神様とトゲとヒゲと触角と映画

               作  御那羽 忍












(何なんだよ全く・・・…)
私はイラついていた。自分でも実に不謹慎な事だと思うのだが非常にイライラしていた。目の前にいる男に微かに殺意すら抱いていた。
(あ〜……早くしないと間に合わねぇじゃねぇか…)
警察官になって早7ヶ月、やっとこさ交番勤務にもなれてきた矢先に殺人事件。考え様によっては腕の見せ所なのだが、あいにく、今日は、今日は見たい映画があるのだ。残念な事に、ビデオ録画予約はしていない。とてもマニアックな映画でビデオ化されておらず、故にレンタルショップに行っても、無い。映画くらい…と思うかもしれないが…見たいものは見たい。本当なら今ごろは、家で飯食ったりしながら始まるまでの時間をつぶしているはずなのに…。
(馬鹿犯人が…人の事も考えろ…)
あと1時間で映画が始まる。
目の前には、犯人と、ただの肉の塊になった一般市民の方々が数名…アスファルトに赤黒い色をぶちまけていらっしゃる。
(タイミングが悪いんだよな…)
そう、実にタイミングが悪かった。
いつものように町内の巡回を順調に終えていれば、今ごろは交番で日誌書いて、夜勤の萩田さんと交代して帰り支度しているはずなんだが…。そうすれば交番のビデオで録画予約も出来たんだが。佐野のおばぁちゃんとチョット話しこんでしまったために…。まさか、商店街のアーケードに入ったら、変な男が刃物振り回して「今日の晩御飯はなんにしようかしら」なんて考えて買い物中の奥様連中をバッタバッタと切り伏せている場面に出くわすとは…一体誰が予想できるだろう。少なくとも私には予想出来なかった。
(それにしても、萩田さんは…って言うか応援はまだかよ…)
この嘘みたいな惨劇に遭遇してから既に十分はたっている。交番には時間的に萩田さんがいるはずだし、流石にこんなに人が死んでいるんだから誰かが一一〇番しているはず。そろそろ応援がきてもいいはずなんだがなぁ。こんな奴相手に一人じゃあどう対処していいものか。
「チョットおまわりさん、どうにかしなさいよ」
…と言われても、一体どうしたら良いのかわからない。
「早く何とかしろよ」
早く何とかしたいのはこっちも同じ。言われなくてもわかっている。
(でもねぇ…)
目の前の男をあらためて見る。年は、三十を過ぎた位だろうか、服装はきちんとしている。だが着ているスーツは血に塗れ何とも言い様のない色になっている。右手に血まみれの刃物、左手には何故か近所のスーパーの買い物袋。周りには数体の元一般市民。もう訳わからん。
(とりあえず話をしてみないとなぁ…)
その時、男が喋った。
「なぁ、おまわりさん」
遠くからパトカーのサイレンが聞こえてくる。ようやく応援が来たらしい。
「なんでサボテンにはトゲがあるか知ってますか」
(何を言っているのだ…この男は)
「なんでサボテンにはトゲがあるのか知ってますか」
繰り返す。そして、一歩、こちらに歩き出す。
(何なんだ。何なんだ一体。訳がわからん)
「じゃあ、猫のヒゲは何のためについてるのか知ってますか」
男は走り出していた。
「じゃあ、ゴキブリの触角は、ゴキブリの触角は、何のために。何のために」
男はもう目と鼻の先にいた。
…ぶつっ…
嫌な音、右肩に衝撃。男の勢いに私は後ろに倒れる。見れば男の手にした刃物が突き刺さっている。
「トゲは、ヒゲは、触角は、何のためにあるのか知らないんですか」
男は倒れた私を見下ろしながら、相変わらず訳のわからないことを言っている。そして訳のわからないことを口走りながら私の方に突き刺さった刃物を引き抜く。
その時。
どんっ。
目の前を何か大きな物が横切り、男にぶつかり、男もろとも視界から消えた。
(何…)
「おい…大丈夫か」
萩田さんがいた。見れば大勢の警官が周りにいる。先程、目の前を横切った物は警官の一人で今も男ともみ合っている。
ごろごろごろ…男と警官は上になったり下になったり。
が、突然その動きが止まる。警官の首の辺りから赤い物が、しゅーっと吹き出たかと思うと、警官はぐったりと崩れ落ち、男がふらーっと立ち上がった。
「おまわりさん」
男が叫ぶ。
「サボテンのトゲは」
「キサマッ」
同僚の死を目にした警官が男に向かう。
「猫のヒゲは」
だが、警官の動きが止まる。
「ゴキブリの触角は」
男は銃を手にしていた。今しがた殺した警官から奪ったのだろう。
「何のためにあるのか」
パン…と、実にあっけない音がして警官が倒れた。
「それはね」
(…………)
「アンテナなんですよ。サボテンのトゲは、猫のヒゲは、ゴキブリの触角はアンテナなんですよ。月の裏側に住む神様からの指令を受け取るためのアンテナなんですよ」
商店街のどこかの店のテレビから、聞き覚えのある曲が流れてきた。あの映画が、あれだけ見たかった映画が始まったらしい。けれど、そんな事は、もうどうでもよかった。
「サボテンは緑であれ、猫はニャ―と鳴け、ゴキブリは台所の隅をカサコソと這い回れ、という神様からの指令を受けているのです。そしてある日、私もその指令を受け取る事が出来たのです。それは突然でした。好きな映画を見ていたときに、突然、頭の中に神様からの声が聞こえてきた」
男はまるでオペラ歌手のように語り、また一人警官を撃ち殺した。
「今も、聞こえてくる、指令が、神様は、私に、進め、進め、進め……」
突然、男は銃を投げ捨て、すぐそばの路地に消えていった。
一瞬あっけに取られていた警官たちがその後を追う。
(…あ、痛ッ…)
私は、急に右肩に焼けるような痛みを感じ、そのまま意識を失った。

