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クルーズ業界概観

ダグラス・ワード

 1885年、Shetland Journalの創刊号に面白い広告が掲載された。表題には「旅行者の皆さんへ」とあり、スコットランドのストームネスからアイスランドとフェロー諸島を周る想像上のク ルーズが提案されており、冬にスペインの陽光の下でクルーズを楽しむことが暗示されていた。この雑誌の創刊者Arthur Andersonは、このことからクルーズの概念の発明者であると言われている。ちょうど2年後、Andersonは共同経営者のBrodie Wilcoxと共に、偉大なるPeninsular Steam Navigation Company(後のP&O)を設立した。

 そのすぐ後の1840年7月4日に、Samuel Cunardは、蒸気船のBritanniaを使って世界で最も危険な海である北大西洋を横切るリバプール、ハリファックス間の大西洋横断航海を開始した。それから毎年 Cunardの船舶は、新旧両世界間を結ぶ大陸間定期運航をした。

 レジャーのための航海はすぐに始まった。William Makepeace ThackerayやCharles Dickensのような作家が航海を楽しむために乗船して観光事業を思いつき、この考えを広く推し進めた。確かに1842年にCunardの船に乗船して大陸間を横断した Dickensの書いたものや、当時のP&Oの船でコーンヒルからカイロまで乗船したThackerayによる1844年の伝説 的な航海の記録は、面白い読み物である。1843年にロンドンから黒海に旅したP&OのTagusは、1869年に出版された Mark Twainの「The Innocents Abroad」の舞台であった。

 1920年代には、クルーズは世界で最もよく行われているものとなった。とても贅沢なやり方は上流階級のものとされ、そしてそれは未 だにクルーズの概念の底辺に横たわっているものである。船はどこからでもどこへでも連れていってくれ、食事を提供し、部屋を提供し、リ ラックスさせ、楽しませてくれた。また、召使に食事の用意をさせたければ、もちろん同行したのだった。

最初の酒盛りクルーズ

 米国人向けのクルーズは、1930年代の禁酒法に多いに助けられた。数マイルも沖に出れば、思う存分酒を飲むことができたからだ。 ニューヨークから出ていた3日から4日間の安価な「酒盛りクルーズ」は、「ジンで浴槽を満たす」には好都合だった。その後、アルコールば かりではなく、目的地のある短距離クルーズが始まった。短距離クルーズは、当時の汽船会社の主たる収入源の一つとなっていった。

 1930年代、英国、フランス、ドイツ、米国は、空前絶後の豪華で優雅で魅力的で快適な定期船を建造し、世界の巨大クルーズ会社間の 戦いは熾烈を極めた。それぞれの国は最も大きく、そして最高の船を生み出すために競争した。当時、品質はどういう訳か煙突と関係があっ た。つまり船はより良い煙突を持つようになっていったのだった。速力は、とりわけ大陸間では常に品質の要素であり続けたが、今や国家の威 信をかけたものになっていった。

 第二次世界大戦後、米国からのクルーズに特化して設計された最初の船は、Ocean Monarch(Furness Withy & Company Ltd)であり、米国意匠協会(US Academy of Designing)から「傑出した美しさと非凡なクルーズ船の意匠」として金賞を受けたものである。1951年には、ニューヨークからバミューダに処女航海が行われた。 私は短期間、その船に乗船して働いていたことがある。

 全時代を通じて最も有名なクルーズ定期船の一つは、CunardのCaronia(34,183トン)であり、1948年に就航し た。この船は夏季の繁忙期にのみ大陸間での運航に従事するために設計・建造されたもので、残りの季節は長距離の高価なクルーズをして過ご した。前例の無い特徴の一つが、1本の巨大なマストと、当時最大の1本の煙突であった。船体は4種の緑色に塗装され、恐らくは断熱効果と 識別を容易にするためであった。「緑色の女神(Green Goddess)」として知られ、全ての船室に隣接した浴室を設けて本物の贅沢を提供した最初の船であった。

現代のクルーズの誕生

 1958年6月、大西洋間に最初の商用ジェット旅客機が飛び、それを契機に永久に大陸間の旅行業のあり方が変わってしまった。それは 北大西洋を空路よりも海路で行く乗客が多かった最後の年でもあった。1960年代の初期、旅客海運業界の名簿には、100社を超える客船 会社が掲載されていたものだった。1960年代中葉、大西洋横断は航空機よりも船で行く方が安かったが、ジェット機の登場で急速に変わ り、とりわけ1970年代のジャンボ・ジェットの導入で変わった。1962年には100万人以上の人が北大西洋を船で横断したものだが、 1970年にはその人数が25万人にまで落ち込んだのだった。

 ジャンボ・ジェットの成功により、赤字垂れ流しで仕事のなくなった定期客船は、スクラップの山となる運命となった。毎週大陸間を定期 運航して知られていたあの有名で大きな「Queens」でさえ危険な状態となり、Cunard White Star LineのQueen Mary(80,774トン)は、1967年9月に引退した。姉妹船のQueen Elizabeth(83,673トン)は、1996年まで世界で一番大きな旅客定期船だったが、1968年10月に最終横断航海をしたのだった(私はこの偉大な船の最後 の航海に乗組んでいた。)。

 大陸横断の海運会社は老朽船を使う新たな道を模索していたが、ジェット機の急速な成長の中で生き残ったものは殆どなかった。船舶は売 却されてバラバラにされた。多くの客船会社は倒産し、船はスクラップとなった。生き残ったものは、大陸横断と共に陽光を求めて南に航海を することを試みたものだった。そうした中で、カリブ海(バハマを含む)は、脚光を浴びるようになり、クルーズがその代用として行われるよ うになった。そしてクルーズ専用の新船を保有する全く新しい産業が生まれたのだった。

