魔の街に棲むキメラ

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 < 1 >

 Morrha(モラハ)。Go Morrhaでゴモラになる。
 男はそれが気に入り、この街を訪れた。
 街に足を踏み入れブラブラと歩き廻った後、しばらく落ち着くことに決めた。
 人の多い大きな街だ。住人たちの身なりも整っているし、市に並ぶ野菜や果実は質が良く値段もそこそこだった。装飾品やドレスの店も多い。決して貧乏な街ではあるまい。男の仕事もやりやすいだろう。

 繁華街の中心より、通り一つはずれたところに、男がここと決めた場所があった。手で割ったような木製の看板が鎖で下がっていた。『ロトの酒場』。けばだった木枠のドアの横、壁には大きな窓が並んで、店の中がすっかり覗けた。酒場と言うより、昼間から営業しているタイプの、食堂のような店だ。
 酒場の前の道幅は広く、壁の前に店を広げても、そう邪魔にはならないだろう。
 男は、旅の荷物を肩に抱えたまま、ドアから中を覗いた。『CLOSE』の札は下がっていたが、店内で人が動いているのは見えた。札を無視して、ドアを押す。カラカラと高らかな、愛らしい鐘の音が響いた。
「あら、すみませーん、まだなんですよ」
 床をモップ掛けしていた娘が、屈託なく入店を断った。ブロンドを二つに結わえ、きりりと白のスカーフで被っている。営業用の笑顔を顔に貼り付けたその顔だちは、愛らしい部類に入るだろう。ここのユニフォームなのか、胸のあいた白と臙脂のストライプのドレスに、白いエプロンを纏っていた。白い衿から覗く胸の谷間はたいしたもので、この店の看板娘だろうと思わせた。
 店は、大きな木のテーブルが整列した学食のような酒場だ。広いテーブルには、たくさんの大皿料理や幾杯もの大ジョッキが並ぶのだろう。がっちりしたベンチの椅子も、どんな荒くれ男たちが座ってもビクともしなさそうだ。
「いや、オレは客じゃ無い。頼みがある。店の前の路上で、似顔絵描きをさせてもらっていいだろうか」
「へえ、絵描きさんなんだ。・・・!」
 女は、作り笑顔をやめて男を初めて見て、そして仰天に目を見開いた。
「マハーヴァ!」
 男の知らない名だった。男は首を傾げる。
「マ・・・なんだって?」
「ご、ごめんなさい。マハーヴァは、姉の名です。ごめんなさい、あなたは男性なのに。でも、あまりにそっくりなので、びっくりしてしまって・・・」
 娘は、蒼白にも似た顔色で、まじまじと男を見つめる。視線が、男の目に、鼻に、口にと動く。似ていない部分を探しているのか、一つずつのパーツのそっくりさを確認しているのか。
「父が厨房にいるので、許可のこと、聞いて来ますね」
 娘は、丸太を重ねたような壁にモップを立てかけ、小走りに奥へ走って行った。豊満な体つきのわりにまだ少女っぽさが残っている。18、9歳ってところだろうか。
『オレに似た"姉"ねえ・・・』
 ザンバラな銀髪、前髪は目にかかり、無愛想な顔つきをさらに陰険そうに見せていた。二つの銀の目は細く鋭い。鼻筋が通っているのが、かえって冷たそうに見せて減点。大きな口と薄い唇も、爬虫類めいた容貌に拍車をかける。・・・自慢じゃないが、女性に見えるような美男子では無い。
『つまり、あっちが"男顔"ってことか。オレに似てるなんて、気の毒なことだ』
 ひょろりと痩せて細い体つきは、女性っぽいと言えばそう言えないこともないが。羽織った白いシャツは長旅で煤け、画材を背負った肩には、皺と埃で茶黒い染みができている。どうひいき目に見ても小汚い男だ。
「どうも。わたしが店長のロトです」
 50を少し過ぎたくらいの恰幅のいいコックが、握手の手を差し伸べながら近づいていた。意味も無く笑顔だ。さっきの娘は『父』と言ってたっけ。なるほど。
「絵描きのカルヴィーノと言います。すみません、突然のお願いで」
「いやあ。娘のディヤーに聞きましたが、ほんとにマハーヴァにそっくりだな。これじゃあ、娘に頼まれたみたいで、断るわけにはいきません。
 この店の前のスペースは、大道芸人もよく使わせてくれと言って来ます。うまく話し合ってやってくれれば、わたしの方は全然。人を寄せてくれりゃ、こっちも客が増えて嬉しいくらいだ。
 長くこの街にいる予定ですか」
「ひと月ほどの予定です。この街は裕福なようなので、少し稼がせてもらおうと思って」
「いやいや、みんななかなか財布の紐は堅いですよ」
 ロト店長は、大きな腹をのけぞらせて、『はっはっは』と店内に響く声で笑ってみせた。


