「よう」 いつもの声とともに、あいつはやってきた。 少なくとも、俺にはいつもの「蓬莱寺京一」に見えていたわけで。 「どうした? 顔色悪いぞ」 「気のせいだ」 困ったことに、この男はカンだけはいい。他の連中ならごまかせるだろうこと でも、こいつは何故か感づいてくれる。――厄介な相手だ。 「数学、明日あたるところ、聞いてたか?」 わざと、絶対に聞いてないであろうことを尋ねてやる。こうでもしないとこの 男は――かなりしつこい。 「いーや。俺が聞いてるわけないだろうが」 「…そうだったな」 教科書の入っていないカバンを取り、席を立つ。 「ラーメン食いに行こうぜ、狂哉」 「…部活はどうした」 「んぁ? そんなこと俺にきくなよ」 「……」 ということらしい。京一が部活に励んでいるところを、俺は真神に入ってから 見たことがない気がするが。――気のせいだろうか。 「――大将は、いざってときに動ければいいんだよ。幸い、準備運動の相手には 困らんときてるしな」 ――準備運動、ね…。 命のかかった戦いをそうあっさりと返すのは、たぶんこいつぐらいだろう。 「で、どうするんだ?」 「…行くか」 「そうこなくっちゃな」 こっちがどれだけ困惑しているのか、この木刀男は「絶対に」気づいていない だろうと思うと、なんだかくやしいものがある。だいたい、いつもいつもいつも 放課後にラーメン食いに行くというのも問題がないのか。間食は体に良くないと いうことくらい、このトリ頭でもわかろうものなのに。 ――いや、下手すれば『成長期だから』とかいう、めちゃくちゃな返答かも。 そう思うと、涙が出てきそうになる。 (…こいつが俺の仲間というのもな…) 「どうした、どこか調子悪いのか、やっぱ」 「気にするな」 相変わらず木刀の入った袋を手に、京一は首をかしげる。 「今日一日中、ずっとそうだっただろ。美里たちが青い顔してたぞ。お前に何か あったんじゃないかって」 「だから、なんでもないって言ってるだろうが」 「――そうか?」 ああ。これだから嫌なんだ。こいつと一緒にいるのは。 こうして無造作に、他人の心の底へ入りこんでくるから。 「ま、いいか。とりあえずラーメン食いに行こうぜ。用事も何もないんだろ?」 単純なのか、そうでないのか。どうもこいつは理解に苦しむ。 戦闘中でも背中を預けられる相手。そんな人間はそうそういない。 自分を理解してくれる人間が、そう多くはないように。 背中を蓬莱寺に任せられるかと聞かれたら――俺は黙ってうなずくだろう。 だが、自分の全てを任せられるかと聞かれたなら。きっと俺は首を横に振る。 『信頼できる相手』と『理解して欲しい相手』というのは、別物なのだ。 ――少なくとも、俺の中では。 「お前と学校帰りにこうやってラーメン食うのも…もう結構になるよな」 「週に三度は通ってるんだ。計算してみろ」 「……今日って何日だっけ」 「…一生ラーメン食ってろ…」 どうしてこいつと自分のつきあいが続いているのか。疑問になるのはこういう ときだ。なんでこいつはいつもこう…。 「そう言いながら、なんだかんだで毎回つきあうんだよな、狂哉は」 「……」 最後に汁まで飲み干して、箸を置く。こいつと一緒に来るおかげで、ペースが 早くなっている気がする。こんなことまで影響受けなくてもいいだろうに。 「で、何かあったのかよ」 「またか?」 「俺の目がごまかせると思うなよ。こう見えてもつきあいは一番長いんだ」 「まだ一年も経ってないが」 言ってから気づいた。俺が真神に転校してから、まだ一年も経ってないのだ。 それなのにこれほどの軽口をたたける相手がいるということは――俺にしては、 異例なことといっていいはずだ。 (――らしくねぇ、よな…) 「でもほら、実際一番古いつきあいだろうが」 「転校初日からおせっかいかましたんだよな。