ロシアまでの長い道のり、そしてあっと言う間の2週間


   

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文通を始めて4カ月、サンクト・ペテルブルグに住んでいるOksanaから「是非会いたい」という手紙を貰い、

早速ロシアへの渡航手続きの手配を始めました。

「地球の歩き方 ロシア編」、インターネット上の「ロシア入国ビザ」に関する説明を読む限り、

個人レベルでロシアの「普通入出国ビザ」を取得することは難しいように伝えられています。
問題は 「招待状」(invitation) が必要となることですが、ロシア国内に知人・友人がいるのであれば、

「招待状」を手に入れること自体は難しいことではありません。ソ連時代には一般庶民が外国人と知り合う

などということはあり得なかったわけですから随分と簡単になったものです。
もちろん、「招待状」と言っても知人、友人が書いた招待状が有効になるわけではありません。

「招待状」とはロシア内務省が発行する「ビザ発給許可証」と言い換えても良いかも知れません。

具体的な手続きとしては、知人または友人に地区を管轄するOVIR(オーヴィール : 外国人ビザ登録部)に

出向いてもらい、申請手続きをしてもらいます。
申請後、「招待状」発行までに大凡3週間から1カ月かかります。私の場合は、

申請から取得までに3週間、さらに私の手元に航空便で届くまでに1週間かかりました。

取得後、、在日ロシア連邦大使館領事部に出向き、ビザ申請書 (アンケート:領事部で貰えます)に

必要事項を記入し、パスポートのコピー、写真3枚(パスポートと同一サイズ:裏にローマ字で氏名を記入)、

そして「招待状」を添えて提出すれば手続きは完了(手数料5千円)。
1週間後には念願の 「普通入出国ビザ」 を手にすることが出来るのです。
(ビザ受取時にはアエロフロート航空の 往復航空券か予約証明書 が必要です)

*尚、ロシア入国後3日以内に最寄りのOVIR(オーヴィール : 外国人ビザ登録部)に出頭し「外国人登録」を

しなくてはなりませんので要注意です。また、手続受付の曜日、時間も地区によりばらつきがあるので

事前に電話で確認してください。
(OVIRでは英語は通じませんので、知人・友人に同伴してもらうのが賢明です)

旅費に関しては、格安航空券を使えば往復旅費が約10万円、彼女の自宅で寝泊まりすれば

滞在費は1日にあたり5千円もあれば十分です。(外貨を集めるため、外国人用ホテルは法外な値段です、

3星クラスで一泊150ドル、日本の旅行代理店とインツーリストが設定する4星クラスなどは

一泊200ドル以上しますので、このことを文面にしたためて彼女にお願いすれば部屋の手配は

なんとかしてくれるでしょう。また、モスクワ、サンクトペテルブルグなどには格安の

ユースホステルもあります、予約はインターネット、ファクスなどで日本からも行えます)

格安航空券、アエロフロートについては

    
アエロフロート・ロシア国際航空日本総代理店 プロコ・エアサービス 料金表あり
http://www.proco-air.co.jp/

航空券・列車(モスクワーペテルブルグ間:赤い矢号)などの一連のチケットについては
文化放送ブレーン企画
http://www.bhbtyo.gol.com/

等の旅行代理店へ直接お尋ねください。

また、ロシアへの旅行に関する情報(ビザなど)は下記のオフィシャルページで検索してください。

外務省ホームページ 

http://www.mofa.go.jp/mofaj/index.html

在日ロシア連邦大使館

http://embassy.kcom.ne.jp/russia/index-j.htm

     

 

    
私が「招待状」を手に入れるまで
      

            なお、以下の文中の金額表示は97年当時のもの(98年のデノミ実施前)です。

    
4月、Oksanaに「招待状」の申請を依頼するが、彼女の住むフラット(住居)を管理している病院(彼女の職業は看護婦です)が申請に必要な書類を用意してくれないという。しかし、幸いにも彼女の従姉妹が市内に住んでおり、申請は従姉妹の住所を使って行うので心配しないで、という返事をもらう。

5月初旬、Oksanaより

「申請は無事に済んだのだけれど、あのオーヴィールの官僚主義には参ったわ!
事務所は週に2日しか受付をしないのよ!おまけに何と、私の従姉妹は申請書が受理されるまでに5回も事務所に出向いたのよ!信じられる?行く度に、ここが違う、書類が足りないと言われて・・・一度に全部済ませるってことが出来ないのかしら・・・この国は自由な国になったというけれど、役人はソ連時代のままなのよね、まったく!」

5月下旬 Oksanaより「招待状」が届く

「リュウ! グッドニュースよ!やっと貴方に招待状を届けることが出来たわ!私は今とても幸せな気持ちで一杯よ。ところで、貴方の夏休みは何日あるの?ビザは一応30日有効になっているけれど・・・もうすぐ、貴方に会えるのね!」

6月 リュウより

「招待状、有り難う。君や君の従姉妹には大変お世話になったね、感謝の気持ちで一杯です。さて、私の渡航予定ですが7月5日(土)成田発のSU582便で行きます。モスクワ到着は午後5時20分です。出国は7月17日を予定しています。
ところで、モスクワからサンクトペテルブルグまでの交通手段についてですが、夜行列車で行こうかと考えています、「白夜と夜汽車」この幻想的な響きに今からワクワクしています。
でも、ひとつ心配があります、到着が土曜日の夜になるのだけれどモスクワ市内の「旅行代理店」やレニングラード駅の「外国人用切符売場」は開いているのだろうか?
ちなみに日本国内の旅行代理店で購入すると、2等寝台の片道で120ドル程度かかります、おまけにこの方法では「バウチャー」を「切符」に換えるためにモスクワ市内のインツーリスト系ホテルに一泊しなくてはなりません。理由は市内のインツーリスト窓口はその時間には閉まっているかららしいのです。
その宿泊料がいくらか知っていますか?一泊200ドル以上ですよ!
「旅行代理店」と「レニングラード駅」の電話番号を書いておきますので問い合わせてもらえますか? 返事はファクスでお願いします。」

7月2日 Oksanaより 市内中央電話局のファクスにて (何と出発3日前!)

「リュウ! とんでもない不幸よ、貴方からの郵便が配達ミスで昨日(7月1日)届いたのよ!何ということ、ああどうしよう・・・私はインツーリストがそんな暴利をむさぼっていたということを知らなかったし、ましてや外国人の貴方にとって切符を買うことがどれほど大変かということも・・・リュウ、安心して!私がモスクワまで行くわ、そして空港で貴方を待っているから。私、貴方がプレゼントしてくれた赤いブラウスを着てストライプのハンドバッグを持っていくわ・・・私たち二人揃って夜汽車に乗りましょう!」

  

いよいよオクサーナの待つロシアへ出発! 

   
7月5日 出発の日

8時半、成田空港近くの有料駐車場に車を預ける。(13日間で9000円程、安い!)
荷物はバックパック(容量53リットル)に中型サムソナイト。ここで少々荷物をいじる。
(これが後々大変なことになろうとは・・・トホホ)

10時 アエロフロートのカウンターで搭乗手続き開始。
11時半 搭乗開始。

12時00分 出発時刻になっても動く気配が無い、管制塔からのクリアランスを待っているのだろうとのんびり新聞を読んでいると・・・突然、エンジンが止まり機内の電気系統が全て停止した・・・当然、エアコンも・・・・焼けつくエプロンの上に駐機しているのだから機内温度は次第に上昇する・・・本来ならばエンジン、電気系統が停止した飛行機の整備状態を心配するべきなのだろうが、この時は暑さに対する不満の方が優先した。同列のロシア人が凄い剣幕でパーサーに文句を言い始めた。アエロフロートと言えばイリューシィン、ツポレフが頭に浮かぶが、機体はエアバス社のA310である、アエロフロートの最新鋭機も日本の暑さに参ったのであろうか?
(余談だが、機体にはロシアの作曲家の名前が付いているそうで、往きはムソルグスキー号、帰りはリムスキー・コルサコフ号だった)
そして30分もたっただろうか、エンジンが再始動しエアコンも効き始めた頃、飛行機はゆっくりと滑走路へと動き出す。
13時 予定より遅れること1時間、アエロフロート582便は成田を飛び立ち一路モスクワへ。しばし、日本の暑さともお別れだ。
それにしても、このアエロフロートの東京・モスクワ間はドル箱路線らしい。モスクワ経由でパリ、ロンドン、ローマへ直行するので日本の格安ツアーが多く利用しているので機内は満席だ。ちなみに、私の隣の席は添乗員のおねいさん。どこかで会ったような顔だなとよくよく考えてみると、ロシア大使館にビザを受取りに行った時に待合い室にいた女性だ。582便はロンドン行きなのでそのツアーの添乗員なのでしょう、忙しそうに機内を動き回っていました。
そうそう、動き回ると言えば、アエロフロートのスチュワーデスは良く働く、そして皆美人だぁ!笑顔でジュースを差し出されて思わず「スパスィーバ(ありがとう)」と応えてしまった私の鼻の下は相当伸びていただろう。こんな顔をOksanaに見られたら・・・。

そうこうしているうちに、眼下に海岸線が見えてきた、ロシアの沿海州上空を飛行しているようだ。時刻は14時40分、周りの席のロシア人も身を乗り出して眼下の大地を見入っている。彼らにしてみれば「祖国の地」だ。

ここから、モスクワ・シェレメチェボ2空港までの描写は割愛します・・・。
なぜ?って、シベリアの風景は8時間飛んでも草原と沼と河の繰り返しなんだもの。

モスクワ到着15分前ぐらいから眼下に集落が見えてくる、森の間にダーチャ(別荘)らしき木造住宅も見受けられる。
飛行機の高度が下がるに連れて眼下に広がる風景がどんどん都市っぽくなってきた、ひときわ高い塔はオスタンキノのテレビタワーだ。短い夏の日差しを浴びて美しく輝く緑の風景を楽しんでいるうちに582便はなめらかに滑走路にすべりこむ。

無事、到着。スチュワーデスに「スパスィーバ、ダスビダーニャ(さようなら)」と別れを告げて入国手続きへと向かう。「地球の歩き方」などを読むと、作業は沈黙のまま進むように書いてあるが、今回私が所持しているビザはありふれた「観光ビザ」ではなく「普通入出国ビザ」だ、何か聞かれたらどうしようと不安になる。バックパックを開けて露和・和露辞典を取り出そうとするが見つからない・・・(そうだ、成田の有料駐車場で荷物をいじった時にビニール袋を車のトランクの中に置いてきてしまったぁ!)・・・目の前は真っ暗、いやそうでなくても空港の中は薄暗い、ここに来ると日本がいかに無駄な照明を使っているかが判る、いや今はそんな事に感心している時ではない!辞書が無いんだぁ!どうしよう!

