。面白く学べる工夫もしてある。
「でも、学校は、友だちや先生や、人がたくさんいるんだよ。全然違うものなんだ。
学園祭で、クラスメートたちと劇の発表をしたり、ダンスパーティであこがれの異性と踊ったり。協力して、研究発表をしたりもする。
クラスメートは、ひとりひとり、顔も性格も違うから、とても面白いよ」
リトル・チャーリー相手に、友達と遊ぶ楽しさや、人と触れ合う事の喜びを力説しても、ピンと来ないかもしれないが。
だが、「友だち、欲しいです」と、サリーには反応があった。
「おとうさまは研究で構ってくれなかったし、おにいさまは優しいけど、でも男の子だし。
私、女の子の友達が、ずっと欲しかった」
「サリー・・・」
リトル・チャーリーはフォークを下に置いた。
「オレじゃ、つまんなかったって言うのか?一緒にいて、楽しくなかったの?いつもそう思っていたの?」
手が震えていた。声が詰まっていた。
チャーリーは、彼が涙をみせるんじゃないかと心配になった。それくらいリトル・チャーリーは目をうるませていた。
「ううん、そうじゃなくて、女の子と遊びたい時もあるのよ。
ハイスクールへ通うようになれば、女の子のお友達もできるかしら?
お互いの似顔絵を描いたり、お人形のドレスを交換したり、楽しそうよね。お揃いのリボンをしたり、一緒に絵本を読んだりもできるわ」
それは、十七歳の女の子はしないでしょう・・・。
「お揃いのアクセサリーをするぐらいならできるよ、きっと。
チャーリー、君はサリーが外に出て人と接した方がいいと思わないか?」
サリーがこんな調子でも?
それに、サリーは友達が欲しいと言っているんだよ?
「・・・。」
「チャールズさん」
急に、サリーの口調が改まったものになった。
「私、さっきチャールズさんに言われるまで、経済的な事なんて考えてもいませんでした。父の遺産なんてたかがしれてるし・・・。
外の世界は魅力を感じます、友達も欲しいです。
でも、兄が・・・。
私たちは、この城のようなひっそりしたところで、二人きりで隠れて暮らす必要があるんです」
「サリー!よせ、こんな奴に!」
「いいえ、チャールズさんなら、きっとご相談に乗ってくださるわ。
兄は大人になりません。ずっと十五の少年のままです」
「・・・。」
チャーリーはもちろん知っているのだが、それは素振りに見せないようにした。
リトル・チャーリーは、カチャリとナイフとフォークを置くと、そっぽを向いてしまった。
サリーがチャーリーを信用して、兄の秘密を打ち明けたようとしていることが面白くないのだ。
「チャールズさん、あなたの人柄を信用して告白します。
兄はアンドロイドなんです。父は学会から追放されたらしいです。兄の存在が世間に知れると、兄は破壊されてしまうんです」
博士が、サリーが寂しがるからと言って、造ってあげたリトル・チャーリー。
サリーのオモチャとして作られた少年。今度はサリーの自立の足枷になっている。
まったく親父のやる事といったら!
「サリー!何を言ってるんだ!こいつが『いい人』なもんか。大切な事を、こいつになんて話すな!オレはこいつの正体を・・・本性を知っているんだ!こいつにスキを見せるんじゃない!」
怒鳴り散らすリトル・チャーリー。
「おにいさまは、怒ってばかりで、建設的なことを何も考えようとしないじゃない。大人のチャールズさんに相談すれば、何かいいアイデアを教えてくれるかもしれないでしょう?」
「おまえ、わかって言ってるのか!?こいつは、地上げの会社の奴なんだぞ。こっちの弱みなんか見せてみろ。付け込まれるのがオチだ!」
カンカン!
