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2010年1月

2010年1月の海外旅客船情報

フェリーの問題でロベン諸島の収益に損害(南アフリカ)

ロベン島は、主要旅客フェリーの最近の故障により、財政的打撃を受けている、と水曜日に当局者は語った。

Sikhululekileは、Boxing Day(注、「クリスマスの贈り物の日」、2009年は12月26日)に電動操舵装置に影響を与えた電気事故を起こして座礁し、その後、運航を再開している。

ロベン島の広報担当者のDennis Cruywagenは、危機管理計画により運航を継続はできているが、売り上げは影響を受けていると話した。

「ロベン島に行きたい全ての人に対処すべく、予備船が必要でした。したがって、こちらで出した収益を(助けてくれている)運航事業者に 回 さなければならなかったのです。」とCruywagenは話した。

この世界遺産への旅行は、1月5日まで売り切れとなっている。(Primedia Broadcasting - Eyewitness News: Friday, 1st January)

ダ・ナンは最初のクルーズ船を迎える(ベトナム)

マルタ船籍のクルーズ船Azamara Questが、英国、合衆国、日本、カナダからやって来た500人の外国人観光客を乗せて、ダ・ナン市中央にあるTien Sa港に接岸した。

観光客らは、Cham Museum(=チャム博物館)、XQ picture embroidery centre(=XQ絵画刺繍センター)を訪問し、Han market(=ハン市場)で買い物をして、バスに乗って同市中心部を観光した。

訪問者らがダ・ナンを発見できる良好な状態を作り出すべく、市のDepartment of Culture, Sports and Tourism(=文化・スポーツ・観光局)は、地図、観光についての小冊子を配布し、旅行情報を提供すべく様々な場所で常設チームを組 織した。

ダ・ナン市、フエ、ホイ・アン(クアン・ナム)を訪れた後、この外国人観光客らは、ハノイとホー・チ・ミン市への旅行を続けることとな る。

2009年、ダ・ナンは30,000人以上の外国人観光客が乗船した44隻のクルーズ船を歓迎した。同市は今年第1四半期に、約 11,650人の訪問者を乗せた19隻のクルーズ船を迎える予定。(VOVNews.vn: 6:07 PM, 01/02/2010)

インドのフェリー事故で27人死亡(インド)

インド東部の西ベンガル州の川で、過積載のフェリーが転覆し、少なくとも27人が行方不明となっている。

この38人の乗客が乗船していた小型船は、州都コルカタの南西約50キロメートルのKolaghatのRunarayan川を横断中の 今 朝、沈没した。

「フェリーは過積載で浸水し、川の中央部で転覆したのです。」と西ベンガル警察の査察官、Surojit Kar Purakayasthaは語った。

Purakayasthaは、地元漁師が、9人の男性と2人の子供を何とか救助したと話した。

「他の27人は、激しい流れによって流されたのではないかと心配しているところです。」と語った。

警察では、沿岸警備隊がこの救助活動を支援すべく召集されていると話した。(RTE.ie: Sunday, 3 January 2010 17:25)

ドバイ港湾グループはテムズサイド地区を買収(英国・アラブ首長国連邦)

ドバイに本拠を置く港湾グループDP Worldは、今日、サロックに近いテムズ側の北側の土手のロンドン・ゲートウェイのコンテナ・ターミナルと物流基地にする最終的には1000エーカーに及ぶ土地に対し、 1億3600万ポンドを支払ったと語った。

同グループは、現在の市場の沈滞を考慮に入れて、この選択を再調査し、この事業に向けた基礎基盤建設を進めることを決定したと語った。 (This is London: 04.01.10)

フィジーの首都はクルーズ船の寄港の落ち込みに直面(フィジー)

大手クルーズ客船会社を代理するフィジーの会社では、今年、世界的な金融危機のために、スバに寄港する船舶数が落ち込むことになると話 している。

P&O、Carnivalといったクルーズ会社を代理するPacific Agencies Fiji Limitedでは、昨年は76隻の寄港があったのに、今年はたったの55隻のクルーズ定期船しか寄港しないと話している。

National Operations Manager(=現地経営管理者)のBradley Bowerは、2010年の旅行を計画している人々は、費用を理由に長距離の旅行を探していないと話している。

「世界金融危機により、基本的には落ち込んでおります。人々は2年前に計画を立てるので、現在、クルーズに影響が出ているのです。フィ ジーに寄港する船舶は、基本的にオーストラリアとニュー・ジーランドを出て、12日間強で周遊するものです。こうした寄港をするものを 人々は予約していないので、全体として数が減っているのです。」

Bradley Bowerは、クルーズ会社は休暇を売ろうとはしているものの、人々はそうしたものを買わなくなっているだけだと話している。(Radio New Zealand International: Posted at 03:33 on 05 January, 2010 UTC)

クルーズ船がノロウイルスの勃発に襲われる(英国)

クリスマスとお正月のクルーズの間、350人以上の乗客と船員が病気になり、ドーバーで今日(1月5日火曜日)、クルーズ船で清掃と消 毒が行われている。

Fred OlsenのBalmoralは、106泊の世界一周クルーズを始めるため、この港にいた。

合計で342人の乗客と9人の船員がノロウイルス、すなわち冬の嘔吐性ウイルスにより、船上で発病した。

「弊社船における如何なる胃腸伝染病の勃発も、弊社には大変に深刻です。」とFred Olsen Cruise Linesの代表取締役のMike Rodwellは語った。

「このため、本船は次のクルーズの出発前に、清掃と消毒を実施しているところであります。」

「専門の会社が、弊社職員と共に、作業を行っております。」

詳しくは、木曜日に発売の今週のDover Mercuryで。(Kent Online: 1 05 2010)

珍しい英国遠洋定期船の模型が175,000ドルで売りに出される(英国・米国)

有名な第一次世界大戦の英国の遠洋定期船を改造した巡洋戦艦の堂々たる素晴らしい珍しい模型が、175,000ドルで売りに出されてい る。

640フィートのHMS Alcantaraは、ベルファストのHarland & Wolffが、Royal Mail Lines向けに建造したもので、1913年10月に進水した。1914年に処女航海をしてまもなく武装商船巡洋艦に改造され、1916年2月29日に北海でドイツの武装 商船巡洋艦SMS Greifにより沈められた。

マイアミのDaniels Antiquesが、今、マホガニーの展示ケースに入った、1920年代に作られた14フィートの模型を売りに出している。お金の持ちの海事史愛好家にとっては、絶対に入 手したい品だ。(Luxist: Jan 6th 2010 at 10:01AM)

CalMacにとって40年間で最初の試練(英国)

昨日、観光地のアラン島への運航で、フェリー戦争が布告された。

民間フェリーのWestern Ferriesは、国有の競合他社、Caledonian MacBrayneが現在、独占的に運航している航路での運賃を引き下げることを模索していると発表した。

CalMacの40年間近い歴史における初めての大きな試練において、この営利企業は助成金を受けている競合他社よりは、安くて、より 良 い、より頻繁な運航を提供できると考えていると述べた。

Westernの代表取締役のGordon Rossは、The Scotsmanに対し、CalMacのエアーシアのアードロサンからアラン島東部海岸のブロディックに行く航路と類似する新運航に対する暖かい歓迎を期待すると語った。 (中略)

スコットランドのフェリー専門家のNapier University(=ネーピア大学)のAlf Baird教授は、定期運航が増えることで、この航路の需要が30パーセント急騰すると考えていると語った。次のように語った。

「私の見解では、正しい船舶を使い、適切に運航されている限り、アラン島航路においては助成金は必須ではないです。Gordon RossとWestern Ferriesが同じように考えていることは明らかです。しかし2つの運航事業者を持つことが最善の解決策とは思いませんね。いずれにせよ、競争が結局は続くことになりそ うです。」

スコットランド政府は現在、全てのスコットランドのフェリー運航を見直しているところだ。(Scotsman: Published Date: 06 January 2010)

探検船は南極クルーズで損傷(南極)

