宮沢賢治幻燈館
「インドラの網」 5/11

 その冷たい桔梗色の底光りする空間を一人の天
    か
人が翔けてゐるのを私は見ました。
 
(たうとうまぎれ込んだ、人の世界のツェラ高原
 
の空間から天の空間へふっとまぎれこんだのだ。)
                    か
私は胸を躍らせながら斯う思ひました。
 
 天人はまっすぐに翔けてゐるのでした。
        ゆじゆん
(一瞬百由旬を飛んでゐるぞ。けれども見ろ、少
 
しも動いてゐない。少しも動かずに移らずに変ら
 
ずにたしかに一瞬百由旬づつ翔けてゐる。実にう
 
まい。)私は斯うつぶやくやうに考へました。
                                    やうらく  まい
 天人の衣はけむりのやうにうすくその瓔珞は昧
さう
爽の天盤からかすかな光を受けました。
                      き はく  ほと          ひと
(ははあ、こゝは空気の稀薄が殆んど真空に均し
 
いのだ。だからあの繊細な衣のひだをちらっと乱
 
す風もない。)私は又思ひました。
 
 天人は紺いろの瞳を大きく張ってまたゝき一つ
                              わら
しませんでした。その唇は微かに哂ひまっすぐに
 
まっすぐに翔けてゐました。けれども少しも動か
 
ず移らずまた変りませんでした。