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鉄道連絡船(1873-1988)

主として日本国有鉄道(国鉄)が運航していた鉄道連絡船(train ferry)の約100年の歴史です。

1873年(明治6年)

1月 北海道開拓使庁、弘明丸(209gt)を使用して青函航路で郵便・一般輸送開始(1月25日)
小田藤吉、Thomas Wright Blakistonよりマギー・ローダー(68.9gt)を購入、青開丸に改名、青函定期航路開設

1877年

6月 郵便汽船三菱会社、青函定期航路開設

1880年

8月 東京風帆会社設立

1882年(明治15年)

北海道開拓使庁廃止、函館県、札幌県、根室県を設置(2月8日)
2月 北海道運輸会社設立、官船9隻傭船(2月8日)
6月 太湖汽船会社、大津―長浜間に船車連絡を開始する(5月1日)
7月 東京風帆会社と北海道運輸会社が合併して、共同運輸会社設立(7月12日)

1885年

9月 郵便汽船三菱会社と共同運輸会社が合併して日本郵船が設立、青函航路を運航(1日1運航)(9月29日)

1886年

北海道庁設置(1月26日)

1889年

大日本帝国憲法、公布(2月11日)
4月 静岡―浜松間開通により新橋―長浜間全通、直通列車1往復下り15時間上り14時間25分運転、太湖汽船連絡により東西陸路連絡完成(4月16日)
7月 東海道線全通、大津―長浜間の船車連絡、廃止(7月1日)

1891年

9月 日本鉄道、上野―青森間全通、既存の日本郵船の青森―函館間の定期航路が事実上の鉄道連絡航路になる(9月1日)

1892年

8月 北海道炭鉱鉄道、岩見沢―室蘭間開通(8月1日)

1893年

2月 青森―室蘭―函館航路開設(2月1日)

1894年

日清戦争(8月1日)

1895年

日清講和条約(下関条約)(4月17日)
台湾進駐(6月6日)

1897年

7月 九州鉄道、大村湾で船車連絡開始(7月26日)

1898年

9月 山陽鉄道が山陽汽船を設立、徳山―門司間で旅客、手荷物の連帯輸送開始(9月1日)
11月 九州鉄道、鳥栖―長崎(現、浦上)間、全通、大村湾の船車連絡、廃止(11月27日)

1901年

3月 下関駅貨物荷揚場岸壁―門司築港内岸壁で山陽鉄道、九州鉄道が貨物の連帯輸送開始(3月27日)
5月 赤間関―門司(現門司港)間に、大瀬戸丸(188gt)、下関丸(188gt)就航(関門航路)、徳山―門司航路、廃止(5月27日)

1902年

4月 宮島渡航会社、宮島丸(36gt)を使用して、宮島―厳島航路を開業(宮島航路)

1903年

3月 山陽鉄道、尾道―多度津間、岡山―高松間に連絡航路開設、旭丸、玉藻丸、児島丸を使用(3月18日)
5月 山陽鉄道会社、宮島航路を継承(5月8日)
9月 岡山―高松航路で、小豆島(土庄)寄港開始(9月25日)
10月 日本郵船、東海丸(1,121gt)が青函航路で吹雪視界不良のためロシア船籍の貨物船と衝突・沈没、乗客47人死亡、久田佐助船長殉職(10月29日)

1904年

日露戦争(2月10日)
10月 北海道鉄道、函館―小樽間全通(10月15日)
11月 阪鶴鉄道会社、舞鶴―宮津航路を開設(11月24日)

1905年

4月 阪鶴鉄道会社、舞鶴―境航路を開設
8月 日本郵船、小樽―大泊間で田子の浦丸を使用して定期運航開始。
日露講和条約(ポーツマス条約)(9月5日)
9月 山陽汽船会社、壱岐丸(1,680gt)を使用して下関―釜山間に連絡航路開設 (関釜航路)(9月11日)
11月 関釜航路に対馬丸(1,679gt)就航、夜行便毎日運航(11月1日)

1906年

1月 日本鉄道、青函航路で日本郵船と連帯輸送開始(1月15日)
3月 鉄道国有法公布(3月31日)
7月 阪鶴鉄道会社、舞鶴―小浜航路を開設(7月1日)
10月 日本鉄道、青函航路向けの比羅夫丸と田村丸をWiliam Denny & Brothers Co.に発注(10月1日)
11月 日本鉄道、国有化(11月1日)
12月 山陽鉄道買収により、下関―釜山、三幡―高松、尾道―多度津、京橋―三幡、宮島―厳島および下関―門司間航路は官営となる(12月1日)
関釜航路、山陽鉄道出張所下関運輸事務所、鉄道作業局釜山営業所、設置(12月1日)

1907年

樺太庁設置(3月15日)
5月 関釜連絡船、六連島での停船検疫を、船内検疫に変更(5月24日)
8月 阪鶴鉄道会社、買収・国有化(8月1日)

1908年

3月 青森―函館航路の国鉄直営開始(青函航路)、比羅夫丸(1,480gt)就航(1日1往復)(3月7日)
4月 青函航路、田村丸(1,479gt)就航(1日2往復)(4月4日)
10月 青森港の客貨艀作業の沖仲仕請負制度廃止、直営へ(10月1日)
12月 鉄道院官制公布、青函航路が東武鉄道管理局青森運輸事務所所管となる(12月5日)

1909年

8月 宮津湾内航路開業(8月5日)

1910年

1月 青函航路で梅ヶ香丸(3,022gt)傭船(1月25日)
3月 日本郵船、青函定期航路廃止(3月10日)
6月 宇野―土庄―高松航路開設(宇高航路)、4往復(直行便1時間20分運航)、尾道―多度津、京橋―高松航路廃止(6月12日)
日韓併合(8月29日)
12月 函館駅の先に新設した木造桟橋の使用開始(12月15日)

1911年

1月 関釜航路から青函航路に會下山丸(1,462gt)転属、青函航路から関釜航路に梅ヶ香丸転属(1月20日)
2月 青函航路の船積貨物を舷門授受から船倉封印授受に変更(2月1日)
宇高航路で小豆島(土庄)寄港廃止、高松―土庄航路開設(2月11日)
3月 関釜連絡船、船内で日銀券と鮮銀券との交換事務開始(3月10日)
8月 関釜連絡船、旅客運賃を減額し、食事付きにする(8月20日)
10月 下関―小森江(門司)間で、艀による貨車航送開始(関森航路)(10月1日)
高松―土庄航路、廃止(10月30日)
11月 宇野―内海間で紅葉鑑賞船を臨時運航(11月5日から30日まで)

1912年(明治45年・大正元年)

1月 関釜連絡船の船内で急行券の発売開始(1月1日)
3月 舞鶴―境航路、山陰本線開通により廃止(3月31日)
6月 関釜航路、釜山税関第一桟橋竣工、使用開始(6月15日)

1913年

1月 関釜航路に高麗丸(3,028gt)就航(1月31日)
青函連絡船、田村丸、泉沢沖で座礁(1月22日)、翌日離礁
4月 関釜航路に新羅丸(3,021gt)就航(4月5日)
5月 青函航路が北海道鉄道管理局函館運輸事務所所管となる(5月5日)
6月 舞鶴―小浜航路を民間会社に譲渡(6月20日)