予測不能の南極で別のクルーズ船が損傷を受けた。今回はTravel Dynamics InternationalのClelia IIが、南極半島のペーターマン島の入り江に上陸する際に岩礁に乗り上げ、右舷の暗車(注、プロペラ)を損傷した。修理のために Travel Dynamicsは、数本のクルーズを中止した。

International Association of Antarctica Tour Operators(=国際南極旅行業協会)(IAATO)の出した声明によると、この出来事は2009年12月26日に発生した。船は穏やかな日に、乗客の上陸のために Zodiac(注、ゴムボートの商標)の準備をしていた。ところが激しい潮流により船は島の方に流され、岩礁に突っ込んだのだった。船は 電力を喪失したが、65人の乗客や65人の船員が危険に晒されることはなかった。

この地域の最新船である姉妹船のCorinthian IIが連絡を受け、Clelia IIの全てのシステムが点検された。乗客の上陸は、予定通り行われた。事故から1時間30分後に動力は回復し、両船は共にウスアイアに向けて出発した。

両船は、12月30日にアルゼンチンに戻った。Clelia IIは、修理のためにプンタ・アレナスにまで向かったために、12月29日と1月8日の旅程は中止となった。本稿締切時間において、中止になったクルーズの乗客にどんな宿 泊施設が用意されたのかや返金されたのかについて、Travel Dynamicsの代表から論評を得ることはできなかった。

南極は、クルーズ船にとって危険な目的地であり続けている。2009年11月中旬には、探検船のKapitan Khlebnikovがウェッデル海の南極の氷に閉じ込められた。2009年2月には、Quark ExpeditionsのOcean Novaがマルグリート湾で座礁した。これより以前には、様々な船舶がこの地域で座礁したり氷や岩礁に突っ込んでおり、2007年には G.A.P. AdventuresのM/S Explorerが氷にぶつかって沈没している。(後略)(CruiseCritic.co.uk: 6 January, 2010)

ロサンゼルスの男性が船上殺人で死刑相当(米国)

サン・ディエゴ発。連邦検察官は、昨年の夏、クルーズ船の船室内で妻を殴打して殺害したものとして起訴されたロサンゼルスの男性に対 し、死刑を求刑することを検討している。

水曜日に公表された起訴状により、55歳のRobert McGillは、高等学校で5年間恋人であった妻のShirley McGillを殺害したものとして、第1級殺人と誘拐の容疑で起訴された。

サン・ディエゴの合衆国検察庁は、7月14日の殺人は、誘拐中に起きたものなので、McGillは死刑に相当すると話した。

この夫婦は、Carnival Elationという船でカボ・サン・ルーカスへの5日間クルーズに出かけたもので、そこでShirley McGillが殺害された。(San Jose Mercury News: 01/07/2010 05:30:20 PM PST)

Stenaはダン・レアラの高速フェリー運航を減便(アイルランド・英国)

STENA LINEはダン・レアラでの運航を休止するかもしれないという最近の憶測に対し、同港に関わっていくことを再確認した。

しかし大型高速フェリーのHSS Stena Explorerは、夏季のみ毎日運航とし、冬はより小型のフェリーを使うこととなった。

Stenaでは、ダン・レアラの60人の雇用は全て維持され、人員削減の計画はないと話している。

高速フェリーの運航をダン・レアラ―ホリーヘッド航路に投入したのは1996年4月のことで、最盛期には毎日5往復していた。しかし双 胴 船は、在来船よりは3倍近い上等の燃料を消費し、運航はしばしば1日1便に減便されていた。

高い燃料費のために、2007年1月には、HSS Stena Discoveryがハリッジ―フーク・バン・ホラント航路から撤退して、その後ベネズエラに売却されたことから、同じことがアイリッシュ海航路でも起きるのではないかと いう憶測を増幅させることとなった。

Stenaは、ダン・レアラでの停泊費用が高いことに気が付き始めていた。ある船内荷役請負会社によって経営されているフェリー基地で あ るダーバン港が、年間約200万ユーロであるのに対して、670万ユーロなのだ。

航路監督のVic Goodwinは幹部会議で、運航費とダン・レアラの港湾使用料が「この航路の財務成績の深刻な負担となっている」と語ったが、2011年から始まる新しい運航協約では、 港湾使用料を減らすことになることを確信していた。(The Irish Times: Thursday, January 7, 2010)

Ady Gilは委付、油が漏出―日本(日本・米国・オーストラリア等)

日本当局者は、環境活動家団体のSea Shepherdが、明らかに油や残骸が漏出している状態で船を洋上で委付したとして批判している。

Ady Gilは水曜日、南洋で日本の捕鯨船と衝突して、航行不能となっていた。

Sea Shepherdの広報担当者は、この船は沈没したと繰り返し主張し、今日、この活動家団体は現場を離れた。

しかし日本当局者は、Ady Gilの残骸が未だに手付かずの南極海域で浮いていることを示す写真を公表した。

Institute of Cetacean Research(=日本鯨類研究所)の幹部は、油性の物質はこの難破船から漏出した燃料と考えられ、「Sea Shepherdが故意に南極の環境を汚染しているという懸念が出てきた」と述べた。

日本船は、切断されたAdy Gilの一部と矢を回収している。

同研究所は、オーストラリアと他の国々に対して、捕鯨船団に対するSea Shepherdの「vicious(=敵意のある)」妨害行為を止めさせるよう求めた。(NEWS.com.au: January 08, 2010 7:14pm)

クルーズ船Queen Victoriaは嘔吐性ばい菌の勃発で合衆国入国禁止に直面(英国・米国)

英国のクルーズ船で旅行している何千人もの乗客が、冬の嘔吐性ばい菌の勃発により、合衆国への入国を拒否されそうだ。Queen Victoriaは、このウイルスが船上で罹患率15パーセントに達したならば、接岸は許可されないことになる、と当局者は警告している。これまでに30人が、自室に隔離 されている。

船長は、残り2,000人の乗客と船員を守るため、手摺、食堂、その他の公共区画の大規模な清掃を命じた。

この90,000トンの船は、Cunardがこれまでに建造した2番目に大きな船で、カリブ海に2週間の旅行に出かける前に、火曜日に ニューヨークに到着することになっていた。月曜日にサウサンプトンを出発していた。

乗客の到着を管理しているニューヨーク市のEconomic Development Corporationの広報担当者は、状況を監視しているところだと語った。(中略)

これは、この数週間内で病気に襲われた最新の豪華クルーズ定期船となった。

Boudiccaの3本のクルーズで、船主が船はウイルスとは無縁だと力説しているにも関わらず、合計519人の乗客がノロウイルスに 罹 患した。

Fred Olsen Cruise Linesは、船は勃発後、2回も徹底して清掃していたと話したが、このウイルスは少なくとも2回、乗客を襲ったのだった。(Daily Mail: Last updated at 1:36 AM on 09th January 2010)

資金提供者は反捕鯨三胴船Ady Gilの代替を狙う(米国)

指をパチンと鳴らせば、芸能界幹部のAdy Gilは、ハリウッドのテレビ番組や映画の封切り用の舞台装置を建築する職人や技術者を招集することができる。

土曜日、彼らはいつものようにAdy Gilのために働いていたが、急遽、仕事のために呼ばれた。先週、日本の捕鯨船と衝突した流線型の反捕鯨三胴船を代替するために、この資金提供者は、ウッドランド・ヒルズ の広々とした自宅で、300万ドルから必要な500万ドルに増額したのだった。

Gilは、今や沈没してしまった船の購入に資金提供をしていた。捕鯨を妨害する活動をしているSea Shepherd Conservation Societyという好戦的な環境保護団体によって、Gilに因んで後に再命名されていた。このサーガ(注、冒険物語)は、Animal Planet(注、動物ものを専門に扱っている米国の民放テレビ局)の「Whale Wars(=鯨戦争)」という実話物シリーズの中心をなしている。

運航しているSea Shepherdによって最初の寄付の懇願を受けた水曜日の時点では、Gilはまだ南洋の底には沈んでいなかった。木曜日にGilは、「我々の場合に必要な、より大きな、 より良い、より速い船」を建造することを狙った、この出来事に対する準備を開始したのだった。

