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6.
「今日のライブの成功を祝して」
「かんぱーいっ!」
お約束のライブ終了後の打ち上げを、これまたお約束で拓の家で開いた。
真夏の夜の夢の終わり。そんな気がした。
……現実には、今は真夏ではないんだけど。
「泣いてた人、いました」
乾杯してすぐに、奈月ちゃんがそう言った。
「嘘、いつ?」
「ライブ中と、その後と」
「どどどうしてだろう……泣かせたいわけじゃなかったのに」
「美奈、それ拓も言ってた」
あたしが少々焦って言うと、冷静なツッコミが雅樹から来た。
……そーだっけ?
「でもさ、拓の歌じゃないんだよ? あ、もしかして、だから泣いた!? あたしの歌があまりにも下手なんだよ……がーん、どうしよう……」
「あたしそれ違うと思います。懐かしかったからでしょう」
ずいっと。奈月ちゃんが寄ってきて、迫力満点で言うから。
「ごめんなさい」
あたしはとりあえず謝っておくことにした。
「でも、美奈さんも本当はわかってるんですよね? それなのにそう言うのが、あたしは間違いだと思うんですけど。すっごく」
「うう……はい、そうだと思います」
「他の人の気持ちはまだいいとしても、自分の気持ちまで茶化したら駄目です」
「はい、ごめんなさい」
……なんだかすっごくお説教されちゃったもんだから、あたしが小さくなっていたら。
「まあまあ、楽しくいきましょうや」
望が、苦笑しながら言う。
「しかしアレだね、奈月ちゃんも強くなったもんだねえ……」
話を逸らそうとしてくれてるのか、しみじみと……本当にしみじみと、望が言う。
「そうだよねー。初めてあったときなんか超真面目な優等生の見本で、反論ってのは何一つなかった感じだったのにねー」
あたしが便乗して言ったら。
「だって! 凄いファンだったんです、本当に! 隠してたけど! めちゃくちゃ緊張してたんです!」
奈月ちゃんは少し赤くなりながら、力説した。
「でも、頑張りました。真夏の夜の夢で終わらせないために」
「で、押して押して、宏伸ゲット、と」
あたしがそう言うと、宏伸が何故かむせていた。
「そうなんですよー、大変でしたよ、もう。だってこの人、本当に美奈さんラブだったんだから。勝ち目ないなー、って何度思ったことか!」
「ええっ、なんで!? あたしそんなに強くないし!」
「強いとか弱いとかじゃないですよ。むしろこの人、美奈さんの脆く見えるところが好きだったんですよ? でも、そーゆーのが問題だったんじゃなくて、やっぱり距離が全然違うじゃないですか。あたしは離れてるし、美奈さんはいつも宏伸の近くにいるし」
「まあ、仕事だしねえ……」
「でもカズミは平気だったわよ?」
和実さんが、そう言いながら会話に入ってくる(今日の打ち上げ、和実さんも一緒なんだ)。
「でも、和実さんはちゃんとつきあってての遠距離じゃないですか。あたし、片想いですよ?」
「まあまあ、相手が人間なだけよかったじゃん。まだ対等になりえるからさ。あたしなんかどーするの。ライバルは音楽よ? 勝てっこないよ」
「だから美奈さんって凄いなー、とつくづく思うんですよ」
奈月ちゃんがそう言いながら溜息をついたら。
「俺は女が凄いなとつくづく思うよ……」
宏伸が、なんとも複雑そうな声でそんなことを言ったから。
「なんで?」
思わずそう聞いてしまった。
「なんちゅーかねえ……入っていけないよね」
「ま、女が三人集まるとね」
「男に勝ち目はないだろう」
宏伸だけじゃなく、望も雅樹もそう言う。
あたしと奈月ちゃんと和実さんは、顔を合わせると……思わず笑ってしまった。
「あーあ、この中で独り身なのもあたしだけなんだよなあ……」
笑った余韻に浸りながらも、あたしが思わずそう言うと。
「え、待ってください、じゃあもしかして雅樹さんにも彼女はいるんですか!?」
……どーやら奈月ちゃんは知らないらしく。
「……宏伸、言ってなかったの?」
「……別に言わなきゃいけないほどの問題でもないと思うんだけど」
「秘密にしていたわけじゃないけど、わざわざ言うこともないだろう」
あたしがこそっと(でも聞かれてたみたいだけど)宏伸に言ったら、宏伸もこそっと(やっぱり聞かれてたみたいだけど)言って、それに対して別段なんともないような口調で雅樹が言って。
「相手はどんな人なんですか? いつからつきあってるんですか? えーっ、でも雅樹さんは彼女なんかいちゃ駄目ですーっ!!」
奈月ちゃんがやたら興奮して言うもんだから……とりあえず。
「あたし、飲み物買いに行ってきまーす」
「俺、荷物持ちしに行ってきまーす」
一抜け宣言をしたら、宏伸に便乗された。
「えっ、嘘、あたしも行きたい! あ、でもやっぱり行かない! 雅樹さん、教えてくださいーっ!!」
……あーあ、雅樹さん、こりゃ白状するまで解放してもらえないぞぉ。
