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2004年4月

2004年4月の海外旅客船情報

救助艇が行方不明のフェリー客を捜索(英国)

北ウェールズ沖でフェリーから行方がわからなくなったトラック運転手の捜索が、今日行われた。

モストン発ダブリン行きのフェリーの職員が、このP&Oの船が港に到着した時に車輛を取りに来なかったので、男性が行方不明に なったことが判ったと報告した。

ホリーヘッド沿岸警備隊の広報官は、アングルシー島周辺とLlandudno沿岸沖を救助艇が捜索していると話した。

「フェリーはモストン埠頭を昨夜9時30分ちょうどに出港し、午前5時頃、ダブリンに到着しました。トラック運転手が自分の車輛を取り に 来なかったので行方不明になったことが判ったのです。車輛を捜索しましたが、男性が行方不明になったことの徴候は何も認められませんでし た。3隻の救助艇に加え、1機のヘリコプターと連絡を取り合い、現在、北ウェールズの沖を捜索中です。」

沿岸警備隊では、男性の身元の詳細は判らないと話している。(Scotland on Sunday: Thu 1 Apr 2004)

フェリーが埠頭に衝突、船体損傷(米国)

ロチェスター行きのフェリーが、木曜日、South Street Seaport(=南通海港)接岸時に衝突して、この双胴船の船体を深くえぐった。

沿岸警備隊では怪我人はいないと話しており、船の損傷は最小限のものだという。しかしこの午前10時の事故で、長いこと待ち焦がれてい た フェリーの処女航海は危機に瀕することとなった。この処女航海は、オンタリオ湖を横断してロチェスターとトロントを結ぶもので、4月30 日の旅客運航開始が予定されていた。

「試合の最後に起きた不幸な出来事のようなものです。」と4,250万ドルの船の所有者であるCanadian American Transportation Systemsの社長Howard Thomasは語った。

このフェリー「The Breeze(=そよ風)」は、建造されたオーストラリアのパースを2月17日に出発して、ニューヨーク州にやって来たもの。5階建てで、全長100ヤード。778人乗り で、238台の車輛を収容し、2つの映画館、ビジネス・ラウンジ、カクテル・ラウンジ、子供用遊戯区画がある。

Thomasは、事故は低速で狭い船台に船を入れようと船員が舵を切った時に起きたと話した。穴は喫水線の上にあると話した。 Thomasは、恐らくニューヨーク州で修理がなされるだろうと語った。もし上手く行けば、4月30日の開始は延期されないものと考えて いる。(New York Newsday: April 1, 2004, 4:57 PM EST)

Emeraudeに高速船が救援(英国・フランス)

EMERAUDEは新船を確実にし、ジャージー島とフランス間の将来のフェリー運航について思いを巡らすことは終わりになった。

双胴船Solidor 5はEmeraudeがCondorとの競争に直面している同航路には復帰しないが、もっと大きなウェーブピアスイング・フェリーと交替する。

この船はSeacat Great Britainと呼ばれるもので、Condor 10と同型のもの。Hoverspeedから少なくとも1年間貸し出されていたものである。この全長74メートルの双胴船は、450人乗りで80台の乗用車を輸送でき、今 週、ベルファストからやって来る。月曜日に港でランプの試験を行い、水曜日にサン・マロと島の間の運航を開始することとなる。

Solidor 5はジャージー島には復帰しない。本船はシェルブールに何週間も足止めになっている。というのは、このフェリーの船主とEmeraudeの新しい親会社 Sogestransとの間で、毎年の修理費用を巡って紛争が起きているからである。Solidor 5がいない間、Solidor 4は機関不調で悩まされて来たが、Seacat Great Britainの到着を待って運航から引退する。

「現在確信して言えることは、過去数ヶ月間に亘って経験して来た問題は、今やしっかりと克服したということです。」 チャンネル諸島の Emeraudeの総支配人Gordon Forrestは話した。「Hoverspeedと長期的な関係に入っており、Seacat Great Britainの到着は当社の新しい時代を画するものであります。」(Jersey Evening Post: 1 April 2004)

クルーズ会社のCarnivalはアジアに目を向ける(米国)

マイアミ発。豪華船で北米とヨーロッパというクルーズの最高の市場を支配しているCarnivalは、経済の急騰している中国、イン ド、その他のアジア諸国の栓を抜こうと、東方に目を向けている。

Cunard、Princessの他、10社の客船会社を経営しているこのマイアミの運航事業者では、何百万ものアジア人に西洋式のレ ジャーであるクルーズを販売するための共同経営者を探している、とCarnival Corp and Plcの経営者は話した。

こうした始動は、世界最大のクルーズ集団であるCarnivalにとっては2度目の侵略となる。1990年代にアジア海域に首を突っ込 ん だものの、撤退したのだった。他の西洋の客船会社も、アジアにおいては混乱した結果に終わっている。

中国とインドでは、いずれも裕福な中産階級が増加しており、Carnivalや他の大手クルーズ客船会社にとっては西洋での主要な顧客 と なっている。昨年、インド人の海外旅行は、2002年から15パーセント増加して、450万人に跳ね上がった。

中国では、経済が2003年に9.1パーセント成長しており、海外旅行客は、来年は1600万人、2020年までには1億人に上るもの と 見られている。上海からの海外旅行だけでも、毎年20パーセントも増加している。

クルーズ船がカリブ海や地中海から遠く離れたところに足を伸ばしていたものの、今までクルーズの主要な顧客は、北米人とヨーロッパ人で あった。昨年952万人余がクルーズをしたが、業界によると、800万人近くが北米の港湾を出発したものだという。最も人気がある旅程 は、カリブ海、アラスカ、そしてヨーロッパである。

経営者によると、Carnivalのアジア事業の規模、旅程、財政は固まっていないが、Carnivaはこの地域での新しい客船会社の 開 始や、現在Star Cruises Ltdが主要な競技者であるこの市場向けの新船の建造を除外してはいない。

「多くの企業と話し合いを始めたばかりです。」とCarnivalの副会長Howard Frankは語った。「既存の商標か新しい商標かを言うには、時期尚早です。」

先月の業界会議で発言したFrankも、この会社の広報担当者であるTim Gallagherも、可能性ある共同経営者を明らかにはせず、近く纏まる話はないことを強調していた。

「新しい市場を物色していますが、アジアは明らかにその一つです。」 Gallagherはインド、中国の経済の発展と、その他のアジ ア 諸国がクルーズや他のレジャー旅行に関心を寄せる何百万人もの顧客を抱えていることに言及しつつ語った。

A.R. Peisley Ltd of Britainの分析者Tony Peisleyによると、Carnivalはアジアにおいて成功するために地域的な共同経営者を本当に必要としており、恐らく大手旅行会社か、その他の旅行業界の会社と話 をするだろうという。

「扉を開くことのできるものが必要です。」Peisleyは言った。「市場にはなるでしょうね。Star社がアジア人にクルーズを売れ ることを証明していますよ。」

マイアミに本拠を置く大手クルーズ・グループが、過去においてアジアに参入しようとしたことはあった。Royal Caribbean Cruises Ltdがシンガポールで古い船を使って1995年から1997年までやったが、Peisleyによると混乱した結果に終わったという。

Carnivalは昨年、英国のP&O Princessと合併して今や75隻の船隊を運航しているが、アジアでクルーズ事業を開始しようとして韓国のHyundai Merchant Marineと不意に取引したことがあった。しかし1997年、この地の財政危機の最中、運航開始前に取引を解消したのだった。

Peisleyによると、アジアには様々な文化、言語、顧客の好みがあり、比較的同一である北米よりは、ヨーロッパのクルーズ市場にか なり似ているという。香港人やシンガポール人向けのクルーズは、見込みがあると話した。

金の使い方が違っており、アジアのクルーズ客は、北米人やヨーロッパ人ほど飲酒に金を使わないが、西洋人よりは船上での娯楽に喜んで金 を出すとPaisleyは言った。

「アジアでのクルーズは、こちらとはかなり違いますね。」とマイアミに本拠を置くStar社の一部門であるNorwegian Cruise Lineの経営最高責任者、Colin Veitchは語った。「切符の販売で儲けを出すには困難な市場なんです。」

