北朝鮮写真館
2000年5月1日〜5月5日
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平壌の万景台地区にある万景台学生少年宮殿という施設では、
子供たちの歌や踊りなどを見ることができる。ガイドブックに
よると、ここは学生少年の課外教育の場とのこと。

万景台学生少年宮殿には劇場の他、各部門のサークル室が
あり、見学することができる。ここは習字の部屋。

万景台学生少年宮殿の琴の部屋。子供たちが満面の笑顔で
見学者の方を見ながら演奏していたのが印象的だった。

平壌からバスで2時間ほどの所にある黄海南道の信川という
町は朝鮮戦争の大きな被害地で、そこに信川博物館という
博物館がある。その博物館は朝鮮戦争時に米軍によって朝鮮が
受けた被害についての展示がなされていて、博物館の建物には
朝鮮人が米兵をうち負かしている壁画が描かれている。

信川博物館の展示は絵や写真、その他の資料から成り立って
いて、絵に描かれている米兵は鬼のような形相で描かれている。

信川博物館の絵には米軍の悪行数々が描かれている。体に石を
縛り付けて橋から落とす絵の他にも、頭部をノコギリで切って
いる絵や、女性の乳房を切り裂いている絵などがあった。

信川博物館横の戦没者の墓地で、私たちの団体のうちの数名は
供え物をして祈りを捧げていた。個人やその個人の属する団体の
主義主張に関係なく、どんな理由があっても戦争はあっては
ならないものだという思いを新たにした時間だった。

米軍による虐殺が行われたとされる信川の弾薬庫跡。
庫内に人を集め、ガソリンをまいて火をつけたとのこと。

信川の弾薬庫には、爆弾が落ちた跡とされる穴が開いている。

信川と同じ黄海南道に朝鮮5大名山の一つの九月山があり、その麓に
西暦846年に建立され、千年以上の歴史を持つ月精寺がある。

月精寺では私たちの団体以外の訪問者と出会うこともなく、
ひっそりと落ち着いたたたずまいを見せていた。寺の管理人は、
この寺は信仰対象としては既に現役ではないと言っていた。

月精寺という古刹を維持している努力が認められて、
金正日総書記から金時計が贈られたことがあり、その
ことを非常に名誉に思っていると管理人は言っていた。

九月山の山肌には大きく文字が記されている。左の部分は
「西海名勝九月山」、中央の部分は「金正日」と書かれている。

平壌の高麗ホテルの前の通りには、高層住宅が建ち並んでいる。
平壌ではこの場所以外でも高層住宅が目立つ。表面がコンクリートの
ままで塗装のされていないものが多い。また、気がつかなかっただけ
だとは思うけれど、平壌では一軒家を見かけた記憶が全くない。

高麗ホテルの26Fの部屋の窓を開け、外の景色を撮影した。
車の交通量はそれほど多くなく、朝8時ごろ見物していて交差点に
進入する車は1分につき数台程度といったところ。それでもこの
交差点には地下道が整備されていて、歩行者は全員地下道を通る。
交差点の白い丸印の中には交通整理係の人が立っている

交通整理係は、まるで軍隊のようなきびきびとした動きを繰り返す。
車が全く来ていないときでも、回れ右や指さし確認のような動作を
ひたすらきびきびと繰り返す。自転車も大半は地下道を通っているけれど
時々交差点を地上から横断しようとする自転車が現れ、そういった時は
交通整理係があわててホイッスルを吹くので、交差点は少しにぎやかになる。

毎朝決まった場所にブラスバンドが現れ、演奏を始める。労働者へ向けての
「今日も一日がんばりましょう。」といった意味合いの演奏らしいけれど、
立ち止まって聞いたりしている現地の人は、何日か見た範囲では一人も
見かけなかった。決められた演奏が終了すると静かにその場を去っていく。

朝散歩している時に見かけた看板を撮影した。写真撮影で現地の人と
トラブルになることが多いと聞いていたので、今回の旅行の写真は、
明らかにこれを撮っていますよ、という意志表示をなんとなくしながら
撮った写真ばかりになった。本当は現地の人の生活感のある写真を
もう少し撮りたかったけれど、それはなかなか難しい。
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