部活サボって」 「う…」 体育館裏という、「いかにも」な場所に呼び出されたのにも驚いたが、もっと 驚いたのは、こいつが木の上で寝ていたことだ。そんなところで昼寝なんてする 変わり者を見たのは初めてだった。 「おせっかいってな…俺は転校早々嫌な思いをさせるわけにはいかないとだな…、 こう、色々考えたわけだ。わかるだろ?」 「わからん」 ――ここで派手にこけてくれる。予想を裏切らない男だ。 「あのな…」 「俺は事実を言ったまでだが」 「人の親切に対する答えがそれか? 狂哉」 「らしいな」 「――親の教育がなってねぇぞ」 「親元飛び出して修行に出てた奴に言われたくはない」 「う…」 「ついでに言わせてもらえば、俺と親の間には何の因果関係もない。顔も覚えて ないような親子だということを忘れるな」 「そういや…お前ってそうだっけ」 真神の五人には、以前、簡単ではあるが育ての親のことも話しておいてある。 が、案の定この男は忘れさっていたらしい。 「そういうことだ」 「すまん。忘れてた」 正直なのはいいことだが…。こいつの場合、それとは違うような気がする。 「気にするな。今更気にしたって仕方がない」 悪気があって言うのならそのまま殴ってやってもいいのだが。蓬莱寺の場合、 悪意も何もありはしないということを、真神に入ってからの数ヶ月で思い知って いる。単純に――忘れているだけだということを。 「なんなら…俺がおごろうか?」 「気にするなって言ってるだろうが」 「何?! この蓬莱寺京一様が他人におごろうなんて豪気なことを言ったという のに、そんな冷たい対応を…」 「冗談言うなら、追加注文するぞ」 「…お前って…友達がいのない奴だな…」 「わかってるだろ、それくらい」 「…まあな」 そう言いながら、つきあいが切れることはない。こいつはそういう奴だ。 結局、勘定は自己負担だったが。 蓬莱寺の家に行ったことはない。それどころか住所も知らない。 携帯に電話番号は登録してあるが、それが通じたためしもないときている。 住所不定という、妙にうさんくさい仲間もいるから、今まで特に気にしたこと はなかったが、考えてみればこいつも妙だ。 普段、家に帰りたがらないという素振りをするわけでもないが、「家庭像」と いうものがつかめない。 高校生で一人暮ししている自分を棚にあげて、言うことでもないだろうけれど。 他にも一人暮しの仲間はいる。が、こいつの場合はちゃんと家族がいるのだ。 「広いよな…狂哉の家って」 人の家に上がりこんで、蓬莱寺はソファーでくつろいでいる。いつものことだ。 こっちもすっかり慣れてしまって、文句を言う気にもなれない。 「一人暮しだろ?」 「時々通いの手伝いがいる」 「…贅沢だよなぁ…」 「――冗談だ」 絶句している。いちいち反応が素直だ。 「お前の冗談って、冗談に聞こえないんだよ」 「そうか?」 「かなりマジに聞こえる」 「…今度から考えよう」 キッチンも片付けないと。こんなところが散らかっていたところで、気にする ような繊細な客ではないが、俺が気になる。 「茶でも飲むか?」 客はもてなす。それは基本だ。誰の影響かは、あえて考えない。 「熱いのパスな」 「蓬莱寺…贅沢言うな」 封を切っていた番茶があったはずだ。棚から缶を取り出し、量を計る。 「言っとくが、まずかったら飲むな」 「そんなまずい茶なのか」 「人に出すのにまずいものなんて出せるか。まずいと思って飲まれるなんて、茶 の方が哀れだからな」 蓬莱寺が眉をしかめる。 「俺の茶で安物はないんだ。無駄にしたくない」 「…無駄って…俺、そんなにひどいこと…」 「言った」 以前来たとき、気まぐれに玉露を淹れたことがあった。缶の底に、二人分だけ 残っていたということもあったが。 