握りしめた十字架。


血の色に染まっている。


戻ることは出来ない、リフトはケイジへと進んでいく。


この街での暮らし、ささやかな日常、


閉じられた扉の彼方に置いてきたものたち。


それは、全て幻だったのかもしれない。





SR −the destiny−

〔第21話 たとえ世界が空から落ちても〕

Written by かつ丸





翼を激しくはばたかせながら、9体の白いエヴァが地上に降り立った、円を描くようにして。

その中心にいるのは金色に輝くエヴァ。

迎え撃つこともせずに、両手に剣を持ったまま静かに佇んでいる。

それでも警戒しているのか、白いエヴァ達は大剣を手に徐々に輪を縮めようとしていた。口々に甲高い叫びをあげながら。

一瞬、エヴァシリーズの動きが止まった。何かに怯えたように。

彼らには聞こえたのだ。弐号機から発せられた声が。



『さあ、宴の準備を始めよう』



そして感じたのだ、その声の持ち主への、絶対的な恐れを。








ヘブンズドアの向こう。LCLの海。

この先には仮面を被らされた巨人が磔になっている。

そここそが目的の場所。

レイを後ろに連れ、約束の時を迎えるその場所に、ゲンドウはゆっくりと歩を進めていた。

ターミナルドグマ奥深いここまでは戦自が来る心配はない。初号機が再び動き出すまでは、老人による補完がなされることもないだろう。いそぐ必要はない。

それは自分の臆病さの裏返しかもしれないが。


立ちどまり巨人を見あげる。

リリス。全ての生命の源。

そして十八番目の使徒、人類の母たる存在。地獄の女王と呼ばれるのはそれゆえなのかもしれない。間違いなく闇に属するものなのだから、我々人類は。



「お待ちしておりましたわ」



その声に初めて気づいた。
LCLのほとりで、しゃがむようにして座っている一人の女性の姿に。

白衣をきたその女性が、ポケットの中に両手を入れたまま立ち上がりこちらを向く。

それが誰かは声を聞いた瞬間から分かっていた。


赤木リツコ。


彼が利用し、そして愛しているかもしれない女性。

誰かが独房から出したのだろうか。いや、それを気にすることに意味はないだろう。

なぜ彼女がここにいるのか、その理由は、ゲンドウには分かっていた。


「母に会いましたわ・・・・・」


少し寂しそうな顔でリツコが微笑む。

マギへのハッキングを受けた時、本来ならリツコを独房から出して対処させていたはずだ。
それをしなかったのはレヰの存在があったから。

おそらく彼女のプライドはズタズタに崩されたことだろう。


「死んだ者の魂までも利用する。人類を自分の手で滅ぼそうとする人には、どうということはないのでしょうね」


皮肉には聞こえない、どこか諦めたような口調。かすかに嘲るように見えるのは、彼女自身を笑っているのかもしれない。


「レイは、私の手では殺せませんね。けれど、あなたはただの生身の人間です。少なくとも、今はまだ」


ゲンドウの斜め後ろにいるレイに一瞬視線を向けてから、リツコがもう一度ゲンドウを見る。憂いを含んだ目で。

そのポケットに握られたのは拳銃だろう。

促されるように、ゲンドウは彼女に銃を向けた。



最初にリツコを抱いた時、それはナオコがレヰとしてドイツにわたったすぐ後だった。
もともとナオコを助けたのも計算ずくではない、彼女の自殺など予想できるものではなかったから。

ナオコがレイを殺した理由は想像できる。生み出すために用いたユイの遺伝情報は、レイにユイの外見を与えていた、それゆえのことだろう。
もともとレイの身体は人のそれではない、全く同じ肉体でないことなど、彼女が調べれば分かったはずなのに。

早まった真似をした。それが正直な思いだった。だからこそ『レイ』にその魂を呼び込み、二度目の生を与えた。そのことになんの打算も無い。後ろめたさはあったかもしれないが。

ナオコがドイツにわたったのは、ゲンドウが信じられなくなったからだろう。その決意を翻させるすべを、ゲンドウは持たなかった。

ユイがまだそばにいたころから続いていたナオコとの関係、互いを利用しあう以上の意味など無い。けれどももたれ合うようなただれた関係でも、一方的に切られたことにゲンドウはおそらく傷ついていた。

