オリンピックとその歴史


 オリンピック。子供のころから一度は耳にしたことがあるはずです。しかし、オリンピックとは何か、知っている人は実に少ないのです。そんな誰も知らないことを一人だけ知ってみませんか?




古代オリンピック
―オリンピックの黎明―


オリンピックとは紀元前776年から
4年ごとに開催された、
ギリシャのペロポネソス半島北西部にあった
聖地オリンピアで催された
ギリシャ神話の主神ゼウスのための祭典のことです。
この祭典はギリシャ全土をあげて行われ、
ギリシャ各地の都市国家群は
たとえ戦争中であっても休戦して
参加しなければなりませんでした。

この祭典では、神へのささげ物として、
数々のスポーツ競技、芸術競技が行われました。
スポーツ競技は競走、五種競技、戦車競走、
パンクラティオン、相撲、モンゴル相撲、韓国相撲、
トルコ相撲、指相撲、紙相撲、泣き相撲、相撲甚句、相撲茶屋、
一人相撲、唐子相撲、相撲酒盛り、相撲取草、相撲取り裸で風邪ひかん、などの多彩な競技が行われていました。
また、芸術競技は詩、悲劇、喜劇、ミュージカル、
森光子の放浪記、小堺君のおすましでshow、ストリートミュージシャン、
居酒屋で演劇論を熱く語る、同人誌即売、コスプレ、
歌って踊ってバレーもできる、ドラマに挑戦、口パク、
客いじり、タモリさんが出てきたら拍手おねがいしますなどが
知られています。
また、この競技は神にささげるもので、
宗教的な理由から、競技者、観客ともにすべて男性で、
競技者は全裸で競技をしていました。

しかし、そうした古代オリンピックの繁栄も
長くは続きませんでした。
紀元前146年ギリシャがローマ帝国に併合され、
ローマ帝国全土から参加者が集まるようになったのも束の間、
392年、ローマ帝国皇帝テオドシウスが
キリスト教をローマ帝国の国境と定めたのです。

キリスト教の国教化により、オリンピア信仰は
邪教となり、その宗教儀式である
オリンピックも廃絶への道をたどります。
393年、293回オリンピックを最後に、
その短い歴史に幕を閉じました。


近代オリンピック
―オリンピックの復興―

1892年、フランスのピエール・ド・クーベルタン男爵は、
ソルボンヌ講堂で重大な演説をしたのです。
「ルネッサンス・オリンピック」と名づけられたその演説は、
古代オリンピックの概念を生かし、
各国から選手が集まり競技を行う、
平和のための祭典を行う…。
クーベルタン男のこの思想に共鳴した国々が、
1896年アテネで第一回オリンピックを
開くこととなったのです。
第一回オリンピックでは陸上、水泳、体操、レスリング、
フェンシング、射撃、自転車、テニスの8種目
42競技が行われました。
クーベルタン男の悲願が叶い、
世界の国々がスポーツのため集まる
オリンピックがここに復活したのです。
そのご、万国博覧会のおまけとなったり、
クーベルタン男が「オリンピックで重要なことは、
勝利することより、むしろ参加したということであろう」という
発言をペンシルバニアのエチェルバート・タルボット主教から
パクったり、
さまざまな紆余曲折をへてきましたが、
第四回大会からは各国のオリンピック委員会の
参加となり、
第五回からは日本も参加していよいよ盛り上がりを見せようとしたとき、
大きな障害が持ち上がったのです。


戦火の中のオリンピック
-オリンピックと戦争-


第一次世界大戦が勃発したのです。
このためクーベルタン男の必死の戦いもむなしく、
第五回ベルリン大会は中止されました。
近代ではオリンピックは戦争を防止する力はなかったのでしょうか?
それを否定するかのように、
第七回オリンピックは戦争の被害を大きく受けた
ベルギーのアントワープで開催されました。
平和の象徴としてのオリンピックの存在が
クローズアップされてきたのです。
しかし、このクローズアップされた
オリンピックを利用しようとする男が
あらわれました。
ナチス・ドイツ総統アドルフ・ヒトラーです。

第11回ベルリンオリンピックでは
それまで都市主催であったオリンピックを
国家主催にし、聖火リレーなどの派手な
ショーアップを行い、レ二・リーフェンシュタールが
撮影した記録映画が世界各地で大反響を
呼ぶなど、「興隆する新しいドイツ」の
アピールにオリンピックは利用されたのです。
このヒトラーに対抗すべく、
1925年にIOC会長を辞任していたクーベルタン男は
1937年改造手術を受け、
恐怖・クーベルタン男として生まれ変わったのです。

クーベルタン男はファシズムに対抗すべく
裏IOCを創設、オリンピック活動を阻止しようとする動きを
未然に防止すべく、諜報、政府ロビー活動、資金操作、
非合法活動、ボランティア活動、赤い羽根運動、
吉本新喜劇ヤメヨッカナ?キャンペーン、などを通じて、
オリンピックを裏から支える運動を開始したのです。
しかし、世界の戦雲は徐々に濃くなり、
第12回東京オリンピックは日本軍部の判断で
中止が決定され、第二次世界大戦がはじまり、
第13回ロンドン大会も中止を余儀なくされました。
このままではオリンピックの存亡に関わります。
裏IOCは戦争を終結させるため
戦争の裏舞台で活躍を始めました。
ドイツの暗号機「エニグマ」を奪取し、
スターリングラード、ノルマンディー上陸作戦、
ベルリン陥落すべてにおいて裏IOCが
暗躍したといわれています。
また、太平洋戦域でも活躍し、
ミッドウェーにて日本連合艦隊を破り、
ガダルカナル、レイテ、テニアン、サイパンと、
米軍を助けました。
しかし、日本海軍には最強の戦艦大和が
ありました。これがある限り日本海軍はそう簡単に
降伏しません。
そこでクーベルタン男が戦艦大和と対決すべく
沖縄近海に出動しました。
大和が46cm三連装主砲で砲撃すれば、
クーベルタン男はIOCレーザーで応戦、
クーベルタン男が口から小型クーベルタン男飛行タイプを
発射すれば、大和は12.7cm連装高角砲で撃墜する。
こうして激しい戦闘が3時間にわたって続き、
ついにクーベルタン男を46cm三連装主砲の砲弾が貫きました。
しかしクーベルタン男は倒れながらも、右手で大和の甲板を
つかみ、海中に大和を引きずり込みました。
大和と運命をともにしたクーベルタン男は、
今も沖縄の海に沈んでいます。
その後、計画された米軍の九州侵攻作戦はその名も
「オリンピック作戦」。
日本本土に上陸し、首都東京に迫ろうという作戦でありました。
しかし、日本の降伏により、その作戦は中止されました。
裏IOCとクーベルタン男の戦いの結果、平和はついに取り戻されたのです。



新生オリンピック
―オリンピックの繁栄―

戦後、第14回ロンドン大会により復活した
オリンピック、その後も順調に回を重ねていきました。
しかし、第22回モスクワ大会で異変が起きました。
ソ連のアフガン侵攻に対抗してアメリカ他、
西側諸国がボイコットを表明、
さらに4年後の第23回ロサンゼルス大会は
それに対する報復として東側諸国がボイコット、
オリンピックは再び政治の場となったのです。
しかし、このことに憂慮した裏IOCが
共産圏諸国を壊滅させ、
ベルリンの壁を爆破したのは記憶に新しいところです。
その後、オリンピックはいよいよ隆盛をきわめて
いまや200の国と地域が参加し、
全世界をほぼ手中に収めようとしています。

今、世界は危機に瀕しています。
オリンピックから世界を守りましょう!

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