C子さんによる手記 当然の事ながら、これで全てが語り尽くされているわけではありません。 |
■身の安全確保のため、若干表現を変更させて頂いています。 | |
=モルモン教との出合いと別れ= 彼はモルモン教の長老として、20年程前に日本で宣教をしたことがあるという。 住まいはモルモン教の本部の寺院から2km程離れたユタ州の郊外の住宅地だった。 数年前、私はそのお宅にホームステイした。 ■きっかけ 私は市の国際交流クラブの一員として海外からの訪問者を宿泊させお世話するといったボランティアをしていた。ユタ州の大学生のコーラス団体が日本国内をコンサート巡業していて長野を訪れた。 我が家にはそのうちのひとり、D嬢という21才の女性がホームステイすることになった。 当時、外国人とふれあう機会がなかったころで、どのお宅でも、彼等を最高の客としてもてなした。 毎日食卓にはごちそうが並べられ、毎日観光に連れ出し、帰りにはそれぞれたいそうなお土産を持ち帰ってもらった。 中にはお風呂やトイレを彼等が使いやすいようにと洋風に改築するお宅もあったほどのさわぎだった。 ■ユタへのホームスティ 彼等がユタ州に帰った後も文通が続き、私は2年間英会話を習い、ユタ州を訪ねた。D嬢の家族ばかりではなく、当時のコーラスの仲間がみんなで私を歓待してくれた。 D嬢の家は高級住宅。お父さん、お母さん、と娘が5人が暮らしていた。3人は実子だが、他の二人は養女だ。お父さんは42才くらい、軍の基地で働いていた。 私が彼等の家に行った時、お母さんと5女はバレーのコンテストのために、カリフォルニアに旅行中で留守だったので、私はその5女の部屋に泊まることになった。まるでハリウッドの映画に出て来る様なゴージャスな寝室だった。 最初の夜、おかしなことに気が付いた。家族のどの寝室もドアが開け放しのままなのだ。 お父さんが、一人一人部屋をまわりお休みのキスをするとそれは閉められるらしい。 ■鍵のない部屋 もちろん、私はそういう習慣はないのでドアは閉めていた。バスルームにいると「だいじょうぶ?エンジョイできてる?」とドアの前で彼のさけぶ声がした。まさか、入って来ないだろうなとドキドキした。どのドアにもカギはないからだ。 部屋に戻り、ベットにはいると、彼が「入っていいか?」とドアをたたいた。私がOKを出すと、彼は入ってきて「Have a good sleep」と、お休みの挨拶をし、わたしに毛布をかけなおし、おでこにキスをした。 おかしな習慣だな、と思った。次の夜にも同じように彼がきた。が、今度はおでこではなく、唇にキスを軽くした。これはただならぬ習慣だ、この調子だと、次の日は・・・と思うと不安で、もしもの場合に備え、バックに荷物を詰めておいた。 次の朝、朝食が済むとみんな学校へ、あるいは会社へと出掛けていった。 ■電話の会話を録音する器械 お父さんはみんなが出掛けた後、部屋に入り留守電のチェックを始めた。彼の部屋のドアはあけたままで留守電の再生音が廊下まで聞こえてきた。しかし、その再生されている声は、D嬢と彼女の恋人との会話だった。 私は気がついた、「留守電の録音じゃない。家族全ての電話での会話を録音する器械なんだ!」。 お父さんが会社に出掛けた後、こっそりカナダ人の友人に助けを求めようと電話をするつもりだった私の望みはたたれた。 「私が友人に夜あったことを言えば、それも全て録音される。これは、もうこの家から逃げるしかない。」 ■恐怖 100m程離れたところに家がある。そこにに助けを求める手もあるが、ここはユタだ、どの家もモルモン教に決まっている。 大通りに出ればタクシーを拾えるかも知れないが、車の通りのあるそのハイウェイまでは何キロもある。 お父さんが出掛けていってから2時間もしないうちに、一人二人と次々にみんなが帰ってきた。塩分が多いからどんなカナヅチでも必ず浮くと言う「ソルトレイク」という湖までみんなでドライブ。食事もしたが、夜の事が不安で楽しむどころではない。 そして、ついに夜がきた。 「今夜は彼が来るまではベットに入らないでいよう」と友人に手紙を書いていた。 ■ディープキス 彼がドアをノックして入ってきた。 