リツコを求めたのは、正しくナオコの代わりが欲しかったからだ。

ネルフ技術部の要としても、そして寂しさを埋める道具としても。

最初激しい抵抗を見せたリツコが、結局ゲンドウを受け入れたのは、彼女も欲しかったのかもしれない。失った母親の代わりが、ネルフにいるための理由が。


愛情など、生まれようはずが無い始まり。


5年という長い年月、お互いに埋めあった心は、離れがたい何かをそこに作った。
それは愛とは呼べないかもしれない、それとも、それこそが愛なのかもしれない。

彼女を断ち切らねばユイと会うことはできない。けれども、リツコがいさえすれば、ユイと会う必要はおそらくないのだろう。


ゲンドウが掲げる銃口がリツコを向き続ける。ポケットの中に握っている拳銃を表に出すことも無く、リツコはゲンドウを見つめていた。

ゲンドウには分かっていた。リツコが望むことが。

思惑はどうあれ、ゲンドウが始めたことだ。彼の手でケリをつけろと、そう言いたいのだろう。

今まで逃げ続けてきた、自分の気持ちと向き合うことから。『レイ』を壊したことも、彼女からのメッセージだとは分かっていたのに。

楽しいことだけ積み上げて生きるわけには行かない。それを認めたくないから、ユイに逃げてきたのかもしれない。彼を捨てて去ってしまった女性なのに、そこに幻想を見ていたのかもしれない。
すでにユイはゲンドウにとって現実の女性ではなく、ただ、夢の中にいるだけの存在に過ぎないのかもしれない。

分かっていながらも、ゲンドウはユイを求めた。ゲンドウを愛してくれた現実の女性、リツコを失う痛みと引き換えにして。


彼女を自ら殺すこと、それこそが罰なのだ。



「赤木リツコくん。本当に・・・・・」

・・・・愛していた。

・・・・すまなかった。

・・・・ありがとう。


想いは言葉にならず、語尾は風に消える。それでも、心は伝わったのだろうか。

弾丸をその身に受け、身体を後ろに弾かれながら、リツコの顔は確かに笑っていた。

それはとても嬉しそうだったように、ゲンドウには見えた。








「ん・・・・・うん・・・・」

背中からうめき声が聞こえる。動く気配がする。

それに構わずに足を進める、急がなければならない。

「・・・・・・誰? ・・・おろして」

気がついたようだ。出血は激しかったが、やはり彼女の生命力は強靱だったのだろう。
セカンドインパクトただ一人の生き残り、その名は伊達ではない。

「目が覚めたのか?」

背中に背負っていたその女性を、そっと地面に降ろす。横たわるように上半身だけを起こした彼女は、呆然とした目をしていた。

「・・・加持・・・あんた・・・・なんでここにいるのよ?」

その問いかけは加持にとって予想の範囲内だった。
死んだはずの人間、ここにいないはずの男。今まで気絶していたミサトには、ここが天国だと言ったほうが信じられるかもしれない。

「すまない。戦自の爆破装置を処理するのに時間を食ってね、リフト前の敵を排除していなかったんだ」  

はぐらかすような答に、ミサトが不満そうな顔をした。
だが取り合っている余裕が無いのは確かだ。

「とりあえず急ごう、時間がない。立てるか?」

「・・・・ええ」

不満げな表情を変えないまま、ミサトがふらつきつつ立ち上がった。脇腹を押さえている。傷が痛むのだろう。

応急治療は済ませてある。傷は内臓までは達していない。出血のために体力はおちているだろうが、生命には別状ないはずだ。

「どこに行くつもりなの?」

「・・・・司令のところだ。地下の巨人、そこに司令と、おそらくりっちゃんがいる」

歩きながら話す。顔をしかめながらミサトも加持についてくる、ことさらに歩調を弱めてはいない。

「レヰに、ナオコさんに会ったわ。・・・・・司令はサードインパクトを起こすつもりなのね。リツコもそれに協力してるの?」

「いや、りっちゃんは妨害するつもりのはずだ。どこまで本気かわからないが」

「じゃあ、私たちはリツコを助けに行くのね」

ミサトの考えは当然だろう。今までサードインパクトを防ぐという大義名分のもと、ここで働いてきたのだから。ミサトがシンジを無理にエヴァの元へと送り込んだのも、それが目的だ。

