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響谷の性別についての仮説
ええと、この文を読む前に、まず、「性別ってナニ?」から「性別とレンアイ&ケッコン」までの一連の文章を読んでおいてくださいね。でないと、わかりにくいかもしれませんので……
さて、響谷が自分の性別を、こともあろうに「わかんない☆」などとほざいていることは、ご存知のこととは思います。でも、響谷自身、性別不詳って結構不便に思っているのよね。結構不便……ううん、落ち着かないって言ったほうがより正確かも。それに、「性別とレンアイ&ケッコン」の最後に書いた、「「片想い構造」から脱却する可能性」の1つを追求したい気持ちもなきにしもあらず。というわけで、自分の性別を確定したいといつも思っているんですけど、なかなかこれがうまくいかない。そこで、暫定的ではあってもとりあえずの性別を決めてしまおうと思ったのがこの文章のテーマです。
以下,かなりまどろっこしい話が続きますので,先に結論を言うと,響谷は「体は男の子だけど心は女の子で,男の子もいけるけど女の子のほうが好きなレズビアンに近いバイセクシャル」です。あうう,結論だけで充分ややこしいやんか……
まずは性自認について
心理学でアイデンティティについての説明のところに必ず書かれていること、「性別の自認(自覚)がアイデンティティの基礎になる」っていう奴、やっぱり本当かも。だって、すごく落ち着かないんだもの。
人とたいするときって、どうしてもある程度性別を意識せずにはいられないです。でも、響谷は、男性に対しても同性だという意識とともに異性だという意識も持ってしまいます。女性に対しても異性だという意識とともに同性だという意識も持っています。
この、「同性に対する意識」「異性に対する意識」って、ちょっと判りにくいかなぁ。同性と一緒の時の居心地のよさ・悪さ、異性と一緒の時の居心地のよさ・悪さってあるじゃない。同性といるとき、異性といるときそれぞれ居心地のよさと悪さのどちらをより多く感じるかは人それぞれだと思うけど。
で、響谷の場合はどちらかというと、女性といるときは「同性といるときの心地よさ」を、男性といるときは「異性といるときの居心地の悪さ」を感じるんだな。だから、「性自認」のレベルでは実は女性なんじゃないかと思っている。つまり「心は女」って奴ね。
ただ、そう思うには問題がないわけじゃないんですよね。まず、「女性といるときに異性といるときの居心地の悪さを感じないわけじゃない」ということ。次に自分の身体の男性器に嫌悪感(違和感)をほとんど感じていないということ。最後に、響谷の行動様式が、いわゆる「女らしさ」とかけ離れている部分があるということ。この三つについて、今、響谷が思いつく反論をして見ます。
順番が逆になってしまうけど、まず、「女らしさ」について。これは実はほとんど問題じゃない。だって「女らしくない女」なんて、いっぱいいるじゃない。響谷もその一人だと思えば、ほーら、問題なし(?)。
次に性器への嫌悪感がないことについて。これは、性同一性障害の診断では重要なウェイトを占めているものなんだけど、響谷の場合、嫌悪感ってないのよねぇ。性同一性障害のひとで、女の子なのに男の子の体を持ってしまったパターンの手記を読むと、「これ(ペニス)さえなければホントの女になれるのに」という憎悪ないし嫌悪をおぼえるものらしいのよね。自分で切り落とすことを試みる人も多いみたい。で、逆にそういう想いを抱かない人は、単に男らしさが嫌なだけで、本当に「自分は女だ」と思っているわけではない、とも言える訳。実際、性転換手術(男→女、女→男どっちでも)を受けた後で手術後の自分の身体になじめなくてアイデンティティクライシスになっちゃう人が結構いるのだそうです。でも、性転換手術ってそうほいほい復元手術で元に戻す、というわけにはいかない(生殖能力は戻らないしね)ので、手術前に、厳しく診断をしないと取り返しがつかなくなってしまうという訳です。
では、なぜ響谷は自分の性器に嫌悪感を抱かないにもかかわらず「私の心は女の子☆」などと言うのか? それは、私は自分のペニスを男性器だと思っていないから。
