リレー小説光坂第三回

 しかし、確実に両の指では足りないことがわかっただけで回数まではまったくわからず、したがってソルは本日数度目の溜息を飲み込んだのだった。


「どう? 似合うかな、これ」
 試着室から出てきたフィーユは、昼になってからすでに三度言った言葉を、またしても口にした。
「似合う似合うもう最高。だからそれにしましょーよー」
 対してソルは、誰がどう聞いても褒めてはいないなという口調で褒め言葉を口にする。さきほどからフィーユはこれがいいあれがいいと言っては試着をし、その後ソルの感想を聞いていたのであった。最初は本心から褒めていたソルも、四度目ともなると、もうどれでもいいから早くしてくれ、という気分なっている。
(よく言うじゃないか、仏の顔も三度までって……)
 勿論、そんなことを実際フィーユに言おうものなら、今日を無事に過ごせる確率が半分ほど減ってしまうことは必至である。ソルは今の時点で既に十回を越えている溜息を、またしてもついた。ただし、気づかれぬようにごく小さく、ではあるのだが。
 ……だがしかし、である。
「なあに、ソルー? そんっなにお暇なのかしら。わたしの買い物になんかいつまでもつきあってられるか、って?」
 ごく小さくついたはずの溜息は、しっかりと彼女の耳に届いていたらしい。
(うわ、やっぱり地獄耳……)
「そんなはずはないじゃないですか、フィーユさん。僕がこんなに楽しんでるのにそれをわかってはくれないんですか? 悲しいなあ」
 ソルは必死になって笑みを浮かべ――それでもまだ多少ひきつってはいたが――弁解をする。なにしろここでフィーユを不愉快にさせようものなら、ただでさえ通常よりも少ない今日を無事に過ごせる確率が、さらに減ってしまうのである。
「ふーん、そう? じゃ、もう一件つきあってくれるわよねえ?」
 しかしフィーユのほうが数倍上手だった。にこやかなる悪魔の誘いを断れる術は、すでにない。
「も、もちろんですとも。ははは……」
 ソルの乾いた笑いに、フィーユはとびきり上等な笑顔を見せた。
「じゃ、これ買ってくるから待っててね」
 フィーユはそう言って、服を持ってレジへ向かう。その服は、フィーユが一番に着て見せた服である。
(い……今までのはただのファッションショーだったのか?)
 ソルはフィーユがレジの方を向いている隙に、ガクッと肩を落とした。だがそれも、フィーユが戻ってくるまでの短い間でしかなかった。
「お待たせ。さ、行きましょ」
 フィーユはそう言いながら服の入った袋をソルに渡す。
「あの、一着じゃものたりないんでしょうか……」
 ソルはその袋を受け取りながら、恐る恐る聞いてみる。本来なら、二着も三着も買うなら買うで同じ店でまとめて買えばいいでしょーに、と付け加えたいところであるが、さすがにそこまで命知らずにはなりきれなかった。
「ソル。昔からね、女の買い物と電話は長いものと相場が決まってるのよ」
 フィーユはにこやかに笑いながら、はっきりきっぱりと断言をする。中には例外もいるということさえ認めないような、そんな口調だ。
(仕方がない、もうどこまでもお供をするとしよう……)
 ソルは内心で覚悟を決め、ついでに溜息をついた。本人が目の前にいる以上、外に出すわけにはいかなかったが。
 しかし、地の果てまでも、と覚悟したのも束の間、フィーユはすぐ隣の店に入っていった。ソルはまさかフィーユがそこに入るとは思ってもいなかったので、一瞬足の動きを止めた。
 その店は確かに洋服屋ではあるのだが、男物の服や小物を専門として扱っているのだ。
(……まさか……)
 ソルは悪い予感を覚える。すぐにフィーユを止めようとしたのだが、それより先にフィーユが店の中からソルを呼んだ。
「早くおいでよ、ソル。なんでそんなとこで突っ立ってるの?」
 先を越されたソルは、フィーユを止める言葉を失い、仕方なくその店に入っていった。だが、フィーユが洋服には見向きもせずに小物……主に帽子などを置いてあるほうに行ったとき、悪い予感――つまりは着せ替え人形にされるのでは、というものである――が当たらなかったことにほっとし、だがその次にもっと悪いことを想像してしまった。
(ぼ……帽子かぶれって言われたらどうしよう……)
 そんなことをされては、身の破滅である。フードをはずしたら、すぐにでもばれてしまうのだ、ハーフエルフだということが。
「ソルー、早く早くー」
 フィーユは既に帽子を持って待機している。ソルが仕方なく嫌々覚悟を決めてフィーユの方へ行った、そのときであった。
「あーっ、通りに変な人が歩いてるーっ!!」
 突然フィーユが通りを指さして、大きな声で叫ぶ。それにつられて店の中にいた全員が通りを向く。勿論、ソルもその中の一員である。
 その次の瞬間、フードが外されたと思うと、代わりに帽子がかぶされたのがわかった。かなり大きく作られたそれは、耳を半分ほど隠してしまうものであった。ソルは、フィーユの顔を思わず見つめた。
「あら、思った通り。似合ってるわよー。じゃあそれ買おう。あ、ついでにアレフの分も買ってあげよっか」
 フィーユはソルの視線に込められた意味に気づいていないのか、そう言うとソルの被っているものよりも少しサイズの小さい帽子を手に取ると、ソルの腕をひっぱってレジへと向かう。
 ねーちゃん変な人ってどこにいるんだよ、ごめんなさい見間違いだったわ、などとフィーユが店員と話している間も、ずっとソルはフィーユを見つめたままだった。店員に断ってからフィーユが帽子についた値札を切っているときも、である。
 それでもフィーユは何食わぬ顔をして、店員に礼を言ってソルをひっぱりながら店の外に出る。
「あ、あの、フィーユさんっ」
 意を決してソルが声をかけたとき、フィーユが突然立ち止まった。
「フィーユさん?」
 ソルは怪訝な顔をして声をかける。フィーユは不意にソルを見据えた。
「あのね、ソルの秘密のことならわたしはずっと前から知ってたわよ?」


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