アイゼンを使う前に

 さて、今年は雪解けも早く、早々とスキーを片づけてHPの更新も終了した矢先、残念なニュースが飛び込んできた。4/22に発生した十勝連峰三峰山での滑落死亡事故である。一度終了したこのコラムではあるが、明日から始まる大型連休のG.W.を前に、ここに1個人の提言として臨時アップさせて頂く。
 アイゼン、これは山屋の活動範囲を飛躍的に広げてくれる、非常に重要・有効なアイテム。これなしでは厳冬期〜早春の森林限界以上の山域は登高不可能だし、訓練さえ積めば氷壁だって登れる優れモノ。最近は山の店に行っても、安いタイプだと1万円以下で手軽に買え、クライミングとは無縁の山スキーヤー・テレマーカーにとっても、”上部のクラスト対策用にちょっと”と買ったり、あるいは近年雪山へとステップアップしてきた中高年登山者が、あたかもワカンを買うような気軽さで購入したりする代物でもある。

 しかしアイゼンは、履けばカリカリの斜面も容易に登れるというその活動範囲の拡大の対価として、それ以上の代償を求める、いわば凶器とも言える。その隠れたリスクたるや、シール・スノーシューとは比べモノにならない。ここでこの点を強く訴えたい!。


 まずアイゼンを履くことで重心が高く、不安定になる。これはコギャル御用達の厚底靴履いて登山するのを想像して貰えば一目瞭然。そんな不安定な足下では、アイゼンの爪が雪面の凹凸やスパッツに引っかかっての転倒のリスクが増大する。特にヘロヘロに疲れた下山時などは、ちょっとした弾みでつまづいて、いとも簡単に頭から谷に投げ出される。

 また一度転倒すれば、アイゼンだけでは滑落停止は出来ない。誤解している人もいるが、アイゼンは登るための道具であって、止まるための道具ではない!

 そして恐ろしい事に一度滑落すると、アイゼンでは止まれないだけではなく、滑落中にちょっとでもあの出っ張った爪が雪面に触れようものならあっという間に引っかかり、足は無惨にも骨折・捻挫を起こす。滑落後たとえ斜度が緩くなって自然に止まれたにせよ、即活動不能状態。冬山で活動不能に陥る事、イコール”遭難”である。

 つまり例えるなら、山でアイゼンのみの着用と言うのは”ビレーを取らずにロッククライミングする”ようなもの。これはスポーツではなく、単なる命知らずの冒険でしかない。


 そのような凶器の一面を持つアイゼンだが、”ロッククライミングの際のビレー”にあたるモノもちゃんと存在する。ピッケルによる滑落停止である。つまりアイゼン登高とは、ピッケルによる滑落停止と組み合わせて初めてスポーツ登山の道具となりえる。

     今はどうだか知らないが、昔の大学山岳・WV部では、まず新人は初冬に滑落停止訓練をみっちり積まされたものだ。そして訓練山行途中の下山中にたとえ上級生から不意に後ろから突き飛ばされても、その際にもしっかり滑落停止姿勢が取れて初めてアイゼンの着用が認められる、そんな”有段者の帯”みたいな存在であった。

 つまりアイゼンを履く為には、事前にしっかり踏まねばならない前段階としての基礎練習が必要。もしそのような基礎もないままに、単に利便性だけでアイゼンを着用する事は、繰り返しになるが”ビレー無しのロッククライミング”と同じ位、命知らずな冒険行為である。
 ここまで私が初心者のアイゼンの着用に否定的な理由は、まだまだある。

  • アイゼン履くと滑落時に足を制動に使えない
       残雪期の柔雪だと、ピックを刺しても豆腐に爪楊枝刺したがごとく、全然制動が利かないどころか逆に加速する時もある。しかしアイゼンを着用していると、足で踏ん張って止める訳にもいかない。

       一方坪足なら、ピックと足の3点で踏ん張れる。ピックで止まらないような残雪期の腐れ雪なら、ビブラムソールの坪足の方がよっぽど安全・確実・ローリスク。

  • アイゼン転倒だと滑落時の初速度が高い
       ここではもっとも危険な下山時の話を取り上げる。坪足だと転倒のほぼ100%が、かかとのスリップダウンによる尻餅転倒。これは初速度ゼロの状態で即座にピックを刺せるので、よほど雪面が堅くない限りほぼ止まれる。もっとも止まれないほど雪が堅ければ、キックステップの坪足じゃ途中で引き返しているはずだから、これはあまり考えなくても良い。

