近年のバックカントリーや、オフピステブームについて思うことー2

 前回、山では、どこを滑ろうと自己責任。個人の自由だと言いました。確かにそうですが、でも私がツエルト・スコップ等で重装備で登ってくる山に、全く手ぶらで地図すら持たずに登ってくる若者を見ると、私のような年寄り(もうそんな年になったか!)には、やはりちょっと思うところがあります。忠告というほど堅苦しい話ではないので、まあ聞いて下さい。

 私が山スキーを始めた20年前はゲレンデスキー真っ盛り。山スキーなんて、山屋の中でも極一部の人だけに許された世界でした。春・夏・冬と、地図読み、天気図の付け方・読み方をみっちり叩き込まれ、合宿と称して先輩の飲む酒・ビールや食料を担がされて体力を付け、時折”装備点検”と称して抜き打ちでザックの中をチェックされ、最終的に、”雪山に行くに値する”と判断された者のみが行ける、いわば特権みたいなものでした。

 このご時世にはとてもはやらない、旧体育系の典型的なやり方で、当時はうんざりしていましたが、今になってこのことが、身になっていると感じることが多くなりました。決して”真似しろ”とは言いません。”こんな時代もあったのですよ”と、愚痴を聞いて欲しかっただけです。


 近年、ボードがはやるようになってから、”ボーダーの聖地○○でフリーライド”だの、”○○山バックカントリー”だのと称して、深雪を雪煙を上げながら滑るシーンを、雑誌やテレビ・ビデオ等のマスメディアが盛んに流しています。

 私もパウダーが好きですし、他の人にもこの楽しさを知って欲しいと思っています。このHPだってそれが趣旨で始めた位ですから。ただマスメディア等にお願いしたいのは、深雪を滑る楽しさを伝えると同時に、その裏側には、たとえば雪崩や遭難等の危険も潜んでいることを、表裏一体として是非一緒に伝えて欲しいのです。

 確かにそんな説教臭いこと書いたり放映しても、メディアの人気につながるわけでないのは承知の上です。ただ”報道の自由”とは、”正しいことを伝える”という義務があってこそ、初めて主張出来る権利です。話は大きく飛びますが、あの所沢のダイオキシン野菜の報道についても、”正しいことを伝える”義務に、一部不十分な点があったからこそ、あれだけ問題になったのです。もしこれで、政治・行政の強権発動の口実にこれが使われて、その介入の事態に至った際には、自分で自分の首を絞める”ジャーナリズムの自殺行為”とも言えます。

 バックカントリーについても、深雪の楽しい一面だけを伝え、それに触発された読者・視聴者の事故がもし多発したとして(すべてがメディアだけの責任とは言いませんが)、その結果行政が介入してくる事(規制の強化)にでもなれば、メディアも、読者・視聴者も、楽しいフィールドから追い出されかねず、結局のところ得をする者は誰もいません。これも自分で自分の首を絞める”自殺行為”に他なりません。


 あと読者・視聴者もおのおのが、その楽しさの裏側にひそむ危険性を認識して、常にアンテナを延ばして身を守ることが、自分のためだけでなく、その遊びの世界全体にもメリットがある事を、知っていて欲しいです。為になる情報とは、金魚が口を開けていて餌がもらえるような、そんな安直に、また一方的に与えられるものではないのです。積極的に自分で情報収集する必要もあれば、耳が痛い苦言を聞かされることもあるでしょうし、またただでは手に入らずに、多少の出費をして買う必要もあるものなのですよ、本当に必要な情報とは!。

ちなみに私のお薦めの2冊は、

 そこまで両者が到達して初めて、日本も”成熟した”社会と呼べるようになるのでしょうが、今はただただ、早くそうなって欲しいと願うだけです。(なんかそれとは逆行しているような危惧が、ない訳でもないのですが....)
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