Peisleyは、アジアの顧客は段々と多くのものを要求するようになっており、北米やヨーロッパ航路からアジアに転配された古いク ルー ズ船にかなり目を向けるようにはなってきているが、業界の注意と投資をこの地で拡大すべきだと話した。

「成長したいのならば、全て(の船)をカリブ海に置いておくことは出来ないです。」とPeisleyは言った。(Reuters: 02 Apr 2004 19:20)

米国訪問者は直ぐに厳しい安全規則に直面することに(米国)

ワシントン発。金曜日にDepartment of Homeland Security(=国土安全保障省)は、長らく同盟関係にある英国、フランス、ドイツ、スペイン、日本、オーストラリアを含む先進国27カ国からの旅行者に対し、米国到 着時に写真と電子的指紋採取を義務付けることを発表した。

当局者は、テロリスト攻撃から国を守るために採られる危機的な国家安全上の対策としての動きであると述べている。このプログラムが9月 30日に全国115の空港で発効すると、外交官と、典型的には72時間の米国滞在用に使用される国境カードを所持するカナダ人、メキシコ 人だけが新規則の例外となることになる。

既存のプログラムの下では、空港の検査官は、既に米国訪問に査証を必要とする国からの旅行者の写真撮影と指紋採取を行っている。(中 略)

「そうした市場(注、先進国27カ国)で消極的な反応があるのではないかと、私共は大変に心配しております。」とTravel Industry Association of America(=アメリカ旅行業協会)の政府関係担当のRick Websterは話した。ここは国内の大手航空会社、ホテル、クルーズ客船会社、レンタ・カー会社を代表している。

2002年度に米国を訪問した1900万人のうち1300万人が、金曜日の決定によって影響を受ける27カ国からの入国者であった。 Websterの団体によると、そうした国々の4カ国、すなわち英国、フランス、ドイツ、日本からの観光客は、米国で年間222万ドルを 消費し、海外からの訪問者の3分の1の消費を占めるという。

米国への旅行に市民が査証を要求されている国の中には、既に報復措置を採っているところもある。今週、中国は、中国の空港で米国人から の 臨時査証の申込を受け付けないと発表し、観光査証を発行する前に米国人に面接することを要求している。1月にはブラジルが、米国人訪問者 に対して指紋採取と写真撮影を行うと発表した。(中略)

オランダ外務省広報官Martine de Haanは、金曜日にその決定の正式報告を受けたと話した。「そうしたいのならば、こちらは構いません。」と語った。

De Haanは、オランダ政府は新規則を「当座の対策」として見ていると語った。というのは、オランダと他のヨーロッパ諸国は、アメリカ当局がヨーロッパ人訪問者の指紋を採取 することを止めさせることが出来るかもしれない顔面認識技術を取り込んだ新しい旅券を造る作業を行っているからだという。

もちろん、ヨーロッパ人が過去においてアメリカの安全保障対策に反対して来たことは認識しており、新しい指紋採取政策がオランダ市民を 怒 らせることになるかどうかは不透明だという。

「多分、それを考慮しなければならないこととなるでしょうね。」とDe Haanは語った。(New York Times: April 3, 2004, 12:16AM)

最後のフェリーが出て仕事は消える(英国)

日曜日に、フリントシアーのモストン埠頭とダブリン間の最後の旅客フェリー運航が走ることとなる。

海運会社のP&Oは、1700万ポンドをかけて埠頭を支援することを以前誓約し、アイリッシュ海横断をリバプールから切り替え た。しかし18ヶ月後、P&Oはその航路と船舶をStena Lineに売却する決定をし、モストンはアイルランドに旅客を運ぶフェリー会社を失うこととなった。26人のP&Oの労働者は、この取引の後で余剰となる。

モストン港常務取締役Jim O'Tooleは、日曜日に最後のフェリーが運航することを確認した。

船は英国時間22時に出港する。しかし雇用は合わせて100近く喪われることとなり、その中には支援職員や補助的な労働者(注、パート タ イマー労働者等)も含まれている。会社は河口が浚渫されていないので、この埠頭から退去しなければならないと話した。

浚渫することなしに定期時刻表を維持することはできない。というのは、潮位が適切な時にしかフェリーがモストンに出入港することが出来 な くなるからである。

港湾経営者は環境機関に河口の浚渫を許可するよう説得を試みている。港湾では、航空機産業のブロートンの工場からモストン経由でフラン ス に飛んでもらえるよう、Airbusとの取引が将来重要になると話している。

Rhodri Morgan第一大臣が、2001年にモストン埠頭を公式に開設した。この輸送はウェールズ州政府からの補助金の下で、1700万ポンドの投資がなされて可能となったもの だった。(BBC News: Sunday, 4 April, 2004, 08:59 GMT 09:59 UK)

Dデー・クルーズ(フランス・英国)

詳しくはClipper Cruise Line、電話(800) 325-0010。

この客船会社は122人乗りのClipper Adventurerで、フランスのボルドーからカレーにクルーズする3つの旅程を用意している。コースは、イングランド、アイルランド、北アイルランドを巡るもので、ノ ルマンディーの歴史的な戦場も含まれる。乗船客は、1944年6月6日前後の出来事によって有名となった村、町の名所、浜辺を散策するこ とができる。

12日間の旅行「Liberating Europe/60th Anniversary(=ヨーロッパ解放・60年記念祭)」は、Omaha Beach(=オマハ浜)、Utah Beach(=ユタ浜)の米国人墓地、アバランチの外にあるPatton Monument(=パットン記念碑)、ポーツマスのD-Day Museum(=Dデー博物館)、ダンケルクの「Operation Dynamo(=ダイナモ作戦)」博物館、ロンドンのImperial War Museum(=帝国戦争博物館)とChurchill Cabinet War Rooms(=チャーチル内閣戦争の間)を訪問する。

魅力的な突撃として、2泊の旅行前の追加旅行があり、これはパリとその第二次世界大戦の遺産を案内するもの。料金は2人様お1人 4,840ドルから。全ての寄港地観光と、ロンドンでのChurchill InterContinentalの3泊が含まれている。出発は5月23日、5月30日、6月6日。(Indianapolis Star: April 4,? 2004)

Cunardは新しい豪華船を計画(英国)

今日、Cunardの親会社は、最近就航した新船Queen Mary 2 (QM2)を含むクルーズ船の大規模な変更を発表した。新しい1,850人乗りの豪華船は、Queen Victoriaと呼ばれることとなり、2007年1月に就航する。

米国の巨人Carnival Corporationに所有されているCunardは、イタリアで建造している85,000トンの船をQueen Victoriaと命名して来年就航させるつもりであった。この2億2500万ポンドの船はP&O Cruisesに移籍し、Arcadiaと再命名される。2005年4月に旅客クルーズを開始する。

また現在P&O Cruisesの船隊で運航している77,000トンのAdoniaは、来年5月にPrincess Cruisesに移籍し、Sea Princessという名称に変更となる。

更に2005年5月に、現在Princess Cruisesの下で運航している45,000トンのRoyal PrincessはArtemisとなり、P&O Cruisesの船隊に加わることとなる。

この変更は、今年1月にサウサンプトンに本拠を置く150,000トンのQM2が旅客運航を開始したことに引き続いて英国クルーズ市場 に おけるCarnivalの収容力を拡大させるもの。(中略)

Arcadiaと呼ばれることとなる船は、イタリアのベニスのFincantieri造船所で建造中であり、そこでは2億5000万ポ ン ドのQueen Victoriaも建造されることとなる。Queen Victoriaには、多くの豪華スィート、ミニ・スィート、屋上食堂が備えられる。(This is London: 5 April 2004)

麻薬の押収後7人起訴(英国)

ハルのフェリー港で明らかとなった末端価格160万ポンド相当のコカインを密輸した容疑で、7人の男が起訴された。

日曜日、ゼーブルッヘから到着したフェリーに積載されていた道路再舗装用トラックに、A級の薬物が隠されているのが見つかった。これ は、 3ヶ月間に及ぶ税関と消費税当局者の秘密作戦によって明らかとなったもの。