1914年

2月 函館桟橋の増設工事一部竣工(2月26日)
3月 宮島航路に松風丸(76gt)就航(3月31日)
7月 青函航路、萬成源丸(866gt)を貨物船として傭船(7月30日)
第一次世界大戦に参戦(対独宣戦)(8月23日)
11月 関門航路に門司丸(256gt)就航(11月6日)
関釜航路、下関桟橋竣工、使用開始(11月17日)
12月 青函航路、車運丸が車両航送用として就航(12月10日)
函館駅付属連絡船待合所を桟橋に移動、旅客手荷物の取扱開始(12月25日)

1915年

6月 青函航路、函館桟橋工事完成、駅と桟橋間で連絡旅客列車の運転開始(6月16日)
8月 関釜連絡船の対馬丸に無線電話局を開設(8月28日)

1916年

3月 青函航路、萬成源丸、會下山丸解傭、生玉丸(856gt)傭船(3月31日)
4月 青函航路、秦辰丸(696gt)傭船(4月2日から4月16日まで)
青函航路、弘済丸(2,590gt)が関釜航路から転属(4月9日)
6月 青函航路、鮫龍丸(702gt)傭船(6月1日)
8月 屋島、志度浦で納涼船を臨時運航(8月21日)

1917年

3月 青函航路、生玉丸、解傭(3月31日)
4月 青函航路、萬成源丸、再傭船(4月1日)
内地、満州、北支那間発着の郵便物は、全て朝鮮経由になる(4月1日)
6月 宇高航路、水島丸(336gt)就航、1日6往復運航(5月15日)
10月 青函航路の弘済丸が事故を起こし、関釜航路の対馬丸が助勤(10月11日から27日まで)
12月 青函航路に関釜航路の第三共栄丸(687gt)が就航(12月16日から翌1月18日まで)

1918年

4月 青函航路、甲辰丸(709gt)傭船(4月10日から5月30日まで)
6月 青函航路、木造貨物船の白神丸(837gt)就航(6月5日)
青函航路、第十二小野丸(658gt)傭船(6月26日)
シベリア出兵宣言(8月2日)
10月 第十二小野丸、関釜航路に転属(10月2日)
青函航路に木造貨物船の龍飛丸(841gt)就航(10月4日)

1919年

1月 青函航路、桟橋長職制制定(1月10日)
2月 青函航路の比羅夫丸、客室拡張(2月4日)
3月 青函航路、萬成源丸、解傭(3月31日)
4月 青函航路、第一快運丸(1081gt)就航(4月3日)
青函航路、第二快運丸(998gt)就航(4月6日)
青函航路、伏木丸(1,330gt)傭船(4月4日から7月1日)
青函航路の鮫龍丸、解傭(4月10日)
5月 鉄道省設置。青函航路、札幌鉄道局所管となる(5月1日)
7月 関森航路に自航貨車渡船、2隻就航(7月26日)

1920年

2月 青函航路の比羅夫丸、第二船倉内に3等客室新設(2月21日)
3月 青函航路の田村丸、定員増員(3月13日)
4月 青函航路、敦賀丸(973gt)を傭船(4月5日)
5月 函館駅無線電信取扱所新設(5月1日)
7月 青森(沖舘海岸)、函館(大森浜)、比羅夫丸、田村丸に無線電信所設置、鉄道電報取扱開始(7月10日)
9月 関釜連絡船の運賃と食事料金が別になる(9月1日)
12月 関門航路に豊山丸(410gt)と長水丸(410gt)就航、1等、2等を廃止して3等のみとなる(12月27日)

1921年

1月 青森港の北・西防波堤の一部竣工、西防波堤内に係船浮標新設(1月1日)
2月 関門航路から宮島航路に大瀬戸丸、下関丸が転属
7月 大島渡船組合、神代―鳴戸間航路を開業(7月28日)
青函航路、第一快運丸係船(7月2日)
9月 宮島航路の松風丸、宇高航路に転属 (9月1日)
青函航路、第一快運丸再就航(9月30日)
10月 宇野―高松航路、艀による貨車航送開始(10月10日)

1922年

4月 関森航路、艀による貨車航送、廃止(4月1日)
5月 関釜航路に景福丸(3,628gt)就航(5月18日)
10月 関釜航路の壱岐丸(1,680gt)が青函航路に転属(10月18日)
関釜航路に徳寿丸(3,637gt)就航(10月28日)
11月 宗谷線全通(11月1日)
青函航路に壱岐丸、就航(11月18日)
青函航路の弘済丸、解傭(11月28日)
12月 内地へ渡航の朝鮮人の原籍、警察署の渡航証明書が不要となる(12月16日)

1923年

1月 稚泊航路開設の省議決定、運輸局長より樺太長官宛てに通牒(1月8日)
3月 関釜航路に昌慶丸(3,620gt)就航(3月12日)
4月 関釜航路、景福丸、徳寿丸、昌慶丸の就航に伴い、昼航便8時間、夜航便9時間に短縮、貨物便、高麗丸、新羅丸、不定期便、多喜丸
関釜連絡船の対馬丸、稚泊航路に転属(4月19日)
5月 稚泊航路開始の告示(実マイル90マイル、営業マイル130マイル)(稚泊航路)(5月1日)
6月 対馬丸、砕氷船に改造して稚泊航路に就航(6月6日)
青森無線電信所、真空管式に変更。青森駅構内に無線電信受信所を新設(6月11日)
宇高航路に山陽丸(530gt)就航(6月29日)
7月 宇高航路に南海丸(530gt)就航(7月3日)
関東大震災(9月1日)
9月 関東大震災の緊急輸送のため、青函航路より補助船七重丸、尾花丸、茂浦丸を11月4日まで派遣(9月1日)
関東大震災の緊急輸送のため、関釜航路より高麗丸、景福丸を東京に回航(9月3日)
朝鮮人内地渡来禁止(9月6日から翌5月30日まで)
青函連絡船、関東大震災で東海道本線が不通のため、芝浦―清水港間で臨時運航(9月6日から10月30日まで)
12月 青森港築港岸壁、一部竣工(12月15日)
青森港西防波堤灯台(明暗白色)と東防波堤灯台(不動緑光)を設置(12月20日)

1924年

3月 宇高連絡船の玉藻丸、児島丸、廃船(3月1日)
4月 舞鶴―宮津間航路、鉄道開通により廃止(4月11日)
5月 青函航路に客載貨車渡船、翔鳳丸(3,460gt)就航(5月21日)
6月 関門航路に厳島丸を配属
7月 関門航路の運航回数、25往復から31往復に増便(7月1日)
壱岐丸が青函航路から稚泊航路に転属(7月25日)、就航(7月28日)
10月 函館係船岸壁が一部竣工、駅乗降場と岸壁乗降場との間で列車運転開始(10月1日)
比羅夫丸、青森港に初めて着岸(10月2日)
青函航路に客載貨車渡船、津軽丸(3,432gt)就航(10月11日)
青函航路、伏木丸、解傭(10月10日)
青函航路、山陽丸(971gt)を貨物船として傭船(10月11日)
青函航路、比羅夫丸、係船(10月15日)
青函航路、敦賀丸、解傭(10月25日)
11月 青函航路に客載貨車渡船、松前丸(3,485gt)就航(11月11日)
比羅夫丸を大阪商船に賃貸、函館港で引渡し(11月14日)
青森岸壁連絡待合所竣工、使用開始(11月18日)
青函航路、旅客運賃・寝台料金を改訂し、急行料金を廃止、関釜航路、1等運賃を値上げし、寝台料金を廃止
12月 青函航路、田村丸、係船(12月11日)
関釜連絡船の景福丸にスタビライザー設置(12月22日)
青函航路に客載貨車渡船、飛鸞丸(3,460gt)就航(12月30日)