不安にひきつる私の番が来た、「パジャルースタ(お願いします)」と言ってパスポートとビザを差し出す。女性審査官は無言で書類に目を通す、一瞬、ジロっと私の顔を凝視する、どうやらビザの顔写真と見比べているようだ。

ドキドキしながら直立不動で立っていると、ポン、ポンとスタンプを押しはじめ、無言でパスポートとビザを返してくれた。どうやらパスしたようだ、ホッとする間もなく次ぎは荷物の受取りだ、私のバゲッジはちゃんと出てくるのだろうか?間違ってロンドン行きの方に入ってしまっていたら大変だぁ、あれには彼女や彼女の家族へのお土産が全部入っているのだから。なんてことを考える間もなく目の前に私のバゲッジが流れてきた。ロシアでは大陸時間で物事が進むと考えていたが「なんだ、意外とスピーディじゃない?」。

全ての荷物と共に税関審査へ向かう、ここで税関申告書に所持する外貨(ドル)を記入し申告するのだが、備え付けの税関申告書の英語版が無い・・・どうやら切らしたまままだ補充していない様子、残っているのは文字の雰囲気からドイツ語版だけのようだ。またしても辞書の無い私に途方もない高さの壁が立ちふさがる!
仕方なくドイツ語版の税関申告書を1枚(!通常は2枚。1枚は出国時に必要)持って列に並ぶ。

私の番になり英語で「英語版の申告書が無いので記入出来ない、用紙は無いのか?」とふくよかな女性審査官に尋ねると「ドルはいくら持っているのか?」という返事、私は手持ちの現金は500ドルしか持っていなかったので「500ドル」と答えると、彼女は他の旅行者が書損じたと思われる英語版の申告書を取り出し、指で英語版とドイツ語版の一カ所を交互に差し示し、「ここに500ドルと書け」という。言われたままに記入し再び彼女に申告書を渡すと、もう行っていい!というふうに手を振る、スタンプも押してない申告書に不安になり「スタンプを押してない」と詰め寄ると「500ドルならスタンプはいらない!もう、行っていい!」と相手にしてくれない。

私の頭の中には出国時にトラブルのではないかという「不安」が大型台風のように渦巻いていたが再度彼女に尋ねてもらちがあきそうもなかったので度胸を決めてOksanaの待つ到着ロビーへ向かった。
(出国時、幸いにも税関審査では何のトラブルもありませんでした、外貨両替のレシートとスタンプの押してない申告書(ドイツ語版!)1枚を渡し、「ドルは持っているか?」の問いに「ノー」と答えポケットから少額のルーブル紙幣を取り出して見せると、税関のおにいさんは無言でレシートと申告書を私に返して、荷物のチェックもせずに再び同僚と新聞のクロスワードに熱中し始めたのですから。まぁ、いつもこうとは限りませんので慎重に対処してください・・・・・もしも、ソ連時代の遺物のような審査官に当たり、申告額と手持ちの外貨が食い違ったら面倒なことになります)

夏休みの週末ということもあって到着ロビーは花束や名前を書いた紙を持った人待ち顔の人、白タクの客引きでごった返していた、「タクシー?」という呼びかけに「ノー」、「ニェート」と答えながら彼女を探す、赤いブラウスにストライプのバッグ・・・何でロシア人女性は赤い色が好きなのか?・・・赤い服を着ている女性があっちにもこっちにも・・・動き回るのに疲れて立ち止まると、「タクシー?」攻撃に遭う。

そのうち、英語の達者な白タク氏が「誰かと待ち合わせか?」と尋ねてきた、疲れ果ててタバコを吸っていた私は「ペテルブルグからガールフレンドが迎えにきている筈なんだけどね、人が多くてわからないんだ」と答える。
すると白タク氏は「ペテルブルグ?それじゃ、きっと彼女はシェレメチェボ1にいるのさ!ロシア人は国内線と国際線のターミナルビルが反対側にあるのを知らないからね、どうだい、20ドルでシェレメチェボ1に連れて行ってやるよ」と言う、いくらなんでもそりゃないだろうと思うが、時間つぶしのつもりで彼の話を聞いていた。

両替所を教えてくれたり、インフォメーションカウンターで個人名の呼出しアナウンス(有料:3000ルーブル)が可能だということも教えてくれたので悪い人では無いらしい、彼の教えに従い2階に上がり両替所でルーブルに両替し、インフォメーションで呼び出しをしてもらおうと列に並んだところでようやくOksanaと巡り逢えた!
お互いを探すこと1時間半!涙目の彼女としっかと抱き合う!
(まるで映画のようだぁ!)
めでたしめでたしの二人に白タク攻撃が襲いかかるが、彼女は脇目もふらず私のバッグを一つ手にとると「公共タクシーで地下鉄の駅まで行きましょう、その方が安いし安全よ」と言い足早に歩き出した。公共タクシーは到着ロビーを出て右側に100mぐらい離れたところから出ています。12人乗りぐらいのワンボックスで定員になり次第発車します。私たちが乗ったのは地下鉄「プラニョールナヤ駅」行きでした。

空港から市内へ向かう車中、彼女は私の顔を見つめながら「私、モスクワは大嫌いなのよ、車は多いし、犯罪者もたくさんいるしね、とにかく貴方が無事でよかったわ」とつぶやいた。よくよく聞くと彼女は夜行でペテルブルグを発ち、朝の8時から空港にいたという。「10時間もあそこにいたのかい?」、「ええ、でも貴方も飛行機の中に10時間いたんでしょう、私たちは平等ね」・・・こういう発想は共産主義の名残りなのだろうか?
高速道路のような幹線道路を15分も走ると、公共タクシーは地下鉄「プラニョールナヤ駅」に到着した。彼女は窓口に行き「ジェトン」を買って戻ってきた。自動改札に「ジェトン」を投入しエスカレータに向かう、このエスカレータが信じられないほど速い!恐る恐る飛び乗ると、彼女は「東京にもエスカレータはあるんでしょう?」とニヤニヤしながら冷やかしてくる。んなこと言ったって、日本の3倍は速いんじゃないの?まぁ、3日もすると慣れるけど・・・。

地下鉄を乗り換え、コムソモーリスカヤ駅に到着する。ここは3つの鉄道駅が集結するモスクワのターミナルだ。私たちが乗るペテルブルグ行きの夜行列車が発着するのはレニングラード駅である。ヨーロッパの駅名は出発地に終点の都市名を冠した駅があるので自分の乗る列車がどの駅から出るのかがとてもわかりやすい。(もちろん、ソ連時代の旧名レニングラード=サンクト・ペテルブルグのことです)
Oksanaと一緒に切符売場に向かうが、私が外国人であるために「売場が違う」と言う。

広い駅構内を右往左往し、ようやく切符を手に入れた。
列車番号26 モスクワ発23時丁度である。発車までまだ間があるのでキオスクに行って鮭のオープンサンドイッチとファンタ・オレンジのペットボトルを買い込み腹ごしらえ。「私、朝から何も食べてなかったのよ、だって空港の売店は皆高くてとても食べる気にならなかったんだもの」といいながらオープンサンドをほおばっている。ルイーベが一切れのっかっただけなんだけど、美味しい!ロシア産ファンタ・オレンジの味は日本のそれと変わらないが、冷えてないのがちょっと気になる。

私たちの乗車する列車がゆっくりと入線してきた。ドアが開き、車掌さんが脇に立っている。22歳ぐらいの若い男性の車掌さんである。彼に切符を渡し車内へ入る。男女平等、国民総公務員だったロシアでは圧倒的に女性車掌が多いのだが、ホームを見渡すと男性車掌の姿が5人位いたので結構珍しい情景だったかも知れない。
時刻は22時30分だが白夜ということもあってまだうっすらと明るい。「ペテルブルグの白夜はもっと素敵よ!」Oksanaが誇らしげに言う。
23時、列車はレニングラード駅を発車する。
車両は2等の4人用のコンパートメント、向かいの座席には初老のロシア人男性が一人。外国人の私に興味を抱いたのか、彼がしきりにOksanaに質問をしてくる。二人のやりとりは早口のロシア語だから私には良く判らない(勿論、ゆっくりでも判らない・・・)が 雰囲気から判断して、私たちは結婚を前提に付き合っているというようなことを説明しているようだ、初老の男性はにこやかに私に話しかけてくる、どうやら「おめでとう」と祝福してくれているらしい。
私も日本人スマイルで「スパスィーバ」と答える。