そのときこいつが言ったのは「変わった味の茶だな」だった。――静岡から、 特別に送らせたものだったのだが。 以来、こいつに玉露は飲ませないことにしている。 「別に古いものでもなんでもなかったんだぞ、あれは」 「お前って、結構執念深いところがあるよな」 「しつこいって言いたいんだろうが」 言われても別に腹はたたない。 客用のものと自分の湯呑みに茶を注ぎ、盆にのせる。リビングまで持って行く あいだ、めずらしく蓬莱寺はおとなしかった。 「ほれ」 「どーも」 湯呑みを渡し、ソファーに座る。蓬莱寺に向かうようにして。 「…うまいな」 気を使ったつもりなのだろうか。わからない。 「こういう茶の方が好みか?」 「ん? 前よりはこっちの方が飲みやすい」 「そうか。他は」 「え、とな…結構甘めの…色がこう、茶色っぽいやつ」 「玄米茶か。…今度買ってくるか」 どうやら蓬莱寺は、俺と好みが違うだけらしい。 「…別に、いいんだけどな。毎日来るってわけじゃないんだし」 「今更気を使うな」 表情を消しながら茶をすする。久しぶりに飲んだ番茶はなかなかだった。 「狂哉」 「何だ」 「お前、何考えてる」 「次の茶は何買うか」 「――狂哉!」 まただ。また蓬莱寺がこの顔をしている。 責めるとでも、怒っているとでもない顔。 「ごまかすなよ。《気》の乱れでそれくらいわかる。表情で隠してもな」 「ハナがきくらしいな、見かけによらず」 苦手だ。こういうときの蓬莱寺は。 「少なくとも、お前がそうやってぼうっとしてると、いざってときに困るんだよ」 「その理由なら、納得できるな」 「…納得できないような理由があるのかよ」 「――醍醐のときのような理由なら、蹴り飛ばしてやるよ」 「……」 醍醐が白虎の力に覚醒して行方を絶ったとき、彼を一番気にしていたのは京一 だった。それを俺は、半ば他人のような目で見ていた。 ――俺には、そこまで他人を思いやるということができないから。 戻ってきた醍醐を殴り飛ばし、喝を入れるのを見ながら――俺はやけに冷めた 目で京一の行動を追っていた。 「お前って…つくづく他人を頼りたがらない奴だよな」 「わかってるじゃないか」 「…それが腹立つって言ってんだよ」 「――何故だ?」 「一緒に戦う仲間を信頼できないで、どうして戦えるんだ?」 「信頼はしてるさ。信頼は」 そう。信頼はできる。仲間たちは――彼らは決して自分を裏切らないと。 俺が、彼らの望む「眞崎皐哉」であるかぎり。 「俺が言ってんのはそういうことじゃねぇ」 「何が違うんだ。俺は仲間を信頼している。彼らの信頼に応えてな」 「――そういうことじゃないだろうが」 血で血を贖う戦いの中で。 こいつなら自分の背中を預けられる。 だけど、こいつにだけは「譲れない」ものもある。 それは――事実だ。 「そういう言い方してるってことは、本当は仲間を信頼してないってことだぜ」 「――かもな」 「――狂哉!!」 「俺はお前の…そういうところが嫌いだよ、蓬莱寺」 前髪越しに見る表情は暗い。その瞳だけが、熱く輝いている。 「他人の中に、無造作に入りこんでくる。本人も気づかないくらい、巧妙に」 自分の背中を託すということは、その相手を認めたということだろう。 その相手の技量、生き様のすべてを含めて。 だからこそ、簡単に心を許したくはないのだということ。 それを蓬莱寺が理解することはないだろう。 「だから俺は嫌なんだ」 「――わけわかんねぇこと言ってんじゃねぇよ」 「そうか。ならお前が俺を理解することはないということだ」 「どういう意味だ」 「茶が冷めるぞ」 「…らしくもなく逃げてるんじゃねぇ」 そういうことだけわかっているから、この男は厄介だというのだ。しかも本人 に自覚がないときている。 「お前にとって、俺たちはただ戦うだけの仲間なのか!?」 