4.
――学祭初日終了。
後は帰るだけ、という段階になった時刻。
……元気いっぱいでいるのは、秘かにこの人たちだけなんじゃなかろーか、と思ったりして。
この人たち……勿論、SKYの皆さん。
だって! 今日一日中学校内歩き回って、しかも一時間に一度体育館に行ってカルトクイズ出して、その後すぐにまたどっかの教室行って、がずっと続いたんだよ!?
……なんでそんなに体力あるんだ……?
ちなみに、カルトクイズの全問正解者は、ひとりしかいなかった。
だって、難しいんじゃないのかなあ? 最後の問題。
『ボーカルは実は他のメンバーとはライブ会場でナンパされた。マルかバツか』
ナンパって……。確かに、情報によると、ライブ会場で声をかけられたことがきっかけで他のメンバーと知り合ったらしいけども。
……そうなんだよ、その言い回しのせいなのかなんなのか、全問正解者は……実はあたしなんだよ。
ちなみに、朝危惧されたあの行為――つまり、正解するたびにご褒美としてなでなでしてもらえるってーのは……ずっと続いた。おかげであたしの心臓は壊れる寸前まできてる。もういつ壊れてもおかしくないです、絶対。
(実は俺がナンパしたんだよね)
望さんが、こっそり教えてくれた。
(いいんですか、妻帯者がそんなことして?)
あたしが思わずそうツッコミ入れたら。
(なんで知ってんの?)
と、なんだか凄く嬉しそうに聞かれてしまった。ので。
(その指輪。違うんですか?)
と、ごまかした。
(ああ、なるほどね)
望さんは、とりあえず納得してくれたようだけど。
……違うんですか? も何も、最初から知ってたってば……。
ええもう今日は一日中こんなんでした。迂闊にしゃべれない、って思ってたのに、迂闊に色々しゃべっちゃった気がする……もの凄く。
今SKYの皆さんは生徒会室にて、明日の打ち合わせなんぞしてる。あたしはその間に、帰る支度を済ませて……これからお見送りあるんだよ、まだ……。
あたしは一息ついてから教室を出たら、そこに文月拓がいた。え? ええ?
「あ、準備できた?」
あたしを待ってたらしく、すぐにそう言ってくる。
「はい。って、あの、打ち合わせは?」
「もうあらかた終わったから、あたし迎えに来ちゃった」
文月拓は笑ってそう言って、なぜか教室に入って行った。
「あ、あの?」
あたしは面食らってしまって、そう声をかけた。ら。
「この教室にいたんだね」
ぽつり、と彼女が呟く。
「……」
誰がですか、って聞こうとしたんだけど。
なんだか聞いちゃいけない気がして、何も言えなかった。
だって……あまりにも、淋しそうで哀しそうだったから。
「あ、ねえ、この後何か用事あるかな?」
はいい?
「いえ、ないです、けど」
「そう。じゃあ、ちょっとつきあってもらえるかな?」
「はいいっ?」
今度は思わず声に出してしまった。つきあって、って……一体?
「うん、あたし拉致りにきたんだよね」
「…………」
拉致りにって。
誰を、どこに。
「はい、決定。行きましょう行きましょう」
ちょっと待ってえええええ……腕引っ張ってかないでええええ……っっ。
タクシーで。連れてかれたのは、学校からは結構遠いとこだった。市内だけど。
住宅街。なのは、わかる。
わからないのは、なんでこんなとこに連れてこられたかってことだ。
どこにでもあるような、アパートの一部屋に、連れてこられた。
でも、ここには生活臭はなかった。なのに、ちゃんと冷蔵庫とかはあったりするから不思議。
「ここね、俺たちの秘密基地」
鍵を開けながら言った望さんの言葉が、なんとなく頷ける気がする場所、だ。
「なんか買ってくる」
部屋に入ったとたん冷蔵庫を見た雅樹さんが、そう言って玄関へ向かった。
「あー、いつものよろしくです」
「了解」
文月拓が言って、雅樹さんが返事をして。
あの、何がなにやらさっぱりわからないんですけども。
「奈月ちゃんは? なんか飲みたいものとか、ある?」
あ、あ、そーゆーことか……。
「え、いえ、水でいいです」
……けど、ここにコップあるのか?