「私たちの出会いを祝福しましょう!」Oksanaの申し出に「ダー」と答え、食堂車へ向かう。食堂車の中はとても薄暗い、ラジカセからは国籍不明のロックが流れている。ウェイトレスのおばさんがメニューを持って来る。当然ながらロシア語で書いてあるので私には判らない、Oksanaに「シャンパンと何か軽いものを頼むよ」と言いオーダーはまかせることにした。2、3分してシャンパンとフルーツパフェがやってきた。グラスにシャンパンを注ぎ、乾杯! 客は私たちだけかと思ったら、更に奥の薄暗いテーブルに軍服を着た青年将校らしき男性が一人、遅い夕食をとっているようだ。彼女と話していても、時折彼の視線が気になる。敵意を感じるわけではないが、例えるならば戦後の混乱期の日本でアメリカ人にくっついている日本人女性を見る引き揚げ兵の視線はこんなではなかったのか? 
フルーツパフェを平らげ、残ったシャンパンはボトルごとテイクアウトした。

コンパートメントに戻り、しばらくすると車掌さんが赤いプラスチック製の道具を持ってやってきた。どうやらドアのロックらしい。インターネットのロシア鉄道旅行紹介には防犯の為、ドアを固定するのに便利だから「紐」を持って行けと書いてあったが、最新事情はこのようになっているようである。安心して眠りについた。

ロシアの鉄道は列車番号が若い程、豪華な特別列車である。
モスクワからペテルブルグ行きの下りでは列車番号2、4、6がそれに当たる。(上りは1、3、5)
ちなみに列車番号2は有名な「赤い矢号:クラースナャ・ストレーラ」である、当然客車も深みのある赤に塗られている。
私達が乗車している列車は26、車両の塗装も緑色、ごく普通のランクの列車である。
後で判ったが、1等車、2等車の違い以外にも列車によって料金が違うので切符購入の際にはご注意を!

目が覚めると6時である、向かいの初老の男性は既に目を覚まし車内備え付けの新聞を読んでいる。互いに「ドーヴラィ・ウートラ(お早う)」と言い、私は上段で寝ているOksanaの様子をうかがう。まだ眠っているようだ。カーテンをめくり外の景色を眺める。牧場らしき草原、白樺林、ダーチャ、のどかな情景である。
しばらくすると彼女が目覚め、コーヒーを入れてくれた。間もなくペテルブルグだ。

列車は定刻にモスクワ駅に到着した。幹線鉄道だけにダイヤは正確なようだ。彼女が記念に写真を撮ってくれるというが出来れば一緒に写りたい、するとすぐ側にいたポーターらしき若い男性が「撮ってあげるよ!」。

サンクト・ペテルブルグ モスクワ駅にて 1997年7月6日

彼の親切に「スパスィーバ!」と言い残し、コンコースに向かう。
駅を出て、すぐに地下鉄乗り場があった。「ネフスキー・プリャスペクト駅で乗り換えるのよ」彼女は路線図を指差して今いる場所を説明してくれた。(これから、毎日ネフスキー・プリャスペクト駅を中心に動き回ることになる)

彼女の従姉妹の住居(フラット)がある「ウデリーナヤ駅」に到着した。地上に出ると、駅前はさながら市場の様である。新聞・雑誌、タバコや酒、ジュースを売るいわゆる売店から日用品や食料品を売る屋台風のものまで様々である。このような情景を見る限りロシアには物資が溢れているように感じられるが、物価はかなり跳ね上がっているようである。彼女に先導されて公共タクシー乗り場に向かう。行き先ごとに40、41という風に系統番号の札を付けたワンボックス車(フォード製)が止まっている。料金は一人2000ルーブル(日本円で50円弱)。定員は11人。7人ほど乗ったところで発車した。途中で同じ系統のタクシーとすれ違う、どうやら2台から3台が同じ経路を走っているようである。5分ほどで高層アパート群に到着した。

向かいの街区のアパート群を望む


これがソ連時代に建てられた「労働者=一般庶民」の住宅だ。どの建物も12階から16階ほどの高さがあり、一見、日本のニュータウンと呼ばれる団地群と同じである。Oksanaがエレベータのボタンを押す、従姉妹の住居は9階らしい。エレベータを降りると、金属製の頑丈なドアがある、ドアノブの横にセキュリティ用なのか数字のボタンが1〜0までついている。彼女は4桁の暗証番号を押し、重いドアを開けた。そこが建物内部の廊下である、こうしなければ冬場ー40度にもなる外気から住居を守れないのであろう。当然、住居のドアも二重である。

部屋に入り、二人でホッと溜息をつく。お互いに長い道のりだったもの。


通された部屋に荷物を下ろし、ダイニングへ行くとOksanaがコーヒーを入れてくれた。
「11時になったらお店が開くから買い物に行きましょう」冷蔵庫をチェックしていたOksanaはそう言い、ドーナッツ型の堅めのパンを持ってきた。「フクースナ!(美味しい)」少々堅いと思って噛んでいたが、コーヒーに良く合うコクのあるパンだ。Oksanaはテーブルの上にあるラジカセのスイッチを入れラジオのダイヤルを合わせる。聴いていると、70年代から80年代のアメリカン・ポップを専門に流しているFM局らしい。「いい選曲しているね、何ていうラジオ局?」、「エルドラディオ! リクエスト専門局なのよ」そう言いOksanaは私が筆談用に持ってきたノートに「ELDORADIO」(エルドラドとラジオの合成語)と書き記した。

そろそろ出掛けようということになりフラットを出る。「今日はとても暖かいわ!」ノースリーブのワンピースに着替えた彼女は多くのロシア人がそうであるように、短い夏の日差しを楽しんでいる。
部屋の窓ガラスに付いていた寒暖計は23度を指していたが、炎天下の日本から来た私には極楽のような快適さだ。
日用品を扱う商店は各街区に1店舗あるらしい。私達がいるフラットは「シェレバコバ通り(ウーリッツア・シェレバコバ)ドーム9」だから少なくともこの街区には9つの高層アパートが建っていることになる。また、24時間営業の売店風の店舗が公共タクシー乗場の前に10個ぐらい並んでいる、と言っても実際に営業しているのは3店舗ほど。
(ここへは何回かタバコを買いに行ったが、日本のタバコの値段の高さをあらためて思い知らされた。私が吸い慣れた「フィリップ・モリス」(ロシア国内でライセンス生産)を6000ルーブル(120円)で売っている。空港の免税価格(150円)よりも安く買えるのである。L&Mにいたっては3500ルーブル(約70円)である!しかしながら、ロシア人にとってアメリカ・ブランドのタバコは高級品らしい、ロシア・ブランドのタバコはもっと安く出回っているとのこと。)

売店風の店を通り過ぎ、向かいのビルの裏側の1Fに商店があった。入り口の脇には毛並みの良い猫が一匹ひなたぼっこをしている。ミルクの入ったお皿が置いてあるのでどうやらこの店で飼っている猫のようである。根っからの猫好きの私は猫の喉をなでてご機嫌を伺う。前脚を私の胸に伸ばしてじゃれてくる、どうやらロシアの猫君には気にいられたようだ。Oksanaもニコニコしながら猫の喉元をなでている。「動物に好かれる人に悪人はいないわ」Oksanaは私の顔を覗き込み、そうつぶやいた。
猫とたわむれていた私達の横でドアが開く音がして店主の女性がニコリと微笑む。猫が真っ先に店内に飛び込んだ。店内の雰囲気は日本のコンビニを一回り小さくしたような感じである。冷凍食品、小麦粉などの食材、野菜、肉、ソーセージ、チーズ、ミルク、アメリカやヨーロッパのブランド名がついた調味料やスナックなど商品が溢れている。かつてソ連時代に有名だった行列なんてものはもうどこへ行ってもお目にかかれない。(日本のたまごっち行列の方が有名になっているかも知れない)

部屋に戻ると彼女は早速、料理の下ごしらえを始めた。
私は何か手伝うことはないかと落ちつかないでいたが、彼女は「これは私の仕事よ、貴方はくつろいでいて!」と言っててきぱきと準備をすすめる。

彼女がつくってくれたのは「ペリメニ」、「野菜スープ」。どちらもとても美味しく「フクースナ!」を連発してしまった。ペリメニというのは「ロシア風水餃子」と呼ばれるだけあって味も「餃子」に近い。食べ方は、ボイルしたペリメニに「スメタナ」と呼ばれるドレッシングをかけていただく。また、日本の餃子そっくりにフライパンで焼いて食べる「ワリーニキ」というものもある、こちらは「ウクライナ料理」だそうである。

私は持参した「醤油」をかけてOksanaに試してもらった。彼女の口からも「フクースナ!」という言葉が出てきた。聞けば「醤油」は大好きなソースだという。これなら彼女と結婚して日本に住んでも食事でトラブル心配はないだろう。少し安心した。

ロシアの人気TV番組はアメリカ製ドラマ「サンタ・バーバラ」らしい。ラジオ番組で女性リスナーからの電話人生相談を聴いていたら、結婚するなら「サンタ・バーバラ」に出てくるような生活がしてみたい!相手はお金持ちの実業家、ビジネスマンという声の多さに驚かされた。まるで、アメリカ映画やTVドラマに憧れていた戦後の日本のようである。Oksana自身も「私は絶対にロシアの男とは結婚したくない!」と強調していた、この国の男性はソ連崩壊後、まったく働かなくなったという。離婚率も急増し、今や60%を越えるらしい。もちろん、賃金未払いや工場閉鎖などでやけ酒を飲んだり、働き口を失ったために破局になったケースがほとんどだろうと思うし、同じ境遇のバツイチ男性としては同情を禁じえない。しかしながら、努力もせずに住宅地区の地下鉄駅の周りでウォッカの瓶を片手にたむろしている何十人もの男性を見れば、この国の女性達が外に目を向け始めるのもわかる気がする。