ダービシャー、ロンドン、ノッチンガムシャーの男性は全員、月曜日に治安判事の面前に出頭することとなっている。男性の1人は日曜日の 朝、フェリー港で逮捕された。他の6人は、税関当局がダービシャーと首都警察の応援を得てチェスターフィールドとロンドンで家宅捜索後に 逮捕された。

起訴された男性は次の通り。Richard Burr、51歳、チェスターフィールド;Michael Leslie Wooley、55歳、チェスターフィールド;David Owen Rawson、37歳、ノッチンガムシャー、ホワイトウェール;Carl Nicholas Ward、44歳、ノッチンガムシャー、ホワイトウェール;Paul Allan Wright、36歳、ダービシャー、ボルソバー;Andrew Doyle、50歳、ロンドン;Jason Roberts、31歳、ロンドン、ブロムレイ。

税関の広報官によると、男性らはハル、チェスターフィールド、南東ロンドンの治安判事の面前に出頭することとなるという。(BBC News: Monday, 5 April, 2004, 15:14 GMT 16:14 UK)

スービック湾はクルーズ港に転換(フィリピン)

フィリピンにおける合衆国の旧海軍基地の一部であるスービック湾は、世界中からのクルーズ船を受け容れる商港に転換される、と地元企業 は月曜日に発表した。

地元企業のGlobal Terminal and Development Inc.は、マニラの北にあるスービック湾に、1億6000万ペソ(286万ドル)、18ヘクタール(44.5エーカー)の国際クルーズ・ターミナルを建設すると話した。

この計画はスービック近代化計画の一環。これには旅行者用駐車場、倉庫、穀物貯蔵施設、船舶修理施設が含まれる、と港湾を管理する政府 機 関の会長Felicito Payumoは述べた。

「この計画は、かっての軍港からRivera Wharf(=波止場)を刷新して、この地域のアジア第一のクルーズ船観光地とするための触媒となるものである。」とPayumoは声明の中で述べている。

スービックは、かって日本に本拠を置く合衆国第7艦隊の艦船修理と補給のための施設として使われていた。1992年にフィリピン議会が 賃 貸借を終了し、合衆国軍は基地から退去している。(ABS CBN News: Tuesday, April 6, 2004 4:45 AM)

沿岸警備隊は海峡で行方不明となった女性の遺体を発見(米国)

エドモンズ発。パジェット海峡で今日発見された遺体は、Paula Kay Suttonであることが判明した。州警察によると彼女の遺体は午前11時30分頃に発見されたという。

沿岸警備隊では、昨日キングストンからエドモンズに向けて運航していた州フェリーで、午後6時30分に乗用車を放置していたエドモンズ の 女性を捜索していた。この乗用車は、エドモンズ在住の51歳のSuttonの所有物。

昨夜、沿岸警備隊はヘリコプターと警備艇を使って捜索を開始した。この海域の船舶使用者には、遭難者を見張るよう警告がなされていた。

沿岸警備隊の広報官によると、捜索は今朝早く再開されたという。(Seattle Times: Tuesday, April 06, 2004 - Page updated at 01:31 P.M)

ハリファックス港は長く繁栄する旅行シーズンを望む、水曜日に始まる(カナダ)

ハリファックス発。ハリファックス港は長く繁栄する旅行シーズンを望んでいる。

水曜日に、19万人が予想されるクルーズ船客の第一陣を迎えることとなる。この街で最も早く、そして最も長いシーズンとなったが、11 月 3日まで続き、18の客船会社の120隻の船がやって来るものと見られている。994人を乗せたNorwegian Crownの後には、今年の暮れまでにQueen Mary 2、そしてRoyal CaribbeanのVoyager of the Seasと続く。

この港では、総額で年間7億ドル近い経済波及効果があり、直接・間接に9,000人以上の雇用を生み出している。(Canada East: Wednesday, April 7, 2004)

沈滞の中のクルーズ船建造(イタリア)

イタリアの造船会社Fincantieriは、2007年に引き渡す4億6800万米ドルのクルーズ船の発注をしたという Carnival Corporationの発表の後、何やら喜んでいる。

この最新の新船建造の発注は、CunardがQueen Victoriaとして運航しようとしているもので、現在イタリアのFincantieriで建造中のその名を元々命名する予定だった船は、P&Oに移籍して Arcadiaとなる。全ての運航会社が英国市場がそんなに立ち上がりの早い市場であるとは発表していないのに、Carnivalでは、 英国のクルーズ客は合計で昨年20パーセント増加しており、今年12パーセントの増加が見込まれると話している。

この新しい注文でFincantieriは、小さくなった、そしてなおも縮小を続けているクルーズ船建造のクラブの中で、優位を保つこ と となった。現在ここの帳簿には9隻の注文が入っており、現在、世界のクルーズ船注文簿にある19隻のざっと半数だ。

クルーズ業界では合併が進んでいるが、Fincantieriのクルーズ船計画の全ては、1つの会社であるCarnivalの子会社向 け のもの。

2年前の2002年4月を振り返って見ることは興味深い。もちろん米国へのテロ攻撃からそれほど日が経っていない時期であり、これが当 時 の注文簿には反映されており、多かれ少なかれクルーズ業界は発注を止めていた状況であった。当時は7つの造船所で34隻を建造していた。 今や7つの造船所で19隻。しかも同じ7つの造船所ではない。2002年においては、Fosen MekとNorthrop Grummanがこのリストには名を連ねていた。今ではChalkisとLloyd Werftに代わっている。

しかしそうした造船所が建造中のものを見たならば、違った印象を持つこととなるだろう。たったの4つの造船所、すなわち Fincantieri、Lloyd Werft、Meyer Werft、Kvaerner Masa Yardsが、来年かそれ以降に引き渡すこととなっている建造中の12隻の船を分け合っているに過ぎない。このうち、Lloyd Werftは殆ど完成していたPride of Americaが一部水没してかなりの問題を抱えており、Kvaerner Masa Yardsは2004年以降、僅かに1隻の船しか仕事がない有り様だ。

Meyer Werftは、来年完成するNorwegian Cruise Line向けの船と、翌年のもう1隻を持っている。このことは、フランスのChantiers d'Atlantiqueと日本のMitsubishiが、少なくとも一時的にクルーズ船の建造から手を引くことを意味することとなる。

さて、この数字はクルーズ船の新造のみのものであることは心に留めておくべきだ。1万総トン以上の30隻の旅客車輛フェリーがあり、そ の 何隻かはクルーズフェリーの範疇に入るもので、世界中の造船所に発注されている。そうではあるものの、クルーズ船建造ブームは、今では遥 か昔のことのように思われるのだ。(Business Times Singapore: Published April 8, 2004)

フェリーが故障(カナダ)

ビクトリア発。イースターの週末を前にしてB.C. Ferriesの船が故障し、運航から離れた。

ギアボックスの問題で、木曜日、Tsawwassen-Swartz Bay航路のQueen of Vancouverが航行不能となった。このためQueen of New Westminsterが、Tsawwassen-Duke Point航路から転配となっている。これにより、木曜日のTsawwassen-Duke Point航路の午後の往復運航、すなわちTsawwassenからの午後3時15分の便とDuke Pointからの午後5時45分の便が運休となった。

B.C. Ferriesの広報担当者Debra Marshallは、船齢40年のQueen of Vancouverの修理には1週間かかると話している。(CBC British Columbia: Web Posted Apr 8 2004 03:39 PM PDT)

Carrabelleはクルーズ船の寄港地になる(米国)

Carrabelleは、American Canadian Caribbean Lineの寄港地の一つとなった。同社はクルーズ船「Niagara Prince」を、世界で最小の警察署があることで有名な小さな漁村に差し向けることとなる。

この寄港は、セント・ピーターズバーグからニュー・オーリンズに向かうクルーズの中でなされるもの。今回でCarrabelleに本船 が 寄港するのは2度目となる。議会当局者は、Carrabelleに他の観光客を惹きつけるための市場調査の一環としてこのクルーズを使用 する、と今では言っている。(Tallahassee Democrat: Posted on Thu, Apr. 08, 2004)

Titanicがベルファストに帰郷(英国)