「負けたりはしませんよ。」と誓った。「もう1隻の改良型の船を建造します。」

それはAdy Gil IIだろうか。まだ様子見の段階だ。

Sea Shepherdの最高経営責任者のSteve Roestは、Gilの資金提供を歓迎したが、「法律上・税金上の理由から、我々は態度決定を保留していなければならないのです。」と話した。

この選択には、船の購入やAdy Gil IIと命名することも含まれ得ると語った。

「そうしないのは、まともじゃないでしょう。」と語った。「Ady Gilは、世界中で話題になっているのです。日本の捕鯨船と衝突した後、最初の1時間30分で、300,000人以上の人々が、YouTubeで衝突の動画をダウンロード したんですからね。」

その上、こう語った。「Ady GilはSea Shepherdがこれまでに受けた最も多額の寄付者の1人です。」もう1人は、ゲーム・ショーの司会者で製作者のBob Barkerで、この団体に500万ドルの寄付をしている。

これに先立つ土曜日の寄付は、控えめというには程遠いものだった。トパンガの造園家Ron Coronaは、この運動を支援することを名誉に思うと語り、100ドル寄付したと語った。芸能界のヘア・スタイリストJason Newellも、100ドル寄付した。Gilによると、ある男性は50,000ドル寄付したという。

Gilは、突然連絡もなく「big-gun(=大物の)」ハリウッドの寄付者と呼ぶ人物から連絡をもらえるかは疑わしいと語った。しか し 招待された600人の中で、200人は乗船してくれそうだという。それぞれ、完全菜食主義者向けの前菜、DJ(=ディスク・ジョッキー) 付きの音楽、そして特別発表のある、このケープを羽織った催しに、50ドル支払ってくれたという。

「私はロサンゼルスの日本大使館(注、領事館の誤りか)の階段で、この事件に対して抗議します。」とGilは語った。「私が1人で行く こ とになっても、構いません。」

78フィートのカーボン・ファイバー(注、炭素繊維)船は、1年ほど前にSea Shepherdが、American Hi Definition Inc.の共同所有者であるGilからの100万ドルの寄付で購入したものだ。この会社は、テレビ番組用の制作設備の設計、建築に特化している。

「Ady Gilは、我々が所有した唯一の船でした。」とRoestは語った。「日本船団のどんな船にも負けないくらい速い船でした。」(Los Angeles Times: January 10, 2010)

フェリー事故の犠牲者8遺体がパキスタン到着(パキスタン)

イスラマバード発。ベイルート沖でフェリーが転覆して溺死した、少なくとも8体の遺体が、日曜日の朝、カラチに到着した、と民間ニュー ス・チャンネルが報じた。

このパナマ船籍の船は、12月17日にウルグアイからシリアに向かっていたが、トリポリの沿岸近くで嵐に遭遇して沈没した。船には83 人 の乗客が乗っていたが、うち49人がパキスタン人だった。19人ものパキスタン人生存者は、12月25日にパキスタンに到着し、8遺体が 今朝、ベイルートからカラチに送られてきた。死者のうち6人が、ペシャワルの人。

同チャンネルは、空港には遺体の引取りに当局者が誰も現れなかったために、遺体を故郷の町に移送するのに混乱した、と報じていた。 (Daily Times: Monday, January 11, 2010)

カリブ海の津波警報は解除(ハイチ・米国)

東部標準時間、午後7時更新:津波警報は、Pacific Tsunami Warning Center(=太平洋津波警報センター)によると、解除されたという。ドミニカ共和国のサント・ドミンゴでは、12センチメートルの津波が記録された。

東部標準時間、午後6時:今日、ハイチ島で強い地震と余震があり、カリブ海の次の4つの隣接国に対して津波警報が発令されている。ハイ チ、キューバ、バハマ、ドミニカ共和国。

このマグニチュード7.0の地震は、Wall Street Journalのウェブサイトによると、このカリブ海の国の首都であるポルトー・プランスの西、約10マイルの地点で発生したという。建物は被害を受け、病院では人々が大 声で助けを求めているという。

ポルトー・プランスは、Royal Caribbeanのラバディーというハイチの北部沿岸にある私有「島」から100マイル近いところにある。Royal Caribbeanの広報担当者は、そこでの被害の報告はないと話している。

Pacific Tsunami Warning Centerによると、「destructive, widespread(=壊滅的で、広範に及ぶ)」津波の恐れはないという。しかし地域的な津波は可能性がある。津波が襲う場合、第一波は直ぐに陸地に到達するものと思わ れる。今から東部標準時間午後6時30分までの間。その時刻から、連続した波が、5分から1時間押し寄せることとなる。

今日、当方はバハマとラバディーに接岸予定の全てのクルーズ客船会社と連絡を取っている。これにはCarnival、Holland America、Norwegian Cruise Line、そしてRoyal Caribbeanが含まれる(ドミニカ共和国やハバナに今日、寄港する船はない)。

これまでにNorwegian Cruise Lineの広報担当者は、既に全ての船舶が夕方に出発しており、影響は受けないと当方に語ってくれた。Holland Americaの広報担当者も、如何なる影響も予想されないと話している。(Cruise Critic: January 12, 2010)

軍事基地へのフェリー運航は終了(米国)

サン・ディエゴ発。10年経過して、軍はサン・ディエゴから湾を横切ってNorth Island Naval Air Station(=北島海軍航空基地)に行く無料のフェリー運航を、安全保障の問題から終了する。

海軍幹部は、このフェリー航路にテロリスト攻撃の潜在的危険性があると判断した。この廃止は、テキサス州Ft. Hoodで、13人が11月に射殺された後に発令された全国警備取締強化の一環。フェリーは、金曜日に最後の5分間運航を行う。

州政府は、35,000人の水兵と民間従業員が働く島の施設につながっている道路の混雑緩和のために、このフェリー航路に助成してい た。

1日に約130人の乗客を運んでいた。(San Jose Mercury News: 01/13/2010 09:40:15 PM PST)

OceaniaのMarinaは出港準備(米国)

Oceania Cruisesは、1月22日に処女航海に出かける最新船のMarinaの優先予約を、水曜日の朝に開始した。この予約は、Oceania Clubの会員向けに開放されたもの。1月18日に、一般に予約が開放される。

本船は1,258人の乗客を収容し、10の正餐会場、酒場、休憩室、Canyon Ranch SpaClub、フィットネス・センター(注、健康センター)、プール、温水浴槽を装備している。

最初の航海は、バルセロナからマイアミに行く13日間クルーズとなる。寄港地には、スペインのマラガ、カサブランカ、カナリア諸島が含 ま れている。2月8日に18日間航海を行い、パナマ運河を横断して、コロンビアのカルタヘナ、コスタ・リカのプンタアレナス、メキシコのプ エルト・チャパス、カボ・サン・ルーカス、ロサンゼルス、サン・フランシスコに寄港する。

バルセロナとマイアミ間の航海は、早期予約で1人当たり1,999ドル。18日間クルーズは、1人当たり4,299ドルから。 (Travel Agent: Jan 14, 2010)

フェリー会社はポーツマスから撤退(英国)

大陸に行くフェリー会社、1社が、ポーツマスから撤退する。

P&Oのスペインのビルバオに行く開設されて15年になる毎週の航海は、9月27日に終わる。

同社では、船は同社に何百万もの赤字を生じさせており、利益を上げる方法が見つからないと話した。

この船、すなわちPride of Bilbaoは、2005年に3航路が廃止となった最悪事態以来、ポーツマスから出ている唯一の残存するP&Oの船だった。

この撤退により、LD LinesとBrittany Ferriesの2社のみが、同港から大陸に向かうフェリー運航事業者となる。

Pride of Bilbaoは、冬季は週2便、スペインの都市に航海し、夏季は週3便航海している。そして繁忙期には、2,500人の収容力を恒常的に一杯にしていたものだった。ところ が燃料と人件費が絶え間なく赤字を生み出し、同社は需要に即した真新しい船を見つけられなかった。