この日はお互い疲れた身体を休めるために早めに眠りにつくことにした。と言っても白夜である・・・夜中の1時半頃やっと日没、2時過ぎには再び夜明けが来てしまう。現在、夜の8時であるが外の明るさは日本の感覚で言ったら昼の3時ぐらいだろうか、カーテンをひいても部屋の中は明るく感じる。が次第に眠気が襲ってきてくれた。

従姉妹の部屋と言っても、今ここには私とOksanaの二人しかいない。従姉妹の家族は夏の休暇をとって実家に里帰りしているらしい・・・私達二人だけにしてくれるなんて従姉妹の気遣いに感謝である。

7月7日

この日も天気は快晴である。

ネバ川の辺にて 1997年7月7日

「料金は高いけれど英語ガイド付にする?」彼女に市内観光について尋ねられた。

私のつたない英語力ではロシア語も英語も大差ないし要点は彼女が英語に翻訳してくれるというので「国内旅行者向けのバスツアーが良い!」と答えた。

彼女が事前に調べておいてくれたのはネフスキー大通りをはさんでグランドホテル・ヨーロッパ向かいにあるDavranovというツアー会社。会社といってもそこにあるのは日本の「宝くじ売場」のようなボックススタンドだ。

白夜ツアーの出発は23時30分、主だった名所・旧跡は全て回ってくれる全行程5時間のバス・ツアー。(料金は一人90,000ルーブル)

白夜ツアー出発後、10分ほどでとある橋の上にバスが止まり、ガイド氏が「さぁ、皆さんここはキスの橋です!となりの人とキスしてください!!」言い終わるやいなや恋人同士はキッスの嵐!!車内のあちこちで歓声が上がる、もちろん、私たち二人も・・・これがOksanaとのファースト・キッス!。

このツアーに参加して初めてネバ川の跳ね橋が何故午前1時過ぎに一斉に上がってしまうのかが判った。アレが通るためなんですね・・・。

オプションで一人5000ルーブル払えば跳ね橋の内部も見学できる。(橋の真下からアレを見るのは圧巻だ)見学時間は20分程、橋の付け根には巨大な発電機とモーターが納められた機械室があり管理している制服姿のお兄さんが冗談を交えながら、運用上の問題(老朽化)などについて説明してくれる。

ツアーは家族連れが多く、と言っても母親と中学生くらいの子供という組合わせが圧倒的、ここでもロシアの離婚時事情を垣間みたような気がする。

夏とは言え、白夜ツアーはかなり冷え込みますから長袖のカーディガン等は必需品!。特にホテル・プリバルチースカヤがあるヴァシリーエフスキー島でトイレ休憩した時など、冷たい海風に吹かれてOksanaはロシア人の筈なのにしっかり風邪を引いてしまった。

余談だが、Davranovというツアー会社のアットホームな応対に驚かされた。

白夜ツアーの後、ロシア人の彼女が風邪をこじらせてしまい、ツアー代金を支払っていた「プーシキン、パブロフスク観光」に参加できなかったのですが、彼女の風邪が回復した2日後、同社の窓口に行くと、窓口で受付をしていたのは、白夜ツアーの時のガイド氏。

彼女が未使用のチケットを提示し事情を説明すると、「いいよ、明日の同じ時刻のツアーに変更してあげる」との返事。赤ペンで修正されたチケットを手に二人でつぶやいた「インツーリストのツアーじゃこんなこと絶対に無い!」。

TRAVEL AGENCY   Davranov

Italyanskaya,17 St.Petersburg

TEL. 812-311-1623 FAX. 812-311-8694

ピョートール大帝像

  

7月8日 快晴  気温22度

ロシア入国後、72時間(3日)以内に「外国人登録」をしなくてはならないので、今日はオクサーナと二人でオーヴィール(ОВИР:外国人ビザ登録部)へ出かけることにする。彼女の従姉妹が5回も足を運んでくれた「旧ソ連の遺物」である、二人とも少々気が重い。地下鉄で2つ目の駅「チョールナヤ・リェーチカ」で下車、路面電車「トランバーイ」に乗れば4つ目らしいのだが、「天気も良いことだし、散歩がてら歩いて行こう」ということに。

(注:外国人登録を自分で行うのは「ホームステイ」の場合です。ホテルに宿泊するのであれば手続きはホテルで代行してくれます)

石造りの古い建物がつづく街並みは、その街の歴史がしめす通り、ロシアの中で一番ヨーロッパに近いと言える。そして、穏やかな日差しを浴びてみずみずしく輝く街路樹の美しい緑、夏に関してだけを考えれば、暑がりの私にはロシアは最も過ごしやすい国かも知れない。

そして街路樹の下の歩道には露店がいたるところにあり、生鮮野菜や果物を売っている。

日本式の品質管理で育った大きさ、形、色が均一の物を見慣れていると、外見が不揃いに感じるかもしれないが、それは一般庶民が休日にダーチャ(別荘)の家庭菜園で手作りで育てた証である。

バナナ、スイカ、葡萄など季節の果物がとても美味しそうである。(まぁ、バナナはまさかロシアで栽培されてはいないかも知れない・・・・いや、黒海沿岸の保養地では栽培可能かな?)

ダーチャ(別荘)を一般庶民が持っているというと、たいそう豪勢に感じるが、ソ連時代、労働者は平日は国家、共産党、自分以外の全ての国民の為に汗水たらして働き、国が与えてくれた土地に手作りで建てた木造の一戸建てで休日や休暇を過ごすというのが一般的だったのである。それに比べ、我が資本主義国、日本では・・・国が用意してくれたのはせいぜい「国民休暇村」かぁ。

「君の家族もダーチャを持っているのかい?」と尋ねると、「ええ、もちろん持っているわよ」という返事。結婚したら是非行ってみたい。

果物の露店を横目で見ながらオクサーナが「そうだわ、ねぇ、日本にはイチゴはあるの?私もグルーニャもイチゴが大好きなんだけど」と尋ねてきた、「もちろんあるよ・・・え、グルーニャはイチゴが好物なのかい?」(グルーニャは彼女の愛犬です)、「そうよ、私とグルーニャでダーチャのイチゴ畑を散歩してると、あっと言う間にイチゴが無くなるって、ママが嘆くのよ」・・・・オクサーナの笑顔を見ていると・・・・あぁ、このままロシアで暮らしたい・・・・出来れば夏だけ!

15分も歩いただろうか、目の前にコンクリート造りのいかにも政府の建物という感じのお役所ビルが見えてきた。建物の側面にはソ連時代からそのまま残されていると思われる、肖像画とスローガンが描かれている看板が建っている、入国以来「コカ・コーラ」や「マールボロ」といった広告看板ばかりを見ていたので、やっと「旧ソ連」の風景に出会ったような気がして、妙にホッとしてしまった。

建物全体はやたらデカイのであるが、私達が向かうオーヴィールがある部分はたったの4部屋程度である。たぶん、日本でいうところの「合同庁舎」のようなものであろう。

オーヴィールのあるフロアに着くと、そこはちょうど待合い室のような広間になっていた。既に2人の女性が壁に持たれて待っている。入り口横には受付時間などを案内するパネルが貼り出してあった。「受付開始まで、あと40分ぐらいあるわ」、案内を見ながらオクサーナが「どうする?」という感じで私の方をうかがう。ここには椅子もないし、「表の芝生で休んでいようか?」「ダー」。

そして、オクサーナは早口のロシア語で先に来ていた女性に何かしら話しかけている。

「私達の順番は大丈夫よ」彼女は順番の確保をお願いしていたようだ、うーん、ソ連時代の行列待ちの慣習はちゃんと生きていたのである!

芝生の上に、サッとハンカチを引いて「さぁ、どうぞ」とオクサーナを座らせる「Oh!Gentleman」彼女が笑いながら腰を下ろした。

芝生のところどころに花弁の白い花が咲いている(スミマセン、私、花の名前とか苦手なんですヨ)、その一輪をとってオクサーナがロシア語でつぶやきながら花弁をひとつづつ・・・む、これは恋占いというやつかぁ? 最後の一枚を指でつまみ、オクサーナが微笑む。「それ、占いだろう?どうだったの?」と尋ねると、「内緒よ!」と言ってキッスされた・・・こんなことを日本の「合同庁舎」前の芝生でやる勇気は私には無い・・・が、ここはロシアである。側を行き交う通行人は当たり前の情景を見るかのように通り過ぎていく。なんだかんだで、いつの間にか私はオクサーナの膝枕でうとうとし始めていたが、「そろそろ時間だわ」という彼女の声に仕方なく目を覚まし再びオーヴィールに向かった。

さきほどの待合い室風の広間に戻ると、ざっと3、40人程の人々が受付を待っていた。オクサーナがさっき順番の確保をお願いしていた女性に声をかける、「大丈夫よ、さぁ、こっちへ並びましょう」そして、オクサーナと共に受付扉の側に並んだ。人の数は続々と増えてくる、来た人は誰もがお大声で何かを尋ねている、そして複数の人がそれに答える。ははぁん、なるほど「誰が列の最後なの?」、「私よ!」とか「そっちの人だよ」という風なやりとりが交わされているようである。汗を拭き拭き入ってきたお婆さんが何かを言うと、あちこちで声があがり、笑い声もわき起こる。オクサーナが「ここの役人は何時働くのか?って言っているのよ」と教えてくれた。私は何かとても温かいものを感じた。「袖ふれあうも多少の縁」、昔の日本もこうだった、今は先進国ぶって他人のことなどいっこうに構わないという風潮であるけれど。

