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2008年1月

2008年1月の海外旅客船情報

大晦日に何千人も到着(ベトナム)

大晦日の月曜日、Saigon Tourist Travel Service (STS)は、5,000人以上の観光客を迎え入れた。これにはカイ・ラン港のクルーズ船、SuperStar Libraの1,800人も含まれている。

SuperStar Libraは、中国と香港の乗客を乗せて、毎週、ハ・ロン湾を訪れている。

代理店のSTSは、訪問者のために、バイ・チャイ・リゾートの宿、ハ・ロン湾見学、有名なホン・ガイ市場での買い物の手配をした。 (Thanh Nien Daily: Tuesday, January 1, 2008 19:54:38 Vietnam (GMT+07))

フェリー作業部会は見解を示さず(米国)

Hawaii Superferryを監視している作業部会は、州議会への最初の報告書では、環境保護のためにフェリー運航に課している条件が有効か否かについては判断しなかった。

この13人からなる作業部会は、組織化するために12月14日に最初の会合を持った。部員はホノルル港でSuperferryの到着を 視 察し、Alakaiを見学した。

1月の会合では、作業部会は港湾の警備の問題について海務監督から話を聞くものと見られており、州政府が環境影響表明書を作成するため に 雇い入れた会社、Belt Collinsと、更にSuperferryの緊急危険性評価チームからも直接、話を聞くこととなっている。

この作業部会では、Superferryの運航を監視するものと見られ、州議会に月1回報告書を提出する。議員らは、条件が効果的か、 更 に条件を付けるべきかを判断するために、この報告書を利用することができる。作業部会には、州とSuperferry幹部、環境・文化の 専門家が含まれている。

Hawaii Superferryは、先月の高速船運航の最初の8日間に、オアフ島―マウイ島間の往復で、1回の運航で、見張りが平均10頭から12頭のクジラを見つけたと報告してい る。

同社営業担当取締役のTerry O'Halloranは、船は針路を変更して、毎回、クジラを避けることができたと語った。(Honolulu Advertiser: Tuesday, January 1, 2008)

世界最大のクルーズ船の作業開始(フィンランド)

フランクフルト発。世界最大の旅客船となる竜骨が、フィンランドのAker造船所に敷かれ、「Project Genesis(=創世記計画)」と呼ばれるものの建造の幕開けが記された。船主であるRoyal Caribbean Internationalによると、本船が竣工すると、長さ360メートルになり、5,400人の乗客を収容する空間を持ち、現在の記録保持者である船よりも、40パー セント大きなものとなるという。

この船は2009年秋に運航を開始することとなっており、フロリダ州フォート・ローダーデールを本拠とする。

それぞれの寝台は230,000ドルかけたもので、Project Genesisは、史上最高に金をかけたクルーズ船建造となる。

Royal Caribbeanでは、この等級の船を2隻就航させる計画。第2船は、2010年8月までに竣工予定。

船上の施設には、「波乗りのためのサーフ・パーク、フリー・クライミング用の壁、屋内スケート・リンクが含まれることとなる。幅71 メー トル、高さ73メートルの船の総トン数は、220,000トンとなる」と同社は語った。

現在最大の旅客船は、Royal Caribbeanの2隻のFreedom級の船であり、ぞれぞれ160,000トンの重さがある(注、総トン数を重さの単位と誤解している模様)。

来年の5月に「Independence of the Seas」が就航すれば、Freedom級には第3船が加わることとなる。(Earthtimes: Tue, 01 Jan 2008 03:09:51 GMT)

旅客船がオルモク沖で立往生(フィリピン)

レイテ島のオルモクからセブ島に向っていた数人の乗客は、水曜日の正午に出港後、間もなくして、機関不調に遭遇して立往生した。

Radio dzBBは、M/V Heaven Starが、機関が突然停止して、オルモク沖10マイルで立往生したと報じた。船員は、機関の燃料と海水が混じりあったのかも知れないと話した。この立往生時に何人の乗客 が乗船していたかは、直ちには判明しなかった。

M/V Heaven Starを所有するRobles Shippingは、乗客を救助するために別の船、M/V Wonderful Starを向わせたが、この立往生している船に到達するには、4時間はかかるかもしれないと話した。(GMA news.tv: 01/02/2008 04:41 PM)

BC ferryは予定外の運休(カナダ)

ビクトリア発。BC Ferryのフェリーは、少なくとも困惑した50人の乗客を残して、問題を抱え込んでいる。MV Northern Adventureは毎晩、プリンス・ルパートからポート・ハーディに運航しているが、機械の故障に遭遇した。この船は、ベラ・ベラの北に接岸した。

船のエンジン・オイルが汚れていたことが判明した。船上で修理は可能だが、この修理により、船は定刻より12時間遅れとなる。52人の 乗 客は、船に留まることとなる。

Northern Adventureは、沈没したQueen of the Northと代替すべく購入されたもの。(CKNW: Jan, 02 2008 - 11:10 PM)

釜山の会社がクルーズ運航を開始(韓国)

今年の3月になれば、朝鮮でクルーズが始まる。釜山(プサン)のある地元海運会社が、釜山から南部の都市に行く南海岸クルーズと、中国 と日本の観光都市に行く国際クルーズを始める。

これは朝鮮で最初のクルーズ運航であり、同社は日本から600人収容できる15,000トンの船を輸入している。

クルーズの専門家が、狙いとしている略式クルーズの雰囲気に合致するよう、同船をフェリー風のクルーズ船に改造している。同社は、香港 や ロシアに、将来、長距離クルーズをする計画も立てている。(Chosun Ilbo: Jan.4, 2008 06:17 KST)

フェリー会社は増強(フランス・英国)

LD TRANSMANCHEは、需要の増大、とりわけ貨物取扱者の需要が増大しているのに対処すべく、海峡中部で収容力を33パーセントまで増強する。

現在、重量物運搬車は、場所がないことから、ディエップとニューへブンの両方で、次の便の出発を待つことを余儀なくされているが、1月 7 日から、3便が双方の港湾を結ぶこととなる。

新しい運航は、午後12時30分ディエップ発、午後3時30分ニューへブン着と、その反対の運航の、フェリーがニューへブンを午前8時 発 で、ディエップに午後1時に到着するものとなる。この新しい運航は、同社とDepartement of the Seine Maritime(=セーヌ海事局)間での、追加の公的助成金はなしとする協定の枠組みの中で組織化されたものだ。この第3の往復便で、英国の観光客がディエップで1日を 過ごすために、1週間のどの日を選んでも良いことにもなる。

時刻表は、とりわけ、それぞれの港に配送されて回収される、運転手の同伴しない航送の興味を惹くこととなる。こうした車輌は、牽引車部 分 を伴わないで輸送され、荷役時間が余計にかかるものであり、海峡の両岸のLD Transmancheのチーム技量と専門の設備が必要となる。

運転手の同伴しない航送は、成長している市場部門の象徴であり、Armamentは将来の発展の見込みについてはかなり楽観的だ。 (Eastbourne Herald: 04 January 2008)

倒産した会社のクルーズが船出(英国)

旅行業者のTravelscopeが管理下に置かれたにも拘らず、乗客らは93日間の世界一周クルーズに船出した。

旅行業者1,500社を代表する旅行団体のAbta(=英国旅行業協会)は、オランダ所有のMV Van Goghで行くTravelscope Holidayのクルーズを実現すべく手配した。

Abtaの広報担当者David Marshallは、コンウォール州ファルマウスで、乗船する乗客らに声をかけながら、次のように語った。

「乗客の皆さんは、一生に一度の休暇を救ってくれたことで、Abtaに大変に感謝して下さいました。雰囲気は大変に陽気なものでして、 皆 さんはこのクルーズを3年も前に予約されていたのです。Abtaが新年を用意してくれた、と仰っていました。」(The Press Association: Friday, January 04, 2008)

クルーズ船で強姦の申立て(ニュー・ジーランド)

クルーズ船のニュージーランド人の乗客が、大晦日の太平洋航海で、オーストラリア人の男性に強姦されたと申し立てている。

Radio Australiaは、フランス警察がニュー・カレドニアのローヤルティ諸島のリフ島に寄港中のクルーズ船、Pacific Dawn(注、実はPacific Starの誤り)に呼ばれたと報じた。

46歳の女性観光客が、早朝、狂乱状態になって、打撲を負っているのが発見された。この女性は、船室で就寝中、オーストラリア人の乗客 に 強姦されたと話した。(New Zealand Herald: 7:35AM Sunday January 06, 2008)

QE2が最後の世界一周旅行に出発(英国)

世界的に有名な旅客定期船QE2は、廃船になってドバイで洋上ホテルになるに先立ち、最後の世界一周旅行に出発した。

花火が上がり、このCunardの船が母港であるサウサンプトンを出発するのを記念した。

この船齢の40年の定期船は、同社の最新船、Queen Victoriaが最初の世界一周クルーズに出発するのと歩調を合わせて出港した。両船は、ニューヨークまで一緒に大西洋を横断することとなる。

これはQE2の802回目の大西洋横断であり、その後、南米、太平洋地域、そして極東に向う。

新しい3億ポンドのQueen Victoriaは、12月にコンウォール公爵夫人によって命名され、最終的には、この定期大西洋横断をしていたQE2と代替する。

Cunard lineのかってのフラグシップであるQE2は、40年間の洋上生活において、記録を塗り替え、軍隊を輸送し、王族をもてなした。

2007年、ドバイに1億ドル(5050万ポンド)で買収され、2009年に、この湾岸首長国沖の人工島でホテルになる。

最後の長距離旅行では、シドニーに最後の寄港をする。1978年2月24日に初めて寄港して30年目となる。

この70,000トンの船は、未だに最大の旅客船の1隻であり、最高速力32.5ノットで、1,778人もの乗客と、1,000人以上 の 船員を輸送することができる。

スコットランドのクライドにあったJohn Brown造船所で建造され、1967年9月に女王陛下によって正式に就航した。

Cunardは、Queen Victoriaは同社の最高に豪華な定期船であると話しているものの、第3の「queen」であるQueen Mary 2ほど大きなものではない。