港では、撤退するまでは通常通り運航されると話した。同港の声明文において、「本港は、この航路が終了するのが残念です。」とあった。

「しかしながら、今年1月のBrittany Ferriesの発表においては、2010年のポーツマスからサンタンデルへの航海は、週1便から3便に、3倍に増強されることとされており、ポーツマスは、お客様にスペ インへの総合的な運航を提供し続けます。」(Portsmouth News: 15 January 2010)

政府の家系サービスで一族の歴史のページを紐解くことに(米国)

一瞥したところ、この写真複写の文書は、単なる政府の書式や申請書のように見える。

しかしSusanne Moriが注意深く読んでみると、50年以上も前にアメリカで道を切り開いた自分の祖父の人生の物語であることが判ったのだった。

この23ページに亘る事実や日時は、若い男だったJinbei Mori(=森甚平)が、日本を離れて1906年の大地震の1ヵ月後にサン・フランシスコにどうやって到着し、Union Pacific Railroad(=ユニオン・パシフィック鉄道)で働いて数十年をどうやって過ごし、第二次世界大戦中にFBI(=連邦捜査局)によってどのように自宅が捜索されたかを を明らかにした。

Moriは、祖父の写真を見て、その祖父の書いたものを読んで、移民の体験が良く判ったと語った。

「私達は全員が移民の末裔で、ある時点で、私達の一族が何らかの理由で我が家と呼んだ場所を離れる決心をして新たな場所に移り、再出発 し たのです。」とサンタ・バーバラのMori(52)は語った。「船の名前や、どこで(祖父が)生まれたのかを印刷で見ることで、何だかよ り実感のあるものにものになりました。」

この文書は、U.S. Citizenship and Immigration Services(=合衆国市民権・入国管理局)のもので、ここは家系について知りたい親族に対する余り知られていない家系サービスをしている。

記録には、帰化申請書、査証申請書、市民権検査が含まれ、家族の秘密や謎が明らかになるかもしれない、と同局の歴史家、Marian Smithは話した。

「物語の詳細は長い時間をかけて語られてきたもので、縁は擦り切れているものです。」とSmithは話した。これらの文書で、「ah- ha(=ハハーン)と思い当たる瞬間が数多くあるでしょう。」

昔は、家系調査をする場合、Freedom of Information Act(=情報公開法)により文書申請をしなければならず、時には回答に何年も待たされたものだった。

この家系事業は2008年に始まったもので、申請は通常、90日以内に完了する。20ドルで、その人物が故人である場合に限り、政府は 氏 名を検索してくれる。記録が提供可能な場合、政府は文書のための追加料金を請求することとなる。

2009年財政年度において、5,300件以上の申請があったが、予想よりは少なかった。親族に加え、歴史家や研究者も文書を申請する こ とができる。

Alan Latteri(34)は、文書を調べる大変に現実的な理由を抱えていた。このブレントウッドの男性は、イタリアとの二重国籍を欲しており、祖父が複雑な申請を完了して市 民権を取得したのがいつか、正確に知る必要があった。文書を請求してみて、Latteriは申請資格がないことが判った。しかし自分の祖 父について、より知ることになったという。

「祖父について読むことは、大変に興味深いものでした。」とLatteriは語った。「祖父とは、数少ない写真を見たり、父から数少な い 話を聞いていたこと以上のつながりが本当になかったんです。」

Moriは、祖父が死んだ時は、よちよち歩きの子供に過ぎず、祖父の人生についてより多くのことが知りたかった。系図学の授業で移民文 書 について聞き、昨年の始めに申請したのだった。

幾らかの情報は知ってはいたものの、この文書で、祖父の言葉は完全に一枚の絵になったという。

この移民文書によると、Jinbei Moriは、1888年5月25日に、日本のOkugaita(=奥海田(おくかいた)、注、広島県安芸郡奥海田村、現、海田町)で出生、朝鮮からハワイに汽船に乗船し て、1906年5月に合衆国にやって来た。直ぐにUnion Pacificで働き始め、地区監督になった。結婚して、息子が4人、娘が1人いた。この一家は、ワイオミング州、アイダホ州、ユタ州といった数州で生活していた。

第二次世界大戦中、Moriは、身長が5フィート3.5インチ(注、約161センチメートル)で、肌の色は「yellow(=黄色)」 で あると記載された申請書を出している。1枚の写真には、額の広い、黒っぽい背広を着た厳しい男性が写っている。

1942年4月、FBIはユタ州ブリガム市の自宅を、「enemy aliens of Japanese, German and Italian nationalities(=日本、ドイツ、イタリア国籍を有する敵性外国人)」の禁制品を何か持っていないかと捜索した。捜査官が妻(注、祖母)を取り調べたところ、 彼女は、夫は質素な超短波ラジオを保安官事務所に差し出したと話した。

1953年、Moriは市民権の申請を行い、クリスマスの直前に市民権検査を受けた。回答は日本語で行ったにも拘わらず、検査について の メモには「Apparently OK(=一見したところ、合格)」とあった。1954年3月9日、合衆国市民となった。

Susanne Moriは、この文書で家族の多くの話が確かめられたと語った。父親がキットになっていたラジオを組み立てたが、その父(注、祖父)が当局に差し出したので、いかに頭にき たかと話していたことを思い出した。また、この文書で日付についての混乱が解決したという。「私達が親族について知っていることは、選ん で話してくれたことでした。常に真実を話していたとは限らないものでした。」と語った。この文書は、将来の調査の手がかりになったとい う。

「系図学者にとっては、宝物箱になります。」とSouthern California Genealogical Society President(=南カリフォルニア系図学会会長)のPam Wiedenbeckは語った。「しばしばこれらの文書は、点を結ぶことに役立つ兄弟姉妹、おばやおじについての情報源となるでしょう。」

老練な系図学者にとっては、この文書は更なる調査の扉を開けることになるかもしれない。恐らくは、人々を祖先の母国の正確な故郷に向か わ せることとなるだろう。更に、この系図学にとって新しいものは、始まったばかりなのかもしれない。「全ての疑問に答えるために、2~3回 以上は調べることとなるでしょう。」とWiedenbeckは語った。(Los Angeles Times: January 17, 2010)

トンガの当局者は未だに代替フェリーを探している(トンガ)

トンガのMinistry of Transport(=運輸省)は、島嶼間の運航を行う適当な暫定的なフェリーを見つけ出そうとしている。

トンガ政府は、援助金を使って日本で新船を建造している一方、沈没したPrincess Ashikaに代わる貨客船を必要としている。

Secretary to Transport(=運輸長官)のEleni Moneは、クリスマス前にニュー・カレドニアから船を1隻手に入れたいと話しているが、その船主は売却している。長官が言うには、その船は上手くいかずに振り出しに戻っ ており、ヨーロッパにいるその船は選択肢の一つだという。

「更に探せば、3月までにトンガに来れる船が見つかるかもしれません。現在のところは、そんなところでして。調査中の他の選択肢もあり ま すが、ここトンガの島嶼間におけるトンガ人の輸送を支援することとなる島嶼間フェリーを現時点では入手していないのです。」

Eleni Moneは、トンガの新船は、10月までには準備できると話している。また、NZAIDとオーストラリア政府の支援の努力には感謝していると話している。(Radio New Zealand International: Posted at 20:41 on 17 January, 2010 UTC)

タスマニアのフェリーの男(オーストラリア)

Incatの定期高速フェリーの顧客は、世界中にいる。

強気の、何にでも挑戦する企業家として、タスマニアの造船業者のRobert Cliffordは、あらゆる機会を手に入れるのが好きだ。しかしその彼でさえも、ホバートのダーウェント川の岩礁に彼のIncatの高速フェリーの1隻が突っ込んで、思 いがけない贈り物があるとは予想だにしていなかった。42日間もそこに居座っていたが、何百人もの見物人がその再浮揚作業を眺め、アイ ス・クリーム売りとパイ売りが途方もなく儲かったのだった。「当時はかなり破滅的なものでしたが、しかし今にして思えば、害は無かったの です。」と15歳のときに実物大の船を初めて建造し、16歳で学業を終えたClifford(66)は率直に話す。