こういう一般庶民の日常風景を見られるのが「自由旅行」の楽しさだ。一流ホテルに泊まり、「赤の広場」や「エルミタージュ美術館」を日本人観光客専用貸切バスで見ていたのでは、一般庶民同士、お互いの「顔」を知ることは出来ない。

時間になり、受付の扉が開けられた。人々の視線がいっせいに集中し、皆ぞろぞろとドアに向かって整然と並びはじめた。割り込む人などはいないようである、私とオクサーナもちゃんと3番目に並び「お役人」の部屋に通された。お役人と思われる女性は40歳ぐらいだろうか、金髪のちょっと色っぽい目つきの人だぁ(20年前ならブイブイ言わせただろう・・・)、オクサーナとお役人が早口のロシア語でしゃべり続けている・・・私は無言で、ウェストポーチの中のパスポートとビザを取り出し、ただ待っていた。すると、オクサーナが私の手を取り部屋を飛び出した「一体、何?」と尋ねると、「別の場所で手続きが必要らしいわ、リュウ、ちょっとここで待っていてね、すぐに戻るから」そういうと、オクサーナは脱兎のごとく階段を駆け下りて行ってしまった。

彼女が行ってしまった後、何がなんだか判らないまま呆然と待つしかない。先程のお役人の部屋の前には今も人が列をなしている。ほとんどが女性だ、さっきまで気にもしていなかったが、こうして見ると、若い女性ほど薄着で、そしてノーブラだったりするものだから目のやり場に困る(と言いつつ見てるんだろうが!)。ロシアの夏は短くて陽射しは貴重であるから、肌を隠すような事はしないのであろうか・・・・あぁ、今度来た女性は薄手の白のワンピースだから、パンツがしっかり見えている、勿論ノーブラ。さっきまでオクサーナがいなくなって不安になっていた私はどこに?

目の保養をたっぷりし終わった頃、オクサーナが戻ってきた。「税金(多分、申請用の収入印紙のような物)を支払ってきたのよ、もう大丈夫よ」、彼女はタクシーを飛ばし、地下鉄で2つ先の役所まで行ってきたらしい、それなのに、私は鼻の下を伸ばしていたなんて・・・あぁ、申し訳ない。

オクサーナが先程の部屋をノックし、お役人と言葉を交わし「次にしてもらえるわ」というので二人でドアの横で待つことにする。2、3分してドアが開き、再び部屋に通された。

お役人が隣の部屋に行き、しばらくして書類を手に戻って来た。「パスポートとビザを貸してね」オクサーナはそう言い、お役人の前で書類に記入し始めた。書類に記入し終わるとお役人の女性はスタンプをポン、ポンと押し無言でパスポートとビザを返してくれた。手続き自体とてもあっけないし、この国の役人の無愛想さは多分世界一だろう・・・。

受け取ったビザには手続き完了のスタンプとお役人のサインがしてある。とりあえず、これでロシアのお巡りさんに「不法在留外国人」扱いされることはない。

(結局、滞在中一度もパスポートとビザの提示を求められませんでした)



7月9日 やっぱり快晴 気温20度

今日の観光は「ペトロドヴァレェツ」(ピョートル宮殿)だ、オクサーナと知り合うずっと以前に旅行パンフレットで見た美しい庭園のある宮殿である。11時出発の観光バスに乗り込み、一路ピョートルの夏宮殿へ。

観光バスが到着した駐車場のすぐ横は「お土産売り場」、ほとんど京都・新京極や浅草・仲見世を100分の一ぐらいの規模にした風である。ロシアのお土産品といえば「マトリョーシュカ」が有名である。私も母に「是非、買ってきて」と頼まれた。

オクサーナが「ここで買うの?予算はいくらぐらい?」と尋ねる。予算と言っても一体いくらぐらいするものなのか想像出来ない。これはもう試しに聞いてみるしかないだろう。高さが25cmぐらいで中身が10個のものが35ドル、中身が20個、色彩の凝ったものだと60ドルぐらいらしい。オクサーナは店員とやりとりしながら「ちょっと高いわね」とか「これならまずまずね」という風に解説してくれる。それにしても、一つとして同じものが無いのではと思われるほど棚という棚に「ロシア娘」のマトリョーシュカが並んでいる。とりあえず、この場は見るだけにしておこう。

門をくぐり、いよいよ宮殿の敷地内へ入る。ここを訪れる観光客のほとんどは宮殿よりは、見事にレイアウトされた庭園に目を奪われるであろう。私もそうだ、テラス部分の先に拡がる黄金の噴水、運河、みずみずしい緑、そしてその前方に見える海はフィンランド湾である。ここには大小合わせて64もの噴水がある。その噴水の中でひときわ目立つのが「サムソン像」である。英雄サムソンが獅子の口をこじ開けている噴水だ。庭園内を歩き回っていると、帝政ロシア時代のコスチュームを着た男女がにこやかに声をかけてくる。まるで、「明治村」か「日光江戸村」だぁ。カメラをぶら下げている日本人は格好のターゲットであろう。オクサーナと一緒に4人でハイッ、ポーズ。彼女が撮影代にいくら払ったのか聞きそびれたが、多分5000ルーブルぐらいであろう。

庭園の広さは1000ヘクタールというから全てを見て回るのには2時間程度の観光ツアーでは短すぎる。帰りのバスの集合時間も気になるがオクサーナと二人、腕を組みながら歩いているともうそんなことはどうでも良くなる。とにかく森林浴には絶好のシチュエーション、森の中の小径にあるベンチに腰掛けて、鳥のさえずりに耳を傾ける。

「もう、集合時間だ」と私が言うと、「大丈夫よ、ボートで帰れるわ」という返事。「ボート?」、「そうよ、エルミタージュ美術館の前にあった船着き場、覚えてるでしょう?あそこまで高速遊覧船で戻れるから」。なんだ、そんな乗り物があったのか。

再び、庭園内を散策し始める、64ある噴水の中の一つ「いたずらの噴水」というのに辿り着いた。そこでは子供達が水浸し状態で大はしゃぎしている。大人達も同様である、私とオクサーナも一気に駆け出して向こう側に渡ろうとしたが、ちょっとだけ水を浴びてしまったぁ。

そこを抜けると小さな木造の建物があり、その中庭らしきところでは人々が集まり何かしら盛り上がっている、人垣の中に見えたのはウエディング・ドレス姿の若い花嫁、もちろん新郎の姿も見えた。式を挙げてから家族、友人たちとこの庭園に来て屋外パーティでもしているのであろう。私は「君のウエディング・ドレス姿を早く見てみたい」とオクサーナに言ってみたが、「そうね、いいわねぇ」と言ったまま、視線は新婦のドレスに釘付けである。Lady is Lady! 女性はいずこも同じというわけかぁ。

エルミタージュ美術館前行きの高速遊覧船乗り場に着いた。出発は毎時00分丁度、流線形のかっこいいボートだ。バスで陸路を来た時には約1時間かかったが、このボートで行くとたったの25分で着いてしまう。

フィンランド湾を快調に飛ばすボートの乗り心地は最高です、となりではオクサーナが私の肩を枕にスヤスヤと眠っていますから。





7月10日 本日も快晴です! 気温22度

連日の観光に二人とも少々疲れ気味、本日は終日、部屋で過ごすことに決めた。

オクサーナに日本から持ってきたお土産の、ゲームボーイ、uno、unoタワーの遊び方を説明してあげる。ロシアの人もホームパーティ好きだからきっと喜んで貰えるだろう。ゲームのやり方を英語で説明するのは結構しんどいので実際にやるのが一番でしょう、まぁ、二人でするにはunoは不向きかも知れないけど・・・・・が、オクサーナはすぐにルールをのみこみ、カードを1枚手にして「ウノ!」とニコニコしながら私を見つめる・・・・・そこに、Draw4カードなんかを出そうものなら「ヴェリンッ!」(意味もスペルも判りませんけど、多分、感情的な時にでる言葉?)と叫んで「貴方って、優しい人ねぇ・・・ありがとう!」と唇をかみしめて睨む、恐いヨー!!

ロシアには「チェス」という頭のスポーツがあるので、こんな子供だましのゲームは物足りないかも知れない。オクサーナもパパとチェスをするらしい。ちなみに、彼女のパパは「ロシア国防陸軍」将校だそうで・・・・・オクサーナを悲しませたりしたら・・・・・私はAK47(カラシニコフ小銃)で蜂の巣にされるかも、やっぱり恐いヨー!

そう言えば、先日テレビでやっていた「人間対コンピュータ」のチェスの試合、見た人いますか?IBMのディープ・ブルーの先読みのやり方、ロシア人チャンピオン(名前忘れたぁ)の予想を越えた攻め方に、私も驚きました。

夕食後、やはり日本から持参した雑誌「東京ウォーカー」、「HIRAGANA TIMES」などを見せて、現代日本の暮らしぶりなどを説明してあげる。たまたま開いたページは「冷やし中華の美味しい店」特集、オクサーナは「これは何?」と言って、指をくねくねさせる・・・・ま、まさか?「ちゃいまんがな!日本人はミミズなど食べへんて!・・・う〜ん、そや、スパゲッティみたいなもんや!パスタや、パスタ、ジャパニーズ・パスタ!・・・」いや、待てよ、中華はどこ行ってしもうた?