 男は死んだ。
 私は病院でその知らせを萩田さんから聞いた。
あの後、男は翌日の昼まで逃げつづけたが隣町のとある歩道橋に追い詰められた。二十人近い警官に取り囲まれた男は
「神様の運転する車が今この下を通る。その車に乗って私は月の裏側の神様の城に行きます」
と言って、もうこれ以上ないといった笑顔で歩道橋下の道路に飛び降り、時速80キロで走行中の大型トラックに跳ね飛ばされて死んだ。跳ね飛ばされた男の体は空中を十回転ほどした後、道路わきのガードレールに激突。まるで「中国雑技団の体のやわらかい少女」のように体が折れ曲がった状態でガードレールに引っかかっていたという。ただ、運悪い事に下校中の小学生の少女数名が、突然に現れたおぞましい肉の塊を目の当たりにしてしまい、その死体の凶悪なまでの笑顔を目の当たりにしてしまい、それはもう大変な事になったという。本当に運が悪かったとしか言いようが無い。
 一般人8名、警官3名を殺害。そして不幸な小学生数名の心に壮絶なまでのトラウマを残したこの男は、近所に住むごく普通の会社員だった。近所の評判も、会社内の評判も悪くない…いたって普通の人間だった。ただ最近独り言が多くなっていたという。男には妻も子供もあったが数年前に離婚している。その後、一人身の寂しさを癒すためか、猫を数匹飼っていた。家は、親から受け継いだ一戸建てで、捜査のために行った知り合いのの警官に聞いてみたところ、家の中には特に変わった事は無かったが、ただ、押収した男の日記には「電波系」とでも言うような常人には理解不能な内容が書き連ねてあったという。
 
結局、犠牲者十一名というこの事件は「精神異常者の起こした殺人事件」としてしばらくの間ワイドショーなどで取り上げられたが、やがて人々の記憶から消えていった。私も右肩の傷が癒えるとともにあの事件を、あの男の事を忘れていった。いや、おそらくは無理矢理にでも忘れていったのだろう。

