2.
キャパシティが百人弱のホールの、後ろの方にあたしは座る。そのホールの前の方は、いすを取っちゃってる。完全に立ちっぱなしの人用、だ。でも、あたしは立たないから。どんなに回りの人たちに変な目で見られてしまっても、ずっと座っててやる。本当にいい音なら、座ってたって伝わる。
開演時間より五分遅れて始まったSKYのライブは、なかなかのものだった。
驚いたことに、あのCD屋での彼は、ボーカル兼ギタリストだった。
SKYのメンバーは、四人。ボーカル兼ギターと、キーボードとベースとドラム。みんな、かっこいい人たちだ。
ライブの構成も、なかなかのものだった。アタマっからバリバリの曲だった。喧嘩売ってるような、ドラムから始まる。それで全部の音がまとまって……極めつけは、声だ。澄んだよく通る声で。そのくせ喧嘩売ってくるような回りの音に負けてなくて。ピンと張った銀の糸で切りつけられるような、そんな感じ。
凄い、よ。確かにね。
『疲れたから、バラードいっていい?』
……堂々とそんなこと言っちゃうんだもんなあ。
で、こんな喧嘩売りまくりの音でどういうバラードになるんだろうとかって思ったら、実はめちゃくちゃ優しかった。
本当に休むって感じの。『疲れたから』。確かに。ほんのちょっと昔の……一〜二年くらい前のアルバムを開いて見るような、そんな感じ。哀しかった過去をやっと浄化出来たっていう、そういう詞。思い出話をしているような、そんな愛(かな)しい曲。
『今までのは全部うちのキーボーディストが作詞作曲してたんだけど……』
バラードが終わったあとのMCで、彼はそう切り出した。
『次のは……今日最後の曲だからちょっとテレくさいんだけど、俺の作った曲です。詞も曲もってのはなかなか難しかったんだけどね……』
彼はそう言うと、約束、と呟くようにタイトルを口にした。
静かな曲。
ずっとずっと愛してる なんて
言うのはすごく簡単だけど
ずっとずっと愛し続けてくなんて
すごく 難しいね
幼い頃に交わした指切りを
まだ 今も憶えているけど
大人になるたびに捨てたものの数
数えることもやめてたけど
壊されたことを嘆くよりも
何度も 何度でも 約束をしなおそう
譲れないものが 確かにあるから
ずっとずっと側にいる なんて
言うのは すごく簡単だけど
ずっとずっと側に居続けてくなんてこと
すごく難しいね
幼い頃に交わした指きりは
まだ今も 憶えているけど
約束は永遠だと信じてた頃
大切だったものは いつか
指先を擦り抜けていったけど
何度も 何度でも 約束をしなおそう
永遠なんて どこにもないから
大人になるたびに捨てたものの数
数えることもやめてたけど
壊されたことを嘆くよりも
何度も 何度でも 約束をしなおそう
譲れないものが 確かにあるから
「……どうしたの?」
いきなり目の前に顔が現れる。あたしは三秒程してから思いっきり後ずさった。
「よかった。目を開けたまま寝てるのかと思った」
そう言ってにっこりと笑ったその人は……キーボーディストだ。SKYの。
「三塚さーん、打ち上げどこにするんですかあ?」
いきなりかかる声。この声は……もしかして。
「拓んちに決まってるだろ」
三塚さん、というんだ、この人。……って、そうじゃなくて。
「早く帰ったほうがいいよ。夜道は怖いおにーさん方がいっぱいだよ?」
何かわけのわかんない忠告をして、三塚さんはステージの方へ行く。後片付け……らしい。
……いつの間に終わったの?