 その後、開発中だったカリブ海(当時、カリブ海に行く観光客のための商用航空会社はなく、ホテルも殆どなかった)の島嶼の小さな港湾 で使用できるより小型で専用に作られた船が現れ、同一の等級で十分な数の乗客を輸送するために建造された。

 南部から例えばニューヨークのような北部の港湾に長距離のクルーズをするのとは対照的に、会社はフロリダに本店を置いた。このこと は、冷涼な気候や荒れた海、北部の港湾を使用することによる出費を避けたばかりではなく、カリブ海への短距離運航で燃費を節約するもので もあった。クルーズは復活したのだった。カリフォルニアはメキシカン・リビエラへのクルーズの本拠地となり、カナダ西海岸のバンクーバー は、アラスカへの夏季クルーズの中心地となった。

 港湾で乗船するため飛行機で来る客は、当然のことながらその次の段階であった。すぐにクルーズ客船会社と航空会社とが提携して事業を 始めた。「空路(エアー)・海路(シー)」や「航海(セイル)と滞在(ステイ)」のパッケージ旅行(クルーズとホテル滞在を料金に含めた もの)は成長した。クルーズは旅行業の一部となり、船とホテルが快適さと安らぎを提供し、飛行機が短時間のアクセスを可能にした。老朽船 の何隻かが、現れ始めたクルーズ客船会社に買われて温暖な気候の下でクルーズ運航をすべく改装され、しばしば内部も改装され修復された。 かくして1970年代の終わりには、クルーズ産業は急成長した。

今日のクルーズ

 今日のクルーズの概念は、進歩し洗練され拡大し、消費し易いようにパッケージにされるようになったとはいえ、初期の頃とそれほど変 わってはいない。もはや裕福な引退した人達の領域なのではなく、今日のクルーズ産業は、明るく活き活きとしたあらゆる年代の、あらゆる社 会経済的環境にある乗客を扱っている。クルーズはもはや海運業なのではなく、接客業(hospitality industry)なのだ(もっともあるクルーズ船の乗組員は、敵対的産業(hostility industry)で働いていると思っているようだが…。)。

 新船は過去のものに比べ一般に大型化している。しかし船室の広さは、劇場や公室の空間に取られて、「標準的なもの」となってしまって いる。今日の船は、温度を保ち湿気を除去するエアコン、船を水平に保つスタビライザー、保守・安全性・衛生の高い水準、そして健康がより 強調され、フィットネス設備などを自慢としている。

 クルーズ船の意匠は、以前の伝統的・古典的な丸みのある輪郭から、今日では四角に切り落とされた艫を持つ、極端に箱型の形状となり、 上部構造がそびえたっている。船舶愛好家はこうした意匠の変化を嘆いてはいるが、出来るだけ空間を作り出すためにそういう結果となってし まったのだ(見た目は美的ではないとしても、丸いものよりは四角いものの方に多くのものを詰め込むことができるということ。)。後述の機 能から、船は海の輸送機関ではなく、洋上の休暇を過ごすリゾートに変化してしまっている。

 船は長らく、快適に食事や安らぎを与えてきたが(「ゆっくり旅をすれば早くのんびり出来る」という格言を広げてきた)、今日の船は以 前と比べて、より活動的で、より教育的で、人生を豊かにするものとなっている。そしてクルーズで行けるところが増えている。南極からアカ プルコ、バミューダからベルゲン、ダカールからドミニカ、上海からセント・トーマス島、あるいはお好みならばどこへでも行けるのである。

 クルーズ産業は世界で150億ドルの事業となっており、成長している。多くの雇用を直接的に産み出し(船上には上級船員、職員、下級 船員が6万人以上おり、クルーズ客船会社の事務所には約1万5000人の従業員がいる。)、間接的にも産み出している(食料品や機械、電 器部品の納入業者、港湾の代理店、運輸会社、目的地、航空会社、鉄道会社、ホテル、レンタカー業者など。)。

 1999年には、世界で900万人以上の人がクルーズやパッケージ旅行に出かけ、クルーズはクルーズ客船会社により旅行業者を通じて 販売された。最も最近(1999年)の外航クルーズに参加した国別の乗客の統計は、以下の通りとなっている(数字はMaritime Evaluations Groupの調べによる。)。

 米国:6,250,000人/英国:746,000人/アジア(日本を除く):800,000人/ドイツ:283,000人/カナ ダ:250,000人/イタリア:250,000人/オーストラリア:250,000人/日本:200,000人/フラン ス:223,000人/他のヨーロッパ:120,000人/キプロス:75,000人/貨物船の旅行者:3,000人/合 計:9,400,000人。

現代のクルーズ船の建造

 他のタイプの船以上に、クルーズ船は、おとぎの国のような異国風の想像力で満たされるようなものでなければならない。こうした空想を 海事法令や安全規制に反することなく鋼を曲げて船にするのが、造船所の仕事である。予算の範囲でなければならないことは、言うまでもな い。

 完璧なクルーズ船というものは存在しないが、船主の夢や概念を、船というものに具体化するのが、コンサルタント、インテリア・デザイ ナー、多くの専門の納入業者と共に、造船技士や造船所の仕事である。船側の経営陣や運航部の職員は、現実よりも理想を追うデザイナーにし ばしばイライラさせられるものだが、コンピュータはこうした複雑な手続きを単純にした。船舶というものは、理想と、空間や財政との妥協の 産物であり、それは船の特別の区画やサービスの状態を考慮することで解決されている。