けれども加持は首を振って否定した。 

「邪魔するなといわれている。司令のことも、そしてりっちゃんもね」

「誰に? ナオコさんに?」

「ああ。補完への道はどのみち避けられないそうだ。ただ、もしできるならりっちゃんを助けて欲しいと、そう言われてる」

ミサトとリツコを守ること、それが加持に与えられた使命、いや、レヰの願いと言ったほうがいいだろう。ミサトを優先させたのは加持の選択の結果だが。

「・・・・あんた、どうしてそんなに落ち着いてるの!? 人類が滅びるかもしれないのよ! 見過ごしに出来るわけないじゃない」

歩いていた加持の肩をミサトが掴む。立ちどまり加持はミサトを見据えた。
 
「今、司令を止めても、ゼーレを止めても、いずれ人類は滅びる。それは避けられないことだ」

「・・・・どういう意味?」

ゼーレの存在をミサトは知らないかもしれない。けれどもそれが外のエヴァシリーズを操る組織だと察しはついたのだろう。問いかけの中身は加持の言葉そのものに対してのものだ。

ナオコに聞くまで、加持も知らなかったこと、人類補完計画の真実。 

「・・・セカンドインパクトの後、南極がどうなったか知っているな」

「・・ええ」

ミサトは実際にそこに降り立った、数少ないうちの一人だ。微生物すら存在しない、赤紫色に染まる海にただ塩の柱が立っているだけの死の世界。
加持は映像でしかそれを知らない。それでもそれを知るものはごくわずかの筈だ。

「あれは・・・・広がっているんだ、あれからずっと。あと何十年かすれば確実に世界を覆う」

「・・・なんですって!?」

「白き月の報い・・・・赤木博士はそう呼んでいた。この世界を形作る生命群、リリスから生まれた者たちを全て滅ぼそうとしていると」

「そんな・・・・馬鹿なこと」

容易には信じられない、その思いは理解できる。加持も最初に聞いた時は冗談だとしか思えなかった。

「葛城、君が南極で司令に拾われた時とその後調査に行った時、その違いを覚えていないのか?」

「私はそれどころじゃなったわよ。・・・・でも、確かに私が居た場所は基地からそんなに離れてはいなかった筈だけど・・・」

「君がこうして生きている、それが証拠だ。南半球は壊滅したから逆に気づかれてはいないけどな。確実に広がっている」

インパクトの2年後の調査、そして先日行なわれたロンギヌスの槍の運搬時の状況、レヰが加持に見せたそのデータは、明らかに「死」が支配する地域が増えていることを示していた。
微生物すら存在を許さぬ場所、人はそこで肌をさらした瞬間息絶えるという。
死因も定かでないままに。

「それが第一使徒、アダムの本当の目的なの?」

時間が惜しい。再び加持が歩き出す。その背中を追いながら、ミサトは問いかけを続けてくる。

「ああ、セカンドインパクトが起きたあの時、アダムを胎児に戻すことでその影響を最低限に押さえることができた。だがそれはただの時間伸ばしにすぎなかったのさ。南極で地下空洞を見つけた時から、全ては定まっていたんだ」

「・・・・じゃあ使徒は」

「滅びを促す、そのための存在だろうな。そのためにここを狙ってきた」

「補完計画を防ぐ、それこそが使徒の狙いだったというの?」

「・・・さあな」

使徒が何をしようとしていたのか、それは分からないとレヰも言っていた。統一された目的などなかったような気もする。

唯一意思の疎通が出来たカヲルにしても、自分自身をわざとシンジに殺されるように仕向けたとしか思えない。

今だ全てを知っているわけではないのだ。だから加持は急いでいるのかもしれない。補完がなされようとしている所、ゲンドウの元へと。

「・・・そういえば地上はどうなってるの? 初号機は?」

「初号機はケイジで封印されていたからな。あれじゃあそう簡単には動かないだろう。だから当分は大丈夫のはずだ」

「・・・・なにが? 弐号機が襲われているんでしょう」

「弐号機は重要じゃない。ゼーレが補完計画に使えるのは今となっては初号機だけだ。今の弐号機ががなぜ動いているのか俺にもよくわからないが、時間つぶしになるならその方が都合がいい」