「あれ……おねーさん」
そう言って、彼は……SKYのボーカル兼ギタリストさんは、あたしの目の前までやって来る。
「あ、やっぱり。CD屋で逢ったおねーさんでしょ。来てくれたんだ、ありがとう」
あたしはじっと彼を見たまま無言でいた。
「もしかして俺のこと待ってた? いやあ、テレるなあ」
とか何とか、彼はわけのわからないこと言って。
「……あのー、何か喋んない? 黙ってられるの、空しいんだけどさ」
果てに、そんなふうに凄く困ってて。
何、言えばいいんだろう。
「えっと……」
何か考えて言おうして口を開いた、その刹那。
「え……!?」
彼が、凄く驚いたように声を出す。
「お、俺、何か悪いこと言った!?」
ああ……駄目だ。駄目だ。
こんなふうに、泣いたりしちゃ。
「ち……がうの。何でもないの。ごめんなさい。でも……」
涙が、止まらない。
どうしてかは、あたしにもわからない。
瞬きをするたびに、目からぱたぱたと涙が落ちてく。どうしよう。どうしよう。どうしよう。
「拓、なに女の子泣かせてんだよ」
三塚さんがやって来て、彼にそう声をかける。
ああ……拓って、彼のことだったんだ。
……って、だからそうじゃなくて。
「違うんです……違うんです。本当に。ただ……」
凄かったから。曲が。抜け出せなくなる程に。
「あのね、ここ片付けたらこいつんちで打ち上げやるんだけどさ、時間大丈夫なら、君も来ない?」
そう言いながら三塚さんはポケットからハンカチを取り出して、あたしに渡す。
優しい人、だ。やっぱり。
「……いいんですか?」
あたしはお礼を言いつつハンカチを受け取ってから、そう訊く。三塚さんは笑顔で頷いた。
「決まり、だね。すぐに片付けるから、ここで待ってて」
三塚さんはにっこりと笑ってそう言うと、拓を連れてステージの方へ行く。でも途中でいきなりあたしの方に戻って来た。一人で。
「帰りはちゃんと拓に送らせるから、心配しなくていいからね」
三塚さんはそう言うと、ポンポン、と軽くあたしの頭を叩いて、またステージに戻る。 慰めて、くれたんだ。きっと、あたしが泣いてたから。
ステージにはいつの間にかほかのメンバーの人たちも来ていて、片付けを始めてた。三塚さんがステージの方に行くと、チラッとあたしを見ながらその人たちと話をする。きっと、あたしのことを話してたんだろう……内容は、聞こえなかったけど。
実際ライブの後片付けはすぐに終わった。なんて言うか、凄く手際がいいんだ。指揮を取ってたのは、三塚さんらしかったから、きっと三塚さんがバンドリーダーなだろう。
「ごめんね、待たせちゃって」
三塚さんはそう言って、あたしを迎えに来た。
「あの……本当にいいんですか? 打ち上げにあたしついて行っちゃって……」
あたしは三塚さんのあとについて行きながら訊く。
「ああ、気にしない気にしない」
三塚さんはからからと笑いながら言う。
「男ばかりで飲むより、可愛い女の子がいてくれたほうが楽しいでしょ?」
三塚さんは簡単にそう言って、ちょうど来たエレベーターに乗り込む。あたしはそれについて行った。
この人は……三塚さんは、凄く優しい人だ。喧嘩売ってるようなバリバリの音作ったりするけど、だけど優しい人だ。人にたくさん気を遣ってて、優しくて……冷たくて。でも、いい人だ。きっと。
音を聴けば……曲を聴けば、わかる。
それくらいのこと。
「あのね……俺がこんなふうに言うのも変だとは思うんだけどね」
三塚さんは言いにくそうに、そう切り出す。あたしは三塚さんを見上げる。三塚さんはあたしをまっすぐに見て、続けた。
「俺らのライブは、まだ涙を流す程凄いものじゃないんだよ? まだまだこれからなんだから……これから、もっと凄くなっていくんだから」
だからね、と言って、三塚さんは優しい笑みを浮かべた。
「こんなんで打ちのめされてたら、これからはついて来れなくなっちゃうかもしれないよ?」
こういうことを言っちゃうから……言えちゃうから、この人は。
「それでも……もう離れられないです。あたしは……いくら壊されても、きっと……。
もう、見つけてしまったから」
知らなかった頃には戻れないから。
