10.
そういえばあたしは、拓の実家がどこで、両親とかどうしてるのかとか、全然知らなかった。
拓のこと、何も知らなかった。
ただ、聞こえてくる『音』が全てだったんだ。
雅樹さんに迎えに来てもらって行ったスタジオでは、望さんがシンセサイザーを前に考え込んでいるようだった。
「あいつの音出すのは難しいな……」
ぼそっと呟く望さん。
「……ギター?」
「そう。だって他の人を入れたくないでしょ?」
だから打ち込みにするよ、って。
簡単に言うけど……それが、難しいんだ。
誰も拓の代わりにはなれないから。
「そういえばねえ……あいつ、結構曲を作っていたみたいでねえ……それに歌詞のっけてみない?」
シンセサイザーをいじりながら、望さんが言う。
曲に、詞を。
はっきり言ってあたしはそんなことしたことないけど。
「頑張ります」
それだけ、答えた。
きっと、拓の曲になら、つけれる。
イマジネーションが広がってく。
だから、できる。
「じゃあ、MOONから流してみるね」
ギターの音を加えたその曲を。
ああ……拓の音だ……。
けど、もう泣かない。泣かないと、誓ったから。
――哀しむよりも、愛しむために。
一体何処まで走って来ただろう
気がつけば 今は独りで
逃げることで変わるものなんて
ひとつもありはしないのに
交わした指先が 擦り抜けていく
あてもないままに 彷徨っていた
見つかるものは 何もなくて
月明かりだけを頼りに 今は
ただ 信じることしか出来ないでいた
一体何処まで歩いて来ただろう
気がつけば 誰もいなくて
独りになって変わったことは
時間の使い方だけで
夢でさえもいつか消え失せていく
あてもないままに 彷徨っていた
欲しいものさえ 何もなくて
この場所から見えるものは
月と星たちの光しかなかったから
あてもないままに 彷徨っていた
見つかるものは 何もなくて
月明かりだけを見つめて 今は
それでも歩くことを やめられなかった
それでも走ることは やめられなかった
「なんだか……あいつが美奈ちゃんを、って言った理由がわかる気がするな」
一通り歌ったら、望さんが感心したように言ってくださった。
「でもあたしはわからないんですけど」
「いい声してるよ」
「あいつとは違うけどそこがまたいいよね」
雅樹さんと宏伸くんも言うんだけど。
あたしは拓のボーカルが凄く好きだったから、自分自身で納得できない。
「あいつのと比べちゃ駄目だよ。美奈ちゃんには美奈ちゃんの武器があるんだから」
あたしの、武器。
あるとしたらそれは……詞の理解力なんじゃないのかな。
……詞が。あたしの武器だから。
「望さん、あのっ!」
「なに?」
「お願いが! あるんですけど……曲ひとつ増やしてもらえないですか!?」
「ええっ!?」
「詞を書くから……曲を、つけてもらえたら」
「書くからって……これから?」
「今」
あたしは短く答えると、鞄の中からノートを取り出して、ものの十分ほどで詞をひとつ書いた。
「……あいつの作曲並に早いよな」
……これは……呆れられてるんだろーか?
だけど、どうしても歌いたかった。
『拓に捧げる歌』を。
「いいよ……俺も、人の詞に曲をつけるのは初めてだけど、明日には練習できるようにするよ」
望さんがそう言って、それで今日の練習は終わりだった。
家に帰って電気をつけようとしたら、そこであたしの力は尽きたようだった。
ぺたり、と床に座り込む。
「……っ!」
拓、と。
名前を呼んでも返事はもう二度と返ってこない。
誰も言わなかったけど、今日の練習では誰も……本当に誰も、拓の名前を呼ばなかった。名前を、出さなかった。
それが優しさなのかどうかは、知らない。
拓の不在を思い知りたくなかったのかどうかも。
――だけど哀しみは、時間がたつほどに重くのしかかってくる。
「大丈夫……みんなの前では泣かないから……」
だから、今だけは。
「拓……好きだよ……愛してるよ……拓」
想いが、どこかにいる拓に届けばいい、と。
祈った。
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