「わかった、じゃあ適当に買って来る」
あの、あの、日本語通じてない気が……っ。
と、思ったんだけど、何か言う間もなく雅樹さんは出て行った。あうー……。
「雅樹さん、すぐ戻ってくるから、くつろいでてね」
どうやってくつろげと? こんな緊張しまくりの場面で。
「えっと……ここは、どなたのお宅ですか?」
なんとなく気になって聞いたら。
「……文月拓の家」
一瞬の妙な沈黙の後で、彼女が答えた。
「本物の、ね」
……本物の?
「奈月ちゃん」
いきなり望さんに声をかけられた。
「はい」
「きみ、SKY好きでしょ」
……えええっっっっ!?
なんかもうその言い方が、疑問じゃなくて確認って感じだったから、すっごい焦った!
「え、ええ、あの、歌とかいいなって思いますけど」
あたしはあくまでも無難に答えた。つもりだったけど。
「じゃなくて。ファンでしょ。俺らの」
……ああもう、滅茶苦茶断定されてます……。
「望さん、すぐに見破ってたよね」
文月拓が笑いながら言う。ええっ、すぐっていつ!?
「まあね。しかも、宏伸が好きでしょ」
なになになにーっ!! なんでバレてんのーっ!?
「……なんでわかっちゃったんですか?」
仕方ないので、認めた。
「え、嘘。マジ? 俺ラブ?」
ららラブって……。なんかもう宏伸くん、めちゃめちゃ喜んでるし。
「望さん、凄く勘がいいのね。隠し事とかしても、すぐに暴いちゃうの。やな人だよね」
やな人って。
「そりゃないんじゃないの、美奈?」
「めちゃめちゃ有りだと思いますけど。あたしは」
「そうかなあ。どう思う? 奈月ちゃん」
「ここ困ります」
正直に答えたら、なぜか爆笑された……。ううう。
「ねえ、なんで隠してんの? ばれたらなんか困るの?」
いきなり核心ついてくるし、文月拓……。
「困りは……しないと思うんですけど。なんとなく、言えなくて……すいません」
「いや、謝られることじゃないけどね。人それぞれだから」
「でもまあ、今日は一日我々につきあって頑張ってくれたので。ここはひとつ、真夏の夜の夢ってことで」
無礼講でいきましょうね、って望さんが言ったので、なんだかあたしは少しだけ心が軽くなった気がした。まあ、だからと言って、今更きゃーきゃー騒げるってもんでもないんだけどね。
そこに、雅樹さんが帰ってきた。本気で早いです……。
手に持ったコンビニ袋の中から、ペットボトルのジュースを出して、
「お子さまにはオレンジジュース」
……お子さまですか、あたしは。
そりゃ、雅樹さんから見たら、高校生なんて子供かもしれないけど。
「それはないんじゃないの、雅樹さん?」
なんだかさっきの望さんみたいな言い方をして、文月拓があたしの方に寄ってきた。
「高校生ったって、全然大人だし。あたしが奈月ちゃんの頃、もう煙草吸ってたよ?」
「それは不良」
「はい、すいません」
すんなり謝って、笑って、ついでにあたしに、
「あ、灰皿使うならあるから言ってね」
なんて言ってくる。
「未成年に非行を奨励しないでください」
とりあえずあたしは吸わないし。
「あはは、それもそーだ。ごめんね」
笑って、なんかついでのようにキッチンの方へ行ったと思ったら、コップをふたつ、持ってきた。
「はい、これ使って」
あたしにひとつ渡してから、自分の分のコップを床に置いて、冷蔵庫の中から飲みかけの午後の紅茶ミルクティーを出してくる。
そんで、雅樹さんが買ってきたビールと新しい午後の紅茶ミルクティーを冷蔵庫の中に入れて、別のビールを出してきて、他のメンバーにも渡す。
「ここ、誰か住んでるんですか?」
思わず聞いてしまった。だって、なんでか知らないけど、ちゃんと飲み物ここにあるし。でも、生活臭ってないから、不思議で。
「んー、強いて言うなら、思い出?」
文月拓が、コップにとぽとぽミルクティーを注ぎながら、そんな風に答える。
「……思い出?」
「うん、思い出」
そう言うと、今度はあたしにオレンジジュースを注いでくれる。
「あ、ありがとうございます」
「どういたしましてー」
文月拓はにっこり笑うと、望さんの方を見た。
「では、今日の終わりを祝して、それから今日一番頑張ってくれた奈月ちゃんに、乾杯」
いいいきなり乾杯の音頭とるし望さん……。
あたしはとりあえず乾杯してから、さてどうしようか、と思った、ら。
「ごめんねー、この人たち、ここに来るとかならず『打ち上げ状態』になるから」
……そういう、思い出?