< 2 > 
 
 カルヴィーノは、早速、店の前に敷物を敷いて画材を広げた。似顔絵商品は、一枚画用紙に木炭の一色。過去に描いた、どこかのお姫様風やドラゴンなどの精密なスケッチを宣伝用に敷物の上に並べて飾る。
 数人が歩を緩め、眺めながら通るが、立ち止まるには至らない。まだ、異邦人を遠目に見ているという感じだ。カルヴィーノは、スケッチブックに『ロトの酒場』の外観を描き始めた。覗き込ませるにはこれが一番だし、知っているものとそっくりであるという驚きは効果がある。
「へええ。絵描きさんか」
 商店の店員風の男が声をかけた。
「似顔絵描きです。でも、お店やお屋敷の絵も描きますよ」
「この絵、ここの店だよな。うまく描くもんだな。数日はいるのか?いや、今度、娘を連れて来て描いてもらうかな」
「しばらくは居ますよ。娘さん、ぜひ描かせてください」
 カルヴィーノは愛想の無い男だが、営業中の当たりは柔らかい。食っていくために、ある程度口がうまくなった。
 少しずつ、人の輪が出来始める。立ち止まり、遠巻きにカルヴィーノの手先を見つめる通行人が増えてきた。
 彼女が誕生日と言うカップルが皮切りだった。頬を寄せる二人は決して美男美女ではなかったが、カルヴィーノの右手は、男の優しげな目と口許を強調し、女の初々しく照れくさそうな表情を可愛く描写した。男の頬骨の影や女の巻毛のカーブは精巧なままに。その精度の高さと、「本人より2割増」の絵に驚嘆したギャラリー達が、「オレも」「私も」と争うように注文をし出した。
『ロトの酒場』の窓からの灯が頼りになる時刻まで。カルヴィーノは描き続けた。帽子にはコインが一杯だった。
『今夜は宿屋に泊まれそうだな』
 今日は、"ここでこんなことを始めます"という程度のつもりだったが。旅で疲れていたし、こんなに描くつもりはなかった。この街の奴らは、思ったより退屈しているようだ。