設置するのに3時間はかかったが、こうして世界的に有名なTitanicの壮大な模型がベルファストに到着した。

この不幸な運命の下にあった定期船の18フィートの模型は、正確に1トンの重さがあるが、市役所に設置された。ドイツの職人Peter Davies-Garnerの用心深い視線の下、2台のフォークリフトの10人のチームが、建物の扉を開けて玄関に模型を設置した。

最愛のものに骨を折ったDavies-Garner氏は、この模型の制作に苦心し2年以上をかけた。この定期船が1世紀前に建造された Harland and Wolff造船所から、現物の設計図を入手して使ったという。

このイベントの主催者の1人であるベルファスト市議会のMark Ashbyは、模型が到着するまで少しばかり心配していたが、正にTitanicが帰郷した心境だと語った。

「模型は大きな木枠に入って到着し、市役所の外で開封されたんです。」とBBC News Onlineに語った。「中に入れるのに扉を楔で止めなければなりませんでした。厄介でしたが、模型製作者と助手は計画通りすべて事を運びました。そして何よりも重要なこ とは、Titanicが帰郷したということで、大変に印象深いものです。」

この独特なTitanicの複製の旅は壮大なものであった。ドイツを出発して、模型はサウサンプトンでの展示のために輸送され、その後 ダ ン・レアラを経由してベルファストに到着した。

遠洋定期船の詳細を再現したもので、ステンド・グラスの窓やパリ風のカフェの果てまで正確に再現されている。しかし模型製作者による と、 少しばかり省略したものがあるという。Davies-Garner氏はこう語った。

「甲板にデッキチェアーは置かないことにしたんです。なぜかというと、そこに人も置かなければならないこととなりますから。それから煙 草から上る煙のための真綿が必要となりましたが、とても面倒でした。」

最初は手間がかかったが、この元建築家は模型作りに挑戦して本当に楽しんだという。

「最初は大変イライラさせられましたよ。同じものの複製を沢山作らなければなりませんでしたからね。例えば救命艇のようなものです。し か し出来あがってみると、大変に満足の行くものとなりました。」

甲板の一つが動き出したために作品を見ないでいる。

「木材ですからね。温度が違うと動き出すんです。しかし展示会の開幕にはいつも間に合うようにしています。」

この模型は疑いもなく、Titanicの処女航海92年記念を祝うベルファストでの1週間のイベントにおける話題の中心となることだろ う。

Titanicは、ベルファストをサウサンプトンに向けて1912年4月2日に出港し、13日後に沈没して約1500人以上が死亡し た。 そうしたお話や、バスや船でのツアーが行われるが、イベントの狙いはこの悲劇とTitanicの話の中におけるベルファストの役割を世界 に伝えることにあるという。(中略)

有名なアイルランドの聖職者で写真家でもあるFrank Browne神父の写真のコレクションも展示される。

展示会は、ベルファスト市長Martin Morgan卿と、少年の時にこの定期船が町を離れるのを見たというBelfast Titanic Societyの代表John Parkinsonにより土曜日に正式に開幕する。(BBC News: Thursday, 8 April, 2004, 12:31 GMT 13:31 UK)

フェリー運航の早期売却(英国)

オークニー諸島とシェトランド諸島への重要なフェリー運航は、予定よりも早く売却されると大臣は話している。

この動きは、既存の契約を保持しているフェリー事業者NorthLinkが、財政的に「困難な」状況に直面していることに引き続いて出 てきたもの。

この5年契約は、2002年10月に効力が発生し、2007年9月まで効力を有することとなっていた。それが今や、来年の運航のために 直 ちに売却されることとなった。(ic Lanarkshire.co.uk: 14:07, Apr 8 2004)

Caledonian MacBrayneは大臣のNorthLinkの声明に回答(英国)

フェリー運航者のCaledonian MacBrayneは、北部諸島への生活航路であるフェリー運航に再度申し出ることを確認する今朝の大臣の声明に対して次のような回答をした。この声明は、 Caledonian MacBrayneの常務取締役Lawrie Sinclairによるものと思われる。

「Caledonian MacBrayneは、NorthLink Orkney and Shetland Ferriesの50%を保有する株主である。当社では、運輸大臣Nicol Stephenによるオークニー諸島とシェトランド諸島への運航の将来に関する今朝の大臣声明を承知している。2005年からの運航契約に対して再度申し出を行ったこと は、Caledonian MacBrayneの運航に何らの影響をも与えないものである。NorthLinkの困難は、スコットランドの経営陣が解決すべく対処してきた。Caledonian MacBrayneでは、本日の展開の成り行きを見守ることとなる。」

疑問は、特にNorthLinkがこの会社の広報を担当するBeattie Mediaの指図を受けるべきだとする点にある。(Ferrynews: 8th April 2004)

New Adventure Cruise Lineがポートランドから出航(米国)

ポートランド発。夏、新しい冒険クルーズ客船会社がポートランドから出航する用意が出来た。クルーズ船MV Wilderness Discoverは、ポートランドからコロンビア河を遡り、スネーク河に出て、戻ってくるクルーズを行う。

乗客は道中、カヤック、マウンテンバイク、ラフティング、ウィンド・サーフ、ハイキング、キャニオン渓谷のジェット・ボートを楽しんだ り、あるいは単に87人乗りの船で寛いだりすることもできる。

7日間の冒険で、お一人様1,200ドルから。詳しい情報は公式ウェブ・サイトへ。(KOIN: April 9, 2004)

1968年4月10日:ニュー・ジーランドのフェリー事故で何十人も死亡(ニュー・ジーランド)

ニュー・ジーランドのウェリントン港でフェリーが転覆し、51人が死亡したことがある。この国を襲った最悪の嵐の最中に起きたもの。

TEV Wahineは、610人の乗客と125人の職員を乗せて、この日の早朝入港しようとしていた。

船を放棄した後、何隻かの救命艇が荒れ狂う海の中で転覆したため、多くの乗客が溺れるか、岩礁に叩きつけれた。18フィート (5.49m)の波のため、沿岸警備隊は遭難船に近づけず、救助は困難を極めた。

悲劇はこの日の早朝、南島と北島を隔てるクック海峡において、暖かい熱帯性の前線と、冷たい南方からの嵐が出会ったために生じた。この た め海は大時化となり、ウェリントン港に99mph(160km/h)以上の強風が吹きつけた。

Wahineが入港したところ、Barrett暗礁の岩礁に叩きつけられ、レーダー・システムは使用不能となった。Hector Robinson船長は、船舶を安定させるために直ちに両方の錨を下ろしたが、船は港でSeatoun方向に引きずられたのである。

フェリーは救助隊が到着する前に、数時間に亘って時化のために右から左まで打ち壊された。本船を放棄する命令は、13時30分頃まで発 令 されなかった。この時までに下部甲板の大半は浸水していた。

何百人もの人々は、地元ボランティアが救助していた岸に何とかして近づこうとした。基地がMuritai Schoolに設置され、そこで生存者に飲み物や食事、毛布が提供された。死亡したものの大半は、老人か幼児であった。合計44人の乗客、6人の船員、1人の密航者が死亡 した。放棄された船は、14時30分頃、右舷側に完全に傾いて沈没した。

このフェリーが、ニュー・ジーランド南島のLyttelton港を、前日の夜20時40分に出港した時の天候状態は良好であった。気象 警 報が発令されていたものの、嵐がこんなに酷くなる徴候は何もなかった。(BBC News, UK: 10 April)

ニューロンドンではクルーズ船の歓迎準備(米国)

ニューロンドン市では、この沿岸の都市が遠洋定期船の定期寄港地となることを望んで、1,200人乗りの旅客クルーズ船の歓迎に力を入 れている。

Holland-American Cruise Lineが運航するMassadamが5月14日に寄港するが、街は準備で忙しい。本船は、14発の祝砲、横笛と太鼓の楽団に歓迎されることとなる。この都市へのクルーズ 船の寄港は、これが2度目。2年前にRegal Empressがニューロンドンにやって来たことがある。

市当局者は、来月の寄港で観光客がドルを落とし、この地に訪問者が増えることを望んでいる。(WTNH: April 11, 2004)

S.S. United Statesの復帰は棚上げ(米国)