 あれから二十年、私はちょっとしたコネもあり県警の刑事部長まで出世した。
誰もあの事件の事なんて、あの男の事なんて覚えてはいない。あの不幸な小学生の少女達も成長し、それなりにショックから立ち直っている事だろう。私は右肩の古傷がたまに傷む事があり、その時ふと思い出す事もあるが、あのときの事はその程度の記憶でしかない。あれから、あれ以上に悲惨な事件にも数知れず出会ったし、あの事件以上に不条理な事件にも数多く出会った。あの事件の記憶は、もう今では「ああ、そんな事もあったな」程度の物の一つでしかない。

 その日は、とある事件の捜査のために、過去の事件の資料を整理していた。その資料の中に、あの事件の資料があった。確かに「その程度の記憶」という物だが、私にとってはやはり生まれて初めて出会った事件であり、何より自分自身あの時傷を負っている。資料に目を通すうちにあのときの記憶が頭の中に浮かんでくる。確かに嫌な事件だった。そして変な事件だった。
(あれからもう二十年か…)
資料の内容は、当たり前の事だが、その目で見たり聞いたことのある、知っているものだった。けれどもただ一つだけ私の知らないことがあった。
 押収品のリストの中に一本のビデオテープがあった。
 あの時、ちょうどあの日、放映されていたあの映画のビデオが…あの、私が見たくて仕方が無かった…あの映画のビデオテープがあったのだ。
 あの映画は、あれから二十年間一度も放映されず、レンタルショップにも並んでいるのを見たことが無い。私は突然にこの映画が見たくなった。
 連絡を取ってみた所、まだこのテープは倉庫に保管されているらしい。
 さすがに押収品を持ち帰るわけにも行かないので、係の者にダビングしてもらい…職権乱用のような気もするが、そこはそれ、今の地位の特権だと思う事にしよう…とにかく私は念願のあの映画を見る機会にめぐり合った。
 
自宅に戻った私は、一人、食事を済ませビデオを見る事にした。
妻も子供も実家の法事で家にはいない。暇つぶしにもこのビデオはちょうどいい。しかし、この映画を見るのは何年ぶりなのだろう。あのときから二十年経っているのだ、少なくとも二十数年ぶりということになる。そう思うと余計に期待で胸が膨らむ。一体どんなストーリーだっただろうか。出演しているのは誰だっただろう。思い出せない。が、思い出せない事が、余計に期待に変わっていく。
ビデオが再生される。

いきなりCM。しかも映像は荒い。
(テレビ放映の録画か…)
やがて今は無き映画放送番組のオープニングが流れる。
(あぁ、思い出した。私がこの映画を見たのもこの時だ)
そして司会者による紹介が終わりようやく映画本編が始まる。
(…………)

