The T・World Gather '98

   白石は焦燥していた。
   なぜだ、と訊かれても困ってしまう。そんな状況に、彼は陥ってしまっていた。
   何をどう困っているのか、それを文字の羅列に変換し、口にするのにさほど労力がいると
  いうわけではない。いや、むしろ、簡単すぎるのだ。彼がなぜ困っているのか。理由はごく
  単純なものだ。
   彼は胸中で願った。誰か、自分の代わりに現状を説明してくれないかと。そして、願わく
  ばこの状況が夢であるということを、自分に言い聞かせてほしいと。
   彼の手には、カバンが1つあった。勉強道具が入っているカバンが。
   彼は寝ていたのだ。ついさっきまで。予備校の授業中に眠るほど、心地よい時間というも
  のも、他にはそうないだろう。
   彼は願った。もう2度と居眠りなんてしない。だから、現実に戻してほしいと。
   現実にいながら、そんな矛盾した願いを彼は、とにかく脳裏で繰り返した。
   宇宙船の、通路に1人佇みながら。
 
  「あれが、イオか……。」
   目を細くして、仁科は呟くようにその言葉を口にした。
  「12ある中での、木星最大の惑星……惑星とはいえ、威厳すら感じさせるほどのスケー
  ルだな……。」
   誰に話しかける、というわけでもなく、彼はそう独白した。身長は170強ほど。薄く茶色
  がかった短髪の男。白いワイシャツのようなものに、薄いベージュの長ズボン――彼は
  これを戦闘服と呼んでいるが――を身にい、コクピットにあるビジョンを前にして、静か
  に佇んでいる。隣の席には、もう1人の男がいた。やや長めの黒の短髪。座っているので
  正確には分からないが、身長は仁科よりやや低めだろう。仁科と似たような形の服――
  しかしこちらは、黒っぽい色に統一されている――をい、双眸には、ビジョンが放つ光
  に反射され、鋭く光る眼鏡がかけられている。いつもと同じ格好。顎の下で、両手を組む
  形。それを保ったまま、その男――中布利は、静かに口を開いた。
  「その、12の惑星を統一する、太陽系最大の星、木星――アンモニアの氷の雲に身を隠
  し、水素、メタンといった可燃性の気体を大気に持つ。しかもその厚さは、地球の比になら
  ないほどのものだ。星の質量は、地球の318倍にも及ぶ……いかに星の大きさそのもの
  が地球よりも大きいとはいえ、重力の強さはそれからも十分に知ることができる。我々の
  船では、1度降り立てば脱出は不可能だ。」
  「文字通り、死の星というわけだな。」
   仁科の言葉に、中布利は静かに頷いた。
   刹那、その静けさを打ち破るかのように、リンとした放送音声が艦内に流れた。
  『――その、死の星ですが、』
  「何だ、汐月情報処理班長?」
   仁科は――彼等のいるコクピットは、コンソールと音声が繋がっている――コンソール
  にいるであろう、汐月へと声をかける。
  『たった今、斥候機が木星大気圏内においてプルームを確認しました。これ以上の木星
  接近は危険かと。』
  「プルーム、だと!? あれは数十年に1度起こるかどうかの現象じゃないのか?」
   アンモニアの、氷の雲が広範囲に及び破裂する現象である。そんなものを受けたら、
  空母とはいえひとたまりもないのは目に見えている。
  「……まあいい。この距離なら、退避するにも問題なかろう。全艦に、速やかに退避する
  よう命じろ。」
   中布利は、しかし汐月の言葉に全く動じることなく、そう言い放った。それに対し、仁科
  は頷き全戦闘艦へと繋がるマイクへと身を近づけ――
  『――大変です、仁科情報主任!!』
   唐突に聞こえてきたオペレーターの絶叫が、彼の動きを止めた。
  「今度は一体何だ?」
  『全艦操縦不能! 原因は不明! 高速度で木星に吸い込まれていきます!!』
  「何だと!?」
   さすがに驚愕を隠しきれず、中布利までもがその場に立ち上がった。
  『第2艦隊付近にダウンバースト発生を確認。『ソレアード』小破!』
  『斥候機の消息不明! 惑星に激突したという情報は入っていません!』
   急速に艦内に広がっていく緊迫感は、次第に艦内を実際に震わせていた。当然、震え
  の原因は、木星による万有引力であるが。
  「……まさか、シュヴァルツシルト半径内に入ったのか?」
  「仮にそうだとしたら、木星へ引力が働くことはないのではないか? 木星にも他の引力
  が働いているとすれば、話は別だがな。」
   現状の割には、不気味なほどに冷静に話をする参謀達をよそに、空母『リビング・フォ
  ートレス』は木星へとその身を任せ、墜ちていった――
 
 
 


 
 
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