船底に大きな損傷を受けていたにも拘らず、船は沈没せず、機関は影響を受けなかった。修理作業の経費は、保険会社の見積もりの4分の1 で 済んだ。「うちにとっては好都合でした。その後、保険料が上がることはなかったのですよ。」とCliffordは誇らしげに語った。「有 意義な体験でしたが、繰り返したくはないですね。」

この事故は1994年のことだった。それ以来、株式非公開のIncatは、もう1つのオーストラリアの会社、ウェスタン・オーストラリ ア 州に本拠を置くAustralと張り合う、世界の指導的な高速フェリー製造業者の1つになったのだった。Incatは、乗客1,500 人、乗用車400台、トラック40台まで積載できる高速大型船の世界市場で、40%を占めている。ここのアルミニウム製の双胴船は、ざっ と1億2000万ドルするが、在来型フェリーの半分の重さで、2倍高速だ。Incatが建造した66隻のうち、約20隻がオーストラリア で運航されており、他の20隻がヨーロッパにおり、残りが世界中のフェリー航路を定期運航している。それには南米、中東、北米が含まれ る。

アジアでは4隻のIncatのフェリーが運航している。2隻が韓国、もう2隻が日本だ。Cliffordはこの地域を、今後大発展の機 会 がある地域として見ている。とりわけ中国だ。計画通りに進んだならば、Incatは中国の顧客向けに10隻までの船を建造する契約に直ぐ にも署名することとなる。これは1977年に同社が設立して以来、最大の単独注文となる。

「中国には大勢の人がおり、多くの海があり、乗用車やトラックの他、人々の移動の需要も多いのです。」と語る。「弊社にとって、最も将 来 有望な市場なのです。」

息子のCraigは、Incatの代表取締役をしているが、中国と台湾間、朝鮮と日本間の可能性あるフェリー航路に目を向けている。 ヨー ロッパの乗客が、乗用車やトラックと共にイギリス海峡のようなところを横断するのが当たり前になっている一方で、アジアの多くの地域に新 たなものが生まれると話している。(Forbes Asia Magazine: dated January 18, 2010)

ハイチ震災:クルーズ船は死者数が上昇しているにも拘らず寄港を継続(ハイチ)

人道の危機が続いているにも拘わらず、豪華クルーズ船はハイチの浜辺に寄港し続けている。

この地震が襲った国の通りに、何千人もの遺体が積み重なっているときに、金曜日、同国北部のラバディーに接岸した Independence of the Seasでクルーズをしている人達は、白い砂浜、活動、寄港地観光を楽しんでいた。

しかし今後数週間にハイチに寄港するIndependenceやその他の船舶を所有しているRoyal Caribbean Internationalは、同国に多くの必要な収入や援助をもたらすものだと言って、自社の判断を擁護している。

乗客の中には遠慮する者や、安全に対して懸念する者がいるにも拘わらず、ここのクルーズ船は、食糧援助と、訪問によって得られた売り上 げ は、全て救援活動に寄付すると約束して、ハイチへの航海を決定した。

ところがある乗客は、この決定には「sickened(=吐き気がした)」と語った。

またCruise Criticというインターネット・フォーラムでは、自己の見解を次のように述べている者もいた。

「(ポルトー・プランスで)何万人という死者が通りに積み上げられ、生き残った者が呆然として、食料や水を捜し求めているというのに、 浜 辺で日光浴をし、海で戯れ、バーベキューを食い、カクテルを楽しんでいる自分の姿なんかを想像することはできない。」

何人かの乗客が食料や水が欠乏していると聞いて、自暴自棄になった地元民がこのリゾートの高さ12フィートの柵を破るのではないかと心 配 して、安全性について懸念している。しかし他の者は、通常通り喜んで途中下船して、観光を続けている。

Royal Caribbeanの広報担当者は、次のように語った。

「ラバディーの金曜日の寄港は、順調でした。全ては通常通り営業しております。お客様は、ラバディー寄港から得た売上金を100パーセ ン ト救援活動に寄付すると聞いて、大変に満足されておりました。」

このクルーズの訪問は、ハイチの人々にも喜ばれている。ハイチ政府のUnited Nations(=国連)へのSpecial Envoy(=特使)、Leslie Voltaireは、次のように語った。

「現在、ハイチでは厳しい経済と社会的挑戦に直面しており、我が国に貢献するラバディーにクルーズ船が寄港するという肯定的な経済的恩 恵 が続くことを、私達は歓迎いたします。」

同社は、今後数週間に亘り、船舶がハイチに接岸することが許されるものかどうかについて、時間をかけて熱心に検討したと伝えられてい る。 しかし旅程を強行する決定をした。

結局、ラバディーはハイチ復興には不可欠なものだった。というのは、数百人がラバディーに生計を頼っているからだ、と副社長のJohn WeisはGuardian紙に語った。

「ハイチ政府の国連特使のLeslie Voltaireとの話し合いの中で、特使は、ハイチは寄港……によって生み出される収入から利益を得ることとなると述べました。」

「弊社には、弊社船をハイチへの援助物資や人員輸送のために使用する非常に大きな機会があります。簡単に言えば、今や弊社は、ハイチに 最 も必要とされていることから、ハイチを見捨てることができないのです。」

寄港により得たお金を救援活動のために寄付することの他、クルーズ船はプエルト・リコで積み込んだ援助食料も輸送している。金曜日、 米、 豆、粉ミルク、水、缶詰の食料のための40台の荷台が調達され、続いてくる船によって、更なる支援物資が輸送されるものと見られている。

Royal Caribbeanが提携しているFood for the Poor(注、「貧民への食料」の意)と、長年に亘って支援物資の分配作業をしていることに加え、Royal Caribbeanは、支援を必要とするかもしれない同社の200人以上のハイチ人船員に対する援助の一環として、ハイチに100万ドルを寄付する。(Daily Mail: Last updated at 11:38 AM on 18th January 2010)

Daewoo Shipbuildingが初のクルーズ船を受注しようと交渉中(韓国)

2010年1月19日、ソウル発。韓国第3位の造船所、DAEWOO SHIPBUILDING & MARINE ENGINEERING CO.が、クルーズ船建造の初めての注文を獲得しそうだ、と業界筋が火曜日に語った。同筋によると、この造船業者は6億米ドルと見られる契約について、ギリシャの会社と交 渉中だという。

「交渉中なので、……詳しい情報は提供できない。」とある会社幹部は語った。

この契約を獲得したならば、Daewoo Shipbuildingは、儲かるクルーズ船製造事業に乗り出す最新の韓国造船所となる。(Trading Markets: Posted on: Tue, 19 Jan 2010 00:09:50 EST)

決して使われることのなかったSuperferryの船がハイチの救援活動に動員(米国)

M/V Huakaiは、昨年、Hawaii Superferryの運航の一翼を担うという目的を決して果たすことのなかった高速フェリーだが、ハイチでの救援任務に動員されることとなる。

U.S. Secretary of Transportation(=合衆国運輸長官)Ray LaHoodは昨日、同省のMaritime Administration(=海事管理局)がハイチにおける救援活動の支援のためにHuakaiを含む5隻の船舶を送ると発表した。

「これらの船舶の派遣で、できるだけ多くの人命を救助している今回の活動の最前線で支援することとなります。」とLaHoodは語っ た。 「これらの船舶は、多くの人々や貨物を移動させるための作戦を支援することにより、更に素晴らしい能力を発揮することになるでしょう。」

Huakaiは、Gopher State、Petersburg、Cornhusker State、そしてCape Mayに加わることになる。いずれも異なる合衆国の港湾で、カリブ海への出港準備をしているところだ。計画された出発日は、未だに発表されていない。

Huakaiは5月にHawaii Superferryが破産申請を行った後、Maritime Administration(=海事管理局)が取得したもので、外洋で40ノット近い速力を出すことのできる新しい高速旅客・車両フェリー。乗客866人、乗用車282 台まで積載可能だ。

Hawaii Superferryは、当州において島嶼間フェリー運航を提供することを目標にしていたが、州Supreme Court(=最高裁判所)が事実上運航を禁止することとなる判断をしたことから、Alakaiという船舶の運航を中止し、200人以上の従業員を解雇した。

