第二話 『泣かないウサギ』
そのウサギは青い瞳をしていました。普通、白いウサギは色素が薄いので目も赤いものです。でも、そのウサギはサイボーグなので、彼を手術した獣医博士の好みで、青い瞳をしていたのでした。
「私はね、いかにも『私は今まで泣いていました』みたいな赤い目をして扉から出て来るような女は大嫌いなのさ。だから、おまえの瞳も、赤でなくブルーにしたよ」
博士は、彼にそう言いました。
博士もタイタン行きの船に乗る予定でした。博士は、地球も、地球のしきたりも、地球の人間も大嫌いでしたから。でも、直前に事故に遭って入院し、船に乗れなくなってしまいました。船には、別の獣医博士が乗りました。ウサギ用の、25ページのマニュアルと2枚のカルテを持って。ウサギは、「オレのすべては、25ページと2枚なんだな」と思いました。
一緒に船に乗って来た人間たちは、タイタンの微生物から病気になり、有効なワクチンが開発される前に多くの人が死にました。例の代理の博士も死にました。
人間が全部死んでしまったあとも、DNA操作された動物たちはたくさん生き残りましたが、もともと連れて来た数の少なかった肉食獣は、わずかな頭数しか残りませんでした。
ウサギは、ゴツゴツと険しい溶岩のような地面を歩きながら、
『さっき会ったあれが、最後の獅子だろうな』
自分の頭の中でデータ照会をする前からそう思いました。
『肉食獣でも、イタチとかハイエナあたりはまだいるだろうけどな』
体の大きな種から倒れていく。人間同士の闘いとは反対に、自然の食物連鎖の闘いは、小さいものの方が有利でした。
ゆるい上り坂をのぼって行くと、かつて人間の学校があった場所に出ました。建物は壁にひびが入り所々崩壊していますが、まだ形は残っています。そこに、何種類かの小動物がたむろしているのを発見しました。
「やあ。みんな、ここに住んでいるの?何の種類が何人ずついるの?」
ウサギは、壁に背をつけて座り込んでいるりすに話しかけました。りすの尾はところどころ毛が抜けて、決して美しいとは言えぬ毛並みでした。
「なあに、あんた、地球の人間のまわしもの?」
りすは、長いまつげを目ヤニで張り付かせたまま、ウサギを睨み付けました。
「なんだ?」「だれか来たって?」
手長猿やらイタチやら犬やらアヒルやら。十匹以上の小動物たちが、りすの声を聞いてわらわらと集まって来ました。一階の教室の窓から、昇降口から、建物の陰から。
「君らは、ここで共同生活してるのか?」
地球の人間のまわしものと言われれば、そうかもしれないとウサギは思いました。タイタンでの動物の生息状況を、定期的に地球に連絡する作業をしているからです。
「もうここにはこれ以上の動物は住めないよ」
リーダー格らしいイタチが、一歩前へ出て言いました。
「ここに住むつもりはないから、心配無用さ。しかし、この広い建物がいっぱいとは、いったい何匹住んでいるんだ?」
「そうか、ここに住まないならいいんだ。僕が把握できる人数が手一杯だってだけのことだよ。時々、『寂しいから一緒に住んでいい?』なんてでかい肉食獣が来たりするんだ。とんでもないよ」
「獅子のことか?」
「アレに会ったのか?・・・こっちは小さな草食動物ばかりなのに、一緒に住めるわけがない。アレが近づいて来ただけで、ここは大パニックだったよ。みんなで一つの教室にたてこもって全部のドアにつっかえ棒をして、窓を少しだけ開けて、そこから交渉をした」
ウサギは、獅子が、『僕が怖くないの?』と、自分の方が怯えているような口調で話しかけたことを思い出しました。
「飢えてなければ、獅子はいたずらに動物を襲うことはないけどね」
獅子の為に、ウサギは、精一杯はっきりした声で、そう言っておきました。
「でも、ここのみんなと暮らしても、獅子はよけい寂しくなるだけだったろうね」
「僕らが臆病だって言うのか?僕らは、力を合わせて、お互いを思いやりながら暮らしているんだぞ。弱い者同士、肩を寄せ合って。肉食獣なんかと、一緒には暮らせない。僕らは細々と暮らしているけれど、それなりに幸せなんだ」
ウサギは、イタチの演説を聞きながら、『それなりに幸せな』死んだような目をしたりすの横顔をぼんやりと眺めていました。
「君も肉食獣じゃないか。君らが忌み嫌う獅子の同類だ」
イタチが愕然とするのと同時に、他の小動物が驚いたようにイタチを見ました。りすさえも、瞳を開いてゆっくりと顔を上げました。
「今まで僕らはうまくやっていたんだ!言っていいことと悪いことがある!」
「サイボーグなんで、ほんとのことしか言えないんだ。悪いな」
イタチの演説を遮ると、ウサギはその建物を立ち去りました。
『小動物が20匹程度。一匹が肉食獣』というデータを自分のハードディスクに書き込みながら。
『ココハ、僕ノ場所ジャナイ』
ウサギを創った博士が、よく口にしていた言葉が、何故か思い出されました。
第二話 <END>
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