SKY −手の届く場所−

   5.

 気がつくと目の前に眠っているはずの人影はなかった。……え?
 はっとして立ち上がったら、足下にぱさっとブランケットが落ちた。いつの間にこんなのがかけてあったんだろう、あたしに。
 五時半までは、記憶がある。うん、それは確かだ。で、今は何時だ……?
 あたしは腕時計に目をやる。そのとき、ふと気づいた。あたしの横に置いてあったはずの、氷水入り洗面器がない。今は、七時。
 空白の一時間半。その間に拓が起き出したことに間違いはなくて。
「――拓っ」
 あたしは拓を捜して部屋を出る。その姿はすぐに見つかった。つまり……キッチンに、いたわけで。
「あ、おはよう」
 散々心配させた張本人は、実に爽やかな顔でフライパンを持っていた。……おい。
「熱はっ? 大丈夫なのっ?」
 たたみかけるように聞いた言葉に、拓はもの凄く爽やかな顔で、
「おかげさまで、ばっちり」
などと言って、挙げ句の果てにVサインまで出してくださった。ああ……。
「結局一晩中いてもらっちゃって、ごめんね」
「それはいいんだけどね……」
 なんたってあたしは一晩中幸せな気分だったし。
 ……なんて、とてもじゃないが言えない……。
「まあ、お詫びに朝御飯食べてってよ」
 そう言って拓はフライパンの中のを皿に移し、それをあたしに持ってくる。それとほぼ同時に、チンッ、という音。
 拓はあたしの前に皿を置くと――ちなみにここの家のリビングには、テーブルなどという立派なものはない――もう一度キッチンに戻って、いい具合に焼けたパンとマーガリンを持ってきた。最初の皿の中身は、ベーコンと目玉焼き。拓はもう一回キッチンへ行って、紅茶の入ったマグカップを持ってくる。
 かくしてあたしの前の床には、イングリッシュブレックファーストがふたり分そろった。
「今日はちょっと豪勢にしてみました」
 拓はそう言うと、フォークを渡してくれる。あたしはそれを受け取りながら思わず、
「普段の食生活が伺い知れるってモンだよね……」
と言ってしまう。
「あ、やっぱり? 大抵パンだけとか、ラーメンとかだったりするんだけどさ」
 拓はあっさりとそう言うと、目玉焼きを食べながら、ああうまい俺って料理もうまいんじゃん、などと言う。果たして目玉焼きは料理の内に入るのだろうか……。いや入るんだな、入るんだということにしとこう。うん。
 あたしは何とか自分に言い聞かせながらパンにマーガリンを塗っていたら。
「みーなちゃん」
 はふはふ言いながら目玉焼きを食べていた拓が、何だかいきなり妙な声を出してきたから、あたしは思わず聞こえなかったふりをしてしまおうかと思った。けど、さすがに朝御飯を食べさせていただいている身分ではそんなことが出来るわけがない。一宿一飯の恩義ってやつだよ。……なんか違うけど。
「なんでございましょーか、たっくん」
 あたしも対抗して言ってやったのに、拓はもうバリバリににこやかな笑顔で。
「俺のにも塗って?」
 などと言いやがった……もとい、おっしゃった。やれやれ。
 あたしは仕方なく(実はこれはこれで幸せの続きだったりもしたんだけど……いやいや)拓のパンにマーガリンを塗りつつ、溜息をひとつつく。
「どうした?」
 拓が不思議そうに聞いてくる。
「いや……ただ、拓の頭が高熱のせいで壊れたのかなあ、と思って」
「えっ、俺いつもと違うっ?」
「違うっていうか……なんか、可愛い。お子さまみたいで」