もちろん、純粋に医学的に見たら自分についているのが男性器なのは一目瞭然です。でも、響谷はソレを「ペニスである(さすがに否定はしきれない)と同時にクリトリスでもある」と思っているのよね。これは、響谷が「フタナリ(両性具有)」や「巨クリ(巨大クリトリス)」と言ったフェチジャンルに慣れ親しんでいると言う特殊事情もあるんだと思うけど、私にとって「肉棒がついている」ということと「女性である」ということは、矛盾しないんですね。「フタナリ女性」はあくまでも男性器もついている「女性」であって、「男性」ではないのだから。
それと、「射精」も響谷にとっては、いわゆる「潮吹き」と同じ現象だと思っている。こう思っている以上、ペニスを持っていることと「自分が女性である」と思うことは、(少なくとも響谷の中では)矛盾しない。ヴァギナが無いのはちょっと悲しいけど,穴が無いわけじゃないし(*^-^*)ゞ
ただ、男性器嫌悪のかわりに持っているものがあります。それは胸(乳房)の欠損感です。響谷にとって胸とは「当然あるべきもの」で、それがないという現状には非常に強い欠損感をおぼえます。自分の平らな胸に触れるたびに、他人(女性)の胸を見るたびに、響谷はため息をつきます。「なんで自分には胸がないんだ!」
最後に「女性に異性を感じないわけじゃない」ということについて。
これは、どちらかというと、相手(女性)が自分を異性(男性)として認識しているということが原因だと思っています。「私は今、異性である男性と接しているんだ」という身構え、気構えをしている女性に対しては、やはり「女性と接している男性」として振舞わざるを得ません。
なんかとても抽象的な表現だけど、たとえば「過度な身体的接触を避ける」などということを常に意識してなきゃいけない。響谷には(今はかなり矯正しましたが)もともと男女を問わず抱きつき癖・さわり癖(セクシャルな意味ではなくて)があります。しかし、私のことを男性だと思っている女性にとっては、過度の身体的接触は不愉快なセクハラ・痴漢行為(でなければ恋人同士のスキンシップ)でしかないでしょ。私自身は女の子どうしの軽いコミュニケーションでしかないのだけれど……
こんな事を意識していると,やっぱり「私とは違う女の子」という意識が頭の中に出来ちゃいます。でも、逆に言えば,そんな事を配慮しないでいい相手(存在するかどうかは別として)ならば異性を感じないわけです。
というわけで,かなりの問題を残しながらも,「心は女の子よ!」と、言ってみようかと思うのです。
性の指向について
響谷はバイセクシャルです。本人がそう言っているんだから,こんな確かな事はありません。でも、バイセクシャルっていうのには,偽者が居るらしいんですよね。「私は異性ともできるから,(それほど)異常じゃない」って言って,自分をごまかしている人がけっこういるってゲイの人が言ってました。そういう偽者の部屋へ行くと,持っているポルノが同性の裸ばっかりなのでわかるそうです。でも、わたしの場合,ほとんど「女の子を見るポルノ」ばっかりなので,そういう偽者じゃないと断言できます。
一方,「私はどっちともできる,性差別意識を持たない進んだ人間なのだ」と言いたくって「バイセクシャル」を名乗っている人もいるらしい。これは,私の性格から言ってもありそうなことだけど,でも、男の裸にもそそられる事は事実だから、偽者だとは言われたくないなぁ。
で、「心が女の子」で男の子もいけるけど女の子のほうが好きならば,これは「レズビアンに近いバイセクシャル」でしょ。
生物学的な性について
これは前にも書いたとおり,私自身が見たところ男です。遺伝子検査なんかした事はないけど,たぶんたしかでしょう。
というわけで,私は「体は男の子だけど心は女の子で,男の子もいけるけど女の子のほうが好きなレズビアンに近いバイセクシャル」なのです……
とは言うものの,自分でもいまいち納得できていないんだけどねぇ。(でも,これがいちばん妥当な解釈なのよ,たぶん)
……ファイル名を見れば判ると思うけど,この文章書くのにすごい時間がかかっちゃった。それでもどうしても書けなくて,後半がミョーにすっきりしちゃいました。
ではっ!
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