 宿屋は、安い部屋でも湯が使えた。今まで寄った街では、風呂がある宿は高級店ばかりだったが。
「街がリッチってのは、ありがたいな」
 カルヴィーノは、まずは着ていたシャツを脱いで、それの洗濯から始めた。旅で画材が増え、持てる量には限りがあるので、その分生活用品が減って行く。今の季節に着れるシャツは、これ一枚きりだった。洗面所で、衿と袖口に棒石鹸をなすり付け、ぬるま湯で濯ぐ。薄汚れて見えたのは、埃と木炭のせいだ。石鹸で汗と皮脂も排水口に流れ落ちて行く。白さを取り戻したシャツは、木の椅子に広げて干された。明日までには乾くはずだ。
 くたびれた外見のカルヴィーノだが、裸体になるとまだ青年の体躯であることが知れる。背腹に贅肉は無く、痩身なりに胸や肩には筋肉がついていた。だが、剣を振り回したり、重い荷物を持ち運ぶ仕事をしてきたという体には遠い。彼は少年の頃から絵の才能を見込まれ、宮廷画家としてたくさんの金貨を得ていたのだから。
 シャツを脱ぐとあらわになる両の肘に、大豆ほどの大きさの金具が埋め込まれていた。肘の内側と外側に1個ずつ、一本の腕に2個、左右で4個。彼の両手は精巧な義手だった。
 湯浴みから戻ると、カルヴィーノは銀の毛先から滴を滴らせながら、左肘のボルトを外した。落ちた左腕が机の上に重みのある音をたてる。断面は、針金のような細くこまかいラインが張りめぐらされていた。外郭は陶器で形作られている。その上には肌色のラバーが張られ、これで肌の弾力を模して、人に触れられた時不信感を持たれないようになっていた。義手を隠しているわけではないが、こうなった理由を説明するのも面倒だった。
 茶色い小瓶と綿棒、乾いた布などで、右手一本でそれの整備を始めた。つなぎ目からは、砂一粒水一滴とて入り込まないが、断面は皮膚と密着しているため、生身の肉が付着してくる。それを薬品で丁寧に拭き取って行くのだ。現時点では、この義手は以外の作業は必要無い。もう数年後には、腕のいい技師と医者に見せる必要はあるだろうが、今のうちはこれで済んだ。
 それが終わると左手を嵌めて、今度は右の義手を外す。カルヴィーノは、薬品に漬けた綿棒を唇にくわえ、作業を始めた。両膝と左手で右の義手を支える。右の義手は、似顔絵描きに必要な商売道具だ。デリケートな作業は、左の義手には任せられなかった。カルヴィーノは、自分の生身の部分を信じた。時々、強いアルコール臭にむせて、綿棒を吐き出し咳き込んだ。
 唇に筆をくわえて描く方が、よほど思ったように筆を運ぶことができた。だが、それはストリートの似顔絵描きがやると、気味悪がって客が寄り付かないかもしれない。
 いや、例えば。義手をはずして、両のシャツの袖をわざと揺らして。口に木炭を加えて似顔絵を描けば、同情で今より客は増えるのかもしれない。絵の出来の倍の銀貨を置いて行く客も多いと思う。・・・たとえ飢えて路上で干からびても、そんなことは絶対にしたくなかった。


< 3 >

 ロトの店が流行っているおかげなのか、カルヴィーノの似顔絵客も、とぎれることは無かった。うまい飯と酒で気持ちのよくなった客の、羽振りは悪くない。ただ、お客がいかつい男ばかりなのが難だったが。
 何人かに、「マハーヴァ?」と声をかけられた。
「あ、人違いか。姉娘が、まさか店の前で商売は無いな」
「・・・初めて会った時、ロトさんにも言われました。そんなに似てるんですか?」
「いや・・・。よく見ると違うよ」
 みんな、歯切れが悪い。
 ロトもディヤーも、客たちから愛されているのは見ていてわかる。だが、その姉娘の話題には、腫れ物に触るような空気だ。
 そういえば、最初のディヤーの反応も妙だった。姉に似ていたら、笑いが出ないか?吹き出したり、苦笑したり、思わず笑みが出たり。だが、反対に、彼女は作り笑いを保てないほど表情を堅くした。
「え、出戻り?」
 カルヴィーノは木炭を動かす手を停めた。客の婦人は、しーっと人差し指を口にあてる。
「幼なじみに嫁いだと思ったら、一カ月もしない間に家に逃げ戻ってきたよ。求められて嫁いだのだし、優しくて働き者のいい農夫だ。あたしにゃ、原因はよくわからん。
 マハーヴァは、出戻って一年になるが、ロトの家から一歩も出ないらしい。一日中、家をピカピカに磨いて掃除してるって噂だよ。
 おっと、ロトには内緒にしておくれよ、あたしがバラしたことは」
「出戻りの引きこもりねえ・・・」
 自分と同じ顔の娘は、ロクなもんじゃないらしい。