「あの、文月さん……」
「駄目。その呼び方ここでは禁止」
声をかけたら、即刻切り替えされてしまった。え、えーっと。
「……春日さん」
「あ、やっぱりフルネーム知ってるんだ?」
なんか笑ってるしーっ。
「ええ、一応これでもファンなので」
あたしも開き直ってしまってるし。
「だよね。で、なに?」
「あの、『本物の』ってどういうことなのかなって思って……」
さっき言ってたこと。ここが、『本物の』文月拓の家だってこと。わかんないから聞いたら。
「言ってもいいよね?」
って、ふ……じゃない、春日さんが他のメンバーに聞いた。
「俺は全然構わないけど?」
「隠したかったのは美奈だろ」
「美奈がいいんだったら、ノープロブレム」
望さん、雅樹さん、宏伸くんがそう言う。
「うん、そーだよね。みんなは隠そうともしてないよね。あたしのためなんだよね」
春日さんが、ひとりごちる。
……春日さんのため?
「あたしがさ、『文月拓』って名乗ってるのはどうしてか知ってる?」
春日さんが、そう聞いてくるけど。
「……いえ」
なんか……やっぱり、トップシークレットなんだ、これって。聞いちゃいけなかったかな……。
「SKYのボーカルは『文月拓』なんだって、そう覚えていて欲しいからなんだよね」
それは……どういうこと?
「さっきのさ、カルトクイズで、あたしが他のメンバーと知り合ったのはライブ会場で、ってのがあったよね。でもね、本当はもっと先に知り合った人がいたの。その人と知り合ったから、ライブ見に行ったの」
秘密。トップシークレット。いいのかな、あたしが聞いて。聞いちゃって。
「その人がね、本物の文月拓。本当のSKYのボーカルだよ」
凄く……凄く、愛しそうに春日さんが言うから。あたしは思わず聞いてしまった。
「その人のことが、好きなんですか?」
「うん」
かなり失礼な質問かもとか思ったけど、春日さんはすんなりと頷いた。
「うん、今でも好き。凄く好き」
……惚気ですか?
「でもね、もう逢えないの。死んじゃった、拓」
……え?
死んだって。
「あたしね、初めて拓の曲聞いたときから、もう拓のこと好きでね。でも、同じくらいSKYも好きでさ。拓から頼まれたんだよね。自分がいなくなったら、あたしに歌って欲しいって」
遺言、断れないっしょ? って春日さんが言う。
代わりに歌ってるんだって。そんな感じで。
……他のみんなは、黙ってその話を聞いている。
「でも、あたしが好きになったのは、春日さんがボーカルやってるSKYです」
なにが『でも』で、なんでこんなこと宣言しなきゃいけないのか、自分でもわからなかったけど、でもなんか今言わなきゃいけないことだと思った。どうしても言わなきゃいけないことだと思った。
「ありがとう。でもね、拓がボーカルやってるときは、もっともっと凄かったんだよ。本当に、泣いちゃうくらい」
「ってか、泣きまくってたよな、美奈」
望さんが、からかうように言った。でも、なんか真剣な声。
「凄いの、コイツ。拓の歌聞く度に、固まるの。もう、手に負えないくらい」
言いながら、望さんは春日さんのとこまで来て、春日さんの頭にぽん、と手を置いた。
「でも、もうそろそろ解放されていいんだと思うよ。美奈も……俺たちも」
彼が死んでしまったのがいつかは知らないけど、少なくともメジャーデビューしたときにはもういなかったんだろう。そうだとしたら、きっと……沢山の時間を、彼に縛られてきたんだと思った。あたしは。
……越えたい、んだろうな。その人を。きっと。
「あたしは、その人がいたときのSKYは知らないから、どれくらい凄いのかわからないです。でも、今のSKYに、これだけの人が好きだと言ってるんです。自信、持っていいんじゃないですか? それに、もしかしたら、春日さんのボーカルじゃないと好きにならなかったかもしれないし」
なんか、必死だった。あたしが。
だって、あたしにとってのSKYは、春日さんがボーカルなんだ。その人はいないんだ。どこにも。
「ありがとね」
春日さんが、にっこりと笑った。
「ああ、ごめん、あたしちょっと一人の世界に入っていいかな?」
なんだかいきなり意味不明のことを、春日さんが言う。
「どうぞ」
「どうも。ごめんね、奈月ちゃん。あたし、そっちの部屋にいるから、なんかあったら呼んでね」
望さんが返事をしたら、春日さんがあたしにそう断って……隣の部屋に入って、ドアを閉めた。
「あそこ、一人の世界なんですか?」
あたしは思わず妙なことを聞いてしまった。あそこって……。
「んー、正確には、一人の世界に入るための場所、かな」
更に意味不明です望さん……。
「拓がさ、作曲するときよく同じことを言ってあの部屋に入って行ってたんだよね」
ああ、なるほど。仕事部屋みたいなものかな。
「ちなみに、美奈の場合は作詞ね」
……はい?