1925年

3月 関釜航路の徳寿丸、下関桟橋間に官庁用無線電話、設置(3月14日)
4月 青函航路の翔鳳丸、船首舵に損傷、浦賀に修理のため回航(4月23日)
5月 青函航路で貨車航送試験開始(5月21日)
6月 函館第二岸壁、使用開始(6月1日)
宮島航路の大瀬戸丸が弥山丸、下関丸が七浦丸に改名(6月5日)
7月 宮津湾内航路、鉄道開通により廃止(7月30日)
関門航路に下関丸(527gt)就航(7月17日)
8月 青函航路、手荷物・郵便車の航送開始(8月1日)
関門航路、運航回数を82回に増便(8月5日)
9月 青函航路の白神丸、第一快運丸、第二快運丸、係船(9月3日)
函館第二岸(後の第一岸)の可動橋竣工(9月5日)
10月 函館岸壁工事竣工(10月14日)
12月 稚泊航路の対馬丸、吹雪のため稚内の野寒灯台で座礁、航行不能(12月7日)
青函航路に客載貨車渡船、翔鷹丸(3,459gt)就航(12月30日)

1926年(大正15年・昭和元年)

2月 係船中の田村丸、稚泊航路の対馬丸の代船として一時使用(2月8日)
4月 青函航路の龍飛丸、係船(4月2日)
田村丸が青函航路から稚泊航路に転属、就航(4月16日)
5月 稚泊航路の対馬丸、引揚不能のため雑種財産に編入(5月18日)
6月 稚内無線通信所、一般船舶無線電報と無線電信による託送電報の取扱開始(6月1日)
8月 関門航路の運航回数を98回に増便(8月15日)
12月 青函航路に貨車渡船、第一青函丸(2,326gt)就航(12月12日)
青函間6運航実施(12月12日)

1927年

3月 青函航路、第一青函丸、無線通信所開設(3月3日)
6月 青函航路、車運丸の運航廃止(6月3日)
12月 稚泊航路に亜庭丸(3,355gt)就航(12月8日)

1928年

2月 稚泊連絡船で煙草の販売を開始(2月5日)
6月 札幌鉄道局に船舶課設置(6月1日)
12月 大泊港駅、開業、稚泊連絡船は新岸壁に係留(12月10日)
稚内臨港線、竣工、稚内港駅(現、稚内駅)開業(12月26日)

1929年

4月 青函連絡船で公衆電話の取扱開始(4月1日)
7月 大阪商船に、比羅夫丸を大阪港で、田村丸を函館港で、それぞれ売却(7月8日)
11月 宇高航路に第一宇高丸(312gt)就航(11月28日)
ニューヨーク株価暴落・世界恐慌(10月24日)

1930年

4月 宇高連絡船の第一宇高丸により貨車航送開始(4月1日)
青函航路営業浬程を61浬に設定(4月21日)
稚泊航路営業浬程を86浬に設定(4月21日)
7月 関門連絡船で煙草、マッチ、新聞、雑誌、仁丹、キャラメル、パン、アイスクリームの立売営業開始(7月4日)
関門連絡船、第一回納涼運航実施(300人、大人30銭)(7月21日、22日)
8月 関釜連絡船の徳寿丸にサーモタンク設置(8月15日)
9月 青函航路、貨車渡船の第二青函丸(2,493gt)就航(9月1日)
11月 青函航路で船倉積み手小荷物の授受廃止(11月15日)

1931年

5月 高麗丸が関釜航路から稚泊航路に転属(5月14日)
柳条湖事件(9月18日)、満州事変

1932年

2月 稚泊航路の壱岐丸、売却(2月14日)
12月 稚泊航路に砕氷客貨船、宗谷丸(3,593gt)就航(12月21日)

1933年

8月 青函間8運航実施(8月5日)

1934年

函館大火(3月21日)
7月 宇高航路に第二宇高丸(322gt)就航(7月12日)
10月 関釜連絡船の1等寝台、2等寝台利用者に寝衣貸与(料金10銭)(10月25日)
12月 青函間9運航実施(12月9日)

1935年

1月 青函航路の第一青函丸、陸奥湾大島沖で金芳丸(28gt)と衝突、金芳丸沈没(1月13日)
6月 青函連絡船の船内食堂を改造。定員28名を44名に増員
11月 宇高航路で第一宇高丸型貨物船の夜間運航開始(11月24日)

1936年

2月 宮島航路で宅扱い貨物の取り扱い開始(2月7日)
5月 青函航路の松前丸、函館湾内で藤山海運の弘安丸(657gt)と衝突、弘安丸沈没(5月16日)
9月 稚泊航路の宗谷丸にラジオを設置(9月10日)
11月 関釜航路に金剛丸(7,081gt)就航(11月16日)

1937年

1月 関釜航路に興安丸(7,079gt)就航(1月31日)
3月 宇高航路、年間旅客輸送100万人突破(3月31日)
6月 稚泊航路の運航時刻改正、夏季の夜間運航を廃止し、夏季・冬季とも昼間運航とする、但し1船折り返し上り便を夜間運航
盧溝橋事件(7月7日)、日中戦争
11月 宮島桟橋を厳島神社の社殿風に改装
12月 大島渡船組合の神代―鳴門航路を山口県が継承(12月20日)

1938年

1月 関釜連絡船の徳寿丸、下関港停泊中に景福丸に衝突され、沈没(1月22日)
9月 下関―釜山間に海底電信開通、関釜連絡船の船送電報廃止(9月1日)
12月 稚内港駅からの旅客の補助汽船輸送廃止、桟橋駅より稚泊連絡船に直接乗船開始(12月11日)

1939年

2月 稚内港駅を稚内駅に改称、稚内駅は南稚内駅に改称
7月 関釜航路の夜行旅客便1往復増便、3往復とする
11月 関門航路の運航回数53往復とする(11月15日)
青函航路に貨車渡船、第三青函丸(279gt)就航(11月25日)

1940年

3月 厳島町桟橋の上屋を社殿風に改装
8月 関釜連絡船の貸浴衣制度、廃止(8月1日)
門司下関港、関門港に改称(8月17日)。
11月 関釜航路に壱岐丸(3,519gt)就航(11月30日)

1941年

2月 青函航路の松前丸、上磯沖で座礁(2月11日)
3月 宇高航路、年間旅客輸送200万人突破(3月31日)
4月 青函航路の飛鸞丸の客室を改造、3,506gtに変更(4月5日)
関釜航路に対馬丸(3,516gt)就航(4月12日)
11月 青函航路、浮流機雷出現、第5便、第6便の運航時刻変更(11月20日)
青函航路、夜間便休止(11月22日)
12月 関釜航路の新羅丸、青函航路に就航(12月8日から翌2月28日まで)
真珠湾攻撃・太平洋戦争開戦(12月8日)