 かって船は竜骨(キール)を横たえる巨大な造船台で建造されてきたものだった。今日、船は巨大なブロック毎に建造され、その後、結合 させることにより組み立てられる(大型船では50以上のブロックからなる。)。このブロックは造船所で建造されないこともあるが、組み立 ては造船所で行われている。

 以前は、旅客の空間は、船体の空いたところに押し込められてきたものだった。今日では、コンピュータが船の設計では大きな役割を果た しており、1950年代には4年や5年かかっていた新船の建造を、2年で行うことを可能にしている。

 客室や娯楽区画の騒音や振動の最大水準は、船主と造船所のと間の契約で定められている。船を建造し進水してから、所定の計器を用いて 振動試験が行われる。これにより騒音や振動の原因、すなわち船のプロペラや主機関を分析することになる。

 今日、便所や配管工事が終った浴室の付いたプレハブ式の船室は、使用されている。甲板の主要な鉄骨が部品を取りつけて準備ができる と、船室の部分が甲板に取り付けられていき、動力や配管設備が連結される。すべてのくずと力が連結され、お湯と水のバルブが一つになって 浴室の洗い場が整えられ、やがて船室は外の廊下から保守点検のために入って行けるようになる。

クルーズの明日

 船の意匠については、今日、次の二つの道があるものと考えられている。すなわち大型船と小型船だ。

 大型船は、「割合の経済性」から、運航事業者は乗客一人当たりの費用を引き下げることができる。3社(Carnival Criuse Lines、Princess Cruises、Royal Caribbean International)が、「大きいことは良いことだ」という原則を追求して、10万トンを超え、3000人以上の乗客を収容する船を保有している。しかしこれらの 船は、パナマ運河を通過するには幅があり過ぎ(非パナマックス型)、カリブ海に限定されている。

 小型船は、「小さいことは高級だ」という概念を確固とした立場とし、とりわけ豪華な範疇に属する。クルーズ客船会社は、収容人員を押 さえて各人に高い品質のサービスを提供できる高級品質の船を提供している。

 その他のクルーズ客船会社には、その保有船舶を「延長」して拡大したところがある。これは文字通り船を真っ二つにして、新たに組み立 てた中間部を挿入して成し遂げたものであり、喫水は同じままで客室や公室を加え、即席に収容人員を増やしたものである。「延長」船には次 のものがある。Black Watch (旧Royal Viking Star)、Carousel (旧Nordic Prince)、Costa Classica、Hyundai Kumgang (旧Royal Viking Sky)、Norwegian Dream (旧Dreamward)、Norwegian Majesty (旧Royal Majesty)、Norwegian Star (旧Royal Viking Sea)、Norwegian Wind(旧Wibdward)、Sundream (旧Song of Norway)、そしてWesterdam(旧Homeric)だ。

 将来のクルーズ船の意匠の進む道が何であれ、船はますます環境に優しいものになっていくだろう。アラスカや南太平洋のような環境問題 に敏感な地域では、とりわけ懸念が増大しており、環境汚染をしないような船が建造されている。

 クルーズ産業は早くから「廃棄物ゼロ」に取り組んできた。すなわちいかなるときも世界の海で何も廃棄しないということである。老朽船 は時代遅れの設備のために廃棄物ゼロを達成することは難しいが、最新の船では達成は容易な目標だろう。

8大クルーズ客船会社

 すべての8大クルーズ客船会社に当てはまることがある。それは(概して7日間の)良くパッケージされたクルーズで、面白い旅行日程や 豊富な食事、合理的なサービス、良い娯楽の選択、(多くは技術的な効果や素晴らしい照明を用いた)プロダクション・ショーが含まれてい る。船には大きなカジノやショッピング・モール、広いスパ、フィットネス設備も用意されている。多くの場合、クルーズ料金の他に、港湾 税、保険料、職員への心付けや、多くの追加のものを支払うことが要求されている。

 クルーズ客船会社は、設備、広さ、食事、呼び物とするサービスに違いがあり、クルーズのサービスの実現において微妙に異なっている。 なお本書の刊行後に、サービス内容の変更や向上、あるいは悪化があり得るということを注意して欲しい。

Carnival Cruise Lines

 1999年に1,800,000人の乗客を輸送した。ここは世界で最も大きく、そして最も成功したクルーズ客船会社である。大量の陽 気な音楽や、大人の夏のキャンプようなところでよく見かける乗客参加のゲームなど、若い心を持った人達のためのクルーズに特化している。 潜在的に堕落したような者も一部に見受けられるが、それにも拘らず、この会社のテーマである「愉快な(ファン)」行事が好きな乗客に、大 変好まれている。すべての船は信じられないくらいに想像力に富んで多色を用いており、大変に陽気な装飾を施している(それぞれの船には独 自の装飾テーマがある。)。

 Carnivalは自社を「上級市場対象」のクルーズ客船会社として売り込もうとはしていない。そのパンフレットで言っていることを 正確に提供しており、クルーズ初心者を大量に産み出している。最新のハイテク娯楽設備と特色を持った洒落た新船で、よくパッケージされた クルーズ休暇を提供している。寄港地観光は、船室内の(「ファン・ビジョン」)テレビ・システムにより予約する(寄港地観光窓口はなく、 それ故、誰も質問には答えてくれない。)。殆ど同型の大型船で、この会社は殆どノン・ストップの催物を行う良い仕事をしている。もし(甲 板で)プラスチックのグラスで飲物を飲み、当り前のハンバーガーやホットドッグ、豊富なファースト・フード(簡易料理)でも構わないのな らば、この会社は殆ど休みなくそれらのものを提供していると言えるだろう(ピザは1日24時間入手可能だ。)。この会社は、優れた子供向 けプログラムの他(若い家族連れに理想的)、優れた「まぶしくてうるさい」プロダクション・ショーや、多くの夜の選択可能な娯楽をパー ティ好きの人々に提供している。

