No7                 

確たる原因・・・。室町時代に遡ってのご説明、とてもよく理解できす。  
 しかしながら、浸食を語るのには、どのスパンで考えたらよいのかといった回答は誰も見出してはいないのではないでしょうか? 人類の歴史とて、地球生誕から考えればほんの瞬きにすぎません。砂の移動もこの太古よりの地球の営みと同じではないでしょうか?
 もし、そのサイクルに人が手を加えてしまったら、いったいどうなるでしょう?

 この表浜の浸食に関して、多くの学者の方々が、気の遠くなるような歳月と体力・能力を使い調査されましたことはご存知かと思います。ご発言にありました「天竜よりの砂の供給が絶たれて以降」浸食が著しくなったという説に疑念を抱かれているように受け止められましたが、右図1は素人の私にも一目瞭然、容易に理解できるところのモノではないでしょうか。これを見るにつけ、「国家及び人々(住民)の財産及び安全な生活を守る」為の浸食防止策=護岸工事を推進するのであれば、なぜ「水利とエネルギー確保」の為に設置された「堰」を優先させるのか理解に苦しむところです。
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図 1
天竜川からの土砂供給量の推移
(クリックすると拡大されます)
   
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図 2
沿岸漂砂量の比較分布
(クリックすると拡大されます)

 上記土砂の推移に「・・・という人もいるようですが」とありましたので、それ以外の原因について述べられた文献をご紹介させていただきます。 左図2(沿岸漂砂量の比較分布イメージ)をご覧ください。

 1980年代とは、どんな年代だったのでしょうか?
 個人的な事を記させていただきますと、この頃私は20歳代後半。表浜では、二川漁港地区(伊古部地区)の離岸潜堤防の工事も格好がつき、他の至る所で行われてきた消波堤設置工事も一段落ついた頃ではなかったでしょうか?

下図 3 も ご覧ください。
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 この二つの図から、こう考えるのは誤っているのでしょうか?
@佐久間ダムが出来てから、表浜への土砂流出量が著しく減った。
A1980年代、護岸工事が完成すると時を同じく漂砂量は激減し、構造物設置規模の大小により若干異なるも、構造物西側

 (漂砂西側)では、著しい浸食が見られる。
B上記@,Aより、構造物を撤去し、堰を開放することで、砂の移動は年と共に自然のものとなる可能性は高い。

・・・・・・・・何がなんでも護岸工事を! というものではなく、抜本的解決策を見出した上で、住民の方々の生活を脅かす
緊急きわまる措置が必要な場所は、サンドリサイクル等、砂の動的固定策を用いてことに当たっては如何なものかと考えます。

参考及び引用文献・海岸工学論文集 第46巻  土木学会 661-665

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