1942年

4月 宮島桟橋を宮島口桟橋に、厳島町桟橋を宮島桟橋に改称(4月1日)
門司駅が門司港駅に、関門航路は下関門司港航路に改称(4月1日)
関釜航路、旅客、小荷物扱貨物営業キロ226キロ(4月1日)
5月 青函航路で北日本汽船の温州丸(697gt)を傭船(5月10日から7月31日まで)
関釜航路の新羅丸、青函航路に就航(5月20日)
6月 下関―門司間の海底トンネル工事、電化工事完成(6月11日)
7月 関門トンネル開通(7月1日)
関森航路廃止(7月9日)
新羅丸、関釜航路助勤のため、函館発(翌4月24日まで)(7月31日)
9月 関釜航路に天山丸(7,906gt)就航(9月27日)
機構改革により、函館管理部となる(9月11日)
11月 関門トンネル(単線)開通と戦時陸運非常体制実施。関門航路、53往復から30往復に(11月15日)

1943年

3月 青函航路、石埼無線標識所開設(3月5日)
青函航路、貨車渡船、第四青函丸(2,903gt)就航(3月6日)
青函間14運航実施(3月6日)
4月 関釜航路に崑崙丸(7,908gt)就航(4月12日)
関釜連絡船の船内入浴制度、廃止(4月12日)
5月 宇高航路、艀による貨車航送、廃止(5月20日)
6月 青函航路で対潜警戒警報発令(6月14日)
7月 日本海航行船に対潜警戒警報発令(7月7日)
博多―釜山航路開設(博釜航路)、関釜航路の徳寿丸、昌慶丸、転属、1日1往復(7月15日)
博釜航路、旅客営業キロ212キロ、貨物営業キロ226キロ(7月15日)
8月 青函連絡船の各船、兵装工事着手(8月1日)
9月 水害により日豊線が不通となり、豊山丸が西大分―佐伯間を臨時運航(9月29日から10月12日まで)
10月 青函航路の旅客便、夜間運航再開(10月1日)
関釜連絡船の崑崙丸、米軍潜水艦による雷撃を受け沈没、死者583人、連絡船最初の戦災(10月5日)
関釜航路と博釜航路の営業キロを900キロに改定(10月5日)
11月 機構改革により運輸逓信省となる(11月1日)
函館船員区設置(11月1日)

1944年

1月 有川岸壁(函館三岸)使用開始(1月3日)
函館港で可動橋接合試験の際に、第五青函丸が翔鳳丸と接触(1月12日)
青函航路に第五青函丸(2,792gt)就航(1月14日)
3月 新羅丸、海軍に貸与(3月9日)
青函航路に第六青函丸(2,802gt)就航(3月6日)
宇高航路、年間旅客輸送300万人突破、貨物輸送量100万トン突破(3月31日)
4月 関釜連絡船、博釜連絡船とも、寝台設備廃止(4月1日)
新羅丸、海軍から返還(4月11日)
第六青函丸、機関故障のため修理(4月24日)。5月8日就航。
5月 青函間21運航実施(新造船回着までは19運航)(5月1日)
青函航路、小手荷物車航送廃止(5月1日)
青森第三岸可動橋使用開始(昼間のみ)(5月1日)
6月 新羅丸、大泊―新潟間臨時運航(6月22日から9月6日まで)
7月 旅客名簿取り扱い方制定・施行(稚泊航路、青函航路、関釜航路、博釜航路)(7月1日)
青函航路に第七青函丸(2,851gt)就航(7月20日)
青森第三岸可動橋、夜間使用可能(7月20日)
11月 函館第四岸使用開始(11月17日)
青函航路に第八青函丸(2,851gt)就航(11月22日)
12月 決戦増送発揮運動、発足(12月8日)

1945年(昭和20年)

2月 青函航路の第九青函丸(2,851gt)、浦賀で受領後、函館へ回航中、勝浦沖で座礁沈没(2月27日)
3月 青函航路の第五青函丸、青森港で防波堤西端に接触、沈没(3月6日)
4月 五稜郭工部船舶職場、設置(4月1日)
新羅丸、青森から下関に助勤(4月3日)
5月 新羅丸、青函航路より転属途中、関門海峡で触雷、沈没(5月25日)
関釜連絡船の金剛丸、玄海島灯台沖で触雷、航行不能、第三鉄栄丸で博多港に曳航途中、沈没(5月27日)
6月 青函航路に第十青函丸(2,851gt)就航(6月1日)
下関丸、博多港で触雷により沈没(6月12日)。
戦局悪化により関釜・博釜両航路、運航不能。全船舶を日本海航路に転配決定。壱岐丸と対馬丸は新潟―羅津(ナジン)航路、天山丸と弘安丸は舞鶴―元山(ウォンサン)航路、景福丸、徳寿丸、昌慶丸は敦賀―清津(チョンジン)航路(6月20日)
7月 青函航路、米軍艦載機による雷撃、翔鳳丸ほか10隻沈没、2隻損傷(7月14日)、翌7月15日、さらに1隻沈没。全滅
青函航路に軍艦の千歳(2,669t)が就航(7月17日)
青函航路に軍艦の浮島(4,730t)が就航(7月20日)
青函航路に稚泊連絡船の亜庭丸が転属、就航(7月23日)
青函航路の第七青函丸、修理完了(7月25日)
青函航路に船舶運営会の樺太丸(1,598gt)就航(7月25日)
青森市大空襲(7月28日)
青函航路の千歳、海軍に返還(7月30日)
天山丸、別府港に向かう途中、米軍機による攻撃により、日御碕灯台沖で沈没(7月30日)
昌慶丸、函館への回航途中、空襲により宮津湾で沈没(7月30日)
8月 対馬丸、元山(ウォンサン)から清津(チョンジン)に向け航行中、港外で触雷、航行不能(8月7日)
亜庭丸、茂浦沖で空襲により沈没(8月10日)
対馬丸、元山(ウォンサン)で修理中、ソ連が参戦、急遽南下の形勢となったのを受け、自沈(8月13日)
稚泊航路、ソ連軍の南樺太侵攻に対応して緊急避難輸送(8月13日~24日)
玉音放送・終戦(8月15日)
景福丸(3,620gt)、関釜航路から青函航路に転属(8月20日)
暁南丸(1,243gt)、船舶運営会から傭船、青函航路に就航(8月21日)
壱岐丸(1,680gt)、関釜航路から青函航路に転属(8月22日)
18時以降、100gt以上の船舶運航停止(8月24日)
稚泊連絡船の宗谷丸、18時を以て航行停止、稚泊航路、運航休止(8月24日)
宇高航路、100gt以上の船舶の運航を停止し、機帆船で旅客輸送(8月25日)
青函航路、第七青函丸、樺太丸、暁南丸、武装解除の上、白十字の標識を付して運航開始(8月26日)
米軍、仙崎・博多と釜山間の航行を許可(8月28日)
興安丸、徳寿丸、仙崎・博多―釜山間で、朝鮮からの引揚邦人、内地からの第三国人の輸送に当る(8月30日以降)
降伏文書調印式・第二次世界大戦終結(9月2日)
9月 米軍の北太平洋艦隊から青函運航の正式許可(9月10日)
青函航路の樺太丸、函館で衝撃損傷(9月10日)
米占領軍、函館上陸(10月4日)
10月 青函航路に第十一青函丸(2,851gt)就航(10月9日)
11月 青函航路の第八青函丸、青森一岸係留中に擱座(11月28日)
宗谷丸、稚泊航路から青函航路に転属、就航(11月29日)
12月 青函航路、大正丸(830gt)を傭船、帰還朝鮮人の輸送に当る(12月3日)
米軍から青函航路にLSTの貸与通知(12月24日)

