SKY −手の届く場所−

   6.

 朝、であったりする。
 あたしは眠い目をこすりながら、朝御飯とお弁当を作り始める。ただつけているだけのテレビでは、昨日どこかであった火事のニュースを伝えている。
「お弁当のおかずはぁ、卵焼きにウィンナーに、それからぁ……」
 とりあえずスタンダードなものなら思いつくんだけどな。あたしは仕方なしに冷凍庫から冷凍食品を取り出して、それも入れることにする。朝御飯は、それらの残りにパンだ。
「すっごい手抜きー。べっつにいいけどー」
 どうせ食べるのはあたしだし。うん。
 そんな感じで適当にお弁当作って適当に朝御飯食べて適当に着る服選んで、身支度だけはしっかりやったら、そろそろ家を出る時間だった。いつもよりも少し早いんだけど。
「いーや。行ってきまっす、と」
 あたしはブツブツと独りごちて、家を出る。
 学校なんて凄くめんどくさくてかったるいんだけど、行かない訳にはいかなかった(だってやめたらお金勿体ないじゃんね)。


 地下鉄がホームに入ってきて、たくさんの人を吐き出して、またたくさんの人が乗り込んで、それで地下鉄が走り出す。
 あたしはそれを見送ってから、改めてホームに並ぶ。最近わかったんだけど、こうすれば座れる可能性も少しはあるんだ。本当に、少しだけだけどさ。
 そういえばあたしはこの時間に乗ったとき、チカンにあったことがあるんだ、ちょっと前にっ。それがしかもその日だけじゃなくて、何度もあったものだから、あたしは『もう学校行きたくないーッ!』と喚いたことがあった。だって地下鉄乗るのやだったんだもーん。ああもう、またいたらやだなぁ……。
 そう考えて溜息をつこうとした、その刹那、だった。
「ぐっどもーにんぐ、まいはにー」
 肩をポン、と叩かれて、耳元でそう囁かれた瞬間、あたしは他人のふりをしてここから逃げ出したい衝動に駆られた。でも、そういうわけにもいかないから、あたしは出来るだけ平然とした表情(かお)を作って、振り向いた。
「おはよーございます、宏伸くん」
 こんなとこでとんでもない声のかけ方をした張本人は、全くと言っていいほど周りを気にしたりもせず、にっこり笑って言った。
「こーんなとこで逢うなんてやっぱり運命かなっ。あっ、ついでだから俺につきあって後ろに並ぼうね」
 宏伸くんはそう言うと、有無を言わせずあたしを引っ張って列の一番後ろに並んだ。
 あああ……座れる可能性がぁ……。
「美奈ちゃん、どうしたの? そんなかなしそーな顔して」
 宏伸くんがあたしをのぞき込んで聞いてくる。
「いーえ、何でも。それより、宏伸くんはこれからお仕事?」
 あたしは話を逸らすべく、そんなわかりきったことを言う。
 宏伸くん(だけじゃなくてSKYメンバーみんななんだけど)が会社勤めしてるのは、知ってるし。しかも宏伸くんスーツ着てるし。
「うん、そう。かっこいーでしょ、俺のスーツ姿?」
 ……自分で言わなきゃいーのにさ、そんなの。
 ホームに地下鉄が入ってくる。また、たくさんの人たちが吐き出されて、その後にあたしたちが乗り込む。宏伸くんの出現によってやっぱりあたしは座れるはずもなく、ドアの所にへばりつくような形になってしまった。そしたらその近くの保護棒のところに宏伸くんの手が伸びてきて、なんだろうと思って宏伸くんを見上げたら、なんだか嬉しそうににこにこ笑っていた。
「いやあ、俺さ、これって一度はやってみたかったんだ。よく漫画とかであるでしょ?」
 ……つまいは、オンナノコを満員電車の中でかばう、アレですね。
 それであたしが何か言おうとしたら、いきなりがたん、と電車が揺れて、予期していなかったあたしは、思わずよろけてしまった上に、目の前の宏伸くんにぶつかってしまった。見方によっては、抱きしめられてるような形で。
 うわあ、やばいってええっっ!
「ご、ごめんっ」
 あたしが慌てて身を離すと、宏伸くんはさらににこにこして。
「大丈夫。うーん、役得役得、生きてて良かったぁ……」
 などと呟いた……。
「……この思い出を胸に、一度死んでみる?」
「えっ、やだ」
「…………」
 あたしが取り敢えず冗談で言った言葉に、宏伸くんが間髪入れずに答えたものだから、あたしは思わず沈黙してしまった。
 そーだよね宏伸くんはこういう人だよね……。
「あっそうだ、俺美奈ちゃんに聞きたいことあったんだ」
「……なんですか?」
「誕生日、いつ?」
「…………」
 それがくるかぁ……よりによって、今日にさ。
「……ごがつじゅーごにち」
 あたしは半ば諦めつつ(いや、言いたくなかったわけではないんだけどさ、別に)言うと、一瞬の間の後に宏伸くんが、は? と聞き返してきた。
「だから! 五月十五日だってばっ」
「え……それって……あれ、今日は……」
「十五日ですね。五月の」
 あたしは溜息混じりに答える。そう……今日が誕生日なんだ。だから、今日言うのはなんかちょっとだけ嫌だったんだけど。
「そっかー。今日かー。あっ、じゃあさじゃあさ、誕生日プレゼントあげるよ」
「えっ?」
 いきなり宏伸くんが言い出すもんだから、あたしはびっくりして聞き返してしまう。
「って言っても何がいいかわかんないからさ、一緒に買いに行こう。ね? 決まりね。じゃあ札幌駅の西コンコースんとこに、うーん……何時なら来れる?」
「五時半、なら」
 あたしはついつい条件反射で答えてしまって、だけど話の流れにいまいちついていけなくって、はっきり言って困ってしまった。
「五時半ね。じゃ、札幌駅の西コンコースで五時半に。欲しい物考えといて。あっ、美奈ちゃんの降りる駅じゃん。じゃ、行ってらっしゃい。勉強頑張ってねー」
 なんだか返事をする暇なくたたみかけられた上に、いつの間にかついた駅で送り出されて、あたしに向かって宏伸くんを見ながら思いついたことと言えば。
「……なんであたしの降りる駅知ってんの?」
 だけだった(鈍い奴……)。