Queen Victoriaは先月、10日間の北ヨーロッパ一周の処女航海を行った。7つの食堂、3つのプール、6000冊所蔵の図書室、そして1つの賭博場を自慢としている。 (BBC News: Sunday, 6 January 2008, 17:41 GMT)

NCL Corp.、Apolloの投資完了(米国)

Norwegian Cruise LineとNCL Americaの親会社であるNCL Corp.に対するApollo Management L.P.の10億ドルの投資が完了した。

「Apollo investmentによって、今やNCLは、弊社41年の歴史において最も強固な財政状態となりました。」とNCL社長で最高経営責任者のColin Veitchは、新聞発表において語った。「熱心で協力的な株主としてのStar CruisesとApollo、そして船隊が業界で最も新しいものとなったことにより、弊社は、新しく興奮するような水準に刷新する構想をもつことになります。」

Apolloは現在、このマイアミに本拠を置くクルーズ会社の50パーセントを保有しており、NCLの取締役会の大半を任命することと な る。以前、NCLの唯一の所有者であったStar Cruisesは、何がしかの承認権を維持する。

NCLはまた、2人の重役を加えたと述べた。副社長と最高財務責任者であり、新しい戦略的計画と事業発展を率先して陣頭指揮を執ること と なる。(Bizjournals.com: Monday, January 7, 2008 - 12:45 PM EST)

新しいフェリーがドイツの島とロシアのバルト海の海港を結ぶ(ドイツ・ロシア)

ハンブルク・ザスニッツ発。デンマークのフェリー会社が、長年中断していたドイツ北部のリューゲン島とロシアの海港バルチースク間の運 航を再開した。バルチースクは、1945年までドイツ名のピラウとして知られていたが、カリーニングラードから45キロメートル程のビス トゥラ・スピットの北側に位置している。ロシアの大きな海軍基地があったことから、この町は何十年にも亘って立ち入り禁止地区であり、全 ての外国人の接近を拒んでいた。

フェリー会社のDFDS Liscoは、週一回、リューゲン島のザスニッツからバルチースクに、MS Vilniusという船を使って、フェリーの運航をしている。木曜日の午後4時にザスニッツを出発し、16時間かけてバルチースクに到着する。

この旅行は、ハンブルクの旅行代理店Schnieder Reisenを通じて予約できる。帰路は、MS Vilniusが金曜日の午後6時に、バルチースクを出港する。この船は、132人の乗客と25台の乗用車を積載することができる。

ドイツからバルチースクに旅行したい乗客は、バルチースクの許可と共に、ロシアの査証が必要となるが、フェリー運航会社か旅行代理店を 通 じて取得することができる。(Earthtimes: Tue, 08 Jan 2008 03:12:04 GMT)

Apollo Managementが50%買収し、NCLは「B2」に格下げ(米国)

ムンバイ発。Moody's Investors Serviceは、非公開投資グループのApollo Management LPが、NCLの50パーセントに10億米ドルを投じた投資を完了した後で、NCL Corp Ltdの企業格付けを「B1」から「B2」に引き下げた。

Star Cruises Ltd (SCL)は、50パーセントの持分を維持し続けることとなる。

「この格下げは、SCLの所有比率が低下し、取締役会を制御できなくなったために、SCLからNCLへの支援水準が低落すると見た Moody'sの見解を反映したものです。」とその代理人は語った。

更に、この資本注入によって、NCLの財務、流動性は改善し、同社の債務・金利税金償却前利益の見積もりは、このクルーズ客船会社が新 船 の引渡しの資金を工面するために借金に頼ることになることから、今後2~3年に亘って、Bの下の格付けに相応しい水準に留まるとした。

同時にMoody'sは、「B3」とするNCLの上位無担保社債の格付けを確認した。この見解は不変だった。(Forbes: 01.08.08, 7:34 AM ET)

フェリー幹部は電話で意見聴取へ(米国)

Alaska Marine Highway Systemは、夏の南東フェリーの日程案と年間の運航計画に関して意見を聴くため、木曜日に公開電話会議を催す。

Department of Transportation(=運輸省)の広報官Roger Wetherellは、多くの代表者が証言することができ、場合によっては計画や日程を説明し、自由に電話で参加できると話した。

知事の諮問機関であるMarine Transportation Advisory Board(=海上輸送諮問機関)の議長を務めるジュノーのCathie Roemmichは、日程を提供したことで州政府を賞賛した。

「本当に人々の意見を聴こうとしているのだと思います。」と話した。

既にシトカの住民の懸念を聴いて、当初の日程には変更が加えられているという。

金曜日午前9時に、南西部と南部中央の日程に関して同様の電話会議が開かれる。(Juneau Empire: January 8, 2008)

税関船が捕鯨を監視すべく出発(オーストラリア・日本)

連邦政府は、南洋で日本の捕鯨を監視する任務を負って、税関船がウェスタン・オーストラリア州を出発したと話した。

Oceanic Vikingは、火曜日の午後10時に、パース南部のHMAS Stirling海軍基地を出港した、とHome Affairs Minister(=自治省)の広報官Bob Debusは話した。

この船には、18人のP&Oの船員、30人の税関職員、医師1人、連邦環境局の職員1人が乗船している、と広報官は語った。

政府は、Oceanic Vikingは、日本の捕鯨に反対する、可能性ある国際訴訟に備えて、20日間に亘ってビデオと写真による証拠を収集すると話している。

元々は12月に出港するものと見られていたが、連邦政府の反対があり、Australian Greensはこの遅れを批判していた。

月曜日にForeign Minister(=外務大臣)のStephen Smithは、この航海についてのあらゆる決定は、20日間の活動の間、能力を最大限発揮するというものだと語った。この派遣では、数日間の空中査察も「合わせて行う」と も語った。

今週、日本の捕鯨船団の広報担当者は、夏の狩りをしている途中だと話した。日本の捕鯨船は、国際的な批判に反して、調査目的で935頭 の ミンククジラと50頭のナガスクジラを殺害する計画だ。

Greenpeaceは、同団体のEsperanzaが日本の捕鯨船を発見することができるよう、政府に対して、判っているのならば日 本 の捕鯨船の位置を教えて欲しいと要請している。

Esperanzaは1月2日以来、南極水域にいるが、一方、Sea Shepherd Conservation Societyの船、Steve Irwinも、この狩りを追跡している。

「Oceanic Vikingが遂に出発したことを喜んでいます。南洋でお会いすることを楽しみにしております。」とGreenpeaceのクジラ問題の活動家Rob Nicollは話した。

「もちろん、オーストラリア政府が既に船団の位置を知っているのならば、Oceanic Vikingよりもずっと接近できるよう、その位置を知りたいものです。しかし、教えてくれることは期待しておりません。」(The Age: January 9, 2008 - 5:28PM)

太平洋クルーズの強姦事件で司法管轄権の問題(ニュー・ジーランド)

海事法の専門家は、クルーズ船でニュー・ジーランド人の女性が強姦されたという事件は、ニュー・カレドニア警察が捜査すべきだと話して いる。

46歳のオークランドの女性は、11日前にP and OのPacific Starの自分の船室で、オーストラリア人の男に強姦されたと話している。

しかしニュー・ジーランド、オーストラリア、ニュー・カレドニアの警察は、誰が捜査すべきという点で合意できないでいる。

法廷弁護士で海事法の専門家であるPhilip Rzepeckyは、英国船籍の船であったとしても、申し立てられた犯罪時においては、ニュー・カレドニアの司法管轄の下にあったと話している。(TV3 News: Fri, 11 Jan 2008 07:15a.m.)

中国で違法なフェリーが沈没して10人行方不明(中国)

北京発。金曜日、上海近郊で違法なフェリーが、深い霧の中で錨を下ろした船のケーブルに衝突して転覆・沈没し、10人が行方不明になっ た、と国営メディアが報じた。

船員2人を含む合計22人が、このフェリーに乗船していた、とXinhua(=新華社)は上海管海官庁からの情報を引用した。

12人が救助されており、当局では残りを捜索している。(Inquirer.net: 22:45:00 01/11/2008)

NTSB:劣悪な運航、保守が致命的なクルーズ船の爆発の原因(米国)

マイアミ発。連邦捜査官は、不適切な運航、保守、検査が、2003年の致命的なクルーズ船の爆発の原因となったと話している。

National Transportation Safety Board(=国家運輸安全委員会)は報告書の中で、クルーズ船のSS Norwayのボイラーの爆発で、Norwegian Cruise Lineの船員が8人死亡したと話している。ボイラーの部品は「広範に亘って疲労破断」が見られ、劣化によって金属が弱体化し、極度の蒸気圧によって破裂したとしている。

報告書ではまた、機関士がこの亀裂を知っていたものの、「問題を解決するために適切な行動に出なかった」としている。

この客船会社唯一の汽船は、ボイラーが爆発した2003年、マイアミに接岸していた。8人の船員が酷い火傷を負って死亡した。17人の 労 働者が負傷したが、乗客で怪我をした者はいなかった。

このマイアミに本拠を置くクルーズ客船会社では、合衆国沿岸警備隊の監査を受けた安全手続きを強化しており、この事故については責任を 負 う、と話している。(WWSB: January 11, 2008 12:44 PM ET)

失われた第二次世界大戦の勲章は家路につく(米国)

フラートン発。家の周りでEdith Lewisを蜘蛛や蜘蛛の巣まみれになって追い回していた兄は、昔々、第二次世界大戦の末期に、沈み行く囚人船の息の詰まりそうな船倉の中で、死んだ。

しかし戦時中に兄のBillが獲得した長らく不明になっていた勲章を受け取った木曜日、彼女は未だに涙を堪えていた。勲章は、彼の死 後、 家族の下には決して届かなかったものである。勇気を称えるSilver Star(=銀星章)、戦争捕虜勲章、そしてPurple Hearts(=パープル・ハート勲章、注、米軍の戦傷者に授与される勲章)である。

下士官のWilliam Barnesは、航空兵を希望して軍隊に入隊した。空爆され沈みつつあった日本の囚人船の中で死亡したが、そこの状況は大変に過酷なもので、歴史的には「hell ship(=地獄船)」として記憶されることとなった。

