さよならも言わずに姿を消した(文字通り消えた)ルックの言葉を考え考え、ぽつりぽつりと低い夜天の黒雲から落ち出した雨粒を避けるように、僕は船内をぐるぐる歩き回り、結局自分のキャビンにまた舞い戻った。 ジョウイは僕が出ていった時のままの姿で眠っている。身じろぎひとつしていない。そんなばかな。 ―――様子がおかしい。 「ジョウイ!?」 ばっ、とジョウイに駆け寄り、その掌に手をかけた瞬間僕は氷の手に背筋を撫でられたかのような寒気に襲われた。 冷たい。 この冷たさ…… 「ジョウイ! ジョウイ!」 取り乱しているのはわかっていた、だけど僕は狂ったようにジョウイの名を呼び、その身体を抱き起こし、頬に頬をあてて必死になった。 くたくたと柔らかく頽れる、ジョウイの冷たい肢体。 半分絶望しながら、胸に耳を押し当ててみる。それでも微かな鼓動が聞こえた。安堵が僕の全身に力を沸き起こす。 幾度もジョウイの名を呼び、身体を暖め、僕は涙を堪えた。 こんなところで置いて行かれるのは厭だ。 ジョウイ。戻って来て。 もう二度とひとりにしないで。 お願いだから――― 弾ける火花。僕の睛にうつる君。君の眸の中に、もうひとりの僕。 今度こそ。 今度こそ、全ての力で。 僕と君の、この力で。 終わらせることが出来るのだと――― 祈りが届いたのか、ジョウイの鼓動は次第に力強くなり、遂に重たげに目蓋があげられた。 ゆっくり、ゆっくりと。 焦点の合っていない深い蒼い眸が、しっかりと生気を宿している。 僕の眦から零れた雫が君の頬に幾粒も落ちた。間断なくぽたぽたと。どんどん湿ってゆくジョウイの相貌。その睛が大きく瞠られる。もう、あの怖ろしい冷たさのない指が僕の頬に添えられた。 「どうしたの―――どうして泣くの」 「ジョウイ、ジョウイ―――」 「どうして」 「ジョウイ」 「泣かないで」 「ジョウイが」 「―――」 「ジョウイが、もういなくなってしまったのかと」 ジョウイが何度も瞬きした。 「僕を置いて、行ってしまったのかと思って」 「夢を―――みていたよ」 低い声で、ジョウイは囁いた。その目がふと曇った。 「君とナナミの夢だよ。ナナミが泣いてた。君がいなくなってしまったって。どこにもいないって。もう逢えないって。僕はどうにも慰められなくて、とても困って」 「ジョウイ」 「君の代わりに傍にいてあげたいと思った。でも、僕では君の代わりにはなれないってわかっていたから、とても悲しくなって」 「ジョウイ」 「君の居場所もわからなくて」 「ジョウイ」 「―――泣かないで。君が泣くと僕も悲しくなる」 ゆっくりとジョウイは身を起こし、僕にそうっと口づけた。柔らかなやさしい接吻(キス)だった。 船の揺れが激しくなって来ている。がちゃん、とどこかで何かの落下音がした。激しい雨が降っている。ここまで湿り気を帯びた冷たい空気が忍びこんできた。僕とジョウイは互いの存在を確かめ合うように、抱きしめあっていた。強く。強く。荒々しい波風に揺らぎ続け、ぎしぎしと軋み続ける船体に、心までゆすぶられないように。 船中はひっそりと静まりかえっている。この嵐が通り過ぎるまで、みな息を潜め、身を縮ませて、いずれ来る青天を、黎明を待ち望んでいるのだろう。 僕はきっと厚くて遠い黒雲の向こうの星を、ふと思った。ルックが吟味すると言った星。 「星も、月も見えない―――かな」 「うん……そうだね」 僕はジョウイと額を接した。確かな温もり。 「星と星の間を線でつないで、星座を作ったね。僕とジョウイで、勝手に。あの時に作った星座の名前、まだ憶えてる?」 「憶えてるよ。全部ね。金色の月の船が、その間を行くんだ」 「そう―――どうして乗れないんだろうってそのうち本気で悲しくなった」 僕らは同時にくすくすと思い出し笑いした。 「波の飛沫は星のかけら。銀の川、銀の海、銀の岸を往く、魚さえも星で出来ている。そうだったよね」 「そうだったね」 「僕たちのひとりひとりに一つずつ星があるなら、その間を行く船はどこへ行ったんだろうね。……ジョウイの星はどれだったっけ」 「もう、わからないな。君の星ならわかるかもしれないけど」 「どうして?」 ジョウイはまた喉の奥で笑った。その青玉の睛の奥で、星が瞬いたように思った。 「だって、君の星だもの―――」 「探検、しそこねちゃったね」 ふとジョウイが思い出したように呟いた。 「今からでも間に合うかな? 船はこんな状態だけど、それこそ冒険って感じしない?」 もうすっかり、いつもの“ジョウイ”に戻っている。間近な蒼い眸が笑いを含んでいる。 僕もつられて肯く。 「外、行ってみる?」 「そうしようか」 廊下に出れば、灯りが不規則な妖しい影を作った。酷い揺れに足許をすくわれるたびに僕らは笑い転げた。息が苦しくなるくらい、バカみたいに笑った。 「どこに行く?」 「どこでも!」 人影はどこにもない。まるで、この船には僕らしか乗っていないかのように。人跡未踏の洞窟を探検する、そんな設定で昔何度も遊んだのを思い出した。ナナミを悪の親玉の女盗賊に勝手に仕立て上げて、よく怒られた。 波と風と雨の音が強くなったり弱くなったりしている。湖の船にはない荒々しさで、船は木の葉のように翻弄される。 「外に出ようよ!」 「凄い雨だよ!?」 「いいじゃないか。こんなチャンス滅多にないよ、船の上でずぶ濡れになるなんて。落っこちるような僕らじゃないだろ?」 「言うなあ、でも賛成!」 僕らはやたらハイテンションになっていて、普段だったら絶対しないような真似をわざわざしたがっていたのかもしれない。 僕たちの――― |
21stOctober.2000