「明日はピクニックに行くから早くお休み」と、彼がしたキスは「ディープキス」だった。 私は思わず、彼をはねのけた。 みんなのドアが空いていて、私がさわげば大騒ぎになるからだ。 彼が部屋から出て行ったのを確認して明かりを消し、ベットに入った。 ■「神は君を僕に贈ってくださった。」 しばらくすると、「もう、ねた?よく眠れそうかい?」と、彼の声。 私が「Thank you! I'm OK. 」と言ったにもかかわらず、彼はふたたび部屋に入ってきて、今度はベットに近付き、私に毛布をかけ直す様な振りをしながら、その中にもぐりこんできて体を寄せ言った。 「神は君を僕に贈ってくださった。僕は神に感謝している。こんなに素晴らしい人を贈ってくださった。僕はあなたを心から愛している。あなたは今夜ぼくのものになる。」... 私は「No, No. Stop,Stop.」をくりかえし、はがい締め状態からなんとか脱した。そして、ありったけの英語力でこう言った。 「私は今まで愛なしでセックスしたことはない。私はあなたを愛していない。私達がセックスすることを、私の家族もあなたの家族もそして神さまも喜ばないはずです」。 そういうと、彼は「わるかった。あなたの言う通りだ。わかった。ゆっくり休んでください」と、あっさり部屋から出ていった。 私はしばらくふるえが止まらず、朝まで眠れなかった。 ■脱出 次の日、いつものように朝食が始まった、私は思い切ってみんなに「今日どうしても帰りたい」と告げた。みんなどうしてなのか理由をしつこく聞いたが、答えようがなくてだまっていると、お父さんが早口の英語でみんなに何か説明したが、私には聞き取れなかった。 チケットはすぐとれた。 私は、カナダに留学中の息子の家に飛んだ。 飛行機の中、緊張がほぐれ、カナダに着いてスチュワーデスに起こされるまで熟睡の私だった。 1週間後、日本に帰った。 ■レッスン しばらくして、2人のモルモン教の「姉妹」が、私の家を訪ねた。彼女達はユタ州から長野に伝道にきているのだ。 なぜ、彼女達が私の場所がわかったかというと、私がユタの寺院を見学に行ったとき、日本の住所を書き残して来たからだった。 私は無料の英会話レッスンを毎週受けることにした。 彼女達と親しくなった頃に、ユタでのできごとを告白するつもだったからだ。 英会話といっても、内容は彼等の聖書ともいうべき「モルモン経」の勉強だった。 彼女等は毎週我が家に手作りのクッキーをおみやげに、レッスンをしに足を運んだ。 レッスンはファイルされた手作りの紙芝居の様なものに基づいて行われ、よくは覚えていないが、おそらく2ヶ月くらいたったころ、最後のページが終わったと思う。 来週は、本部にきてパブテズマを受けるようすすめられた。私はいよいよあのできごとを話す時がきたと思った。 パブテズマを受けるという場所に案内された。プールのようでもあり、リハビリ用のパイプの手すりのついたお風呂のようでもあった。「パブテズマを受ける前に『なぜ、私がパブテズマを受けたくないのか』話したい」と切り出した。 私の告白を全て聞いた後で、彼女達は「そんなことはあってはいけないことだから、本部に話をし、確認をとり、その本人を罰するよう手配する」と約束した。が、それっきり。未だに連絡はない。 ■電話 すっかりモルモン教とは縁が切れたと思って安心していた、数年後、突然D嬢から電話がきた。 本部からは何も聞かされている様子はなく、D嬢は、いつものように明るく陽気に近況を語った。 私は思い切って、ユタでのあの日の事を話した。 すると、彼女は急に怒り出し、最後には「You're a liar!!」と言ってガチャンと激しく受話器を置いた。 それっきりだ。 彼女からも、本部からも、今日までなんの音沙汰もない。 悔しさは残ったが、やるだけやったし、言うだけ言った。 ■エピローグ ユタ州と争い、長野市が冬季オリンピックの開催地に決まった時、テレビで「Nagano!」という声と同時に拍手喝采した感動の場面を見ながら、私は、自分への勝利の拍手の様にも思え、みんなとは又別の感動の拍手を自分に贈った。 |
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