 この歳の男に向かって可愛いも何もあったもんじゃないが、しかし。やっぱり可愛いものは可愛いんだ。
 拓はそんなあたしの言葉にムッときたふうでもなく、
「そう? 母性本能くすぐるって感じ?」
と聞いてくる。
「うん、そんな感じ。あーあ、きっと昨日のライブを見てた子たち、拓にこんな一面があるなんて知らないんだろうなあ」
 あたしももしかしたらその一員だったかもしれない、なんてことは当然の如く考えない。今はもう知っちゃってるんだから、そんな考えは意味がない。
 あたしは丹念にマーガリンを塗りこんだパンを拓に渡す。拓はとっても嬉しそうにそれを食べるもんだから、それを見ていたあたしももう凄く嬉しくなってしまった。我ながら単純だなぁ……。
「あ、そうだ。昨日宏伸くんから電話来てね、カラオケの話したら、朝一で電話よこせって言ってた」
「カラオケ……?」
 拓は呟くように聞き返して、考え込む。それから悩むこと数十秒。忘れてるんじゃなかろーかこの人は、って思ったときに、拓はわざわざパンをくわえて両手を空けてから、ポン、と手を打った。おいおい……。
 それから拓はくわえたパンをついでにそのまま食べて、それを紅茶で飲み下して、それからおもむろに言った。
「そーいえば熱下がったら行こう、って言ってたよね」
 今思い出したよ、と拓はあっけらかんとして言う。やっぱり忘れてたのか……。
「で、佐山さんは『朝一に』って言ったわけね?
「うん」
「ふーん……朝一ねえ……でもまぁ、まだ寝てるよなあ」
 拓は時計を見つつ言う。そりゃあ普通は寝ているでしょう、日曜の午前七時半なんて時間には、さ。
「でもいーや。モーニングコールしちゃえ」
 おいおいおいっ。
 だけど止める間もなく、拓はプッシュホンを押し始める。
 ああもう、こんなときの行動は早いんだからなあ……。
 拓はわざわざスピーカーフォンにして、電話してる。コールが何度も鳴る。
 コールがとぎれたのは、あたしがそろそろやめなよ、と言いかけた、実に三十回ものコールが終わったときだった。
『……はい』
 いつもよりも低めの、不機嫌そうな声。拓は何を思ったか、あたしに受話器を押しつけてきた。……えええっ!?
 あたしに何を言えというんだこの不機嫌そうな声にむかってっ!
『もしもしー?』
 電話の向こうの声が、ますます不機嫌になる。拓はただそれをにこにこした顔で聞いている。ああもうっっ。
「おはよう、ダーリン。いい朝ね」
 いくらモーニングコールだからと言って、こんな科白を口にしちゃうあたり、あたしも楽しんでいるのかもしれない。実は。
『――ええっ、美奈ちゃんっ!?』
 一瞬の後に、宏伸くんが驚いた声を出した。拓は隣で声を殺して笑い転げている。まったくこの人は……。
『え、何でこんな朝早くに……あれ、俺電話番号教えたっけ? 何かあったの?』
 宏伸くんはよほど驚いたらしく、言葉の順番がバラバラだ。アタシはそれに答えようとして、だけど横から拓に受話器を取られてそれは叶わなかった。
「おっはよう、ダーリン。いい朝ねっ」
 …………なんなんだこの人は。やたらハイだぞ?
『拓ちゃんー? え、なんで? まさか今までずっと一緒だった?』
「そーなの、拓が朝まで眠らせてくれなくて……」
 あたしは拓が持ってる受話器に近づいて言うと、拓はそのままの状態でくすくすと笑っていた。
「だって美奈が帰らないから……」
 おいおい、人のせいにするか、そうやって?