「兄を大変に尊敬しておりました。」とLewis(84)は、共和党フラートン選出の下院議員Edward Royceが手渡した勲章の入った桜の木箱とリボンを両手で抱えて語った。

彼女は、兄を陽気な若者として記憶している。かって自前の飛行機を作ったことがあり、最初の飛行で野原に突っ込んだとき、それを家に 引っ 張って行って、操縦席に赤ペンキをぶちまけたものだった。「この噂を聞いたことがあるはずです。」と彼女は語った。

高校を卒業して直ぐの1938年に入隊し、航空機械工兵としてフィリピンに送られた。1941年に日本が攻撃したとき、コレヒドールと し て知られている島の要塞で抵抗する軍隊の中にいた。

この戦闘で、Silver Star(=銀星章)を獲得した。砲火を浴びて退却を命ぜられたが、負傷者を安全なところに引っ張り出すために走って助け、他に救助を必要とする者がいるかどうかを見に 戻ったのだった。太ももを打ち抜かれて、その日、Purple Heart(=パープル・ハート勲章)も獲得した。

日本はその島を占領し、Barnesは捕虜収容所に送られた。そこで2年以上も過ごした。1944年、日本はBarnesと他の捕虜 を、 日本により近いところに移動する決定をした。

1,600人以上が、Oryoku Maru(=鴨緑丸)と呼ばれる船に積み込まれた。合衆国軍によって書かれたこの船の報告では、男達は猛暑と、空気と水の不足から発狂したと描写されている。この報告によ ると、状況は「奇怪な悪夢のようだった」という。

いくつかの報告によると、この船には捕虜を輸送していることを示す印はなかった。桟橋を離れて間もなくしてアメリカの飛行機が攻撃して 機 銃掃射し、その後、爆撃を再開した。

そうした爆弾の1つが、この船の船倉の一部を吹き飛ばした。船の名簿によると、そこにBarnesがいたのだった。遺体は発見されな かっ た。生き残った他の捕虜は岸に泳ぎ着き、他の「hell ships(=地獄船)」に積み込まれた。僅か450人しか、日本に辿り着けなかった。

Bill BarnesがOryoku Maru(=鴨緑丸)で死亡して63年以上経過した木曜日、妹が初めて勲章を手にして、穏やかに語った。「美しいです。」

「大変に誇りに思います。しかし胸も痛みます。素晴らしい兄でした。」(Orange County Register: Friday, January 11, 2008)

州政府・連邦政府が、外国のクルーズ規則を巡って対立(米国)

ハワイに寄港する外国船籍のクルーズ船を阻止することになる連邦規則改正案は、州の当局者とハワイの下院議員の派遣団との間で、次第に 激しい論争になって来ている。

この改正で、Norwegian Cruise Lineによる競争問題が引き続き存在していることが明らかになっており、選挙によって選ばれた役職者が、ハワイで運航している唯一の合衆国船籍のクルーズ会社という独自 の地位を守ろうとしている努力も明らかとなった。

この大騒動は、U.S. Bureau of Customs and Border Protection(=合衆国税関国境警備局)が、ハワイに寄港する外国船籍のクルーズ船は外国の港湾で最低限48時間過ごし、その間乗客が上陸することを許すという法 令解釈を提案した昨年の11月21日に始まった。

この解釈は、U.S. Department of Transportation(=合衆国運輸省)によって要請されたもので、ロサンゼルスやサン・ディエゴから出発した外国クルーズ船が、メキシコのエンセナダで1時間も 過ごさずにハワイに向っていると税関に情報を与えたもの。(Bizjournals.com: Friday, January 11, 2008)

澳門近郊のフェリー事故で133人怪我(中国)

1月11日、澳門発。香港と澳門にそれぞれ向っていた2隻の高速フェリーが、澳門沖で金曜日の晩に衝突し、133人余が怪我をした、と Macao Special Administrative Region(=澳門特別行政区)(SAR)の海事管理局の当局者は語った。

事故は澳門の沖、約5海里の海域で、午後8時30分に起きた。衝突当時、この海域には濃い霧が出ていた。

怪我をした乗客のうち、19人が重傷。死亡者数は報告されていない、と海事管理局長のSusana Wong Soi Manは語った。2隻の船の乗船していた2人の船員も怪我をした。

怪我人は、澳門の2つの病院に収容された。事故発生当時、2隻の船には400人以上の乗客が乗船していた。

この2隻のTurboJetの水中翼船は、香港に本拠を置くShunTak-China Travel Ship Management Limitedが運航しているもので、澳門と香港間でフェリーの運航をしている。(Xinhua: 2008-01-12 01:04:49)

ニュー・ジーランドが申し立てられたクルーズ船強姦事件を引き継ぐ(ニュー・ジーランド)

ニュー・ジーランド警察は、元旦にかけてクルーズ船であったと申し立てられている強姦の捜査の主導権を握った。

オークランドの女性が、ニュー・カレドニア島の領海内のP&Oのクルーズ定期船Pacific Starの船上で、オーストラリア人の乗客によって強姦されたと主張している。しかし、どの国が事件の捜査の責任を負うべきかを巡って混乱していた。

Win van der Velde刑事局長は、ニュー・ジーランドが被害者に対して責任を負うこととなると話している。(TV3 News: Sat, 12 Jan 2008 07:17a.m.)

ニャ・チャンに2,000人を乗せてRhapsodyは航海に出る(ベトナム)

KHANH HOA発。Khanh Hoa州の中部海岸では、バハマのRhapsody of the Seasというクルーズ船に乗船した2,000人近い外国人乗客を歓迎した。木曜日にニャ・チャン港に錨を下ろした。

今年、ニャ・チャンに到着したこの最初の外国船は、初めて祖国を訪問する数百人のベトナム系アメリカ人を乗せて来た。

在外ベトナム人は、ベトナムの上向きな社会経済的変化に驚き、興奮したと話した。また、将来もっと長く滞在するために帰国したいとも 語っ た。(Viet Nam News: 12-01-2008)

3隻の女王の波動を確認せよ!(米国)

3隻のCunardのQueen船、Queen Mary 2、Queen Elizabeth 2、そして新しいQueen Victoriaは、ローアー・マンハッタン(注、マンハッタン島の南端部)の沖(ジャージー市のリバティー・ステート・パークの真向かい)で、今晩、自由の女神を背景に して出会うものと見られている。

午後7時30分に予定されている花火が、この出来事を祝うこととなる。主催者では、一般人はリバティー・ステート・パークの他、ロー アー・マンハッタンから3隻の船と花火の素晴らしい光景を目にすることになると話している。

Queen Victoriaは、12月10日にイングランドのサウサンプトンで、コンウォール公爵夫人(Charles皇太子と結婚したCamilla Parker Bowles)により洗礼を受けた、とAssociated Pressは報じている。この船は先週、QE2と共にする大西洋横断を含む3ヶ月間世界一周クルーズに出発した。

ニューヨークにVictoriaとQE2が到着した後で、ブルックリンを母港にするQM2と出会うこととなっている。3隻の偉大な船の 出 会いは、見ものとなるはずであり、冬の暗いニューヨーク港を飾り立て、キラキラと輝くことだろう。

Queen Elizabeth 2は、今年後半に引退する見込み。Cunardは、2010年に就航する新しいQueen Elizabethを建造中だ。(NJ Blog: Sunday January 13, 2008, 1:43 PM)

エストニアのフェリー会社Tallinkの乗客は12月増加(エストニア)

1月14日、タリン発。指導的なスカンジナビアとバルト海のフェリー運航事業者Tallinkは、月曜日、2007年12月の乗客総数 は、1年前の同月と比較して1.8パーセント伸びて、533,000人だったと述べた。

エストニア―フィンランド間の乗客は、12月、17.8パーセント増加して231,000人だった。しかしスウェーデン―フィンランド 航 路は16.1パーセント減少の210,000人だった、と声明にはあった。

10月に新しくグループ全体の予約システムが始まったために、鍵となるフィンランド―スウェーデン航路は未だに人数が減少しているもの の、同社は予約に関する悪影響は減りつつあると述べた。(Reuters: Mon Jan 14, 2008 12:08pm EST)

ポーランドはフェリーの「Jan Heweliusz」沈没15周年を記念(ポーランド)

ポーランドは、バルト海のドイツ領海で1993年に沈没したポーランドの旅客フェリー「Jan Heweliusz」の犠牲者を追悼した。

このフェリーは、ポーランドからスウェーデンに向う途中だった。「Jan Heweliusz」は15年前の1月14日の朝に沈没し、乗客20人、船員35人が死亡した。9人がドイツとデンマークの救助隊によって救助されたが、10体の遺体は見 つからなかった。第二次世界大戦後、ポーランド最悪の海難事故だった。

犠牲者を追悼する式典は、バルト海沿岸の数都市で執り行われている。遺族や生存者などが祈りと追悼式のために集まった。 (Poland.pl: 2008-01-15, 14:51)

Carnivalは40セントの配当を表明(米国)

2008年1月15日。Carnival Corp. & plcは、1株当たり0.40ドル配当することを表明した。配当金は、2月22日現在の株主に対し、3月14日に支払われる。

マイアミに本拠を置くCarnivalは、北米、ヨーロッパ、オーストラリアにおいて、一連のクルーズ商標を用いてクルーズ休暇を提供 し ており、それはCarnival Cruise Lines、Holland America Line、Princess Cruises、The Yachts of Seabourn、Aida Cruises、Costa Cruises、Cunard Line、Ibero Cruises、Ocean Village、P&O Cruises、そしてP&O Cruises Australiaから構成されている。

これらの商標では、合わせて85隻の船を運航し、下段寝台は合計158,000床に上り、2008年4月から20012年5月までの間 に 22隻の新船が就航する予定。Carnivalは、Holland America ToursとPrincess Toursというアラスカとカナダのユーコン準州における指導的な旅行会社も経営している。(Trading Markets: Tuesday, January 15, 2008; Posted: 04:28 PM)