 船隊のすべての船室は、かなり良い広さだ。Carnivalは四六時中、愉快にさせてくれるが、しかしあまり知られていないクルーズ 客船会社で知ったかもしれない手際の良さや細やかな心遣いは期待できない。乗船客の苦情の主たるものは乗船時と下船時(港側の職員)であ り、大勢の保安要員が乗船していることもあげられる(同様の苦情は、Royal Caribbean Internationalにもある。)。

 この会社は過去数年間に劇的に成長を遂げており、サービスを十分に向上させている。1996年、とりわけクルーズが楽しいものかどう か分からない初めての乗船客(クルーズを止める乗客は殆どいないが)のために、「休暇保障」プログラムを導入して成功している(業界にお けるその種の最初のもの)。

Celebrity Cruises

 Celebrity Cruisesは、その料理、とりわけ食堂における給仕で傑出した評判を確立してきた。すべての料理は様々な食材が使われており、事前に包装されて箱詰めにされたものや、 予め調理したものなどは一切使われていない。正に賞賛に値するものであり、他の8大グループとの違いである。メイン・ディッシュに添えら れるソースは、とりわけ素晴らしい。このように料理の味の水準が高く、それは今日の大型の標準的な市場を対象にした船ではしばしば欠けて いるものである。ウェイター(多くは東欧諸国の出身だが)は大変良く訓練されており、概して意思疎通に問題はない。食堂の椅子は肘掛けが ないが(あればもっと快適になるだろう)、いくつかの2人用のテーブルがある。

 この会社が高品質のクルーズ体験を提供できるもう一つの理由は、他の船会社の船の大きさや乗客数に比べ、遥かに多くの職員を乗船させて いることにある。このことは、とりわけベッド・メイクや食事、飲料の部門で顕著であり、乗客に最高のサービスを提供している。船隊の最新 船にある美術品もため息の出るようなもので、今日のクルーズ産業において、おそらく最も印象的な現代美術のコレクションだと言えるだろ う。

 現在6隻ある船隊のうち、2隻の船(Horizon と Zenith)にはチーク張りの船を1周できる遊歩甲板がある。Century、Galaxy、Millennium、Mercuryには付いていない。船は常に染み一つ なく清潔で、常に掃除機がかけられ、休みなく磨かれている。Celebrity Cruisesの船の(乗客一人当たりの)清掃、サービス部門の職員は、他の8大クルーズ客船会社と比べて一番多いだろう。実際、他の8大クルーズ客船会社よりも、乗客一 人当たりの職員数は一番多い。

 新しい所有者、Royal Caribbean International の下で、確立された高水準が維持されるかどうかが、やがて明らかになる。しかし現在のところ、8大クルーズ客船会社の中では、Star Cruisesと並んで、食事とサービスの最高の水準を維持している。

Costa Cruises

 1999年に361,000人の乗客を輸送した。この会社はヨーロッパ人(あるいはヨーロッパ風が好みの乗客)向けのクルーズに特化 しており、とりわけイタリア人を対象にしている。船は、内装やサービスの仕方において明確にヨーロッパを感じさせるものであり、とても後 ろ向きのものだと言える。

 食事は全く標準的なホテルの宴会料理であり、失望させるようなものであって心に残るようなものではない。サービスも同様で陳列品は殆 どなく、手際の良さもない(船内のどこでもイタリア人のウェイターを探すのは大変だが、会社は既にこうしたことを知っているだろう。)。 しかしこの会社は、いつも人気のあるおいしいイタリアのパスタ料理を提供しており、フォーマル・ナイトには蝋燭の明りの灯る夕食が摂れ る。しかしワイン・ウェイター(ソムリエ)がいないのだ!セルフ・サービスのバイキング料理は、とりわけ不味いもので、8大クルーズ客船 会社の中で最悪のものかどうかは議論の余地があるところだ。

 船室は広さにおいて貧弱なものだが、しかし内装は新鮮で陽気だ。そして浴室は大変実用的なユニットになっている(引き戸が付いている 船もあり、浴室の広さを確保するには素晴らしいものだろう。)。

 良いものといえば、様々な公室やラウンジ、バーであり、その多くはかなり寛げる空間を提供している。娯楽やショーは、船隊の殆どどん な船でも見かける各国からの乗客に合わせられている。Costa Cruisesは、すべての船に礼拝堂がある唯一の会社で、毎日ローマ・カトリックのミサが執り行われている。Costa Cruiesの親会社、Carnival Corporationが、1997年にこの会社を買収した。

Holland America Line

 1999年に410,000人の乗客を輸送した。多くの他のクルーズ客船会社が、人工芝やその他の敷物を使っているのに対して、この クルーズ客船会社は、チーク張りの屋外の遊歩甲板をその特色としている。船は大変に清潔で、よく手入れがなされている。

 料理は心に残るものではないが、まずまずのものだ。しかし近年、料理の質、表現、サービスが大変に標準化されたものとなってきてお り、メニューの豊富さは一見合理的だが、大半が予め包装されたものを使っている。食堂の給仕の仕方は速過ぎるが親しげであり、望まれる水 準からは遥かに遠い意思伝達能力を持つインドネシア人のウェイターがいつも微笑んでいる。しかしこの会社は、船上では一日の何時間かはカ プチーノやエスプレッソ・コーヒー、無料のアイスクリームを提供し、すべてのバーでは熱いオードブルを出している。他の大手クルーズ客船 会社ではしていないか、あるいは追加料金を取っているようだ。

