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ウイリアム H.ミラー, Jr.「遠洋定期船写真百科、1860年―1994年」

 本書は、1万5,000総トン以上の、世界の偉大な遠洋定期船に関する、基本的事実と数字を掲載した参考図書とすることを企図したも のである。1冊の本に全てを掲載した最初のものである。アルファベット順に掲載し、この壮大な行進はAdriaticから始まり、 Zenithで終わっている。船舶は、それぞれ元の船名の下に本文を載せている。その後の船名は、船名別名索引で見つけることができるよ うにしている。

 それぞれの船には、最初の建造時か、その後の考慮に値する改装時の写真を掲載している。船の中には、貨物船として生まれ、その後、旅 客運航に参入したものもある。1本、2本煙突の船がある一方で、大変に興味を覚え目を引く壮大な3本、4本煙突の船もある。唯一変わって いたGreat Easternは、他の船よりも多く、何と5本煙突だったのである!皮肉なことに、第一次世界大戦前の旅客の中では最も利益となった北大西洋の移民達は、煙突の数が多いと 安全であると考えていた。そこでTitanicのような4本煙突の船が、当時は最も安全な船であると考えられていたのである。また写真 は、遠洋定期船の意匠の変遷を気づかせてくれて興味深い。例えば1902年に建造された2本煙突・4本マストのCedricが、1986 年のCelebrationになると、鋭い船首、大変に丸い船体、四角い船尾、そして2つの羽根が放射状に広がった1本の傾斜した煙突を 持つ、全てが白のクルーズ船になっているのである。昔のCedricの2本のパイプ状の煙突とは、何という違いだろう!

 それぞれの船には、1ヶ所に適切な事実を挙げた情報が纏められている。すなわち、造船所、建造年、総トン数、大きさ、機関および軸 数、巡航速力、旅客定員、そして等級別乗客数である。注記事項には、船主の名前、特記事項、戦時運航、そして結末を掲げた。こうしたペー ジに掲載されている初期の造船所は、倒産しているか、長らく遠洋定期船の建造を休止しているものが多い。初期の船の大半は英国の造船所で 建造され、とりわけベルファストのHarland & Wolffの工場であった。しかし過去25年以上は、フィンランドの、特にWartsila(現在のKvaerner Masa)造船所が、大変に多くのクルーズ船を建造している。今日では、史上最大の旅客船を含む大変な数を受注しているのは、イタリアとなっている。フィンランドと並ん で、フランス、ドイツも、大型定期船を生産し続けている。

 掲載している総トン数は、通常、竣工時のものである。83,673トンの1940年のQueen Elizabethは、世界最大の定期船の記録を保持しており、これは決して破られないかのようであった。しかしCarnival Cruise LinesとPrincess Cruises (P&O)は、1997年にそれぞれ10万トンの旅客船を加えることとなる。Carnivalが2番船を建造する一方、ある別のクルーズ会社は125,000トン の船を計画中であると報じられている。250,000トンのWorld City(初期の名称はPhoenixで、全長1246フィートで旅客を5200人収容)の計画は始まってはいるが、少なくとも10億ドルの値札がついており、不確実なま まである(注、その後中止)。

 長さ(注、全長か垂線間長かは不明)は概数であり、遠洋定期船について皆が使用している一般的な数字である。最新の船は10万トンを 越えるものであっても、その祖先のあるものと同じ長さではない。そこで1035フィートのNorway(以前の1961年建造の France)が全時代を通じて最長の定期船の地位を保つこととなるだろう(注、2004年に1,131フィートのQueen Mary 2が就航)。

 機関に関しては、汽船の時代は終わっている。より効率の良い、燃費のかからないディーゼルが、過去4半世紀のほとんどすべてのクルー ズ船で使用されている。最期の偉大なる汽船、1969年のQueen Elizabeth 2でさえも、1980年代中葉にディーゼル・エレクトリック運転に改造している。しかし20世紀になった頃の初期においては、3段又は4段膨張式往復蒸気機関が船の動力で あり、その後、蒸気タービンとなっている。大型定期船にディーゼルが初めて登場したのは、1920年代である。別の点では、旅客船設計者 と船主は2軸、すなわち2つのプロペラ(=暗車)で満足しており、(オランダのOrazjeのように)3軸を選択したものは殆どなかっ た。最強の船は4軸であった(最初はMauretania、Queen Mary、Queen Elizabeth)。最近では、殆どの船が2軸を採用している。

