もどる

住民の会からのアピール


老年よ、大志をいだけ!(6月3日杉並公会堂)

  はじめに

 「住民の会」は、ここに杉並36町の代表50人、700をこえる会員をもって結成をかちとりました。しかし、この結成大会は、たたかいの終点ではなく、新たな出発点となるものです。わたしたちは、この結成大会を期して、杉並全区の高齢者と、その家族、ヘルパーをはじめとした介護にたずさわる労働者、そして人間らしい介護と福祉を求める全区民を結集した「いのちのネットワーク」を広範につくりだし、全国にそのネットワークを拡大していく出発点を打ち立てなくてはなりません。新たな決意に立って、全会員打って一丸となって進もうではありませんか。

  老年よ、大志をいだけ!

 すべての高齢者は、もっと堂々と生きるべきです。お年寄りとは、社会から邪魔者扱いされたり、助けてもらうだけの存在ではないはずです。高齢者こそ社会変革の主人公、社会の担い手なのです。
 いまや「高齢化社会」だと言われています。しかし、この高齢化社会ということが、まるで悪いことのように言われている。高齢化社会とは、戦争がなく、平和であることの証拠ではないでしょうか。それは、人間の社会にとって本来の姿であり、これほどすばらしいことはないのです。
 だからこそ、お年寄りは、もっと堂々と、もっと大手を振って、もっと胸を張って生きるべきです。そして、もっと主張すべきです。みんなが持っている豊富な経験と知識が、もっと活かされるべきなのです。
 いま、まるで、お年寄りは人間ではないとでも言わんばかりの政治がまかり通っています。生きていることが、あたかも迷惑であるかのような政治が平然と行われている。これに、誰もが疑問を感じています。しかし、黙っていたら何も変わりません。これを変えることができるのは、誰でもない、お年寄りじしんなのです。お年寄りが本気になって立ち上がったとき、若い人たちは必ずそのあとにつづきます。
 わたしたちは、世の中を憂い、不安に身をちぢめ、小さくなっていてはなりません。憂いを怒りに変え、不安を吹き飛ばして、自分たちの手で、世の中をつくりかえようではありませんか。たしかに、一人一人は名もない、小さな存在かも知れません。しかし、わたしたちには、団結という武器があります。杉並36町、1000人にも達しようとする団結がある。これをもっと拡大し、全国にも押し広げていけば、怖いものなど何もありません。住民の会は、こういう大いなる志をもって、世直しの先頭に立ちます。

 みんなは一人のために、一人はみんなのために

 わたしたちの運動の原点は、上荻に住むBさんの願いをかなえることです。下半身麻痺という障害を乗り越えて、「自立して生きたい」という意志をもって家族やヘルパーの協力のもとで、必死になってがんばってきたBさんが、介護保険によって、これまでの介護が受けられなくなったのです。介護が受けられなくなるということは、生きられなくなるということを意味します。
 このBさんが生きる希望を取り戻し、笑顔を回復する、そのために必要な介護を保障させる。わたしたちは、何よりも、そのためにこそ団結したのです。Bさんが希望をもって生きることができる行政(杉並区)、それができる国の政治をつくる。これが、わたしたちの団結の原点です。
 この要求は、Bさんだけのものではないはずです。同じように苦しむ何千、何万もの人々が、共通する要求を持っています。Bさんが希望をもって生きることができる社会をつくるということは、一人も泣き寝入りすることがない社会をつくることにつながるのです。
 住民の会は、「みんなは一人のために、一人はみんなのために」ということを大事にします。この団結を杉並全地域に広げ、ヘルパーやケアマネージャーなどの労働者とも手をとりあって進みたいと思います。いまや、住民の会の会員は杉並全区に広がっています。井草や天沼には連絡所もできました。グループ介護の経験や施設を持つ方の参加や、ヘルパーのみなさんの参加も広がっています。こうして、わたしたちじしんの力で互いに助け合う、大きな地域的ネットワークをつくっていこうではありませんか。そして、このネットワークを、全国に拡大し、介護保険の廃止を実現してみせようではありませんか。

 介護保険の廃止は、いのちの叫び!