       一方アイゼン時は、爪を引っかけての前転転倒がほとんど。仮に岩混じりの箇所で踏み出した足が弾かれてスリップダウンしても、後足の爪が氷にがっちり食い込んでいるので、結局頭から先に転倒する事に変わりはない。

       前転転倒だとよほどのベテランでもない限り、滑落停止姿勢取る間に加速してしまい、制御不能に陥るリスク大。転倒後1秒が勝負。

  • アイゼンでは、止まれない所すらいとも簡単に登れる
       いくら滑落停止と言っても、その停止能力には限界がある。比較的安全な尻餅転倒ですら、おそらく斜度45度以上もあれば、まずどんなベテランだって無理。第一ピックに体重掛けられないから刺さらない。初速度の付きやすい前転転倒なら、雪が堅ければ羊蹄9合目位の斜度でもうアウト。

       現在主流の前爪付きの12本アイゼンなんか、初心者だって平気で50度位の斜度を登れる代物。しかし登れたんだから下れるなんて、そんなに冬山は甘くない。


       実はかく言う私、若い頃”スーパースキー”と称して、急でカリカリのルンゼや沢の源頭を、ザックにA字型にスキー結わえてアイゼン登高してた。一応ピッケルは使ったけど実は単なるお守り。だって背負っていたスキーとストックが邪魔で、満足に滑落停止姿勢なんて取れなかったから。バカでしょー!

       おまけにそんな急斜面なんてせっかく登っても、満足に滑降なんて出来る訳もなく、ただひたすらジャンプしてはスキーを振り回すプロペラターンの連続。今から思えばあんなのスキーじゃなくて、ただウサギ飛びで降りてきたようなもの。ますますもってバカですネー!。


     但しこれだけモノが豊かに、且つ安くなり、また自分に都合の良い情報だけが湯水のように入ってくるこのご時世では、利便性の裏に潜むリスクに対しては、極めて無頓着になりがちである。特に、山岳会等に入っていない未組織登山者の場合はなおさらである。しかし自分にとって都合の良い情報は、物事の一面しか網羅されていない、薄っぺらな知識でしかない。両面を揃える為には、時として耳の痛いネガティブな情報も、自ら能動的に集める必要がある。

     はじめからリスクを承知で使うのであれば、それはその個人のリスク管理の範疇であり、人がとやかく言う問題ではないし、仮にそのような事態に陥ったとしても自分の判断の結果なのだから、あきらめもつこう。しかし、そのリスクを知らないで使い事故に陥ったならば、とてもリスク管理の範疇とは呼べないし、本人に取っても悔やんでも悔やみきれない悲劇となるであろう。


     さて、これから始まるG.W.、アイゼン持ってどこかの森林限界の山にアタックするご予定のある、未組織登山者の皆さん、一度我が身を振り返ってみて下さい。”ピッケル持ってない?”、そんなの論外、まずはアイゼンより先にピッケル買いましょう。取りあえずG.W.は樹林帯程度の山の残雪で遊ぶにとどめ、その代わり6〜7月の残雪期の硬い雪渓などで、ステップカットやらグリセードなどで、大いにピッケルに活躍して貰いましょう。

     もしピッケルに多少慣れていたとしてもあなたは、”下山時につまずいて、頭から谷に投げ出された際、確実に滑落姿勢が取れますか?”。もしこれも自信なければ、やはりその山は来年の楽しみに取って置いた方が無難です。まず本屋へ冬山登山の自習書でも買いに行って座学にいそしみ、来冬始めにでもツルツルの合羽着て、邪魔にならないスキー場の隅っこで、体が覚えるまで滑落停止ごっこを繰り返し(但しピッケルの石突き・ブレードはしっかりプロテクターで防護し、決してアイゼンは履かない事!)、自信が着いてからだって、決して遅くありません。

     大丈夫!、山は逃げませんからネ!。


       但しこの提言は、アイゼン使用に潜むリスクにあまりなじみのなかった、冬山初心者に対してです。なかには”アイゼンのみで滑落したらどうなるかなんて、貴様に言われなくても百も承知。だが俺は、やばい斜面で転ぶなんてへまはしないから大丈夫”とおっしゃる方もいるでしょう。ごもっともですし、実際クライミングの場面では滑ったら最後ですから、私の考えを押しつけなんてしません。ここからは”リスク管理”となり長くなりますので、突っ込んだ話は続編 にて。

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