真夏の雪が奇跡をよぶ、と昔むかし、まだ僕の肉体が時間の流れと共にあったころ、誰かに教えてもらったことがある。あるはずのない時に、起こるはずのないことが起きる。それは奇跡の顕在。だから、その時に強く強く願うと、本当にかなうことがあると。
 暑い。もう何回目の夏だろう。あの夏から何回の季節が僕の心を通り過ぎたのだろう。あの戦いさえも風化し、人々の心に単に歴史として残り、時の流れに取り残された僕はまだ、運命の歯車から逃れられないでいる。
 なのに、僕の記憶は劣化しない。時間軸が僕の内側と外側で異なるせいだろうか。思い出は蓄積され、沈殿し、いっかな消えようとはしない。

 時々、時間と場所の狭間で彼に会った。始まりの紋章―――それが彼の右手にある間は、きっと世界は平和なままだ。争う運命を誰かが負わなくてすむ、ということだ。彼の右手からその紋章が消えるときが、新たな動乱の時代の幕開けになる。

 どちらにせよ、酷い宿命だ。
 ねえソウルイーター、僕の孤独はどうだい? 彼の孤独(それ)と、どう違うというのだい?
 老いずの肉体を、消えない記憶を僕の内に封印して。



†      †      †




 過酷な運命を呪ったこともありました。だけど、僕の記憶は褪せることなく、この右手を握りこみさえすれば彼の存在を感じることが出来るんです。
 だけど―――
 触れて欲しい。傍にいてほしい。
 どんなに願っても叶わない願いは、それでも消えずに僕のほんとうの気持ちの奥底に眠って、いつでも目醒めさせることが出来てしまうんです。
 ずいぶん長く生きていると、世界は僕にとって凄い早さで流れていって、僕自身の時間は永遠と思われるほどになる。その温度差には慣れてしまったから。
 僕のこの紋章がふたたびわかたれ、“始まりをつくるためだけに”争いが起きなければいい。自己犠牲の精神とか、そういうんじゃない。僕は僕の、この、ジョウイと僕とが全てをかけて争った記憶のしるしとしての紋章を手放したくない。だって、それしか僕にはもう残されていないんです。

 それほど、僕には彼しかいなかったんです。
 孤独という名では生易し過ぎるほど。誰がいても。どこにいても。魂の半分は、彼でしか有り得なかった。



 同じ痛みを抱えるひとがいることだけで、僕はまだ生きていける。彼は僕の片翼ではありえないし、彼にとっての僕もそうじゃない。心に一番大事な人を永遠にとどめたまま、この時にいつまでも流されるしかないんです。
 だけど……



†      †      †




 久しぶりの彼との邂逅は、ひどく暑い夏の日だった。ふと立ち寄った砂漠のオアシス。旅人さえも姿はない、水の辺(ほとり)。ぼんやりと疲れた体を木陰に休め、膝を抱えている、姿を変えぬままの彼。こんなふうに出逢ってしまう運命なのかもしれない。
 一度訪れ、長滞在してしまった土地には、数十年を経るまでは立ち寄れない。不相応な歓待も、畏怖の目もいらない。竜洞騎士団には、辛くなると立ち寄るようにしていた。だけどヨシュアに頼り過ぎるのは、それも辛くて。
 だから僕らはどちらも常に世界の果てから果てを、全然違う旅路を選んでいるはずなのに、やっぱりこんなふうに、神様のきまぐれのように巡り逢ってしまう。これも真の紋章が呼び合ってる、とでもいうのかな。
「お久しぶりです」
「……こちらこそ」
「何年ぶりでしょうかね。お元気でしたか?」
「まあまあ……かな。紋章はどう?」
「相変わらずです」
 きっと右手に輝いている、盾と剣をモチーフにした、美しい紋章。彼は常に手袋を嵌めているから、それを目にしたものはほとんどいないだろう。
「今となっては、この紋章の力を使うこともほとんどなくなりました」
「そう……」
 僕と彼とは同じ名前。だから、互いの名を呼ぶのがなんだか変な感じ。結局、名前なんて不必要な関係になってしまった。
「暑いね」
「そうですね」
 僕は彼の隣に腰を下ろした。
 せみの声が喧しい。水面を渡るかすかな風が涼を運ぶけど、ほんの刹那で、あとは目も眩みそうな熱気の中で陽炎に包まれる。
 揺らいで、ぼやける視界。
 滴る汗。
「こんなに代謝は正常なのに、どうして年をとらないんだろうね。不思議だね」
「前にも言いましたよ、それ。前は冬だったけど」
「そうだったかな」
 今の彼の瞳は澄んでいる。巡り逢うたび、暗い色になり、そしてまた明るんでいくのを僕はずっと見届けていた。
 今では、彼と僕は、出会う前よりもずっと長い時間をそれぞれ歩いているから、僕のこともきっといろいろ見透かされているような気がする。
 もう、親友を失って泣いていた少年じゃない。

 あれから、どのくらいの人の死を見届けたのだろうか。
 どのくらいの人と親しく接し、またそのひとを喪ったのだろうか。
 僕のこの紋章(ソウルイーター)の力は、今のところ……あれっきり使う機会はない。使わないように、細心の注意を払っている。奪われないように逃げ続けて。
 僕と君も必要以上に親しくならないように。
 それこそ、親友―――なんて呼ぶ間柄になったら、またこの紋章がいつか、君の命を刈り取ってしまう。


 護るべき相手として、僕は君を選ばなかったよ。共に孤独を抱え、運命を受け入れ、そのことについて語ることも語らないこともあるひと。だけど、最後の最後で、僕らは親友になれない。そうするには、互いの記憶があまりにも鮮明すぎて。


 でも、君といると、言葉なんかなくてもとても安心する。傷の嘗めあいなんだろうか。それでもいい。
 僕が、この紋章を手放すときが来たら、君がどうするか―――
 君が僕よりも先に、その紋章を手放すときが来たなら―――

 ……考えてもしょうがないね。





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3rdNovember.2000