 介護保険の実施から2ヶ月がたちました。しかし、この2ヶ月の間に、いったい何が起こったのでしょうか。鹿児島では、90才の女性が、家族にこれいじょう負担をかけたくないと言って、死を選ぶという痛ましい出来事が起こりました。東京でも、老健から追い出されるという不安のなかで、70代の男性が、死に追いやられました。現に、お年寄りが殺されているのです。何人もの人々が、生きる希望を失い「早く死にたい」と言っていると言います。
 この介護保険について、さまざまな議論が行われています。「試行錯誤を繰り返していいものに」とか「はじめから完璧は無理、徐々に進化させる」など。しかし、まったく冗談ではありません。「完璧でない」介護保険によって、目の前で、お年寄りが苦しめられ、命を削られ、不安にかりたてられ、絶望に追い込められているのです。日々、血が流され、涙が流されている。まさに、この事実こそが問題なのです。お年寄りはモルモットなどではないのです。
 介護保険によって変わったのは、国が、すべての国民の生きる権利の保障を投げ捨てたということにこそあるのではないでしょうか。よく「財政危機だ」と言われます。しかし、本当に国に金がなくて、誰にたいしても介護や福祉が保障できないのなら、誰も文句は言いません。しかし、銀行を助けるためには湯水のように使う70兆円もの金があっても、お年寄りの命を守るための金は一銭もないというようなことを、誰が納得するのか。あるヘルパーの人によると、「4月いこう、大邸宅に住む大金持ちの家の仕事が増えた。その裏で、これまで行っていた人の何人もが、お金が払えないためにヘルパーを頼めなくなった」と言います。
 この世の中に、生きる権利よりも大事なものなどありません。この生きる権利は、どんな人にも、等しく保障されなければならないはずです。わたしたちは、国や行政に、生殺与奪の権限を白紙委任した覚えはない。わたしたちは、もっと怒らないといけない。黙っていてはいけないのです。
 「住民の会」の結成は、わたしたちの生きる権利の主張です。それは、杉並全区8万5千人の高齢者と、その家族の、いのちの叫びです。そして、ついに打ち上げられた、怒りの反撃の狼煙なのです。

 いのちの叫びを国会へ!

 今回の総選挙でのわたしたちの一票は、ただの一票ではありません。それは、介護保険という、人間の生きる権利を踏みにじる制度と、それを決めた政治をひっくり返す、いのちの一票なのです。
 いま、必要なのは、わたしたちのいのちの叫びを、政治に反映させることです。いつまでも「日本は天皇中心の神の国」などという思想がはびこるような国会にしておいていいはずはありません。それを叩き割る力は、わたしたちが、この選挙で、わたしたちのいのちの叫びを、杉並36町の、8万5千人の高齢者と、その家族の、そして介護に従事する労働者のいのちの叫びを、国会に轟かせることにあるのです。
 政治は変えることができます。それを決めるのは、わたしたちです。この、わたしたちの団結を、政治を動かす力に変えるのは、わたしたちじしんの、いのちの一票をどう活かすかにかかっています。この一票は、寝たきりのお年寄りにも、誰にもあります。誰もが、いのちの叫びを、実際に、ひとつの力として行使することができるのです。住民の会は、今回の総選挙において、住民の会とともにたたかう候補、介護保険に絶対反対を貫く候補を推薦し、全会員のいのちの票を根こそぎ組織して、介護保険に賛成した全政党、全議員にたいする審判をくだし、人が人として生きられる政治を取り戻したいと思います。わたしたちの、いのちの叫びを、国会のなかに轟かせようではありませんか。

トップページにもどる結成大会報告にもどる