PLASTIC SYNDROME

 




 どんなところにも、人の孤独はあるということを、知っている。

  「知っている」ということと、「理解する」ということは、まったく別のこと。
 それを、自分は知っている。
 ――経験的に。



 ――東京・新宿。
 夜の雑踏の中ですれ違った男が、ふと足を止めた。だがそれに、彼は気づいた
様子もない。そんな必要などない、そう言いたげな態度だった。
 夏だというのにスーツをきっちり着こなした男は、足早にそこを立ち去る。
 …彼には、やらねばならないことが多かったのだ。

 今年の夏も、東京は相変わらず暑かった。
 コンクリート、アスファルトで完璧に固められた大地は、行き場をなくした熱
をもてあまし、気温と人間の不快感は着実に増していく。――実に不毛だ。
 「仕事上」スーツを着込んではいるものの、はっきりいって外を歩くに向いた
格好とは言い難い。このぶんでは今夜も熱帯夜だろう。そう考えて、憂鬱な気分
になる。

 眞崎が東京に戻ってから数年。初めて来た年から数えると、もう十年近くなる。
その間、一年ほど東京を離れていたことはあるが、人生の何分の一かを、この街
で過ごしてきた計算だ。
 それがどうとかいうわけではないが、よくも悪くも、この東京という都市に、
人生を変えられたのは間違いないだろう。

 雑踏には、無数の音が混じり合っている。それを聞いているのは心地よかった。
 が、それを楽しむ時間さえ、今の眞崎にはない。
「…まったく…因果な商売だな…」
 今夜中にやってしまわねばならない仕事が複数入っているというのに、しかも
人と会う約束をしているとあらば、そうそう感傷にひたっている余裕はない。
 多忙すぎることをのぞけば、ほぼ申し分ない職場であるといえるのだが。この
時勢に、贅沢をいったらばちがあたるだろう。
 ネクタイをゆるめ、眞崎はやや足を早めた。時間に律儀な彼のことだ。とっく
に待ち合わせの場所についているにちがいない。


「…めずらしいね、遅刻かい?」
「――皮肉か、それは」
 妙な毒舌ぶりは、お互い様といったところだろう。
 バーのカウンターに座っている、それだけで注目をあびる男というのもめずら
しい。これで、人目を忍ぶ稼業についているというのだから、わからない。
「お前が律儀すぎるんだよ、壬生」
「仕事がつまっているといってただろう。それで気になってたんだが…」
「気にするな。もともと一日で片付くようなものじゃない」
 横に座り、バーテンを呼び、軽いカクテルを頼む。隣の男をみれば、こんな店
で、烏龍茶など飲んでいる。
「…お前、酒弱かったか?」
「仕事前なんでね」
 妙に職人気質なところがある友人である。――もう慣れたことだったが。
「皐哉こそ、こんな時間に飲んで大丈夫かい?」
「カクテルの一杯や二杯でつぶれるか」
 景気づけには、それくらい当然だというのが眞崎のやり方なのだが、おそらく、
彼には通用しない理屈だろう。
「…とりあえず、頼まれていた情報はすべておろした。データは自宅に届くよう
になっている」
「サンクス。相変わらず仕事が速い」
「そのかわりといってはなんだけど、君が行っていた代議士の調査、打ち切って
くれないか」
「…人の仕事取る気かよ」
 “神風”を口にしながら、眞崎は壬生をにらみつける。無論、本気ではない。
本気だったところで、ひるむような男であるはずもない。
「拳武館で仕事を受けたらしいから。どのみち、調査はお終いだろう?」
「仕方ないな」
 壬生がそういうということは、「抹殺」のラインだろう。そこまでいっては、
眞崎も手の出しようがない。
「だいたい、妙なのは君の方だろう。うちの――拳武館の情報網を使って、君は
何をしているんだ」
「何って――仕事だぞ。まっとうな」
 相手が自分でなかったら、壬生は決して情報をおろしはしないだろう。しかも、
その理由を問うこともなく。
「胡散臭そうな仕事だね」
「…お前に言われたくはないぞ」
 暗殺者に『胡散臭い仕事』といわれたなら、眞崎でなくとも、世の九割の人間
は反論するはずだ。
「それに、お前からまわってきた情報は、すべて有効に使わせてもらってる」
「大臣連中のプライベートがかい?」
「そう。それが俺の給料に化ける」
「……」
 わざとらしく、壬生が頭をかかえこんだ。
「それのどこがまっとうな仕事なんだい」
「まっとうじゃないか。ちゃんと試験も通って、資格も持ってるんだ」
 そういってから、眞崎は悪戯っぽく笑う。