1月にドイツのブレマーハーフェンを酷い風が吹き渡り、S.S. United Statesを海に戻そうとするクルーズ会社の野心的な計画を混乱させている。

世界最速の船と宣伝されたことのある陸に上がったこの遠洋定期船は、1996年7月以来、サウス・フィラデルフィアのSnyder通り に 近い、デラウェア川の第82埠頭に不名誉にも停泊している。自然現象で長く留まることになるようにも思われる。

マイアミに本拠を置くNorwegian Cruise Linesは、昨年4月にこの遠洋定期船を購入し、船を刷新して、現在使っているアメリカの港湾間を結ぶ船隊に入る計画を発表した。

ドイツの嵐は、Norwegianの計画をドミノのように押し倒した。嵐はこの会社のPride of Americaに深刻な損害を与えたのである。この船は7月4日からハワイ・クルーズを始めることとなっていた。現在、会社ではPride of Americaを修理すると共に、別の船であるPride of Alohaを7月の就航に間に合わせると言っている。このためS.S. United Statesの計画は棚上げとなったのである。本船は1970年以来、外洋を自力で運航していないものであり、「Big U(=大きなU)」として知られているもの。(中略)

United Statesは2,400人乗りの設計で、1952年7月2日の処女航海で、ヨーロッパを3日間10時間40分で結ぶ速力記録を樹立している。

中部大西洋でQueen Maryの記録を塗り替えた時、有名な無線通信を送ったものだった。「Sorry, old girl(=失礼、お姉さん)」 すると返信は「Your girls are faster than our girls(=お宅の娘は、うちの娘よりも進んでいるね)」であった。

しかし大西洋横断船は直ぐに航空機によって終わりとなり、United Statesは1970年に引退した。数年間、世界をドサ回りして、Cantorがトルコに本拠を置く投資集団の共同経営者から購入した。彼はフィラデルフィアに本船を曳 航してきた。1ヶ月間Walt Whitman橋の下に留め置かれ、それからSouth Phillyに移動し、1日1,000ドルの費用で停泊した。1984年、バージニア州ノーフォークであった競売で美しい服を剥がされ、鐘が外されて3万ドルで売却され た。しかし専門家は、船体は痛んでおらず使用できると話している。(Philadelphia Daily News: Posted on Mon, Apr. 12, 2004)

高速フェリーが乗客1,000万人達成(英国・アイルランド)

ホリーヘッド―ダン・レアラ航路のSTENAの高速フェリーが、乗客1,000万人を達成した。この記録はWard CatherwoodがHSS Stena Explorerに乗船した時に達成したもの。同航路は1996年4月に開設された。

Stenaは、イースターで家族とアイルランドに帰省中のCatherwood氏に、シャンペン1籠、花束、チョコレート、記念品、そ し て今年度のフェリー無料乗船券を進呈した。(中略)

Stena HSSの1,000万人の乗客のうち、360万人が徒歩客。また約200万台の乗用車、45,000台のバス、335,000台の貨物車輛を輸送した。Stena Lineは英国とアイルランドを結ぶ指導的なフェリー会社であり、ホリーヘッドからダブリンとダン・レアラ間、フィッシュガードからロス レア間、そしてストランラーからベルファスト間で、年間300万人以上を輸送している。

昨年夏、この会社では6,500万ポンドのStena Adventurerという超フェリーを、ホリーヘッド―ダブリン港航路に就航させ、今月始めにはフィッシュガード―ロスレア航路に、新しいStena Expressの高速フェリー運航を導入している。(Daily Post; Liverpool: 2004-04-13)

新しい西海岸のフェリー運航がスカイ島へ(英国)

スカイ島のポートリーからウェスター・ロスのゲアーロックへの新しい直行フェリーの運航が、今年の晩夏に始まる。West Highland Seawaysでは1日に2往復を行う。この90分の航海では、スコットランドの最も目を見張らせる風景の中を航海することとなる。

この開発で観光業を増進させ、雇用を創出し、地元経済の足音を促進することになるものと見られ、ポートリーの人々は歓迎している。北行 き の運航ではSound of Raasay(=ラーゼイ入り江)に船は向かい、その後Loch Gairloch(=ゲアーロック湖)に向かってロナ周辺の北東部を周遊する。

この運航向けの新船は、UigにあるMorrison's Engineering造船所で建造中。Spirit of Skyeと命名され、6月頃就航し、夏季の季節運航を行う。巡航速力18ノットで、自転車の他、36人まで乗客を乗せることができる。船室には飛行機のような座席が用意さ れ、屋根の付いた甲板には9席用意される。Spirit of Skyeの動力は、伝統的なプロペラではなく2基のジェット推進であり、騒音や振動を軽減し乗客により快適な航海を提供できることとなる。27浬を90分で結び、運賃は大 人10ポンド。(後略)(North Scotland Press and Journal: 09:00 - 13 April 2004)

QM2の遅延でクルーズ客は激怒(英国)

昨夜、到着が遅れて激怒した乗客は、Queen Mary 2をボイコットすると誓った。

2,600人乗りの世界で一番の定期船は、昨日の朝、予定より4時間遅れでサウサンプトンに到着した。これは金曜日にポルトガルのリス ボ ンで、船首のスラスターの扉が閉まらなくなるという技術的な問題が発生したため遅れたもの。

シアトルから妻のRosmaryと旅行していた実業家のDewey Gantzは、こう語った。「Cunardの船での最初のクルーズでしたが、これが最後のクルーズです。」

ジブラルタルのJim Wright(52)は、連絡する飛行機に乗るために5億5,000万ポンドの船から飛び出して行かなければならなくなり、失望していた。「品質の点で、この船はその誇大 広告のレベルにも達していないと思いますよ。」

しかし乗客向けに公演したテレビ・スターのDes O' Connor(72)は、「壮大な旅行でした。」と語った。

船主のCunardは謝罪した。社長のPam Conoverは次のように話した。「当社では影響を受けたお客様のお手伝いを、全力をあげて致しました。」(The Mirror: Apr 13 2004)

新しい韓国―中国間のフェリーが金曜日に開設(韓国)

韓国と中国の合弁の海運会社が、韓国の仁川(インチョン)と中国の泰皇島(チンホアンタオ)との間で、今週、フェリーの運航を始める、 と木曜日に海事水産省が発表した。

「Qinren Shipping Co.が12,000トンのフェリーを金曜日に就航させます。この運航は月曜日と金曜日の週2回の運航となります。」と当局者は話した。

この航路の開設により、韓国―中国間のフェリー航路は12航路となる。この中には、仁川と中国の都市間、平沢(ピョンテク)と栄成(ロ ン チョン)、日照(リーチャオ)間の2航路、束草(ソクチョ)と理春(フンチュン)間の1航路が含まれると当局者は話した。

昨年、フェリーは526,645人の乗客、226,828 TEUsの貨物を輸送した、と当局者は付け加えた。(The Korea Times: 04-15-2004 17:30)

フェリー削減の噂で雇用の危機(英国)

ハルから出るP&Oのフェリー運航が根本的に変更されるかもしれない。

P&Oのフェリー運航筋によると、会社はPride of Hullの船籍を、オランダ船籍に変更することを考えているという。BBCでも、2隻の船をハルから、ポーツマス・フランス航路に転配する提案があるとの情報を得ている。 このことは、再編を実行中であることを確認しているこの会社が、更に賃金の安い外国人労働者を雇用し得ることを意味する。

P&O Ferriesは、ハルからの運航を変更する明確な計画はないと話しているが、組合幹部は英国人船員に関わるこの動きを心配している。

Rail Maritime Transport Union(=鉄道海事運輸組合)のSteve Toddは、ハルでの雇用を守るべく活動していると話した。「これは税収にも関わるもので、我々は雇用について安心材料を探しているところです。」(BBC News: Friday, 16 April, 2004, 09:11 GMT 10:11 UK)

MyTravelはクルーズ運航から撤退(英国・アイルランド)

問題を抱えている英国の旅行会社のMyTravel Groupは、アイルランドにおいてPanoramaとDirect Holidaysを保有しているが、第三者によって運航は継続されるものの、クルーズ船の運航から撤退した。