 ちなみにこの科白は、実状を知らない人が聞けば誤解するんだろうけど。あたしたしは当然それをわかっていて言っていた。
 案の定それにはまった宏伸くんは。
『拓……おまえ、いくら熱があるからって……』
と、半ば真剣な声で言った。
「駄目だよ、宏伸くん。拓を怒らないで。あたしが帰らなかっただけなの」
 あたしは少し哀しげな声を作って言う。拓はそれを聞きながら、笑いをこらえてるみたいだった。
『だからって……』
「いいの。だってあたし、あたし……」
『美奈ちゃん……』
「あたし、拓の寝顔見てただけだからー」
 あたしはそれまでの声とはうってかわり、おちゃらけたように言う。
 そして、――隣で笑い転げてる拓を除いて――数秒の、沈黙。
『……もう誰も信じない』
 ぽつりと呟いた宏伸くんの言葉は、なかなかに笑かしてくれた。宏伸くんには悪いけどさ。
「まあ、そういうことで、十二時にいつものカラオケ屋で。いい?」
 拓は散々笑った後で、簡潔に用件を述べる。
『はいはいわかりました。みんなにも伝えておきます。じゃーね美奈ちゃん、またあとで』
 宏伸くんはそう言うと、拓に何も言わせないタイミングで電話を切る。拓はゆっくりと受話器を戻してから……一言。
「俺の存在はー?」
 諦めな、拓。電話はもう切れてるんだからさ。

「さてと。あたしはとりあえず一度帰るね」
 ゆっくりと朝御飯を食べてお礼とばかりに茶碗洗いを終えてから、あたしが拓にそう告げたのは、午前八時半の事だった。
「あ、じゃあ送ってく」
 拓はそう言ってくれたけど。あたしはその申し出を丁重に断って――だって病み上がりの人間にそんなこと頼めるはずがない――一人で帰路についた。
 日曜日のこんな時間に外を歩いている人はいなくて、外は嘘のように静かだった。
 大きな通りからは少しはずれているからかな。
 とりあえず、家に帰ったら、仮眠を取って。拓が車出すから十一時半くらいまでに家に来てって言ってたから、十時半くらいに起きて速攻で支度して、十一時二十五分に家を出よう。ということはつまり、二時間近く眠れるな……。
 あたしは家に着くなり目覚ましをセットして、そのままの恰好でベッドに潜り込んだ。


 目覚ましの音で飛び起きたあたしは、一瞬なんで鳴るんだっ、と言おうとしてしまう。そう言えば自分でセットしたんじゃん、ばっかだなあ……。
 それにしても、眠い。頭がうまく働かない。
 あたしはぼーっとしたまま、シャワーを浴びに行く。目を覚ますために少し熱めにしたシャワーは、ほんの少しだけだけど、眠気を追い払ってくれる。
 あまり時間がないから、と手早くシャワーを済ませてから、時計を見ると、午前十一時だった。あと二十五分で着替えて髪乾かして歯を磨いて……。
「なーに着てこーかなぁ……」
 あたしはバスローブに身をくるんだまま、リビングの椅子に座り込んで考える。けどまあ、悩むほど服を持っているわけではないし。お気に入りの服だって、とりあえずあるし。適当に着る服を選んでおいてから、あたしは髪を乾かしに行く。
「……や、先に歯磨きしよう」
 ……独り暮らしの難点は、独り言が多くなることかもしれない。
 あたしはやっぱりぼーっとしながら歯を磨く。
 うー、仮眠しなきゃ良かったかなあ。眠気が抜けないなあ……。
 ぼーっとしながら歯磨きを終えて、ぼーっとしながら髪を乾かして、ぼーっとしながら時計を見たら……さすがにもう、ぼーっと出来なかった。
 十一時二十分。
 着替えてないのにぃ!
