第三話 『惑星を背負う甲羅』
ウサギは、一カ月ほど歩き回りデータを収集して、母艦Bに戻って来ました。
母艦は五隻ありました。地球の大陸と同じ数です。どの艦も故障などはなく機能はすべて生きていますが、消エネの為にウサギはBだけを使っていました。通信設備、医療設備などが作動しています。
ウサギは、通信施設から、動物の生存状態と分布のデータを送付しました。データは小型ロケット便で地球に向かいます。先に月基地で回収され、途中から衛星通信に変換されることもあります。
作業が終わり、ウサギは艦内の点検に入りました。メディカルセンターで機能維持以上の電力が消費されています。
「誰かが、ケガか病気でセンターを使ってんのか?」
センターを覗くと、使われているのは、治療施設ではなく、研究設備の方でした。モニターの前でキーを叩く丸い背中。こげ茶とも深緑とも暗い灰色とも見える、幾何学模様の甲羅が見えました。
「じじい、生きてたのか。何してんだ、こんなとこで」
「若造。相変わらず失礼な奴じゃのう」
亀は口許で笑うと、キー操作を続けます。
モニターには、冷蔵装置に保管されている人口胎盤が映っていました。冷蔵装置に保管・・・のはずです。でも・・・。
「酸素と血流データが変動してる!じじい、何したんだ!?」
ウサギは、亀の襟首につかみかかりました。言葉は質問の形でしたが、ウサギには亀が何をしたかわかっていたのです。
いくら母艦が大きいと言っても、乗せられる人間の数には限りがあります。「生まれている人間」以外に、山ほどの精子と卵子が積み込まれました。タイタンの大地で生活を始めたなら、100もの人口胎盤がたくさんの人間を出産(製造?)していく予定でした。結局そのシステムは、使われずに終わりましたが。ワクチンの無い現状で子供が生まれても、3歳までには死んでしまうだろうと判断されたからです。
「生き残れない人間を今さら作って、何しようとしてるんだ?」
「わしら動物は生き残っとるぞ。・・・おっと、君はサイボーグじゃったな。
人間にも遺伝子組み換えをしてみたんじゃよ。わしらがウィルス感染しなかったのは、そのおかげだという可能性が高い。可能性のあることは、試してみようと思ってのう」
「人体実験なんて・・・きさまは『神の領域』に踏み込んでるぞ」
「ふぉほほほ。サイボーグが宗教を信じとるのか」
亀は面白そうに笑うと、検査データを保存し、モニターを切り換えました。メダカくらいの影がピクピク動いています。
「地球に『神』などという発想が生まれなければ、もっとマトモな星になっていたかもしれんがのう。
そうじゃ。このコが無事に産まれたら、『エマ』と名付けよう。アダムとエマのエマじゃ。ふぉほほほ」
「悪趣味なジョークだ」
ウサギは眉をしかめて肩をすくめました。
地球が丸いと認知される前。大地は、巨大な象と亀と蛇たちが支えていたのだそうだし。かれらが自分を『神に近いもの』と考えていたとしても、仕方ないのかもしれない。ウサギはそう思いました。
「このことは地球には報告せんでくれよ。わしのことは死んだことにしてくれ」
「勝手なじじいだな。それで家を崩壊させたのかよ。獅子が、泣きそうな顔で瓦礫を掘ってたぜ、あんたを助け出そうとして」
「・・・。あの獅子は・・・いつも泣きそうな顔をしとったよ。初めて会った時ものう。
獅子はもともと孤高なもんじゃ。そのうち慣れるじゃろ」
『エマ』に抗体があって生き残れたとしても、この惑星で、幸せになれるのだろうか?
ボコボコと荒れた大地。チタンの海。森も草原も無い花も無い。生き甲斐のない濁った目の動物たち。そしてたぶん友達もいない。・・・そのうち慣れるのか?
『いや。オレの考え方がそもそも間違っているんだ。生きることは幸せじゃないんだ、きっと』
ウサギはため息をつくと、もう一度大きなモニターを仰ぎ見ました。まだメダカのような『エマ』の影が、かすかに動きました。
第三話 <END>
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