ストライキが終わり航海再開(英国)

ドーバー港からのフェリー運航は、カレーの漁師の争議行為後、再開された。

P&O Ferriesは、9隻の抗議船がフランスの港を離れた後のグリニッジ標準時間の12時30分に横断運航を再開したと話した。

SeaFranceとP&O Ferriesは、漁師が争議行為をグリニッジ標準時間の9時30分に始めた後、カレーへの海峡横断運航を一時中止していた。

遅延が予想されることが乗客に警告されているが、P&Oでは出来るだけ速く物事が動くことを希望していると話した。広報担当者 は 次のように語った。

「3時間主張を通して、いなくなりました。予定よりも3時間遅れましたが、もう通常通りに戻りつつあります。」

火曜日には荒天のため制約があったが、ドーバーでの運航は、通常通りに戻り始めている。

Operation Stackは未だに留まっており、ケント州警察では、貨物輸送がM20号線を利用できるよう、自動車運転者に対してA20号線を利用するよう要請している。(BBC News: Wednesday, 16 January 2008, 13:42 GMT)

P&Oはドーバーで43人首切り(英国)

P&O Ferriesは、ドーバー港で43人削減する計画を発表した。ドーバー・イースタン・ドックス(=ドーバー東埠頭)での同社の営業における新しい配属と勤務協定に向け、 同社従業員との間で協議が始まっている。

会社によると、この提案は、変動する旅客と車輌の処理能力の水準に、より的確に人員配置を適合させるため、配置協定の柔軟性を高めるも の だと話している。賃金の見直しも、協定の一部をなすこととなる。

計画が始まれば、埠頭における新たな勤務体系によって、現在の合計170人のうち、43人分の常勤の仕事が失われることとなる。(中 略)

同社では、既定の結論といったものはない、と付け加えた。(Crawley Observer: 16 January 2008 7:52 PM)

カランガラのフェリーは運休(ウガンダ)

カランガラ諸島とマサカのブカカタの本土を結ぶフェリーは、ランプ(注、傾斜路)が分解修理中のため、未だに立往生している、と Vision Reporterは伝えている。

このフェリーは、車輌で食料、薪、魚といった商品を輸送している島民にとっては主要な輸送手段の一つとなっている。

先週、労働省は乗客に対して、フェリーは2月11日から15日の間に修理すると警告し、エンテベのナキウォゴから運航しているMV Kalangalaを利用するよう忠告した。

しかしエンテベとマサカ間で商品を輸送することは、長距離なため困難。更に、ブカカタのフェリーが無料であるのに対し、この船は大変に 費 用がかかることとなる。(New Vision: Wednesday, 16th January, 2008)

Stena HSSは200万ポンドかけて改装へ(英国)

Stena Lineは、Stena HSSの改装に200万ポンドの投資を行う。

この改装では、フェリー前方の160席のラウンジを使ったStena Plusサービスが拡大されることとなる。

革張りのソファー、椅子、無料新聞、おやつ、軽食、新型便所を利用できるStena Plusラウンジに行くには、顧客は割増切符か14ポンドの追加料金を支払う必要がある。

Stena Plusの中には、別個の家族区画があり、PlayStation 3やPSPといったゲーム機がある。

映画、遊び場、触れて操作できる映像技術を用いた双方向性設備のあるCurious George(=おさるのジョージ、注、ある絵本の主人公)を題材にした子供の遊戯区画の他、2つのバリスタ喫茶店も導入される。

この200万ポンドの改装は、北部回廊航路(ストランラー・ベルファスト間)におけるStena Lineの大規模投資の一環。新しい3500万ポンドのフェリー・ターミナルは、ベルファスト港に建築されており、正式には6月初旬に開所する。(Travel Weekly UK: 17 January 2008)

DFDSはバルト海の新船に6億デンマーク・クローネを投資(デンマーク)

コペンハーゲン発。デンマークの海運グループDFDS ASは、2009年5月にドイツとリトアニアの間に就航する新船に、6億デンマーク・クローネを投資すると語った。

この船は乗客600人乗りで、貨物用のレーン長2,500メートル。イタリアのNuovi Cantieri Apuania造船所で建造されているもので、Grimaldi Holding S.p.Aから譲り受けた、とDFDSは付け加えた。

引渡、備品、特別調整を含む総投資のうち、1億デンマーク・クローネは、2008年に支払われる。

「この投資で、弊社の航路網の強化・拡大という戦略的目標、特にバルト海における貨物と旅客の一体構想という狙いに向けて前進すること と なります。」とDFDS最高責任者のNiels Smedegaardは語った。

DFDSは、特にロシア、独立国家共同体諸国、バルト諸国によって、今後、バルト海における海上輸送市場が成長すると見ていると語っ た。 (Forbes: 01.17.08, 6:48 AM ET)

クルーズ船規則はメーン州の港湾に損害を与えるかも(米国)

連邦政府によるクルーズ業界に対する提案された修正は、メーン州の港湾に損害を与える可能性がある。

現在の連邦法令の下では、外国のクルーズ船は、合衆国の港湾に上陸する前に、外国の港に寄港しなければならないものとされている。法律 改 正で、1つの外国の港で過ごさなければならない合計時間が、48時間にまで延長されることとなる。

この改正の可能性は、クルーズ業界に懸念を抱かせており、Associated Pressによると、業界ではそうした寄港時間が長引けば、合衆国の港湾で船が過ごす時間が短くなると話している。例えば、メーン州に向う前に形式的にカナダに寄港してい たのが、より長くカナダで過ごすこととなるかもしれないのだ。(Mainebiz Daily: 01/18/08)

フィンランドのフェリーはsnus禁止を乗り越えてスウェーデンに行く(フィンランド・スウェーデン)

フィンランドのフェリーは将来、スウェーデンの湿性煙草、snusの販売を継続できるよう、スウェーデン船籍の下で運航することとな る。

この動きは、European Commission(=ヨーロッパ委員会)が、フィンランドのオーランド諸島のGrisslehamnとBerghamn間を運航しているM/S Eckeroというフェリーの船上でsnusの販売を止めなければ、フィンランドに罰金を科す恐れがあったことから生じたもの。snus 販売はEU全域では禁止されているが、スウェーデンはこの禁止の例外となっていた。

フェリー会社のEckero Linjenが出した新聞発表では、スウェーデン国旗をたなびかせることが、この客船会社の存続を確実なものとすると述べていた。

M/S Eckeroには113人の船員が乗船しているが、船籍変更の下でも雇用は維持される。Eckero Linjenは、ストックホルムとオーランドのマリエハムン間のフィンランド船籍のフェリー、Birka Paradiseを運航している上場企業、Birka Lineの96パーセントも保有している。同社では、Birka Paradiseの船籍を変更する計画はないと述べた。(The Local: 18 Jan 08 16:20 CET)

日本の移民を記念して、ブラジル・日本年が始まる(ブラジル)

1月17日、ブラジリア発。ブラジル大統領Luiz Inacio Lula da Silvaは、木曜日、最初の日本からの移民が、この南米の国に遣って来て100周年になることを記念し、Brazil-Japan Year(=ブラジル・日本年)を正式に開始した。

近年、ブラジルと日本の関係には新しい気運が見られる、とブラジルの外務大臣Celso Amorimは、ブラジル外務省の本庁であるItamaraty Palaceであった式典で語った。

「新たな連携の時代」が両国に到来した、と日本が1980年までブラジル第二の貿易相手国であったことを付け加えて語った。しかし 1980年のブラジルのインフレと日本の景気低迷で、二国間貿易は減少した。

両国は気候変動、核廃絶、発展途上国との連携という点で、同様の見解を分ち合っている、と大臣は語った。

「前進の年となる今年は、次の100年に向けた両国間の幅広い交流へと進んで行きたいものであります。」と日本の外務副大臣の Hitoshi Kimuraは語った。

日本の皇太子、徳仁は、最初に日本人が到来したことを記念するサンパウロで6月にある式典に出席するものと見られている。

より良き生活水準を求め、1908年6月18日に最初の日本人移民団がKasato Maru(=笠戸丸)に乗ってブラジルの港に遣って来た。この781人の多くは農民であり、コーヒー農場で労働者となった。(Mathaba.Net: 2008/01/19)

アゼルバイジャン、トルクメニスタンは鉄道連絡船に関する政府間契約を実現(アゼルバイジャン・トルクメニスタン)

アゼルバイジャン、トルクメニスタン政府間委員会の第1回会議が、アシハバードで終わった。

アゼルバイジャン外務省の広報によると、会議の参加者は、両国間の経済・貿易関係の安定性と永続性における政府間委員会の役割を強調し た という。

双方は、経済、運輸、通信、文化、科学、教育、公衆衛生の様々な分野における連携を強化する点で合意した。このため政府間委員会の委員 ら は、両国間の法的基盤を拡大することで合意した。

それ故、双方は、バクーとトルクメニスタンの港湾間の鉄道連絡船の他、投資の相互促進・保護に関する政府間契約を締結する点で合意し た。

バクーとトルクメニスタンの都市間で、現在、フェリーの運航が存続していることは注目すべきだ。(Today.Az: 19 January 2008)

若者は友人の大切さを学ぶ(フィジー)

友情を維持し、日本と太平洋の若者の間で健全な理解を有することは、大変に重要なことだ、と日本大使館二等書記官Tomohiro Kanataは話している。

この友情は、特に若者に特化した様々な事業を通じて築いて来たと語った。

Kanata氏は、土曜日の晩にラウトカであった、第19回青年の船、フィジー代表団1周年記念祝賀会で講演した。

昨年、11人のフィジーの代表団が、世界一周をしているにっぽん丸であった5日間プログラムに参加した。日本政府は、船上で行われてい る この事業に参加する参加者1人当たり、約50,000ドルを支出している。

フィジー代表団は、1周年を記念して、日本大使館の館員と共に会合に出席した。Kanata氏は、第19回世界青年の船の目的は、国際 会 社(注、「会社」は「協力」の誤りか)の精神の促進にあると語った。