1946年

1月 青函航路の第八青函丸、浮揚(1月1日)
2月 青函航路の第十一青函丸、葛登支付近で座礁(2月3日)、離礁(2月4日)、就航(3月22日)
青函航路の樺太丸、青森堤川口付近で座礁(2月22日)、離礁(2月23日)
青函航路に三輪山丸(875gt)傭船(2月27日)
3月 青函航路の壱岐丸、葛登支付近で座礁(3月7日)、離礁(4月2日)
札幌鉄道管理局函館船舶管理部設置、同青森出張所設置(3月18日)
米軍LST22号、青函航路に就航、21号は仮就航(3月29日)
米軍LST21号、青函航路に就航(3月31日)
4月 宮島航路の七浦丸、山口県の第一山口丸、第二山口丸を使用して、大畠―小松港航路開設(1日9往復)、山口県より国鉄に移管(大島航路)(4月25日)
宮島航路の七浦丸が仁堀航路に転属(4月24日)
5月 関門航路から転属した長水丸を使用し、仁方(呉)―堀江(松山)航路開設(1日2往復)(仁堀航路)(5月1日)
青函航路に第十二青函丸(3,161gt)就航(5月15日)
青森野内沖に擱座中の第六青函丸、浮揚(5月15日)。函館に建泰丸で曳航(5月18日)
関門航路、運航回数を18往復に減便(5月20日)
青函航路の三輪山丸、解傭(5月22日)
6月 青函航路の宗谷丸、景福丸、コレラ発生の疑いで休航(6月12日)
青函航路の第六青函丸、修理のため浦賀へ曳航(6月18日)。途中、強風波浪のため曳索が切断、海防艦に救助され、浦賀に到着(6月28日)
7月 博多港で金剛丸、浮揚(7月1日)
小湊LST用係船岸壁完成、小湊―函館航路開設、貨物営業キロ480キロ(7月1日)
小湊桟橋使用開始(LST21号、22号)(7月2日)
宮津湾で昌慶丸、浮揚(7月14日)
青函航路に石狩丸(3,146gt)就航(7月23日)
9月 FS21号、布袋(ホテイ)号と改称して、米軍人輸送のため、博多―釜山航路に就航(9月29日)
日本国憲法、公布(11月3日)
11月 青函航路の暁南丸、RTOの命令により船舶運営会に返還(11月28日)
12月 南海地震により、宇高航路の高松の水道故障、宇野の小型可動橋が傾斜し接岸不能(12月21日)

1947年

1月 宇高航路の宇野の小型可動橋、別の場所に設置(1月15日)
興安丸、徳寿丸、引揚邦人輸送から解除(1月15日)
小湊―函館航路のJST21号、貝埼付近で座礁(1月27日)、離礁(1月30日)
二・一ゼネスト中止(1月31日)
2月 青函航路の第六青函丸、修理完了(2月2日)
3月 関門航路で自動車航送開始(3月1日)
7月 宇高航路に紫雲丸(1,449gt)就航(7月6日)
徳寿丸、樺太からの引揚邦人輸送のため転属(7月8日)
8月 小湊―函館航路のLST22号、米軍に返還(8月20日)
9月 宗谷丸、キャサリン台風による東北線・常磐線の不通にため、函館―芝浦間臨時運航(9月20日から26日)
青函航路に関釜航路の昌慶丸、助勤(9月18日から1948年10月10日まで)
仁堀航路に宇高航路から水島丸、転属、2等旅客の扱い開始(9月25日)
11月 青函航路の第十二青函丸、青森三岸に衝突(11月11日)
青函航路に洞爺丸(3,898gt)就航(11月21日)
12月 青函航路の石狩丸、RTOの出港強要により難航(12月12日)

1948年

1月 仁堀航路、相互発着、小口扱い貨物の取扱開始(1月2日)
2月 小湊―函館航路のLST21号、米軍に返還(2月26日)
宇高航路に眉山丸(1,456gt)就航(2月26日)
青函航路に北見丸(2,928gt)就航(2月27日)
3月 大島で省営自動車の営業開始(3月11日)
徳寿丸、関釜航路から青函航路に助勤(3月4日)、就航(3月19日)
博多港で関門連絡船の下関丸を浮揚(3月24日)
4月 青函航路に十勝丸(2,912gt)就航(4月7日)
5月 青函航路に羊蹄丸(3,896gt)就航(5月1日)
徳寿丸、船舶運営会に引渡(5月2日)
6月 壱岐丸、広島鉄道局へ転属(6月5日)
宇高航路に鷲羽丸(1,456gt)就航(6月23日)
青函航路の第六青函丸、第七青函丸、第八青函丸、第十一青函丸、第十二青函丸、石狩丸に受信機を各3台装備(6月30日)
7月 大島航路、1日2往復になる(7月1日)
青函航路の十勝丸、青森港防波堤付近の捨石に接触(7月23日)
青函航路に渡島丸(2,912gt)就航(7月26日)
8月 青函航路、航空母艦の天城、ポンツーンとして函館の有川に設置(8月19日)
青函航路に摩周丸(3,782gt)就航(8月27日)
10月 青函航路に日高丸(2,932gt)就航(10月22日)
11月 大島航路に玉川丸(147gt)、五十鈴丸(153gt)就航(11月10日)
青函航路に大雪丸(3,886gt)就航(11月27日)
12月 青函航路で特別寝台車の航送開始(12月16日)

1949年

2月 青函航路の十勝丸、補助汽船しらかみ丸、宮古―青森間で車両航送(2月14日)
4月 下関―釜山航路、中止(4月12日)
5月 青函航路の船内売店が営業開始(5月16日)
6月 日本国有鉄道、公共企業体となる(6月1日)
青函航路の洞爺丸型船、船客の入浴取扱開始(入浴料金1回80円)(6月1日)
7月 小湊桟橋使用中止(7月15日)
景福丸、休航、函館桟橋南側に係船(7月30日)
8月 宇高連絡船の山陽丸、高松港に係船(8月29日)

1950年

2月 青函航路の船内食堂の営業開始(2月3日)
3月 ポツダム政令25号により、興安丸と壱岐丸を朝鮮郵船(株)に引き渡す(3月18日)
宇高連絡船の紫雲丸、直島水道南口で鷲羽丸と衝突、紫雲丸、沈没(3月25日)
4月 青函航路の第十二青函丸、濃霧のため穴澗岬に衝突、擱座(4月22日)
宇高連絡船の紫雲丸、浮揚(4月27日)
5月 宇野桟橋、高松桟橋、眉山丸、鷲羽丸に無線電話局、開設(5月6日)
宇高航路、客車航送の試験実施(5月12日)
朝鮮戦争(6月25日)
7月 景福丸でホテル営業開始(7月1日)
8月 青函鉄道管理局設置(8月1日)
9月 青函航路の日高丸に超短波無線電話送信機を設備、実用化試験局に(9月1日)
10月 宇高航路、宇野発2時25分発を客車航送便とする(10月1日)
関門航路、1船28往復となる(10月1日)
大島航路に五月丸(23gt)就航(10月2日)
宗谷丸、函館第五岸に係船(10月13日)
洞爺丸にレーダー設置、翌3月31日までに全船設置(10月18日)