 札幌駅の西コンコースにあるミスタードーナツの前は、密かに待ち合わせのメッカだったりする。あたしはそこに設けられている喫煙場所で煙草を吸いながら、腕時計を見る。
 五時十分。約束の時間にはあと二十分。
 ちょっと早く着すぎてしまった、かな。
 煙草を少しだけいつもより深く吸い込んで、溜息と一緒に吐き出した……そのとき。
「かぁのじょっ。おっちゃしなーい?」
 上空三百メートルくらいまで飛んでいってしまいそうなほど軽くて、石を投げれば当たりそうなほどありふれた言葉をかけてきたひとがいて、あたしは思わず溜息をつく。だけどそれは言葉の内容に呆れたわけではなくて……その声が知ってるものだったから、だったりする……。
「……おにーさんの奢りならよろしくってよ、宏伸くん」
 あたしはものすごーっく平淡な声で答えたと言うのに。
「マジ!? やっりーっ。誘ってみた甲斐があるぜっ」
 などと宏伸くんは本気で喜んでいた。なんか凄い人だよなぁ、このヒトも。
「で、どこ行こうか。どっか好きな喫茶店とかある?」
 宏伸くんはウキウキしながら言う。
 いいのかなあ、本当に奢ってくれるつもりかなあ。
「4丁目プラザの向かいに、たまに行く喫茶店があるんだけど」
 ……速攻答えるあたしもあたしだけどさ。