Superferryは2ヵ月後にChapter 11(=連邦破産法第11章)の破産申請を行い、貸主に船舶を戻した。Maritime Administration(=海事管理局)が1億3570万ドル以上の債権を持っていた。

Hawaii Superferryは、アラバマ州モービルのAustal USAに、2隻のフェリーを発注していた。

Alakaiだけが、オアフ島とマウイ島の間で短期間運航した。Huakaiは決してハワイに向かうことはなかった。先週末以来、バー ジ ニア州ノーフォークで、ハイチ派遣のための準備を行っている。(Honolulu Star-Bulletin: 01:30 a.m. HST, Jan 19, 2010)

ケニア:500人以上の観光客がPeace Boatで到着(ケニア・日本)

ナイロビ発。世界中で平和を推進することを模索している世界中の異なる国籍からなる500人以上の観光客が、月曜日、日本に本拠を置く 非政府組織であるPeace Boatの主催でケニアに到着した。

この観光客の大半は日本からで、The Oceanicと命名された傭船した旅客船に乗船して、午前6時15分にモンバサ港に到着した。

Nation紙だけに語ったこのNGO(=非政府組織)のHiromi Kaneharaさんは、この使節の一環として、世界中の様々な人々の間に平和を推進していると話した。

Kaneharaさんは、世界中の様々な港湾を行くこの航海で、異なる国の人々の間での文化的多様性の共有を推進していると語った。

「私達は人々がどのように暮らしているのかを理解し、サファリ(注、狩猟旅行)に出掛ける代わりに、平和を広めるためにケニアにやって 来 ました。」とKaneharaさんは語った。

この国での2日間訪問での活動の一環として、日本では知られているというノーベル賞受賞者のWangari Maathai教授とつながりがあるGreenbelt(注、緑地帯)運動と連帯して、木を植えると語った。

船の招待講演者であるChiaki Hayakawaさんは、観光客らはこの国にやって来て大変興奮していると語った。Hayakawaさんは、日本の横浜から始まった今回の航海では、ケニアは魅力の主要地 点だったと語った。

「大変にワクワクしており、この国に新しい友人を作ることを楽しみにしております。」とHayakawaさんは話した。

この航海が始まって以来、観光客らは数カ国を訪問しており、それには台湾、フィリピン、シンガポール、セイシェルが含まれ、モンバサ出 港 後は、南アフリカのケープ・タウン、ナミビア、ブラジル、ラテン・アメリカ(注、中南米やメキシコ)、そして南極に向かう予定だ。(中 略)

この観光客らは今晩、南アフリカのケープ・タウンに向けて、この国を出発するものと見られている。(AllAfrica.com: 19 January 2010)

10,000人の乗客を乗せてクルーズ船がカルタヘナに接岸(コロンビア)

10,000人の乗客を乗せて、クルーズ船が火曜日の午後、カルタヘナに到着した。これにはクルーズ船のQueen Victoria、Norweigan Star、Island Star、そしてCrystal Symphonyが含まれていた。

El Tiempoは、Pro-Exportと市長執務室は、乗客と船長に勲章を授けたと報じた。

Norweigan Starは、乗客2,240人と船員1,100人を乗せる一方、Island Starは、乗客1,798人、船員641人を乗せて到着した。Crystal Symphonyは、940人の観光客と545人の船員を乗船させていた。

昨日はカルタヘナに10,125人の観光客が到着し、今年のクルーズ・シーズンで埠頭が最も混雑した1日となった。12月中、クルーズ 船 は10,366人の乗客を乗せて到着した。

カルタヘナのクルーズ・シーズンは、10月3日に始まり、6月26日に終わる。当市では、今シーズン、142隻のクルーズ船に乗船した 350,000人の訪問者を迎えることを希望している。

カルタヘナを目的地の1つに数えているクルーズ客船会社は、23社ある。(Colombia Reports: WEDNESDAY, 20 JANUARY 2010 09:02)

1,700人の観光客が海路でベトナムに(ベトナム)

1月21日、900人の乗客を乗せたVoyages of Discoveryというクルーズ船が、ホー・チ・ミン市から、ニャ・チャン、ダ・ナン、ハ・ロンに向かう小旅行を開始した。主として英国から来た乗客は、1月27日まで ベトナムに滞在する。

1月24日、別のクルーズ船、Spirit of Adventureが800人の乗客を乗せて、ハ・ロンからダ・ナン、ニャ・チャン、ホー・チ・ミン市に向かう逆向きのベトナム小旅行を行う。

これらは、2010年にベトナムの港湾に接岸した最初の2隻の船。(VOVNews.vn: 12:37 PM, 01/21/2010)

サンクト・ペテルブルク―ヘルシンキ間の査証なしフェリーが待つばかり(ロシア)

サンクト・ペテルブルク―ヘルシンキ間の査証なしフェリー輸送が、2010年4月に開設されることになっている。この新運航は、乗客 1638人、車両395台を乗せるPrincess Mariaという現代的なフェリーを使って行われる。

この運航の事業者はSt. Peter Line Companyで、EU(=ヨーロッパ連合)に登録している。フェリーは週5便で、約50万人の乗客を輸送するものと期待されている。Princes Mariaの予定と価格は、まだ発表されていない。

外国人観光客は、査証なしで、3日間、サンクト・ペテルブルクに滞在できる。2009年にロシアの法律改正があって、可能となった。観 光 客はフェリーかクルーズ定期船でやって来た場合に、船かホテルに宿があり、旅行の予定が決まっている限り、72時間ロシアに査証なしで滞 在できる。団体から離れて、一人で観光したい場合は、査証を得なければならない。

この実施により、既にこのロシア第二の首都に多くの観光客が訪れている。

Russia-IC査証支援サービスを利用すれば、大した面倒もなくロシアの査証支援サービスが受けられる。(Russia- InfoCenter: 21.01.2010)

ラウトカは多くのクルーズ船の準備へ(フィジー)

ラウトカの経済界は、今月下旬に多くのクルーズ船が当市を訪問するという知らせを歓迎している。

Lautoka Retailers Association(=ラウトカ小売店協会)会長のKishore Kapadiaは、アメリカのクルーズ船の訪問があって、先週、当市は息を吹き返したと話している。

クルーズ船は既に、今月の29日と31日にラウトカに接岸する予約をしている。

Kapadiaは、この砂糖都市における事業はしばらく静かだったが、今や当市はクルーズ船の到着で元気いっぱいだと話している。 (Fiji Broadcasting Corporation Ltd: Thursday, January 21, 2010)

STX Finlandの労働者は造船所でストライキ(フィンランド)

木曜日、何百人もの造船工は、フィンランドの南西にあるSTX Finlandの造船所で、解雇と外部委託に抗議して工具を放り出した、と組合幹部は語った。

このストライキ(注、同盟罷業)は、月曜日の朝まで続ける計画だが、先週、同社がトゥルク造船所で370人を削減し、ある作業を外部委 託 することを確認したことから始まった。

「労働側は、解雇と会社の外部委託政策を理解できない。」と組合の広報担当者のAri Rajamakiは語った。「連中(STX Finland)は、自社の職員を減らす一方で、ある作業を外部の会社に回している。」

11月、この造船所は400人余を解雇して、造船所の2,300人の労働者の多くを一時的に解雇する計画を発表していた。

その発表は、この造船所が世界最大のクルーズ定期船であるOasis of the Seasを竣工して、僅か数週間後に出されたものだった。この10億ユーロ(15億ドル)の船は、Royal Caribbeanが発注したものだったが、2年半以上に亘って、この造船所に雇用を提供してきたものだった。

現在、トゥルク造船所では、Royal Caribbean向けに姉妹船のAllure of the Seasを建造している。2011年進水予定。表から艫まで1,200フィート(360メートル)あり、Oasis of the Seasと同じ大きさになる。16層の甲板、数ヶ所のプール、8,500人まで収容できる2,700室の船室を擁する。