「…ま、ちゃんと『副業』も続けてるけどな」


「変わらないな、君は…あの頃と…」
「つまりは、子供のままってことだろ」
 高校時代の仲間で、自分と今でも普通につきあいがあるのは、今では壬生くら
いのものだ。村雨あたりは歌舞伎町で飲み明かすこともあるが。
「昔よりは世の中が見えてきた…それくらいじゃないか?」
「そうかい?」
 そういう壬生自身、不器用なところは変わってないと、眞崎は思ったものだが。
「壬生。お前の仕事…何時からだ?」
「――夜明け前」
「時間じゃねぇだろ、それは…」
「ともかく、遅い時間ではあるね」
「わかった。じゃあ、それまでつきあえ」
「つきあえって…」
 グラスの残りを飲み干し、席を立つ。
「――安心しろ。『本業』じゃなくて『副業』の方だ。そっちならお前もいける
だろ」
「…どういう意味だい」
 会計をすませて、さっさと歩きだす。

「お前がいた方が、好都合だってことさ」




 店を出て三十分。えんえん二人は歩きつづけた。壬生でなければ、文句の一つ
もいってこようものだが、さすがに基礎体力と忍耐力が人並み以上なだけはある。
「いったい、どこへ行く気なんだ」
「もうじき着く」
「もうじき、ね…」
 辺りは静かな住宅街である。同じ東京といっても、さすがに都会の喧騒は届い
てこない。
 その気配が変わったのは、夜の闇の中に、粗末な鳥居が見えた頃だった。
「…そういうことかい」
「…そういうことだ」
 半ば「同業者」だけあって、壬生の理解は早かった。
「もともと別の場所にあった社を、こっちに移したらしい。おかげで――色々と
問題が起きた」
 常人でも、勘のいい者は感知するかもしれない。
 かって社が支えていた“気”の流れが、微妙にずれ、違和感をもたらしている。
「見てのとおり、小さい社だが、これも天海僧正が江戸鎮護に張った結界の一つ
だったから厄介なんだ」
「彼に匹敵するほどの術者も少ないからね」
「で、こいつをとりあえず鎮める。今はまだいいが、暴れだしてからだと、ここ
をきっかけに、連鎖反応が起こる可能性もあるからな」
 鳥居をくぐり、眞崎は眉をひそめた。
 気が澱んでいるだけかと思っていたが、そうでもないらしい。
「なんだよ、兄ちゃん」
 明かりのない社殿の前で、数人の男たちがたむろしている。その中に一人だけ
女がいたが、おそらくこれは――。
「邪魔したか?」
「ああ」
 壬生は、何かいいたげにこちらを見ている。が、あえて無視した。 
 仮にもここは神域であるというのに、この若者たちは何を考えているのだろう。
神様のありがたみというものをまったく考えない人種であることは確かだ。
「すまんが、しばらくどいてくれないか。…仕事があるんでな」
「仕事ォ? こんな時間にかよ」
 ゲラゲラと笑いだす声にも品がない。これを見ると、昔の仲間たちはつくづく
いい奴らだったと思わざるをえない。少なくとも、もっといい笑い方をする奴ら
だったから。
「ま、世の中には夜のお仕事というのもある」
 これに対する彼らの反応は、わかりやすいものだった。
「へぇー。兄ちゃんたちホストかい?」
「確かにもてそうだけどなぁ。あ、ひょっとして、ヤロー専門とかよぉ」
 またゲラゲラと笑いだす。
「すまん、壬生」
「……」
「後で祈祷でもやっといてくれ。忍耐の限界だ」
 言うが早いか、眞崎はすでに動きだしている。
「――専門じゃないんだがね、僕は」
「俺よりましだろう」
 夜更けということもあり、派手な技はひかえた。それでも軟弱な現代人には、
結構な負担であろうが。まあ眞崎の知ったことではない。手加減されているだけ、
感謝すべきなのだ。
「それに――」
 横の一人が音もなくくずおれた。
「神域で荒事は、どうかと思うよ」
「…蹴ってから言うなよ、お前も」
 かわいそうに。しばらくは食事が喉を通らないだろう。素人が壬生の蹴りなど
受けるものではない。
「手加減したんだろうな」
「あいにく、僕はそこまで非道じゃない」
 全員が地に伏したのを見て、壬生はため息をつく。
「相変わらずの腕だね。就職先は頭脳系じゃなかったのかい?」
「腕を腐らすのは俺の主義じゃないんでな。…おかげで、上司から力仕事ばかり
まわされる」
「いったい何処に就職したんだか…」
「それは秘中の秘」
 社殿の前で座り込んでいる女に目をやる。意外と若い。十代後半といったとこ
ろだろうか。髪の色はぬいているが、化粧はあっさりしている。
「あんまり夜更かししてると、肌に悪いぞ」
「あ、あの…」
「さっきも言ったんだが、こっちも仕事なんでな。できればこのまま家に帰って
くれないか」
「仕事って、ここで?」
「そう。だから若者はさっさと帰る。いいな?」
 有無を言わせぬ強引さで、女を立たせ、歩かせる。何を考えているのか知らな
いが、何度もこちらを振り返っては、やっと鳥居の外へと消えていった。
「女性には優しいのも相変わらず、か」
「苦手だからな。さっさと片付けるにかぎる」
「何が苦手なんだか」
 嫌味たらしい一言は無視し、周囲を見わたす。倒した若者たちは、自力で逃げ
だしたらしい。それなりに根性はあったようだ。
「さて、と。さっさと仕事は片付けるか」
「で、どうするつもりなんだ?」
 二人では、それほど大きな術は使えない。龍脈の力も、かっての時ほど持って
いるわけでもない。
「“気”の流れが澱んでいるのは、流れが止まったせいだ」
「それは確かだが」