この時に聞き出したオクサーナが誤解していた日本の食文化としては、「日本人は犬を食べる」というのがありましたので、ちゃんと「食べへん!犬を食べるのは中国人や!」と誤解を解いておきました。愛犬家の彼女はそのことがとても心配だったようです。

気がつくと、時刻は22時をまわっているが、窓の外はまだまだ明るい、日没は深夜1時半頃だ。シャワーを浴びて、そろそろ眠ることにしよう。

(ロシアの夏、日本から来た私にはとても過ごしやすい気候なのですが、唯一問題なのは「シャワー」です。蛇口を捻っても出てくるのは「水」だけ。これが、結構冷たい・・・オクサーナが私のために鍋を総動員して「お湯」を沸かしてくれるから良いけれど、スイッチひとつで何でも出来てしまう便利な生活に慣れてしまった日本人にはちょっとしんどいかも。

勿論、冬は市内の集中ボイラー設備でお湯と暖房を各家庭に供給しているから問題なく温かいシャワーが浴びられます。

ネフスキー大通り





7月11日 どこまで続くか快晴記録  気温24度

今日の予定は、ネフスキー大通りでのウインドウショッピング。撮り終えたフィルムの現像・プリントもしたいし、手持ちの現金も少なくなってきたのでキャッシングもしたい。

地下鉄を出て、通りの繁華街を歩く。先ずはフィルムをDPEショップへ持ち込もう、看板には1とか45とかの数字が見受けられる、ということは1時間現像とか45分現像というスピード勝負の写真店が普及しているらしい。店舗は日本と同様に「富士カラー」、「コニカ」、「コダック」、「アグファ」のフランチャイズになっているようだ。36枚撮りのフィルムを3本預け、仕上がりは翌日でお願いした。さて、料金はいくらだろうか?(料金は現像・プリント代、3本で約600円!日本なら1本の現像代にしかならないんじゃないの)

次に向かったのは銀行、だが、私の持っているクレジット・カードは窓口ではキャッシング出来なかった。仕方なく、街をぶらつき、ヨーロッパ系クレジット会社のATMを見つけた。操作案内はロシア語か英語かを選択する。カードを入れ、暗証番号を押し、引き出す金額をルーブルで打ち込む。10秒もするとルーブルの札束がドカッと出てくる。

傍らのオクサーナから口癖の「キャピタリスティック!(資本主義)」が飛び出す。もう少し経済が安定しなくては一般的なロシア人がクレジット・カードを持つなんてことは不可能だろうなぁ。

軍資金も調達できたので、今日のお昼は外食することにしよう。ロシアにも「マクドナルド」が出来て久しい、モスクワには3店舗もあると「地球の歩き方 ロシア編」に書いてあった。ここサンクト・ペテルブルグにも「マクドナルド」は出店しているらしいが、街のどこにあるのか不明だ。

仕方なく、外資系のハンバーガー店に入ってみる。お昼時ということもあり、店内は凄い混雑である。メニューも全てロシア語で書かれているので、私はメニューの写真を見ながらオクサーナに注文をお願いする。

(ロシア語では、ハンバーガーは「ガンブルゲル」と発音します。チーズ・バーガーは「チーズ・ブルゲル」・・・あれっ?チーズはロシア語かぁ???)

私が頼んだのはチーズダブルバーガー、ポテト(M)、コカ・コーラ(M)、名前が判らなかったがお菓子風のパン、コーヒー。彼女もコーラの代わりに野菜スープを頼んだ以外は同じものをオーダーした。「リュウ、貴方チキンは好き?」「あぁ、好きだよ」、「そう、じゃぁ、ロシアのチキンを味わってみて欲しいのだけれど、このチキンを頼んでもいい?」というわけで、上記のメニューにプラスしてケンタッキーフライドチキン4個分ぐらいの大きさのローストチキンが各1個テーブルに並んだ。結構、凄いボリュームである。ロシアでは昼食が一番豪華というが・・・これで、ダイエットの夢がまた遠のいた・・・トホホ。

気になる価格だが、これだけオーダーしても、日本円にしたらたったの800円程度である、勿論2人分でだ。(ただ、ロシア人の平均収入では1回の食事にそんなには負担できないと思います。オクサーナもコーヒー1杯を飲んだことがあるだけだと言ってましたから)

味の方はと言えば、これがとても美味しい。特に、チキンは「名古屋コーチン」なみに脂がのっていてうまい!もともとロシアでは、鶏、豚、牛の中では鶏肉が一番高い(日本とは全く逆である)、私の推測だが寒い場所で養鶏をするのは結構大変なのかもしれない。

今、ロシアでは外資系・合弁企業(アメリカ、ヨーロッパなど)によるファースト・フード店の出店が増えているようである。ここネフスキー大通りを歩いていても、ハンバーガー店だけで5、6店は目にする。こうしてみると、この国は資本主義に完全征服されてしまったかのようだ。

腹ごしらえも終え、再び腕を組みながら銀ブラならぬ、ネフブラをする。すっかり飛び出た私のお腹をオクサーナが撫でてくる・・・「What is this?」っつたって、あんなにお昼ご飯を食べれば仕方ないヨー。

(忘れてましたが、ロシアの夏と言えば、アイスクリーム:ロシア語で「マロージュナヤ」を食べなくては話しになりません、ネフスキー大通りにはアイスクリーム売りの屋台が数多く出ていますので、是非お試しを・・・但し、ロシア製のものを彼女に選んでもらうこと、最近は東欧や韓国、中国のものが出回っているそうです、尚、西側のアイスクリームが良いという方には31(サーティ・ワン)のショップもあります)

オクサーナが「ヘア・スプレー」を買いたいというので、婦人物などの専門店が入るデパート「パッサージュ」に入る。お目当てのスプレーを買い、テナントが並ぶ店内を歩く。

ブティックの前で立ち止まり、色鮮やかなドレスやスーツを見つめる彼女を見ていると、6年前まで「おしゃれ」とは無縁だった国の女性も「美」への憧れは一緒なんだなぁと思う。

次の店はランジェリーショップだ、ブランド名から判断してフランス製の商品が並んでいるようである。「リュウがプレゼントしてくれたランジェリーだけでお店が開けるわ」オクサーナがウインドウのマネキンを見つめながら言う。この国の女性の目には夢のような商品ばかりであろう。彼女も私が贈ったランジェリーのうち、2、3セットを友達にプレゼントしたとのこと、その友達もオクサーナに日本人の恋人が出来たことを喜んでくれているようだぁ、とりあえずは良かった。

外人女性にランジェリーをプレゼントして思うのは、イメージが崩れないということ。日本国内のファッション・カタログなどのモデルは全て白人女性だから、そのイメージで日本女性にプレゼントしても、「まぁ、こんなもんかぁ」ということはおうおうにしてあるものだが、彼女が白人女性の場合、そのような思いはしないですみます、それどころか、「Oh! Nice,Attractive Lady!」と叫んでしまうでしょう。(いかん、単なるスケベ中年になってきている・・・)





7月12日  ちょっと曇り  気温20度

今日はプーシキン・パブロフスク観光と夜はレニングラード・バレエの観賞です。

最初にバスが向かったのはパブロフスクの「大宮殿」(バリショイ・ドヴァレェツ)。

ここにも、ロシアの「明治村」、「日光江戸村」軍団が控えていて、カメラを下げた観光客にすりよってきます。今回のツアーバス、観光客は中央アジア系と思われるエキゾッチックな美女を連れた夫婦やら、中国人と思われる団体さんがほとんど。

オクサーナが「あの人達は日本人?」と尋ねてきても、彼らの会話を聞くまでは見分けはつかない。

スミマセン!私が少々風邪気味で頭がボーっとしていたこともあり、パブロフスクの大宮殿の印象はあまり残っていません。

一方、プーシキンのエカテリーナ宮殿はその外観の鮮やかなブルーに圧倒されます。この宮殿ではその名が示すとおり、女帝エカテリーナの豪華な暮らしぶりがうかがえ、これじゃ民衆が怒り「革命」がおきても仕方ないかもしれません。とにかく、金きら金です。

この宮殿のハイライトは、第2次世界大戦中(ロシアでは大祖国戦争と呼びます)、レニングラードを包囲していたドイツ軍が持ち去ったとされる「琥珀の間」の惨状、そして我が日本の陶器などが展示されている「日本の間」です。

エカテリーナ宮殿

ガイドの案内で宮殿内を見学していると、隣の展示室の方から日本語の声が・・・身内の誰かがトイレに行っているのかどうか尋ねているようでしたが、しばらく日本語を耳にしていなかったので、何かとても懐かしい響き!でした。

それにしても、何故に日本人は外国で、同じ日本人に知らん顔をするのでしょうね。勿論、これは私も含めてですが・・・オクサーナはとても信じられないという風でした。いや、もしかしたら私がロシア人女性と一緒に歩いていたから、モンゴル、朝鮮系ロシア人と間違われていたのかもしれませんけど。

見学終了予定が1時頃、バスでネフスキー大通りに戻り、帰宅して着替えてからバレエ観賞に向かうつもりだったのですが、ツアー客が迷子になっていたり、渋滞にはまったりしてネフスキー大通りに戻ったのが5時過ぎ、バレエは6時開場予定・・・今から帰宅して着替えていては間に合わないかも知れない。どうしよう!!とてもバレエ観賞に行くような格好じゃない(Tシャツに短パン、サンダル!)、バレエのチケット自体は一人8、000ルーブル(日本円で160円!!)だから大した出費じゃないけど、再びチケットを手に入れるのは大変だぁ。オクサーナに「どうしよう?この格好じゃ入れてくれないかも知れないよ」と言うと、「大丈夫よ、誰も貴方の服装を見にきているわけじゃないのだから」と励まされる。私の気分を反映するかのように天気も少々崩れてきた、小雨が降りだし、気温も一気に下がったようだ。ウエスト・ポーチの中にしまっておいたレイン・コートを取り出し、オクサーナに羽織らせてあげる。サンクト・ペテルブルグは雨が多いということを聞いて用意しておいたのだが、やっと役立つ時がきた。