チャーリーは、フォークで皿を叩いた。
「兄妹ゲンカはやめてくれ!」
二人は、とたんに恥ずかしそうに言葉を引っ込めた。
「サリー。前に来た五人のことはわからないけれど、僕は知っていたんだよ」
「えっ!?兄がアンドロイドだってことをですか」
「おにいさんは、戸籍上は二十五歳のはずだろう?でも、ここへ来て姿を見ても、どう見ても少年にしか見えない。そして、博士が追放された原因を考えれば・・・」
嘘だったけれど、辻褄は合っている筈だ。
本当に、ちょっと調べれば予想がつくのだ。もしかしたら、ピーナッツ社は、このことを知っているのかもしれない。失敗した五人の報告書が曖昧だったのは、リトル・チャーリーのことを隠すために、わざとだったのかも。
「チャールズさん・・・」
すがるような瞳で、サリーはチャーリーを見つめた。
「新しい土地や、家の形態などを選ぶ時にも、僕なら、十分に君たちのことを考慮してあげられると思うよ?」
「・・・。」
リトル・チャーリーも黙ってしまった。チャーリーの言うことに、間違った点はないはずだ。でも・・・。
でも、チャーリーのことは許せないのだ。
サリーを捨てた少年なのだ。
チャーリーが、サリーを捨てて自分だけが幸せになろうとしたことが、どうしても許せなかった。
「すぐに答えは出せないかもしれない。
僕は、今日を含めてまだあと三日この村にいるから、それまで、ゆっくり考えてくれればいいさ。
さ、ホットケーキが、冷めちまう。早く食べよう」
「そうだよ、おまえ、全部食べろよ」
「ちゃんと食べてるよ。おいしいよ。母のホットケーキを思い出すな。
奥さんになる人はこんなの作ってくれそうにないし」
ルーシーは、ホットケーキどころか、何か料理を作れるのだろうか。やってるところも見たことないし、作った話も聞いたことないのだが。
ガチャン!と、サリーが思わずコーヒーカップを倒した。
「いけない・・・。手がすべっちゃった。
チャールズさんには、婚約者がいらっしゃるの?」
「ええ、シティにね」
サリーは、タオルでテーブルクロスを拭きながらチャーリーの顔を見ずに、「綺麗なかたなんでしょうね」と尋ねた。
「まあ化粧してればね」
「・・・帰れ!」
突然リトル・チャーリーが立ち上がった。「帰れ!おまえはもう帰れ!」
急に怒り出して、チャーリーの腕をつかんだ。
「なんだよ、いてて」
「とっとと出てけ!」
チャーリーは、キッチンから出て長い廊下から扉の前の大広間に出るまで、リトル・チャーリーに腕を引っ張られどおしだった。
「どうしたんだよ、急に。サリーにも失礼だろ、まだ全部食べてないのに」
本当に、急に怒り出して、どうしたっていうんだ。少しだけでも、和やかな感じで話せるようになったと思ったのに。ちょっとは心を開いてくれ始めたと思ったのに。
リトル・チャーリーは大きく扉を開けると「このドアから早く出て行け!
おまえにサリーのホットケーキを食う資格なんかない。
わからないのか!?
サリーはおまえに恋をし始めている。
フィアンセがいる事を、なぜ最初に言わなかった!中途半端にサリーに優しくしたりして・・・」
「中途半端って・・・。僕にとって、サリーは妹だぞ。優しくして何故悪い!」
「でも、サリーにはそれを隠して接しているじゃないか。おまえの親切を、勘違いしないと言い切れるのか?」
「そ、それは・・・」
チャーリーには言葉が無かった。
「サリーに内緒にしたのだって、どうせ計算からだろう。サリーが、本物のチャーリーを恨んでいるかもしれないからな。身分を隠した方が、仕事がうまくいくと踏んだからだろう?」
リトル・チャーリーは、二十センチ背の高いチャーリーを、指差しながら罵っていた。チャーリーの方が小さな子供のように、うなだれていた。
すべて、事実だ。
リトル・チャーリーの指摘した通りだ。言い訳などできないほど、まるっきりの丸ごとの真実だった。
全身の血液が抜けていくような気がした。
今まで、自分は何をして来たのだ?
「今夜のうちに、荷物をまとめて、シティへ帰りな。
サリーにもう近づくな。サリーの心の傷をこれ以上広げるな!」
「し、しかし・・・」
やっとのことで、チャーリーは声を出した。
「サリーが、たとえ僕に恋をしそうだったとしても、それは彼女をここに閉じ込めていたことも原因のひとつだろ。
初めて他の若い男と接して、心がウキウキしたんだ。サリーだって女の子なんだから。
君も知ってるだろうけど、僕とサリーは本当はイトコ同志で、兄妹じゃない。恋をしたっていけないわけじゃあない」
「おまえがサリーの初恋の相手だなんて、オレは絶対に許さない!
一度はサリーを捨てて出て行ったくせに。オレがサリーの面倒を見て来たんだ!」
リトル・チャーリーは、ロボットなのに、サリーに恋をしているのだろうか。
チャーリーにヤキモチ焼いているとしか思えなかった。少なくとも、この感情はもう、兄のものじゃない。
「君は・・・。もしかしたら、サリーのことを?」
チャーリーの言葉に、リトル・チャーリーは絶句し、怒りと動揺で唇をヒクッ震わせると、バン!とドアを閉めた。



☆7☆

『おにいちゃん、ご本を読んでよー』
サリーにせがまれて、チャーリーは、毎晩のように枕元で絵本を読んであげた。シンデレラ、親指姫、白鳥の王子、エトセトラ。
少年と呼ばれる年齢のチャーリーにとっては、どれも退屈で馬鹿らしい話ばかりだった。でも、サリーにせがまれると、嫌と言えずに一生懸命読んでしまうのだ。
『シンデレラの靴は、階段の途中で片方が脱げてしまいました。でも、鐘の音は今、九つ目が鳴ったところ。拾いに戻っている時間など、ありません』
やがて、童話がクライマックスになる前に、サリーの瞼はふーっとくっつきそうになる。金の翼をはばたかせた眠りの女神が、サリーを連れに来たのだ。
『サリー。もう眠そうだよ。おしまいにしよう。ね?』
『じゃあ、眠るまで、こうして手を握っていて。ううん、朝が来るまで。朝が来るまでここにいて』
『サリーが寝たら、僕はお勉強があるから自分の部屋にもどらなくちゃいけないんだ。でも、サリーが眠りにつくまで、ちゃんとここにいるよ』
『いや!朝まで居てくれなくっちゃ、イヤなのっ!