約2,000人の労働者が、この新船の作業をしているが、約半数はSTX Finlandの従業員だ。トゥルク造船所の320人余の従業員は、一時的に解雇されている。

STX Finland OYは、国際的なSTX Europe Groupの一部。ブラジル、ノルウェー、フランス、ルーマニア、フィンランド、ベトナムに15の造船所を保有している。同グループの従業員は16,000人。 (BusinessWeek: January 21, 2010, 8:40AM ET)

Kevin RuddはCentaurの沈没に関して検閲を受けたことを否定(オーストラリア・日本)

KEVIN Ruddは、首相の論評によってオーストラリアの日本との関係を傷つけることになり得るという軍の懸念を理由に、Centaurを日本が沈没させた件について沈黙している よう警告を受けたとする主張を否定した。

この論評は、メディアがDefence Department(=国防省)がPrime Minister(=首相)に対して、第二次世界大戦中の1943年にオーストラリアの病院船を雷撃した件について沈黙するよう要請したことを示唆する記事の後で出された ものだ。

「そんな忠告を受けたことは思い出せないです。」とRudd氏は昨日語った。

この悲劇では268人の人命が失われ、最終的な船の墓場となった場所については、昨年暮れにクィーンズランド州の南東のモアトン島沖で 発 見されるまで、謎だった。

「当時の日本海軍によるCentaurを沈没させる行為は、我々の見解では、完全な国際法違反です。」とRudd氏は語った。

「また最も基本的な国際的・人道主義的な条約にも完全に違反しています。」

「また戦闘行為であったことにも言及したいと思います。」

「今日の日本は、大いに違った日本です。我々は、日本との将来の関係を構築し続けることも重要であると考えます。」

Defence Minister(=国防大臣)のJohn Faulknerは、その短い手紙は存在したが、政府を沈黙させることを目的にはしていなかったと語った。

Faulkner氏は、この簡単な報告書は、前大臣のJoel Fitzgibbonに2008年に送られたものだと語った。

「この簡単な報告書にあったことは、Centaur発見に関連して実施中の計画について、日本政府と連絡を取ることの重要性についての も のでした。」と語った。

「とりわけ記録文書の調査支援について、日本政府に関与してもらえるかもしれないという期待があったのです。」

日本に対して謝罪と、400万ドルの捜索の経費を持つよう要求してきた生き残りのMartin Pashは、オーストラリアの日本との関係は、この悲劇を議論することによって傷つくことはないと語った。

「そんなことで、連中はものを買うことを止めないでしょう。」とPash氏は話した。

「軍は、常にCentaurの捜索には抵抗して来たのです。最初から軍は見つけたくはなかったのですよ。」

Centaur沈没で父親とおじが生き残ったというBarry McCoskerは、何故Commonwealth(=英連邦)がこの沈没について沈黙する必要があったのか理解できないと語った。(Courier Mail: January 22, 2010 12:00am)

歴史的なスコットランドのフェリーが廃業(英国)

1月22日、スコットランド、グラスゴー発。500年前にまで遡ることのできる歴史のあるスコットランドのフェリーが、 「exceptional financial climate(=異常な財政情勢)」の犠牲となって閉鎖となる、と当局者は語った。

レンフルーから、グラスゴーに近いヨーカーへと、クライド川を横断するこのフェリーは、年間140,000人以上を扱ってきた、と The Glasgow Herald紙は金曜日に報じた。このフェリーの運航事業者は、400万ドルの予算不足に直面し、年間700,000ドルの赤字だと語っている。

「悲しむべき現実というのは、異常な財政情勢の中にいるということです。」とStrathclyde Partnership for Transport(=ストラスクライド州運輸協力)のAlistair Watsonは語った。

「Renfrew Ferry閉鎖の決定は、簡単なものではなく、長い間、クライド中の共同体に大変、貢献してきたと認識しております。」

このフェリーは、クライド川の南岸にあるレンフルーと北岸のヨーカー間を、500年間運航してきた。

この航路を、1984年に就航して以来、2隻のフェリーが結んでおり、それぞれ50人の乗客を乗せることができるが、1便当たり10人 か 12人を超えることは滅多に無かった、とHerald紙は伝えていた。

運航は、3月末に廃止となる。(UPI.com: Jan. 22, 2010 at 8:01 PM)

イルカを食べる人達に中毒の危険(日本)

昨年、The Cove(注、「入り江」の意)というドキュメンタリー映画で、血生臭い風習が暴かれ、遂に姉妹都市のブルームと緊張が高まっている太地のイルカと鯨を食べる人達に、有害 で危険な水準の水銀が蓄積されていることが、海洋毒物の専門家によって明らかにされた。

Tetsuya Endo(=遠藤哲也)が限定的だと認めざるを得なかった50人の太地町民の水銀量の研究で、この捕鯨の町の3400人の人々は、日本人の平均、すなわち男性で2.55 パーツ・パー・ミリオン(注、100万分の1、ppm)、女性で1.43ppmの、少なくとも10倍の水準の水銀を保有していることが示 唆された。

頭髪の試料のうち3人のものは、50ppm以上の水銀があり、神経障害の危険のあるものとなっている。

しかし全てで50の試料は、イルカ殺しに反対している地元では珍しい活動家のJunichiro Wakayamaの友人から集められたもので、遠藤博士は、このグループの消費量は、他の町民のものよりは控えめなものではないかと疑っている。

「太地から更に試料を集めたいのです。」と世界的に認められた水銀毒性と有害海洋汚染物質の専門家である遠藤博士は、The Weekend Australianに語った。「しかし問題なのは、これ以上、人々が私に協力してくれそうもないことなんです。捕鯨の町ですからね。」

水銀やその他重金属化合物は、1700人以上の人々が死亡した水俣の中毒の悲劇が明るみになった1950年代末まで、日本の沿岸水域で は 産業排水として普通に排出されていた。ところが有毒物質は、海洋食物連鎖を通じて循環し続けていたのだった。

Hokkaido's Health Sciences University(=北海道医療大学)の遠藤博士は、試料の平均値が、男性で21.6ppm、女性で11.9ppmであることを明らかにした。判明した最高水準は、あ る中年男性の67.2ppmだった。

「50ppm超は、健康への影響のグレー・エリア(注、はっきりしない領域)です。」と昨日語った。「100ppm超になると、水俣病 の 危険があります。しかし妊婦の場合は、10ppmでも胎児の神経の成長に影響を与え得ることとなります。」(The Australian: January 23, 2010 12:00AM)

Royal Caribbeanのクルーズ船は援助物資をハイチに運ぶ(米国・ハイチ)

フロリダ州、ポート・カナベラル発。日曜日の午後、何千人もの乗客と、ハイチ向けの援助物資を積んだ1隻のRoyal Caribbeanのクルーズ船が、ポート・カナベラルを出発する。

このクルーズ客船会社は、最近、非難の的となっている。というのは、同社はこの地域への休暇クルーズを中止せずに、地域に非常に必要と さ れている援助物資を送っており、旅行者が地元経済の急騰に貢献すると、このクルーズ客船会社の幹部らが話しているからである。

日曜日の朝、Royal Caribbeanの船員は、ハイチ向けの援助物資で満たされた150台の荷台を、クルーズ船のFreedom of the Seasに積み込んでいた。

箱の中には、清浄薬、Clean the World(注、「世界を綺麗に」の意)という地元団体が寄付した石鹸、粉ミルク、玩具、10ポンドの米俵、おむつ、医療用品といったものが入っていた。

「弊社では、何千もの人々を助けております。恐らくは何千もの命を救うことになります。」とRoyal CaribbeanのStaff CaptainであるMeinhardt Hansenは話した。

批判者は、今、ハイチにクルーズ船が行楽客を乗せて行くのは正しいことだとは考えていない。

このクルーズ船は、ラバディーと呼ばれる島に接岸する。荒廃したポルトー・プランスから、ちょうど60マイル離れたところにある。

ラバディー港は損害を受けておらず、クルーズ船の幹部らは、この島へのクルーズを中止していたならば、200人がこの港で働いており、 多 くの小売商人が船舶到着時に立ち入りを許可されていることから、地元経済を更に傷付けることになっていたと話している。 (WFtv.com: 11:10 am EST January 24, 2010)

QE2のケープ・タウン訪問計画は沈没(アラブ首長国連邦)