1951年

2月 宇高連絡船の紫雲丸、第一宇高丸、第二宇高丸に無線電話局、開設(2月1日)
4月 宇高連絡船の南海丸、高松港に係船(4月27日)
5月 津軽海峡に浮遊機雷出現、青函航路の夜間運航中止(5月9日)
8月 浮遊機雷哨戒の見張り要員76名配置(8月23日)
サン・フランシスコ講和会議(9月4日)
9月 青函航路の北見丸、有川桟橋、青森桟橋に超短波無線電話受信機を設備(9月17日)
大島連絡船の第一山口丸、廃船
10月 金剛丸、ルース台風により長崎県宇久島沖で座礁(10月14日)
大雪丸、青森港外で漁運丸(4gt)と衝突、漁運丸は水船となる(10月26日)
12月 仁堀航路に大島航路から五十鈴丸転属、長水丸は関門航路に転属(12月20日)
関門航路に長水丸、就航(12月25日)
宇高連絡船の紫雲丸、宇高丸にレーダー設置(12月23日)
洞爺丸型船、弘済会による2等船内売店営業開始(12月25日)

1952年

3月 青函航路の運航時刻変更により、北海道各線の時刻変更(3月10日)
青函航路の日高丸、北見丸、十勝丸に防雷網の取り付け完了(3月30日)
4月 青函航路の進駐軍便(第1201便、第1202便)で、一般日本人旅客(2等、3等)の 取扱を開始(4月2日)
堀江桟橋、五十鈴丸に超短波無線電話機、設置(4月25日)
対日平和条約が発効、日本占領終了(4月28日)
7月 愛媛県一帯での水害発生により、五十鈴丸を使って堀江―北条、堀江―三津浜で旅客輸送(7月1日)
8月 青函航路、機構改革により船舶部となり、総務、海務、船務課を設置(8月5日)
9月 宗谷丸、広島鉄道管理局に転属(9月1日)

1953年

1月 宇高連絡船の紫雲丸型船に特別2等船室、設置(料金50円)(1月15日)
3月 宇高連絡船の水島丸、廃船(3月9日)
5月 宇高航路に第三宇高丸(1,282gt)就航(5月1日)
6月 北九州の水害により関門トンネルが不通となり、下関―小倉間で臨時運航(6月29日)
7月 青函航路に機雷発見、夜間運航再中止(9月20日再開)
8月 福島港防波堤灯台沖に円型機雷、出現(8月18日)
9月 浮遊機雷哨戒のためダイヤ一部変更(9月9日)
10月 松前、小島村沖にRM4型機雷、出現(10月8日)
金剛丸、売却(10月10日)
12月 青函連絡船各船、青森桟橋、函館桟橋、有川桟橋、第五鉄栄丸に超短波無線電話を設置(12月1日)
龍飛沖に機雷出現(12月14日)

1954年

1月 宇高連絡船の鷲羽丸で自動車航送の試験開始(1月8日)
函館桟橋有川支所、設置(1月30日)
5月 青函航路機雷対策協議会を設置(5月11日)
7月 大島航路の五月丸で自動車航送開始、1日5往復(7月15日)
8月 天皇皇后両陛下御来道、洞爺丸を御召船として運航(青森発14時00分、函館着18時30分)(8月7日)
9月 宇高航路、第三宇高丸による自動車航送開始(9月2日)
台風15号により、青函連絡船の洞爺丸、日高丸、第十一青函丸、北見丸、十勝丸が沈没、死亡・行方不明1430人、客車4両、貨車177両沈没、青函航路の客車航送中止(洞爺丸事件)(9月26日)
青函局救難対策本部、設置(9月27日)
9月28日から30日まで臨時ダイヤ設定。13運航
10月 徳寿丸、広島鉄道局より助勤、就航(10月1日)
宮島航路にみやじま丸(242gt)就航(10月9日)
宗谷丸、広島鉄道局より助勤、就航(10月13日)
洞爺丸、浮揚作業開始(10月21日)
青函連絡船事故取扱事務所、設置(10月23日)
遭難者中陰法要(本願寺函館別院)(10月30日)
11月 第十一青函丸、日高丸、十勝丸、浮揚作業開始(11月1日)
北見丸、浮揚作業開始(11月10日)
12月 函館海洋気象台と、船舶部、施設部、運航指令室、函館桟橋無線室との間に直通専用電話を設置(12月1日)
函館海洋気象台、青森測候所と青函局鉄道気象通報連絡会を開催(12月9日)

1955年

1月 青森測候所、盛岡鉄道管理局指令室、青森桟橋に直通電話を設置(1月8日)
2月 洞爺丸、十勝丸、北見丸、日高丸、第十一青函丸の海難審判、開始(第1回人定質問)(2月15日)
青函連絡船船長室に気象受信用ラジオ、設置(2月28日)
3月 大島連絡船の第二山口丸、廃船(3月1日)
関門連絡船の門司丸、廃船(3月1日)
函館側超短波無線電話の非常用電源、設置(3月31日)
5月 宇高連絡船の紫雲丸、濃霧のため、第三宇高丸と衝突して沈没、死者156人、行方不明13人、第三宇高丸は大破(紫雲丸事件)(5月11日)
6月 青函航路の日高丸、浮揚(6月15日)
7月 青函船舶鉄道管理局と改称、船舶部を廃止、海務部と船務部を設置(7月5日)
宇高連絡船の紫雲丸、浮揚(7月10日)
8月 青函連絡船の洞爺丸、浮揚(8月18日)
洞爺丸海難事件の海難一周忌合同慰霊祭(8月25日)
大島航路の七浦丸、宇高航路に転属(8月25日)
青函連絡船の十勝丸、浮揚(8月26日)
9月 昌慶丸、青函局に転属(9月1日)
青函航路に檜山丸(3,393gt)就航(9月16日)
青函航路に貨物船の空知丸(3,428gt)就航(9月18日)
洞爺丸海難事件の第一審裁決(9月22日)
10月 徳寿丸、青函局に転属(10月2日)
宇高連絡船の紫雲丸、瀬戸丸に改名(10月11日)
12月 十勝丸、北見丸、日高丸、第十一青函丸海難事件の第一審裁決(12月21日)

1956年

2月 女木島に灯台設置(2月29日)
3月 関門航路、2船16往復となる(3月1日)
4月 青函航路に復元船、日高丸、再就航(4月1日)
6月 青函航路で1等船室を廃止し、2等A室寝台に変更し、2・3等制に(6月1日)
高松桟橋と高松地方気象台間に気象専用電話、設置(6月11日)
8月 宮島航路の弥山丸、廃船(8月10日)
青函航路に復元船、十勝丸、再就航(8月31日)

1957年

1月 北海道支社、発足(1月16日)
3月 仁方桟橋付近の重岩灯台竣工(3月6日)
5月 摩周丸事件(労働争議、威力業務妨害罪)(5月11日)
6月 本社船舶部、船舶局に昇格(6月1日)
7月 青函航路開設50周年記念式典(函館)(7月1日)
8月 仁堀連絡船の五十鈴丸に音響測深機、設置(8月31日)
9月 青函航路の徳寿丸、広島鉄道管理局に転属(9月13日)
10月 青函航路に十和田丸(6,148gt)就航(10月1日)
青函航路、訓練船、昌慶丸を廃止(10月18日)
12月 仁方桟橋に超短波無線電話機、設置(12月4日)