この以前はAirtoursと呼ばれた会社は、キプロス証券市場に上場しているクルーズとホテルのグループ、Louis Ltdと合意に達し、Louisが3隻の船の運航を引き継ぐこととなった。

この取引により、2004年9月30日までの会計年度において、MyTravelに1,600万ポンド(2,390万ユーロ)の特別損 失 が生じることとなった。

先月、この会社から出された声明では、現在の財政協約は2006年半ばまで有効ではあるが、会社が財政的に完全に健全に戻るため、貸借 対 照表の再編の方策を既に調べていると述べられていた。(Ireland Online: 16/04/2004 -15:06:37)

HFD(ギリシャ)

数年間否定的な決算が続いていたが、フェリー事業者のHellas Flying Dolphins (HFD)は、2003年度において収益を回復した。

この会社では、2002年度の損失が4937万ユーロであったのに対し、収益は718万ユーロであったと発表している。会社では、株主 は 3687万ユーロの減資を承認し、販売費が2002年においては1億2190万ユーロから1億250万ユーロに減少したという。負債総額 は、8690万ユーロから7970万ユーロに減少した。

HFDでは今後2年間に高速フェリー船隊を拡張して、エーゲ海航路における市場占有率を高めることを目標にしていると話している。 (Kathimerini: Saturday April 17, 2004)

現役最古の旅客船がレイを訪問(英国・ドイツ)

未だに運航している世界最古の遠洋旅客船が、レイの年一度の夏祭りに参加する。

MV Doulosは現在書籍を販売している慈善団体によって使用されているが、6月に歴史的な港の遺産が1週間に亘る祝賀の間、一般に公開されることとなる。

この船齢90年の船は、1977年にドイツの慈善団体Good Books for All(=全ての人に良書を)に購入され、この町を初めて訪問することとなる。

Doulosには35カ国300人以上が乗り組み、約50万冊の本を在庫している。Doulosの理事Lloyd Nicholasは、本船の活動は宗教的な動機に基づくものであると話した。「様々な港で援助をすることは、聖書に概説されているように、キリスト者にとってごく普通の振 る舞いなのです。」と語った。

1,500万人以上の訪問者が旅行やプログラムのために乗船し、書店を訪れたという。本船は、アフリカ、アメリカ、アジア、オーストラ リ ア、ヨーロッパ、中東の88カ国、400以上の港に寄港して来た。(後略)(The Scotsman: Sat 17 Apr 2004)

南海のTitanic(南アフリカ)

Titanicの前にWaratahという船があった。この豪華旅客船は処女航海において石炭を燃やして走り、8つの防水隔壁を自慢と していた。不沈船と言われていた。

1909年7月27日、Waratahはオーストラリアからイングランドへの航海途上、南アフリカを回っていた時に消息を絶った。この Blue Anchor Lineのフラグシップは、ダーバンをケープ・タウンに向けて出航したが、到着しなかったのである。何度も捜索が行われたが、乗船していた211人、貨物、そして船の足取 りは全くつかめなかった。

1世紀経過し、今週、この謎は解明されるかもしれない。ダーバンから科学者が水中音波探知機を持って行き、海難の可能性がある海域の新 し い情報を得ることとなる。

「Raise the Titanic(=タイタニックを引き揚げろ)」の著者である小説家のClive Cusslerの資金提供を受けた遠征隊では、荒々しいTranskei海岸沖のXoraとBashee河口の近くでWaratahを見つけることを期待している。「ピタ リと当てるのは難しいですが、私は用心深くも楽観的ですよ。」と遠征隊の隊長Emlyn Brownは、昨日語った。

難破船を見かけたという(飛行機の)パイロットの計算で、あり得る場所が判明しており、現在では30平方フィート四方の2つの海底の区 画 であると見られている。

3年後にTitanicが沈没するまで最も有名だった沈没船であるが、Waratahには救助連絡をするための無線機も電信機もなかっ た のである。専門家の中には、転覆しやすい頭でっかちな設計に問題があったという者や、気まぐれな波浪や「大洋の穴」、すなわち風や潮の流 れによって油槽船を飲み込むほど大きな穴が開く現象のためだという者もいる。

16人の屈強な遠征隊では、トロール漁船を改造した船で海底の画像を示す水中音波探知機を引き摺りながら進むこととなる。難破船が見つ か れば潜水夫が潜り、可能ならば潜水艦で調査することとなる。

この作戦は4日間行われる。Ramsay博士とBrown氏は、1999年にWaratahを発見したと考えたのであるが、2年後、そ れ はドイツのU-boatが第二次世界大戦で撃沈した輸送船であることが判明したのだった。

それ以来、取り組み方を変えていたところ、1962年に珍しく穏やかで晴れた日にTranskei海岸を飛んで、海底に完全な旅客船の 姿 を見たという、セスナ機パイロットのBill Elstonに行き当たったのだった。(中略)

ニュー・サウス・ウェールズ州の象徴の花に因んで命名された全長140メートルのWaratahは、1908年、オーストラリアへの移 民 航路向けにスコットランドのBarclay Curle & Companyで建造された。オーストラリアへの処女航海は問題なく、イングランドに戻る時には211人の乗客と6,500トンの貨物を乗せていた。

不吉な前兆はあった。経験のある船長Joshua Ilberryは、伝えられるところによると、本船が頭でっかちであることに不満を漏らしており、ダーバンでは老練な船客と呼ばれていたClaude Sawyerが下船し、妻に電報を打ったのである。「Waratahは頭でっかちと思料。ダーバンにて下船」

悪夢のような経験に不平を言い、Sawyer氏は本船が旅を続けることとなった時には乗船はしなかったのである。その悪夢を思い出して い た。「Waratahは大波の中にいるのを見た。船首を波が覆うや船を沈めた。右舷に転覆して姿を消した。」

7月27日、小型船は助かった嵐の中を船は進んでいた。ケープ・タウンに到着しなかったとき、警報が発令された。英国海軍が捜索に参加 し たが、破片も見つからなかった。翌年、関係者によって3ヶ月間捜索したが、やはり何も見つからなかった。

1929年、軍人のEdward Joe Conquerが、Xora河口近くでの実弾演習中、望遠鏡で本船が転覆し姿を消すのを見たと主張して名乗り出た。作り話であるとして多くのものが退けられた中で、 Conquerの話は証明寸前のものだったと言えるかもしれない。(The Guardian: Monday April 19, 2004)

MacBraynewaveがフェリー業界を盛り上げる(英国)

フェリー会社のCaledonian MacBrayneは、150年に亘る同社の歴史上、初めてテレビ広告を始める。

この広告は、同社の運航を利用する観光客数が増加することを意図している。短期の休暇にCalMacのフェリーを利用してくれるかもし れ ない若い世代に働きかけるもの。

広告は、次の宣伝文句を使ってテレビに現れることとなる。「Have a Caledonian McBraynewave(=カレドニアン・マクブレインの波に乗ろう)」

同社はビクトリア朝に船客を乗せる遊覧汽船を持って始めた会社。それ以来、ヘブリディーズ諸島への生活航路とクライド沿岸の通勤フェ リー 運航を行う会社となった。しかし現在ではCalMacの運航は発展し尽くしており、この26航路で短期の休暇を過ごす若い世代を取り込も うとしている。昨年、この会社の乗客は500万人を突破した。

会社では、テレビ・キャンペーンで、それぞれの目的地で観光業が増大する傾向が継続することを望んでいる。(BBC News: Monday, 19 April, 2004, 06:05 GMT 07:05 UK)

フェリーの建造は外国、組合は不満(カナダ)

バンクーバー発。ブリティッシュ・コロンビア州の造船労働者を代表する組合では、2隻のB.C.のフェリーが外国の造船所で建造される ことになると話している。

Shipyard General Workers Federation of B.C(=ブリティッシュ・コロンビア州造船労働者総連合)では、政府とBC Ferry Servicesが、「C級」船舶の入札を国内で行おうとも考えていないという情報に不満を持っている。

連合では、発表は来週行われるものとみられ、フェリー会社では恐らくドイツ、フィンランド、韓国といった外国企業にだけ入札させること を 考えていると話している。

組合代表George MacPhersonは、これをブリティッシュ・コロンビア州の造船業界に対する裏切りであると呼んでいる。この地域で2年間に、直接1,000人以上が職を失うこととな ると話している。