夏にあるフットボール(注、サッカー)のWorld Cup最終戦のために、南アフリカのケープ・タウンに行くQueen Elizabeth 2の航海計画は、廃案になった。

Dubai Worldの投資部門であるIstithmar Worldが、ドバイのポート・ラシードに停泊しているこの元英国の遠洋定期船を保有している。

ケープ・タウンの港湾当局者は、同市の港は、必要とされる長さが無いために、この船には対応できないと語った。

昨年、同社は、通常はQE2と呼ばれている本船を、World Cup期間中にどっと押し寄せる客室需要に対応すべく、臨時ホテルとして使用するために、ケープ・タウンに送る計画を立てていると語った。

ところが昨日、Istithmarは、南アフリカへの旅行は中止となり、新たな計画は無いと語った。

「QE2については、検討中の数多くの選択肢がある。」と同社は声明文において述べた。

「Istithmar Worldは、どの選択肢が本船の価値を最大限に引き出すものか、検討中である。」

Dubai Worldは220億米ドル(808億ディナール)の債務の再交渉中であり、ここの投資会社が資産を安値で売り払うのではないかという憶測が高まっており、これにはQE2 も含まれている。(後略)(National: January 25. 2010 11:22PM UAE)

J.D. Salingerは…クルーズ船の芸能人?(米国)

J.D. Salingerが「Catcher in the Rye(注、邦題「危険な年齢」、「ライ麦畑でつかまえて」、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」)」を書く前、あるいはニュー・ハンプシャー州で有名な隠遁生活に向かう 前、彼はカリブ海のクルーズ活動のディレクターとしての短い職歴を有していたのだろうか?

たぶん。

少なくとも1人の伝記作家、Wikipedia、そしてその他多くのウェブ上の情報源が、1941年2月、22歳のSalinger が、 Swedish American Lineが運航していたMS Kungsholmでの職を得たと述べている。(Salingerは、ニュー・ハンプシャー州コーニッシュで、1月27日に死亡した。91歳だった。)。

1999年の「Salinger: A Biography(=サリンジャー:伝記)」で、著者のPaul Alexanderは、この作家の船上での仕事について、Salingerが他のジャーナリストにインタビューで答えたことを引用して書いている。この船上での経験は、 「その後、幾年にも亘って大きな影響を与え続け、未だに愚かにも、芸能界で生きることに本当に挑戦することを思い描いていたものだっ た。」とAlexanderは書いた。

cruiselinehistory.comというウェブサイトでは、Salingerはエンターテインメント・ディレクター(注、娯 楽 監督)をしていたと書いているが、その情報源については口をつぐんでいる。

確かに1941年は、この作家の人生において、忙しい時だった。この年、Salingerは、(後年になるまで出版されなかったもの の) ある小説がNew Yorker、Collier’s、そしてEsquireという雑誌に売れた。また劇作家のEugene O’Neillの娘であるOona O’Neillとの恋愛関係も始まっていた。そしてその後、1942年に、U.S. Army(=合衆国陸軍)に召集され、ヨーロッパ戦線に送られたのだった。

この有名な隠遁生活者が、ビンゴの番号を呼び上げ、シャッフルボードのコンテストの司会をするさまを想像するのは難しいことかもしれな い。(嘘八百をまくし立て、貴族の名前を無益にも名乗ったりすることに多くの時間を割いたことは、更にありそうも無いことに見えるので は?)ところが短期間のクルーズ船での職歴があるとすれば、貴重なものをもたらしたのかもしれない。

Salingerの短編小説「Teddy」は、1953年にNew Yorkerから出版され、クルーズ船で起こった「Nine Stories(注、邦題「ナイン・ストーリーズ/九つの物語」)という短編集に収められている。更に1947年のSalingerの小説「A Young Girl in 1941 with No Waist at All」もクルーズ船、とりわけ1941年にKungsholmがハバナに寄港したことに言及している。主要登場人物の1人が、この船のJunior Entertainment Committee(注、「年少娯楽委員会」の意)の一員となっている。

それで一体どうやれば、このSalingerとKungsholmの冒険について知ることができるのだろうか?

1953年のニュー・ハンプシャー州の女子高校生との稀なインタビューにおいて、この作家は一見したところ、述べてはいる。そこでは、 Salingerは「worked on the liner ‘Kungsholm’ in the West Indies, as an entertainer(=芸能人として西インド諸島の定期船「Kungsholm」で働いていた)」とあった。Salingerの研究者の中には、小さなウソをついたの ではないかと疑っている者もおり、多くの死亡記事では、この仕事についての言及は無い。

いずれにせよ、MS Kungsholmは存在し、それは誰が見ても見事なアール・デコ(注、1920年代30年代の直線を基調とした装飾様式)でいっぱいの素晴らしい船であった。 Swedish American Lineの歴史に捧げられたあるウェブサイトによると、1941年12月12日、パール・ハーバー爆撃から5日後に、この船は合衆国政府に徴用されて戦闘に従事したとい う。

John Ericssonと改名し、本船は戦争の大半の間、軍隊を輸送していた。この古い船の民間船時代のアール・デコの喫煙室、プール、その他の快適設備の素晴らしい写真と動画 は、ここで見ることができる(注、リンク省略)。この定期船の歴史に関するこのウェブサイトでは、本船は1965年に解体されたとある。

さて、更に語ってくれることのできる1941年のKungsholmの生き残りの退役軍人や、乗客、船員はいませんか?(Los Angeles Times: posted on Thursday, January 28, 2010 at 3:55 pm)

Carnival Miracleはポート・ザンテで損傷(セント・クリストファー・ネイビス)

セント・キッツ、バステール発。乗客2124人乗りのCarnival Miracleのクルーズ客は、今朝(1月28日)、船体左側を損傷した手腕の問われる接岸の後、安全にポート・ザンテに下船することができた。

SKNVibesでは、このクルーズ船が午前11時頃、ポート・ザンテの埠頭に衝突したという報告に対処した。現場に到着すると、到着 ホールへの入場は許されなかったが、このクルーズ船の右側が黒ずんで凹んでいるのが見えた。

到着ホールの港湾当局者は論評を拒否したが、SKNVibesでは、セント・キッツ(注、セント・クリストファー・ネイビス)の Carnival Cruise Lineを取り扱っている会社であるDelisle Walwyn & Co. Ltdの最高経営責任者、Denzil Crookeと連絡を取ることができ、今朝の接岸時に、この12層甲板のクルーズ船と港湾設備の双方に損傷が生じたことを確認した。(後略)(SKNVibes.com: Thursday 28 January, 2010)

Tallinkの最高経営責任者Enn Pantは辞職する予定(エストニア)

Tallink Gruppの取締役会の会長で、最高経営責任者のEnn Pantは、今日、次期2010/2011年営業年度に辞職する予定だと発表した。

しかし今日、年次株主総会でなされた声明によると、Pantは会社が収益を回復することを条件に辞職すると語っている。

1996年からAS Tallink Gruppの最高経営責任者になっているPantは、長年に亘り取締役会の構成員で、副議長であるAndres Huntに後を継がせることを提案した。(Baltic Business News: 29.01.2010, 15:31)

フェリーの数百人の乗客が氷で立ち往生(フィンランド)

金曜日の朝、ヘルシンキを出発して1時間30分後のEckero Lineのフェリーが、氷に突っ込んで850人近い乗客が立ち往生した。この船はタリンに向かっていたが、砕氷船が氷を除去してくれるまで待っていた。当局者は、いつフェ リーが氷から解放されるかは判らないと話している。

このフェリーは、午前11時にタリンに到着する予定だった。船は、氷を除去してくれる砕氷船がフィンランドから到着するのを未だに待っ て いるところ。ところが砕氷船は、現在、他船を支援するので忙しいという。

Eckero Lineでは、乗客には危険は無く、食べ物や飲み物を提供していると話している。同社では、このNordlandiaというフェリーが、この数日中に運航困難に直面するこ とは無いだろうと話している。

港湾当局者は、長年で最悪の氷の状況だと話している。(YLE News: published today 01:09 PM, updated today 01:34 PM)