=都内某所・春=
桜が蕾をつけ、咲くか咲かぬかの頃、俺は某国立大学へ入学し、一年が経過していた。親の勧めもあり、もうそろそろ親元から離れて生活するのもよかろうと、祖母の経営する下宿屋に厄介になるべく、幼い頃の記憶を便りにそこを目指していた。しかし、十数年の年月は当時の町並みを大きく変貌させ、俺の記憶をあやふやにさせてしまう。
仕方なく一休み。俺はもう一度昔の記憶を紐解く。<こんなので日没までに着けるのかな?こんなことなら地図でも持ってくれば良かった。>俺は後悔していた。
しかし、拾う神あれば拾う神あり、渡りに船とはこのことか、ベンチに座って肩を落とす俺に声をかけてくる女の子がいた。<こんな都会の中で、見知らぬ男に声をかけるなんて、これが噂の逆ナンか?これってラッキー!>俺はそう思った。
 「キミキミ、ここいらじゃ見ない顔だね、どこから来たの?」
 「美矢須原市。」
 「ふうん。で、何か困ってるみたいだけど・・・。」
 「道に迷っちゃって。」
 「ははは、無理もないよね。この辺、道が入り組んでるから。」
明るく笑う女の子は胸が大きく開いたタンクトップを着ているにもかかわらず、前屈みで俺の顔を覗き込む。思わず俺は目のやり場に困った表情をすると、女の子は何かに気付いた様に、すっと姿勢を正す。
 「あのー、ちょっと聞いていいかな?」
おずおずと話を切り出す俺に、女の子はどぎまぎしながらも逆に聞き返してきた。
 「キミ、ひょっとして、“かーくん”?」
 「へ?」
俺は久しぶりの呼び方で呼ばれ、びっくりすると共に、懐かしさを感じていた。しかしこの呼び方を知っているこの子って一体何者?この呼び方を知っているのはごく僅かな筈。そう思った時、女の子はぱあっとした更に明るい笑顔で俺に自己紹介する。
 「かーくん、私よ。百瀬聖美。」
 「えっ!聖美?ホントか?ハナタレのさっちかよ!?」
 「ふん、ハナタレは余計よ。かーくん、帰ってきたんだ!」
そう、聖美は俺が小さい頃にこの近所、さくら荘に住んでいた頃のお隣さんで、俺と良く遊んだ女の子だ。再会の感激で聖美は思わず涙ぐみ、顔をくしゃくしゃにして俺、千歳和也に抱きついていた。
 「うわーーーーん、かーくーんっ!」
 「おいおい、どうしたんだよ。」
 「だって、だって・・・」
 「おかしな奴だな。そんなに泣くと、またハナタレになっちまうぞ。」
和也の肩口には恐らく大量の涙が浸透していることだろう。聖美はいつかきっと、和也がこの町に戻ってくることを信じ、待ち続けたのだから。幼き約束、覚えているかも知らない遠い日の約束のために。
 「ねえ、かーくん、当然さくら荘に行くよね。」
 「そのつもりだけど。」
 「じゃ、連れてってあげるよ。」
涙を拭いて、笑顔に戻った聖美は和也の手を取り、嬉しそうに歩き出す。
 「へへ。デートしてるみたい。」
 「そ、そうか?」
 「もう、鈍感ね。」
5分ほど歩いたろうか、目的地のさくら荘に到着した。自分がいた頃とはやはり違い、リフォームの跡が見られる。門にかかっている看板も、“学生、勤労女子寮さくら荘”と、架け替えてある。
 「じ、女子寮?」
 「そうだよ。さくらさーん!今日は!」
 「おう、聖美じゃないか。おっ!来たな。和也。」
聖美に玄関先で呼ばれたさくらは、咥えタバコをくゆらせ、髪をかき上げつつもこれ見よがしに左手薬指の指輪を和也に見せ付ける。和也はそれを見た瞬間にドキリとする。そう、さくらこそ、和也の一番愛する人。高校卒業と同時に入籍を済ませた和也の妻だ。さくら荘の寮生たちはさくらが結婚していることは知っていても、その相手が和也であるなんてことは誰も知らないのだ。学生生活が落ち着いてきた和也を呼び寄せ、共に管理人として暮らしたいと言うさくらの要望が祖母に認められてのことであることも、寮生は知らない。当然のことながら、さくらがサキ祖母ちゃんの養子で、和也はおろか、サキ祖母ちゃんとは何の血縁関係もないことも、寮生の誰も知るものはいない。
半年振りの再会に、和也もさくらも切なさが込み上げて来る。勤めて平然を装うさくら。さくら24歳、和也19歳の再会だった。
 「ありがとう、聖美。」
 「いえいえ、あたしはこの辺で失礼します。」
聖美は本当は一哉ともっと一緒にいたいのだが、夕食の支度をしないといけないので、自宅に戻って行った。
和也はさくらに促され、管理人室に入った。こぎれいに整理され、3DKのつくりの内、一部屋は事務室兼応接室、一部屋は居間、一部屋は寝室といったレイアウトだ。
「ねえ、指輪はどうしたの?」
居間に入るなり、さくらは和也に尋ねる。和也は首のネックレスを引っ張り出すと、その先に付いている指輪をさくらに見せる。
 「ほら、あるよ。」
 「どうしてつけてくれないの?」
