『星の鼓動は愛』ではいろんなものが削られましたね。話をいくらか前後させてシャアのダカールの演説とかぽっかり無くなるというのは噂では聞いてましたけど(それ以前に地球に降りませんでした。フォウも既に死んでいてキリマンジャロでサイコガンダムの出番ももうありませんでしたし)、まさかジェリドとカミーユの最後の対決で「そんなことでこのバウンドドックは落ちないぜ!」から「カミーユ、貴様は俺の!」までの掛け合いが丸ごと削られるとは思っていませんでした。むしろそこの戦闘シーンを新作カットで描いてくれると思いこそすれ削られるとは思ってもいなかったのでかなりショックでした。好きなシーンなのに…。というより、もうジェリドおざなりすぎ。かわいそうなくらい。せっかく宇宙を飛んでるバイアランが新鮮でかつ性能がよさそうなモビルスーツに見えてたのに…。そしてメールシュトローム作戦が始まってからは名台詞のオンパレードなはずなのに、その名台詞がどんどん変えられていてかなり残念。でもそれこそが違う終わり方への布石なのかなーと思って観ていました。カツの死に様は劇場版になっても隕石にぶつかって自滅というそこだけは変わってなくてすごくほっとしました(笑)。そして台詞の節々はちょっとずつ違うもののどんどんTV版と同じでストーリーは展開し、もう本当に終わり間際になっちゃって「ここからどこでどうやって話を変えるんだ!?」と思っていましたら、ついにZが発動、そしてウェイブライダーに変形しちゃいました。
で、実際この最後どーよ、って感じです。本当に最後を差し替えた、ただただカミーユが崩壊しなかっただけの終わり。崩壊しないことに意味はあったのか。となるとTV版の崩壊した終わり方にも意味はあるのかってことになりますが。『生き残った』ということでのハッピーエンドがしたかったのか。結局、富野監督はカミーユをどうしたかったのか。 話がズレますが、冬弥の好きなアニメ作品に『宇宙の騎士テッカマンブレード』があります。これは主人公が敵を倒すために強い力を手に入れる代償に徐々に記憶を失っていき、最後には全ての敵を倒すも自分も全ての記憶を失うというものでした。望まぬ肉親たちとの苦しい戦いの記憶どころか全てを無くしてしまいながらもラストシーンで恋人の微笑みにそれまで笑うことが無かった車椅子の主人公がにっこりと笑うという終わり方が好きでした。自己犠牲というものが全部が全部素晴らしいことだとは思いません。ですが物語として見てみるとその行為の意味に厚みを持たせることができるのは事実です。『そこまでやったからこそできた』という価値が出てきます。または『そこまでやらなくてはダメだった』『そこまでやってもダメだった』という展開もあるでしょう。つまりそれをしないということは逆説的に『そこまでしなくともよい』ということにもなります。つまり『そこまでやったからこそできた』ことをあっさり覆すということは、やった行為に『そこ』までの意味がなかったということになります。それ自体を話を盛り上げるネタにできればいいのでしょうが、そうでない場合はすごくがっかりさせられてしまいます。続編の『テッカマンブレードII』が嫌いなのも、それをされたことがイヤだからというのも理由の一つです。 閑話休題。ハンブラビのビームをバリヤー(カミーユの強い精神に反応したZのバイオセンサーの暴走という本来無い機能。一見もっともらしいてんで無茶な後付け設定だけど)ではねかえすほどギリギリまで高め張り詰めた精神で戦いつづけ人の魂を吸ってZを発動させたカミーユの代償。ニュータイプとして桁外れだった能力が逆に仇となり、シロッコの精神攻撃に捕まってしまったための精神崩壊であったのではなかったのか。それをあっさりなかったことにされてもなぁって感じです。しかしこれはTV版の最後を知っているからそこ出る感想であって、今度のカミーユにとってZを発動させるなんてことは別段たいしたことじゃない、『そこ』まですることじゃないことなのかもしれません。なので『死んだ幽霊のみなさんと力を合わせて友情パワーでZがスゴい力を出してシロッコを倒しました。シロッコの最期のあがきもなんのその』というカミーユが精神崩壊しなくても『機動戦士Zガンダム』は話としての辻褄があってしまうことが今回で一応立証されました。ひどく薄っぺらくなりはしましたが。 冬弥はてっきりあのバリヤーがさすがに「やりすぎだ」と思ってあのシーンを差し替えてくるかなと思ったんですけど違いましたね。 最後が違うとはいえやはり総集編。となると新作カットで新たに描きおこされたZガンダム以下モビルスーツを見るのがこの映画の主目的のようなものです。その点ではとてもよくできてはいるのですが、やはりTV版の絵とのギャップがありすぎですね。さりとて全部描きなおすわけにもいかず。ちなみに最後にZが発動する前、ジ・Oにビームライフル斬り払われて投げ捨ててるのですが、次の絵ではなぜか手に持ってる。今回もそれが直ってない。明らかにリテイクカットなはずのにまさか直っていないとは。本放送の時からおかしいと思ってました。当時は小学5年生、ストーリーの細部なんかほとんどわかってないから、ただZガンダムカコ(・∀・)イイで見てるから尚更そういうところには目敏くなるんですよね。まーアニメじゃよくあることですけど(笑)。
じゃー、せっかくだから映画とは関係ないけれど、これも放送当時小学5年生の頃からずっと思っていることを誰に聞かせたいというわけでもないけど書こう。Zのシールドは伸縮式だが、赤い部分が延びるのではなく黒い部分が縮むのである。これがイラスト等でよく間違われている。模型等だとちゃんと黒い部分が縮むんですが。Mk-IIの同様に左腕に固定されているシールド下部分を縮めて、左手でもビームサーベル等の武器が扱いやすくするための伸縮機構なのだから左手が露出しない上部分が縮んでも無意味なのです。それなのに本家Zの第2期オープニングで『心にうずもれた〜』のシーンで間違って描かれているのがとても泣けてくる。毎話観るのでよけいに。しかもあのシーン、変形直後にシールドを伸ばしている。変形前のウェイブライダー時にシールドが短かったということになる。こりゃおかしい。多分、本当は変形後にさらにシールドを縮めるギミックを見せたかったのが何かの勘違いでこうなってしまったんじゃないのかなーとずっと思っています。 しかし自分はZが好きなんだなぁ…。こんな映画の感想にこんなに書けるとは思わなかった。かなり駄文だけど。 |