北朝鮮写真館
2000年5月1日〜5月5日
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今の首都である平壌と高麗王朝時代の首都である開城を結ぶ道路。
よく整備されているが交通量はとても少なく、幹線道路なのにも
かかわらず、車道上で子供が遊んでたりするのを見かけた。

開城は平壌から200kmほど南下したところにあり、
南北朝鮮を隔てる軍事境界線のすぐそばに位置している。
この建物はもともと11世紀初め頃に建てられた高麗の
別宮で、今は成均館という歴史博物館になっている。

開城ではこの成均館しか訪問する時間がなかったので開城の町の
写真は撮れなかったけれど、バスの中から見た様子では開城の町は
街角でくつろいでいる人や屋台の店などをたくさん見かけ、高層建築の
谷間を黙々と人が歩いている平壌とは雰囲気が違うように見えた。

成均館の案内図を背にして、私たち
観光客に説明をしているガイドさん。

開城は朝鮮人参の産地としても有名で、成均館の土産屋で売られていたものは
朝鮮人参酒や朝鮮人参茶など、ほとんどが朝鮮人参関連のものだった。
写真中央の瓶入り朝鮮人参は、瓶を割らないと中身を取り出すことが
できない。これは人参が飾り用としても使われるということだと思う。

南北朝鮮の平和な統一を願っていると思われる絵を、
開城から軍事境界線の板門店に向かう途中で見かけた。

板門店で軍事境界線の北側から南側を眺める。青い3つの建物は
軍事境界線の真上に位置していて、それらの建物の内部を
軍事境界線が通っている。正面の大きな建物は南側の建物。
南側から板門店に行ったことのある人によると、南から行く場合は
ジーンズや長髪が禁止で、何が起こっても責任を追及しない旨の
誓約書を書く必要があるらしいけれど、北から向かっても
そういったものものしい制約は特になかった。

軍事境界線をまたぐ青い建物の内部から写真を撮った。
3人の兵士のうち、写真左と中央の兵士は北側の兵士で、
一歩も動かずに姿勢を維持していた。一方右の兵士は
南側の兵士で、だらだらと歩き回ったりしていた。
南北の兵士の間を隔てているコンクリートブロックが
軍事境界線となっている。

青い建物の内部だけは軍事境界線を越えて歩き回ることができる。
北側の兵士による説明を受けている間、南側の兵士が外から
のぞき込んできた。南側の体制の宣伝になるわけでもないし、
どういう意図でそういう行動をとるのかが今ひとつよくわからない。

この先70kmの位置にソウルがあるはずだけれども、
ここは軍事境界線の北側なので、その軍事境界線を
越えてここからソウルへ向かうことはもちろん出来ない。

軍事境界線から2kmの範囲内は非武装地帯になっていて、
その非武装地帯の中にあるこの建物で昼食をとった。
ここの食事は兵士が作っているとの説明だった。

開城の名物料理、サムゲタン(参鶏湯)。
鶏に高麗人参などを詰めて煮込んだ料理。

食事の時にでてきた国産ビール。ビンの色が違うものが
あるのは、ビールにランクがあるというわけではなく、ただ
いろいろなビンが使われているだけのことと思われる。

ライトアップされる金日成主席の銅像。夜間のライトアップの
見学は本来の日程には組み込まれていなかったけれど、何人かが
ガイドさんにお願いした結果、見学させてもらうことができた。

ライトアップされるチュチェ思想塔。炎の部分の明かりは
ゆらゆらと揺らいでるようにみえる工夫がされている。
チュチェ思想は、自分の運命を切り開いていくのは自分自身の
力だという思想で、国家の指針となる思想とされている。
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