「本当は、バラードまでなら泣かずに済んだんだと思うんです。こんなこと、三塚さんに言うことじゃないと思うんですけど……。勿論、三塚さんの曲も凄く好きなんですけどね」
「拓の曲の方が、良かったんだ?」
三塚さんは笑みを崩さずに言う。あたしは思わず恐縮してしまった。
「仕方ないよね、それは。個人の趣味だからね。それ、拓に言ってあげなよ。喜ぶよ、あいつ」
エレベーターが一階で止まる。開いたドアから三塚さんが出て行き、そのまま裏の方へ進む。
傷つけた……かな。やっぱり。
「あの、三塚さん……っ」
立ち止まって声をかけたら、あたしより五歩くらい前にいた三塚さんは、そこで立ち止まって振り返ってくれた。
「何?」
「あの……ごめんなさい」
あたしには、それしか言えなかった。それに続く言葉が出て来なかった。
三塚さんは微かに溜め息をつく。短く。そしてあたしの目の前まで戻って来る。ポン、とあたしの頭の上に三塚さんは手を置いた。
「いい子だね、君は」
そう言って三塚さんは変わらない優しい笑顔を見せてくれた。
裏口を出ると、そこにワゴンと普通の車が止まっていた。普通の車は、若葉マーク付きだ。
「三塚さん、誰がこっちに乗るんですか?」
彼が、車の中から訊いて来る。普通車の方。
「そっち行くかい?」
三塚さんがあたしに訊いてくる。
「……えっ!?」
あたしは思わず訊き返してしまう。三塚さんはそれに構わず彼に、彼女がそっち行くよ、と伝えた。
……あのー、とっても嬉しいんですけど、初心者の運転はちょっと……いや、あたしもそうなんだけどね。
「安全運転だから、大丈夫だよ」
彼はあたしがとりあえず助手席のドアを開けると、そう言った。
「……信用することにする。で、怖くなったら車乗っ取るから」
「免許持ってるんだ?」
「今年の四月に取った」
「俺のが一カ月早いな」
彼が自慢気に言う。……何を自慢してるのだろーか。
「あ、そういえば俺さ、おねーさんの名前まだ訊いてなかったよね」
彼はワゴンより先に車を走らせてそう言う。
……今頃訊く彼も彼だけど、今まで言わなかったあたしもあたしだよなあ……。
「春日美奈、十八歳。現在一人暮らししながら専門学校に通ってます。よろしく」
あたしが自己紹介すると、彼は、へえ同い年なんだあ、と呟くように言った。
何となく想像はしてたけど、同い年に向かって『おねーさん』呼ばわりするこの人ってば……なんだかなあ……。
「俺は文月拓、同じく十八歳。陰暦でいう七月の、文月って書いて、ふづき。俺も一人暮らししてるんだ。一応、社会人」
「文月って、ふづきとも読めるんだ? 知らなかった」
「どっちでも言ってるみたいだよ。ふみづきのが一般的かもしんないけど」
「へえ……」
うん、なかなかいい名前かもしれない。気に入った。
「文月くんって……」
「拓でいいよ」
「んじゃあ、拓って、詩を書いたの初めて?」
「……いきなりだね」
拓はそう言って苦笑いする。うーん、確かにいきなりだったかもしれない。
「何度か書いたことはあるよ。もっとも、実際に唄ったのは初めてだけど」
ふーん……どうりでMCでテレてたわけだ。
「気に入ってくれた?」
拓は明るく訊いてくる。……ここで言ったら焦るかなあ。
「うん。泣いちゃうくらいに」
何だかんだ言って、あたしはしっかりと暴露してしまう。
それから、約三秒後。
「……ええっ!?」
拓は驚きの声をあげて、あたしの方を見る……って、ちょっとっ!
「拓! 前見て運転してっ」
「あっ……ごっ、ごめんっ」
言いつつも拓はちゃんと前を見る。そして、ちょうど黄色になった信号を見て、静かに止まった。それから、おもむろに一言。
「…………ああ驚いた」
驚いたのはこっちだああっ。
「そっかあ……じゃあ、美奈泣かせたのって俺になるんだあ。責任、取んなきゃね」
「う……っ」
うきゃあああッ! そういうのってそういうのってえッ!
…………言っててテレないのかっ!?
「どうしたの?」
拓は唸ったまま黙ってるあたしを見て、不安気に声をかけて来る。
「……あんでもない」
落ち着くんだっ。とりあえず落ち着くぞっ。拓はきっと話の流れで何となく言っただけなんだっ!