この行事では、日本の踊り、食べ物の展示、フィジーと日本の若者から人生を変えるような体験が語られた。「この事業の目的は、日本と参 加 国の若者の間で、親睦を深め、相互理解を図ることにあります。」と、Kanata氏は語った。(Fiji Times: Monday, January 21, 2008)

ロシアは2015年までに黒海横断鉄道連絡船を開設へ(ロシア)

1月21日、エレバン発。ロシアは、2015年までに黒海を横断する鉄道連絡船を更に就航させる計画をしている、とロシア運輸大臣の Igor Levitinは月曜日、エレバンであったロシア―アルメニア事業公開討論会の後、報道陣に語った。

「我が国は、この地域の全ての国々との間で、人々や商品の輸送ができる海路を開設することを模索しています。」とLevitinは語っ た。

2010年までに6本の鉄道連絡船航路が開設され、2015年までに、更に6本開設されると語った。同相は、黒海とアゾフ海の境界にあ る ポート・カフカスと、グルジアのポティ港の間でフェリーの運航をしていると語った。別のフェリー運航は、2008年3月に始まる。

更に、ロシア大統領、Vladimir Putinの先週のブルガリア訪問中に、バルナとポート・カフカス間でフェリー運航を開設するための協定が署名された。

「今年後半に、我が国はトルコとの間で同様の協定に署名する計画です。」とロシア当局者は話した。

ロシアの黒海の保養地、ソチは、昨年、2014年冬季オリンピックの開催を決め、現在、急速に発展している。

アルメニアとロシア間の貿易は、前年比で17.9%増で、2006年には4億2650万ドルに上っている。(RIA Novosti: 21/ 01/ 2008)

奴隷貿易の償い(米国)

Marcus Rediker

1965年、Martin Luther King Jr牧師は、ニューヨークでHuman Rights Day(=人権デー)に関して演説した。南アフリカのアパルトヘイト(注、人種差別政策)に反対する呼びかけの中で、合衆国とアフリカの共通の歴史について語った。彼は 「the infamous African slave trade(=悪名高いアフリカの奴隷貿易)」に関わったことを、「one of the blackest pages of our history(=我が国の歴史の最悪の頁の1つ」と述べた。

この合衆国、英国、スペインにとって金になったことを、「the rape of Africa(=アフリカ強奪)」だと批難し、この貿易行為の残酷さを次のように述べた。「人類の歴史において、アフリカ人が捕らえられて動物のように焼印を押され、貨物 のように船倉に押し込められて、家財としての奴隷にされたという時代に並ぶようなものは殆どない。」

彼はその被害規模を強調し、他の人類の大惨事に関連付けてみた。「何百万人もの人が、middle passage(=中間航海)において苦しみながら死んだことは、ナチによるユダヤ人、ポーランド人、その他の大虐殺という大惨事を連想させる。」厳かに次のように付け加 えた。「我々は、時の流れによって打ち消すことの出来ない贖罪の義務を負っている。」

今月、合衆国政府によって奴隷貿易が廃止されて200周年になる。Kingが今日、ここにいたとしたら、次のように尋ねるかもしれな い。 この恥じずべき歴史から我々は何を学んだろうか。それに対して我々は何をして来ただろうか。

今や私達は、Kingがそうした言葉を話した時代よりも遥かに多くの「infamous African slave trade(=悪名高いアフリカの奴隷貿易)」のことを知っている。多くの研究が、奴隷貿易の起源、時期、流れ、規模と利益を明らかにしている。ヨーロッパの商業革命を容 易にした歴史上最大の「未開の」アフリカ人の強制移住、大農園の建設、地球規模の帝国、資本主義の発達、そして遂には産業化に至る過程が どのようなものであったかを明らかにしている。

大体4世紀に亘って、大雑把に言えば1500年から1870年にかけて、1200万人から1300万人のアフリカ人が、奴隷船に乗せら れ て新世界の大農場へと航海した(最も控え目な数字で、約20人に1人が、合衆国となるところに遣って来た。)。私達は、中間航海におい て、約180万人もの奴隷にされた男、女、子供が死に、その遺体は船を追いかけてきた鮫のいる船外に放り込まれたことを知っている。生存 者やその子孫は、数世代にも亘って、その主人、社会、そして政府の驚くべき程の富を生み出したのだった。

Kingは、私達の知識を深めさせ、公民権に向けた社会運動、黒人勢力を率い、鼓舞し、劇的に変化させて、その全てが新しい、より包括 的 な、より民主的なアメリカの歴史を求めた点で、功績があると言って良い。

しかし私達は、社会が1つとなって、Kingが贖罪と呼んだ義務を受け容れてきただろうか。私達は奴隷制度の間違いを正し、歴史の審判 を 乗り越えてきただろうか。

確かに私達は進歩したが、我が国の歴史の暗黒面には直面して来なかった。奴隷貿易と奴隷制度が存在したことを認めることと、何世紀にも 亘って利益、富を生み出し、国家の繁栄の端役ではなかったという計算ずくの途方もない暴力を認めることは別のことである。最高の歴史学で あっても、自国の過去の恐怖は、控え目に言う傾向がある。ましてや、今日に至るまでの不正義、すなわち奴隷制度、人種、根深い構造的な不 平等といった領域における不正義を、克服してはいない。

この貿易における船長、船員、そして奴隷の人間的な、そして非人間的な関係についての本のための調査で、私は1つの結論に達した。ヨー ロッパ、アフリカ、アメリカの社会が、人種、階級、奴隷制度といった遺物に取りつかれているとすれば、奴隷船とは、私達の現代思想の幽霊 船になるのだ、と。

後に私は、この本について話すために合衆国と英国中を旅したが、マサチューセッツ州のセーラムで大変に驚くべき出会いがあった。私は、 James D'Wolf船長の話で私の講演を終えた。この船長は1790年―1791年の航海の後、奴隷の間に病気が広がって利益が減らないよう、ある病気のアフリカ人女性を船外に 放り込んだとして、船員の1人から殺人の容疑で告発された。D'Wolfは殺人罪で起訴されたが、罪を逃れて一流の奴隷貿易商人となり、 初期のアメリカの富豪の1人となって、最終的には合衆国の上院議員に上り詰めたのだった。

質疑応答の時間になって、ある女性が立ち上がり、しっかりした口調でこう語った。「私はD'Wolfです。本当に私は、James D'Wolf船長の子孫なのです。」部屋中が静まりかえった。彼女は続けた。「これは我が国の歴史の悲劇の1つであることを、そして私の一族の中には、そのことを理解する ようになるのに大変な努力をしていることを、ここにいる皆さんに知ってもらいたいです。」群集はざわめき、最後には女性に拍手を送ったの だった。この一族は、心をかき乱すような過去との勇気ある格闘について、「Traces of the Trade(=貿易の痕跡)」という文書を作っている。

しかし国として、私達はどのように歴史の暗黒の頁に直面すれば良いのだろうか。南アフリカを手本にして、過去についてのTruth and Reconciliation Commission(=真実和解委員会)を創設すべきなのだろうか。あるいは1989年以来、ミシガン州のJohn Conyers Jr.下院議員によって議会に上程され、否決されている「the fundamental injustice and inhumanity of slavery(=奴隷制度が根本的に不正義であり冷酷なもの)」であることを認めるよう求める法案を支持すべきなのだろうか。そして奴隷制度を研究する委員会を提案し、 世代に亘って活動し、償いを勧告することを提案すべきなのだろうか。正義なくして和解はない、そして正義は金には変えられない、と Kingは指摘していたものだ。深く考えれば、物心両面において、広範な公教育が中心になることが求められる。

Kingは、自由、正義、平等という我が国の見せ掛けの理想に応えられるかどうかを私達に迫ったのだった。私達が彼の誕生を祝い、合衆 国 の奴隷貿易廃止200周年を記念するとき、Kingの言葉を思い起こすこととなる。私達は「an obligation that is not canceled by the passage of time(=時の流れによって打ち消すことの出来ない贖罪の義務)」を負っているのだと。

Marcus Redikerは「The Slave Ship: A Human History(=奴隷船:人類の歴史)」の著者。(Los Angeles Times: January 21, 2008)

クルーズ船は飛行機よりも環境に悪い(米国・英国)

クルーズ船は飛行機の3倍の二酸化炭素を放出する、とTelegraphは報じた。年次報告書において、11社のクルーズ客船会社から 構成されるCarnivalは、乗客1人当たり401グラムの二酸化炭素を放出すると述べている。

この記事では、Eurostarの乗客1人当たりの放出量の36倍、Boeing 747の乗客の3倍以上だと主張している。Passenger Shipping Association(=(英国の)旅客海運協会)では、平均でフェリー1隻からは、乗客1人当たり120グラムの二酸化炭素を放出していると言っている。しかしPSA 会長のBill Gibbonsは、次のように話している。

「クルーズ船も洗濯、食堂、劇場にエネルギーを使用」しており、輸送では微々たる物であるのに対して、「食事の用意から廃棄物処理に至 る までの大量の二酸化炭素の放出は、飛行機では勘定に入れていないのです。」

しかし環境破壊を最小限にする指導書を提供している団体であるResponsibletravel.comのJustin Francisは、「クルーズには出発地に飛行機で向かうものがあり、些か炭酸ガスのダブルパンチになっているのです。」と語る。

更に雑誌のOur Planetでは、陸上の地元民は0.8キログラムのゴミを出すのに対し、クルーズ船客は毎日3.5キログラムのゴミになると話している。

クルーズ船は、環境影響を逓減するために努力していると力説している。Royal Caribbeanは、進んだ浄水装置、無煙ガス・タービン機関を船に導入しており、利用できるときには生物燃料も燃焼させていると述べた。(Environmental Leader: January 22, 2008)

ブラジルの日本移民の物語は100年目を迎える(日本・ブラジル)

東京発。100年前の1908年6月18日、3ヶ月前に神戸を出発した日本船のKasato Maru(=笠戸丸)は、サントス港(ブラジルのサンパウロの南60キロ)の埠頭に到着した。791人の日本の農民が、船を降りた。彼らは政府間の合意により、ブラジルに 遣って来た最初の移民団だった。この小団体は、しっかりと根を下ろした。Nikkei Association(外国に帰化した日本人)が収集した統計によると、今日、ブラジルには160万人の日系ブラジル人がおり、海外に帰化した日本人全体の62%を占め るという。

