あれから、随分と時間が経った。 春が終わり、夏が過ぎ。秋は去って、冬が来て。 二度目の桜が散り、夏がもう、終わろうとしている。 あの夏から、もう二年。 相変わらず時が止まったような店の中で、如月は、いつものように店先で商品の 手入れをしていた。 もうじき、冬がやってくる。 夏の光は遠ざかり、白い風が吹き始める。やがて、木々の葉も落ちるのだろう。 袖がはらんだ風も冷たい。確実に――季節が変わっていく。 季節だけが、繰り返して。 あの戦いから、二年が経った。 多くの仲間たちは、それぞれ自分たちの時間、自分たちの道を進んでいる。 それは、その中核「黄龍」たる者も例外ではなく。 『東京にいると、俺のせいで地脈が動くからな』 花散る季節。卒業式。もらったばかりの卒業証書を手に、彼は言った。 『しばらく、東京を離れようと思ってる』 それが最良の選択なのだとわかっていた。自分では止められないということも。 それなのに、どうしてこんなに心がはやる? 『東京を離れて、どこへ?』 『とりあえず…親父たちの墓参りには行っとかないとな。後は…実家に行って…』 孤児となった彼を育ててくれたのは、母方の親戚だったのだと聞いた。 『結構、忙しくなりそうだね』 『俺も、もっと暇だと思ってた』 苦笑する彼は、どこにでもいそうな高校生で。 『如月はどうするんだ?』 『どうするって?』 『いや、如月なら大学行きそうだと思ってさ』 『僕かい?』 何度も、進路担当の教諭に言われたことだ。 『如月の家の事情は知ってるがな。成績はいいんだから…』 『もう、決めたことです』 手のかかる生徒であったとは思う。学校に行っている日の方が少ないくらいだった。 おまけに、自分の決めたことは絶対に覆さない、頑固な生徒。たちのわるい以外の 何者でもなかったような気がする。 『僕は、東京を離れるつもりはありませんから』 『僕は…』 花吹雪。終わらなかった世界。その中で、時間が止まる。 『僕には、東京を護るという使命がある。それを放棄する気はないよ』 『する気はないというより、“できない”んだろ?』 それが事実だ。他の人間が言ったなら、即座に否定しただろう。だが、如月は反論 しなかった。 ――できなかった。 それが、自分の弱さなのだ。 『そうだね。それが、僕の弱さかもしれない』 『いいんじゃねぇの? 完全無欠の人間なんていないんだし』 そうやって笑える、彼の強さがうらやましかった。 『それに、俺の師匠みたいな人が言ってたけどな。“自分の弱さを知っている人間は 誰よりも強くなれる”って。――知ってるだけ、知らないよりマシってことだろ』 『…そうだな』 風。散る花びら。地に落ちていく、桜の屍。 『俺もまた、ここに帰ってくるんだろな』 『東京に?』 『ここは、そういう街だろ?』 何人もの人間の感情を飲み込んで。何人もの人間の生き様を抱えて。 倒れ、力尽き、朽ちて、憎んで、泣いて、笑って。 澱んだ流れが、時代となってうねる都市。 『俺は結構気に入ってるし。いつかわかんねぇけど、必ずここに帰ってくる』 『帰ってきて…どうするつもりだい?』 しばらく考えてから、彼は笑った。 『帰ってきてから考えるさ』 ――あの夏から、もう二年。 穏やかに季節だけが過ぎ、自分は、相変わらず止まったままの空間で、緩慢な時間を 過ごしている。――まるで、年をとることを忘れたように。 秋の風。物寂しげに枝のこすれる音。夕闇が迫ってくる。 「閉店か」 磨いていた皿を棚に戻し、扉に「本日閉店」の札をかけ、門を閉める。 いつものように過ぎていく時間。あと何日、あと何年繰り返せばいいのかわからぬほどの。 日常という名の平穏。変化のない、退屈に限りなく近い時間の繰り返し。 秋の夕暮れは早い。気を抜くとすぐに夜が来る。 夕食の支度をする気にもなれず、如月は店頭に置いてあった読み差しの本を手に取った。 開いていても、内容は入ってこない。それを承知で読んでいるから、どうしようもない。 どのくらい時間が経ったのかわからない。適当に、きりのいいところで本を閉じ、柱の 時計を見た。針は八時を指している。 何もする気になれないというのも、考え物だ。 店先を簡単に片づけ、奥に戻る。 戻ろうとした。 扉を叩く音。こんな時間に? 客人の予定など当然ない。 鍵を外し、扉を開ける。 その先は――無人。影すらなかった。 勘違いか。らしくもない。 どこか、調子が狂っているのかもしれない。季節の変わり目とは、そういうものだ。 風が入ってくる。開けっ放しというわけにもいくまい。 扉を閉めようと手をかける。そのまま簡単に動くはずの戸が、動かなかった。 「…せっかく帰ってきたのに、気づかないなんてオチはないだろ」 懐かしい声がした。二年間、決して忘れることのなかった声。 闇の中から現れたのは、黒衣の青年。 「龍麻…?」 「忘れたなんて言わせねぇからな、骨董屋」 「忘れてたよ」 「ひでぇな、わざわざ日付合わせて帰ってきたってのに」 「日付?」 今日は何かあったのだろうか。思い出せない。 「――…てめぇの誕生日ぐらい覚えとけ」 不満そうに、彼はうつむいた。その仕草がえらく子供っぽい。 「それで…わざわざ戻ってきたのか?」 「――悪いか」 そんなことまで覚えていられなかった。 それなのに、どうしてこれほど幸せになれるのだろう。 「ひょっとして、門前払いなんてこと…」 「ないよ」 「サンキュ。とりあえず、なんか飲むものないか? ここんところくに…」 「水分の補給は基本だろう」 「そういうのじゃなくて…余裕なかったんだよ」 「…仕方ない」 軽く手招きして中に入れる。申し訳なさそうに身をかがめる姿も懐かしい。 「まったく、予想外もいいところだ」 「そうか? 俺は予想通りだったけどな」 「何がだ」 「お前は、絶対自分の誕生日覚えてないって」 「…悪かったな」 わざと機嫌を損ねたふりをする。 不意に、背中にしがみついてきた腕。 「如月」 「ん?」 「――誕生日―おめでとう」