月明かりに照らされ、一人の少女がこちらを見ていた。
先ほどとまったく変わらぬように、静かに佇んでいた。
否、目には別種の光が宿っていた。それは、憎しみのあまり輝きを失ってしまったものではなく、純粋で、僅かな濁りさえも無い瞳。
「……姉ちゃん?」
アレフは、恐る恐る声をかけた。もしかしたら、また彼女の口から憎悪あふれる言葉が発せられるのではないか、という疑惑を、すぐにぬぐい去ることはできないでいた。
「アレフ、よく頑張ったわね」
だが、その口から出た言葉は、以前から聞き親しんでいたものだった。優しい響きを帯びた、どこか、彼の亡き母親を彷佛とさせる声。
「姉ちゃん……!!」
アレフは思わず駆け出して、少女の胸に飛び込んだ。
「姉ちゃん……良かった、本当に良かった……」
「ありがとう、アレフ。あなたのおかげよ」
少女はそっと呟くと、アレフの体を優しく抱き締めた。
「……戻って来てくれたんですね、フィーユさん」
ソルはゆっくりと立ち上がると、確認するように少女の名前を呼んだ。
「ええ、皆さんのおかげで、ね」
小さく嗚咽を漏らし始めたアレフの頭を軽く撫でてやりながら、フィーユはしっかりと返答した。
ソルはその答えを聞き、フィーユが戻って来てくれたことを実感した。間違えるはずがない、間違えようがないこの感触。理屈ではない。自分の中の感覚が、そう告げているのだ。
じわじわと喜びが込み上げてくるのを感じていたが、さすがにアレフのようにフィーユの胸に飛び込むわけにはいかなかった。
代わりにソルは、フィーユの目を見つめながら言葉を続けた。
「僕のために、いろいろご心配、ご迷惑をお掛けしました。何だか僕たちの問題に巻き込んでしまったみたいで、本当に申し訳ありません」
ソルは謝りながら、深々と頭を下げた。
「でも、これで、すべてが終わりました。すべてが元通りです」
「いえ」
もう何もかも終わったのだ、と告げようとしたソルの言葉に、だがフィーユは同意しなかった。
「まだ、始まったばかりよ」
「ど、どういうこと?」
一瞬ぎくりとして、アレフは顔を上げて尋ねた。
「わたしたち人間と、あなたたちハーフエルフの共存」
フィーユは、安心させるようにアレフに微笑を向けた。
「短い間でも、同じ体を使ったせいかしら。わたし、あの青年の心が手に取るようにわかるの。いえ、わかるというか、もうわたしの記憶の一部になってしまっているのかも知れない。大切な妹さんを奪われ、人間に対して憎しみを抱いた彼の気持ちが、痛いほどわたしの心にも響いてくるの」
「でも……でもあいつは、姉ちゃんを殺そうとしたんだよ?」
「聞いて、アレフ。もちろん、だからといって、人間全てに罪があるわけじゃない。それはわたしにもわかってる。必要なのは、お互いの理解だと思うの」
フィーユはゆっくりと、だが強い確信を持って言葉を続ける。
「ソルはさっき、僕たちの問題って言ってたけど、これはわたしたち人間にも関係することよ。彼のためにも、彼の死を無駄にしないためにも、お互いの立場とか、考え方とかを知っていかなきゃならない。理解していかなきゃならない」
でなければ、あまりにも彼が可哀相だ。何年もの間、人間を憎いと思うことによって、何とか生きて来たあの青年が、あまりにも哀れすぎる。
「そうすれば、わたしたちはきっと、この世界で一緒に生きていけるはず」
「できますよ」
あんな辛い目に遭いながらも、取り乱すこともなく、すでに次のことを考えている彼女に、尊敬の念を込めてソルは即答した。
「ここに好例があるじゃないですか。人間と、ハーフエルフの共存の」
「……そうね」
フィーユは、ソルの言葉にくすっと笑うと、アレフの手を引いて彼に歩み寄った。
「お手本は必要よね」
「反面教師にならないようにしませんと」
「ま、とりあえず、わたしたちももうちょっと理解し合う必要があるかな」
フィーユはそう言うと、唇を軽くソルの唇に重ねた。
「ありがとね、助けてくれて」
彼女はいたずらっぽい微笑みを浮かべ、素早く身を離した。
「あー、いいなあ。姉ちゃん、俺には?」
「だめよアレフ。ガールフレンドが見てるわよ」
「……………………誰が?」
「あ、あの、そんなに真面目な顔して聞き返さないでくれる?」
「ちょっとちょっと、勝手なこと言わないでよ! 誰がこんなやつのガールフレンドだって? だいたいね、あたしはまだあんたたちのことを認めたわけじゃないんだからね!!」
「レイネ、あまり失礼なことを言ってはいけないわよ」
レイネの発言に、セレネは諭すように言う。
「だって姉さん!!」
「本当のことを指摘されると怒るのは、人間もハーフエルフも同じかも知れないわね」
「姉さん……何か急にいじわるになってない?」
「そうそう、あなたたちにもお礼を言わなきゃね。いろいろありがとう」
混じり合う三人の女性の会話を聞きながら、アレフはふとソルの顔を見上げた。まるで身じろぎもせず、目に焦点が合っていない。
「……ソル、大丈夫? …………だめだ、完全に固まっちゃってる」
硬直してしまったソルの目の前で手をひらひら振りながら、アレフは溜め息をついた。
「やっぱり一番強いのは、姉ちゃんなんじゃないか?」
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