「だから、その流れを――龍脈をちょっと揺らして、流れを動かせばいいんだよ」

 一瞬、壬生が眉をしかめる。
「あっさりとまあ、とんでもないことを言ってのけるね」
「…だから、お前なら大丈夫だって言っただろ」
 龍脈を征する、“黄龍の器”。その“器”と、“器”に添えられた添え星。
 “気”の流れを変えるに、これほどふさわしい人材はいまい。
「ついてきた身では、しょうがないか…」
「そういうことだ」
 半ばあきらめ顔で、壬生が印を描いた。
「――いこうか。…無より一、一より二、二より万物を生じ、陰陽と為す…」
「天を陽、地を陰と為し、天地の道の流れを治めん龍脈のもと…」

 昔、こういう感覚を感じたことがある。そんな気がした。
 過去を懐かしむのはがらでもないが、こういうのなら、悪くはない。

「双龍のもと、気を発す!  急急如律令!」





「…悪かった」
 開口一番の台詞がこれでは、なんともしまらない。舌打ちをしながら、眞崎は
壬生の肩をたたく。
「だからな、機嫌直せって」
「……」
 一度結論を出したら譲らないのが壬生である。
「どうして、あの後五社もまわる必要があったんだ?」
「…仕方ないだろ。一社だけやって、あとを放っておいたらバランスが狂うんだ。
風水も陰陽も、それぞれのバランスが命なんだから」
「だからって…」
 時計はすでに三時を指している。
「それに、まだ間に合わないってわけじゃないだろうが」
「君の倫理観の問題だ」
「倫理観?」
 えらくまた、とんでもない単語を持ち出してきたものだ。
 確かに、それから何も言わずに東京中を連れまわしたのは自分だが。この場合、
ついてきた方に責任はないのだろうか。
「それは、生まれたときから捨ててきた」
「そうかい」
 こちらを見ようともしない。こういうときの壬生は頑固だ。
「――仕方ないな」
 強引に、肩を引き寄せ、そのまま唇を奪う。本気で抵抗されれば危なかったが
――。
「…君は…」
「言っただろ。倫理感なんて、生まれたときに捨てたって」
 不満げに唇をぬぐうしぐさが、いつになく荒っぽい。
 一応、人目がないことは確かめていたのだが、今の壬生にはいいわけにもなら
ないだろう。
「…ま、悪いのはこっちだってことはわかってるつもりだからな。食事ぐらいは
おごるぞ。――というわけで」
 襟首をつかみ。息が触れるほど、互いの姿が目に映るほど、顔を近づけ。

「今晩あけとけよ。おれはオフなんでな」
「余裕があれば、そうするよ」


 余裕がなくてもそうするくせに。
 その台詞はさすがにひかえた。
 わかって言っている自分は、確かに人が悪い。


 孤独というものに耐えかねて、彼が孤独な仲間のもとへやってくることぐらい、
自分はとっくに知っている。知っているから、彼がいる。


 どうやら、自分が生まれてくる前に捨ててきたものは、倫理観だけではなかっ
たらしい。
 それでもまあ――なんとかやっていけるものである。
 人工の都市の上、人工の感覚を背負っていても。

「で、リクエストがあればどうぞ」
 


 


 

前作から、さらに時間が経過しているようです。主壬生だけ、時間の流れが異様に早いなぁ…。

主壬生なのに作風が違うと思われた方、すみません。これはアブ様の「壬生を幸せにしてよ光線」を、
四號が浴びたためです。しかし、主壬生でそれなりに平和に落ち着くために、これくらいの時間が必要
だったということですね。なんだか、そう考えるとこの二人、厄介な組み合わせです。眞崎だから…。
ちなみに、眞崎の職業はご想像におまかせします。一応、考えてはありますが。出てくるかどうかは、
今のところ不明ということで。ヒントは本文ですな。眞崎、嘘はついていないみたいですから。

しかし、またこれで、四號が主如だということを信じてくれなくなるんだろうな…。(苦笑)

 

 

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