「せめて髪が短ければもう少し早く支度が出来ただろうにっ」
 あたしは急いで着替えながら、ぶつぶつと文句を言う。
 あたしの髪は背中の半ばくらいまでのロングで。好きでのばしてるんだから、仕方ないと言えば仕方ないんだけどさ。
 結局あたしはものの五分で着替えを済ませて、鏡で全身をチェックすることも忘れず、
十一時二十五分きっかりに家を出た。本気を出せばこんなもんよ、ふふんっ。……まあ、最初からテキパキとやってれば焦る必要なんかなかったんだけどさ。
 それで、ああ眠いなー、と思いつつひたすらぼーっとして歩いていたあたしは、いつの間にか拓の家に着いてた。そのドアの前まで来て、ふと我に返って。
「……おおっ!?」
 いつの間にここまで来たんだっ? ……と思ってしまうほど、つまりあたしはぼーっとしまくっていたらしい。
 まずいなぁ、この5分間の記憶すらない……。
 あたしは今度は迷うこともなく、チャイムを鳴らす。
 それから、十五秒ほどの、沈黙。
 約束したくせによもや寝れるとは言わないだろーな、と不信に思いつつ、もう一度チャイムを鳴らそうとした、そのとき。
『はい』
 拓にしては低めの、少し不機嫌そうな声がインターホンから聞こえてきた。
「あ、拓? 美奈だけど」
 まさかインターホンから声が聞こえるとは思ってもいなかったけど――いや、それはそれでインターホンの意味がなくなるんだけどさ――とりあえずあたしは平静を保って答える。
『ああ、入って来て』
 拓はそう告げると、一方的にインターホンを切る。な……なんだあ?
「おじゃましまーす……」
 あたしは恐る恐るドアを開けて中に入る。けど、リビングに拓の姿はない。どこに行ったんだろう、と思った瞬間に、拓の姿は見つかった。
 つまり……シンセサイザーの前、で。
「何やってんの、拓……?」
 あたしは思わず聞いてしまったけど、答えなんて既にわかっていた。拓もそれに気づいているのか、うん、と言ったっきり説明はしてくれなかった。
 以前とは違って、ヘッドホンをしたりせずに、普通に音を出している。少し弾いてから、気に入らなかったのか、戻ってもう一度弾き始める。今度は、全然違う音で。それが何度か繰り返されて、目指す音のカタチが見えてくる。
 それが拓の――作曲の仕方、だった。
 他の人がどうやって曲を作ってるのかなんて知らないけど、拓の作り方は、あたしが詞を書いているときと大して違わないような気がした。「言葉」と「音」と、それだけの違いのような気がした。その違いが、本当は一番大きかったりもするんだけど。
 メロディーラインと、伴奏。それだけの、ごくごくシンプルな出来かけの曲。ギターもベースもドラムもはいってはいないんだけど。
 だけどあたしには、それだけでも充分だった。
 もうこの曲にハマってしまっていることに気づいてた。
 それから約十分後、拓はキーを押す手を止めた。
「さってと。行く準備しなきゃね」
 それは唐突な変化で、あたしは一瞬拓が何を言ったのかさえわからなかった。
 いきなり夢から覚めたような、そんな感じ。
「……え?」
 聞き返したのは、結構タイミングがずれていた。
「とりあえずメロディーは出来たしさ。これ以上やってるとみんな待たせちゃうし」
 ああ、そうか……これからカラオケ行くんだったっけ。そのために、ここに来たんだっけ。
「今のは、何?」
 何が聞きたかったのか、あたしにもわからなかったけれど。そんな口をついて出た疑問に、拓はただニッと笑みを浮かべて、
「まだ、秘密」
と言っただけだった。
『まだ』ということは、いつかは教えてくれるんだろうか。
 待っていても、いいんだろうか。
「さ、行こう」
 拓はそう言うと、チャリ、と音をさせて車のキーを手にする。
「あ、うん」
 あたしはつられるようにして立って、拓の後について玄関に向かった。
「車、車庫から出してくるからさー」
 拓は鍵をかけながら、そう言ってくる。
「入口んとこで、待っててくれる?」
「うん」