「…そうだと言ったら」 蓬莱寺が、杖代わりに袋に入ったままの木刀を握り締める。 「相手がお前でもかまわねぇ。この場で殴り倒す」 「――さすがに、お前相手に無傷は無理だろうな」 「――狂哉!」 頭上から降ってくる声。本気で怒っている――彼らしく。 「しまえよ、その危なっかしいもの。…いくら俺でも、自宅でお前とサシでやる つもりはないぞ」 「いいかげんにしろ、狂哉。お前が何考えてるのか知らねぇがな」 「座れ。人に見下ろされるのは好きじゃない」 しぶしぶ、仕方なくといった感じで蓬莱寺が座った。 「…別にお前や他の連中を信頼してないというわけじゃない。俺とお前とでは、 信頼の形が違うというだけだ」 「――本当だろうな」 「お前に嘘はつかないよ」 これは本当だ。 真実を教えないということはあっても、嘘をつくということは――たぶんない。 「…お前が俺を信頼しているのはわかってるし、俺もお前を信頼してる。ただ、 お前のような信頼のしかたは俺にはできない。あたりまえだ。俺とお前は性格が 違いすぎる」 「……」 「だからそう、むやみにつっかかってこられても困るってことだ」 「…お前の言い分はわかった」 と言うものの、まだすねたような顔のままなのだが。 「あとはお前が隠してることを聞くだけだ」 「俺が? 何を隠してるって?」 「とぼけるなよ。ずっと今日一日不調だったろうが」 「ああ…そのことか」 「そのことって…」 「嫌な予感がするんだよ。ここ最近な」 「嫌な予感って…それだけなのか?」 「他にはないぞ」 「……」 こいつに呆れられたらおしまいという気がしないでもないが。 「どうもこの頃夢見も良くないしな。おかげで睡眠不足だ」 「その割には…」 「何か言ったか?」 「いや、何も」 蓬莱寺が、両手を上げて「降参」のポーズをとる。 「とりあえず、そういうことにしておくか」 「そういうことにしておいてくれ」 今更、とっくに冷めたであろう茶をすすり、蓬莱寺がつぶやく。 「ま、お前のカンって結構あたるしよ…」 「当たってほしくないものにかぎってな」 昔からそうだった気がする。『現実になるな』と願うほど、それはやってくる。 ――今回も、きっとそうなのだろう。 「狂哉」 「…何だ」 「今晩泊めてくれって言ったら怒るか?」 今度は俺が絶句する番だった。 「家で何かしたのか」 「別に何かしたってわけじゃないけどよ…」 ばつの悪い何かでもあるのか。蓬莱寺がうちに来てそのまま泊まっていくのは、 そうめずらしいことでもないが。 「――好きにしろ」 「サンキュ。あ、夕飯は和風でな」 「……」 ――このまま黄泉まで送ってやろうか。 そう俺が思ったのも、仕方がないということにしておく。 人のゲームで中学生のように遊び倒し、先に風呂に入って、さっさと蓬莱寺は 眠ってしまった。 濡れた髪をふきながら出てきたとき、ソファーの上で横になり、蓬莱寺は気分 よく寝息をたてていた。さすがに、一つしかないベットまで貸す気はない。 「まったく…人を困らせるだけ困らせて…」 子供のようなこの男が、戦いの中でどれだけ自分の支えになっているか。こう して寝息をたてている姿からは想像もつかない。 「――言っとくが、俺はお前には頼らない。それが俺の意地だ。覚えとけ」 ため息とともにつぶやいた本音を、蓬莱寺が知ることはないだろう。 それでいい。 彼は常に対等の仲間だから。 白刃の上をわたるような、緊迫感を残したまま。 お互いを認めているからこそ、本当のことを隠したままで。 「言ったところで、お前は聞きはしないだろうがな」 わかっていて言う自分も、たいがいかもしれない。そう思うとおかしかった。 赤い髪を撫で、その額に軽くくちづける。 「起きたら説教だ。覚悟しろ」 あくびをかみ殺して、自分の部屋に戻る。 今夜は――ゆっくり眠れそうだった。