 巡航速力は高速化して来たが、1950年代後半までに北大西洋を最初の商用旅客ジェット機が飛ぶようになると、速力はもはやそれほど の意味を持たないものとなった。United Statesは、最後のBlue Ribbonの優勝者であり、ニューヨークとイングランド間を36.5ノットで、3日と半日で横断という究極の記録を獲得した。通常は33ノットであったが、1952年の 試験航海において、数時間に亘り43ノットという度肝を抜く速力を実際に出していた。これらの記録は決して抜かれることはないだろう (注、高速フェリーのHoverspeed Great Britainが1990年にオーストラリアからの回航時に記録を更新している)。ここには他のBlue Ribbon優勝者の全てを掲載している(注、全てではない)。例えばKaiser Wilhelm der Grosse、初代Mauretania、Bremen、Rex、Normandie、Queen Maryといった船である。

 旅客定員は、特に古い船においては、しばしば驚く程のものである。この数字も長い年月の間に変遷している。ドイツの52,000トン の1913年のImperatorは、4594人もの乗客を乗せた(更に船員が1200人であった)。別のドイツ船1907年の Presidet Grantは、18,000トンの船体に3830人も乗せた。クルーズ時代に先立つ1970年代初期においては、殆どすべての旅客船は等級別の船室を有していた。すなわ ち、高級な上甲板の1等、広くなく簡素な船室の2等、そして安い下甲板のツーリスト、3等である(4等、あるいは率直にも最下級船室を有 する船もあった)。最近の大型定期船は、初期の船と一般に同等の大きさを有し、それに匹敵するかのようである。例えば81,000トンの Queen Mary(1936年)は2139人の乗客を(3つの等級に分けて)収容したが、70,000トンのCrown Princess(1990年)は全て1等で最大1900人収容できる。歴史的には、Maryは戦時中の1943年に1隻で16,683人の兵士を乗せて横断するという、 史上最大の人数を輸送している。

 長年の間に、船主も同様に変遷している。第一次世界大戦以前は、英国とドイツがCunard、White Star、Hamburg-America、North German Lloydといった会社で旅客船事業を支配していた。アメリカ、イタリア、フランス、オランダが発展するのは後のことである。今日、これは変わり、入り混じっている。ノル ウェー人が現代のクルーズ船を最も多く保有している(注、1994年当時)。3大旅客船会社は、Carnival Cruise Lines、Royal Caribbean Cruise Lines、Prinecss Cruisesである(注、1994年当時)。マイアミに本拠を置くCarnivalは、24隻の船舶(Carnivalが保有するHolland-America Lineの船隊も含む)に「便宜置籍」(リベリア、パナマ、バハマ等)を広く受け容れている。オスロの所有する(注、1994年当 時)Royal Caribbeanもマイアミに本拠を置き、ノルウェー船籍と「便宜置籍」の組合せで利用している。そして最後に、ロサンゼルスのPrincess Cruisesは、英国の歴史あるP&Oを保有している(注、1994年当時)。ここでも英国船籍、イタリア船籍、そして便宜置 籍の組合せを利用している。

 表記において、歴史的に関心のある重要な事項も掲載している。船歴の大変に短いもの(例えば1917年のStatendamは僅か 15ヶ月間の運航)もあれば、極めて長いものもある(1932年建造のギリシャのBritanisは未だに運航)。 Stocknolm(1938年)とVaterland(1940年)は、実際に就航することはなかったが、ここに含めている。戦時運航 は、船名と船主、航路の変更を記している。修理、大改造、改装、更に「延長工事」さえも含めている。また結末には、お決まりの解体所の 他、戦時の攻撃、火災、沈没、衝突等を挙げている。TitanicとLusitaniaの悲劇は、恐らく一般大衆が最も興味を引く悲劇で ある。また豪華なNormandieの火災とその後の転覆も、興味深いものである。ドイツのWilhelm Gustloffもそうである。殆ど知られてはいないが、1945年に沈没し、5200人以上も亡くなったものであり、全時代を通じて最悪の海難となっている。他のものは 静かに生涯を終えている。もっとも、ありそうもないような役割を果たしているものもある。例えばQueen Maryは博物館兼ホテルとなり、1926年のドイツのHamburgは捕鯨船となり、英国のAmazonは日本の自動車運搬船となったのである。

 本書は適切な時代に登場したものである。すなわち、かってなく多くの人々が船で旅をするようになっている(1994年には250万人 近い)(注、これはクルーズ船客のみの人数)。24隻以上の新しいクルーズ船が建造中であるか、真剣に計画中である。新しいクルーズ客船 会社も設立されている。来世紀に向け、新しい、しばしば大型の、恐らくはより革新的な、過激でさえある旅客船が、「人類によって創造され た最も素晴らしい乗り物」の目録に加わって行くことであろう。

ビル・ミラー ニュージャージー州セコカス

1995年冬

Information

本書は、遠洋定期船全般に亘る写真資料集です(文章は殆どない)。最初に手に取るべき入門書として最適です。