「今は司令の方が先ってこと? ・・・・・・ねえ、人類の滅びが避けられないなら、じゃあ、補完計画ってなんなの?」

地下へ続くエレベーター、まだ電源は生きている。扉を開け、二人は中に入った。行き先は最下層、そしてその先のリリスの元だ。

「セカンドインパクトの影響が地球を覆う前に一度全ての生命を元の状態、つまりお互いでお互いを補完し、一つの生命だった原初の姿に戻す、そのための儀式だそうだよ。生きている者は人としての形は失って魂だけが残るんだ」

「それって死ぬってことじゃないの!? 何でそんなことをする権利があるのよ!!」

ミサトの言葉は捲き込まれようとしている者全ての叫びだろう。
今、この瞬間世界は何事も無いように見える。攻めてきた戦自の兵士たちも、日本の政府首脳も、このネルフの職員の大多数ですら、先の滅びの為に今死ねと言われても諾々と従いはしまい。
だからごく一部の者だけがこの事実を知らされ、そして計画を進めてきたのだ。

「放っておけば人類に待っているのはお互いを食らい合う地獄だけだ。その前にことを進めたかったんだろう。補完された状態からまた復活できるかはわからないけどな、だが、可能性が無いわけじゃないそうだ」

「それでも、醜く滅びるよりはまし・・・・そう考えたのね」

「ああ、委員会の真の狙いはそれさ。人類を救うというのはまんざら嘘なわけじゃないんだ」

「それじゃあ、司令の目的はなんなの?」

ゲンドウと冬月の目的は初号機に消えた碇ユイと会うこと、そう言ってもミサトには理解できないだろう。
もともと彼らは補完計画を阻止しようとしていた。それはつまり緩慢な自殺を意味する。子孫達に残す世界を切り捨ててでも愛する女性とともに生きることを望んでいたのだ。

そして今度は、ユイと会うためだけに、リリスを取り込み己が新たな神になろうとする。そこにはなんの大義も無い。

けれどそれを責める気には、加持はなれなかった。


答を待っているミサトの気をそらすように、エレベーターが着いた。ドアがゆっくりと開く。

何も言わず外に踏み出し、加持はミサトがでてくるのを待った。少しふらつきながら歩く彼女をいたわるように、やさしくその手を取る。

「行こう、葛城。俺たちの真実を見つけに」

「・・・・そうね」

その言葉と共にミサトがもう片方の手を振り上げる。


「なっ・・」

不意を突かれた加持はしたたかに頬を張られた。唖然として頬を押さえる。その彼の目に、ミサトがにこやかに微笑んだのが見えた。

「取りあえず、今はこれで我慢してあげるわ。全部終わったら、続きをしましょう」








地上では、奇妙な鳴き声だけが響いていた。

弐号機を取り囲むようにしていたエヴァシリーズの作る輪が、徐々に小さくなる。

手に握る大剣。絶対的に有利なはずなのに警戒した様子を崩そうとはしない。

それを見透かしたように、中心に立つ弐号機は剣を持った両手を水平に上げた。高く掲げ、そのまま振り切る。
風を切り裂く音と共に、切っ先から衝撃波が走った。弐号機の両側に位置していた数機の白いエヴァがオレンジ色の壁ごと弾き飛ばされる。

それを合図に、残るエヴァシリーズが一斉に弐号機に飛びかかった。叫び声を上げ翼を羽ばたかせながら大剣を振りかざす。けれども弐号機は逃げる素振りも見せずに、また手に持つ剣を振った。

吹き飛ばされるように、囲んでいたエヴァシリーズが地面に叩きつけられる。揶揄するような声が、彼らの頭上に響いた。


『無駄だよ』


その声を発したであろう弐号機は、何をする素振りも見せず、地上に伏している白いエヴァたちを見ていた。

ようやく立ち上がった一匹が大剣を構える。近づくのは難しいと思ったのだろう、勢いをつけると佇む弐号機に向かい大剣を投げつけた。

切りもみをしながら迫る剣が弐号機の前に現れた壁に阻まれる。

空中で止められたエヴァシリーズの剣は、踏みとどまるように回転を続け、そのままその形を変え始めた。二叉の槍の姿へと。

宇宙空間に失われたロンギヌスの槍、それと同じ形を持つそれが弐号機のATフィールドを突き破った。

『・・・触媒の槍、その複製か』

興味無さそうに呟くと弐号機が剣を振る。金色の機体に届くことなく、赤褐色の槍はもと来た方向に弾かれた。宙を舞い、落ちて地面に突き刺さる。それを投げた白いエヴァの目前の地面に。
馬鹿にされたと思ったのかもしれない。白い巨人は屈辱にうち震えるように叫び声を上げると、地面に刺さった槍を抜き構えた。