 バイキング形式の料理では、Celebrity CruisesやPrincess Cruisesに比べて(柔らかいので高齢の乗客が好む)缶詰の果物が出されている。しかしCosta CruisesやNorwegian Cruise Lineの船と大体同じ量だろう。

 パンフレットにおいてこの会社が「五星」であると主張している船は、間違いであり人を惑わすものだ。船はとても感じが良く、いくつか のいい、やや取捨選択されたオランダ領東インドや西インド諸島の美術品で、優雅な「気分」にはさせてくれる。優れたものはといえば、社交 ダンスがいつもメニューにあることだ。このことは高齢の乗客には特に喜ばれている。しかし、多くの微笑んでいるだけの職員との意思疎通に はイライラさせられ、乗客の世話(これはHolland America Lineがかってよく分かっていたことだが)は、今では本当に月並みのものとなってしまっている。

 スィートと船室はちょうど良い割合であり、よく配備されている。大変快適であり、またHolland America Lineはいい化粧品セットも用意している。おみやげとしてズック袋が乗客全員に配られるが、これは買物や浜辺に行くときには便利なものだ。

 Carnival Cruise Linesの親会社、Carnival Corporationが、Holland America Lineのすべてを所有している。

Norwegian Cruise Line

 1999年に503,985人の乗客を輸送した。このクルーズ客船会社は、若くて、活動的で、スポーツに関心がある乗客に良いサービ スを提供している。職員の大半はカリブの出身であり、概してヨーロッパ人の職員の比率が高い船にある手際の良さを持ち合わせてはいない。 船室は十分に魅力あるもので機能的だが、最新船では収納室と引出しは大変に制限されたものとなっている。

 食堂の料理は、概して心に残るものではない。しかし堅苦しい食堂で煩わされることよりも「食べて走って」行きたい向きのために、船隊 のすべての船には「居酒屋」があり、安い料金で提供されている。とりわけスポーツ・ファンは、スポーツ・バーが大変印象に残り、これらの 船に乗船したことは若い心を持ったスポーツ・ファンやその熱狂者にとって、忘れられないものとなるだろう。

 娯楽に関しては、プロダクション・ショーは華やかで良く振りつけられたものだが、僅かに軽薄で騒がしく、大変にエネルギッシュなタイ プだ。Norwegian Cruise Lineは、2000年にStar Cruisesに買収された。

Princess Cruises

 1999年に613,085人の乗客を輸送した。「ラブ・ボート」として宣伝してきたにも拘らず、Princess Cruisesでは、Dawn Princess、Grand Princess、Ocean Princess、Sea Princess、Sun Princessの食堂の2人用のテーブルは少ない。

 Princess Cruisesは、かって食堂の食べ物が良いことで知られていた。しかし今日では、全く並みの料理で、全く心に残らないものだ。悲しいことに、もはやワイン・ウェイター (ソムリエ)はいないのだ。テーブル・ウェイターが現在、ワインを給仕するものとされている。しかし、略式の食堂の選択の幅は大変に幅広 いものとなり、とりわけHorizon Courtではそうなっている。

 船室は概して気前が良い割合であり(例外、Dawn Princess、Sea Princess、Sun Princess)、合理的によく設計されている。温もりのある内装で実用的な浴室のある、設備の整った快適なものだ。すべての船にはフィリピン人が乗船しており、その他 の船室係員や最前線のサービス区画にはヨーロッパ人の職員がいる。

 この会社の寄港地観光プログラムは、ここに記した8大会社の中で一番かは議論の余地がある。娯楽は、品のあるプロダクション・ショー と通常のキャバレー・ショーという大変に伝統的な傾向にあるが、その音量は忍耐の限度を超えている。この会社では、他の大きなクルーズ客 船会社がしているように多くの追加料金を取ることから、殆どすべてをクルーズ料金に含むようにしてきている。英国に本拠を置く P&O Groupが、Aida Cruises、P&O Cruises、P&O Cruises (Australia)を所有しているのと同じように、Princess Cruisesのすべてを所有している。

Royal Caribbean International

 1999年に1,882,593人の乗客を輸送した(うち、およそ410,000人がCelebrity Cruisesの乗客)。Enchantment of the Seas、Grandeur of the Seas、Legend of the Seas、Rhapsody of the Seas、Splender of the Seas、Vision of the Seasは、以前の船であるMajesty of the Seas、Monarch of the Seas、Sovereign of the Seasよりも、僅かに船室が広い。

 この会社は乗客参加の催物に力を入れており、例えば、乗客隠し芸大会、仮装大会、カントリー・ウエスタン・ジャンボリーなどだ。すべ て簡単に想像のつくものであって、同じプログラムがすべての船で行われている。これはこれまで試され証明されてきたものだからだが、今日 では少しばかり「時代遅れ」のものなのかも知れない。

 Royal Caribbean Internationalの食べ物は、総じてCarnival Cruise Lineの船と同水準であるが、Carnivalの船の方が、Celebrity CruisesやHolland America Line、Princess Cruisesと同じく船室が広い。フランス、イタリア、東洋、カリブ、アメリカが、毎晩の献立のメイン・テーマとなっている。ワイン好きの人は、ワイン・リストにビン テージ(極上ワイン)がないことを知っておくべきだ(かなり若いワインしか置いていない。)。