夜中に目が覚めたらコワイもん。
朝までここにいて。
朝起きた時、おにいちゃんがそばにいないとイヤなの』
『わかった、わかった』
一度はそう約束するチャーリーだが、一旦サリーが眠りにつくと、そっと自分の部屋に戻り、コンピューターの授業にとりかかるのだった。
どうせサリーは、朝には『おなかすいたー』とケロッとして起きるんだから。
でも、時々、夜中に目が覚めたサリーの泣き声がする事があった。データのセーブもせずに部屋に駆けつけたものだ。
『ごめん。今度こそ、ずっとつないでいるからね』
それもウソなのだけれど。
サリーの小さな手はふわふわで、短い指にうすい爪が桜貝みたいにくっついていた。
「おまえなんか、サリーの手を離したくせに!」
リトル・チャーリーの罵倒の声が聞こえた気がした。

「おまたせ」チャーリーの目の前に、缶ビールが置かれた。
缶を掴むほっそりとした手の甲はあくまでも白く、長い指の先には真っ赤なマニキュアが艶を放っていた。
「あの手が、こういう手になるのが、怖かったんだ。だから逃げた・・・」
「またブツブツ言ってるわね。アブナイ人みたいだよ」
綺麗な手の主を見上げると、素顔はとても想像できないケバイ化粧。
濃すぎるアイラインがにじんで、目の下がうす黒く染まっている。グロスを塗りたくった唇が、赤く艶やかに光っていた。
鋲だらけのGジャンの下はわざと所々破いた黒いTシャツ。たぶんボトムもかなり過激なはず。
「昼間と同じ女とは思えないな。化けるよなあ」
「昼は淑女のごとく、夜は娼婦のごとくって。あたい、最高のオンナじゃん」
「よく言うよ」
チャーリーは今のパティを見ても、つい透かして昼間のパティを見ていた。
厚いファンデの下、鼻の上のそことそこには小さなソバカス。大きく官能的に引かれたルージュも、ぬぐえば薄い唇があらわれる。太いリキッドのアイラインが作るきりりとつり上がった瞳も、本当は丸く愛らしい。
『うーん。二面性を見せるっていうのは、反則技だぞ』
でも、本当はパティが垣間見せた強さにクラッときたんだ。
心が弱気になっているんだろうか。
サリーを城に残して、ハイスクールの寮に入ったことに関して、今までに後悔を感じたことなどなかった。仕方なかったんだと思い続けてきた。
城の買収は、仕事だと思っていた。二人がこの後どうなろうと、関係ないじゃないか。自分には、ピーナッツ社の社長令嬢の婿という椅子が待っているんだ。
男慣れしないサリーが、自分に勝手に恋をして傷つこうが、自分の代わりにサリーの面倒を見ていたアンドロイドがサリーに恋して悩んでいようが、どうでもいいことじゃないか。
「・・・帰る。おやすみ。
ビールを三本くれよ。モーテルとこの店は同じオーナーだろ。言っといてくれよ、『冷蔵庫を修せ』って」
「同じオーナーだからこそ、わざと壊してあるのかも」
「なるほど。商売がうまいな、僕はまんまとはまってるもんな」
「三本も持てる?そこまで持ってあげるよ」
パティは、ビールを腕に抱えて店を出て来た。
モーテルは同じ敷地の中、店の隣に立っている。二十歩も歩けばもう部屋の前だ。
珍しく月が出ている。城がぼんやり浮かんで見えた。
「一本、もらっていい?」とパティ。
チャーリーが返事する前に、もうプルトップを開けている。
「あの城、無気味で、見てて胸クソ悪いんだよね。とっととぶっ壊して、派手なヤツ建てちゃってよ」
「おいおい。あれは壊さないで、修復してホテルにするんだよ。
『元・コーネリアス伯爵の城』っていうのをキャッチフレーズにするのさ」
「なんだ、つまんない。今時そんなの流行らないぜ。
だいだい、コーネリアス伯爵って誰さ。ほんとにあの城の持ち主だった人なの?きっと村の長老だって知らない名前だよ」
「その名前は、会社の中で募集して当選したものだもの。いかにも貴族っぽいだろ?」
「あきれた。オトナのやることって、きたなーい!」
「ははは。・・・じゃ、おやすみ」
「部屋に入れてくれないの?」
チャーリーの心臓がドキンと鳴った。
顔を覗き込んで、いたずらっぽく笑うパティ。チャーリーはわざと眉間にしわを寄せて見せた。
「君は今仕事中だろ」