日本のブラジル移民100周年のために両政府間が組織している行事は、その歴史の重みに応じて意義深いものとなるだろう。

日本のブラジル移民の物語が、他よりも語れるようになったのは、1990年代に始まったある現象と関連がある。すなわち、移民1世の孫 や 曾孫が、祖父母が日本を離れて仕事や金を求めたのと同じ理由で、今や日本に帰っているのである。1941年以前は、日本人移民のうち、僅 か7%しか、誰もが持っていた夢を実現できず、相当数が帰国することとなった。

1990年、入国管理法の見直しがあり、日系外国人が居住し、就労することが許されるようになった。2007年初頭には、約 320,000人の日系ブラジル人が、日本に居住している。

この物語の章立ては、1868年に明治天皇の政府によって世界に門戸を開いたという日本の独特の側面を反映したものとなっている。それ で も、日本人一般が出国することは、更に17年間も禁じられていたのだった。

世紀末が近づく頃、この政府はハワイに約29,000人の農民が移民することを支援した。それ以来、移民は、人口過剰と農村地域におけ る 貧困問題解消のための国策となった。

日本海軍がロシアの艦隊に勝利し(1905年)(注、日露戦争)、他の政府との間における日本の交渉力が増大した。当初、移民の優先国 は 太平洋地域であった。合衆国、カナダ、オーストラリアであり、加えてハワイ諸島であったが、ハワイは1894年に合衆国領土となった。ブ ラジルが優先されることはなかったのだった。しかしアメリカ人とオーストラリア人の間の反日感情と、失業の懸念が、日本移民に対して門戸 を閉ざすという、人種差別主義的な政策を生み出すこととなった。

しかしブラジルは門戸を開放したままであり、コーヒー農場における肉体労働者を極端なまでに必要としていた。そこで、日本の農民が大挙 し て到来し、北米を選択したイタリア人に取って代わることとなったのだった。

東京政府は、当時は好きなようにすることが許されていた労働者の契約を保証すべく介入した。そのため、上手くは行かなかった。支配人が 強 いたことは、強制労働の水準に近づけることだった。賃金は、収穫されたコーヒーの量を基に支払われ、しばしば出鱈目な計算をしていたもの だった。多くの者が、そうした雇い主の下から逃亡した。

日本人の中で、自前のコーヒー農場を持つことのできる者が現れてから、状況は大幅に改善された。そして、それが繁栄する「日本人の」共 同 体の基礎となったのだった。戦後、新しい移民が群島(注、日本列島)から到来し、とりわけ花や葡萄の栽培、養鶏といったモデル農企業を作 り上げた日系ブラジル人の強固な支援を受けることとなった。昔の日本文化のDNAが、ブラジルと日本の双方において、再び目を見張るよう な成果を生み出したのだった。

しかし事業というものは、統一国家ではない。なおも日系ブラジル人の中には、多くの絶えざる貧困がある。1990年代に始まったブラジ ル から日本への帰国は、両国国民間における対話のような、第3の局面の前触れと考えることができる。

ブラジルへの日本移民100周年の式典は、両国民が相補的な天賦の才を交換し合い、正真正銘の世界化の利益を得るという、逃れてはいけ な い1つの機会となることだろう。(AsiaNews.it: 01/24/2008 13:06)

RBSはCondor Ferriesを3億ポンドで売却を模索(英国)

Royal Bank of Scotland(=王立スコットランド銀行)傘下にあるチャンネル諸島のフェリー運航事業者、CONDOR Ferriesは、3億ポンドの値札を付けて売りに出されている。

RBSは、2004年9月に同社を買収したが、Condorを売却するためDeutsche Bank(=ドイツ銀行)を指名した。

このフェリー会社は、プールとウェイマス間で双胴船、ポーツマスからは在来型フェリーを運航している。RBSはその業績の詳細を発表し て いないものの、税引前利益、減価償却費は、年間2500万ポンド、3000万ポンドに上ると考えられている。

HD Ferriesが競合する運航を始め、数ヵ月後に技術的な問題から廃止してはいるが、可能性ある買い手は、チャンネル諸島からフランスへの航路での競争の可能性を考慮しな ければならないかもしれない。

RBSはABN Amroを490億ポンドで買収して以来、様々な資産を売りに出してきた。(Scotsman: 24 January 2008 10:00 PM)

有名コックのNobuがCrystal Symphonyに開店する食堂の世話をすることに(日本・米国)

世界的に名の通ったコック、Nobuyuki 「Nobu」 Matsuhisaが、新しい2つの食堂の開店で、Crystal CruisesのSymphonyに3月に乗船する。

Nobuは、この豪華クルーズ運航事業者と協同して、Silk RoadとThe Sushi Barを立ち上げた。

Nobuは、3月21日の香港から北京に行くCrystal Symphonyのクルーズで、両方の食堂の立ち上げを監督することとなる。

以前、Jade GardenだったところにあるSilk RoadとThe Sushi Barは、合わせて68人の客を収容し、大概の晩には営業することとなる。

Nobuは、2003年にCrystal Cruisesとの仕事を始めたが、このとき彼の料理がCrystal Serenityの船上で提供された。Crystal Cruisesのヨーロッパ営業部長Philip Ordeverは、次のように語った。

「Nobuのように弊社では、食べ物を通じて世界と人々を深く理解しており、経験豊富な弊社のお客様に、なお一層の新しい選択の幅と卓 越 したものを提供できることを、弊社では楽しみにしております。」(Travel Weekly UK: 25 January 2008)

イタリアのGrimaldi GroupはギリシャのMinoan Linesの持分を買収(ギリシャ)

1月25日、アテネ発。イタリアの重量貨物会社であるGrimaldi Groupは、ギリシャのMinoan Linesの筆頭株主から買収し、筆頭株主となった、とこのギリシャのフェリー会社は金曜日に語った。

Minoanの筆頭株主、Sea Star Capitalは、GrimaldiのAtlantica Spa di Navigazione部門との間で、Minoanの持分の26.7パーセントを、約1億ユーロで売却することで、合意文書に署名した。

「(Sea Star)は一株当たり5.29ユーロで、1890万株の普通株を売却する。」とMinoanはAthens Stock Exchange(=アテネ証券取引所)に提出した書類の中で述べていた。

Grimaldiは、現在、クレタ島に本拠を置くフェリー運航事業者であるAnek Linesの約15パーセントを保有しているが、この合意の一環として、Anekの持分をSea Starに約4760万ユーロで売却する、とこのギリシャの会社は提出書類の中で述べた。

Sea Starは、ギリシャの海運一家Vardinoyiannisによって支配されている。既にAnekの15パーセントを保有しており、このことから持分が約33パーセント に増加することを意味することになる。

Sea Starは、この取引に関して、Credit Suisse Securities、Deutsche Bank、ギリシャのPiraeus Bankの助言を受けている。

Minoanはギリシャで第2位のフェリー運航事業者であり、一方、Anekは同国で第4位。(Reuters: Fri Jan 25, 2008 6:37am EST)

運輸長官は州フェリー網を検討(米国)

ワシントン州、エバレット発。Transportation Secretary(=運輸長官)のPaula Hammondは、Gregoire知事は州フェリー網を検討するよう命じていると話している。

Hammondは昨年秋に運輸長官になったが、目標は、フェリー網を収益の上がる、共同体間でより良く機能し、将来に備えたものにする こ とだ、と話している。

州政府は、船隊が老朽化して引退を余儀なくされる18隻のフェリーを代替する必要が、今後30年間に出てくることとなる。

同局では、11月に船体の腐食のために使用されていない船齢80年のSteel Electric級のフェリーを、1隻かそれ以上のフェリーと代替すべく、来月、入札を開始する計画をしている。

Hammondは、新しいフェリー網の重役と面談している、とも語っている。(Seattle Post Intelligencer: January 25, 2008 8:48 a.m. PT)

男性の死で未亡人がDisney Cruise Lineを訴える(米国)

ニューヨークのある未亡人が、昨年夏の地中海クルーズにおいて負った怪我で死亡した夫の死に会社は責任があるとして、連邦裁判所に Disney Cruse Lineを訴えた。

Marilyn Piazzaは、夫のSanto L. Piazzaが浴室の入り口にある不十分な設計の敷居のために倒れ、船医が当初、その怪我を誤診し、応急治療のために病院に搬送するための行動が遅く、不十分な計画で行っ たために死亡した、と主張している。Santo Piazzaは、8月14日に78歳で死亡した。

Marilyn Piazzaは、夫の地位を継承して、オーランドの合衆国地方裁判所に出訴した。訴状では、このクルーズ客船会社の企業体であるMagical Cruise Co. Ltd.とDisney Cruise Vacationsを被告としている。この両社にSanto Piazzaの死について責任があると主張し、訴訟では75,000ドル以上を請求している。

訴状によると、夫は、Disney Magicでのスペインのバルセロナを出発した11日間のクルーズの初めに負傷したという。MarilynとSanta Piazzaは、娘とその家族と共にクルーズをしていた。

訴訟では、Santo Piazzaは船室の浴室に入ったときに、敷居につまずいたとしている。倒れて、右のわき腹を浴槽に打ち付け、「catastrophic internal injuries(=壊滅的な身体内部の損傷)」を負ったという。

直ちに船内の医療部門に向かい、そこでTylenol(=タイレノール、注、米国で市販の鎮痛剤)を処方されたという。後日嘔吐し、息 切 れと激痛を訴えて医療部門に戻って来た。

この2度目の診察において、船医は肋骨骨折で肺が破裂していると診断し、Santo Piazzaに対し、直ちに下船して入院するよう話した。

訴訟では、Piazzas一家は5時間待たされ、Disney Magicはサルジニア島のカリアリに針路を変えたと主張している。その後、船の職員が膨張筏にこの怪我をした男性を乗せて、岸まで波の高い中、8マイルも移送し、 「crashing and smashing Mr. Piazza up and down constantly(=Piazza氏は絶え間なく上下に激しく揺さぶられた)」という。訴状によると、Santo Piazzaは、17日後に、この怪我のため死亡した。