「えーっと……そんないきなり書くものなんですか?」
「美奈の場合はね」
「所構わずだよな」
「しかも時間も構わない」
望さんと雅樹さんと宏伸くんが……容赦ないです、なんかその言葉……。
「なんかしんみりしちゃったなー」
宏伸くんが、なんか伸びしながら言ってるんですけども……もしかして、退屈だったのかな?
「え、でもあたし、迷わず好きって言ってたあたり、感動しましたけど」
「でもさ、そろそろ他に目をやってくれてもいいんじゃない? そー思わない?」
宏伸くんが、拗ねたように言う……から。
「あ、あ! わかった! 宏伸くん、春日さん好きなんだ!」
と、思わず言ってしまった……やば。
「うわ、バレた。……そんなに俺ってわかりやすい?」
「わかりやすいって言うか……ファンの洞察力とでも思ってください」
「あ、そうか! 奈月ちゃんって俺のファンなんだった! やば、ごめん! 謝るからカミソリ送ったりとかなしね!!」
か、カミソリって……。
「そんなことする人いるんですか?」
「いるんだよー、マジでびっくりだよ。古典的すぎるよね」
古典的すぎるってゆーか……。
「ファン失格だと思います、それ」
「うわ、ファンの鑑だ奈月ちゃん……」
そんなこと言って、笑ったりしてる。
そっか、ここは普通の空間なんだ。この人たちは特別じゃないんだ。ここでは。
ここでは、大物バンドSKY、なんて扱い、しないほうがいいんだ。
そうしなきゃいけない空間なんだ。きっと。
「あ、でも、とゆーことは、あの『本音でトーク』、大嘘つきバージョンだったんだ……」
ふと気がついた。
いや、当たり前ったら当たり前なんだけど。やっぱりそうなのか、と思って。
「……あれ? あのラジオの? 聞いてたの?」
身に覚えがしっかりと残ってるらしい宏伸くんが、苦笑しながら言う。
「聞きました。当然! ファンですからして」
威張って言うことか、あたし?
「だって、言えないでしょ。俺が好きなの美奈で、でも片想いです、なんて」
「ここでは言えるんですか? そこに本人いるのに」
あたしは隣の部屋を指さして聞いてみる。
「んー、今なんも耳に入ってないと思うよ。なんたって『マイワールド』だから」
マイワールド……いい言葉かもしんない。
「ま、いーんじゃないの? 美奈はもうとっくに知ってるし、コイツの気持ち」
望さんが、今度は本気で宏伸くんをからかった。
「そしてふられても諦めてないあたりが、コイツ美奈のこと言えないよな」
「え、ってことは、かなり前から春日さんラブ?」
望さんに聞いてしまったあたしって……。
「そ、かなり前から」
「いーの! 俺は美奈が好きだけど、拓も好きなの!」
「うわ、堂々とホモ宣言」
「違ああああああう!!」
あたしは思わず笑ってしまった。ふと見たら、雅樹さんも笑っていた。
これでいいんだ。これがいいんだ。
……春日さんも、こんな風にしてSKYに入っていったのかな?
「ごめん、ちょっとあのね、凄いこと考えちゃったんだけど!」
うわびっくりした!!
