「こんな酒(もの)しか、ありませんが」 「それでいいよ」 「オレはエールのほうがいいな」 「我侭言うな。だったら自分で用意しろ」 奇妙な宴が始められた。ジョウイが要求したこと───それは、 “酒は持ってるかい、クルガン” という唐突もいいところの科白だった。 そういえば、あの───アガレス・ブライトを亡き者にした、あの時以外で彼が酒を嗜むのを見たことがなかった。そのことに不意に、思い至った。まだ若い皇王、しかし若すぎる、ということはない。彼の年齢でその程度の嗜好を持つ者は歴史を紐解くまでもなく、枚挙に暇がないだろう。 「じゃあ、乾杯」 「乾杯」 小さな三つのグラスに、同じ濃い琥珀色をした飲み物が注がれ、各々はそれを手にしてかるく掲げるだけの儀式をすませた。 シードは当然のように一気に呷り、手酌でまたグラスを一杯にする。人の酒だと本当に旨そうに飲むことだ、とクルガンは苦々しい表情を露骨に浮かべ、ジョウイがそれを認めて微笑する。そんなことはまったく気にしないシードが満足の息を深く吐いた。 「うまいな〜これ。さすがクルガンの隠し酒。ジョウイ様でも酒なんか飲むんだな。オレ、知らなかった。それとも時々?」 「いや、僕は酒は嗜まないよ。今日は特別」 「へ? なんで?」 「そういう時もあるのだろう」 「そうそう。そんなに好きじゃないし、実はね、そんなに強くないっていうのもあるけれど───飲みたい時っていうのもあるのさ」 「酒でひどい失敗をしたとか?」 シードの質問には遠慮というものがない。いくらこのようなくだけた席だからと言って、限度というものがあるだろうと、制止に入ろうとしたクルガンを、ジョウイはこっそりと目で抑えた。 それはつまり。 彼が、話したがっているということだ。 弱みを見せたい、と望んでいるということだ。 そういう機会を待っていたのか───それとも。そういう時、が今だから、そういう機会(チャンス)が来たのか。 シードの質問には答えず、ジョウイはグラスをまた傾けた。強い酒が喉を焼いたのか、少しだけ眉根が寄せられる。 「なんかこう、“キク〜っ”って感じだね。大人の味ってやつなんだろうか」 「何か食べるものを用意しますか。空腹ではまわりが早いと」 「ジャーキーとかなら、オレの部屋にあるけど」 「生憎私の部屋には食料は置いてないもので。シード、」 「まかせろ。ついでに食料庫漁ってくるさ」 こういう時に動きの早い人間は本当に扱いが楽でいい。二人を置いてシードは部屋を飛び出し、高い足音があっというまに遠ざかった。彼の部屋は、皇宮の中央を軸にして正反対の位置にある。 「ありがとう、クルガン」 「いえ」 「シードもいてくれるなんてね。助かっちゃった。どうして、今日に限って見つかっちゃったのかな」 「では、───」 詮索しようとした言葉をクルガンは飲み込んだ。だが、それに先んじてジョウイが笑った。 「いいんだ。そうだよ、僕は苦しんでいる」 直球で投げられた声に、クルガンは返答に窮した。柔らかな沈黙が降りる。 「いいアイデアが奏上されるのを待ってるよ。どうだった? 書庫で考えたことは?」 「ご存知でしたか。……そうですね。ジョウイ様のお心にそえれば幸甚ですが」 「あなたの考えることは、僕の心にとても近いよ」 答えのかわりにクルガンはグラスを干した。ジョウイがあわせるかのように、またひとくち酒を含む。 強くない、と言っていたはずだが。 「あまり過ごされませんように」 「いや、大丈夫───たぶん」 白い頬がうっすら染まってきている。だがまなざしは清澄で、まだ酒気に汚れてはいない。ジョウイが頬杖をつき、クルガンをそっと見た。 「僕の苦しみを、知ってもらいたくて。