Disney Cruise Lineの広報担当者は、論評しようとはしなかった。(Orlando Sentinel: January 26, 2008)

モービル本拠のクルーズ船で勃発(米国)

Centers for Disease Control and Prevention(=疾病対策予防センター)では、Carnival Cruise Linesの「Holiday」で143人が発病したという勃発を調査している。

この船は今朝、4日間のコズメルへのクルーズを終えて帰港した。CDCのMatt Albrightによると、121人の乗客と22人の船員が、ノーウォーク・ウイルスに感染したという。この胃腸ウイルスは、突然の吐き気、嘔吐、下痢を引き起こす。症状 は通常、48時間続く。

CDCでは、勃発調査を実施すべきか決定しようとしている。勃発調査には、船の検査から、食料のようなものがどのように貯蔵されている か、便所の清潔さといった調査までが含まれ、この種の事例では通常行われている。しかしCDCでは、1月1日以来、国内で報告された15 件のノーウォークの勃発を調査しており、現在、多忙を極めていると話している。

これは、「Holiday」の乗客がノーウォーク・ウイルスに感染した最初のものではない。2003年12月、120人の乗客と船員 が、 プラヤ・デル・カルメンとコズメルに向う5日間のクルーズ中にウイルスに感染している。

最新の勃発ではあるものの、モービルのCruise Terminalの支配人は、News 5に対し、「Holiday」は別のクルーズで、今日の午後出港すると話している。

今夜6時のNews 5では、重病になったと語る乗客とのインタビューを含め、この事件を詳しくお伝えします。(WKRG-TV: Jan 28 2008 - 1:12 pm)

Clipper GroupはDFDSの持分を増やす(デンマーク)

コペンハーゲン発。デンマークの海運グループのDFDS ASは、筆頭株主のClipper Group ASが、同社の保有株式を10.04パーセントにまで増加させた、と述べた。

通信社のRB Boersenによると、Clipper Groupはこれまで、DFDSの株式の5.96パーセントを保有していたという。(Forbes: 01.28.08, 5:53 AM ET)

イプスウィッチからオーステンデへのフェリー再開(英国・ベルギー)

イプスウィッチとオーステンデ間のRO-ROフェリーの航路は、もうじき再開となる、とAssociated British Ports(=英国港湾協会)(ABP)では話している。この運航は、昨年6月にFerrywaysにより突然打ち切られたが、CobelfretグループのDart Lineによって再開されるとABPは話しており、運航予定は直ぐに発表となる。

FerrywaysがCobelfretによって買収されて直ぐにあった運航休止は、イプスウィッチ港に大きな影響があった。 Unite のT&G部門では、当時、港で44人が失業したと話している。ABPは、Dart Lineにイプスウィッチ港のWest Bank(注、川西)ターミナルに場所を提供することとなる。(Road Transport: 29 January 2008)

Wightlinkでは新しいフェリーを進水(英国・クロアチア)

リミントンからヤーマスへのカー・フェリー航路向けのWightlinkの新しい船隊の第1船が、クロアチアの造船所で進水した。

Brodogradiliste Kraljevicaであった式典で、Wightlinkの23人からなる団体を前に、7歳のクロアチアの女生徒Nevia Pravdicaにより、Wight Lightと命名された。

リミントン周辺の海域でも、同様の光景が見られることになっており、夏にヤーマス行きの航路に就航し、最終的には、現在、造船所で建造 中 の2隻も加わることになる。

長さが4メートル長く、幅が1メートル程広く大型化したフェリーは、リミントン港の利用者の間で抗議運動を引き起こした。

約700トンの鋼からなるこの新しいフェリーは、乗客360人と乗用車65台まで輸送することができ、Wightlinkによると、魅 力 的な船内設備の他、大幅な荷役の柔軟性を提供することとなるという。同社が新しいフェリーの規制に適合していなかったことから新船を導入 した。Wightlinkの販売部長Kerry Jacksonは、次のように語った。

「進水式では地元民が大勢応援にいらっしゃったので、弊社では喜んでおります。現在、英国に向うための航海の準備が整うのを心待ちにし て いるところです。」

Wightlinkの新しい船隊の第2船はWight Skyであり、Wight Lighと並行して建造中。3月末に進水予定となっている。両船とも、Wightlinkが引渡しを受ける前に、クロアチアで海上試運転を行う。計画通りに行けば、この2 隻のフェリーはWightlinkの船員によって英国に5月下旬に到着することとなる。

一方、第3船である新船、Wight Sunは、Wight Lightの進水後にBrodogradiliste Kraljevicaで起工した。(Daily Echo: 8:28am Tuesday 29th January 2008)

新しいロベン島のフェリーが登場(南アフリカ)

新しいロベン島のフェリーは、今日、初めて公に姿を現した。We Are Free(=我らは自由)という意味のSikhululekileは、建造されたケープ・タウン港の格納庫から移動した。

この100トンのフェリーは、16本の自己推進牽引車により、V&A Waterfrontに少しずつ移動し、そこで海に出ることとなっている。

明日、海に進水し、Robben Island(=ロベン島)博物館に正式に引き渡される前に、検査を行うこととなっている。

この2500万ランドの船は、長さは31メートルを超え、285人乗り。(SABC News: January 29, 2008, 15:30)

豪華遠洋定期船の旅の最後の偉大な日々(英国)

航空機に取って代わられる前の時代の、魅力的な海外旅行を纏めた。Peter Elsonが、Daily Postの新刊書、Great Mersey Linersの編集を振り返る。

新聞記者のGodfrey Wynnが、少年時代に親戚が偉大な遠洋定期船の1隻に乗ってリバプールを出発するのを見送りに行ったとき、その出来事に大変に強い印象を受けたのだった。

そのとき、いつか大きくなって十分に金持ちになったならば、Princes Landing Stage(注、「皇太子桟橋」の意)からニューヨークに、1等に乗って、堂々と旅をしようと誓った。

Wynnは、最終的にはその目標を達成したものの、Cunard LineのRMS Sylvaniaがリバプール・ニューヨーク間の運航を廃止したため、その後40年以上も、そうした向上心のある若い(あるいは年老いた)旅行者は、この機会を奪われてき た。

この意気消沈させるような状況は、リバプールに本拠を置く別の2大海運会社、Canadian Pacific(カナダ行き)とElder Dempster(西アフリカ行き)が、それぞれ1971年と1972年に旅客運航を終了させて生じた。

これで終わりだった。もはやリバプールとバーケンヘッド・ドックス(=埠頭)から、世界のそのほかの国々に旅に出るということは無く なっ たのだった。そうではあるけれども、それまでは130年以上に亘って、誰もが港のいたる所に煙突を見てきた。何百万人もの移民、実業家、 政治家、社交界の名士、そして旅行者。

この中には、1842年に合衆国読書旅行に出かけたCharles Dickens(注、英国の小説家)から、1924年にエベレストの悲劇的な試みに出発したGeorge Leigh MalloryとSandy Irvine(注、英国の登山家)に至るまで、当時の有名人も含まれている。

Katharine Hepburnのようなハリウッドのスターは、CunardのParthiaやMediaのような小型の豪華な、全てが1等の定期船に乗って、リバプール経由で旅行するこ とを好んだ。

こうした行き来が、地味で陸地に囲まれたところにあるリバプールを、大変に飾り立てていた。

長いことリバプールとマージーサイドが出欠簿の最初に載せられていたことから、別の競争者を加えてみたい。私は、遠洋定期船がリバプー ル を実用性のある輸送手段にすることができたと考えている。

これより以前は、当然のことながら、マージー川に世界中と結んでいた帆船の船隊が森のように林立していた。しかしSamuel Cunardが大西洋横断郵便契約を獲得し、第1船のRMS Britanniaがコブルク・ドック(=埠頭)やマージー川から、ボストンに向けて1840年に出発するや、新たな注目すべき時代が始まったのだった。

マージー川の役割は、IK BrunelのSS Great Britainによって、更に強固なものとなった。この船は1845年にリバプールからニューヨークに向け、2週間ちょうどで処女航海を終えた。

Great Britainは外輪船ではなく、プロペラ推進の船として重要であり、どの旅客船も、この後、プロペラ推進の船となった。

リバプールの会社、とりわけWhite Star Lineは、基本設計を発達させ、誰もの想像力を満たす洋上宮殿で旅をするという旅行形態に純化させた。Liverpool Daily Post & EchoのGreat Mersey Linersという本は、マージー川にBritanniaの立てた波が立っていたこの黄金の最後の時代を回顧する。

私は、波止場から旅に出る旅客輸送の最後の日々を経験したが、それでもなお、この事業が如何に街の生活に織り込まれているかということ で 驚かされている。

この英国の生活を特徴づける役割が失われ、この都市は未だに新たな有意義な方向性を見つけるべく揺れていることは明らかだ。

今日のこの都市の独特の性格を象徴するものとして、我々はThe Beatles(注、英国のロックグループ)に固執する一方、この都市のケルト音楽の伝統と、船員が持ち込んだ新しい合衆国のロック・アンド・ロールのレコードとの衝突 が、The Beatlesの原動力となった。

本書のための、何百枚もの素晴らしい資料映像の精査を通じて、私は一瞬にしてマージー川とそこの男や女達が、驚くべき世界貿易航路網の 中 心にいた時代が、頭をよぎったものだった。

それは、リバプールが明らかに国際都市だった時代で、中学生が決まって南米行きの定期船でスペイン人が職を得たと教えられていた時代の こ とである。

薄い幅広の旅行かばんを積んだタクシーが走り去り、運賃を持った誰もが、Pier Headに隣接するリバプールのPrinces Landing Stageに停泊している遠洋定期船に乗船するという、旅立ちの光景を想像してみよう。

