西方暦 |
出来事 |
1040年 |
ハイデルランド王国、エステルランド王国に改名 |
1041年 |
ケルバー「王国自由都市」の特許状を得る |
1042年 |
クラウン金貨鋳造開始 |
1046年 |
ヒルデガルド・フォーゲルヴァイデ誕生
正妃マティルダ・フォーゲルヴァイデ死去
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1050年 |
妾妃マルガレーテ、正妃に |
1056年 |
ガイリング二世により、ハウトリンゲン公国を奪われる。
ハウトリンゲン公国は、その後、ブレダ王国として、ガイリング二世に治められる
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1060年 |
現在。ブレダ王国と交戦中 |
元はハイデルランド王国だが、ヘルマン一世が改名してしまったため、
上の年表はあえてエステルランド王国のみにしてみた。よって、
こちらでもエステルランドのみを追いかけてみたいと思う。
エステルランド王国自体もまた、ブレダ王国同様、歴史の浅い王国である。
国王であるヘルマン一世は、元はエステルランド公国の公でしかなかったが、
兄であるヘルラント一世の治める、ハイデルランド王国に対し宣戦を布告。
見事にこれに勝利し、国王の座を兄から奪い取る。このときの戦争は、
ハイデルランド併合戦争と呼ばれており、この戦争の勝利から、
エステルランドの歴史は始まる。
国王であるヘルマン一世は英雄としてたたえられ、数々の伝説も残っている。
現在でも彼の一般的な評価は、老いたりと言えども獅子、すなわち英雄とされている。
ただし、メオティアの森を焼き払ったとして、全てのエルフから嫌われている人物でもある。
現在、ブレダ王国と交戦中ではあるが、ペネレイアの教皇の視点から言うとこれは内紛で、
正式に認可している王国はエステルランド王国であり、エステルランド王国の国王は、
ヘルマン一世である。
友好国よりも敵対国のほうが多い辺りに、将来が危ぶまれるが、
それでも持ちこたえているところを見ると、要所要所で強い結束を発揮しているのだろう。
ただし、その結束もいつ崩れてもおかしくない状態であるために、エステルランド王国自体は、
存亡の危機にあるといっても良いだろう。