「それにしても、そこまで気に入ってくれるのも、悪い気がするよね。なんか、騙してる気分」
だ……騙してる気分って……。
「拓って、嘘つきなんだ?」
「いや、嘘つきってわけでは……」
さすがに拓は、これには苦笑いで返す。もっとも、拓が嘘つきだなんて思っちゃいないが。あたしは。
「ていうよりさ、例えばこうやって美奈と話してる言葉と、歌詞で言っていることっていうのは、全然違うと思うんだよね」
「……同じだったら怖い気もするけど」
「え、何で?」
拓に訊き返されてあたしは返答に迷ってしまう。どう答えたらわかってもらえるんだろうか……。
「こうやって普段話したりしている自分は少なからず飾ってたりするものがあるじゃない? 色々考えたりして、こうしたいんだけど全体のこと考えたりしたらあっちのがいいかも、とかいう制限もあったりするし。でも、詩は飾ってない本音だからね。そういうこと。……わかった?」
あたしがそう訊くと、拓は関心したように、へええ……、と呟いた。
「実は結構鋭かったりするんだね」
という拓の科白からして、わかってくれたらしい。
あたしはそれで少しだけ嬉しくなって、思わずすんなりと言ってしまったのだった。
「あたしも詩を書いてるからね」
言い終わった三瞬程あと、いきなりヴォンッと音がした。
「あ、やばっ」
『やばっ』じゃないよおおっ! 今エンジンふかしたっ。絶対にふかしただろおっ! 一瞬だったけどっ。アクセル思いっきり踏み込んだ!!
「………………ああびっくりした」
びっくりしたのはこっちだってば! ……もう怖いよう。もう絶対驚かすようなこと言うのやめよう……。
「それならわかってても当たり前だよね。今度読ませてね」
「……いいけど」
いいけど、見せる程のもんじゃないと思うんだけどなあ。まだまだ全然下手だし。目指してる場所にも、手はまだ届いてない。悔しいけど。そもそも、あんな詩を書く人に見せろってのはすっごく酷だと思うんだけどなあ。
あたしはそんなことを考えながら、窓の外を眺める。
(……あれ?)
ここって、あたしんちのすぐ近くだ……。歩いて五分くらいの。あたしがそれを拓に言おうとしたとき、道の途中で拓は車を止めた。
「着いたよ」
ちっちゃいアパートの入口のところで、拓はそう言う。
「車庫に入れて来るから、そこんとこで待ってて」
あたしはそれに素直に従って、車から降りる。すぐ後ろからはワゴンが来て、路肩に車を止めていた。……でも確かここって駐車禁止ではなかったろうか……。ま、点数取られるのはあたしじゃないからいいけど。ワゴンから、三塚さんたちが降りて来る。そのまま三塚さんはとことことあたしの方までやって来て、一言。
「車の中は楽しかった?」
………………。
「とおおっても楽しかったです。よそ見はするわアクセルふかすは……寿命が三年程縮むくらい快適でしたよ」
「…………そりゃあ楽しいドライブだったね」
ははは、と三塚さんはから笑い。ついでにぼそっと、乗ってなくて良かった。
三塚さーんッ。他人事だからって……他人事だからってーッ。
「……何を独り占めしてんだかね、コイツは」
「八方美人は嫌われるよ、のぞみちゃん」
声と共に三塚さんの背後からはえて来るのは、ドラマーとベーシストのおにーさん方。
の……のぞみちゃんって……。
「その呼び方はやめなさいって……」
三塚さんは溜め息交じりに反論する。
「それに最初に声かけたのは俺なんだし……」
「言っときますけど、今日のライブに誘ったのは俺ですから」
いきなり拓が三塚さんの言葉を遮って言う。いつの間に来たんだか……。
「うわー、たっくんってば生意気ぃー。いっちょまえに口説いたりなんか……」
「してませんって! ……佐山さん、そんっなに家に入りたくないんですか? 折角秘蔵のヘネシーを出そうと……」
「さ、行こうかたっくん」
か……変わり身の早い……。飲むまえから酔ってんじゃないだろうなあ。
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