 あたしはとりあえず返事をして、邪魔にならないところに立っていることにした。
 でもなんかやっぱりぼーっとしているな、ってのは自分でもよくわかっていた。それはここに来る前までの、眠くてぼーっとしてるのとは全然違って。眠いのなんて、もう全部とんじゃて。
 頭の中で、曲がぐるぐる回っている。
 出来かけの曲なのにそれなのに耳の奥にやきついて離れない。途中からしかわからないのに。
 拓が車庫から車を出して、あたしの前に止める。あたしはその車に乗り込みながら、それでもまだ頭の中に聞こえている曲から抜け出せずいた。
「……?」
 あの曲の最初の方は、どうなっているんだろう。
「美……?」
 あの曲にギターやベースやドラムの音がのったら、どんな曲になるんだろう。
「……奈?」
 それで、拓の歌がついたら、どんな風になるんだろうか。
「おい、美奈ってばっ」
「え?」
 いきなりの隣からの大声で、あたしは我に返る。
 ……いや、いきなりじゃないかも。結構前から呼ばれてたような気が……。
「『え?』じゃないよ。さっきからずーっと呼んでるのにさぁ」
 拓が溜息混じりに言う。あああ……やっぱり気のせいじゃなかったのかあ。
「ごめんごめん。で、何?」
 あたしが誤魔化すように笑みを浮かべて聞くと、拓はもう一度溜息を短くついてから答えた。
「もうすぐ着くよ、って言おうと思ったんだけどさ。美奈、調子でも悪いのか? それなら無理につき合わせたりしないけど」
 ……ここまで来ておいて何を言う、とでも言いたくなる発言ではある。けど、心配されてると思うと、やっぱりちょっと(実はかなり)嬉しかったりも、する。
「全然平気だよ。大丈夫大丈夫」
「そうかあ? とか言ってる割にはさっきから何も喋らないしさ。
「それはぁ、隣に拓がいるから緊張しちゃてぇ」
 あたしがわざと語尾を伸ばし気味にして言うと、またしても拓は短く溜息をついた。
「なんか俺の隣に大嘘つきがいるー」
「えっ、どこどこっ?」
 間髪入れずにあたしがキョロキョロする振りをすると、拓は少し黙ってから、降参いたします、とボソッと言った。
「美奈には勝てないな」
 なんて、あたしを持ち前のマイペースで散々振り回している方が、何を仰るのやら……。
 拓の家から七〜八分ほどの場所にある、それなりに大きなカラオケハウスの駐車場に車を止める。大して広くはない駐車場には、他の車に紛れて見覚えのあるワゴンが一台止まっていた。このワゴンは実は雅樹さんの持ち物だって、以前に聞いたから、少なくとも雅樹さんはもう来ているんだろう。
「あ、もうみんな来てるんだ」
 拓はあたしと同じワゴンを見て、そう言う。けど、どうしてそこで『みんな』になるんだ?
 あたしがそう聞くと、拓は何を今更って顔をして、答えてくれた。
「三塚さんは車持ってないし、佐山さんは免許自体持ってないし、三人って割と近くに住んでるんだよ。……知らなかった?」
 そんな細かいとこまで知ってるはずないでしょーに。
 このカラオケ屋は、受付のフロント前にゲーセンがあって、中に入っていくと、三人はしっかりとゲームにハマっていた。年齢が違ってもやってることは同じなんだなぁ……。二十歳なんて、大人だとおもってたんだけどな。いや、大人はゲームやっちゃ駄目って言ってるわけじゃなくて……悪かったよぉ、どうせ偏見だよう。
「あっ、美奈ちゃんっ。ついでに拓ちゃん」
 宏伸くんが真っ先に気づいて、手を振ってくれる。あたしが手を振り返して近寄ってくと、その隣で拓がポツリと呟いた。
「俺は『ついで』かよぉ」
 いじけんじゃないの、拓。
「おはよう」
 隣の台で格闘ゲーム(あたしには、どれがなんのゲームかなんて全然わからない……)をやっている雅樹さんが、画面から目を離さずに言ってくる。
「おはようございます」
 あたしはとりあえずそう返事をするけど……もうすぐ十二時なんだけどなあ、昼の。別にいいですけどね、そんな細かいことは。うん。
「おっはよう、美奈ちゃん。夕べはよく眠れたかい?」