小雨の中を歩いて15分ぐらいか、マリンスキー劇場(通称:マリンカ)に着いた。劇場の周辺にはツアー貸し切りバスなども止まっていて、人も集まり始めていた。入り口に立っている守衛さんのような人に何か言われないかなと、ドキドキしていたが大丈夫のようだ。何とかロビーに入り、一安心。急にお腹が空いてきた・・・(何と単純な奴だろう!)。

2階に上がると、売店のようなコーナーがあり、オープンサンドを売っていた。2人ともバスの中に缶詰でお昼を食べていなかったので、早速腹ごしらえすることにした。

開場が6時、開演時間は7時ということで、速攻で帰宅して着替えれば間にあったかもしれない、「焦らなくても良かったね」と言うと、彼女も「そうね、でも、私、貴方が入り口で止められたらどうしようかとハラハラしていたのよ」と笑いながらつぶやく。

バレエの出し物は言わずと知れた「白鳥の湖」、と言っても私もオクサーナも目の前で見たことは無い。パンフレットを見ていたオクサーナが「ねぇ、見て!日本人のバレリーナが出演するわ!」と言い出演者のリストの部分を見せてくれた、確かにそこには「チカ・テンマ」、「ユーコ・ムラモト」、「エチコ・スズキ」という名前が記載してある。「日本人も凄いだろう!」と、ちょっと誇らしげに言ってしまいたくなる。

私達の席は3階、一枚8、000ルーブルのチケットだから仕方ないだろう。そこから下の階のS席と思われる部分には、黒髪の集団!そう、日本人団体観光客だ。ロシア国内のインツーリスト(旧国営旅行社)で手配すると50ドルはするという(50ドルはオクサーナの手取り月給とほぼ同じだ)、日本の旅行代理店のツアーで買うと一体いくらするのだろうか?

11時過ぎ、バレエを堪能して帰宅。夕食はパンとコーヒーで簡単に済ませ、2人ともへとへとになってベッドに沈む。


ロシアの夏の味覚パート2として、クワス:KBACをお奨めします、ガイドブックにのっていたので、オクサーナに「クワス」はどこかで売っているの?と尋ねました、すると彼女は「えっ、貴方クワスを知っているの? わかったわ、駅の売店で買えるから・・・」とさっそく、2リットルのペットボトル入りを購入、部屋に戻って試してみました・・・・美味しい! 原料は黒パンを発酵させたものらしいのですが、甘酸っぱくて夏の清涼飲料にはぴったりです。あと、もっと甘みの強い、気の抜けたコーラのような雰囲気の飲み物「バイカル」というのもあります。



7月13日  ふたたび快晴でーす。  気温22度

朝、9時起床、今日はオクサーナの友達である、エレーナさんとアナトリーさん夫妻を訪ねることになっている。ネフスキー大通りのケーキ屋さんで生クリームたっぷりのケーキを買う。何でも、この店はサンクトペテルブルグでも老舗らしく、店内は大盛況である。あっ、それとロシアのホームパーティに欠かせない「ウオッカ」も忘れてはなりません。

夫妻の住む地区の地下鉄駅に着き、自動改札を出たところにある露店でオクサーナが薔薇の花を吟味し、「リュウ、貴方からエレーナにプレゼントしてあげてね」と薔薇の花束を渡される。

夫妻の出迎えを受け、挨拶しようとしたが、緊張のあまり「はじめまして」というロシア語をど忘れしてしまった、ズ、ズドラストヴィチェ(こんにちは)という言葉しか出てこない、エレーナさんは薔薇の花束に感激してくれたみたいで、とりあえず安心した。まぁ、これも良い思い出になるであろう。

エレーナさんはオクサーナと同じ病院で働く同僚の看護婦さんだ。身長は180cmぐらいあるだろうか、笑顔がとてもチャーミングな素敵な女性だ。

テーブルの上にエレーナさん手作りの料理が運ばれてくる、塩づけニシン、サラダ、自家製ブリヌイ、ハム盛り合わせ、どれもウオッカに合いそうだ・・・私は酒が苦手なのだぁ・・・しかし、この場でウオッカの洗礼を逃れることは出来ないであろう・・・そんな心配をよそに、オクサーナが私がお土産として持ってきた浮世絵が描かれた「ミニぐい呑み」を披露している。多分、ウオッカを飲むのにぴったりとか説明しているのだろう・・・ご主人のアナトリーさんがそれを並べて、ウオッカの栓を開けた!・・・ついに、来たぁ!「遠い国から来た友人のために!」アナトリーさんの乾杯の音頭をオクサーナが通訳してくれる、するとエレーナさんがオレンジジュースを注いだグラスを差し出してくれた、オクサーナが事前に「リュウは、お酒が飲めない」と言ってくれていたのだ、と思ったら、違ったようだ・・・「ウオッカを一気に胃に落として、そのジュースを一口飲むんだ」アナトリーさんがそう言っているらしい。

やはり、飲まなくてはならないらしい・・・それでは、ということで全員ぐい呑みを片手にして乾杯する。私も胃に向かって一気にウオッカを落とす、飲むのではない!そうしないと、喉が焼けてしまい収拾がつかなくなる・・・とにかく・・・すごい!・・・オレンジジュースに手を伸ばし半分ぐらいを流し込む。度数にして50度のウオッカである。これをずうっと飲むのかと思うと気が重くなるというよりは、意識が朦朧としてくる。

エレーナさんもアナトリーも「異国からの訪問者」に興味津々でいろいろなことを聞いてくる。

「日本では病院の費用はタダか?」、「うちのこのビデオデッキは日本製だが、このメーカーは日本では有名なのか?」等々、意識が薄れていく中で私も必死に英語で答え、オクサーナが通訳してくれる。結局、オレンジジュースを1杯飲み干し、「つまみを一杯食べろ」というアナトリーのアドバイスに従ったおかげで、少しは正気を取り戻した。

エレーナさんとアナトリーは、日本でもよく聞く、患者さんと看護婦さんのカップルだ、アナトリーは足が不自由で外出は車椅子を利用している。

「日本では、障害者の福祉は充実しているのか?」アナトリーが質問してきた、この手の質問について私は責任ある立場では無い、ただ、実際に日本の障害者の方たちがどれくらい福祉行政の恩恵にあずかっているかは別にして、「公共の設備、場所では車椅子用にスロープを設けたり、車椅子用のトイレもある」というふうに答えた。アナトリーは「そうか、それは良いことだ・・・僕が車椅子で移動できる場所は限られている、この街の名所もさっき君が撮ってきた写真で初めて見ることが出来た」と話してくれた。ソ連時代には世界一の社会福祉があると思っていたのに、意外な発言だった。

エレーナさんが「日本では結婚式の費用はどれくらいかかるの?」と聞いてきたので、「式や披露宴、新婚旅行、新居の費用、家具まで入れたら3、4万ドルはかかるだろう」と答える。平均月収が150ドルの人々にとって、*万ドルという金額は想像を絶するに違いない、日本に置き換えたら6千万円以上かかる計算である。エレーナさんもアナトリーも「信じられない」という顔つきだ。ロシアと日本の物価の違いについて論じられる程、私の英語力はないので、「私は決して日本の金持ちじゃないからね、誤解しないでね、車だってローンで支払っているし・・・」と日本人の平均的な生活状況を説明することにした。ほとんどの日本人は住宅ローンに追われて30年以上会社に勤め、子供を一流大学、一流企業に入れるために奔走するという話しに、ようやく彼らも納得してくれた。

ウオッカの瓶も空になったところで、アナトリーが「ロシアのことで知っていることは何かあるか?」と聞いてきたので、「日本の小学校では、ロシア民謡を授業で歌うんだ、曲名は・・・確か、一週間、だったと思う」と答える、エレーナもオクサーナも「どんな歌?、歌ってみて」とリクエストしてきた。ウオッカで気分良くなっている私は恥も外聞も無く「日曜日に市場へ行って・・・テュラ、テュラ、テュラ、テュラ、テュラ、テュララ・・・」と歌ってしまった。

3人が拍手して「すばらしい!、でもね、リュウ、その歌は正確にはロシアの民謡じゃないわ、ウクライナの民謡よ」とオクサーナが説明してくれた。そうか、私が小学校で習った頃は当然、ウクライナもソ連邦の一部だったからなぁ、でも、3人はとても喜んでくれているみたいだぁ、遠い国の小学校で自分たちの国に関連した民謡が歌われていることを知ったのだから。

気がつくと時計は既に11時をまわっている、白夜はこれだから困る。

エレーナさんも明日は仕事であろう、オクサーナとそろそろおいとましようということにする。

地下鉄は深夜遅くまで動いているようだが、公共タクシーは夜11時で営業終了らしい。地下鉄の駅から私達のフラットまで鉄道の線路沿いを歩いて帰ることにした。時刻は午前0時を過ぎた頃で、日本の夏の感覚で言えば午後6時くらいの明るさだ。私達の前後にも遊びから帰る家族連れが歩いているのでちょっと安心。