隣の部屋のドアがいきなり開いて、春日さんが顔を出した。
「あ、そっか、えーっと……」
あたしがいることに改めて気づいて(忘れてたのかなあ、この人……)、どうしようか悩んで。
「望さん、ちょっといい?」
望さんを、手招きした。
「おまえ拓に似てきてる。絶対似てきてる」
望さんはそう言って、でもちゃんとそっちの部屋へ行った。
「それあたしには褒め言葉」
「褒めてないよ」
そんなことを言いながら、二人は部屋にこもって……えっと。
「ふたりっきりだよ、あそこ」
宏伸くんに、そんなこと言ってみたりした、ら。雅樹さんが大爆笑した。
「いやあ、奈月ちゃん発想が若くていいわ……」
なんか宏伸くん、苦笑してるし。
発想が若くて、って。
「そりゃね? 俺も気にならないわけじゃないのよ? でも、のぞみちゃんってばあれで和実さんにラブラブだから」
「和実さんって、望さんの奥さん?」
「あ、うん、そう」
「それで、春日さんは別の人にラブラブ、と」
「……奈月ちゃんがいぢめるー」
「いいいいじめてないですっ」
「うん、そう。勝手に俺がいじけてるだけ」
ごめんね、なんて宏伸くんが笑って言うから。
あたしはなんかもうクラクラしちゃったよ……こんな幸せでいいのかな、あたし?
とか思ってたら、隣の部屋のドアが開いて、二人が出てきた。
「ほんとに拓に似てきたわ、コノヒト。ってか、俺を巻き込むあたりが拓より凶悪だよな」
え、なんかあったのかな?
「やっぱ名前が悪いんじゃないの?」
「そうかもねえ……ボーカルの名前、取り替えるかね……」
それは不可能なんでは。いきなりは。
「ごめんね、奈月ちゃん。コノヒトのおかげで俺いきなり仕事できちゃって」
「え、仕事って」
「んー、作曲をね。少しね」
「作曲、ですか? これから?」
「コノヒトがどーしてもって言うので。仕方なしに」
「え、でも絶対やりたいよね? 凄くいいものになるよね?」
「あー、その言い回し、ほんとに拓ちゃんそっくり……。どーしよう、美奈ってばあんなにいい子だったのに、しくしくしく……」
「この子はどうするんだ?」
雅樹さんに言われて、あたしは初めて気づいた。
そうだよ、あたしいたら仕事出来ないじゃん……。
「あ、じゃああたしそろそろ……」
帰ります、って言いかけたら。
「これ、あげる」
春日さんが、なんか……紙切れをくれたので。何かなーって思ったら。
『佐山宏伸無料貸出券』
なんて言葉が書いていた。……え、えーっと。
「俺、貸し出されちゃうの?」
「うん。でも仕事の打ち合わせがあるから、二時間くらいね」
「借りますっ!!」
二時間も無料貸出してくれるなら、借りないでどーするっ!!
……と思って、即刻言ったんだけど。
「かかか借りますって……」
宏伸くんはなんか苦笑してるし。あ、あれ?
「あの、もしかして、嫌ですか?」
「嫌じゃないよ、それは全然おっけーなんだけど」
こーゆーの勝手に作っちゃう方に問題が……、と呟きながら、宏伸くんは立ち上がった。
「じゃ、どっか行こうか。奈月ちゃんの好きなとこ」
え、うわ!
「はいっ」
あたしも急いで立ち上がった。
「宏伸、言っておくが……」
雅樹さんが、神妙な声で言う。
「何?」
「押し倒すのは犯罪だからな」
…………。
「しないってそんなことっ!!」
大爆笑。ってか、マジで反論してるよ宏伸くん……。
そりゃ個人的にはそんなこと宏伸くんにされるんだったらそれもまた……いやいや。
「そうそう、奈月ちゃん」
ひとしきり笑ったあとで、望さんが言った。
「今日のこれは真夏の夜の夢だけど、夢を夢で終わらせるかどうかは、本人次第なんだよ」
……続き、見てもいいってことかな?
「わかりました、頑張ります」
「うん。頑張れ」
「じゃ、行ってらっしゃーい」
「はい、行ってきます。じゃあ、また明日よろしくお願いします」
あたしはペコリとお辞儀をして、宏伸くんと一緒に外に出た。
……デートだ、デート。うわーいっ!!