 「だって、学校でつけてたら友達がうるさくて。」
 「そっかあ。で、そのネックレスは?」
 「バイトして買ったんだ。」
 「そうなんだ。」
いつしかさくらは和也の側に寄り添っていた。
 「これからずっと一緒だね。」
さくらの体温が和也に伝わる。
 「さくら・・・」
 「なに?」
 「俺、ここで何をすればいい?」
 「ばか。きつく抱きしめて、キス・・・」
 「そうしたいのは山々なんだけど、やっぱりここでは管理人なんだろ?俺。」
 「もう、相変わらずなんだから。えいっ!」
じれったさに業を煮やしたさくらは和也を押し倒す。
 「ここが女子寮だからって、浮気は許さないわよ。そうだ、うふふ。浮気なんか出来ないようにしちゃうんだから。」
 「それは・・・いったい・・・なにかな?」
 「あたしを焦らしたお仕置きよ。」
妖しく一哉に注がれるさくらの視線。あと数センチで唇が重なる距離まで近づいたとき、寮生が続々と帰ってくる足音が聞こえてきた。慌ててさくらは和也から離れる。
 「さくらさーん!ただいまー!」
 「おう、お帰り。」
 「あれ?今日のさくらさん、なんだかきれいですよ。ねえ雛子。」
 「うんうん。何かいいことでもあったんですか?」
寮生の雛子と真美に突っ込まれ、さくらは少し言葉に詰まった。和也はすかさず管理人室の居間から受付に出ていた。
 「さくら、どうした?」
 「きゃー!かっこいいー!ねえねえさくらさん、紹介してくださいよ!」
真美は目ざとく和也の首からぶら下がっている指輪を発見していた。
 「あ!それ!さくらさんと同じ!そっかあ。」
 「何々?真美。」
 「ほら、さくらさんのご主人よ。彼。」
 「えーっ!うそー!初めまして。さくらさんの旦那様だったら安心ね。私、寮生の三山雛子です。よろしく。」
 「私は一ツ木真美。初めまして。やっぱりそうか。旦那さんが来たから綺麗なんだ。いいなあ。私もさくらさんみたいにかっこいいお婿さんもらうぞ!」
そう言うと、真美と雛子はさくらから部屋の鍵を受け取ると、そそくさと部屋に向かう。
 「和也、かっこいいって言われて嬉しい?」
 「お、それってやきもちか?さくらがやきもちやいてくれるなんて俺、幸せ者かも。」
 「ばか。」
 「ダサイなんて言われるよりもましだろ?」
 「それはそうだけど。ま、悪くないわね。みんながかっこいいって言ってる和也が私だけを見てくれているんだから。」
続いて寮生たちが帰宅してくる。上は大学院生から、下は中学生まで。年齢は幅広い。またこれがいずれ劣らぬ可愛さと綺麗さを有している。さくらと和也でそれぞれに部屋の鍵を渡していきながら、和也の紹介を手際よくこなしていくのだった。やがて一通りの作業を終えた和也とさくらは夕食の準備に取り掛かる。管理人室にはキッチンがあるため、さくらがそこに立つ。今日からは二人分の支度だ。いつしかさくらは鼻歌を口ずさもうというもの、嬉しくて仕方ないのだ。
 「和也、お茶淹れたから、これ呑んでゴハン出来るまで待っててくれる?」
 「うん。」
さくらは湯気が立つ湯飲みをトレイに乗せて和也のいるテーブルの上に置く。和也はキッチンに立つさくらの後姿を見るなり、<いいなあ。これって。>そう思うのだった。よく見ると、さくらの体にフィットした白いミニのワンピースからピンク色にコーディネートされたブラジャーとショーツのラインが透けて見えている。ショーツに限ってはTバックで、和也を誘惑しているかのよう。当然和也の視線はさくらのヒップに釘付けだ。さくらは背後からの和也の熱い視線をひしひしと感じている。ついつい今日のメインディッシュになるデミグラスソース掛けのハンバーグのネタに擂り下ろしたにんにくを入れてしまう。更には付け合せにガーリックチップを混ぜてしまうさくら。<うふふ。今日はたっぷり楽しむのよ。お風呂で洗いっこして、ベッドで・・・>そう思うと、食事の準備に気合が入るさくらだった。
キッチンからニンニクの焼ける香ばしい香りが漂い、しばらくすると、盛り付けを終えたハンバーグとライス、そして卵スープがテーブルの上に配膳される。
 「お待たせ。あ、手、洗ってきてね。」
 「ああ。」
和也は玄関ロビー脇のトイレに行く。流石に女子寮、綺麗に掃除してある。恐らく寮内には来客用として男子トイレが設置されているのはここだけのようだ。ひとまず用を足し、手を洗って部屋に戻る和也の前に、木刀を担いだ寮生が現れた。
 
(作者より)果たしてこの寮生、和也にひとかたならぬ思いがあるようだ。一悶着ありそうなこの展開。
第2回の連載をお楽しみに。

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さくら荘すとーりー

第1話 何でおいらが女子寮長?

作:サイバスター