雪足が強くなる。僕はふと、出ていった彼のことを思った。凍えているんじゃないだろうか。寒くて震えているんじゃないだろうか。僕のいるこの部屋はけして暖かいとは言えないけれど、だけど外にいるよりは風も避けることが出来る、火にあたることも出来る───
 僕とテッドの間には深い深い、不快でない沈黙が落ちていて、語りあう必要さえもとうに失せて、次第に激しくなる雪を見やっていた。
 心細気なテーブルの灯が、ゆらゆらと間断なく揺れて。
 ふと、テッドがこちらを見た。
「───なあ」
「……なんだい」
「おまえのこと、俺、本当にすきだよ」
 唐突な言葉に僕は目を丸くする。テッドがそれを受けて苦笑した。
「感謝してるし、大好きだ。あれから長い───長い時間が経ったけれど、全然変わらないんだ。おまえの右手のソウルイーター、そいつのおかげって言っていいのかもしれない。あいつに礼を言うのは癪に障るけど。おまえに最初に逢えたこと、そしてもう一度逢えたこと、そのことの両方に」
「テッド?」
 テッドは大きく息を吐いた。溜め息ではなくて、それは安堵のようだった。
「ああ、よかった。ちゃんと言えたよ。おまえにちゃんと伝えることが出来た、もう永遠に言えないかと思ってたから。俺があの、寒い空にずっとずっといること、おまえをどれだけ想っているかを、伝える術なんてないかと」
「僕は」
「いいんだ。おまえの気持ちはよく知ってる。だって、その右手を通じて俺とおまえはいつだって一緒にいるから。おまえはわからないかもしれないけど、強く願うと叶うことは、いつだってすぐ近くにあるんだから」
「僕は、テッド───」
「だから、きっとまた逢えるよ。だから、もう、感情(こころ)を殺して一人ぼっちで生きる必要はないんだ。おまえは決して一人じゃない。彼だって」
 テッドが何を言いたいのか、よくわからなくなってくる。混乱する。僕はようやく言葉を喉から絞り出した。
「僕のこの紋章は、僕の大事な人の魂を全部奪いとってしまった───」
「そうじゃない。違うよ。違うってことに気づいて」
 雪が激しくなる。窓の外は、まるで吹雪のようだ。白く白く白く───
 僕の心まで、真白に染まる。ただ、テッドの双眸ばかりが闇の中で耀いて。



†      †      †




 雪風が強まって来ました。白い息ばかりが僕らの間を行き交い、そのうちたった数歩の距離なのに、ジョウイの相貌さえもあやしくなってきて。遠くの街の明かりだけが頼りの僕らの視界は、あまりにも心もとなくて。
 僕の震えは止まらないままで、だけどジョウイはもう僕の傍までやって来ようとはしませんでした。
 一歩も動けない僕ら。
 遂に僕は、我慢出来なくなって。
「ジョウイ」
 降りしきる雪。凍る指先と爪先。感覚のなくなりかけている口唇。
「どうして───どうして」
 うまく言葉が出ない。
 言葉にあわせるように、風が強くなり、雪が激しくなっていって───
「どうして、僕に逢いに来たの」
「───」
「どうして、僕から隠れたの」
「───」
「どうして」
 今度こそ、ゆっくりと僕にジョウイは近づきました。僕ももう拒もうとはしませんでした。
「君が……、僕に逢いたがっていたから」
「僕が」
「そうだよ。これは奇蹟だと、わかっているだろう?」
「───」
「だけど、君が僕に逢いたいと心から思っていること、そのことを叶えてしまったら」
「そうだよ!」
 僕は、必死で叫びました。だって、だって。
「ジョウイにもう一生逢えないことで、やっと僕は僕でいられる。こんなふうに逢えてしまえば、僕はもうジョウイなしでは───また最初からやりなおしになってしまう。だけど、だけど、だけど、だけど!」
 言葉を遮るように、ジョウイが腕を伸ばして僕を抱きしめました。愛おしげに。僕を暖めるように。僕の凍えてしまった、本当の心の芯まで氷りついてしまったものを大切に、壊さないように、最初はそっと。次第に強く。
「ジョウイが」
「泣かないで」
「また、いなくなってしまう───」
「でも、忘れないで」
「───」
「僕を、忘れないで。お願いだよ。いつか、また逢える。絶対に。僕は待ってるから、彼と一緒に───いつまでだって。それが永遠でも、耐えられる。とても淋しいけど、その寂しさは君がくれるものだから」