「さて、どこに行きたい?」
外に出て、大きく伸びをして、宏伸くんが聞いてきた。
「らぶほてる」
……なんて冗談で言ったら、宏伸くん、思いっきりむせてるし。
「そういう冗談はなしね?」
まだケホケホいってるし……。
「んじゃねえ、海とか」
「二時間で行って帰ってこれないでしょ、それは。じゃあ、水つながりで川にでも行く?」
「川って」
「豊平川」
「河川敷? 行く行くっ」
「じゃあ、とりあえずタクシーつかまえよう」
宏伸くんが、そう言って……あたしの方に手を伸ばした。
こ、これは……手をつないでいいのかな? 駄目って言ってもつなぐけど!!
あたしがその手を握ると、宏伸くんが、握り方をちょっと変えて、きゅっと握ってくれた。うわ、うわ、うわっ……。
「このほうが恋人っぽいっしょ?」
「恋人っぽくっておっけーですか?」
「だって、デートでしょ?」
「デートでいいですかっ?」
「たまには若い子とデートもいいでしょ」
歩きながらそんなこと話してるあたしらって……。でも、なんか凄く嬉しいし。
なので、タクシーすぐに見つけて乗るときも、乗ってる間も、ずっと手をつないでいた……。いや、ちょっと乗りにくかったかなー、とか思うけど。幸せだからいいし。
豊平川河川敷は、静かで、ちょっと暗くて、でも綺麗な空気が流れていて。
……こんないいとこだったっけ?
「あー、夜はさすがにちょっと寒いな」
「えー、だって宏伸くん札幌出身でしょお?」
「でも、寒いものは寒いの」
「あたし平気」
「お子さま体温だから?」
「ちっがーうっ!!」
あたしはそんなこと言いながら、川見えるとこに、座った。
「制服、汚れちゃうよ?」
そんなこと気にしながら、宏伸くんも隣に座る。
「全然平気」
あたしは、宏伸くんとつないでる手に、ちょっと力入れて。
聞いてみた。
「ねえ、なんで今日誘ってくれたの?」
すっかりタメ口になってるし。なんてことがチラッと気にかかったけども。
「んー、美奈がね」
そう言ってから、宏伸くんはちょっと言葉につまった感じで、沈黙して。
「あの子すっごい無理してるから、ほぐしてあげようよ、って。言ってたよ」
春日さんが。そんなこと言ってたの?
「……でもさ、無理してたのって、春日さんもでしょ?」
気になってたこと。学校、歩きながら……春日さん、たまに違うもの見てた。
あれはきっと。
「文月拓って人も、うちの学校の卒業生なんでしょ」
「……どうしてわかったの?」
「んー……女のカン?」
「凄いね」
ははは、なんて笑ってるけど、宏伸くん、ちょっと淋しそう。
「そう、拓もね、あそこの卒業生。んで、俺の後輩」
「そんで、二年C組?」
「女のカンでそこまでわかっちゃうの?」
「まあね。……あたりなんだ?」
「まーさーに、その通り。だからねえ、美奈は今回のこと、一番乗り気で、一番大変そうだったよ」
それは……きっと、もう何処にもいない好きな人の過去をのぞけるからで、過去をそういう形で知ることしかできないから……なんだろう。
あたしは、そんな大変な状況になったことないからわからないけど……きっと、かなり辛いんだろうな。
「でもねえ、きっと美奈、奈月ちゃんに昔の自分を重ねてたんだよ」
「あたしに?」
「そう。美奈が俺たちに逢う、ほんのちょっと前の自分をね」
「なんかあったんですか?」
「特に何もないよ。何もなかったんだよ、美奈は。ただ、学校で……専門学校に通っていたんだけどさ、そこで真面目な学生してたの。俺には、友達と一緒の時は楽しそうだけど一人のときは凄くつまらなそうに見えた。多分、友達といるときは無理してたんじゃないかな、美奈は」
……なんか、わかる気がした。わかるような気がした。
「でも、みんな止めなかったの?」
だって、今は彼らは特別な人で。ファンの、ひとりひとりにそんなことしてられないはずなのに……。
「今回はね、美奈の好きなようにさせてあげようって言ってたんだ。でもね、そういう約束なかったとしても、止めなかったと思うよ」
それが俺らだからね、って。宏伸くんが言った。
「俺らはただ単に、音楽が好きだからやってるだけ。やっぱりこういう世界にいると、いろんなしがらみとかそういうのあるけど、結局基本はそこなんだ。特別なこと、何にもないよ」
そう言って宏伸くんは、あー寒い、なんて呟いて……ちょちょちょっと待てっ!!