……………………………………

映画が終わった。
(…こんな物だったかな…)
懐かしかった。確かに懐かしかったが、それ以上ではない。自分が期待していたような感動は無かった。ストーリーも言ってしまえば「ありきたり」で、出演者もあまりパッとしない、はっきり言えば「二流・三流役者」ばかり。まぁ、面白くない訳ではないが、普通の面白さでしかない。
(もっと面白かったと思ったのになあ…)
あまりにも釈然とせず、不完全燃焼気味なので、もう一度見ることにする。期待しすぎて内容を味わう事が出来なかったのかもしれない。あらためて見てみよう。
ビデオを巻戻し、もう一度再生。
………やはり驚くほどの事も無い、ごくありふれた普通の映画だ。始めてみたときには何かしらの感動があったのかもしれないが、ビデオに撮ってまで見るような映画ではない。
(私も…だが、あの男も何でビデオに撮ってるのかねぇ…)
そう思ったとき電話が鳴った。
とりあえず音量を下げて、受話器を取る。
「もしもし」
電話は実家にいる娘からだった。
「もしもし、お父さん。今何してるの」
「あぁ、ずいぶん昔の映画のビデオ見てるとこだ」
画面には音の無い、まるでサイレントムービーのように画像のみが映し出されている。
(声が無くてもあまり変わらん映画だな…)
「何、面白いの、その映画」
「いや、面白かったと思ったんだけど、あんまり…」
面白くない、と言おうとしたとき
『サボテン』
と言う声が聞こえた。
「なぁ、今『サボテン』って言わなかったか」
「ん〜ん、言ってないけど」
(気のせいか…)
と思ったとき、また声が聞こえた。
『猫のヒゲ』
聞こえた。確実に聞こえた。
「なぁ、今『猫のヒゲ』って聞こえなかったか」
「なぁに、どうしたのお父さん。ボケが始まったの」
娘には聞こえてはいないらしい。…ということはこの部屋で聞こえているという事だ。テレビの音量は電話の向こうに聞こえない程度に下げているし、そうでなくてもこの映画に『サボテン』とか『猫のヒゲ』などと言うセリフは無い。
「すまんな、ちょっと用事が出来た。また後でこっちからかけなおす」
受話器を置く。電話の向こうでは娘が何か言っていたが、かけなおして謝っておけばいい。今はそれよりも謎の声の正体を突き止めるのが先だ。
 じっとその場で耳を澄ましてみる。
 ……何も聞こえない。
 部屋の外からあれだけ鮮明に音が入ってくる事は無い。
(この部屋に何かが…)
部屋の中を見回してみる。
誰もいない、特に変わった事も無い。
(やっぱり気のせいだったのか…)
 と思い、テレビの画面を見たときだった。
『アンテナ』
 聞こえた。
 部屋の中には誰もいない。何もおかしい物は無い。無いはずだ。
でも、確かに聞こえた。『サボテン』『猫のヒゲ』『アンテナ』確かに聞こえた。断じて幻聴などではない。『サボテン』『猫のヒゲ』『アンテナ』と確かに聞こえた。
その時、私は思い出した。
「なんでサボテンにはトゲがあるか知ってますか」
「猫のヒゲは何のためについてるのか知ってますか」
「アンテナなんですよ」
二十年前のあの時、あの男は言っていた。あの男の言っていた言葉。
「それは突然でした。好きな映画を見ていたときに、突然、頭の中に神様からの指令が聞こえてきた」
(映画を見ていたとき…まさか…ねぇ…)
画面に目をやる。音は出ていない。だが、
『…ての生命は皆、生きるため…』
聞こえた。スピーカーから音は出ていない。念のため耳をふさいでみる。
『…れは絶対であり、そうする事が正し…』
聞こえる。頭の中に響いてくる。画面を見ていると、直接頭の中に響いてくる。
『…これは指令です。サボテンがサボテンであるための…』
音は出ていない。だが画面の中の出演者の唇が、言葉を紡いでいる。本来のセリフとは全く違う事を話している。
『…猫が猫であるための…』
『…ゴキブリがゴキブリとして生きるための…』
二十年前にあの男が言っていた事が
『…貴方はアンテナを手に入れたのです…』
あの人殺しの言っていた事が
『…サボテンのトゲ、猫のヒゲ、ゴキブリの触角…』
私を殺そうとした男の言っていたことが
『…人間が失ったアンテナを、貴方は…』
頭に直接、聞こえている。
『手に入れたのです』
神様の声が。



あれから毎日のように、「神様」から指令が届いている。
耳をふさいでも、目を閉じても、指令は届く。
私は、サボテンのトゲである、猫のヒゲである、ゴキブリの触角である「アンテナ」を手に入れてしまったのだ。
神様の指令が「正しい」事なのかは、私には、もう、わからなくなっている。
神様の指令は公平であり、慈悲に溢れながら、無慈悲だ。
神様は「お前自身のためである」と言い
それが「世界のためである」と言う。
神様は月の裏側にある城から指令を電波に乗せて飛ばしてくる。
「お前は世界を照らす光になれ」と言う。
「お前の光が月の裏側の暗闇を輝きで満たす」と言う。

今、私は署内の「銃器及び危険物保管所」の前にいる。



そして……神様の指令が届く。










                            BAD END







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