ふと望と和実さんを見たら……二人でなんかこそこそ話して笑ってた。けど、あたしの視線に気づいたらしく、行ってらっしゃい、って言って手を振ってくれた。
「行ってきまーす」
あたしはそう言うと、そそくさと逃げ出した。
あたりはすっかり真っ暗になっていた。
ここはそんなに街灯もなくて、住宅地のわりに案外明るくない場所だったりする。
……この道も、もう何度歩いたかな。隣に拓がいたことは、少ないけども。
「奈月ちゃん、元気だよねー」
あたしは宏伸にそう言ってみた。
「おかげで助かるよ、いつも」
宏伸はそんな風に答えた。
「あいつにつられて、こっちまで明るくなる気がするからなー」
ふふふ、って。あたしは少し笑ったけど。
……あたしには、そういう相手はいるのかな? って思ったら……もうどうしようもなくなった。
だから、言ってみた。
「ねえ、お願いがあるんだけど」
「何?」
「駄目なら駄目でいいんだけど」
「だから何?」
「ちょっとの間でいいから……ぎゅってしてくれないかな?」
「……拓の代わりに?」
「うん、拓の代わりに」
宏伸からの返事はなかった。けど、一瞬の間の後に、あたしの背中に宏伸の両腕が回された。あたしは特に何をするでもなく、ただその優しい抱擁を感じていた。
涙を止めることは、しなかった。
あたしはきっと今、酷いヤツだと思う。
ずっと宏伸の気持ちには応えず、宏伸が違う人を選んで何年も経つ今になって、宏伸にこういうことをしてもらって。状況だけ見たら、絶対に酷いヤツだ。
……でも一番酷いのは、平気で身代わりをお願いしてることなのかもしれないけど。
「あたしもいい加減、ちゃんと歩き出さなきゃ駄目だよね」
宏伸に抱きしめてもらいながら言ったその言葉は、別人の声のようにくぐもっていた。
「拓の想い出にいつまでもよしかかっていちゃ駄目だよね。わかってるんだけど……わかっていたはずなんだけど、今までずっとそのままできちゃった」
あまりにも、その状態が心地よかったから。想い出が、綺麗すぎて。
「……だからあの詞を書いたんだろ?」
宏伸が、そう言う。
「だから、今日ライブをやったんだろ? 歩き出すために」
知ってたよ、って。そんなこと最初からわかってるよ、って。そんな感じで宏伸が言うから。
……かなわないな、って、思った。
そして、宏伸を見上げて何かを言おうとしたんだけども、どうしても言葉が出てこなくて……気がついたら、どちらからともわからないまま、キスをしていた。
重ねるだけの。本当に、微かに触れただけの。
一瞬だけの、キス。
「……拓の代わり、ここで終了ね」
宏伸はにこっと笑ってそう告げて、あたしから離れた。
少しだけ、寒くなったけど、心のどこかがぽかぽかしていた。
「やばーい、奈月ちゃんに怒られちゃう」
「いやあの、俺は純粋に拓の代わりとして」
「役得?」
「そう、役得……って、だから俺はっ!」
「わかってますって」
あたしはこれ以上はからかうのをやめようと思った。
「これぞ正に真夏の夜の夢、ってね」
「真夏じゃないけどな」
「そーゆーツッコミはしなくていいから。……ありがとね」
あたしが小さくお礼を言うと、宏伸はくしゃっと頭を撫でてくれた。
奈月ちゃんには心底申し訳ないと思うんだけど……あたしは心が軽くなった気がした。
「ところでさ、雅樹は今頃正直に白状してると思う?」
「してるんじゃなかー? あの剣幕で聞かれたら、いくら雅樹でも答えるだろ」
「そうかなあ? じゃあ賭ける? あたし、はぐらかすなりなんなりして白状してない方にジュース一本ね」
「じゃあ、白状させられてる方にジュース一本な」
あたしらは、何事もなかったようにそんな会話をしながら、近くのコンビニへと急いだ(ちなみにこの賭け、あたしの勝ちだった)。
真夏の夜の夢。
一瞬だけの幻。
奈月ちゃんに怒られちゃう、と言ったものの、あたしは本当に拓と口づけを交わしたような気がしていた。
だって、キスしたあとで気づいた。宏伸だった、って。
でも、気づいたあとで不思議に哀しい気持ちにはならなかった。
(あいつは何も言わなかったけど、あいつはそれでも美奈ちゃんのことが好きだったよ)
八年前、拓がいなくなってから聞いた望のその言葉を、今になってようやく信じられた気がした。
もういい。もう大丈夫。
あたしの想いは、ちゃんと届いてた。
拓だって、ちゃんと返してくれてた。拓なりのやり方で。
だから、もう大丈夫。
あたしの気持ちは、もうちゃんと昇華されていたんだ。拓の歌で。
オフが終わったら、新しい出逢いを探してみよう。今まで見ようともしなかったものが、あるかもしれない。
(いつだって、昨日より今日が大事)
そしてきっと、今日より明日のが大事だから。
八年かかったけど。
八年かかったからこそ。
次はもっともっといい恋愛が、出来るのかもしれないから。
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