「仕事中じゃなきゃ入れてくれるの?」
「・・・そうでもない」
冷静ぶってかわしても、内心はかなり動揺しているチャーリーだった。
「ふん、結局それだもん!なんで?あんたはあたいを好きなんだろ」
屈託なく言ってのけたパティ。
チャーリーは目を見開いてパティを見た。冷たい水を浴びせられたみたいだった。いっぺんで酔いが醒めた。
「あたいに罠がいっぱいそうだから?」
「君が・・・僕をくどくのは、僕の困っている顔を見たいだけだから」
「・・・!」
「図星、だろ。・・・試しに」
チャーリーはパティを引き寄せキスをした。
「きゃ!」
パティは持ってたビールを取り落とした。
「何すんのよっ!」
平手でチャーリーの頬を引っぱたいた。
たぶん赤く指の跡がついているだろう。けっこう痛かった。だが、パティの頬の方が火のように赤い。
「は・は・は、だ。
ほら、みろ。
ホントはまだガキのくせして。
大人をユーワクするのは十年早いよ」
「ばかやろう!」
パティは落とした缶を拾うと、ばしゃ!とビールをチャーリーに浴びせかけた。
「うわっ」
チャーリーはビールびたし。
「おぼえてろよ!」
と捨てゼリフ残し、店へ走って戻るパティだった。

部屋に戻ると、自分がいかにアルコール臭いのか感じとれた。
「ビールしたたるいいオトコ、なわけないか」
備え付けのタオルで、ビールを含んだ髪や服を拭きながら、チャーリーは、ここへ来てから酒の量がふえてるなあと思った。
我ながら大人げないことをした。
真っ赤になって走り去る、パティの表情を思い出すと胸が痛くなった。
つっぱっていても、まだ少女だ。昼間のパティが、彼女の本質に近いのかもしれない。夜のあの派手な姿は、警戒色じゃないんだろうか。
若いパティにからかわれているのは、わかっているのだ。でも、わかっていながらも自分が動揺しているのは情け無かった。
パティに自分の動揺を悟らせたくなくて、先手を打って傷つけた。
いつも、そうだ。
自分が傷つくのが怖くて、逃げてばかり。
チャーリーは、缶ビールのプルトップを怒りに任せて引っ張った。グビグビと音をさせて、苦い液体を喉に滑り込ませる。
ビールは本当はあまり好きではない。
本当に好きになりそうなものには、手を出さないことにしていた。
『なのに、オレ、もう、罠にかかっちゃってる気がするんですけど?』
ああ、一人称が『僕』から『オレ』になってる。酔ってるかも。
昨日までは『最後の夜くらいなら、パティの誘惑にのってもいいかな』くらいは思っていた。
でも、やめた。手を出したら、遊びじゃなくなる。
パティには、大切なものの匂いがした。
自分が子供の頃にはまだ持っていたような、キラキラした大切な何か。
パティには、別の意味でいろんな罠がしかけられてそうだ。
罠?
いや、その向こうに抜け道が・・・出口が・・・隠れているのかもしれない。
そんな風にいい方に考えているのは、チャーリーの『祈り』に過ぎないのだろうか。
部屋で一息ついたチャーリーは、ベッドに腰掛け足を組むと、背広の内ポケットから携帯電話を取り出した。
今日はまだルーシーからは連絡はない。当たり前だ、ずっと電源を切ってあったのだから。
さすがに、今連絡を入れておかないと怒るかなあとは思うのだが、気がすすまないのだった。
まだ良い結果を報告できない事と、ルーシーと話をする気になれないのと。それがコールできない原因だった。
パティに指摘されるまで、ルーシーを愛していない事には見て見ぬふりをしていた。だが、言葉にされてしまった今では、もう愛している『振り』をするのさえ、しんどかった。
今度電話で話す時には、『愛してないんだ、ごめん。別れよう』なんて、とんでもない事を口走りそうな気がして・・・。
チャーリーは持って帰った缶ビールを一本空にすると、電源オフのままの携帯をぽんとベッドの上に放り投げた。
「連絡を入れる前に、シャワーを浴びて来よう」
だが、シャワーを浴びた後は、疲れて眠ってしまうかもしれない。そして、たぶんその通りになるだろう。



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