 長い長い長い抱擁の間に、吹雪は次第に弱まっていきました。いつか風はやみ、雪は僕の肩に、ジョウイの髪にその名残をとどめ、だけどもう目のなかに降ってはきませんでした。



†      †      †




 ひらり、ひらりと。
 また、漆黒を背景に羽毛のような雪が散る。さっきまでの激しさが嘘のように穏やかに、奇蹟の終焉を告げる、その白い欠片。闇は深い。暁光の先触れなど微塵も感じられない。
 寂しさをつないだ指先の温度。
 わけあうように。確かめるように。
 テッドはつぶやいた。
「そろそろ───いかないといけないな」
「そう……か」
「そんな顔、するなよ。今度こそ、ちゃんと笑顔で見送って欲しい。───無理かな?」
 テッドもきっとわかっててそんな無茶を言う。なんて残酷な願い。だけど、テッドの気持ちを思えば。
 僕はふ、と細い息を吐き出した。
「自信ないな。だって、また随分長い間になるんだろう。もしかしたら永遠?」
「信じれば、叶うんだよ」
「願ったこと、全部?」
「そう。俺がおまえの、この目の前にいることが、何よりの証だろ?」
「そうなの───かな」
「信じて。俺とおまえはまたいつか逢える。ずっとずっと、祈っていて」
 テッドのまっすぐな、歪みのないまなざし。僕を想い、憐れみ、そしてきっと願ってくれた彼。
 奇蹟を呼べるほどに。
 まだ、笑顔は作れないけれど───



†      †      †




 涙は凍り僕の頬を冷やしました。そこにジョウイがそっと口づけ、囁きました。雪はもう、視界に数えるほどしか降ってはいませんでした。
「もうすぐ、お別れの時間だ」
「そう───」
「君をまた置いて行かなければいけない。きっと、前よりもずっと君は悲しくて淋しい思いをする。ごめんよ」
「ジョウイ」
「だけど、絶対に。いつか、絶対に。僕と君はまた逢える。だから、忘れないで」
「悲しくても」
「そう」
「淋しくても」
「そうだよ」
 ジョウイの、感情を抑えた低い声音。変わらぬ優しい響きを持つそれは、僕の胸の痛みをいっそう強くさせました。
「痛いよ」
「───」
「だけど、痛いよ、ジョウイ。こんなに」
 ジョウイが睫を伏せました。そこに、はぐれた雪片がふと乗ったのを、僕は哀しい想いで見てとりました。
 わかっていたこと。
 僕らがふたたび逢えてしまったことは、こんなにも絆を強くし、またその絆の哀しさを眼前につきつけられること。
「ごめん、僕には───」
「ジョウイ、でも」
 ジョウイが面をあげました。僕はもう、その睛を逸らすことはしませんでした。
 それからゆっくりとジョウイの背に、しっかりと腕をまわして。その、ぬくもりをせめて確かめたいと思って。忘れることが出来ないのならば、今度こそ、憶えておくために。
 僕を抱きかえす、ジョウイの腕を感じて。
「忘れない。どれだけこの胸が痛んでも。それでジョウイが哀しい顔をしないでくれるなら。僕は平気、平気だから───いつか、逢えるね。また」
「うん」
「さよならは、言わないでね」
「うん」
「ジョウイ───」
 もう一度瞶めあった僕らのまなかいに、静寂(しじま)が降りました。瞼を閉じれば、ジョウイがそっと僕に口づけようとして───もうほとんど姿を消した落雪の、最後の一片が残像になりました。



†      †      †




 ……まだテッドに言いたいことがあったように思って、一瞬だけ目を伏せ、そしてそれを上げたときには、もうその椅子には誰も座ってはいなくて───窓の外には、ただ闇が祈りを待つかのように、優しい翼を広げているだけだった。



†      †      †




 ……だけど、口づけはついに降りはしませんでした。僕は止んでしまった雪と、そしてジョウイの姿を探すように、またたった独りで昏い闇の中心にいつまでも佇んでいました。





*next*

16thNovember.2000