叫びに応えたのか、その頃には残りのエヴァシリーズも再び立ち上がっていた。その手に握るのは大剣ではなく、全て槍に変わっている。

『遊んでいる暇は無いね。僕も本気を出すよ』

その声と共に、弐号機は目前で両手の剣を交差させた。銀色の刃がその色を変え、長く伸びる。絡まるように交差していくそれも、一本の槍へと変わっていた。

『これも複製だけどね。君たちには充分だよ。・・・・・さあ、目を覚ますんだ、僕の写し身たちよ。そのくびきを解き放ってあげよう』

弐号機が槍を高く掲げる。それとともに、白いエヴァ達は地に倒れていった。

力を、いや、魂を抜かれたように。





暗い部屋。

浮かび上がるモノリスと、7つの目を持つ仮面が描かれた壁画。

けれどもそこから聞こえるのは呪詛の声だった。


「・・な、何がおこった?」

「・・・ワシの頭に・・・・誰だ・・・これは?」

「エヴァンゲリオンを通じて語りかける・・・弐号機のパイロットか・・・・いや・・・これは・・・」

「・・・・ぐあっ」

「・・・な・・・・なぜお前が・・・・ぐはっ」

悲鳴のようなうめき声と共に、一つずつモノリスが消えていく。12枚あったそれは、やがて全て失われた、「01」と書かれた一枚を残して。


「タブリス・・・・我々を裏切るのか、お前を造った存在である私を」

『裏切ったのはそちらが先だし、僕を造ったのはレヰさんでしょう。あなたは僕を支配していただけだ。それにあなたたちが知っている僕は、シンジくんによって消されましたからね、真に自由な存在ですよ、今の僕は』

「それで計画の邪魔をしたというのか? まもなく初号機が手に入るというのに。あともう一歩で約束の時が、神への扉が開かれるところだったというのに」

モノリスの他には何者もいない。部屋に響く声のうち一つは、波動のようにどこか遠くから届いてきている。

『あなたたちが望む歪んだ世界など、僕は認めませんよ。正義の名の元につくる、リリンたちのエゴで固まった世界などね』

「我々を、人類を滅ぼす気か、・・・・・アダムの後継者よ!!」

『それは、あなたが気にする必要はありません。どのみち先に滅びますからね』

「ぐ、ぐはっ」

モノリスが消え、一人の老人の姿に変わる。バイザーをつけたその顔は、口から血を流していた。

何本もの管と共に身体に結ばれた機械類は、どこかと繋がっているのだろう。けれども彼の苦悶の原因も、繋がった先から襲っているように見えた。虚空に向かいなじる、その声はすでに弱々しい。

「こんなことは・・・・死海文書には・・・・」

それを最後に、老人は床に倒れた。介抱するものなど誰もいない、暗く閉ざされた部屋の中で。




『これで準備はできた、後は待つだけだね、シンジくんを』

その言葉を合図にするかのように、エヴァシリーズたちが三たび立ち上がった。

手に握った槍を杖がわりに支えにして立つ。もう弐号機を襲おうとはしない、叫び声すらあげない。彼らはただネルフ本部の方を見ていた。

これから起こることを全て分かっているように、静かに。








突然、腕が動いた。


誰もいないケイジ。戦自の手によりベークライトで固められた初号機。

それに乗り込むすべを持たず、シンジはただ座って紫の機体を眺めることしかできなかった。

どこか安心していたのかもしれない。エヴァに乗れないのは自分のせいではないのだから、責められるいわれはないと。

地上で戦っている弐号機、それに乗っているのはマヤだ。正直会いたいとは思えなかった。

手の中に握りしめたペンダントを見る。白いはずのそれは血の色に染まっていた。けれどシンジに何が出来るというのか。
ミサトとの別れの後流していた涙ももう枯れている。冷たいわけではないと思う、どうしようもないだけ。

エヴァに乗れない以上、シンジはただの子供でしかない。世界を救う手段も敵と戦う手段も持ってはいない。
何を望まれても、期待されても、応えることなどできなくて当然なのだ。

