ありがち?な例−2

 本題に入る前にちょっと脱線、昨日(10/28)NHK特集の英語力に関する番組で、”いかにも!”という場面を見たので、急遽ありがち?な例の続編。フランスルノーと日本の日産の技術者同士が協議していた席の話。フランス人達が皆積極的に主張していた一方で日本人チームと言えば、交渉慣れした一人を除いて皆押し黙ったまま。当然ながら協議の結果はフランス人達の主張が一方的に通されただけ。

 もはやこれは語学力の差うんぬんじゃなくて、日本人の資質の問題。欧米人に限らず彼らは、自分の主張を通すテクニックとして、英語でわざと早口でまくし立てたりすらもする。そこで面食らって黙って聞いていると、”NOと主張しないのだから承諾”と取られて押し切られる。これはビジネスに限った事じゃなく、昔私が海外放浪旅していた時にゃ、宿でかち合った大麻中毒アッパラパー連中やら、日本人=カモの怪しげ商人、果てはイミグレーションの袖の下役人に至るまで、島国の外には至る所うじゃうじゃ!。

 そしてその後で苦情言ったりグチグチこぼしたって後の祭り。そう言えば、オリンピック柔道の判定負けも、これと似たようなシチュエーション


 ”じゃー英語が達者でなければ海外で何も出来ないか?”と言えばそうでもない。相手がまくし立ててきたらとにかく、”ゆっくり話せ!”、”それはどう言う意味か?”、”ちょっと聞き取れなかった”等々を連発して相手を自分の土俵に引きずり降ろし、”俺はあんたの言い分を肯定してはいない”と言う自己表現をすればよい。そして後は根比べ。

 相手は露骨にいやな顔をするかもしれないが、交渉事で常に”いい人”を演じる必要はない。逆にそういう”いい人”は、陰で彼らに馬鹿にされるだけ。良心的な交渉相手なら、私たちにも分かりやすい言葉で、こちらが理解するまでゆっくり且つ熱心に説明してくれるはず。

 この国民性の違いは根本的には、仲間内ですら生存競争で争ってきた狩猟民族と、仲間同士協力しなければ収穫が出来なかった農耕民族との差のように、古代から脈々と流れる”血”の違いとしか言いようがないけど、これだけボーダーレス社会になった今は、そんな彼らが自然・無意識にやっている主張は、こちらとしては意識してでもやる必要がある。


ついでに脱線しまくり(スキーにゃ関係ないだろー!)。

     番組で交渉に慣れた日本人が言っていた、”ヨーロッパ人には、同じ事を何度も繰り返し繰り返し言って、ある臨界点を越えてやっとこちらの主張が理解してもらえる”と言っていたけど、これも”言い得て妙!”。実際彼らは、こちらが一度言っただけですぐに”YES”と受け入れる柔軟性は、全くと言って良いほどない。良しも悪しきも自信に満ちた自説を頑固に持っていて、そう簡単には聞く耳もたないからね。文化面だって、時代遅れの古い街並み・習慣等を頑固に変えない点を見れば一目瞭然。

     その点我が日本、世界で一般的だったり、優秀・機能的であれば、なんでも取り入れる柔軟性と言えば聞こえは良いが、その反面”廃仏毀釈”のように古い価値観はいとも簡単に捨ててしまい、”国際化”と言う名の”無国籍化”の道をまっしぐら。果たしてこれが良いのか悪いのか?。

     あとついでに付け足すと、日本人は流暢な日本語しゃべる外人には”日本語お上手ですね”と語学力をすぐ誉めるけど、そのしゃべった内容について誉めることはまず聞いたことがない。逆に欧米人は、英語を流暢に話すNon Native Speakerに”英語お上手ですね”とはまず言わない反面、”その考え方は素晴らしい!”とか、”説得力ある!”とか、その内容を誉めてくれる。

     言葉はあくまで人とコミュニケーションする為の”道具”であって、その道具を誉めたって、道具の持ち主を誉めた事にはならないどころか、逆に”スピーチの内容ないもんだから言葉誉めたのかい?”と、話し手に失礼にあたる事すらある。注意しましょう。


 前置きが長くなったけどさてスキーの本題!、と思ったら、もうこんなに書いちゃった。これ以上書くとくどくなるので、本題は次週に持ち越し。またねー!。
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