強制連行・強制労働の責任を追及し未払賃金の

返還を求める日本製鉄元徴用工(大阪)裁判の

実質審理と公正判決を求める要請署名

日本製鉄元徴用工(大阪)裁判(平成九年ワ一三一三四号損害賠償等請求事件)の審理にあたって、左記の点につき

貴裁判所に要請します。

 

一、歴史的事実をふまえて実質審理を尽くすこと。

一、原告らの半世紀に及ぶ痛みを受け止め、一日も早く

   公正な判決をくだすこと。

 

一九九七年十二月二十四日、太平洋戦争当時、日本製鉄大阪製鉄所(当時―大阪市大正区)に強制連行された元朝鮮

人徴用工の方二人が日本政府と新日本製鉄株式会社を相手取り、未払い賃金の返還と損害賠償並びに謝罪を求めて大阪

地裁に提訴を行いました。

戦前、アジアへの侵略・支配を拡大していった日本は、朝鮮半島をアジア・中国侵略の「兵站基地」として位置づけ、

過酷な植民地政策により農民から土地を奪いつくし、半島の隅々から日本の侵略戦争を進めるための物資を奪い、労働

力の調達のために、当時の警察・行政機構などをもフルに活用しなりふり構わぬ強制連行を行いました。

強制連行にあたっては、肉体的な強制的手段のみならず、あるときは「募集」という形式をとるなどありとあらゆる

手法を駆使して、当時の若者を日本の侵略戦争遂行のための強制労働につかせていったのです。そして、敗戦までに朝

鮮各地から七〇万人とも一〇〇万人ともいわれる労働者を強制連行したのです。

一九四三年九月、ピョンヤンに「出稼ぎ」にきていた原告二名(呂運澤―ヨ・ウンテクさん、申千洙―シン・チョン

スさん)も日本製鉄株式会社の「募集」に応じ、同じ時募集された九十九名の青年と共に日本製鉄大阪製鉄所(当時)

に強制連行されたのでした。

強制連行後は、日常監視を受けながらの寮生活、また外出の制限など不自由な生活を強いられたうえ賃金については、

逃亡を防ぐ目的で「強制貯金」させられ、その賃金が結局支払われずに現在にいたっているのです。

戦後、日本製鉄は、原告らに一片の通知を送ることもなく、日本政府の指示の下に未払い賃金を一方的に法務局に供

託をして以後五〇年間放置してきたのです。

しかし、第一回口頭弁論における被告新日鉄、国の答弁は「『日本製鐵の行為』の当時には、被告会社は存在してい

ない…日本製鐵は、昭和二五年四月一日をもって解散した。」(新日鉄)「明治憲法下では、権力的作用に基づく加害

行為による国の損害賠償責任は認められて」いない(国)などといずれも事実をまったく見据えずに勝手な法律論を振

り回し原告らの五〇年間の痛みを受け止めようとしていません。

当時を振り返り呂運澤さんは「一年九ケ月の生活は、無報酬と、言い尽くせない苦痛と飢えの中で未来を予測できな

い生活」で「私のような数多くの韓国人たちの血と汗と「恨」が染みついている…日本の工場や鉱山で苦痛と苦しみの

中で働いていた…人達の痛みを決して忘れてはならない」と訴えています。貴裁判所におかれましては、原告らの五十

年間晴らされることのなかった「恨(ハン)」を受け止めて、過去の歴史的事実を見据えた実質審理をつくしたうえで、

公正判決を下されるよう要請いたします。

 

大阪地方裁判所 民事第二十部 御中

 

 

   氏    名

 

 

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        取扱い団体・個人(                         )

 

     (連絡先  日本製鉄元徴用工裁判を支援する会  大阪市城東区蒲生二―三―三十村上ビル三一一号) 

 
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