空ろな目で初号機を見つめながら、シンジは時が過ぎるのを待っていた。


そのとき、初号機が動いたのだ。

全身を覆うベークライトを砕き、シンジの元へとその手を差し出す。

動けるならシンジなど必要ないのでは無いか、そう疑問に感じる余裕も無く、吸い込まれるようにエヴァの手のひらへと向かった。


運命。


ミサトはそう言っていた。

この街に来たこと。エヴァに乗って使徒と戦ったこと。レイを愛したこと。カヲルを殺したこと。

全てが今日のためにあったというのだろうか。

だからこそ初号機は動いたのだろうか。


何も分からないまま、シンジは初号機に乗り込んだ。

逃げてはいけない、そしてシンジが逃げる場所など、もうどこにもないのだ。







「・・・りっちゃん、これで満足した?」

オレンジ色の水に浮かぶ白衣の女性に向かい、黄色い瞳の少女がつぶやく。

磔にされた白い巨人の下、レヰを乗せた小さなボートは漂うリツコのすぐそばに浮かんでいた。

妖しげな道具で水面からリツコを引き上げると、濡れることも気にせず、まるでかき抱くようにして彼女の身体を引き寄せた。

まだ、息はある。微妙に狙いが外れたのだろう。

そのままボートに寝かせ、リツコの傷口を一瞥すると、レヰは彼女たちに気づかず巨人を見つめるゲンドウ達の方に視線を向けた。

「無理に生きながらえさせることと、自ら生命を奪おうとすること。あの人がどちらを愛しているかは考えるまでもないわ。・・・・少し妬けるわね」

拗ねたような笑みを浮かべ、もう一度リツコの方を見る。

「カヲルが動き出した、そしてユイさんも。私も始めるわよ、あなたをまだ眠らせはしないわ」

その言葉に応えるように、あたり一帯を初号機の咆哮が包んだ。





「シンジくん?」

ネルフ本部を、いや、ジオフロント全体を震わせるような巨大な叫び。

それを発しているのはシンジなのだろうか。なぜだかミサトにはそう思えた。

加持が頷く。その顔には焦りの色が見えた。

「地上からだ。おそらく初号機が動き出したんだ」

つまりはゼーレによる補完計画の発動が可能になったということだ。この叫びはゲンドウの所にも届いているだろう。

「急ぎましょう」

そう言って足を早める。間に合わないかもしれない。痛む傷口のことなど気にしてはいられなかった。


「あそこだ!!」

加持の声に遥か先に目を向ける。

かつて見た白い巨人のそばに、ゲンドウとそして蒼い髪の少女の姿。何も身につけていない少女の身体に、ゲンドウが手をあてている。その手のひらは何故か見えない。

「ナオコさん?」

一瞬、そう呟いてミサトは気づいた。少し離れた所に浮かぶ小さなボート、それに横たわる白衣の女性と、その横に座るもう一人の蒼い髪の少女に。

あれこそがナオコだろう。では、ゲンドウの前にいるのは誰だというのか。

答えは一つしかなかった。崩れた肉片、水槽の中の『レイ』たち、あれが使われていたというのか。

「レイ!!」

涙をこぼしながら、ミサトは声を振り絞った。ふらつく足取りで駆け出す。

ゲンドウを止めなくてはいけない。

確証などないが、おそらく彼の計画はレイを犠牲にするものだ。彼女を使わせてはいけない。

その思いだけが、ミサトを突き動かす。

声が届いたのだろうか、閉じられていたレイのまぶたが開く。

その紅い瞳は、冷たく光っていた。

何も見えてなどいないかのように。










〜つづく〜









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katu@osaka.104.net



解説:


以上、第21話です。しかし題名長すぎだな(^^;;
「白き月の報い」については、原作には無い独自設定ですね。
説得力があるのか無いのか、どっちでしょう(笑)

何故この時に「補完」をするのか、世界的に影響力を持つ組織「ゼーレ」が、何故こんな計画をはじめたのか。
物語を紡ぐための、自分なりの補助線ですかね。

「狂気」や「欲」よりは「正義」のほうが好みかなと。ワシ的には、ですが

あくまでSRの設定ってことで。


これで「Air」部分は終了です。
次回からは「まごころ」






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