 船は艫が丸く、すぐにそれと分かる面白い意匠の輪郭で、形の良いものだ。またトレード・マークのViking Crown Loungeが煙突の周りにあり、煙突の前方にあるかその一部分となっている。広く明るい照明のカジノがあり、どこへ行くにも乗客が通過しなければならないショッピング・ ギャラリー(売店)も同様に広く明るい。これは最大限の収益を乗客から、もちろん上品な方法で引き出すために、とても巧みに設計されたも のだ。

 船上でのサービスに関する限り、商標は合理的に区別されているが、Royal Caribbean Internationalは、Celebrity Cruisesも所有している。

Star Cruises

 1999年に900,000人の乗客を輸送した。この会社は1994年に設立されたばかりのもので、様々な船により構成される船隊 で、多くの国籍やタイプの乗客に食事を提供している。しかしその市場は、基本的には、オーストラリア、ヨーロッパ(とりわけ英国、ドイツ の乗客)、インド、東南アジアである。Star Cruisesはアジア太平洋地域で運航している。

 ここは、もともとカジノから始まったもので、この会社は「普通の」クルーズ客船会社に移行する過渡期にある(カジノはここの船の重要 な娯楽設備ではあるが。)。12隻保有する計画で、星座の12宮があてられる(現在8隻保有)。明かに2つのタイプの乗客を対象にしてい る。すなわち「バルコニー・クラス」と「非バルコニー・クラス」だ。

 Star AquariusとStar Piscesは、カジノの博徒を対象に短距離クルーズに就航しており、MegaStar Aries、MegaStar Capricorn、MegaStar Sagittarius、MegaStar Taurusの4隻は、VIPクラブのメンバーや、個人チャーター・クルーズや、新航路の試験を対象にした小型の良い豪華船だといえる。

 新造大型船SuperStar LeoとSuperStar Virgo(7つも食堂があり、アジア人行楽客向けの娯楽が提供される)、さらにSuperStar Aries(旧Europa)もすべて良いクルーズ船である。加えて、SuperStar Carpricorn(現在Hyundai Kumgang)は、Hyundai Cruisesに4年間傭船されている。

 Star Cruisesは、スカンジナビア人の航海士用の、傑出した訓練用施設であるシュミレーション・センターを持つ唯一のクルーズ客船会社である。Star Cruisesの親会社Genting Berhadは、広大な土地を開発して陸上に本拠を置くリゾートやホテルを所有しているが、娯楽、航空機産業、発電所、石油ガス施設、ゴムや椰子油の農園を含む権益も有し ている。

 このクルーズ会社は若いが、しかし今や世界第3位のクルーズ客船会社となっている(Star CruisesはNorwegian Cruise LineとOrient Linesのすべてを所有している。)。サービスの水準や手際の良さは不安定だが、船上でのもてなしは、多くの異なる民族的背景を持つ人々のために選択できる食事を提供し ており、大変に良い。

1960年

大西洋横断航海を運航していた旅客海運会社は30社を超えていた。多くの船舶は1960年から1970年の間に係船され、大部分はスク ラップになった。

White Star Lineの外装の最後の旅客船、Britannicが運航を停止した。

1962年

世界最長の1,035フィートのCompagnie Generale Transatlantiqueの定期船Franceが、ル・アーブル、ニューヨーク間に就航。

1963年

Cunard LineのRMS Queen Elizabethが、ニューヨーク、西インド諸島間で試験的なクルーズを実施する。その結果、1965年から66年にエアコン設備が取りつけられた。

1965年

Orient Steam Navigation CompanyがP&O Groupに吸収される。新会社はPeninsular & Oriental Steam Navigation Companyとして知られることになる。

Stanley B. McDonalがPrincess Cruisesを設立。

1966年

Black Sea Shipping CompanyのAleksandr Pushkinを使ってモントリオール、レニングラード(現、サンクト・ペテルブルグ)間で、1949年以来初めてのソビエトの大西洋横断運航が再開される。

ノルウェーの会社Klosters Reedereiが、マイアミの実業家Ted Arisonとマイアミからのカリブ海クルーズ市場において手を組む。

Sanford ChobolがCommodore Cruise Lineを設立。

1967年

Cunardが大西洋横断定期船Queen Maryの運航から撤退。

1968年

CunardのQueen Elizabethが引退。

Cunardはタービンの振動が酷過ぎたため12月に造船所John BrownからQueen Elizabeth 2の引渡を受けることを拒絶した。修理のため5ヶ月遅れで大西洋横断処女航海を行う。

Boise CascadeがPrincess Cruisesを設立者のStanley B. McDonaldから購入するが、2年後に買い戻された。

1969年

探検用に設計されたLars-Eric LindbladのLindblad Explorerが就航。

Royal Caribbean Cruise Lineがノルウェーの海運会社団により設立された。

赤字垂流しの定期船United Statesが係船。

1970年

Royal Viking Lineが、それぞれ1隻ずつ船舶(Royal Viking Sea、 Royal Viking Sky、Royal Viking Star)を提供した3つの共同経営者(Bergen Line、A.F. Klaveness、Nordenfjeldske)により設立。

ドイツのNorddeutscher LloydとHapag (Hamburg American line)が合併しHapag-Lloydとなる。

1971年

Cunard LineがTrafalgar House Investmentsに売却。

1972年

Ted ArisonがCarnival Cruise Linesを設立。僅か1隻の船Mardi Gras (旧Empress of Canada)で始める。最初の航海で座礁。