 かくして『4丁目プラザ』――通称4プラ――の向かいにある、薔薇園っていう喫茶店に場所を移したあたしたちは、そこで紅茶を飲みながら、オハナシしているのであった。
「やっぱりさー、仕事始めた頃なんて疲れがたまってそれどころじゃなかったけどさ。今はもう慣れちゃったからね。よくみんなで拓ちゃんの家におしかけて遊んでるよ」
「……それって、拓にしてはいい迷惑なんじゃ……」
「んなことないって。あいつは人が来てようが何しよーが、自分のやりたいことやってるからね。俺らがいても、寝たいときは寝てるし、曲作りたいときは作ってるし」
「……そういう奴か」
 普通は客が来てたら気を遣うと思うんだけどなあああっ。普通じゃない、ってことだろーか、拓ってばさ。
「うん、そーゆー奴。だから俺らも気兼ねなく行けるんだ」
 別に行ったからってやることないんだけどさ、と宏伸くんが続けたけど、それはそれで楽しい時間なんだろうなっていうのは、宏伸くんの顔を見ればわかることだった。
「いいね、なんか……そういうのって」
 あたしが呟くようにそう言うと、宏伸くんはクスッと笑って、それからさらりと言った。
「なに他人事みたいに言ってんの? 美奈ちゃんだってもう仲間なんだから、その中に入ってるんだよ?」
 宏伸くんがあまりにも簡単にそう言うもんだから、あたしはちょっとだけ嬉しくなって。でもどういう反応返したらいいのかもよくわかんなくって、結果煙草に手を伸ばした。
「ところでね、ひとつお願いがあるんだけど」
 あたしは煙草を一度深く吸い込んで、その煙を吐き出してから、口を開いた。
「なになに? 美奈ちゃんのお願いならなんでも聞いちゃうよ?」
 なんて宏伸くんが言っちゃったりするから。
「本当? じゃあ火ネズミの皮衣と……」
 と言いかけたら、さすがに、
「……美奈ちゃんって実はかぐや姫だったんだ?」
 なんて言い返されてしまったもんだから面白くてつい。
「そーなのー。もーすぐ月に帰らなきゃいけないのー」
 と答えると。
「でも、それを持ってくることが出来たら、俺と結婚してくれるんだよね?」
 と更に返されてしまった。うーん……、とあたしがどう返そうかと悩んでいたら。
「どーせ火ネズミの皮衣なんてどんなのか知らないんだろーから、騙すことも可能だよなぁ……」
 と宏伸くんが呟いた。あのー……もしもし?
「宏伸くんってば、実行する気?」
「そりゃ勿論。だって結婚しちゃえば、あーんなこともこーんなことも出来ちゃうわけだし……うーん、おいしいなあ……」
 なにがおいしーんでしょうか、いったいっ。
「美奈ちゃん待っててね。俺がもう少し給料もらえるようになって美奈ちゃんを養えるようになったら必ず迎えに行くからねっ」
 はいはい。
「で、そろそろ話を戻すけどね」
「……美奈ちゃん冷たい。そーゆーときは、わかったわ私一生宏伸くんを待ってるからお願い早く迎えに来てね、としおらしく言うものなのにぃ……」
「わかったわ私一生宏伸くんを待ってるわだからお願い早く迎えに来てね。これでいい?」
 あたしは宏伸くんの言った科白をそのままそっくり返す。宏伸くんは宏伸くんで、あんまし嬉しくなーい、と恨めしそうに言ってるけど、あたしはそれを無視することにした。
「あのね、あたしの呼び方なんだけど、嫌じゃなければ『美奈』って呼び捨てにして欲しいんだけど」
「そりゃ別に嫌じゃないけど。逆に喜んじゃうけど。……なんで?」
 なんで? ときたか……。うーん……説明するのってちょっと……別にいーんだけどさ。
「あたし、どうも『ちゃん』付けされんの苦手で……望さんや雅樹さんだと平気なんだけど、宏伸くんから言われんのは……違和感があるって言うか……うまく説明できないんだけどね」
 あたしは、なんとなくごにょごにょと言ってしまう。けど宏伸くんはそんなの全然気にしてないみたいで、ふーん、と呟いた。
「まあ俺は美奈さえ嫌じゃなければそれでいいんだけどね。そっちの方が、なんか嬉しいし」
 ……早速呼び捨てにしてくれるなんて、あたしも嬉しいわ。うん。
「じゃ、そろそろプレゼント買いに行こうか。紅茶一杯で長居すんのもなんだし」
 宏伸くんはそう言うと伝票を持って席を立つ。あたしは、うん、と言って宏伸くんに続いて、ついでに鞄の中から財布を出そうとして、そーいえば宏伸くんの奢りってのが条件で来てたんだっけ、と思い返して、だけどやっぱり言うだけ言うかなとかってまた思って、財布を出した時にはもう宏伸くんが会計してもらっちゃったりしたところだったから、それが終わってから、お金は……、って呟くように言ったら。
「俺の奢りなら行くって言ったの、美奈のほうだろ? 駄目だよー、自分の科白には責任持たなきゃ」
 ……それってこーゆーときに言う言葉じゃないんじゃ……。
「んじゃ、責任持って奢っていただきます。ごちそーさまでした」
 って、あたしも何言ってんだか……。
「お粗末様でした、って俺が作ったわけじゃないけどさ。さ、どこで何を買って欲しいか簡潔に述べよ」
 宏伸くんはいきなり問題集みたいな物言いをするもんだから。あたしは人差し指をびしっと立てて、答えた。
「4プラ行って買ってもらうものはその場で決める」
「……とってもわかりやすいお答えありがとう」
 宏伸くんは参りました、って感じで溜息なんかついてるけど。
 宏伸くんが先にやり始めたことだぞ。うん。


 4プラの中にはいろんなお店が入っていて。もっぱらファッション関係ばかりだったりもするんだけど。あたしがその中で選んだのは、最上階にある『自由市場』の中のアクセサリーショップだった。別に何か特別なものが置いてあるわけじゃなく、はっきり言って『道端で売ってるものが場所を移して売ってある』程度のものだ。ちなみにこれは、宏伸くんの感想だけど。
 プレゼント選びは、ものの数分で終わった。買ってもらったのは、イヤーカフとピンキーリング。値段は……実は一番メジャーな紙切れ一枚でおつりが来るんだ。宏伸くん曰く、こんなプレゼントで喜んでくれるなら毎月誕生日祝ってあげられるよ。……一年で12歳も年をくうのは嫌だなあ、ってそういう問題じゃないか。
 あたしは買ってもらったばかりのそれらを身につけて、似合う似合う、と誉めてくれた宏伸くんに、へへへー、と照れたような笑みを見せた。その、瞬間だった。
「さってと、じゃあ拓んちでも行こうか」
 ……照れたような笑みが、瞬時にして満面の笑みに変わったのは言うまでもない(恥ずかしい奴……っ)。




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