1958年

1月 漁船が白神岬沖で機雷らしきものを発見、青函連絡船の夜間運航全面停止(1月29日)
3月 関門国道海底トンネル、開通(3月10日)
宇高連絡船の七浦丸、廃船(3月18日)
9月 青函航路で機雷らしきもの浮流、夜間運航停止(9月15日)
10月 景福丸、廃船(10月6日)
青函間18運航実施(10月15日)

1959年

3月 宇高航路、年間旅客輸送400万人突破(3月31日)
8月 檜山丸事件(不乗便闘争、艦船侵入罪)(8月16日)
9月 青函航路の摩周丸、青森から函館まで18時間の難航(9月18日)

1960年

5月 チリ地震、函館に358センチの津波来襲、可動橋電動機、冠水により使用不能(5月24日)
安保闘争(5月)

1961年

4月 宇高航路に讃岐丸(1,828gt)就航(4月25日)
6月 大島航路に大島丸(258gt)就航、玉川丸は関門航路に転属(6月10日)
関門航路、自動車航送廃止(6月15日)
8月 青函連絡船取替等計画調査委員会、設置(8月11日)

1962年

1月 青函航路の第六青函丸、濃霧のため函館港防波堤に衝突(1月10日)
青函連絡船、甲板、機関各部門の要員再査定による111名の合理化実施(1月23日)
2月 大島連絡船の五月丸、廃船(2月28日)
関門連絡船の下関丸、豊山丸、廃船(2月28日)
3月 宇高連絡船の第一宇高丸、廃船(3月6日)
9月 青函航路の渡島丸、浮標係留作業中に甲板掛2名が海中に転落、死亡(9月24日)
11月 宮島航路で自動車航送開始(11月1日)
12月 宇高連絡船の第二宇高丸、廃船(12月13日)

1963年

3月 青函船舶鉄道管理局青森出張所、廃止(3月13日)
6月 仁堀連絡船の五十鈴丸にレーダー設置(6月25日)
10月 関門航路、1船16往復になる(10月1日)
青函連絡船の新造客貨船取替計画(在来船14隻中、9隻廃船、7隻新造)、新客貨船運航要員41名案、提出(10月23日)

1964年

4月 青函連絡船の全船で2時間スト(解雇4名、停職7名、減給その他989名)(4月11日)
5月 青函航路の第六青函丸、終航(5月3日)
青函航路に津軽丸(8,274gt)就航(5月10日)
7月 大島航路に周防丸(89gt)就航(7月10日)
8月 青函航路に八甲田丸(8,314gt)就航(8月12日)
大雪丸、終航(8月31日)
9月 津軽丸、東京オリンピックの聖火を輸送(9月17日)
東京オリンピック(10月10日)
10月 青函航路の摩周丸、終航(10月26日)
門司桟橋22時40分の最終便を以て関門航路、廃止(10月31日)
11月 宮島航路に関門航路から玉川丸、転属(11月1日)
青函航路の第八青函丸、終航(11月30日)
12月 青函航路に松前丸(8,313gt)就航(12月1日)
大島航路の大島丸、仁堀航路に転属(12月8日)
宮島航路のみやじま丸、大島航路に転属(12月12日)
仁堀航路の五十鈴丸、宮島航路に転属(12月23日)
青函航路の第七青函丸、終航(12月31日)

1965年

2月 関門連絡船の長水丸、廃船(2月25日)
5月 青函連絡船取替計画の実施に伴い、陸上業務案内所、設置(5月7日)
青函航路に大雪丸(8,299gt)就航(5月16日)
6月 宮島航路に山陽丸(159gt)就航(6月3日)
仁堀連絡船の大島丸、安芸丸に改名(6月8日)
大島連絡船のみやじま丸、大島丸に改名(6月8日)
青函連絡船の羊蹄丸、終航(6月20日)
青函航路に摩周丸(8,237gt)就航(6月30日)
7月 高松港が特定港に指定(7月1日)
仁堀航路で自動車航送開始(7月1日)
青函連絡船の第十二青函丸、終航(7月2日)
8月 青函航路に羊蹄丸(8,311gt)就航(8月5日)
宮島航路の玉川丸、下関桟橋に転属(8月12日)
青函連絡船の渡島丸、終航(8月31日)
9月 青函連絡船の石狩丸、終航(9月30日)
10月 宮島航路にみやじま丸(117gt)、みせん丸(117gt)就航(10月1日)
11月 大島航路、自動車航送回数券の発売開始(11月11日)

1966年

1月 宮島連絡船の五十鈴丸、廃船(1月28日)
関門連絡船の玉川丸、廃船(1月28日)
2月 仁堀航路、自動車航送回数券の発売開始(2月2日)
3月 宇高航路に伊予丸(3,083gt)就航(3月1日)
宇高航路、濃霧のため全便欠航(3月3日)
4月 宇高航路に土佐丸(3,083gt)就航(4月16日)
7月 青函連絡船取替計画実施に伴う470名の陸上配置転換、完了(7月22日)
8月 東北本線、奥羽本線が水害により不通、空知丸が緊急物資輸送のため函館―川崎間で貨物輸送(1往復)。檜山丸が青森ー函館間でトラック(209台)輸送(9往復)(8月15日)
10月 青函連絡船の十和田丸、終航。貨物船の石狩丸に改造(10月1日)
11月 青函航路に十和田丸(8,335gt)就航(11月1日)
宮島航路で自動車航送回数券の発売開始(11月11日)
12月 宇高連絡船の瀬戸丸、廃船(12月26日)
宇高連絡船の船客掛の給仕衣を廃止、制服着用実施(12月28日)

1967年

3月 宇高航路の航路標識を海上保安庁に移管(3月31日)
仁堀航路の重岩灯台を第6管区海上保安本部に移管(3月31日)
5月 青函航路に貨物船の石狩丸(元十和田丸)就航(5月6日)
6月 青函航路、自動車航送開始(1日2往復)(6月1日)
7月 青函航路開始60周年記念式典(函館)(7月1日)
9月 室蘭本線の豊浦―洞爺間、落石事故により不通、青森―室蘭間で檜山丸、空知丸による貨物輸送(9月27日から10月20日まで)
宇高連絡船の眉山丸、廃船(9月30日)
10月 宇高航路に阿波丸(3,083gt)就航(10月1日)

1968年

2月 北海道支社の船舶課廃止(2月1日)
5月 十勝沖地震で、函館岸壁、青森岸壁、可動橋に損害(5月16日)
7月 宇高連絡船の鷲羽丸、廃船(7月17日)
8月 青函航路開設以来の旅客輸送人員の記録、下り1日当り14,895名、上り1日当り15,785名。

1969年

9月 青函連絡船の日高丸、終航(9月20日)
10月 青函航路に貨物船の渡島丸(4,075gt)就航(10月1日)
11月 青函連絡船の全ての客貨船に船舶公衆電話、設置(11月1日)

1970年

3月 青函連絡船の十勝丸、終航(3月31日)
4月 青函航路に貨物船の日高丸(4,089gt)就航(4月5日)
6月 青函航路に貨物船の十勝丸(4,091gt)就航(6月30日)
7月 本州四国連絡橋公団、設立(7月1日)
8月 青函航路の旅客輸送人員記録更新、下り1日当り17,834名、上り1日当り15,254名(8月2日)
10月 青函航路、客貨船に旅客用カラーテレビ、設置(10月6日)
青函連絡船の十勝丸、航行中に機関室より火災(10月26日)
12月 青函連絡船の松前丸にシャワー、設置。以後、全ての客貨船に順次設置(12月26日)