この計画は、おおよそ2億ドルと見られている。(The Vancouver News: Tuesday, April 20, 2004)

Royal Caribbeanの第一四半期の利益80%増(米国)

マイアミに本拠を置くRoyal Caribbean Cruisesは、第一四半期の利益が80%増で、2004年度は堅調であると見ていると発表した。

このクルーズ会社は、第一四半期の収益は11億ドルで、利益は9,580万ドル(1株当たり47セント)であると話した。1年前の同時 期、Royal Caribbeanは8億8,020万ドルの収益で、5,320万ドル(1株当たり27セント)であると話していた。分析者は、この会社が10億5,000万ドルの収益で 利益が1株当たり42セントであると発表するものと予言していたので、いずれの目標も上回ったこととなる。

Royal Caribbeanでは、クルーズ切符価格の上昇と共に、収容力が13.4パーセント増加してことで、収益が25パーセント増加したと見ている。Royal Caribbeanの会長兼最高経営責任者Richard D. Fainは、市場は新しい収容力を良く吸収しており、会社は本年の安売り価格の傾向と需要で勇気付けられていると話した。旅客切符販売からの収益は、第一四半期が7億 9,009万ドルであり、昨年の同時期の6億5,313万ドルよりも伸びている。

今月、会社では更に収容力を伸ばす予定で、Jewel of the Seas(=海の宝石)を船隊に加える。本船は、Royal Caribbean Internationalの2,100人乗りのRadiance級の第4船。

株式は18セント下落し、43.86ドルで引けた。52週間の最高値は、3月5日の46.92ドル。52週間の最安値は、2003年4 月 23日の15.95ドル。(South Florida Business Journal: 4:24 PM EDT Wednesday)

Queen Mary 2はニューヨークで処女航海を終える(米国)

ニューヨーク発(AP)。世界最大のクルーズ船Queen Mary 2は、木曜日、霞のかかったマンハッタンの摩天楼を背景にハドソン河を初めて進み、ニューヨークに到着した。

金持ちを乗せて、このCunard Lineの最新の船は殆ど予定通りに到着した。横断航海の最初の2日間、霧と嵐のために遅れたものの、午前8時過ぎに到着した。

本船の到着を見るために、マンハッタン島の岸辺には見物人が押しかけた。9月11日以降最大の警備体制が敷かれ、このGotham(= ア ホの住む街、注、ニューヨークのこと)の慣例となっている挨拶、すなわち消防艇が赤と白、青の歓迎放水を行った。通過する本船を見にマン ハッタン島の岸辺にやって来た見物人に、ロンドンのような霧雨が降り注いだ。

別の英国の遠洋定期船であるTitanicが、処女航海でニューヨークに向かって、92年と1週間後の接岸となった。

Ronald Warwick船長は、Great Circle Route(=大円周航路)として知られる北寄りの同じ航路を取ったが、Queen Mary 2は、RMS Titanicが沈没して1912年4月15日に1,503人が死亡して近代史における最悪の海難となったような氷山によって危険に曝されることはなかった。

しかし、波高30フィート、風力10の強風と63 mphの突風という荒天で、乗客にとっては忘れえぬ夜を過ごすこととなった。船上の記者からの報告では、多くの乗客は食堂に行くよりは、むしろ自室に閉じ篭っていたとい う。

本船は、2001年9月11日のテロリスト攻撃以来、最大のニューヨークでの出来事として、最高に厳しい警備体制の下で到着した。ハド ソ ン河のターミナルに入る前に、自由の女神の前で僅かに停船し、曳船、警備艇、沿岸警備隊の船舶によって護衛された。

サッカー場4つ近い長さの1,132フィート、21階建てのどっしりとした黒の船体は、先週金曜日にイングランドを出発して6日間の旅 に 出た。2,600人の乗客に、贅沢な生活と食事を1,250人の船員が提供した。(中略)

Queen Mary 2は、Cunardの大西洋横断運航のQE2の後継であり、半世紀振りにこの定期船の名前が復活することとなる。初代のQueen Maryは、この新船の半分ほどの大きさで、1936年6月1日にニューヨークでデビューした。

第二次世界大戦中、Queen Maryと姉妹船Queen Elizabethは、灰色に塗装された兵員輸送船となり、敵のU-boatsをかわすのに十分な速力があった。Winston Churchillは、後にこれにより戦争は1年短くなったと評したものである。Queen Maryは1967年に引退し、カリフォルニア州ロングビーチの海岸にある観光施設となっている。(中略)

Queen Mary 2は、アゾレス諸島とカリブ海を通ってフロリダ州フォート・ローダーデールで終えた14日間のクルーズを行って、1月に合衆国沿岸に初めてやって来た。本船は大西洋定期横 断運航を今年は12回、来年は26回行う。Queen Elizabeth 2は、主としてサウサンプトンを本拠とする短距離クルーズに使用されることとなる。(New York Times: April 22, 2004)

イタリア行きのフェリーが爆弾の脅迫でギリシャに引き返す(ギリシャ)

4月23日アテネ発。イタリアに向かっていたギリシャの旅客フェリーが、爆弾の脅迫でギリシャのパトラ港に引き返した、とギリシャ商船 省当局者がReutersに金曜日に語った。

「船の爆弾に関連する電話がありました。その船は(イタリアの港の)アンコナに向けて14時40分にパトラを出航しましたが、現在引き 返 しています。」と同省当局者は話した。

船には284人の乗客が乗っているという。(Reuters AlertNet: 23 Apr 2004 14:03:55 GMT)

ニューヨークのQUEEN MARY 2 貴婦人から乾杯(米国)

2004年4月23日。QUEEN MARY 2は港に入っています。帰ってきました。帰国したんです。これで自分の時間はおしまい。

帰ってきました。アメリカ、愛してるわ。ニューヨーク、愛してるわ。陸地、愛しているわ。建物、通り、セメント、愛しているわ。この素 晴 らしい船から出て来た時、大地にキスをしたわ。ホームレスの浮浪者にキスをしたわ。好きでもない人にもキスをしたわ。

見て、QM2を愛してる。愛してる、愛してる、愛してる。愛されずにはいられない。歴史的航海。栄光のお船。でも馬鹿げた終わりのない 海 を越えて、ここにいるわ。もうあの風呂には入らないでしょう。シャワーにだって。麦芽ミルクで体を洗うの。

それからお船に乗ったのよ。ボートじゃなくて、釣船じゃなくて、フェリーじゃなくて、曳船じゃなくて、モーターボートじゃなくて、帆船 じゃなくて、シガーレット・ボートでもなくってよ。どんなお船とも違うの。北大西洋の6日間。北大西洋しかなかったわ。鯨も、おひょう も、いわしも、救助隊員も、Ben Affleckへの非難も、何にもなくて、水しかなかったの。

Tony Bennettがサンフランシスコに心臓を置いて来たって?私はニューファンドランドに胃袋の中身を置いて来たわよ。知っていることはといえば、この巨大な湖を2時間30 分で横断したConcordeは引退したということ。Queen Mary 2は6泊もかかって、「今日の」見世物となったわけ。

昨日、北アメリカに向かっていたけれど、起床時間は午前4時30分。皆、5時30分には甲板にいたわ。手荷物は夕方になるまでには出さ な ければならなくて、それでハンドバックに、しわくちゃのパジャマと、汚れたズロースを入れて歩くことになったわけよ。

親しくお話して、良き隣国を得て海を越えたわ。税関職員にはパンストで包んだ旅券を見せて、新しい国際関係の樹立よ。

サウサンプトンを出航するとき、岸壁には地元の人は殆どいなかった。ある骨専門の医師は「もうこの船を見たんでしょ。慣れっこなんです よ。」ですって。良いわよ、でもお母さんはガキどもに、ニューヨークはパーティーの仕方を知っているって、教えてあげなくちゃだめよ。

Verrazanoの下を抜けると、報道や警察のヘリコプターがブンブン。煙突が橋を過ぎると、見物人が手を大きく振っていた。消防艇 が 赤と白と青の泡を、空高く上げていたわ。