「やめてください後ろから抱きつくのはっ!!」
「だって寒いんだもん。……セクハラかなあ?」
「セクハラだとは思わないですけどもっ! 心臓に悪いからっ!!」
「うん、だからね……」
さらりと言葉をかわして。宏伸くんが、続ける。
「こういうことをしてさ、奈月ちゃんみたいに反応する子がいてさ。それって凄く嬉しいことなんだろうけど、たいていは写真週刊誌がどーのとか、気にしちゃうよね。それって、俺らが芸能人だからだよね。奈月ちゃんは今は俺らのことを特別視しないでいてくれてるけども、でも数時間前まではそうじゃなかったよね。どうして?」
どうして、って。それは。
「だって、特別視しないで欲しいって思ってたの、みんなだったでしょう。あの部屋に行ったときから、ずっとそうだったでしょう?」
あの場所では。誰もが対等だった。そんな風に思ったから。
「だから、普通にしてました。同じ世界の人だって思ったから」
そう、別世界じゃなくて。同じ世界の。こうやって、触れられる場所にいる人たちなんだって、そう思ったんだ。あたしは。
「そうだよ。俺らは、同じ世界にいるんだよ。ただ、ちょっと俺らが世間に知られ過ぎてるってだけで。それしか違わないんだよ」
「それって凄い違いだと思うけどな」
「そう? でも美奈だってこんな風にして俺らの仲間になったんだよ」
「それはデビュー前の話じゃないですか」
「まあ、そうだけどね」
「でも、そう思ってるんだったら、あたし遠慮しません」
「は?」
「ここまでされて、一介のファンで終わらせられるほど、あたし欲ないわけじゃないし」
「え?」
「でも、遊びたくても遊べないよね。今みんなは東京にいるわけだし。だから、メールと電話。あと、札幌に来たら遊んで、絶対。約束して?」
「ええ?」
宏伸くんは驚いた声を出したあとで……笑った。
「奈月ちゃん、いいキャラしてるー」
そそそそうかな?
「うん、じゃあ友達ね」
「じゃなくてあたし片想いだし」
「え、俺に?」
「そう。もうさっきからドキドキしてるんだから、責任とってください」
後ろから抱きつかれたままだから、ちょっと強気だし。あたし。
「責任って」
「いつかあたしを選んでもらうんだから」
宣言なんかしてるし、あたし!
だって、手の届く人だから。この人。
したら、諦められるわけない。諦めるなんてもったいない。
「奈月ちゃん、ほんとにいいキャラしてるわ。俺惚れそう」
「惚れてください。損はしないと思います」
「損ときたか」
宏伸くんが、すっごい笑って。そして、それから。
ボソッとなにか呟いた。
ありがとう、って、聞こえた。
「あー、なんかそろそろ腹減ったなー。そーいや俺たちって、晩飯抜きで動いてんだよねー」
って、言った、その時。
パシャ、って一瞬光があたった。
びっくりして、でも本気でいきなりだったから目が眩んで何も見えなくて、でも誰かが走っていく足音だけが聞こえて。
「めちゃやばくないですか、今のってもしかして」
「んー……やばいかもしんない」
「なんでそんなに落ち着いてるんですか?」
「え、だって奈月ちゃんが焦らないから」
「あたしは宏伸くんが落ち着いてるから」
…………。
一瞬後、二人で大爆笑した。
「あたし知らないからー。大変だ、宏伸くん。傍観してよっと、あたし」
「マジ? なんで俺だけ? しっかり奈月も巻き込むから覚悟してて」
「どんと来いです。好き勝手させてもらいます」
なんか、呼び捨てされてるけど。嬉しいからいいし。ってか全然おっけーだし。
そっちのが嬉しいしね。
「とりあえずご飯食べに行くかー」
「行きましょう行きましょう」
宏伸くんが背中から離れて、なんかちょっと背中が寒かったから。
あたしはぎゅって宏伸くんの手をしっかりと握って、横に並んで歩いた。
まるで本当の恋人みたいに。
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