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      エンターテインメント・レビュー 
      第十五弾 
      映画 
      「人生は琴の弦のように」 
      陳凱歌監督作品 
      この作品を監督した陳 凱歌(チェン・カイコ-)は、私が最も敬愛する外国の映画監督だ。 
        この人の代表的な作品には「さらばわが愛〜覇王別姫」や「始皇帝暗殺」などがあるが、私が好きなのは、この「人生は琴の弦のように」を含む初期の作品群だ。 
        何が魅力的か、と言えば、何と言ってもその映像美なのだが、特に初期の作品は時代や舞台が今一つ定かではない寓話性が、その映像美をよりひきたたせている。監督デビュー作の「黄色い大地」にしても、この作品にしても、黄河の壮大な風景をバックにした、叙事的なファンタジーなのだ。世界観的には、宮崎 駿に近いものがあるが、人間の描き方はむしろまったく逆で、人生の絶望についてたんたんと描いている。 
      基本的なストーリーは、「神ともてはやされる琴の弾き手である盲目の老人と、彼を慕う弟子の盲目の若者がある村で少女と出会い、若者と少女が恋におちることで生まれた愛憎関係の末、それぞれが絶望を知る」という、まったくもって重い話である。これを現実的な空間でやられると、はっきり言ってかなり見るのが苦痛な物語であるが、時代も正確な舞台もわからない寓話という形をとることで、また、恋愛要素を持ち込むことで、それなりにキャッチーな映画に仕上がっている。 
      人生の絶望とは何か。 
        老人は子供の時に、死んだ師匠から「琴の弦を1000本弾き切れば、盲目を直す薬の処方せんが琴の中から出てくる」と聞かされ、それを信じて60年間琴を弾きつづけている。そして、弟子と少女との愛憎関係に苦しみながらも1000本弾き切り、街の薬屋に行くが、そこで自分が手にした処方せんがただの白紙だったことを指摘され(彼は盲目なのだ)、絶望する。自分の人生そのものをかけた夢や希望が否定された時、人間ははじめて絶望を知るのだ。 
      老人との愛憎劇の末、結ばれた若い二人は、しかし娘の父親に見つかり破局を迎える。 
        娘は若者に究極の別れ=自殺をする。 
        だが、この娘は本当に絶望したのか? 
        そうではない。この娘にはいくらでも方法があったはずだ。エンターテインメントとして考えた場合、この自殺は少し唐突で稚拙に見える。だが、これも陳 凱歌の計算によるものだと自分は思う。 
        恐らく陳 凱歌は老人と若者の絶望の対照物として、娘の安易な自殺を描いたのだろう。本当に絶望したのは、どんなに引き裂かれようとも決してあきらめられない恋人から永久に引き離されてしまった若者の方だ 
        。娘は絶望したのではなく、絶望をもたらしたのだ。この描き方がリアルなのだ。誰もが正当な行動を取るわけではない。ヒロインの自殺の動機が理解できなくても、世の中にはそういう人もいるのだから納得できる。「自分が絶望的な状況にいる」と思いこめば、取る手段はひとつしかない。この娘の自殺は、決してご都合主義の陳腐な死ではない。身勝手な愛情を象徴しているのである。 
        老人にもかつて愛した女がいたのだろう(劇中でははっきりとは描かれない)。だからこそ、娘におぼれていく弟子の若者に懐かしさと羨ましさを覚え、二人を咎めるのだ。それだけではない。この老人と娘は、実は一回だけ結ばれたのだろう。それは、村同士の戦いを、体をはって止め病に倒れた老人を、妙にセクシャルに看病する娘の描写に象徴されている。だからこそ、老人はこの娘に対する肉欲と、弟子に対する愛情から、愛憎の念を二人に抱いたのである。 
        いずれにしても、結局老人は盲目を治すという希望を取り、自分の人生の最後の最後でその希望をも失った。この、老人とその弟子の絶望は深い部分でつながっている。人生に絶望した老人は最後に村人達の前で唄い、そして死ぬ。若者は大切な人を二人も失い、絶望を背負ったまま旅に出る。ラストで老人が若者に買ってきた土産の凧が空高く舞い上がるのは、この若者の新たな人生の始まりを象徴しているのだろう。 
      映像演出は、かなり計算しつくされている。 
        オープニングで、師匠に先立たれる少年時代の老人のシーンでは、師匠の死ともに天井から下ろされている幾つものカーテン状の布が風にふかれて激しく揺れる。これにより、この作品が人の人生を描こうとしているのが象徴されている。 
        若者と娘のからみも、叙事的に且つ官能的に描かれている。娘の頬を恐る恐る包み込む若者の手と、恍惚の表情を浮かべる娘。実に美しいラブシーンである。 
        そして、上記にあげたラストシーン。村人に見送られ、苦悩を背負いつつ新たな旅へと足を踏み出す若者のカットの後に映る、空に舞う蝶型の凧(娘が老人に蝶型のものをねだった)は、その後の若者の人生を象徴しているのだ。 
       
      とにかく、この監督の作品は切ない。老人の絶望にしても若い二人の別れにしても、見終わったあとまで後を引く、言葉では語り尽くせない切なさだ。それを、寓話的な物語と計算しつくされた美しい映像演出で見せきるところに、この監督の演出の妙がある。 
         
        
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