 その日はいい稼ぎが出たし、礼の意味もあって、ロトの店で食事をした。酒場のピークには早いが、店は空席を探すほどの繁盛ぶりだ。ウエイトレスは、ディヤーの他に二人。だが、他はそう若い娘ではない。ディヤーは、人の二倍も元気な声でオーダーを取り、倍の早さで動きまわっている。野郎どもは、明るいディヤーの姿を楽しげに目で追い、ジョッキをあける。くるんと愛らしい茶の瞳、丸い鼻。美人というには役不足だが、男を楽しい気分にさせるには十分に可愛い。
 ディヤーが若い男の前でフォークを取り落とし、拾った。この男で二人目だ。さっきも、別の男の前で紙ナプキンを落とし、屈んで床に落ちたそれを拾っていた。
「あー、ごめんなさい。あたし、そそっかしくて〜。取り替えて来るね」
 明るく笑い声をたてる。屈むと、客から胸の谷間が丸見えになる。ディヤーは、自分に気がありそうな若い男には、サービスしているらしい。
『若いのに、たいしたプロ根性だな』
「あ、いらっしゃい。カルヴィーノさん。景気はいかが?」
「この店が繁盛してるおかげで、オレの商売も上々だよ」
「お客さんから、すごくステキに描いてくれるって噂は聞いてるよ。あたしも描いてもらいたいけど、あなたの仕事中はあたしも仕事中なのよねえ」
 ディヤーは大袈裟に肩をすくめてみせた。
 シチュー皿をテーブルに置くと、「お皿、熱いから気を付けてね」とカルヴィーノの手を握った。
『・・・。』
 アイスティーを置く前に、コースターを落とし、前かがみになって拾っている。
『いや、オレは、いいよ、そういうサービスは』
 困惑して目をそらすカルヴィーノだった。
 姉の出戻りの理由なら想像がついた。夜の行為に嫌悪感を抱いたに違いない。潔癖な娘には稀にあることのようだ。現に、カルヴィーノが腕を無くす原因になった王妃も、そういう女だった
 そして妹のこのおおらかで開放された性格と言ったら。まるで陽と陰、プラスとマイナスのような姉妹だ。
 初めて口にしたロトのビーフシチューは、旨かった。真面目な味だ。スープから手を抜いていない。きちんと面取りされたジャガイモも人参も、ロトの実直な人柄を思わせた。
 夫人を早く亡くしたというのは、似顔絵客たちの噂で聞いていた。12歳と9歳の娘を育てながら、十年間独りで店を切り盛りして来たそうだ。
 妹の方が、嫁に欲しがる男は多そうだが。父親としては、順番で姉を嫁がせたのかもしれない。妹には、もうしばらく店を手伝って欲しいというのもあるだろう。
『いや、愛想無しの姉の方が、身持ちが堅そうで、嫁にするには人気があったのかもしれない』
 あの妹は、誰とでも寝そうだった。
『ロトの似顔絵を、前の道を借りた礼に贈ろうと思っていたが。看板娘の絵の方が、喜ばれるかもしれんな』
 ディヤーは面白そうな娘だ。彼女の持つ、上品すぎない色気や、幼さや愚かさを装った罠の匂いは、描くには十分魅力的だった。
「あら、もう帰るの?お酒は飲まないの?」
 ディヤーは、少し鼻にかかった声で尋ねる。
 酒を飲むと体がむくんで、肘の付け根が痛む。旅の途中ならまだしも、明日もたくさん描くことになるだろう。カルヴィーノは、この街にいる間は飲酒はしないことにしていた。
「また明日」と、そっけない挨拶をして、店を出た。


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