これらの旅客船は、南米行きのものだけではなく、カリブ海、カナダ、インド、極東、マディラ島、ポルトガル、スペイン、そして合衆国行 き のものもあった。

船の名前は、年月が経過しても、未だに空想的な響きがある。Accra、Apapa、そして愛らしいヨットのようなAureolであ る。 それからReina del MarとReina del Pacifico、Britannic、Mauretania、Sylvania、Carinthia、Voltaire、そしてVan Dyck。

Empresses of Britain、England、Canada、France、Scotlandといった王者が君臨していた海の新時代だった。

同様に、その船主も失われた世界に現れてくる。Bibby、Booth、Blue Funnel、Blue Star、British India、Cunard、Canadian Pacific、Ellerman City、Furness Withy、Pacific Steam Navigation、Shaw Savill、そしてWhite Star。

こうした環境は、リバプールの人々が、余り恵まれない、陸地に囲まれた他の都市よりは事情通という、外国に目を向ける古典的な海港の特 徴 を生み出すこととなった。

また、通過する1等船客の厄介な需要に応えるべく、洗濯屋からAdelphi Hotelに至る定期船貿易に関係する非常に多くの会社や事業により、マージーサイドには、大変に好ましい影響も与えていた。

しかし何枚かの写真が示すように海風が既に変化しており、定期船貿易は、ジェット機の到来と、激しい労使紛争の二重の打撃に苦しむこと と なった。

1970年代は、ストライキの10年と考えられているが、その前の1960年には、Cammell Lairdで酷いストライキがあり、誉れ高いRMS Windsor Castleの構造物は崩壊し、船員らの紛争で旅客輸送は麻痺状態になった。

マージー川の定期船輸送が決して元に戻らなかったことが大打撃となり、この喪失が、この都市を永遠に変えることとなった。

しかし時代は変わり、今やリバプールは、1974年までPrinces Landing Stageが浮かんでいた所に堂々たる新しいクルーズ定期船埠頭を持つに至っている。そのため、将来はこれまでになく明るいものとなっている。

取り敢えずは、座って、本書を通じて、このワクワクする魅力的な時代を堪能して欲しい。

何と言っても、Liverpool Post & Echoの優れた写真家の驚くべき努力に感謝しなければならない。Walter McEvoy、Stephen Shakeshaft、Neville Willasey。彼らがいなければ、本書は実現できなかったことだろう。

Great Mersey Linersは、全ての優良新聞販売店で、3.99ポンドで発売中。(Liverpool Daily Post: Jan 30 2008)

コンゴ民主共和国のタンガニーカ湖でのフェリー事故で少なくとも17人死亡(コンゴ)

コンゴ民主共和国の当局者は、金曜日にタンガニーカ湖であった過積載のフェリー事故で、少なくとも17人が死亡したと話している。

カタンガ州副知事のYav Tshibalは、水曜日、記者達に犠牲者の大半は女性と子供だったと話した。行方不明になっている乗客もいるが、100人以上が助かったと話している。

コンゴ民主共和国の海事調査官は、事故は、コンゴ民主共和国の港湾都市カレミーから約5キロメートル離れた湖の東側で、金曜日の夜に起 き たと話している。船は、暗礁にぶつかり、沈没したという。

調査官は、この船の乗船名簿には58人の乗客が記載されているが、この種のフェリーは乗客と貨物が過積載であるのが通例だと言われ、そ の ため、今、何人が行方不明のままなのか確定することが困難となっている。

フェリーはカレミーからモバに向っていたもので、事故当時、この運航者はより多くの乗客を乗せようと岸に向おうとしていた。

この記事の情報の幾つかは、AFPとReutersの提供による。(Voice of America: 30 January 2008)

フェリーの速力が生物多種多様性を破壊(ニュー・ジーランド)

環境保護圧力団体は、マールバラ・サウンズ(注、入江)の速度制限でフェリーを例外とする新規則は、この地域の生物多種多様性を破壊す ることになると話している。

ある環境裁判所がより速く走るための許可を申請しない限り、全ての新船は同入江を15ノット以上の速力で横断できないと裁定した。

しかし祖父条項(注、新法令の適用除外条項)により、Aratere、Arahura、Kentは、20ノットの速力で運航を継続でき る こととなった。

Guardians of the Sounds(注、「入江監視人」の意)の広報担当者、Pete Beechは、Arateraはしばしば25ノットの速力に達して、後ろに波を立てていると話している。船が通る度に、海岸では容認し難い侵食が生じていると話している。

Beechは、Marlborough District Council(=マールバラ地方議会)に対して、規則を改正するよう働きかけると話している。(TVNZ, New Zealand: Jan 30, 2008 12:10 PM)

ドーバーのフェリー横断は中止(英国)

ドーバー港を出入りする海峡フェリーの運航は、強風のために港が閉鎖され、運休となっている。

南東海岸を襲った南西からの風は、風力10を記録し、時速63マイルの突風となっている。強風による海峡の大時化のため、同港は午前8 時 20分に閉鎖された。

ドーバーは、4社のフェリー会社に利用されている。すなわちNorfolkline、P&O Ferries、SpeedFerries、そしてSeaFranceであり、カレー、ブーローニュ、ダンケルクに運航している。通常運航では、20分毎にドーバー港を出 発している。

フェリーの予約をした乗客は、予約したフェリー運航事業者と連絡を取るよう忠告されている。ドーバー港では、次の電話番号を発表してい る。

P & O FERRIES、08705 20 20 20
SEAFRANCE、08705 711 711
NORFOLKLINE、0870 870 10 20
SPEEDFERRIES、0870 22 00 570(Times Online: January 31, 2008)

23人が乗ったフェリーがイングランド沖で立往生(英国)

ロンドン発。23人が乗ったフェリーが、高波と強風のため、木曜日の晩にアイリッシュ海で立往生した。ヘリコプターが船に急行し、救助 作業を行った。

このフェリーは、時速70マイルの風と高さ23フィートの波の中、45度傾いた、と当局者は話した。

「目下の天候は、凄まじいものです。」とMaritime and Coastguard Agency(=海事・沿岸警備隊庁)のMark Clarkは話した。

船は午後7時30分に救難信号を発し、90分後にヘリコプターが、4人の乗客と19人の船員が乗船している船、Riverdanceに 到 着した、という。

Royal Air Force(=英国空軍)のMichael Mulfordは、4人の乗客と4人の船員が、怪我もなく船から吊り上げられた、と語った。

更に4人の船員が救助されることになっているが、船の貨物を固定させて、機関を再起動し、近隣の港にフェリーを移動させるために、11 人 の船員が船に残るだろう、と語った。

Sky Newsは、当局者が、高波のためにこの貨客フェリーの甲板上の乗用車が、一方の側に動いたと話すのを引用した。

RAF(=英国空軍)とアイルランド沿岸警備隊のヘリコプターに加え、曳き船が、イングランド北西部の港湾、フリートウッドの西約8マ イ ル(13キロメートル)で立往生しているフェリーに急行した、と当局者は語った。(International Herald Tribune: January 31, 2008)

遠洋定期船はしばしば映画制作者の小道具になる(米国)

気楽でお手頃な空の旅の時代になる前は、ジェット機で旅をするのは、大変なことだった。南仏の夏は、船旅で始まったのだった。上海に旅 することは、豪華定期船であろうと不定期貨物船であろうと、ある種の海上輸送を見出すことを意味していた。

船旅の黄金時代は、より速く、より便利なジェット機による旅行の到来と共に終わった。未だにクルーズ船が航海しているものの、 Queen MaryやAndrea Doriaのような偉大な船のロマンチックな時代は、過去のものとなっている。

残念だ。というのは、全盛期の定期船は小さな都市であり、善と悪の蔓延る社会の縮図だったからである。映画制作者に定期船が大変に好か れ ていたことは驚くに当たらない。以下は、物語の必須要素としてクルーズ船が利用された5本の映画である。

THE LADY EVE (1941):偉大なる常軌を逸した喜劇であり、恐らくは私のお気に入りのPreston Sturgesの映画の1本。The Lady Eveでは、Henry Fondaが、クルーズ中、抜け目のない美しい詐欺師(Barbara Stanwyck)の標的になっている裕福な若い男性を演じている。会話と絶え間のない舞台回しにより、Eveは60年以上も前と同様、今日でも、抜け目なく、粋である。

NOW, VOYAGER (1942):南米へのクルーズが、家族や社会の束縛から逃れたいと切望する金持ちの未婚女性(Bette Davis)にとって、自己発見の航海となる。愛、犠牲、恋愛の気まぐれな本性ついての偉大なる映画。

THE POSEIDON ADVENTURE(=ポセイドン・アドベンチャー) (1972):1970年代に大変に人気のあった、初めての大作・オールスター災害映画の中で、Poseidonはその手の映画の中では優れていた。というのは 、見せ場ではなくて、登場人物が映画を動かしているということを理解していたからである。物語は、転覆したク ルーズ船からの脱出を試みる数名の生存者によって、進行して行く。そりの合わない冒険者の中には、Gene HackmanやRed Buttonsがおり、全く私心のない演技をしていたのが、Shelley Wintersだった。

LOVE AFFAIR(=邂逅) (1939):これは幾度となく、様々な方法で語られてきたお話であり、原型となったものが何かは記憶するのが難しい。その答えが、正にここにある。クルーズ中に恋に落ち た2人が、6ヵ月後にエンパイヤー・ステート・ビルディングの最上階で会う約束をする。運命が邪魔をして、1人は現れることができない。 再び運命が干渉し、その後2人はずっと幸せになる。良くあることだって?ま、そうだろうね。Affair to Remember(=めぐり逢い)の方がもっと有名かもしれない。しかしこれは、私好みの版の、絶望的でロマンチックなお話なのである。

SHIP OF FOOLS(=愚か者の船) (1965):Hitler登場前のドイツに向うクルーズ船が、長い船旅の間に、芸術家、ナチ支持者、頑固な労働者らが肩を寄せ合い、社会のペトリ皿となる。普通は道徳的 な映画の名手であるStanley Kramer(Guess Who's Coming to Dinner(=招かれざる客))が監督した、卓越したメッセージ映画。(Augusta Chronicle: Thursday, January 31, 2008)