7月14日  快晴  気温23度

完全に二日酔いである。

今日はアエロフロートに電話して、帰りのチケットのリコンファームをしなくては。が、モスクワへの市外電話が繋がらない、回線がいっぱいなのだろうか。仕方なく、ネフスキー大通りにあるオフィスに電話してみるが、私のもっているチケットの便名と出発時刻に食い違いがあるようで、不安になりオフィスまで出向くことにする。結局は時刻が変更になっていただけで、事なきを得た。

わざわざ出てきたわりには、用事が簡単に済んでしまったので、ブラブラしつつオープン・カフェでコーヒーを飲んだりしながらゆったりと時間を過ごす、二日酔いも大分回復したようだ。

「そうだ、お土産にマトリョーシュカを買わなくちゃ!」ということで、スパース・ナ・クラヴィー聖堂そばにある露店のお土産物屋さんへ行くことにする。価格は他の観光名所のお店より少しだけ安いようである、価格を確認しながら10個入りで25ドルのものに決定、あとは自分への記念品を何か買うことにする。気に入ったのは「旧ソ連軍支給品」らしいウオッカ・ボトル。レーニンの肖像が入ったものや、泣く子も黙る「KGB」仕様のものまでいろいろある。友達へのお土産用を含めて3個を入手、1個が11ドルから15ドル、革ケース入りのものは25ドルくらいである。

あと、やはり旧ソ連軍放出品の制服、制帽も売っている、陸軍の制帽が8ドル・・・何と安いのだ!オクサーナに「これもお土産にしよう」と話すと、彼女は呆れ顔で「貴方、こんなものが欲しいの?だったら、私のパパに言えばいくらでも手にはいるわよ・・・男って何で、子供の戦争ごっこから抜け出せないのかしらね」と帽子を握っている私の袖を引っ張る。そうだった、彼女のパパはロシア軍だったのだぁ、彼女の話しでは仕事から帰ったパパが帽子や制服を脱ぎ散らかしてソファで横になっているものだから、ママは、「こんな帽子捨てるわよ!」っていつも小言を言っているらしい、

「貴方が帽子を欲しいなんて言ったら、きっとママは大喜びでプレゼントしてくれるわよ」なんか、日本のサラリーマンと変わらないなぁ・・・パパは何処も同じ運命なのかなぁ。

マトリョーシュカにも本物、ニセモノがあるらしい・・・・・、手作りの本物の場合には底の部分に産地と作者のサインが手書きで入っている。オクサーナに言われて私も確かめてみた。

セルゲイェフーパサード(Сергиев-Посад)という街の名前、作者の名前(女性)が筆による手書きでサインされている。

ちなみに、モスクワのシェレメチェボ2空港の免税店で見たマトリョーシュカはお世辞にも良いとは言えませんでした・・・同じ柄、色のものばかりで・・・多分、工場で大量生産されたものでしょう、底の部分のサインも印刷ぽいです。また値段も市中の2倍から3倍でした(大きさと中身の個数で比較)。





7月15日  快晴  気温21度

明日はいよいよモスクワへ向かわなくてはならない。

で、今日は従姉妹が提供してくれた部屋の掃除をすることにする。もともと綺麗に整えられていたので大したことは無いようだ。オクサーナが床の拭き掃除を始め、キッチン周りを磨く。

私も何かしようとするが、「リュウは自分の荷物の整理をしてて!これは私の仕事だから」と言われてしまった。私の荷物もバックパック一つに収まってしまっているし、中型サムソナイトは彼女へのお土産を入れたままプレゼントするつもりだったので特に荷物をいじることもないのだ。

仕方なくベッド・メーキングをして、バケツの水を取り替えたりしてお手伝い。

「日本の男性って、夫になってもそんなに優しいの?」・・・うっ、まずい!。

掃除も終わって、後はラジオの音楽をバックにコーヒー・タイム。





7月16日  快晴  気温22度

モスクワ行きの列車が出るのは23時過ぎであるから、今日はのんびりベッドでごろごろしている。

夜7時、そろそろ部屋を出ることにする。

2人とも見つめ合っているだけで、言葉で出てこない時がある。

あと少しでまた、離ればなれになってしまうことを考えるとお互いにとても辛い。

8時、モスクワ駅に到着。列車の入線までまだ大分時間がある。

モスクワ行きの夜行特急は一晩に10本あるので駅はモスクワ方面に向かう乗客で溢れている。

休暇に向かう軍服姿の男性、荷物を一杯しょった女性、アメリカ人らしき学生グループ・・・。

列車は「赤い矢号」、モスクワ行きの列車番号1番がゆっくりと入線してきた。

車内に入るとラジオが流れていた、「イポンスキー・・・ナホトカ・・・・」ところどころ聞き取れる、「ナホトカ号の重油流出事故のことで日本に謝罪しているのよ」オクサーナが訳してくれた。

しばらくして、各コンパートメントに朝食のパックが配られた。中身はパン、サラミ、チーズ、フルーツゼリーなど、結構美味しそうな内容だ。窓際には紅茶のポットやミネラル・ウォーターも備えられている。

そういえば、今夜はまだ食事をしていなかった。オクサーナが持参したインスタント・コーヒーをいれ、やはり持ち込んだソーセージとパンでサンドイッチを作ってくれた。ロシアのソーセージはとても美味しい!しばらくはこの味ともお別れだぁ。

時刻は23時55分、発車である。ホームには出発の合図であるブラスバンドの演奏が流れる。





7月17日   曇り  気温 26度

ペテルブルグより南にあるモスクワは少々温かい。

今日は最後の日だぁ、できることなら日本に帰りたくない。

「お昼は日本レストランに行こう、君に寿司を試してもらいたいしね」

日本レストランの名前は「札幌」、平和大通りにある綺麗なレストランだ。

メニューの写真には懐かしい品々が並んでいる。

先ずは寿司をオーダー、あと、ランチタイムの定食から彼女には「天重」、私は「すき焼き」を選んだ。(寿司が50ドル、定食は各25ドル、コーヒー、アイスクリーム付きです)

「寿司はとても美味しいわ!」、ニシンの塩漬けや鮭のルイベを食べる民族だから寿司に対して違和感はないのだろう。

「これは何?」と「ガリ」を指さして彼女が尋ねる、あれっ?生姜って英語で何だっけ?・・・・・ど忘れしてしまった・・・、そこに「天重」を運んできた美人のウェイトレスが来たので、オクサーナはロシア語で聞いている、「ジンジャー!」そうだった、年をとると物忘れが酷くて・・・。

私の「すき焼き定食」も味わってもらおうと、器に小分けしてあげる。

「リュウ、貴方はこんなに美味しいものを毎日食べているの?判ったわ!だから、お腹がでてるのね!」彼女の舌に日本食はぴったりとマッチしたようである・・・。

「私、早く日本へ行きたいわ」

「それって、寿司と天ぷらとすき焼きが食べたいから?」

「ええ、もちろんそうよ!」

「あっ、そう・・・」

「冗談よ、でも私の為に料理作ってくれる?」

「いいよ、寿司は作れないけど、すき焼きなら僕にも出来るからね」

「寿司ってそんなに難しいの?」

「あぁ、何年も修行してプロのコックになるようなものさ」

「そうなの、じゃぁ、こうしてお店で食べることになるのね」

「大丈夫だよ、ここ程高くない値段で食べられるから」

(回転ずしの説明が出来るほど、私の英語力はない・・・)

飛行機の時間は6時過ぎ、少々早いが「アエロ・ヴァクザル」という日本で言うところのシティ・エア・ターミナルに行ってみることにする。ここで手続きして「赤の広場」などの市内観光も出来る筈だぁ・・・・・えっ?、ここでチェックインできるのはロシア人だけなのぉ???、だって、「地球の歩き方 ロシア編」には手続き出来るって書いてあるのにぃ!ガーンッ。

仕方なく、公共タクシーに乗りシェレメチエボ2空港に向かうことにする。ところが、この公共タクシーの運転手ががめつい奴らしく、満員にならないと発車しない。乗車して既に1時間経っている、ロシア人のビジネスマンらしき男性も運転手に何かしら文句を言っているみたいだ。ようやく座席一つ分の空席を残し、運転手が重い腰をあげて発車した。すでに時刻は3時近く、がここでまたしても障害が・・・道路が大渋滞なのである。さっきからいっこうに進まない。

「ロシアでは税関審査を済ませなければ、チェックイン出来ないので空港へは早めに行かないと危ない」地球の歩き方に書いてあった文章を思いだし、頭の中にやばい光景が浮かぶ。車はぜんぜん進まない・・・時刻は3時半になった。

隣のオクサーナも心配気にしている。

4時、車はようやくシェレメチェボ2空港に到着、出国ロビーのある2階へ向かう。

が、税関審査のカウンターは拍子抜けするほどガランとしている。

おまけに、「貴方の飛行機の時間はまだ先だから、審査はやっていない」と言われてしまった。

一体どうなっているの?

オクサーナと2人、ガランとしたロビーのソファに座り、手続き開始を待つことにする。

「何か疲れちゃったね」

「リュウ、貴方は今とても情緒不安定になっているのよ」

「そうだね、君と別れるのが辛いから落ちつきがなくなっていたんだよ、きっと」

「ええ」



5時過ぎになって、便名表示版がカシャカシャ動いて、「手続き開始」ランプが点いた。

  

  
オクサーナと抱きしめ合う。

  
  
「これは、君のママとパパへ、これはグルーニャへ、これはエレーナとアナトリーへ、これは(従姉妹の)ユリヤへ、そしてこれは君へ・・・・」

  
  
キッスしている時間は、「あっと言う間」にしたくなかった。 

  

  


  
ПОКА!

  
  

    

長々お付き合いくださいまして、ありがとうございました。

3月のオクサーナの日本滞在記をこうご期待!

  
    

   

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