リレー小説亮第六回

 がさり。
 アレフが決意を固めたその瞬間、左手で物音がした。
「な、なんだ?」
 ここは人気の無い森の中。昼間だというのに、日が差し込まないのか、奥がどうなっているかよく分からない。その茂みの中から、確かに音がした。
「…………」
 アレフは足を止め、不安そうに物音がしたあたりを見た。すると、またがさりという音がし、葉がゆれた。
「な、何かいる……」
 森にはさまざまな動物が生息している。うさぎなどの小動物だっら問題はない。が、時として、命を脅かすような獣もいる。だから、ハーフエルフの子どもは、むやみに村の外に出ては行けないことになっていた。
「こ、怖くなんかないぞ。怖くなんかないけど……」
 口ではそう言いながら、ひざがかすかに震えていた。すぐに逃げ出せばいいのだが、体が言うことをきいてくれない。
 茂みからのっそりと現れたのは、全身が真っ黒な毛で覆われた狼だった。体か異様に大きい。アレフの倍はあろうかという大きさである。全身とは対照的な、真っ赤な舌が口から延び、その横には、大きく鋭い歯が見えた。アレフの体など、簡単に食いちぎってしまいそうである。
 こういうことは以前にも何度かあったが、その時は必ず側にソルがいてくれた。だが、今は一人。守ってくれるものはいない。自分でなんとかしなければならない。
「うう……」
 崩れ落ちそうになる膝を何とか支えながら、アレフはうめいた。狼はゆっくりとこちらに向かってくる。とっておきのごちそうを目の前にして、舌なめずりをするかのように、赤い舌が動く。
(こ、こういう時は、ソルはどうしたっけ……)
 土に根が生えてしまったかのような足を動かそうとしながら、アレフは必死に考えた。戦うこともあったが、ソルはいつもアレフのことを第一に考え、極力無駄な争いは避けていた。
(俺には戦う力なんかない……だったら逃げるしかない!)
 決断はしたものの、どうにも足が動いてくれない。その間にも、狼は確実にこちらに近づいてきている。全身と同じ漆黒の目が、こちらを睨んだような気がした。
 一瞬、アレフの頭に、嫌な思いが駆け巡る。
(あんな歯でかまれたら痛いだろうな……俺の肉なんか、美味くないのに。きっと血がいっぱい出て、ぐちゃぐちゃになっちゃうんだろうな。死んじゃったら、俺、天国に行けるのかな……あ、でも、今までいろんないたずらしちゃったから無理かな……でも、死んじゃったら、もう、ソルには会えないんだな……)
「ソルに会えない?」
 我に返ると、狼はまさに目と鼻の先に迫っていた。開いた口の中は、鋭い歯が並び、唾液で濡れ光っていた。
「そ、そんなの、嫌だ!」
 アレフはきびすを返すと、全速力で逃げ出した。さっきまでの足の震えが嘘のように、生まれてから一番と思える速さで、必死で足を動かした。なるべく狭い木の間をとおりながら、森の奥へと走っていく。
 何度も転びそうになりながらも、アレフは走り続けた。死んでしまったら、もう二度とソルに会えない、そう思うと、不思議と逃げなきゃという気持ちが湧いてくる。とにかくこの場を逃れるのだ。こんなところで死ぬわけにはいかない。
 ちらりと後ろを見ると、姿は見えないものの、遠くでがさがさという音がした。追いかけてきているのだ。今は木にひっかかっているようだが、このままではいつか追いつかれしまうだろう。
(ど、どうしよう)
 恐怖と焦りで鈍りそうになる足を何とか動かし続け、アレフは走った。と、突然視界が開け、急に地面が無くなっていた。
「わったったった」
 慌ててアレフは足を止めた。見ると、そこはがけになっていた。恐る恐る覗いてみると、はるか下には、流れの速そうな川がごうごうと音を立てていた。斜面はまさに断崖絶壁、すべりおりようにも角度が急すぎる。あたりを見回しても、橋など有りそうもない。
 向こう岸まではジャンプして届くかとどかないか微妙なところ。落ちたらまずは助からないだろう。
 底までのあまりの深さに、アレフは目眩を起こしてしまった。思わず方向転換しようと振り返ると、そこにはさきほどの狼が、追いつめるかのようにゆっくりとこちらにやってくるではないか。
「も、もう来たの……もっとのんびりしてもいいんじゃない?」
 情けなそうな声を出して、アレフは引きつった笑いを浮かべた。
「これって、本当に絶体絶命ってやつ?」


次ページへ



長編小説コーナーの入り口へ戻る or 案内表示板の元へ戻る