時間の感覚は消えた。
 船はどんどん加速し、見知らぬ海から、見知らぬ空へ……今まで、水面だと思っていたのは、星の海だった。撥ねる星。踊る星。航跡にかき分けられ、輝く星。明け初める天。星の姿がひとつまたひとつ、消えてゆく。



 船がまた停まった。濃い薔薇色の雲の峰のひとつに入り江があった。夢のような明度。夢のような彩度。美しい悲しい景色。雲を積み上げた、その向こうの幻想的な街。
 また、何人も下船していく。その群を僕は何気なく眺め、目を疑った。
「ナナミ」
 ナナミがいた。いつものナナミの笑顔でなく、少し淋しそうな、少し不安そうな、少しだけ幸せそうな、そんな表情(かお)で。僕は必死で船縁に掴まり、身を乗り出して彼女の名を呼んだ。
「ナナミ! ナナミ!」
 僕がどれだけ叫んでも、聞こえないようだった。ナナミはそのまま、真珠色の雲のむこうの道に消えた。しっかりとした足取りで。振り向かないで。
 船はまた、動き出していた。



 みんなみんな、自分の往くべき場所を知っている。もしかしたらジョウイも最初から知っていたのかもしれない。そういえばルックが言っていた。僕以外の全員は、みんな僕の“忘れていることを知っている”と。
 がらんとした船。もう人の気配は全然ない。僕の心と同じように、空虚(うつろ)で、悲しい。
 どんどん明るくなる。青天が近づく。蒼い風が強くなる。
「いかがしました」
 不意に低い声が後ろから投げられた。
 僕は驚いて振り返った。もう、この船には誰もいないと思っていたから。
「―――」
 年配の武人だった。厳しさの中に優しさを秘めた、そのまなざしが僕をじっと見据えている。僕は俯いてしまう。悲しくて。やりきれなくて。
「ともだちが……」
 するすると言葉は唇から流れ出た。意外なほどの素直さで。
「ともだちが、いなくなってしまったんです」
「―――」
「とても、とても大事なともだちだったんです。ずっと一緒にいたかったんです―――」
「あなたは、ジョウストンの」
「はい」
「そうですか。私は、テオ・マクドール。私の息子が大変お世話になったようですな」
 あのひとの父。そうか、じゃあやっぱりこの船は。
 今更、もう遅いけど―――
「それから、テッドを見送ってくれてありがとう。あれは私の息子の親友で、私も実の子のように可愛がっていたので」
「いえ……」
 親友。親友―――
 ジョウイ。どうして。
 彼の無骨な手が、僕の肩に置かれた。暖かい掌だった。
「あなたの親友(とも)は何と言っていたのかな」
「―――」
「あなたの親友(とも)は、何を伝えたかったのかな」
「―――」
「思考することだ。思考は何らかの実を生む。惜しむな。また、真実を見極め、自分を信じることだ」
「―――」
「信念を持ち、生きることは素晴らしい事。哀しみも、喜びも、その内にあれば生をつなぐよすがになる。私は私の信じた通りに生きた。だからこの船に乗る資格を得たのだよ。
 ……あなたと、あなたの親友、そしてあなたがこの船で出逢った人々はどうだったかな」



 僕は顔をあげた。彼らの言葉をひとつひとつ、思い出すことが出来た。
 シードとの約束、守れなかった。
 涙が溢れた。
 テオの顔も霞んだ。
 どんどん朧気になり……歪んで、いつか、僕はまた、あの場所に還っていた。






*epilogue*

21stOctober.2000