 雅樹さんの向こう隣の台に座っていた望さんが、にこやかに声をかけてくる。その台も格闘ゲームっぽかったから、いーのかなあ話してて平気なのかなあ、と思いつつ画面を見ると、なんとクリアしたあとの画面(エンディング、って言うのかなあ……?)だった。ああもう、あたしには信じられない世界だわ……。
「夕べは拓が眠らせてくれなくて……」
 あたしは今朝宏伸くんに言ったのと似たようなことを言う。拓は拓で笑いをこらえるかのように唇噛んでるし、宏伸くんは宏伸くんで、また言ってるよ、とでも言いたげな顔をしていた。だけど望さんと雅樹さんは宏伸くんみたく騙されてはくれなかったみたいで。
「ふーん、そうだったんだぁ」
「まぁ、責任は取れよ、拓」
などと二人して言う。ちなみに先のが望さんで、後のが雅樹さんだ。
「なんの責任を取れと……?」
 拓ががくっと肩を落として呟く。拓を抜かしたあたしたち四人は、くすくすと笑う。うーん、拓も結構遊ばれやすいのねっ。
「さぁてっと、十二時になったな」
 ブツブツと呟いている拓を後目に、望さんは腕時計で時間を確認してからフロントへ向かう。ゲームの途中の雅樹さんはどうするんだろう、と思ったら、わざとコンピュータに負けていた。百円、勿体ない気がするなあ……。
 望さんはさっさと受付で話を終わらせて、ちょっと広めの部屋をキープしていた。素早い……。
 あたしたちはその部屋へと移動する。
「おっれ美奈ちゃんの隣キープッ」
 宏伸くんは、ちょっと節をつけて言う。望さんが気をきかせてくれたのも相まって、あたしは拓と宏伸くんに挟まれるような形で座るハメになった。テーブルを挟んで向かいには、望さんと雅樹さんが座っている。
「美奈ちゃん何歌うー? 俺ねぇ俺ねぇ、ジャニーズいこっかなあっ」
「…………そうねいいかもしれないね」
 宏伸くんはいつになくハイになって言うから、あたしは少しだけ(じゃないかもしれないけど)呆れて返事したのに、それさえも宏伸くんには関係なかったようで。
「ほんとほんと? じゃあマジで歌っちゃうよ?」
と、宏伸くんはにこやかに言っていた。もぉ何でも歌ってよぉ……。
 そこまでハイテンションだと、最後までもたないよ?


 結局みんなどんな歌歌うのかなー、と思っていたら。
 なんと宏伸くんは本気で最後までジャニーズ系で通した。いや、嫌いではないんだけどぉ……あんなライブする人たちが、と思うとね。ちょっとね。別にいいんだけどさ。
 で、拓は新譜を中心に、カラオケの定番曲を歌って、あたしと曲の取り合いをしていた。いや、あたしもカラオケの定番をある程度クリアする人だから、レパートリーがほとんど一緒なんだよね。
 望さんは、数年前に解散したユニットの曲を一通り網羅していった。もっのすごく売れまくったわけでもなく、あまりテレビにでなかったそのユニットのことは、とりあえず知っている人が多く、例に漏れずにあたしも知っていた。
 それから雅樹さんは……あまり歌ってくれなかったんだけども。たまーに歌ってくれる曲は、なんと全て洋楽だった……。
「おいしいところ持っていきますこと……」
 というのは、望さんのお言葉だ。
 五人で行って、なんと六時間もいたんだけど。なかなか楽しかったその時間は、すぐに過ぎていった。あたしが歌っていた間、拓は曲を選ぼうともせずに、ただ黙ってあたしの歌を聴いていて、時々満足そうに頷いたりして、なんとなく怖かったんだけど。あれは絶対何か企んでいると思ったんだけど。でも、それを聞く機会がなくて、ただ不思議に思っただけで時間は過ぎていった。
「さああって、じゃあ拓ん家でも行こうか」
 カラオケ屋を出て、これでお開きかぁ、と思いきや、望さんが当然といった風にそう切り出した。
「……絶対言うと思ってたんだよなぁ……」
 拓がボソッと呟く。
 ご愁傷さま。




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