それを黙っているのは、あなた方に対して非常に失礼なことだと思ったからなんですが」 「言う必要のあること、ないことは陛下の御心のままで」 「……頼らせてよ」 あまりにも彼の言葉は響きすぎる。思いもしない形で入り込み、さりげなくも支配の姿をとる。こんな為政者が存在すること、それがハイランドの全ての幸福を導くと信じたこと、それが現在のこの選択になる。 「でも、ただじゃ頼れない。だから、大人ってやつがよく使う、アルコールの力を借りることにしたんだ」 「……ジョウイ様」 「あ、ちょっと変だった? まあしょうがないよね、諦めて」 「───」 「こんなはずじゃ、なかったんだ」 ぽつり、ぽつりと。酒の力を借りた、というその言の葉。 「僕は僕の苦しみを、僕の責任で負い、また受け入れる筈だったんだ。だってそれは他の誰でもない、僕が望んだ業だから……僕はいくらだって非情になれる。いくらだって冷酷になれる。誰かの血を流すことだって。その自分が力を手に入れることを確信し、そのとおりに実行した。君たちという優秀な駒を配置する自分の能力は疑うべくもなく、またそんな必要もなかった。君たちは僕が想像していたよりも、まあ、物事に対しては最低の効果をも想定しておくのは定石(セオリー)だけど───それにしても君たちを、僕はね」 一息いれて、彼がゆっくりと言葉を継ごうとしたとき、慌ただしく扉があけられた。当然その向こうにいたのはシードで、まるでこれから長旅に出るかのような大荷物を抱えている。 クルガンは頭痛をこらえた。ジョウイがあはは、と声をあげて笑った。 「ただいま〜遅くなっちまった、わりぃな」 「おかえり、シード。何持ってきたのかい?」 「ええと、とりあえずオレの部屋にあった干肉、それから食料庫に寄って夕食の残りのミートパイ、卵焼き、ハム、カレーパン、杏仁豆腐、それから多分明日の昼飯になるんだと思うんだけど、鶏が丸ごと焼いてあったからそれを三羽」 「三羽!?」 「やっぱひとり一羽は基本だろ。まだあるぜ〜。ジョウイ様細いからな、肉食って力つけないと。だから冷凍してあったハンバーグ、ミートボール、しょうが焼き、酢豚、あとは野菜の」 「……おまえはいったい今何時だと思ってる!? 我々はこれから優雅なディナーとしゃれこむわけではあるまい!?」 「あっはっはっはっはっは!」 ジョウイがついに机に突っ伏して大笑した。その肩が震えているのを見て、クルガンが次の言葉を吐こうとした瞬間、 「そういうなよ。汁こぼさないように持ってくるの大変だったんだから」 「〜〜〜〜〜っ」 心外だとふんぞり返るシードに、もう二の句がつげなくなった。 「ああ、でもこのちっこい机じゃ乗り切らないな。そうだな〜、ジョウイ様、もしよかったら野営チックに床でというのはいかがでしょう?」 「シード!」 「かまわないよ。それもいい趣向だね」 目の縁に涙さえ浮かべて、そう言われてしまってはクルガンが却下を、最早出来る筈もなかった。 シードは、さっきまでの厳粛とも言える空気を攪拌しようとしてそうしている。意図が見える。さりげなさに紛らわせて。それが無意識であっても。その、“動物的”とも評される勘に裏打ちされた行動は、周囲を恐れさせ、また信頼に値させる。不思議なカリスマだ。皇王(ジョウイ)が最も評価しているのはそこなのだろう。 ごそごそと床に三人は腰をおろし、それぞれのスタイルで楽に胡座をかいた。その中央にはシードが盗んできた、食料の山。 「なかなか圧巻だね」 「さ、飲みましょう食いましょう」 「うん、シードご苦労様」 窓からの陽射しはかなり強くなって来ている。暁光のはかなさ、陽光のたくましさを折衷した美しさだ。クルガンの部屋の鎧戸の隙間からいくつもの光の帯がさしこみ、彼らを照らした。夜と朝の狭間の時間。 彼らはふたたび乾杯した。 |
18thDecember.2000