9.
それは、突然やってきた。
夜中の一時。
最近学校方面がちょっと忙しくて、拓の家にも顔を出せないまま、五月が終わろうとしていた、その時に。
勿論その時間にはあたしはベッドに潜り込んでいたわけで……でもなんとなく眠れなかったから、そんな時間にかかってきた電話に、あたしは意外と素早く出た。
「……もしもし?」
ちょっとだけ、心臓がちくんと痛んだけど、それが何故なのかはあたしにもわからなかった。
『……もしもし、美奈ちゃん? ごめんね、こんな時間に』
聞こえてきたのは、望さんの声。……だけど、なんかいつもと違ったふうに響く。……どうして?
「望さん? どうしたんですか?」
聞きながら、あたしは何故かどんどん胸が苦しくなっていった。
ききたくない、って……思った。
『美奈ちゃん、今すぐに来て欲しいんだけど……これから言う所、メモしてくれる?』
「あ、はい……」
あたしはすぐに近くにあったメモ帳に手をやる。望さんは、いい? と聞いてから、住所を言い始めた。
……街の、病院。救急指定の。
……どうして。
『美奈ちゃん、タクシーで来るんだよ。自分で運転しようなんて思わないで……危ないから』
どうして望さんがそんなふうに言ったのか、わからなかった。
どうしてそう言うのか。どうして……何が、あったのか。
『落ち着いて、よく聞いて。……拓が、事故った。危ないらしいんだ』
なんか、信じられなかった。
今すぐにでも目が覚めて、夢だったんだ怖かった、なんて言えそうな気がした。
さっきまで医者がいて、肺とかそのへんいろいろ強く打ってるとか、今夜が峠だとか、いっぱい言ってたけど、あたしは全然憶えてない。
あたしはただ、拓の枕元に、呆然と立ちつくすことしかできないでいた。
「……美奈?」
微かな声。目が覚めたらしい……。
「拓……大丈夫?」
「わかんない……まだ、麻酔で身体が、麻痺してるし」
「そっか……」
ひどく曖昧な頭で、それだけを言う。
「ねえ、拓……」
あたしは拓に顔を近づけて、聞く。
「あたし、拓と初めて逢ってから、変わったかなあ?」
自分でも意識していなかった、問い。
「そうだね……変わったと、思う。詞が、幸せになったと思う……」
「拓のおかげだよ。拓が好きだから、だからあたしは幸せでいられるんだよ」
拓がいるから。ただ、それだけで。
……拓は、ふっと笑ったようだった。
「……美奈、三塚さん来てる? 呼んでくれない?」
「わかった……待ってて」
あたしはそう答えると、ゆっくりと――ひどく、ゆっくりと、病室を出る。ドアの一歩手前で振り返りそうになったけど、そうしたらきっと離れられなくなるから……無理矢理、廊下に出た。
振り返らなかったことを、いつか後悔すると……そんな気が、しながら。
病室を出た廊下には、望さんたちみんながいた。
「望さん……拓が、呼んでます」
あたしがそう言う声を、どこか遠くで聞いてるようだった。望さんが、わかった、と言って病室に入っていくのも……全て、遠くであったことのようだった。
「美奈……大丈夫?」
宏伸くんの声。頷くことしか、できなくて。
「とりあえず、座って」
雅樹さんに促されて、座った。
背中に添えられた手が、震えていた。
みんなして、一生懸命、冷静でいようとしてるんだ……。
「大丈夫だから……絶対大丈夫だから……っ! あいつがこんなとこで……こんなことで……っ!!」
宏伸くんが、声を押し殺して言う。その、声が、震えていて。
……泣きそうになる、
ここは哀しくて、痛い。
どれくらいの時間がたったのか、わからない。
短かったのか、長かったのかさえも。
ガチャッ、と荒々しくドアが開いて、みんな一斉に顔を上げた。
「……拓が」
望さんからの言葉は、それだけだった。
それだけで、通じた。
あたしは弾かれるように、病室の中に駆け込んだ。
「拓っ!?」
返事が……ない。
静かに……まるで眠っているように、閉ざされた瞳。
「拓……拓? ねえ、起きてよ……目ぇ覚ましてよ! 酷いよ……まだ何も……まだ何も聞いてないのに……っ!!」
酷い。酷いよ。こんなのって……こんなことって!
(まだ、なにも)
(全てがこれからなのに)
「ねえっ、拓ってば……っ!!」
流れてく涙にさえあたしは気づかず、ただひたすらに拓の名前を呼んだ。
それしか、できなかった。
とりあえず、ってことで、雅樹さんの車であたしの家に集まった。
あたしはまだ、信じられずにいた。
だってまだ一ヶ月たってない……拓と知り合ってから。
それくらいの時間しか、共用してない。
……信じられなかった。
「拓からの伝言が……いや、お願いが、あるよ」
沈黙を切り崩したのは、望さんだった。
「拓が歌えなくなったら、代わりに美奈ちゃんに歌って欲しい、って」
「……嘘……」
拓が? 歌えなくなる?
そんなことがあるなんて……信じられない。
「それが拓の望みなんだ。美奈ちゃんじゃなきゃ、駄目なんだ」
あくまで望さんは冷静だった。
「どうして……?」
「え?」
「どうしてそんなに冷静なんですか? まるで拓がいなくなっても平気みたいに……っ!」
やつあたり……だ。自分でもわかっていながら、言葉を止めることができなかった。
「哀しいのは美奈だけじゃない」
「……」
静かだけど厳しい声で……望さんに、言われた。美奈って、呼び捨てにされて。
「考える時間ならあげるよ。……いい返事を待ってる」
考える時間? そんなものは……。
「要らない、です……。拓が望んだことなら……あたしでいいなら、やります。他の誰かが代わりに入るなんて、嫌だ」
急に、頭が冴えてきたようだった。あたしは、自分がなんでこんなにきっぱりと返事をしているかもわからないまま、ただ正直な気持ちを伝えた。
「じゃあ、明日から練習ね」
「え……明日から、って」
「追悼ライブ。してやんなきゃ、可哀想でしょ?」
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