1971年

2月 青函連絡船の全ての客貨船に自動記念メダル刻印機、設置(2月11日)
3月 昭和45年度(1970年)の青函連絡船の旅客輸送人員が15年ぶりに前年を下回る(3月31日)
7月 青函連絡船の自動車航送の記録更新、1日当り180台(7月28日)
8月 青函連絡船の旅客輸送人員の記録更新、下り1日当り18,052名(8月1日)
ドル・ショック(8月15日)
11月 青函トンネル本工事起工式(11月14日)

1972年

1月 大雪丸、札幌冬季オリンピックの聖火を輸送(1月20日)
札幌オリンピック(2月3日)
2月 青函航路28運航実施(2月15日)
4月 青函連絡船全船でストライキ、上り125本、下り125本運休(4月25日から27日)
沖縄日本復帰(5月15日)
7月 青函連絡船の自動車輸送が10往復となる。積載台数を8台から12台に。自動車航送専用待合室、設置(7月1日)
10月 青函航路、繁忙輸送のため30運航となる(10月6日)
11月 宇高航路にエアクッション艇、かもめ(22.8gt)就航、宇野―高松間を23分、連絡船急行料金、設定(11月8日)

1973年

6月 青函連絡船の津軽丸、焼山埼沖で機雷らしきものを発見、夜間運休(6月10日)
8月 青函連絡船の輸送人員の記録更新、上り1日当り19,080名(8月5日)
9月 昭和47年度国鉄監査報告書発表(1972年)、累積赤字1兆円を超過(9月1日)
第一次石油危機(オイル・ショック)(10月)
11月 関門橋、開通(11月14日)
総需要抑制政策の一環として、本州四国連絡橋着工延期指示(11月20日)
12月 青函連絡船の普通船室の枕の備え付け中止(12月9日)
青函連絡船の旅客定員を通年1330名とする(12月28日)

1974年

4月 青函航路の大雪丸、荒天航行中に右舷アンカー・リセス部に破口が生じ、浸水(4月1日)
5月 青函航路、貨物船3隻の新造決定(5月21日)
7月 宇高航路に讃岐丸(3,088gt)就航(7月20日)
8月 青函航路の旅客輸送人員、下り1日当り18,374名(8月4日)
青函連絡船の全ての連絡船にビデオ・テープ・レコーダー設置(8月6日)

1975年

8月 台風6号により函館本線、室蘭本線が不通、摩周丸、十和田丸により青森―函館―室蘭間で旅客代行輸送(計15,583名)(8月27日)
12月 大三島橋、起工式(12月21日)

1976年

2月 青函連絡船の空知丸、終航(2月27日)
4月 青函航路に貨物船の空知丸(4,124gt)就航(4月5日)
7月 青函連絡船の檜山丸、終航(7月1日)
大鳴門橋、起工式(7月2日)
大島航路、大島大橋の開通により、廃止(7月4日)
8月 青函航路に貨物船の檜山丸(4,959gt)就航(8月5日)

1977年

1月 因島大橋、起工式(1月9日)
2月 青函航路、船内食堂に食券自動販売機を設置(2月24日)
3月 青函航路70周年記念式典(函館)、連絡船シンボルマーク披露(3月7日)
青函連絡船の石狩丸、終航(3月18日)
5月 青函航路に貨物船の石狩丸(4,966gt)就航(5月6日)
6月 青函航路の船舶局開設20周年(6月1日)
7月 青函航路開設70周年記念式典(函館)(7月1日)
青函連絡船の全ての客貨船にシンボルマークのスタンプを備え付ける(7月7日)

1978年

2月 青函航路、グリーン船室に喫茶室「サロン海峡」を新設、グリーン売店をロビーに改造、普通席に娯楽室を設置(2月9日)
10月 青函航路、渡島丸を函館どっく岸壁に係船(10月1日)
児島・坂出ルート、起工式(10月10日)

1979年

5月 大三島橋、開通式(5月12日)
11月 青函連絡船、60万キロ航海達成(11月21日)

1981年

3月 伯方・大島大橋、起工式(3月21日)
4月 宇高航路にエアクッション艇、とびうお就航(4月22日)
9月 運輸省、青函トンネル開業予定(1985年)時に青函連絡船の客貨船全廃の方針を発表(9月26日)

1982年

3月 青函航路の津軽丸、終航(3月4日)
4月 青函航路の石狩丸、改造客貨船として就航(4月1日)
6月 仁堀航路、廃止(6月30日)
10月 青函航路の檜山丸、改造客貨船として就航(10月1日)
11月 青函航路の松前丸、終航(11月12日)

1983年

3月 青函連絡船の津軽丸、売却され、函館より北朝鮮の元山(ウォンサン)に出発(3月25日)
12月 因島大橋、開通式(12月3日)

1984年

1月 青函連絡船の渡島丸、日高丸、十勝丸、終航(1月31日)
2月 有川桟橋廃止(2月1日)
3月 青函航路の摩周丸、航海中に出火、乗組員3名死亡(3月3日)
5月 青函連絡船の松前丸、売却され、函館より北朝鮮の元山(ウォンサン)に出発(5月25日)

1985年

3月 青函トンネル本坑開通(3月10日)
6月 大鳴門橋、開通式(6月8日)
7月 国鉄再建監理委員会の最終答申。国鉄を民営6分割し、青函連絡船はJR北海道の経営とし、青函トンネル開通後、廃止とする(7月26日)
プラザ合意(9月22日)
10月 日本政府、国鉄再建監理委員会の答申を基本的に受け入れることを決定(10月11日)

1986年

4月 明石海峡大橋、起工式(4月26日)
8月 青函航路、北海タイムス社主催で十和田丸を使い、8日間の北海道・北方四島一周観光を行う(8月11日)
10月 青函連絡船、70万キロ航海達成(10月7日)
12月 日本国有鉄道改革法公布(12月4日)

1987年

4月 青函航路は北海道旅客鉄道会社、宇高航路は四国旅客鉄道会社、宮島航路は西日本旅客鉄道会社が承継(4月1日)
北海道旅客鉄道会社会長、東条猛猪、青函連絡船全廃を表明(4月24日)

1988年(昭和63年)

1月 大雪丸、終航(1月6日)
3月 青函トンネルを含む津軽海峡線開業、青函連絡船定時運航終了(3月13日)
4月 瀬戸大橋を含む本四備讃線開業、宇高連絡船高速艇運航開始、ホーバー・普通便廃止(4月10日)
9月 青函連絡船、青森―函館間、廃止(9月19日)

Information

阪田貞之編「連絡船物語 その風雪90年」(日本海事広報協会、1970年)、坂本幸四郎「青函連絡船ものがたり」(朝日新聞社、1987年)、大久保邦彦・三宅俊彦・曽根英夫編「鉄道運輸年表(最新版)」(JTB、1999年「旅」1月号別冊付録)、古川達郎「鉄道連絡船100年の航跡(ニ訂版)」(成山堂、2001年)、同「鉄道連絡船のその後」(成山堂、2002年)等を参考にしています。