1973年

Sitmar CruisesがFairstarという1隻の船(かってBibby Lineにより運航されていた軍隊輸送船を改造した船)で、シドニーからの運航を開始する。

1974年

P&OがPrincess Cruisesを買収。

Compagnie Generale Transatlantiqueは、赤字船のFranceを係船。

ニューヨークとニュージャージーの港湾局が旅客船ターミナルをオープン。

Royal Cruise Linesの第1船Golden Odysseyが投入される。ボーイング747と同じ425人乗りで建造。

1975年

Island PrincessとPacific Princess (Princess Cruises)が、アメリカのテレビ番組のThe Love Boatでスターになる。

1976年

Italian LineとLloyd Triestinoが大西洋横断旅客運航を休止。

1977年

World Explorer CruisesがUniverse1隻を使って設立される。

Holland America LineがMonarch Cruise Linesを吸収。

1978年

Richard HadleyがUnited States Cruisesを設立。

1979年

American Hawaii Cruisesが設立。

6月、SS FranceはLauritz Klosterに購入され、カリブ海クルーズ向けに改造されてNorwayと再命名され、Norwegian Caribbean Linesに移籍。

1980年

Sea Goddess CruisesがHelge Naarstadにより設立。

デンマークのUnited Steamship Company (DFDS)が、マイアミから1日クルーズを運航するためScandinavian World Cruisesを設立する(この会社は後にSeaEscapeとなる)。

1981年

米国による入港禁止措置により、ソビエト船籍の船による大西洋横断運航が継続不能となる。

Astor Cruisesが英国で設立される。

1982年

英国政府はアルゼンチンと英国間のフォークランド紛争の期間中、軍隊輸送船として使用するため、CunardのQueen Elizabeth 2とP&O CruisesのCamberraを傭船。B&I LineのUgandaが病院船として使用された。

1983年

P&Oは、Norwegian America Cruises (NAC)とSagafjord、Vistafjordを買収していたCunard Lineの所有者Trafalgar Houseによる株式公開買付けをかわすため、Jeffrey Sterlingを会長に指名。

Premier Cruise Linesが設立。

Salen-Lindblad CruisingのLindblad Explorerが、ニュー・ファンドランドのセント・ジョンからアラスカのポイント・バローまでの7,700kmを航海して、北西横断を成功した最初の旅客船となる。

1984年

Sundance Cruisesが、Stanley B. McDonaldによりSundancerという1隻の船で設立。

Dolphin Cruise LineとPremier Cruise Linesも設立される。

Windstar Sail Cruisesが商業航海に再就航。

1985年

Chandris Group of CompaniesはGoGo ToursからFantasy Cruisesを取得し、米国ではChandris Fantasy Cruises、英国ではChandris Cruisesに社名変更。

1986年

Signet Cruise Lineがノルウェーに設立。Signetの名称を使用する権利があると主張する米国人によって起こされた訴訟のため、会社は1988年に社名をEastern Cruise Lines、Western Cruise Lines、Sundance Cruisesに変更し、合併してAdmiral Cruisesとなる。

Cunardは、Sea Goddess I、Sea Goddess IIと共に、Sea Goddess Cruisesを取得。

1987年

Carnival Cruise Linesが最初の株式の公募を行う。

CunardのQueen Elizabeth 2は、ドイツの造船所で蒸気タービンからディーゼル電気推進に改造し、海事史上最大の改造となる。

Bahama Cruise LineはBermuda Star Lineとなる。

Ocean Cruise LinesはPearl Cruisesと合併。

Princess Cruisesは5隻の船に乗船していた約500人の労働組合員の英国人ホテルマンと配膳職員を配置換え。

1988年

Commodore Cruise LinesがBohemeをChurch of Scientologyに売却し、Freewindsと改名する。

Crystal Cruisesが日本の日本郵船(Nippon Yusen Kaisha)の100%子会社として設立。

Royal Caribbean Cruise LineがAdmiral Cruisesと合併してRoyal Adminival Cruisesとなる(その後Royal Caribbean Cruises)となる。

Carnival Cruise Linesが陸上のホテル、輸送事業込みでHolland America LineとWindstar Cruisesを取得。

Seabourn Cruise Lineの第1船、Seabourn Prideが就航。

1989年

Starlite Cruises(ピレウスに本拠を置くLelakis Groupの一部)が1日、7日間クルーズを提供するため設立。

Ocean Cruise Linesが、フランスの巨人Accorという娯楽会社により所有されているCroisieres Paquetにより買収される。

日本クルーズ客船(Japan Cruise Line)が、日本企業のチャーター販促クルーズ向けの606人乗りの新船Orient Venusを使って日本のクルーズ市場に参入。

湾岸戦争の勃発時、米国政府はCunard Princessをペルシャ湾で米国軍人の保養センターとして利用するため、6ヶ月間傭船。

1991年

Carnival Cruise LinesがSeabourn Cruise Lineの資本の25パーセントを取得。

Renaissance Cruisesは国際的な投資家グループに売りに出される。

Effjohn InternationalがCrown Cruise Lineを買収。

Seawind Cruise Lineがクルーズ事業を開始。

日本郵船(Nippon Yusen Kaisha)が、Salen Lindblad Cruisingを買収。

1992年

Costa Cruise LinesがCosta Classicaのデビュー時に、新しいヨーロッパ風豪華クルーズ・コンセプトを導入。

Admiral Cruisesが運航を休止。

Carnival Cruise Linesは、ハリケーン・アンドリューにより家を失った職員600人にMardi Grasを住宅として提供する。

Chandris Group of CompanieとOverseas Shipholding Group (OSG)は、Celebrity Cruise Lines, Inc.という名の共同事業体を設立する合意文書に署名。

