「あー、いい気持ち。頭がふわっとなるね」 「そうでしょう? これが酒の醍醐味ってやつですよ、ジョウイ様」 「おい、シード。無理に勧めるな」 「いいんだ、クルガン。僕って意外に強かったんだな。知らなかった。まだ知らない自分を知るのは好きだよ」 「そういう問題では……」 「まま、ジョウイ様。どうぞどうぞ。一日くらい休んだところで、誰も文句は言いません。最近のジョウイ様は働きすぎ。いくら戦争って言ってもね。御本尊が倒れちゃどうにもならない」 「───鋭いね」 ふう、と酒の香りの吐息とともにジョウイは弱々しく苦笑した。その顔(かんばせ)は上気し、目は焦点を失いかけている。だけど口調は冷静なままだった。 「シード、そういう気の使い方は僕は好きだよ」 「オレは別に」 「わかってるよ、シード。───それからクルガン。僕は、ね……君たちのことが、大好きなんだ、よ」 ふふ、といやに無邪気な顔でジョウイは笑った。シードとクルガンは同時に少し動揺する。無防備な姿。無防備な声音。それがあまりにも─── 「ジョウイ様〜やめてください。なんか変ですよ? あ、酔ってる?」 「おまえがやたらに注ぐからだ!」 「止めなかったのはおまえだろう!」 「人のせいにするか。卑劣者め」 「うるせー、黙れ黙れ。オレだってなー」 彼らの口論に頓着せず、ジョウイは一人で何事か呟き続けていた。それを聞きとがめ、二人は結局黙り込む。 「だってそうでしょう。僕らの他に誰がいる? この戦局を冷静に見通し、策をたて、それを実行できる人間が」 「光栄……ですな」 我ながら間の抜けた返答だ、とクルガンは思った。シードは何も言わず、ただジョウイのゆっくりと動く唇に視線を据えている。ジョウイは目を伏せた。 「僕の話を、聞いてくれる? 贖罪の言葉だ。君たちに裁いてもらおうなんて思ってない、思ってなかったけど……でも、」 淀みない言葉。 「苦しいんだ」 「───」 「苦しい」 「───」 「笑うかい? それとも怒る? 見放す? 今更僕が、こんなことを言ったら。いいよね、今日は。……ありがとう。僕が恐れていること、そのことを言ってしまえば、少しはらくになるのかも、とか───あなたがたにはきっと理解ってもらえそうだ、とか───そういう計算もないわけじゃない。そうだね……そんなことはどうでもいいね。 僕はね、血の流しかたをいつも考えている」 ふう、とジョウイはひときわ大きな息を一気に吐いた。 「どの血をどんなふうに、どれくらい流せば、この戦いに決着がつき、僕の望む世界をこの掌におさめることが出来るのだろうと。その計算を緻密に、間違わないように、正確に───道を誤らない自信は、ある」 また、グラスを呷り、喉を湿す。 「僕は、僕の剛さを疑わないのではなく、僕の弱さを……そう、弱さを知ることで、反命題としての強さを手に入れた、そうだよね。計算違いだったのは、彼のことだ」 知っている、とクルガンは思った。その“事実”は知っている。だが、それを彼の額ずく皇王がどのように受け止め、どう判断しているかまでは推測の域を出なかった。なぜならば、かの皇王はあまりにも、その年齢にそぐわず、またその立場に相応しく、それを気取らせなかったからだ。 シードがぴくりと耳を欹てた。だが、ジョウイの言葉の邪魔をするわけではなかった。 まるで野生の獣だ。“そうしたいから、する”それだけのことだ。そうすべき時には、そうすべき行動を既に取っている。磨かれ研ぎ澄まされたその、天性。 ジョウイの声は続いている。次第にゆっくりと、トーンを落として。時折、手にしたグラスを傾けて。 「僕の───僕の想いはただ、僕が生まれ育ち、僕を裏切り、僕が手に入れたこの国を……ハイランドという国を束ねに、この世界の平和を作り上げることだ。理想かもしれない。夢かもしれない。でも、だからと言って諦めてしまうほど僕の精神は弱くない。一旦決意したことを、何らかの言い訳をつけて手放してしまうことは、僕が僕である限り赦すことはできない。心は今でも揺るぎ無い───でも、彼が」 「───」 「彼が、まさか。まさか、なんて虫がいいな。そういうことだって有り得ると、予測してなければいけなかったのにね。僕の血と彼の血、どちらかが流されればそれで万事オッケーとか、そんな単純な運命だったらまだよかったのに。でも、僕は僕の血をまだ流すわけにはいかない。僕の“力”が、その力こそが、僕の望みを叶えるただひとつの───」 「───」 「苦しい。正直、苦しくてたまらない。声をあげることも出来ない。さっきね、クルガン」 「……はい」 半ば目蓋を閉じていた、ジョウイに不意に呼びかけられてクルガンは反射的にいらえを返した。その声に、言葉に、ある意味聞き惚れてしまっていたので。シードもきっとそうだ。身動ぎも、瞬きもせずにじっと。ふと、その唇から───笑みが零れた。 「ジョウイ様の苦しいこと、オレわかるような気がしますよ」 「……シード?」 「別に全身が血で染まろうが、爪の先まで傷だらけになろうが、ジョウイ様は構わないでしょう。そうじゃなくて」 「シード」 「あなたが本当に苦しいのは、そうじゃない。自分と、あの幼馴染……同盟軍のリーダーが傷つくこと、そして傷つけることが恐いんじゃない。違いますか」 シードはやはり理解っている。クルガンは自分が出る幕ではない、と沈黙を決め込んだ。シードよりもずっとうまく言葉を操ることは出来るが、シードのようには語れない自分を自覚している。 「違わないよ。シード───そう。予想外の因子に揺るぐような僕じゃない」 「だいじょーぶです。血で汚れるのはオレの仕事。オレは血が大好きなんですよ、ジョウイ様。カーッと全身が燃え上がって、そう、まるで上質の酒を飲んだ時みたいにね───頭の奥が真っ白になって、蹴散らすこと、ぶっとばすこと、殺すことに無上の快楽を得るんです。オレは死にませんよ、ジョウイ様。オレは信用されてるから生きてるわけじゃない。生きてるから、信用されるんです」 「花は紅、柳は緑───」 「……クルガン」 「万物事象にはあるべき姿というものがあるのです。あなたの苦しみで、勝利を贖うことも出来るでしょう。また、その苦しみを通してこそ真の平和というものを創り上げることが出来るのかもしれない」 「おお。現実主義者(リアリスト)のくせに、なんてこと言うんだよクルガン、明日は雪だな」 「悪いか。自分でも少々気恥ずかしい」 「悪かないぜえ? そゆの、好きじゃんオレ」 シードが無邪気に笑った。ジョウイは自分の右手をそっと、左手でかばうようにし、微かな独白が零れた。 「僕は、……愛しすぎてしまう───」 |
18thDecember.2000