自由の女神では沿岸警備隊の船、警察の警備艇、曳船、港の船、New York Waterwayのフェリーが脇についていた。まるで小人の国を進むガリバーのよう。大艦隊の護衛付き。

するとスピーカーから「America the Beautiful」、米国行進曲の「Battle Hymn of the Republic」が鳴り響いたわ。

Lady Liberty(=自由の貴婦人)は前の方に佇み、そして「The Star Spangled Banner(=星条旗)」。霧がかかって、朝早くて、風が吹きすさんで、それは興奮したわ。3階の甲板で氷ついて立っていたので、ガチョウがぶつかってくるのよ。それは ゾクゾクしたわ。両側に船が並んで水路を進み、私達の進む方向を示して、女王に頭を下げて。

皆、5日間役立たずだった携帯電話を持っていたの。皆、カメラを持って、皆、米国と英国の国旗を振って。音楽はSinatraの 「New York, New York」、そしてBilly Joelの「New York State of Mind」。ニューワーク港から離れすぎて、注意しなければならないことに気がついていた。それは本当に、大きな大きな船なんですもの。これは私だけが興奮していることで ないことは判っているのに。

それからMargaret Moranの曳船が押し始めた。まるでプールにひょいと動く玩具のよう。通って来たマンハッタンやバッテリーの先に向けて脇から押していた。

昔、世界貿易センターがあった場所を通過した時、静かだった。元のQMがここを出航したときは、双子の塔が建つ前のこと。Queen Maryは、世界貿易センターを見なかったのね。

昔のチェルシーの埠頭に来て、エンパイヤー・ステートを過ぎて、ニューヨークの摩天楼に滑り込んだ。

船は時計仕掛けのように動いていた。JFK(=空港)に行く旅行者の便宜を図っていた。昨日の晩、こう話されていた。8時接岸、9時 30 分までに船室を明渡して地獄のラウンジに集合、11時下船。すべて予定通り。大騒ぎも混乱もなく。船員は全ての曲がり角に立っていた。手 荷物は荷札の色毎に分類。入国審査は甲板の番号順。その間、銀食器の朝食はBritanniaの間で続いていた。Queen Mary 2は全て王族のやり方で運営。どういうことだか判っている?

とにかく遂に完全に停止し、船上で本物の制服を見ました。ワシントンの(=軍服)じゃなくて、Cunardのよ。そして税関職員にこう 聞 いたとき、帰って来たと思ったもの。「旅券を片付けて良いですか。」すると「いや、貴方の場合は結構です。貴方の場合、4日間は胸の上で 身に着けていなけれなりません。」

ニューヨークの洒落たお馬鹿ね。お帰りなさい。(New York Post: April 23, 2004)

水平線の上での順調な航海とDFDS(英国)

北東部の観光客とスカンジナビアの買い物客が、タインサイドに本拠を置くフェリー運航者DFDS Seawaysのグループの親会社の利益を10パーセント押し上げることに貢献している。

デンマークに本拠を置くDFDS A/Sは、コペンハーゲン株式市場に上場しているが、SARSウイルスやイラク戦争の衝撃、格安航空会社との競争の激化といった2003年度の難しい市場の情勢にも拘ら ず、税引き前当期利益が1億5,700万デンマーク・クローネ(1,410万ポンド)を記録したと話している。(中略)

2004年度の変化としては、この会社の英国で最も人気のあるニューカッスル―アムステルダム航路の古いフェリーPrince of Scandinaviaを、Duke of Scandinaviaと代替したことが挙げられる。タインからの乗客・車輛台数も、毎年成長を続けている。

この会社では、昨年度のDaily Telegraph Travel Awards(=Daily Telegraph旅行大賞)において、Best Ferry Operator(=最高フェリー事業者)の称号を獲得している。DFDS A/Sグループでは、21航路を経営し、23隻の船を保有・運航して、28隻の傭船した船舶を展開している。(The Journal - Newcastle-upon-Tyne: 2004-04-24)

日本船がドバイに寄港(アラブ首長国連邦)

観光・商業市場局(DTCM)によって運営されているドバイ・クルーズ・ターミナルは、4月20日に寄港した日本のクルーズ船、MVぱ しぴっくびいなすに乗船していた237人以上の乗客を歓迎した。

乗客はアラビア・コーヒーで歓迎され、警察の楽団と伝統的な楽団「Aiyala」が、到着を出迎えた。伝統的な衣装を身に着けた生徒が 花 で歓迎し、一方Hatta Heritage Villageの職人は、伝統的な民芸品を展示した。

ドバイ・クルーズ・ターミナルの実行支配人であるAwadh Al Seghayerは語った。「この豪華クルーズ船の寄港は、首長国が世界地図において人気のあるクルーズの目的地となって来ていることを示すものです。」

乗客は周遊観光地としてドバイの広大な風景を見るため、首長国を案内されることとなる。多くのクルーズ船の寄港が、今年予定されてい る。

この豪華船は世界一周旅行中で、マドラスから到着した。乗船していた237人の乗客のうち、14人がドバイで下船し、22人が乗船し た。

通過の223人の乗客は、221人が日本人で、2人が朝鮮人。本船は198人の船員と合計245人の乗客を乗せて、4月21日にエジプ ト に向けて旅行を続ける。(rolling pin CRUISE: 04/24/2004)

Queen Mary 2とQueen Elizabeth 2が4月25日に一緒に大西洋横断航海(米国)

4月25日、ニューヨーク発。今日、世界で最も壮大な豪華定期船Queen Mary 2と、姉妹船で有名なQueen Elizabeth 2 (QE2)が、一緒にニューヨークからイングランドのサウサンプトンに向けて、歴史的な大西洋横断を行う。2隻の船が一緒に航海するのは、Cunard Lineの164年の大西洋横断定期船運航の歴史において、初めてのことである(注、これは史実に反し誤り)。これはまた、QE2が ニューヨークから東に向かう大西洋横断航海の最後ともなる。今後はサウサンプトンからのヨーロッパ航海と、有名なワールド・クルーズ(= 世界一周航海)を行うことになる。(中 略)

Cunard Lineは1840年以来、世界で最も有名な遠洋定期船を運航して来た。その船舶は英国の古典的な遺産であり、Queen Mary 2、QE2、そしてCaronia等がある。2007年には、Queen Victoriaがその船隊に加わる。(Cunard Line: Sunday April 25, 8:00 am ET)

現代のシルクロードが具体化(アジア)

上海発。最初に提案されて45年経過して、かってアジアとヨーロッパを結んでいた古代のシルクロードの現代版が、具体化した。 140,000kmの高速道路とフェリー航路網が、再び2つの大陸を結び付けることとなる。

中国、日本、韓国を含むアジア23カ国が、昨日、道路網に関する条約に署名した。他のアジア諸国も今後署名するものと見られている。

Asian Highway Agreement(=アジア・ハイウェイ協定)は、多くの陸地に囲まれたアジア諸国の分断を緩和し、かってアジアとヨーロッパとをラクダ隊商が結んだ、古代の貿易航路の 現代版を確立するところに意図がある。

1959年に最初の提案がなされたが、冷戦の不信の何十年間に遅延していた。この計画は、32カ国によって原則的に承認されていた。 (The Straits Times: APRIL 27, 2004 TUE)

マレーシアのStar Cruises:米国部門のNCLが10年もの3億5,000万ドル社債計画(マレーシア)

クアラ・ルンプール発。世界第4位(注、第3位の誤り)のクルーズ客船会社、マレーシアのStar Cruises Ltdは、金曜日に完全子会社の米国のクルーズ客船会社NCL Corp.が、10年もの社債、3億5,000万ドルを公募する計画であると話した。

JP Morganが社債について委任されている。払込金で負債を返済して新しいクルーズ船の建造資金を調達し、その他、一般目的に当てる、とStar Cruises関係者がDow Jones Newswiresに語った。(中略)

マレーシアのResorts World Bhd.は、Star Cruisesの34.4%を保有。カジノ経営のGenting Bhd.は、Resorts Worldの55.2%を保有している。Star CruisesとNCLは、いずれもStandard & Poor'sの信用格付けでBB。(Dow Jones: Friday April 30, 3:13 PM)