Paquet CruisesとOcean Cruise Linesを所有していたフランスの不動産・娯楽産業のChargeursとAccorは、Costa Cruisesの親会社Costa Crociereの資本の23パーセントを購入。

1993年

Carnival Cruise Linesはラテン・アメリカのスペイン語圏市場向けにFiesta Marina Cruisesを設立したが、全くの失敗に終った。

CunardとEffjohnは10年間の共同企業を発表し、Cunard Crown Cruisesを設立した。

George PoulidesがFestival Cruisesを設立。

SeaQuest Cruisesが運航を休止。

Frontier Spiritが日本の船主に戻され、BremenとしてドイツのHanseatic Toursに傭船。

1994年

Delta Queen Steamboat Companyが社名をAmerican Classic Voyages Companyに変更。American Classic Voyages CompanyはAmerican Hawaii CruisesとDelta Queen Steamboat Companyを所有。

Cunardの親会社Trafalgar Houseは、Royal Viking Sunと共にRoyal Viking Lineの名称を使用する権利を購入する合意文書に署名。

Royal Viking QueenはRoyal Cruise Lineに移籍してQueen Odysseyとなり、後にSeabourn Legendとなった。

Radison Diamond CruisesとSeven Seas Cruise Lineは合併し、Radisson Seven Seas Cruisesとなった。

Star Cruisesが設立。

1995年

英国の会社Airtoursは、SouthwardをNorwegian Cruise Lineから、Nordic PrinceをRoyal Caribbean Cruisesから購入。

1996年

Kloster Cruise(Norwegian Cruise LineとRoyal Cruise Lineの親会社)はRoyal Cruise Line部門の閉鎖を発表。

Crown OdysseyとRoyal OdysseyはNorwegian Cruise Lineに移籍して、それぞれNorwegian CrownとNorwegian Starとなる。

Queen OdysseyはSeabourn Cruise Lineに移籍し、Seabourn Legendと再命名される。

Star OdysseyはFred Olsen Cruise Linesに売却され、Black Watchと再命名される。

Baltic LineとSunshine Cruise Linesはクルーズ運航を休止。

Curnardは(親会社のTrafalgar Houseと共に)Kvaernerにより買収される。

1997年

Hapag-Lloydは探検船Hanseaticと共にHanseatic Toursを買収。

Carnival CorporationはAirtoursと共同してCosta Cruisesの株式を購入。

Celebrity CruisesはRoyal Caribbean Internationalにより13億ドルで買収される。

P&O CruisesのCamberraは運航から撤退し、パキスタンにスクラップとして送られた。

1998年

オーストラリアはカボタージュ法を廃止し、外航クルーズ船がオーストラリアの港に規制を受けることなく出入港できるようになった。

Kvaernerは、CunardをCarnival Corporationを含む債権者団に5億ドルで売却。

Orient Linesは、Marco Poloと共にNorwegian Cruise Lineに買収される。

1999年

Crown Cruise LineはCommodore Cruise Lineの上級部門として再デビューした。Crown Dynastyを傭船し、後に8620万ドルで購入した。

2000年

Star CruisesはCarnival Corporationにより保有されていた未払込の株式を購入し、Norwegian Cruise Line(Orient Linesを含む)の全支配権を取得した。

P&O Groupはクルーズ部門をグループから切り離して事業の核に据え、4つのクルーズ部門を有することとなった。すなわち、Aida Cruises、P&O Cruises、P&O Cruises (Australia)、そしてPrincess Cruisesである。

Costa CruisesはCarnival Corrporationにより100%所有されることとなった。

2001年

スペインのPullmanturはOceanic(以前のPremier Cruise LinesのBig Red Boat I)とSeawind Crown(以前Premier Cruise Linesにより運航されていた)をスペイン語市場向けに購入した。

Carnival CorporationはSeabourn Goddess IとSeabourn Goddess IIを、ノルウェーの船舶所有者Atle Brynestadと共同事業者のLarry Pimentelに売却した。

Renaissance Cruisesが米国に対する9月11日のテロ攻撃の後、運航を休止した。

American Hawaii Cruises、United States Lines、Delta Queen Coastal Cruisesの全てが運航を休止。

P&O PrincessとRoyal Caribbean Cruises Limitedが合併を発表し、9つの商標を有することになる。すなわち、A'ROSA Cruises、Aida Cruises、Celebrity Cruises、P&O Cruises、P&O Cruises (Australia)、Princess Cruises、Royal Carribbean International、Seatours、Swan Hellenicである(翌年、ご破算になる)。

2002年

Valtur Tourismがクルーズの運航を休止。このイタリアの会社は1隻の船(Valtur Prima)を保有していた。

SeaDream Yacht ClubがSeaDream IとSeaDream IIの2隻を使って運航を開始。

Imperium CruisesがかってのRenaissance Cruisesの船のうちの2隻、R7とR8を傭船してクルーズ客船会社を開業。

Golden Sun CruisesはGolden Star Cruisesとなり、Agean Iの運航を開始。

Information

 このページは、Douglas Ward, Complete Guide to Cruising & Cruise Ships 2001 (2000) のクルーズ業界全体を概観している部分に、Ocean Cruising & Cruise Ships 2003 (2002) の増補部分を増補して紹介したものです。したがって2002年現在の情報であり、古くなっていますが、クルーズ業界の記録として掲載することにしました。
 このガイドブックは、更にCruising & Cruise Shipsと改題され、毎年、改訂版が発行されています。